講師紹介
矢内賢二さん

学校長の推薦コメント

橋本治さんの雑誌連載をまとめた
『もう少し浄瑠璃を読もう』が、
今年7月に新刊として刊行されました。

橋本治さんは昨年末に体調を崩され、
校正刷に目を通すことが叶わない
状態になりました。

担当編集者に依頼され、内容の確認をし、
「解題」を執筆したのが、矢内賢二さんです。

かつて国立劇場勤務時代に、
橋本治さんを講座の講師として招いたり、
矢内さんの処女作である『明治キワモノ歌舞伎 
空飛ぶ五代目菊五郎』の帯に、
橋本さんが推薦文を寄せるなど、
10年来の交流が続いていました。

<「橋本治の書いた文章をチェックするなんて
とんでもない」と思うと同時に、
「それでこの本がスムーズに世に出るのなら」
と考えた。結局は、これも縁のうち、
橋本さんが私に残した宿題だと勝手に思うことにして、
厚かましくもお手伝いをさせてもらうことに決めた>

解題に、矢内さんはそう記しておられます。

さらに最後に「個人的な思い出」として、
生前の橋本さんのたたずまいを彷彿とさせる
すばらしい情景を描いています。

そんな文章を書く矢内さんに、
「古典芸能の人」橋本治は、
いったいどのような人であったのか、
語っていただきたいと思います。

「自分が小説家としてめざすのは、
人形浄瑠璃の文楽の太夫です」と
言い切っていた橋本さんは、
では、どういう小説を書きたかったのか、
矢内さんには、そのあたりまで
語ってもらえればと期待します。

講師のことば

90年代の江戸ブーム、歌舞伎ブームを経た今でこそ、
若い人も歌舞伎や文楽を
けっこう観に行くようになっていますが、
橋本治さんが学生だった60年代から
大人になった70年代のころ、歌舞伎や文楽は
かなりマイナーなものだったようです。

そういう時代に、歌舞伎座に通い、
古本屋で見つけた歌舞伎の台本や浄瑠璃本を
コツコツと読んでいた橋本さんは、
かなり「変な人」だったと言えるでしょう。

浄瑠璃は、
人間が肉声で長大な物語を語って聞かせる
「語りもの」という芸のひとつです。

戦国時代から江戸時代のはじめ頃に生まれた
浄瑠璃の中でも竹本義太夫が始めた「義太夫節」は、
「語りもの」のメインとして長く生き残ってきました。

義太夫節は、おそらく戦前頃までは、日本人の多くが
身近なものとしてなんとなく知っているものだったのです。

ところが、こうした肉声を媒体として
「聞かせましょう」「聞きましょう」と
物語をやり取りする習慣は、今ではほとんど
失われてしまったと言っても過言でありません。

そんななかで、橋本治さんは、
鶴澤寛也さんや高橋源一郎さんとの対談の中で、
「近代小説の先祖は江戸時代の
人形浄瑠璃だと思っている」とか、
「自分の小説の書き方は義太夫だ」、
あるいは「基本的にオレが目指しているのは、
人形浄瑠璃の文楽の太夫なんですよ。(略)
小説家ってそういうもんだと思ってるんです」
といった発言をしています。

なんと恐ろしいことを言うんだ、と衝撃を受けました。

いま小説を書いている人で、
自分の小説の根源は義太夫節だと断言してしまう人は
他にいないと思います。

日本の近代の小説が、古めかしい江戸時代の
浄瑠璃や読み物を片隅に追いやって、
西洋の小説をお手本として
出来上がってきた側面をもつものだとするならば、
近代的な小説を書く一方で、自分の表現のルーツは
浄瑠璃であると公言する橋本治さんは、
江戸と近代の両方に足を置いて立つことのできた、
実に希有な小説家だったと思うのです。

江戸の文化や暮らし、人間関係を、
あたかも江戸時代の人になったかのような視点で
活き活きと捉えた橋本治さんの視線を追いながら、
橋本さんを魅了した浄瑠璃・義太夫節とは何であるか、
義太夫節の実演も味わいながら、
みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

矢内賢二やないけんじ

国際基督教大学上級准教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。専門は、幕末から明治期の歌舞伎を中心とする日本芸能史・文化史。著書に『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』(サントリー学芸賞など受賞)、『ちゃぶ台返しの歌舞伎入門』等がある。