講師紹介
町田康さん

学校長の推薦コメント

町田康さんは、近年もっとも精力的に
古典の現代語訳をやっている現役作家の一人です。

橋本治さんの大きな仕事である
『双調 平家物語』を
町田さんに論じていただくのは、
「至極真っ当」なことだと思えます。

町田さんの現代語訳で最初に“おったまげた”のは
池澤夏樹さん編集の『日本文学全集』
第8巻の「宇治拾遺物語」です。

説話の現代語訳といえば、
芥川龍之介の小説のように、
原作にかなり忠実に淡々と書かれた
ものが代表格ですが、
町田さんのは〝ぶっ飛んでいる”〟としか
言いようのない大胆さ!
たとえば、「瘤取り爺」の爺さんが
まあ延々しゃべる、しゃべる。そして、踊る!
憑きものがついたように、
爺さんが躍動するのです。

いま連載中の義経記を翻案した
『ギケイキ』もそうですが、
ぶっ飛んでいるけれども、それだけじゃない。

「きっとそうだったんだろうな」と
伝わる、たしかな説得力があるのです。

この作者であれば、
『ギケイキ』とほぼ同時代の『平家物語』に
橋本治さんがどう取り組んだのかを
読み解いてくれるに違いない。

いや、それ以上に、
町田さんが『双調 平家物語』を
どう読むのか、ただそれが知りたくて
好奇心でお願いしたというのが
正直なところです。

いま町田さんは「橋本平家」に
真剣に取り組んでくださっています。

誰よりも私が、この授業を楽しみにしています。

講師のことば

古典は難しい、よくわからないもの、
自分から遠いもののように思われているし、
僕自身も「専門の人がやるもので、
自分がやるものじゃない」と思っていたんですけど、
実際に読んでみると、おもしろい。

そのときの読み方は、
自分の理解に置き換えてみること。ところどころ、
わからないこともあるわけですが、
「これって、こういうことなんだろうなあ」と
想像しながら読んでいくと、現代の自分自身の感覚に
置き換えて読むことができる。

古典に近づくことができます。

いま橋本治さんの『双調 平家物語』を
読んでいるところですが、これがまたおもしろい。

歴史の物語は、だいたい「原因と結果」というか、
「こういうことがあってから、こうなりました」
と事実の羅列があって、「なんで」そうなったか、
「そのとき、どう思ったか」はあまり書かれていない。

歴史を書こうとする人は
人間の気持ちを掘り下げるよりも、
「こっちとこっちがケンカして、
こっちが鉄砲使って勝ちました」みたいな、
戦略的・戦術的なことに終始しがちですが、
橋本さんは「そのとき、
個人としてはどう思っていたのか」を書く。

古典の現代語訳だけでなく、たとえば
昭和を舞台にした小説『草薙の剣』もそうですが、
細かく人の気持ちを描いている。

人間が政治的な動きをするときに、根底にあるのが、
むしろ動物に近いような感情ですが、
『双調 平家物語』にはそれが書いてあるから、
非常に納得がいく。

では、なぜその「気持ち」がわかるのか? 
まるっきりの想像なのか、といえばそうではなくて、
たった1行であっても歴史書に書いてある。

そこを深く考えているうちに、
「わかる」のが小説家です。

歴史書を元につなげていくと、
「あ、そうか」と、つながる瞬間がある。

これが橋本治版平家物語の
ひとつの読みどころだと思っています。

これは最初に言った、古典の現代語訳と重なっていて、
自分なりの筋道を作って読んでいくことでもあります。

そういう読み方の癖がつくと、
古事記や日本書紀や元の平家物語を読んでもおもしろくて
自分なりの筋を通した読み方ができるようになるし、
現代の小説を読んでいても
ストーリーを追うだけでは気づかない
1行の背景の世界を自分なりに
クリエイティブな読みができるようになる。

それによって文学という営みに
深みが生まれるというか、グルーブが生まれてくる。

そんなことをお話ししたいと思っています。

町田康まちだこう

作家、ミュージシャン。1997年に処女小説『くっすん大黒』で野間文芸新人賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。その後、『きれぎれ』で芥川賞受賞。詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、『権現の踊り子』で川端康成文学賞、『告白』で谷崎潤一郎賞、『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。この他、『パンク侍、斬られて候』『浄土』『東京飄然』など著書多数。義経記を現代に蘇らせた『ギケイキ 千年の流転』『ギケイキ2 奈落への飛翔』が刊行され、続きは雑誌『文藝』にて連載中。