講師紹介
橋本麻里さん

学校長の推薦コメント

橋本治さんの大きな仕事のひとつに、
『ひらがな日本美術史』があります。

これは、『芸術新潮』1993年7月号から
2005年11月号まで連載され、
全7巻119章の大作として、
書籍が2007年2月に完結するまで、
あしかけ14年の歳月をかけて
一人の作家が通史として日本美術を語った
前代未聞の労作です。

これについて、2010年の『ユリイカ』で
見事な解説をしたのが
美術ライターの橋本麻里さんです。

麻里さんは『BRUTUS』の取材で
橋本治さんといっしょにパリへ行くなど、
ご本人をよく知る人でもあります。

この解説を読むと、麻里さんが
橋本治さんの「見る」ことに
注目しているのがわかります。麻里さんは
『ひらがな日本美術史』第1巻から、
こんな引用をしています。

〝見る〟ということは、ある意味で、
〝それを見ながら、見るべきものを
再創造していく作業〟だ。

だから人は時にいろいろな見方をする。

人に教えられて、今までとはまったく違った
見方をしてしまうようになる。

〝見る〟ということは、
〝発見する〟ということで、
〝発見〟とは、
〝そこにないものを探し出すこと〟——
つまり、〝創造すること〟なのだ。

まさに「見る」ことと「読む」ことで、
橋本治さんは日本美術を
とことん創造的に自分のものにした。

それはいったいどういう「見る」であったのか、
橋本麻里さんの口から、
ぜひ解説していただきたいと思います。

講師のことば

橋本治さんが遺した
『ひらがな日本美術史』という仕事を考えたとき、
「一人の目で美術を通史として見通す」ことの
大きな意味を感じます。

人文科学であれ自然科学であれ、
近代以降のあらゆる分野の研究者は
「限定された専門領域」について
研究を深めてきました。

それは学問的に誠実な態度ではありますが、
やはり「美について独自の基準を持った個人」の
目から見た美術史、
美術史観がはっきりと現れた通史は、
学問的正確さや実証性とはまた別の
おもしろさと意義がある。

美しいもの、
「美しい」という評価とは異なるすばらしいもの、
そういうものすべてをひっくるめて、
橋本治さんには、日本の文化全体を
一望のもとに収めたいという欲望があったと思うのです。

ですがそれは、本当に大変な作業です。

たとえば仏像について書こうと思えば、
仏教について知らなければならないし、
仏典を読まなければいけない。

歌舞伎のある演目が気になって調べていけば、
時代背景から社会構造まで、
すべてが「芋づる」式につながっている。

その景色を見てしまうと、
時に絶望的な気持ちになるのですが、
橋本治さんという人は絶望することなく
(むしろ喜々として)、全体像を把握しようとしていました。

たとえば『双調 平家物語』を書くとき、
その前に『続日本紀』以降の正史を総ざらいして、
天皇家に関わる男系女系の婚姻関係を洗い出し、
彼なりに因果の全体像が腑に落ちるレベルまで
把握してから書いた。そういうことを、
倦まず弛まず続けた人なのです。

近代以前には、こうした「全体的な把握」を
目指した人が少なからずいました。たとえば
「万能人」と呼ばれたレオナルド・ダヴィンチは、
「世界はどういうものであるのか」を
絵によって見通そうとしたわけです。

橋本治さんがやろうとしていたのも、
そういうことではないかと思います。

彼のような把握力はないにしても、
同じようなことをやりたいと
こっそり思っている一人として、
治さんがやり抜いたことのすごさを
ひしひしと感じているし、
ちょっとでも近づけたらいいなと願っています。

そんな橋本治さんの凄みについて、
お話したいと思います。

橋本麻里はしもとまり

日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。新聞・雑誌等の連載・寄稿多数。著書に『美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)、『京都で日本美術をみる[京都国立博物館]』(集英社クリエイティブ)、『変り兜 戦国のCOOL DESIGN』(新潮社)、共著に『SHUNGART』、『原寸美術館 HOKUSAI100!』(共に小学館)、編著に『日本美術全集』第20巻(小学館)ほか。国際基督教大学卒業。