講師紹介
松家仁之さん

学校長の推薦コメント

橋本治さんと松家仁之さんは、
作家と編集者、あるいは作家同士として
いろいろな形でつきあいがあったと思います。

松家さんご本人の話にもあるとおり、
若い頃から橋本事務所に出入りしては
行くたびに何時間も
「雑談」していたといいますから、
いろいろな話をたくさん聞いた
貴重な証言者の一人です。

そういうつきあいの中で、
松家さんもまた、矢内裕子さんとは別に、
橋本さんから先々の小説の構想を聞いています。

それは、世に昭和3部作といわれる作品や、
『草薙の剣』という昭和・平成を
主人公にしたような小説を書いた橋本さんが、
いわば作家人生の総仕上げとして、
取り組もうとしていた大作です。

ヴィクトル・ユゴーの
『ノートルダム・ド・パリ』のような
イメージの作品を書きたいのだと
語っていたそうなのですが‥‥。

今回の講座の構想を話して、
松家さんに感想を求めたことがあります。

「いやあ、橋本さんは大きい人ですからね」
と、松家さんは言いました。

体も、もちろん大きい人でしたが、
松家さんが言ったのは、考えの構えが大きな人、
人としての器量が大きい人、
ということだったろうと想像します。

その意味で「大きい人・橋本治」の輪郭を
私たちに示していただければと思います。

講師のことば

2009年に『巡礼』、その後、
『橋』『リア家の人々』が書かれたところで、まとめて
「昭和史3部作」と呼ばれるようになりました。

でも橋本治さんは「そんなつもりで
書いたわけじゃないんだけど」とおっしゃって、
「それならば」とばかり「時代を丸ごと書こうとして」
発表されたのが『草薙の剣』でした。

最後の10年弱のあいだに、
これらの小説を書くことになった橋本さんの、
小説家としての胸の内にはどんな思いがあったのか。

少女マンガから古典文学、義太夫から日本美術史、
社会批評から恋愛論……どんなテーマであれ、
橋本治の世界観で読み解いてしまう人が、
小説という「答えが書いてあるわけでもない」
「まどろっこしいもの」をわざわざ書くことで、
なにを伝えようとしていたのか。

人間について書いたのは間違いない。

橋本さんの小説に登場する人間は、
それぞれの時代のなかで生かされて、
悲劇を背負わされたらしい。

では、その悲劇とはいったいなにか?

『巡礼』では、「ゴミ屋敷の住人」が主人公。

『橋』では、のちに殺人を犯すことになる
女性たちが登場します。テレビや新聞、雑誌では、
「ゴミ屋敷の住人」や「殺人者」を取り上げて、
その人となりや背景を探ろうとします。

しかし、「ゴミ屋敷の住人」や「殺人者」として
扱うことをやめません。

彼らの「ちょっと理解しがたい人生」は、
あくまで向こう側の世界のこと。

こちら側とはちがうのだと。

橋本さんは「向こう側の世界」に渡る橋を、
小説を書くことで用意したのではなかったか、
と思うのです。

わかりたい、理解したい、というエネルギーが
橋本さんのなかには人一倍ありました。

子殺しに手を染めた女性、ゴミ屋敷の住人を理解する。

そして理解するだけでなく、
このようになってしまった彼らを
鎮魂しようとまでした。

橋本さんの小説とは、
「この人はどうしてここに至ったのか」を
想像する場所へ私たちを連れていきます。

その姿勢を、この4作から
読み解いていきたいと思います。

それは私たち一人一人にとっても、
人を理解するとはどういうことか、
についてなにかを教えてくれるはずです。

松家仁之まついえまさし

作家。編集者として、新潮社「クレスト・ブックス」を創刊。『考える人』創刊編集長、『芸術新潮』編集長などを経て、2012年『火山のふもとで』(読売文学賞受賞)で作家デビュー。この他の著書に『沈むフランシス』『優雅なのかどうか、わからない』『光の犬』(河合隼雄物語賞、芸術選奨文科大臣賞受賞)がある。編著に『伊丹十三の本』『美しい子ども』など。共編著に『伊丹十三選集』などがある。株式会社つるとはな取締役。