講師紹介矢内賢二さん

学校長の推薦コメント

矢内さんとの出会いは、彼の初の単著
『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』でした。

キワモノ(際物。実際の事件や流行の風俗を
いち早く芝居に取り入れ脚色した演目)を、
こんなにおもしろく語って、
実感させてくれた本はありませんでした。

雑誌屋をやってきた人間として、
「キワモノをプロデュースした五代目」を
身近に感じたせいもあるでしょうが、
矢内さんの筆さばきが非常に鮮やかでした。

さらに矢内さんの歌舞伎解説をライブなどで聞いて、
その魅力的な語り口にも魅了されました。

いまの時代に歌舞伎の魅力をどう味わうのか、
それをさらにどう深めるのか? 

平成から新しい元号に移らんとするいま、
明治のキワモノ歌舞伎を活写した矢内さん以上に
刺激を与えてくれる講師はほかにいないでしょう。

講師のことば

初めて歌舞伎を観たのは大学に入ってからのことです。

雑誌『ぴあ』の演劇欄の最後に
ちょこっと載っているのをみつけて、
「そういえば歌舞伎というものを観たことがないな」、
とふとした好奇心から友だちを誘って
歌舞伎座に行ってみました。

中村歌右衛門という天下の名優が出ていたのですが、
当時はそんなことも知らず、予習もしてないので
どんな話なんだかわからない。

ただ真っ白い顔の歌右衛門が髪を振り乱して
呪文のような言葉を絞り出しているのを見て、
「なにか尋常でないものがここにある」と、
18歳の私は恐るべき衝撃を受けました。

私にとって歌舞伎見物の原点は、
異常なものを見てドキドキ、ゾワゾワする体験でした。

ドラマももちろんおもしろいけれど、
この「異形のものを観る歓び」こそが、
歌舞伎という快楽のにあるのではないかと思います。

歌舞伎役者は、出てきただけで勝負あり、と言われます。

出てきただけでお姫様に見えるかどうか、
若旦那に見えるかどうか、そこにすべてがかかっている。

世界は理屈でスパスパ切ることができると思っていた
頭でっかちの大学生だった私は、
理屈ぬきで「文句あっか? 俺が世界だ」というのを
バンと見せられて、脳みそがいっぺん
ひっくり返ったんだと思います。

いまは情報があふれる時代なので、学生と話していると、
「漱石好きなんです」といいながら
作品をほとんど読んだことがなかったりします。

歌舞伎も周辺情報ばかり手にして
実際に観たことのない人が少なくありません。

なので、「まずは観て欲もらいたい」というのが
出発点です。ただ、「歌舞伎は現代的である」とか
「現代に通じる」とよく言われますが、
何百年も前の人の感覚や思考回路には、
どうしてもわかりにくいところがあります。
そういうとき、歌舞伎を現代に引き寄せるのではなく、
こちらから「話を聞かせてくださいな」という姿勢で
歩み寄っていく方が断然おもしろいと思います。

ドアをトントンとノックすれば
100%応えてくれるのが古典というもの。

歌舞伎もそうです。
歌舞伎のドアをノックする方法を一緒に学びましょう。

ひとつの手がかりは登場人物のポジションです。

江戸時代の文化の中では、その人が
社会的な座標軸のなかでどこに位置しているかという
ポジションが大切です。これに基づくと
どう行動しなければいけないのか、
でも本心はどうなのか、そこの摩擦がドラマになる。

だから座標がわからないと、
その人がなぜ苦悩しているかがわからない。

そこで「知識」が必要、ということになるわけです。

もうひとつ、たとえば「忠臣蔵」を知っておくと
「四谷怪談」がわかるという風に、
歌舞伎の作品はお互いにリンクもよってつながっています。

いきなりリンク先だけを知ろうと思っても
よくわからないけれど、その基本となっている物語を
知っていればたちどころにわかるということがあります。

昔の人は自然にそういう知識を身につけたのでしょうが、
私たちは学習しないとわからない。そうしたところに、
ちょっとした勉強が必要となるわけです。

最後に、リズムです。

現代人にとって歌舞伎のリズムは非常に遅いけれど、
うまくのるとじつに気持ちがいいようにできています。

また気持ち良くのせてくれるのがいい役者です。
あらすじの進行ばかりに気をとられて前のめりになると、
このリズムにのることができません。

この講座をきっかけに、「ゆったり歌舞伎見物」が
みなさんの生活の一部となれば幸いです。

矢内賢二やないけんじ

国際基督教大学上級准教授。徳島県生まれ。

東京大学文学部卒業。

同大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。

専門は、幕末から明治期の歌舞伎を中心とする日本芸能史・文化史。

日本芸術文化振興会(国立劇場)勤務、立正大学准教授などを経て2015年より現職。

著書に『明治キワモノ歌舞伎 空飛ぶ五代目菊五郎』(サントリー学芸賞など受賞)、『明治の歌舞伎と出版メディア』、『日本の伝統芸能を楽しむ 歌舞伎』、『ちゃぶ台返しの歌舞伎入門』、『明治、このフシギな時代』等がある。

1970年生まれ。