講師紹介山口宏子さん

学校長の推薦コメント

日本を代表する演劇専門記者として、
的確な演劇評を書きつづけてきた山口さんは、
蜷川幸雄さんのシェイクスピア劇を
ずっとウォッチしてきた貴重な証言者です。

そして、自らの見てきたもの、聞いてきたものを
伝えていく責任を真っ正面から受けとめる
「覚悟の人」です。

山口さんの貴重な経験を受け取る人に
どうぞなってください。

講師のことば

新聞社に勤めていて、偶然、演劇の担当になったのが、
シェイクスピアとの出会いです。

私が演劇記者になった1980年代終盤は、
ちょうど、「シェイクスピア・ブーム」が始まった頃。

「東京グローブ座」の開場もあり、
シェイクスピア劇の上演が急増し、好景気を背景に、
海外の著名劇団も次々に来日する時代でした。

子供の頃に読んだ『世界名作全集』で、
有名作品のストーリーは知っていましたが、
舞台で繰り広げられるのは、
想像よりはるかに複雑で豊かなドラマでした。

もっと勉強せねば。そう思って、古典を学ぶ連載を企画し、
シェイクスピア学者で全戯曲を翻訳した小田島雄志さん、
日本シェイクスピア協会会長も務めた
高橋康也さんらに話を聞きました。

熱心に語ってくださる内容のおもしろさといったら!

この時、超一流の先生方に教わった
シェイクスピアの魅力と奥深さは、
いまも観劇の道しるべになっています。

演出家の蜷川幸雄さんと本格的に出会ったのも、
シェイクスピア劇を通してでした。

初めて観た「蜷川シェイクスピア」は、
1989年4月の「NINAGAWAマクベス」。

静岡の護国神社での野外公演でした。

夕方に開演し、魔女が現れるのは、まさに逢魔が時。

背後の森、昇る月など自然と一体となって展開する
悲劇の美しさは今も目に焼きついています。

この公演を観た原稿を書くために、終演後、
蜷川さんに取材をしました。

面と向かって話をしたのは、この時が初めて。

駆け出し記者の稚拙な質問に、
蜷川さんは夜遅くまで、誠実に付き合ってくれました。

こうした体験の積み重ねが、
私にとってのシェイクスピア劇のイメージを形作っています。

シェイクスピア劇に敬意と親しみを覚えるのは、
若い頃に出会った尊敬する大人たちの背中が
重なって見えるからでしょう。

好きなセリフはと考えた時、耳によみがえるのは、
平幹二朗さんの声です。「リア王」の終盤、
コーディリアとともに姉たちの軍の捕虜になった場面で、
リアは言います。

「牢へ行こう。二人きりで、籠の鳥のように歌を歌おう。

お前が祝福を求めれば、私は跪きお前に許しを乞う。

そんなふうに生きていこう」(松岡和子訳)。

平さんの深く温かな声に込められた父の思いが、
静かに心にしみこんできました。

蜷川さん、平さんが昨年相次いで世を去り、
二人が作った劇世界について書いたり、
話したりする機会が増えています。

そんな時ふと、『ハムレット』の
ホレイショーを思い浮かべます。

ホレイショーは主人公のそばでその運命を見続け、
ハムレットは彼に、次代に語り継ぐ使命を託します。

私が彼のようにハムレットに
信頼されているかどうかはさておき、
ホレイショーの存在は、新聞記者に似ている気がします。

私は記者として数多くの舞台を観てきました。

素晴らしい方たちから、たくさん話をうかがいました。

観劇や取材の体験は、私個人ではなく、
広く社会のものであることを、改めて実感しています。

私が観た、聞いたシェイクスピアの魅力を、
お話し出来れば幸いです。

山口宏子やまぐちひろこ

朝日新聞記者。お茶の水女子大学理学部化学科卒業後、 朝日新聞入社。80年代の終わりから演劇担当。

2003年から2004年、早稲田大学演劇博物館客員研究員。

2009年から2010年、NHK—BS2の 「ミッドナイトステージ館 演劇はいま」の 司会を担当。蜷川幸雄との共著に『蜷川幸雄の仕事』がある。

1960年生まれ。