昨年、長野県のまつもと市民芸術館で行われた、
串田版テンペスト『K.TEMPEST』が
どれほどすばらしかったか、
その音楽がどんなに見事だったか、
信頼する友人から聞かされました。
それを目撃できなかった悔しさもあり、
年来の串田ファンとしては、この講座で
思う存分シェイクスピアを語っていただきたい。
そう思った次第です。
古典に現代の息吹を吹き込みつづける、
俳優・演出家の思想に触れるチャンスです。
シェイクスピアでもチェーホフでも、よく思うんだけど、
作家は全部わかってもらおうとは思ってないと思うんです。
ノーベル文学賞を受賞したときのメッセージで、
ボブ・ディランがシェイクスピアに触れて
こんなことを言っています。
「シェイクスピアは自身を劇作家だと思っていて、
文学を書いているなどと考えてはいなかった。
彼の言葉はステージのためのものだった。
ハムレットを書いているとき、
いろんなことを考えていたに違いない。
『この役にピッタリな俳優は誰か?』とか
『舞台は本当にデンマークでいいのか?』とか
『しゃれこうべはどこで手に入れよう?』とか。
シェイクスピアの考えから
いちばん遠いところにあったのが、
『これは文学だろうか』という問いだと賭けてもいい、と。
そして自分も、自作の歌がラジオにのって
みんなが聴いてくれたら、
これ以上のご褒美はないと思ってきたし、
『ぼくの歌は文学だろうか?』なんて
考えたことは一度もなかった」、と。
うまいなぁと共感しました。
シェイクスピアはきっと伝えきれないと思っていたし、
伝えなくてもいいと思っていた部分があるとぼくは思う。
『テンペスト』なんて特にそう。
あらすじを話してしまうと、
わずかな時間で済んでしまうおとぎ話のような物語です。
でもそれなのに、それだから、おもしろい。
単純だからこそ、逆に深みがありおもしろさがある。
それは様々な解釈ができるから。
今、読んで感じる「自分」という母体がないと
読むことはできない。
人間が読んだり見たりするには、
「自分」がなければいけない。
ぼくはいつもそういう視点から
演出したり演じたりしています。
「自分の記憶」を頼りに、
それをひとつのキーワードとしながら、
シェイクスピアを読み解くおもしろさを
一緒に味わいましょう。
俳優・演出家。俳優。日本大学藝術学部特任教授。
1965年俳優座養成所を卒業し、劇団文学座入団。
66年、吉田日出子、斎藤憐らと共に自由劇場を結成。
六本木の「アンダーグラウンド自由劇場」を本拠地とする。
東ドイツ、フランス滞在を経て、72年演劇活動を再開。
75年オンシアター自由劇場と劇団名を変えて、
『上海バンスキング』『もっと泣いてよフラッパー』などの
舞台を成功させる。85年から96年までBunkamura
中劇場「シアターコクーン」芸術監督。コクーン歌舞伎、
歌舞伎公演の演出など多方面で活躍中。
1942年生まれ。