スペシャルイベント 
 奥本大三郎さん池澤夏樹さん

文学者の心で科学する。

15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。

奥本大三郎さんの

プロフィール

池澤夏樹さんの

プロフィール

この講座について

作家の池澤夏樹さんは、最新刊『科学する心』のなかで、「だからぼくたちはファーブルのように、科学に少し文学が混じるのを好ましいことと思うのだ」と書いています。ファーブルは、身のまわりの虫たちの行動に魅せられ、つぶさに観察研究した『昆虫記』で知られる19世紀フランスの博物学者です。その『ファーブル昆虫記』の完訳という偉業を成し遂げたのが、フランス文学者の奥本大三郎さん。その訳業については池澤さんも「日本の読書界ぜんたいの資産」と手放しで絶賛しています。そんなおふたりに「科学に少し文学が混じる」とはどういうことか。それが「好ましい」とはどういうことなのか。わかりやすく、かみくだいて語っていただきました。「科学」の世界に身を乗り出した文学者のおふたりの言葉を通して世界を見てみると、身近にわくわくが溢れていることに気がつきます。(収録日:2019年5月14日)

講義ノート

河野:皆さん、こんばんは。ほぼ日の学校長の河野と申します。よろしくお願いいたします。今日は、作家の池澤夏樹さんと、フランス文学者の奥本大三郎さんをお招きして、「文学者の心で科学する。」というトークをやっていきたいと思っています。

それでは、さっそく池澤さんと奥本さんをお呼びしたいと思います。どうぞ、いらしてください。

お客さん:(拍手)

河野:池澤さんと奥本さんについて、堅苦しい紹介は省いてしまいます。おふたりとのお付き合いも個人的には長くなっているのですが、それぞれ、まずご挨拶を。

奥本:堅苦しい紹介してくださいよ。

河野:堅苦しい紹介?いや、ちょっとむずかしいんですよね。池澤さんは、皆さんご承知のように、『スティル・ライフ』(中公文庫)という作品を書いて、芥川賞を受賞されました。以来、精力的に短編小説、長編小説、エッセイなどを書いておられる他、『世界文学全集』『日本文学全集』(ともに河出書房新社)を個人編集するという大仕事もなさっています。今回の対談のきっかけになったのは、『科学する心』という集英社インターナショナルから出た本です。科学エッセイは、『母なる自然のおっぱい』『エデンを遠く離れて』『アマバルの自然誌』に続いて、これが4冊目になります。

池澤:大事なことを1つ言っておきます。『スティル・ライフ』を僕に書かせた編集者は河野さんでした。

河野:何年前でしたっけ?

池澤:1987年でしょ?その年の2月に、カミオカンデで、チェレンコフ光が観測されて、そのことが頭にあったので、『スティル・ライフ』はチェレンコフの話から始めたんです。おかげで僕は、カミオカンデととても仲がよくて、この間も呼ばれて行ってきました。

河野:そして、奥本さんと私の最初の出会いは、『虫の宇宙誌』(青土社、1981年)という1冊です。フランス文学者というよりは、非常におもしろいエッセイをお書きになる方というのが始まりです。奥本さんは、やがてファーブル『昆虫記(完訳版ファーブル昆虫記)』(集英社)の翻訳をされるようになります。大変な大仕事です。それをついに完成なさった。いまは大学・大学院時代に勉強されたランボー(アルチュール・ランボー)の研究を、これからまたコツコツやろうとされている、といったところですよね。

奥本:コツコツと、なんかキツツキが叩いてるみたいですけど、もう連載始まっておりまして、集英社の「kotoba」という雑誌に書き始めましたので、どうぞよろしくお願いします。

池澤:連載はどのくらい続きますか?

奥本:だいたい4回の連載ということで、どこの部分を書こうかな、と選んでいるところですね。『地獄の季節』とか、『見者の手紙』なんていうのもありまして、それを全部書いていると、膨大な量になっちゃいますので。

池澤:これは本にして出すんですか?

奥本:後で本にしてくれるそうです。

河野:今度、「ほぼ日の学校」で、「ダーウィンの贈りものⅠ」と題した講座を5月30日から始めます。そういう時期でもあり、今日は池澤さんと奥本さんに、「文学者が楽しんで覗いてみた科学のおもしろさ」についてお話していただこうと思っています。

少し前には、ポピュラーサイエンスの雑誌が結構あって、以前私の勤めていた会社(中央公論社)も、「自然」という雑誌をずっと出していました。朝日新聞社には、「科学朝日」という雑誌がありました。それがすべて、ある時期に書店から姿を消していきます。子どもの雑誌はまだ生きていて、福音館の「かがくのとも」は、この春で創刊50周年を迎えています。

奥本:「たくさんのふしぎ」もありますね。

河野:小さい頃は何を読んでらっしゃいましたか?

奥本:「子供の科学」ですよね、我々の時代は。

池澤:そうですね、「子供の科学」ですね。

奥本:生まれて初めて文章が活字になったのは、「子供の科学」の投稿欄なんです(笑)。あそこに、小学校5年生の時に投稿した文章が載りまして、全国からワーッとハガキが来ました。大抵は、僕が書いた主題に対してではなく、「チョウチョの標本を交換しましょう」という人ばかりで、全国の人と交換しました。そして文通したりして、「拝啓」で始めたらいいのか、「謹啓」で始めたらいいのか、「草々」で終わったらいいのか、「敬具」で終わったらいいのか、悩みましたね。そのうち、北海道の小樽の友達がね、すごくきれいな字で、立派な手紙をくれるんですよ。「すごいなぁ、こいつ」と思っていたら、お父さんだった。お父さんと文通してたんですね。

河野:そのお父さんは、「子供の科学」読んでいたんですか?

奥本:そうなんでしょうね。

河野:奥本さんは科学少年というより、昆虫少年ですよね。

奥本:そうですね。でも、恐竜も、他の哺乳類も、それから鳥は好きでした。まぁ科学少年でもあったんじゃないでしょうか。親父が、科学少年にしようという気持ちがあったのか、そういう本をよく買ってくれました。

河野:たとえば、どんな本が思い出に残っていますか?

奥本:岩波の少年文庫とかね、科学者の書いたような本ですね。『昆虫記』や、ファーブルの生涯についての本などは最初に少年文庫で読みました。

河野:池澤さんも、さきほど「子供の科学」とおっしゃってました。

池澤:単行本では、ファラデー(マイケル・ファラデー)の『ロウソクの科学』とか、それから、イリーン(ミハイル・イリーン)というロシア人の『灯火の歴史』、それから、一番よく覚えているのは、『おはなし電気学』っていう本なんです。

河野:電気?エレクトリック?

池澤:そう。『おはなし電気学』。今回の僕の本、『科学する心』を執筆中にわかったんだけど、その著者はなんと海野十三(うんのじゅうざ)でした。『浮かぶ飛行島』とか少年科学小説の書き手。その彼が、片っ方ではそういう啓蒙書も書いていて、今考えると本当に文章うまいもんね、ユーモアがあって。

奥本:星座の話はもうキマッてましたね。「鞍馬天狗」のお兄さんの『星と神話伝説』というのもありました。

河野:野尻抱影。

奥本:そうですね。野尻清彦が本名でしたっけ、「鞍馬天狗」の大佛次郎(おさらぎじろう)は。

池澤:ふぅん。

河野:科学読み物に名文家の人たちが、結構いらっしゃいましたよね。雪の研究者の中谷宇吉郎とか。

奥本:ごく一部、筆の立つ科学者がいたんですよね。その人たちに集中してたと思うんですけど。

池澤:大人向けは、なんたって寺田寅彦ですね。

奥本:それと、ガモフ(ジョージ・ガモフ)なんかが流行ってたでしょ?

池澤:そう。

奥本:『不思議の国のトムキンス』などのシリーズですね。

池澤:あれは、隣の家の大学生のお兄さんが白揚社のシリーズを持っていて、そこへ入り込んでは持ってきて、読んでまた返して、ということをしてたな。

河野:今日、一番心配しているのは、こういうとりとめのない話に終始するんじゃないかっていうことなんですが、すでにしてそうなり始めているので(笑)、ちょっと池澤さんの『科学する心』に話を移しましょう。

奥本:天皇陛下の採集人だった青木熊吉の話とか。

河野:そうですね。池澤さんは今度の本の第1章に昭和天皇とウミウシの話を書いておられますね。まだお読みでない方もたくさんいらっしゃるので、おもしろいところをすこしお話いただけますか。

池澤:昭和天皇というか、もう裕仁さんなんですけどね、この場合は。

あの方は、相当熱心な生物学者だったんです。熱心っていうのは、本当に好きで、週に1日半を、研究のために充てて、政治がらみの仕事が終わると、一散に研究所へ走って行き、そっちに勤しんだと。

相模湾がもっぱらフィールドで、持っている船で海に出る。そこで採集をして、それをずっと調べて海洋生物の新種を見つけるわけです。新種らしいものは標本にして持って帰り、小さなものが多いですから、顕微鏡で見て、どういう種類であるか、本当に新種であるかどうか確認して、論文を書くということを、もちろん専門家が付いてなんだけれども、延々と行っていました。それはもう立派な研究で、ちゃんとした図版の入った『相模湾産後鰓類(こうさいるい)図譜』という図鑑など、17冊くらい出しているんです。

博物学というのは、ヨーロッパで王様や貴族たちの趣味から始まって、広まったようなところがあります。つまり、珍しいものを集めて、お互いに自慢し合うと。奥本さんの昆虫評論と同じなんですけど(笑)。それで、「ヴンダーカマー」という「驚異の部屋」をお城の中に作り、そこにいろんなものを並べるあたりから始まっている。生物学も、現場でそういうことするというのは、帝王にふさわしい優雅な学問なんだけれども、本当に熱心でしたね。

今、奥本さんが言ってくださった青木熊吉という人は、天皇の採集用の船に乗っている技手であって、具体的に標本を集めるのを手伝う。研究者ではないんですね。これがなかなかおもしろい人でした。ヒトデの仲間で、いわゆる、甘食パンにそっくりな形のものを見つけて、それに「カシパン」って名前を付けた。標準和名というのがあって、正式な学名はラテン語だけど、標準和名っていうのは日本語で付ける。普通に僕らが呼んでいるのはだいたいその和名なのですが、その標準和名に「カシパン」というのを付ける。さらに、ヒトデの仲間で、非常に触手が複雑に枝分かれして、グジャグジャしてるやつには「テヅルモヅル」と付ける。そういうセンスのいい人でした。

ある時、まだ少年だった裕仁君と海へ行って、タコかイカを採ったらそれが墨を吐いて、その青木氏のシャツが黒く染まってしまった。すると、少年裕仁君は、「怒るなよ。宮城(きゅうじょう)に帰ったら、後で新しいシャツを買う金を送るからな」と言って帰った。ところが、忘れてしまったらしくて、何年経っても送られて来ない。そしてそのうち、それがその青木さんの自慢になってきて、「天下広しと言えども、天皇さんに貸しがあるのは俺だけだ」って言っていたら、それが天皇の耳に届いてしまってお金が来た。「これで自慢の種がなくなった」と悲しんだという(笑)、そういうおもしろい人が身辺にいるような、そういう一面が裕仁さんにはあったんです。

それを受け継いで、明仁さんはハゼの研究ですね。ハゼには、淡水産と海水産と両方いて、しかも種類が多くて、微妙な違いがあるんで、それを分類学で研究した。これまた、ずいぶん論文を書いたりしていらした。というふうに、つまり、生物学関係はあの一家の伝統なんですよ、という話です。

そして、明仁さんというと、新聞記事で見たんだけれどももう1つ話があって、皇居に住んでいるタヌキが何を食べているかという、タヌキの食性の研究をしているそうです。これは今でも続いていると思うんですが、どういう方法で調べるかというと、タヌキというのは、1か所、決まった所で糞をするんですよ。だから、毎週1度そこに行って、糞を採集して、網に入れて、上から水をかけると、残るのは植物の種なんですよね。そしてその種を顕微鏡で見て、何の種であるかを同定していけば、タヌキの食生活が分かるということを延々と続けて、100何回か採集されたのかな。

河野:高貴なる科学者(笑)

池澤:だから、被災地などへ公務へ行って不在の時は、職員が代わりにそこへ行きタヌキの糞取ってくるわけ。これまた優雅な趣味ですよね。

奥本:そういう時に、必ず、優秀な採集人みたいな人がいて、その採集人というのはだいたい勘が鋭くて、器用な人が多いんですよね。その存在が、学者をどれだけ助けているかということはありますね。もちろん学者自身がすごく勘のいい人で、採集がうまい人もいます。たとえば、レーウェンフック(アントニ・ファン・レーウェンフック)は、顕微鏡を球に磨きますが、あれを他の人が真似しても、あんなに多くのものは見えないんですよね。だから、イギリスからも、レーウェンフックの所に顕微鏡の球を磨きの依頼に来るわけです。それで、彼の顕微鏡で見ると、水の中に微生物がいっぱい見えて驚く、という世界ですね。

虫の世界でもそうで、普通の人じゃ取れないものを上手に取っていくすごい人は必ずいます。科学の実験でも、この人がやるといい結果が出るとか、中には、見えないはずのものが見えたりするという、インチキなこともありますけどね(笑)。

池澤:逆に、全然だめで、不器用な学者もいますね。たしか、フェルミ(エンリコ・フェルミ)がそうだったと思います。彼が触ると、すべての実験機械が壊れると。

河野:学者ということでは、昭和天皇にしても、いわゆる大学で研究している学者とは明らかに違いますよね。

奥本:鳥の世界とか、鳥類学者は、だいたい身分の高い人ですね。

河野:イギリスのロスチャイルド家のをウォルター・ロスチャイルドは、財力にまかせて世界のいろんな動物を研究しますよね。アフリカから連れてきたシマウマを四頭立て馬車につないだり、ガラパゴスから100匹以上のゾウガメを運び入れて放し飼いにしたり。

奥本:「ヴンダーカマー」を作ったのは、みんなそういう人たちですよね。オランダの大金持ちとかね。

河野:ダーウィンその人が紳士科学者。

奥本:豪士みたいなものでしょう。何億円かの資産がある。

池澤:カントリージェントルマンですね。

奥本:カントリージェントルマンですね。働かなくてもいい人なんですよね。だからこそ、ダーウィンは進化論を思いついて、ここにもこういう実例がある、こういう実例があるって、ずーっと発見をして、それを楽しんでいるんですよ。だけど、発表したくないんですね。親戚にも宗教家がいっぱいいるし、うっかり変なことを言うと、みんなに迷惑がかかってしまうから。

河野:そこらへんを丁寧に説明していただけますか。進化論と、当時の状況。

奥本:進化論を発表すると、その当時の神学や宗教家の人たちに、いろいろ差し障りがある。神様が作ったものが進化したなんていうのは、とんでもない発想ですから。なのでダーウィンは発表したくなかったんですね。ところが、ウォレス(アルフレッド・ラッセル・ウォレス)という男が、インドネシアのテルナテ島でマラリアに悩まされながら書いてきた論文を知り、「これは自分の書いていることと同じだ。これを発表されちゃったら、自分の立つ瀬がない」という状況になり、周りのハクスリー(トマス・ヘンリー・ハクスリー)などに相談した結果、「一緒に発表しようよ」ってことになったわけです。

池澤:ハクスリーは、たしか、ダーウィン以上にダーウィン主義者でしたね。

奥本:ダーウィンの番犬と言われたくらいです。

池澤:ダーウィンのブルドッグ。

奥本:王様よりも王党派っていう感じで。

河野:そういう意味では、いわゆるアカデミズムではなく在野。

奥本:仕事としてそれで飯食うのと、いつまでも楽しんでいるのとの違いがありますね。ホビーの延長した書画骨董と似てるようなところもありますね、やっぱり。ところで、昆虫学者はだいたい身分が低いんです。

河野:ファーブルは違うわけですか。

奥本:ファーブルは、そういう点では、身分があって研究できた人ではないです。

河野:奥本さんは、もともとお住まいだった所を、今、「虫の詩人の館」というファーブルに因んだ空間にしていますね。地下に、ファーブルの南フランスの生家がそのまま再現されているのですが、身分が高い大金持ちの家ではまったくない、ということが一目瞭然ですよね。

奥本:そうですね。はっきり言えば、貧農の家ですからね。

河野:では、ちょっとファーブルのお話を伺わせてください。

奥本:ファーブルの『昆虫記』をずっと訳していましたが、向こう(フランス)へ行くたびに、いろんなファーブル関連のものを見ると、買いたくなるんです。農機具や、窯や、もちろんファーブルの描いた絵とか原稿とか。そういうものを欲しくて買っていると、それが家の中に貯まってくるわけです。そして、それを跨いで歩いていたんですね。マタギの生活というんですけれどね(笑)。でも跨いで歩いていてもしょうがないので、「人に見せたらどうですか」というアドバイスをしてくれる人がいて、「ファーブル昆虫館」を作りました。「虫の詩人の館」の「虫の詩人」はファーブルのことです。

河野:ファーブルは、そういう貧農の家が生家だったのですか?

奥本:ファーブルの生まれは、南フランスのほうの、ルーエングという地方です。モンペリエから800キロくらい離れた山の中。そこの貧しい家の息子ですね。その地方は寒い所で、それこそブドウも小麦も実らないような土地です。親戚には大きな農家の人もいましたけども、ファーブルのお父さんはその家を出ていて、手にろくに職がなかった。そして都会に出て、一旗揚げようとカフェを開いたりして失敗する、というのを繰り返しながら、転々としているという生活でした。

ファーブルが16歳の時には、夜逃げ同然というか、一家離散です。それで、ボーケールという所で鉄道工夫したり、レモン売りをしたりして、非常に苦労していました。

あの時代、19世紀の中頃には、フランスでちょうど義務教育が広まってきます。そうすると、先生が足りない。先生が足りないので、師範学校が作られた。それで、師範学校で、給費留学生を募集していたわけです。ファーブルはそれに合格して、小学校の先生になることができて、やっと食べていけるということになりました。

河野:その傍ら、虫と付き合い始めたわけですか。

奥本:虫は、自分の博物学の一部にあったのでしょうね。昆虫採集を習い覚えてやっていたようです。だけど、普通に昆虫採集していても、形体のディスクリプションというような描写をしていても、ごくつまらないと思ったんでしょう。そこで、ハチの生態を書いた論文があるのを読み、「あぁ、こういう生きた生き物、生きた虫を研究するという分野があるんだ」ということに気がつくわけですね。そこから、ハチの生態などを研究し始めるということです。

池澤:それは論文として発表するのとは別にエッセイ風に書いたのかしら。

奥本:初めは、論文に書くんです。それで、賞を貰ったりもしますが、専門家しか読まないし、つまらない。それで、ハチを見てる自分の描写も含めて、立体的な文章を書くようになるんです。

池澤:文章を書く才能はすごくあった?

奥本:そうですね。ただしその代わりに、「あれはエッセイだ」と散々馬鹿にされます。今でも馬鹿にされてます。

河野:その「馬鹿にされる」というのは、昆虫学としてですか?

奥本:昆虫学としては、門前払いですね。今でも、たとえば、あるカメムシの専門家の日本の先生には、「ファーブルのカメムシの卵の孵化の様子っていうのは、世界最初の発見です。それは認めますけど、あれ、エッセイですからね、話になりません」って言われますね。つまり、博士論文としての手続きを満たしてないから、門前払いということです。

河野:何が足りなくて、何が余計なんですか。

奥本:形式が整ってないらしいですね。

河野:論文としての体裁が。

奥本:自分の感情が混じっているとか、そういうことでしょうね。

河野:その感情っていうのは、たとえば?

奥本:「おもしろい」と言っているとか(笑)。

それは、フランス文学でもそうでして、「エッセイ風になってはいけない。ディレッタントになってはいけませんよ」というのは言われますね。「学術論文の形を整えなさい。そうでないと、修士論文、博士論文ではない」と。それは露骨には言いませんけれども、やんわりと言われ、諭されますよ。

池澤:それはつまり、ファーブルにしても、エッセイ風に書く人にしても、学者としてはアマチュアとしか見られないってことですよね。

奥本:そうですね。

池澤:アマチュア精神でいいんだと思ってやれば、それでいいわけですよね。ファーブルは結果が出たわけですよね。

奥本:楽しければいいっていうのは、たとえば、僕みたいな学者失格の人間の場合ですよね。だけど、開き直るしかないわけで(笑)。

河野:ファーブルが虫の動きを描写する時に、擬人化というか、そこに自分の心情を乗せて説明したりする。ああいう部分が学問的にはよくないということですね?

奥本:ああいうのが学者の気に障るんでしょうね。

河野:「だるそうに歩いてる」とか、

奥本:そうそうそう。

河野:そういうのが気に入らないわけですね。

奥本:「アタフタと忙しそうに慌てて歩いてるハチ」なんていうのは、その描写がいけないんでしょうね。だけど、プルースト(マルセル・プルースト)なんかは、「あのファーブルのハチのように」なんて、ファーブルをよく読んでますね。『失われた時(失われた時を求めて)』の中に出てきます。ベルクソン(アンリ・ベルクソン)なんかもよく読んでます、ファーブル。

河野:しかし、虫そのものを時間をかけて観察し、形態や分類ではなく、動物行動学として記述してますよね。あれは、非常に新しい昆虫学だったんではないでしょうか。

奥本:それは、レオン・デュフールという人が最初にしています。ただ、ファーブルのものは、それよりはるかに生き生きしてるんですね。

ファーブルの天敵みたいな学者が2人いるんですが、その人たちは、「ハチがそんなことをするはずがない」と、見ないで批判したんです。ファーブルのハチを、実物を見ないで批判する。「そんなことがあるはずがない。ないと言ったらないんだ」って(笑)。

河野:でも、それが今もって続いているというのはどういうことなんですか?

池澤:今もってというのは、そうですね。むしろ、日本では、たとえば、坂上昭一とか、岩田久二雄とか、ファーブルの跡を継ぐような筆の立つ学者がいますけど、ヨーロッパではどうなんだろう。

河野:坂上昭一さんはずっと「自然」に連載されていました。

奥本:ファーブルをもっと精密にしたようなところがありますよね。

池澤:『ミツバチのたどったみち進化の比較社会学』という名著があって、単独行動をしてるハチから、いかにして社会的なハチが進化してきたかっていうのを跡付けるために、ずっと野原でハチを相手に観察と実験をするんです。

奥本:それで、生きているハチを見てると、わからないことだらけで、疑問が次々に湧いてきますよね。それを坂上さんは、非常に精密に、長いこと実験、観察を繰り返していますね。ハチがどうしてあんな姿をしているのかって、わからないですよね。たとえば、アブとハチはどう違うか。ハチは毒の針を持ってるでしょ?もしハチから毒の針を抜いてしまったら、ハチは怖くもなんともないです。スズメバチであろうとなんであろうと、叩き潰してしまえば終いです。あの針ってなんだと思います?

河野:ハチにとっての針?

奥本:はい。どこから出てきたんですか、毒針。

池澤:産卵管?

奥本:そうです。産卵管が発達したものなので、メスにしか針はないんですね。オスのスズメバチなんか、摘まんだって平気ですからね。それに毒を盛り込むっていうのが、やっぱりすごい自然の発明じゃないでしょうかね。スズメバチに刺されて、人は死にますから。

池澤:あれは2度目が怖いんですよね、アナフィラキシー・ショック。

奥本:抗体ができちゃうんです。人によりますけどね。

池澤:だから、林野庁で山に入って働く人たちは、自分で注射器のセットを持ってるんですよね。

奥本:毒を吸い取るんですよ。すごく野蛮な方法ですけどね。

池澤:山の中だと、病院まで間に合わないことがあるから。

河野:ファーブル自身は刺されたりしたのでしょうか?

奥本:しょっちゅう刺されてます。でも体質が大丈夫だったんでしょうね。

河野:なるほど。さきほど「自然がメスのハチに針を授けた」という話がありましたが、生物がそういう変化を遂げていくということについて、ほぼ同時代に生きたファーブルとダーウィンはそれぞれ相手をどう考えていたのでしょうか?

奥本:ファーブルは、ダーウィンの進化論をまったく認めなかったんです。だけど、個人的には付き合いをしているんですね。

河野:ファーブルは、ダーウィンの進化論を認めない?

奥本:たとえば、ジガバチというのがいる。それが獲物の神経を毒針で突いて麻痺させるのですが、その時に、ポイントをちゃんと突くんですよ。

河野:ポイントというのは、相手の弱い所を?

奥本:神経中枢を突くんです。最初は、「ハチって、どうやってそんなことを発見したんだ?」ということをダーウィンに聞くわけです。神経中枢を刺されて、体を麻痺させられた獲物にハチが卵を産みつける。卵から孵ったハチの幼虫は、その獲物の体を食べていくんですけれども、命に関わるような部分を避けて食べていくんです。そして最後の最後まで、生きたまま、腐らない獲物を、最終的に殻になるまで食べ尽くすんですね。「その食べ方を、どうやって幼虫は発見したんだ?」と。「偶然の積み重ねで、それが、子々孫々伝えられていくなんて、そんな偶然の積み重ねがあるだろうか」とファーブルは言うんです。そして、ダーウィンも非常に困る。「私の進化論は、ファーブルの説には合わないようだ」と、ダーウィンも言ったそうです。

池澤:でも、実際には、非常に長い時間が与えられていて、しかも昆虫は世代交代が早いから、結局は進化で説明できる。

奥本:というふうに考えるしかないんじゃないでしょうかね。たとえば、卵を200個産むとして、それが、1年の間に4回くらい繰り返すとすると、世代交代が非常に早いんですよね。だから、偶然生き残ったやつたちが子孫を残していくんじゃないかと。

河野:長い時間のスパンでみると、ダーウィンの進化論は、法則として正しいということですね。

奥本:でも、進化論というのは、どんどん、どんどん、改良されたり、改変を加えられて、ネオダーウィニズムになっていったり、さらにそれが否定されたりして、よくわからないですよね。

河野:ダーウィンとファーブルは、紳士的に論争したんですか。

奥本:たとえば、「ハナバチは地磁気を感じるかもしれないから、磁石を持たせた針をハチの体にくっつけてみたらどうだろうか。この実験をやってください」と、ダーウィンはファーブルに手紙を出して頼んでいますね。それでそれやってみると、ハチは背中に異物がくっつけられたものですから、こすりつけて、実験どころじゃなかったと。その結果をイギリスに書き送ったけれども、ダーウィンさんが亡くなった後だった、というようなこともあります。本人同士は尊敬し合っていたみたいですよ。

河野:あぁ、そうですか。

奥本:「類い稀な観察家」と言ったのはダーウィンですからね、ファーブルのことを。

河野:でも、非常に根本的なところで意見の相違があるように思われます。

奥本:やっぱり、自分の説を信じつつも疑う、ためらうところはあったでしょう。

河野:なるほどね。

池澤:ダーウィンが一番困ったのは、目ですよね、生物の。

奥本:目の発生。

池澤:「これほど精密で、目的にかなった器官がどうやってできたか。これは聞かれても、私にはわからない」と言った。最近になって、うまい説明の仕方を見つけたのですが、いい?こんな話をして。

生物の皮膚のどこかに光を感じる細胞が生じる。そして、その光を感じる細胞の部分がたまたまくぼむと、その光を感じる細胞たちの周囲に土手ができるでしょう?そうすると、どっちから光が来たかわかるようになる。フラットな所にあったら、明るさしかわからないけれども、へこみの所にあったら、受ける光の差でどっちから光が来たかわかるようになる。そういうへこみがどんどん深まっていって、穴状になった。これ、ピンホールカメラでしょ?

そのカメラが傷つかないように、膜でその穴を閉じる。透明な膜で閉じて、その膜がレンズ状になったら、もう目ですよね。その過程にどのくらい世代交代が必要かっていうと、案外数十万で済んでしまう。だから、それで「目」ができる。

河野:数十万っていうのは?

池澤:数十万世代で、親から子へね。そんなもの、生物学的には、本当に一瞬のことなんです。一旦、その目っていうものができると、行動が能動的になる。つまり、相手を追いかけたり、逃げたり、それから、食われないように殻を作ったり、あるいは、速く泳ぐ仕掛けを作ったり、本当にあっという間に、爆発的に進化する。そういうことを少なくとも僕は信じますね。

奥本:なるほど。目が完成するまでの間に、触角とか、いろんなもので補助しながら、杖を突きながら歩いているみたいなところがありますからね。そのうちに目が完成していくっていうのは十分あり得ますね。

池澤:という説明をダーウィンにできればよかったんだけど、まだまだ無理であったと。

河野:ダーウィンの時代、まだ遺伝のこととか、わかってないこともあったわけで、その時代にしては壮大な仮説を打ち立てていた。

奥本:進化論も、メンデル(グレゴール・ヨハン・メンデル)の遺伝も、常識で考えたら、すぐわかることでしょ?だって、親は子に似てる、子は親に似てる。当たり前じゃないですか。それから、たとえば、家で飼ってる家畜の、都合のいいものばっかり選んでいくと、おとなしいイヌになったり、おいしいブタになったりしていく。だから、進化論は、わかるといえばわかるんですよね。

河野:それは生活の知恵として、おそらくみんな見て、知って、思ってたんだろうけれども、あの時代のある種の常識というものがあった。

奥本:神が作り給うたっていう。6千何百年前、何月何日に、天地が作られたっていうのを、子どもの時からずーっと信じ込まされてきた人が、それ以上の大それたことは怖くて言えないでしょうね。

池澤:進化論の一番基礎のところに大きな誤解があって、よくなっていくのが進化だとみんなが思ってる。でもそうじゃなくて、どんな場合でも、まずはただの変化なんですよ。その変化の結果が、環境に対して有利であれば、その形質は残る。この環境とセットというところがわかってないから、「進化したケータイ」なんて言い方をする。メーカーが言うのならそれは改良です。しかし、マーケット全体で見れば、改良したケータイがマーケットで受け入れられて広がるかどうか、あるいは、嫌われて消えていくかどうかということです。だから、マーケットという環境と性能の関係まで見ると、たしかにそれは進化である。だから、ガラパゴス化したりするんですよ。

奥本:だから、時々ご破算になって、5回くらい大絶滅が起きた?

河野:変化して、死滅していった数のほうが多いってことですよね。

池澤:あらかた、絶滅してますよ。

奥本:でも、すごいですね。大絶滅があって、イモリみたいな、トカゲみたいなものが残って、それからまたワーって広がっていって、同じようなものができるって。恐竜と哺乳類で似たようなやつが出てきますよね。本当信じられないですね。素晴らしいと思うな。恐竜から人間になってる可能性もあるわけでしょ?恐竜人間っていうか。立って歩く恐竜が人間になっていく。

奥本:いたかもしれない。

池澤:あそこで絶滅しなければね。

河野:ここでまた、ファーブルの『昆虫記』の話を奥本さんに伺いたいんですけど、ずっと愛読書だったわけですよね。

奥本:ええ。

河野:それを翻訳したいというお気持ちになった理由はあるんですか?

奥本:小学校の5年生の時に、岩波文庫の翻訳を読んだんです。その前に、中西悟堂という詩人の書き直したものを読んでたんですけど、岩波文庫版を読んでみると、文章が硬いんです。欧文直訳体で、「私は私自身をどこどこに発見した」みたいな文章です。

たとえば、「この虫は胸に角がある」って書いてあるんです。でも胸に角があったら、歩けないじゃないですか、つっかえて。「トラックス」(仏:thorax)っていう言葉があって、それは背中を含めて胸部ということなんです。

考えてみたらわかると思うんだけど、たとえば、こんなダイコクコガネみたいな虫がいて、胸にもこんな角があるとしますよね。でもここに角があったら、歩けないじゃないですか。それで、「変だな、この人虫を知らないのかな」と、子ども心に思ったわけですね。そういうところがポツポツとあるんですよね。だから、もう少し読みやすい訳にならないかなぁ、と子どもの時に思いました。自分が訳すとはとても思いませんけど。それと、むずかしい文章嫌いなんです、わからないから(笑)。

河野:ファーブルはわかりやすい文章なんですか。

奥本:いや、そうでもないですけどね。

河野:そうなんですか?

奥本:わかりやすい日本語に訳せればいいんです。

河野:わかりやすい日本語に超訳すればいい(笑)?

奥本:自分の文体にしちゃえばいい。これはこういうことだろう、というね。

池澤:すごい(笑)。岩波文庫は誰の訳でした?

奥本:林達夫と山田吉彦。

池澤:きだみのる、か。

奥本:きだみのるさん(山田吉彦さん)ね。この方はね、すごくフランス語ができるんだと思います。というのは、実物見ないで、無理やりガーッと訳していくのは、文法などが非常に頭に入っているんでしょうね。よくやったと思うんです。

河野:よくやったと思うけれども、やっぱり翻訳の細かいところが。

奥本:実物をわかってない。それから日本語が硬いですね。硬いですねって、きだみのるのことを偉そうに言う資格はありませんけどね。

河野:直訳っぽい?

奥本:欧文直訳体ですね。その前の大杉栄の訳は、勢いがあってすごいですよ。

河野:そこから奥本さんまでの間に他の翻訳はなかったんですか。

奥本:大杉栄と無政府主義者が、大正12年に翻訳をしますが、関東大震災のどさくさ紛れに殺されちゃうわけです。その後、椎名其二など、その当時の社会主義者の人たちが続きを翻訳します。それが叢文閣版ですね。

叢文閣版があって、その次が、北原白秋の弟の北原鉄雄という人やっていたアルスです。それで、また昭和3年くらいからずっと翻訳されると。

その同じ頃に岩波文庫で、1冊ずつ出されるわけです。だから、昭和5年くらいの時点で3種類のファーブル『昆虫記』がある。

河野:でも、戦後は途絶えてしまった?

奥本:岩波文庫は、昭和20年代までかかって、完訳したんです。昭和20年代に完訳が3種類あった。

池澤:聞いた話なんですけど、誰かが、たとえば、「ハチの社会生活」っていう本を出そうとしたら、警察に呼ばれたとか。

奥本:「社会」っていう言葉が引っかかったんです。実際に、ホイーラー(ウィルアム・M・ホイーラー)の、『昆虫の社会生活』っていう本を翻訳した人が、社会主義者的な人だったらしいですね。それで、特高が部屋に入ってきて、「赤だ」って言ったっていうんです。おもしろいでしょう(笑)?

河野:それは戦前のお話ですよね、もちろん。

奥本:もちろん、もちろん。

池澤:なるほど。しかし、変な話にまた持っていくけど、『みつばちマーヤの冒険』は非常に帝国主義的ですよね。

奥本:はいはいはい。

池澤:ねぇ。

奥本:ボンゼルス(ワルデマル・ボンゼルス)はそうですね。

池澤:帝国に身を捧げる兵士みたいなイメージですよね。だから、ハチの社会に対してそういう見方もまたあったんですね。

奥本:あったんですね。

河野:そんな中、奥本さんは、ファーブルを翻訳しようと決心された。

奥本:すすめてくれる人がいたんです。「ファーブルやるといいんじゃないですか?」と、こっちにベクトルを渡しながら言ってくれた人がいるんです。それでやらせてもらったということですね。

河野:でも、本当に大変なお仕事で、何年かかったのですか?。

奥本:30年かかりました。

河野:30年?

奥本:サボりサボりね(笑)。もっと勤勉な人だったら、もっと早かったでしょうね。でも、結構楽しみながらやったっていうのもありますし。

池澤:それは読んでいてわかります。

奥本:注釈もいっぱい付いてる。

池澤:そうそうそう、あのね、注のほうがおもしろいんですよ。日本の古典が出てきて、やたら文学的。泉鏡花が出てきたり。

奥本:しますね(笑)。

池澤:だから、文学と科学の間がつながってる。つまり、僕や奥本さんは、科学のほうへちょっと身を乗り出した文学者なんだと思うんだ。

奥本:そうですね。

河野:池澤さんは、今は作家であり文学者であるんですが、大学でまず勉強しようとしたのは物理だったわけですよね。

池澤:子どもの時の自分の中に、理科少年と文学少年がいて、どっちを育ててやろうかな、と思ったんです。だけど、文学なんて、本を読んでいればいいんだから、大学で教わることはないし、大学を出たからといって書けるようになるわけじゃないだろうと。

奥本:僕もそう思います。だから、大学でやったんです。寝転んでやれる文学を(笑)。

池澤:あぁ、そうか(笑)。しかし物理は具体的なトレーニングですから、自分ではできない。じゃあ、大学でやってみようと思って、大学でやったんだけど、年ごとにだんだん進むとむずかしくなっていくんですよ、当然だけど。それで、あるところまでいって、これは無理だなと思った。理科の先生ならなれるかもしれないけど、それ以上はむずかしい。

奥本:はっきり言えば、そういう理科も、職業教育の面が非常に大きいでしょう?だから、嫌になることありますよね。

池澤:そうね。たぶん僕はもっと趣味的だったんですね。

奥本:ヨーロッパの貴族のパスカル(ブレーズ・パスカル)や、レオミュール(ルネ・レオニュール)など、ああいう人は、本当に大富豪の貴族ですもんね。子どもの時からすごい環境にあって、好きなことをやっている人たちです。

池澤:僕に話を戻せば、何か詩を書いたり、エッセイ書いたり、翻訳で食べながら、それでも科学への関心はずっと続いていたから、何をやっていたかと言うと、科学啓蒙書を読んで、科学雑誌読んで、興味だけはずっとつないできた。その中で、自分の身辺をちょっと科学っぽい目で見るというのが癖になって、それは今も続いています。

奥本:理科と文科に分かれるのって、やはり学校でのテストみたいなものがきっかけになることがあるんじゃないですか。本当は天文でも物理でもね、生き物でも好きなのに、テストして、点数を付けられて、評価されるって嫌じゃありませんか?それで子どもが嫌いになることありますよね。

池澤:実際そのテストが問題で、自慢ではないけど、およそ入学試験っていうものに通ったことがないんですよ。

奥本:(笑)

池澤:端から全部落ちてる。

奥本:自慢しないでください(笑)。

池澤:(笑)京都大学っていう所に行こうと思ったら、意見が合わなくて、というのはつまり、試験に落ちたってことなんだけど、入れてくれなかった。だから、やっぱりだめなんですね。

奥本:理想を言えば、志望する学生をみんな入れて、後で落とせばいいんですけどね。それはできないんですよね。授業にならない。もし余裕があれば、1人1人指導できたら理想ですね。

池澤:産業戦士を育てる講座みたいな感じがあったでしょ?

奥本:それは職業教育ですから。

河野:でも、池澤さんは、文学好きな少年と、科学好きな少年とがいる中で、その科学好きな少年も、葬り去らずにご自身の中で生かしてたわけですね。

池澤:それは無責任に楽しめるし、結果も出さなくていいんだから。翻訳さえしなくていい(笑)。

奥本:実は、理科に学問が偏る時代っていうのは、比較的新しいですよね。江戸時代は文科の学問ばっかりでしょう?要するに、漢文を読めばいい。フランスだったら、ラテン語の文章読んでればいい。あるいは、ラテン語を書けるとかね。そこには、理科の「理」の字もない。それこそパスカルみたいなよほど特殊な恵まれた人だけが、サイクロイド曲線なんていうのを、じーっと考えたり、パスカルの定理作ったりするわけでしょ。あんなのって、特殊な人ですよね。ある時期までは全部文科だった。

それが今逆転して、理科が非常に優勢になってる。なぜかって言うと、技術が産業に役立つからですね。だけど、これが本当に学問かどうかはわかりませんけどね。意味について考える人がいないもん。

河野:ある時から、理系と文系とくっきり分かれてしまった。

奥本:茅さん(茅誠司)が東大の学長になった高度成長期あたりからじゃないですか。その前は、東大法学部の役人になる人たちが秀才のトップだった。

池澤:それも、科学より工学ですよね。

奥本:そうです。

池澤:具体的に、その応用が利につながる科学と技術が一番優先されて、国同士、会社同士で競い合って、いろんなものが発明され、便利にはなった。しかし、便利以上の価値を生み出してないと思うんだけど。

奥本:今4G、5Gというものが、ものすごい競争になっていたり、ファイナルカウントダウンが始まっているような、世界の終わりが近づいているような気がするんですけど、みなさんは感じませんか?「チチチチ、チチチチ」って。

池澤:僕らはいいけど、若い人たちは。

奥本:導火線に火が点いているような気がして、心配です。

河野:理科・文科って、そんなにくっきり分けられるような話でもないんだけれど、ひとつには、さっきおっしゃってた産業にとって有用だということで、科学技術とか、そっちにみんなが向かっていったのでしょうか。

奥本:政治家の蓮舫さんの質問で、「2番じゃだめなんですか」っていうのがありましたね。

河野:はい。

奥本:2番じゃだめなんです、特許取れないから。

河野:そういう部分もあると思うんですが、さっきおっしゃっていたように、文学するか、科学するかということがそんなにくっきり分かれてなかったのに、どんどん文明が発達していく中で、普段の暮らしで感じる「なんでこれがこう、動くんだろう?」とか、「なんでこれがこういうふうになっちゃうんだろう?」という普通の「ハテナ?」が失われていったような気がします。

奥本:子どもの場合は、それをずーっと持ち続けてほしいですよね。だけど、そんな悠長なこと言っていられない時代になってきた。

河野:『ロウソクの科学』じゃないですけど、ロウソクの火を見るとか、なんでロウソクの火が灯るのかとか、そういうこと考えたり、しゃべったりする時間がなくなっていますね。

奥本:家の中に燃えている火がないですもん。

河野:それはそうですね。IHの時代ですから。

奥本:この間、ロウソク点けようとしたら、誰もライター持ってないし、たばこを吸ってないし、火が点けられなかったですね。

河野:というふうになって、ますます理科的なことを考えたりする時間が少なくなっているなぁということはありますよね。

池澤:体感で感じることがなくなっている。今のロウソクがいい例だけど、僕ら子どもの時、戦後すぐで、電熱器ってものがあったんです。陶製の電熱器。

奥本:ニクロム線の電熱器でしょ。

池澤:そうです。陶器の板に、グルグルグルっと溝が掘ってあって、その中に、ニクロム線という、ニッケルとクロームの合金で作った電線がコイル状になっているのを埋め込むんですよね。そこに電気を通すと、それが赤くなって、お湯が沸かせる。赤くなって、手をかざすと、温かさが感じられる。だから、これは熱い。つまり、火と同じなんだと。電気を通すと、火と同じ効果があるんだということがすぐわかる。触ったら、本当やけどしますから。

でも、電子レンジじゃ、それがわからない。全然わからない。高周波の電波が水の分子を、という言葉の説明はあるけれども、体感できないんですよ。そうやって、周囲のものがブラックボックスになっていって、入口と出口しかわからず、途中が見えなくなっている。これからAIの時代になったら、もっとわかんなくなる。

奥本:わかんないですね。

池澤:理科的な世界がだんだん遠くなっていったんじゃないかなって気がするのね。

河野:ところでブラックホールっておわかりになります?

奥本:(笑)

河野:「そういうものがある」とか、「重力波を発見した」とか、聞いてもちょっとわかんない。ビッグバンの話など、そういうとてつもない大きな話があるじゃないですか。頭が追いついていかないような世界の話があって、それを考えるのも理科の人だと思うと。

奥本:でも、説明されれば、わかるようにはなっているんじゃないですか。なんでもかんでも吸い込まれていく、光さえ吸い込まれていくから、真っ黒けの世界、とかね。その程度のことなんですよ。

河野:それ、すごく文学者っぽい説明ですよね。

奥本:そうですか(笑)。すいません。

河野:それが間違っているとかではなく、そういう説明をすると、それこそファーブルのように、科学っぽくないということで、不真面目だと言われそうな気がしますよね。

池澤:その種の、本当の先端の科学、天文学の場合は、それでいいんです。つまり、具体的な観測結果をもらって計算したって、自分たちには理解できないことなんだから。ただ、イメージとして、どういうふうに考えればいいかということですよね。

非常に密度の高い星があったとして、密度があまりにも高くて、豆粒1つで地球の重さと同じくらいの密度になったとしたら、その重力っていうのは、本当に強いから、光さえ、そこから外に出られなくなってる。出られないってことは、外から見たら、真っ暗。しかし、強烈な重力はあるから、質量に応じて、周りの空間を歪める。その歪みが重力レンズになって、向こうから来る光が別の所にずれて見えたりする。というようなことを、言葉で説明していく。それでいいんだと思うんですよ。それは、ちょっと頭がクラクラするような話だけど、そのクラクラ感は悪いもんじゃない(笑)。

奥本:だから、最近の「ヒッグス粒子」とか、「ダークマター」とか、亡くなられた海部さん(海部宣男)の晩年はおもしろいことばっかりだったと思うんですよ。そういういいものを見て亡くなられたような気がする。

池澤:「ダークマター」は、宇宙には見えているものよりも見えていないもののほうがずっと量が多いっていうのは本当に不思議です。

奥本:ええ。

河野:「ダークマター」、池澤さんから説明していただけます?

池澤:宇宙全体の質量と、その他全部を計算していくと、見えてるものだけで説明しきれないんです。つまり、まったくとらえようのない質量がものすごくたくさんあるに違いない。でも今のところ、それは捕まえようがない。普通の物理現象に絡んでこない。しかし、ないとすると、説明がつかないから、あることにして、それに「ダークマター」って名前をつける。そういう一種の帳尻合わせなんだけど、しかし、それが間違ってないとしたら、「ダークマター」はあるはずでしょう、というような話(笑)。

河野:逆にそこらへんまで行くと、仮説の立て方とか、こうであるはずだっていう説明は、さっき言ってた文科と理科がパーッと分かれていたものが、ある意味、近づくという気がしなくもないですね。ただ、日常は、さっき池澤さんがおっしゃったように、まったくその接点がなくなって、科学に触れる機会が暮らしの中から消えています。

池澤:でも、夜空を見て、「星がたくさんあるなぁ、あれが本当はものすごく遠いんだぞ」というふうな感慨を持つことはできる。

今、海部宣男さんの名前が出たけど、海部さんは最先端の天文学をやってらして、ハワイにある「すばる(すばる望遠鏡)」という大きな工学望遠鏡の隊長でした。その一方で、星に関わる日本の古典みたいな大変に文学的なエッセイをお書きになった。この間、海部さんと東大で同期だったという数学者の先生と話してて、「亡くなっちゃいましたね、海部さん」って言ったら、「あの人は、東大で科学の基礎をやってる時、一方でダンテ読んでたんだよ」って。やっぱりそういうことなんだなという印象の人でしたね。

僕は、海部さんとは仲がよかった。ハワイの「すばる」は、日本が初めて海外に作った大きな研究室だったんです。

河野:ハワイ島ですよね。

池澤:そうです。マウナケアの上のほうですね。海部さんが、「見に来ませんか」って言うから、「あぁ、行きます」って行った。自らご案内してくださって、「すばる」を見学したんですよね。そんなこともあったし、実を言えば、この『科学する心』っていう本は、連載してる途中から、一番読んでほしいと思っていたのは海部さんだったんです。

ところが、去年の11月くらいから、なかなか深刻ながんであるということが伝わってきて、その時は、あと2か月って話だったのかな。それで、「あぁ、悲しいなぁ」って思っていたら、比較的安定した時期が続いているということで、『科学する心』をまとめている途中のゲラの段階でお送りしたの。

そうしたら、奥様から電話があって、1章ごとにホチキスで止めたゲラを、「ゆっくり楽しそうに読んでます」と言われて、「あぁ、よかったなぁ」と思った。海部さんご自身とも話しができたし、なんかこう、間に合ったっていう感じ。

亡くなる前に本になったものもお送りできた。だから、奥様の重美さんの話では、「たぶん、最後に読んだまとまった本だったと思います」ということでした。なんか、少し悲しいながらもホッとしたところがある、そういうことも関わった本でした。

河野:海部さんのことで言うと、ダーウィンの講座で、海部さんの息子さんの海部陽介さんに、講師としてお話しいただくんです。海部陽介さんは、日本人がどこから来たんだろうということを、身をもって実験的に証明しようとしている。おそらくは、日本人っていうのは、台湾から海を渡って、沖縄の島を目指したはずだと。それで、その当時、どうやって船を作って、その海の向こうの沖縄目指したかというのを実証実験しようとしていて、これまでは失敗してます。(※201977日から79日にかけて、台湾東部から沖縄・与那国島へ丸木舟を使い、約200キロの航海に成功しました。)

また今度、夏にそれを挑戦しようとされていて、それが終わったあたりで、「ダーウィンの贈りものI」の講座に来ていただこうと思っているんですけれども、父親がそうやって空を見て天文をやっていた人で、息子さんが違う形で、海の向こうを見ながらホモサピエンスについて考えている。

奥本:与那国から、葦の船で漕いでいくという実験ですか。

池澤:台湾から与那国までを試みて、それはだめだった。他の材料でやってもだめで、今度は木で試してみるそうです。

奥本:あぁ、それは見ました。

池澤:やっぱり、黒潮超えるのが大変なんですよ。

河野:みたいですね。

池澤:海部陽介さんは、国立科学博物館で自然人類学が専門かな。

奥本:はぁ。

池澤:人の起源ですよね。僕は一度、彼の本の帯文を書いたことがあって、そうしたら、お父さんのほうが喜んでくれた(笑)。今年の試みがうまくいくといいですね。非常にむずかしいには違いないから。

河野:お父さんと息子ともになんだか知的エリートの親子鷹みたいに聞こえてしまうかもしれないんだけれども、それ以上に、ワクワクさせてもらうところがありますね。父親が星を見ながらときめいたその心と、息子が海を超えて思いを馳せるというところ。ともにロマンを感じます。

奥本:ノーベル賞貰った人が、子どもの時に夢中になるのは、天文学か昆虫採集なんです。

河野:そうなんですか?

奥本:その2つが多いんです。それに夢中になって、小学生時代、中学生時代を過ごした人が、その学問に対する情熱をずっと持てるんですけど、今は、なかなかそういうことができなくなっている。我々が子どもの標本教室や採集会を開いても、「子どもが行きたがるから、誘わないでください」なんて言われちゃうんですね。ものすごく受験勉強してますが、その受験勉強の内容について言うと、ひっかけの問題が多いですね。こんなところでひっかけなくても、もっと素直に出せばいいのにと思うんだけれど、それじゃ差がつかない。そういう受験をやるもんですから、楽しくない。それで受験シーズンが終わると、マンションのゴミ捨て場に、教科書や参考書を縛って、全部捨ててあります、憎悪を込めて。

河野:わがマンションもそうですね(笑)。あー、さっぱりしたという感じ。

奥本:という感じがしますね。せっかく自分の時間かけて読んだ教科書を、国語の教科書であれ、算数の教科書であれ、取っておけばいいように思うんです。そういう学問を愛する気持ちって、やっぱりそういうところから育ってほしいんですけど、そうはいかないみたいですね。

河野:でも、奥本さんの、「虫の詩人の館」に来てる親子連れや子どもたちがすごくうれしそうに標本を見てるじゃないですか。

奥本:低年齢化してますよ。小さい子ばかり。大きい子はどんどん来なくなってます。

河野:でも、お父さんお母さんは、喜んで手を引きながら来ている印象がありました。

奥本:初めはそうなんですけど、だんだんと子どもがあんまり深入りすると(笑)、迷惑みたいですね。

河野:子どもを交えて、ワークショップみたいなこともなさってらっしゃるわけですよね。

奥本:「あんまり虫が好きになると、あの人みたいになるよ」って、指さされているじゃないかと思うんですけど(笑)。「あんなになっちゃったら大変だ」と。

河野:でも、天文学少年と昆虫少年にノーベル賞受賞者が多いとは初めて聞きました。

奥本:多いです。

河野:それは科学部門の人たちっていうことですか?それとも全般にですか?

奥本:科学部門でしょうね。だけど、ノーベル文学賞を取る人でも、科学に興味の深い人は多いですよね。ただね、あるかなり偉い文芸評論家に、「奥本さん、イモリって、虫ですか」って、真顔で聞かれたことありまして、その人の頭の中は江戸時代なんですね。

奥本:この字(蟲)なんですよ。すべての生き物がこれだった時代。こういう分類が頭の中にあるんですよね、きっと(笑)。

河野:ちょっと説明してください。その蟲は?

奥本:すべての生き物をこう言うんです。

河野:あぁ。

奥本:哺乳類とか、毛のあるものは、「毛蟲類」と言うし、「裸蟲」っていうのは、人間とか毛のない動物のことを言います。で、「虫」という字そのものは、もともとは「チュウ」と読まないんです。「キ」と読むんです。

河野:「キ」?

奥本:「キ」。こんな、手塚治虫みたいな、新石器文化のマムシの象形文字がはじまりです。

河野:はいはいはい。

奥本:これ(蟲)が初めてチュウです。

池澤:3つ並べる。

奥本:そうなんです。3つを並べて。

たとえば、孫悟空の所へ、中国の菩薩がひっとらえに来るんですよね、「お前はもう死んでいるんだ」と。孫悟空が、「そんなはずはない」と、天国へバッと駆け上って見ると、自分の名前が死者の中に入っているんです。それで、筆で塗り潰すんですが、毛蟲という所に孫悟空の名前はあるんですよ。その地獄の名前を消せば、永遠の命が得られるという話ですが(笑)。つまり中国の分類学では、すべての生き物はこれ(蟲)です。たぶん、その文芸評論家の人は、まだ頭の中が江戸時代なんじゃないですかね。

河野:毛蟲、裸蟲以外もあったわけですか?2大分類なんですか?

奥本:いやいや、いやいや。

河野:まだまだいっぱい?

奥本:羽の生えた鳥なんかも、

河野:あぁ、そうか。

奥本:「羽蟲」ですよね。こういうふうに。

池澤:生き物っていうことなんですね。

奥本:そうです。生き物っていうことです。クリーチャー(creature)ですね。

河野:それでも、1つの時は、マムシから来たんですね。

奥本:そうです。これを、このマムシという象形文字、これがこんな字(蟲)になって、「キ」と読んでるということですね。日本人は「ムシ」と読んでますけど。

河野:その3つになったわけは、日本人が3つに重ねていったんですか。

奥本:いいえ、これは中国です。

河野:中国、そうですね。

池澤:木から森ができるようなものですよ、まず林になって。つまり、読みが変わって、意味も変わるでしょ?

河野:なるほど。そういうことですね。

奥本:そういう文科系としては大変偉い人なんだけど、非常にとんちんかんな人ってたまにいますよね。植物の名称について、非常に詳しくて、「漢字ではこうなる、ラテン語ではこうなる」って、一生懸命やっているんだけど、「実物には私は興味がない」っていう人もいます。「見る気もない」って。ちょっと図鑑を見れば、すぐに氷解するようなことを、ちっとも調べようとしない人がいます。手触りも何も大事にしない人ね。形骸化した知識(笑)。それは、文科系の中にいる欠陥人間ですよね。理系でも、もちろん同じような欠陥のある人はいますよね。

池澤:晴れて気持ちのいい日に、山の中を歩いていて、周りに様々なものがあって、それはみんな美しく見えて、風も心地よくて、鳥の声が聞こえて、あるいは、虫の鳴き声が聞こえて、そういう中で、ここにいる自分であるなぁという、そういうコレスポンデンスな感じに自然を捉える。

奥本:それが詩人というものですよね、哲学者でもあり、詩人でもある。

池澤:まずそこから始まって、具体的にそれぞれ、「じゃあ、この声は、何の鳥だろう?」というあたりから深く入っていけば、それは自然科学でしょう?

奥本:そこから分類が始まりますからね。具体識別もあるし。だけど、まったくそういうことに興味がなくて、知識だけある人って不思議ですよね。

池澤:結局、訓詁学みたいなもんでしょう?

奥本:そうですね、訓詁。書中です。

河野:でも、奥本さんのファーブルの本を読んで、それがとてもおもしろいっていう読者は少なからずいるわけです。

奥本:はい。

河野:それがどんどん減っているとも思えないし。

奥本:減ってるんじゃないでしょうか。

たとえば、ネットで引いたら終わりっていう時代が来てますよね。スーッとどこかで素通りする。それで、電源切ればおしまい、みたいな。電源を入れれば、いつでもネットで知識は手に入るし、知識を手に入れるために苦労するっていうのは馬鹿馬鹿しいと。キーボードを押せば出てくるという感覚が、僕らの時代はまだましでも、パソコンの普及で。初めからあれがある子どもたちっていうのはどうなっていくのか。

河野:でも、奥本さんは、そういう子どもたちを前に、『昆虫記』に書かれているような虫との接し方とか、そのおもしろさを伝えようとされますよね。

奥本:そこに興味をもつ子どもはいると思うから、

河野:一生懸命話すわけですよね。

奥本:一生懸命話しますけど(笑)、うーん、どうでしょうね。

池澤:詳しくなくても、自然というものがあって、それが自分を取り巻いてるんだという図が感覚的にあって、その上で、その中のパートパートについては知識があると。最初の段階では、この虫についての知識のパートパート、その1つ1つはそれだけでしかないけれど、やがてそれ全体が知のネットワークになって、全体像を作っていく。最初は粗いけど、だんだんと詳しく、細かくなっていく。そうやって、我々は、自然というものをパートに分けると同時に、もう一遍統合して、世界観を作っていくわけでしょ。最初からパートしかなかったら、それはバラバラでしかなくて身に着かない。ものの考え方、感じ方につながってこない。たしかにだんだんそうなっていますね。

奥本:たとえば、自分は何種類の鳥を知っているとか、数を競いますね、漢字検定みたいに。そうじゃなくて、知識を楽しむということが大事なんじゃないですかね。

河野:知識を楽しむということを、子どもたちに分かるようにお話してください。

奥本:たとえば、標本のチョウチョ何種類、自分は名前を挙げることができるとか、どことどこが違うんだっていうような表面的な知識をバーッと列挙して、誇ろうとする子どももやっぱりいますよね。そうじゃなくて、誰も見てない所でも、自分でそのチョウを楽しむ、鳥を楽しむっていうことができればいいんじゃないでしょうか。

河野:そのチョウを楽しむって、僕もよくわかんないところあるんですけど、どういう楽しみ方ですか。

奥本:幸福になることですよね、チョウを見て(笑)。

河野:奥本さんは、そこに至福の時があるわけですよね。

奥本:そうですよね。

池澤:やっぱり、きれいだし、かわいいですよ。

奥本:そう。

池澤:僕はもうほとんどフィールドへ出なくなっちゃったけど、沖縄にいた頃、周辺にはチョウも鳥もいろいろいたし、やっぱり見つけたらうれしかったな。

奥本:でも、そうでない人っていうのは、たとえば、自分は何種類のチョウチョを知ってるということを人に褒められたい、誇りたいっということがあって、虚栄心という気がする時がある。誰もいなくても、自分はそのチョウを見て、楽しむことができるし、幸福な気持ちになることができれば、そのほうがいいじゃないですか。

池澤:だから、散歩していて、オオマダラとか、スジグロカバマダラとか、どこでもいるものでも、目の前をヒラヒラ飛んでくれたら、とてもうれしい。オオマダラは、たしか白地に黒い筋ですよね。あれ、なぜか沖縄で、「新聞蝶」っていうんですよ。

奥本:そうですか。

池澤:新聞ちぎったみたいだから。それも、「琉球新報じゃなくて、沖縄タイムスのほうだ」って言う人がいて。そんなはずはないと思うんだけど、ともかく出会うとうれしいものですよね。

奥本:「虹を見れば、我が心躍る」っていう詩があるじゃないですか。「MY heart leaps up when I behold. A rainbow in the sky」ああいう楽しみ方じゃないんですか。誰も見てなくても、虹と自分があって、それで幸せっていう。何の役にも立たないですけどね。

池澤:そこでは自分と自然が1対1で向き合っている。しかもそれで充足している。

奥本:そうです。

池澤:孤独なんだけど、それは、ロンリネスじゃなくて、ソリチュードのほうである。それが自然観の最初だと思うんですよ。自分と、目の前の海とか空とかチョウチョとか。それを欠いたまま、人間社会の中で、輪になって内側を向いて、互いの顔しか見てないようになってきいる。振り返れば、そこは自然なんだけど、誰も振り返らないっていう流れがインターネットでいよいよ強調されて、生きている実感がどんどん空疎になっているような気がしますね。

河野:チョウチョが飛んでいることが目に入れば、池澤さんが言ったように、「かわいらしい」とかっていう気持ちが湧いてくるのかもしれない。

奥本:他のものが目に入らなくなってる。

河野:目に入らなくなってるってことでしょ?

奥本:そうですね。

河野:きれいな花が咲いていても、それが目に入らない。

奥本:「え?そんなのいた?」って。

河野:そう、虹はかかっているけど、

奥本:なにも見ないと。

河野:目的地に急いで歩いていたら、かかっている虹が見えなかったとか、さみしいですね。たぶんチョウチョを見つけられれば、見た人は、「あ、かわいい」とか、「あ、おもしろいな」とか、感じるのかもしれない。

奥本:「花が咲いてた」とか。

河野:「花が咲いてた」とか。大切なのはそこでしょうね。

奥本:それがあれば、他のものは要らないというか、人の称賛は要らない。

池澤:また昭和天皇の話なんだけど、子どもの頃、彼が作った標本がありまして、それは、いわゆる押し葉、腊葉標本なんですが、その周りにチョウの標本が貼り付けてあるんですよ。たぶん、食草なんだろうと思うんだけど。

奥本:あれは、ヨーロッパの伝統に則っていると思うんですよ。

池澤:あぁ、そうか。

奥本:はい。食草とチョウの標本、その取り合わせですね。博物画がそうじゃありませんか。それを天皇も心得ておられたんじゃないですか。

池澤:子ども心にね。

奥本:うん。

池澤:そうやって、自然を思う常に、彼なりの原則で体系化していってる。

奥本:そうそうそう。

池澤:すごいもんだと。思いついたのならすごいし、知っていたのなら、エコロジーの基本原理であるから、それもまたすごいと思う。

河野:さっきおっしゃった「楽しむ」っていうところに向けて、何が今できるでしょうか?そういう「楽しむ」きっかけを見つけるにはどうすればよいのでしょう。

奥本:1人で、昆虫採集しに行って、虫を取って、標本を作って、あるいは、絵に描いてみて、それで1人きりで楽しむのがいいんじゃないでしょうかね。

河野:虫は結構ハードル高いと思うんですよ。もうちょっと手前にないですかね。

奥本:ハードル下げるんですか?

河野:虫って、わざわざ探しに行かないと、なかなか見つけるのは大変ですよね。

奥本:虫は、普通の生活してれば、いくらでもいるんですよね、本当は。だけど、清潔過ぎの生活してるでしょ?とにかく草が生えてくると、全部草刈り機でジャーンって切っちゃうし、田んぼの畔にさえ、今は雑草も生えてない。それはやっぱり変ですよ。

池澤:僕は今、札幌の町中に住んでいて、街路樹はあるし、雪が降るのも自然だけど、やっぱり自然は遠くなったと思うんですね。沖縄の田舎にいた時が一番フィールドが近くて、鳥も何種類もいて、うちのベランダで子を孵したのもいたし、虫も湧いて出る。出るのはいい虫ばかりじゃなくて、ある時ヤスデが大量発生してたんですが、あれ、臭うんですよ。大量発生っていうのは、膨大な数出てくるんです。山の中で大量発生すると、汽車の線路を覆って汽車が滑って走れなくなるというくらいの数です。ある時期はうちのまわりでも多かったんで、毎朝掃き集めて、空き地に捨てに行く。そういうことも含めて、外へ出るたびに何かがあっておもしろかった。

だから、ずっと沖縄の田舎にいれば、まだまだ科学エッセイ、現場編が書けたと思うんだけど、その後僕は引っ越してしまった。場所によって、それから、自分の暮らす自然によって、特に虫だけと言わなくても、周りにあるものみんな見ていくと、それは、やっぱり楽しいものですけどね。町中だって、奥本さんみたいにやれるわけだから、まず外に出て、キョロキョロすることから始まっていいんじゃないかな。

子どもを一緒に連れてたら、「あ、これがいるよ」って言うし、子どものほうが見つけてきて、「これ、何?」って尋ねられたり。そこから「わかんないから、調べようね」っていうふうに話が広がっていくと思うんだけど、でも、それは、1人1人の心の姿勢ですからね。どう言ったって、知らない人には通じない。そういう人はだんだん少数派になってきますよね。それは仕方がない。

奥本:子どもには、子どもの頃のものを見る目と、それを表現する言葉を忘れてほしくないですね。

河野:はい。言葉については、奥本さんも、『ファーブル昆虫記』をお訳しになったりとか、そういうことがまさに言葉を豊かにするための大きな貢献だと思います。池澤さんの今度のエッセイの中には、たとえば料理のお話を書いておられて、料理というのも、言ってみると、非常に科学につながる仕事ですよね。

池澤:そう、あれは基本的には、物理学と化学となどなどですからね。一番簡単な例でよく言うのは、熱伝導の話なんです。ローストビーフを作る。ビーフの塊を買ってきて、室温に戻して、塩胡椒をすり込んで、場合によっては、外側だけちょっとフライパンで炙って固めて、あとは、オーブンに入れて、温度設定をして待つ。で、そのうちに、外側の熱がだんだん中へ中へ沁み通っていく。単純な熱伝導です。そして中心の部分が60℃くらいまでになったら出来上がり。今、針みたいになった、中へ突き刺す形の温度計があるから、それを使えば、誰でも間違いなくおいしいローストビーフが作れる。それだけのことでしょ?

オムレツを作るんだったら、卵を溶いて、フライパンにバターを溶かして、相当熱くしてから流し込んで、混ぜて、それからこう畳みながら、一番いいところまで来たら、パッと皿に移す。つまり、硬くなりすぎる前に。これはたんぱく質の熱変性です。という言葉を使えば科学的だけど、上手な主婦たちはみんなやってること。

一事が万事そんなもんで、科学的に説明はできますよ。その先で、たぶん、「おいしい・まずい」ができてくるんだから(笑)。でも、料理そのものは、それだけのことだと。

科学の目で見て、合理的にということはたしかにある。昔、麺類を茹でるのに、「びっくり水」を用意しましたよね。

奥本:あったかな。

池澤:あったでしょう?そういう言葉が。「あらかじめびっくり水を用意します」って言ったら、お店に買いに行っちゃった人がいたっていうんだけど。なんであんなもの用意するかというと、火加減が細かくできなかったから、沸騰直前に注すために置いておくわけです。それだけのことなんですよ。

河野:本当に目を向ければ、いろいろおもしろいことって、身の周りにあるんだけれど、それが視界に入ってこなかったりするので、気づきのきっかけがあるといいですね。

奥本:うん、見過ごすことはもったいない。それと子どもの場合、ある年齢までに、そういう「感じる」っていうことがないと、感受性の回路が閉じちゃうんじゃないでしょうか。

河野:うんうん。

奥本:それは、たとえば、五感とか、味覚とか、音感とか、それから、人間関係の感覚も。だから、その回路が閉じる前に、やっぱり人間らしく、いい感覚持ってほしいなぁと。それには、「昆虫採集しなさい」、「天文を見なさい」と(笑)。

河野:なるほど。ありがとうございました。

池澤:ありがとうございました。 


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河野:皆さん、こんばんは。ほぼ日の学校長の河野と申します。よろしくお願いいたします。今日は、作家の池澤夏樹さんと、フランス文学者の奥本大三郎さんをお招きして、「文学者の心で科学する。」というトークをやっていきたいと思っています。

それでは、さっそく池澤さんと奥本さんをお呼びしたいと思います。どうぞ、いらしてください。

お客さん:(拍手)

河野:池澤さんと奥本さんについて、堅苦しい紹介は省いてしまいます。おふたりとのお付き合いも個人的には長くなっているのですが、それぞれ、まずご挨拶を。

奥本:堅苦しい紹介してくださいよ。

河野:堅苦しい紹介?いや、ちょっとむずかしいんですよね。池澤さんは、皆さんご承知のように、『スティル・ライフ』(中公文庫)という作品を書いて、芥川賞を受賞されました。以来、精力的に短編小説、長編小説、エッセイなどを書いておられる他、『世界文学全集』『日本文学全集』(ともに河出書房新社)を個人編集するという大仕事もなさっています。今回の対談のきっかけになったのは、『科学する心』という集英社インターナショナルから出た本です。科学エッセイは、『母なる自然のおっぱい』『エデンを遠く離れて』『アマバルの自然誌』に続いて、これが4冊目になります。

池澤:大事なことを1つ言っておきます。『スティル・ライフ』を僕に書かせた編集者は河野さんでした。

河野:何年前でしたっけ?

池澤:1987年でしょ?その年の2月に、カミオカンデで、チェレンコフ光が観測されて、そのことが頭にあったので、『スティル・ライフ』はチェレンコフの話から始めたんです。おかげで僕は、カミオカンデととても仲がよくて、この間も呼ばれて行ってきました。

河野:そして、奥本さんと私の最初の出会いは、『虫の宇宙誌』(青土社、1981年)という1冊です。フランス文学者というよりは、非常におもしろいエッセイをお書きになる方というのが始まりです。奥本さんは、やがてファーブル『昆虫記(完訳版ファーブル昆虫記)』(集英社)の翻訳をされるようになります。大変な大仕事です。それをついに完成なさった。いまは大学・大学院時代に勉強されたランボー(アルチュール・ランボー)の研究を、これからまたコツコツやろうとされている、といったところですよね。

奥本:コツコツと、なんかキツツキが叩いてるみたいですけど、もう連載始まっておりまして、集英社の「kotoba」という雑誌に書き始めましたので、どうぞよろしくお願いします。

池澤:連載はどのくらい続きますか?

奥本:だいたい4回の連載ということで、どこの部分を書こうかな、と選んでいるところですね。『地獄の季節』とか、『見者の手紙』なんていうのもありまして、それを全部書いていると、膨大な量になっちゃいますので。

池澤:これは本にして出すんですか?

奥本:後で本にしてくれるそうです。

河野:今度、「ほぼ日の学校」で、「ダーウィンの贈りものⅠ」と題した講座を5月30日から始めます。そういう時期でもあり、今日は池澤さんと奥本さんに、「文学者が楽しんで覗いてみた科学のおもしろさ」についてお話していただこうと思っています。

少し前には、ポピュラーサイエンスの雑誌が結構あって、以前私の勤めていた会社(中央公論社)も、「自然」という雑誌をずっと出していました。朝日新聞社には、「科学朝日」という雑誌がありました。それがすべて、ある時期に書店から姿を消していきます。子どもの雑誌はまだ生きていて、福音館の「かがくのとも」は、この春で創刊50周年を迎えています。

奥本:「たくさんのふしぎ」もありますね。

河野:小さい頃は何を読んでらっしゃいましたか?

奥本:「子供の科学」ですよね、我々の時代は。

池澤:そうですね、「子供の科学」ですね。

奥本:生まれて初めて文章が活字になったのは、「子供の科学」の投稿欄なんです(笑)。あそこに、小学校5年生の時に投稿した文章が載りまして、全国からワーッとハガキが来ました。大抵は、僕が書いた主題に対してではなく、「チョウチョの標本を交換しましょう」という人ばかりで、全国の人と交換しました。そして文通したりして、「拝啓」で始めたらいいのか、「謹啓」で始めたらいいのか、「草々」で終わったらいいのか、「敬具」で終わったらいいのか、悩みましたね。そのうち、北海道の小樽の友達がね、すごくきれいな字で、立派な手紙をくれるんですよ。「すごいなぁ、こいつ」と思っていたら、お父さんだった。お父さんと文通してたんですね。

河野:そのお父さんは、「子供の科学」読んでいたんですか?

奥本:そうなんでしょうね。

河野:奥本さんは科学少年というより、昆虫少年ですよね。

奥本:そうですね。でも、恐竜も、他の哺乳類も、それから鳥は好きでした。まぁ科学少年でもあったんじゃないでしょうか。親父が、科学少年にしようという気持ちがあったのか、そういう本をよく買ってくれました。

河野:たとえば、どんな本が思い出に残っていますか?

奥本:岩波の少年文庫とかね、科学者の書いたような本ですね。『昆虫記』や、ファーブルの生涯についての本などは最初に少年文庫で読みました。

河野:池澤さんも、さきほど「子供の科学」とおっしゃってました。

池澤:単行本では、ファラデー(マイケル・ファラデー)の『ロウソクの科学』とか、それから、イリーン(ミハイル・イリーン)というロシア人の『灯火の歴史』、それから、一番よく覚えているのは、『おはなし電気学』っていう本なんです。

河野:電気?エレクトリック?

池澤:そう。『おはなし電気学』。今回の僕の本、『科学する心』を執筆中にわかったんだけど、その著者はなんと海野十三(うんのじゅうざ)でした。『浮かぶ飛行島』とか少年科学小説の書き手。その彼が、片っ方ではそういう啓蒙書も書いていて、今考えると本当に文章うまいもんね、ユーモアがあって。

奥本:星座の話はもうキマッてましたね。「鞍馬天狗」のお兄さんの『星と神話伝説』というのもありました。

河野:野尻抱影。

奥本:そうですね。野尻清彦が本名でしたっけ、「鞍馬天狗」の大佛次郎(おさらぎじろう)は。

池澤:ふぅん。

河野:科学読み物に名文家の人たちが、結構いらっしゃいましたよね。雪の研究者の中谷宇吉郎とか。

奥本:ごく一部、筆の立つ科学者がいたんですよね。その人たちに集中してたと思うんですけど。

池澤:大人向けは、なんたって寺田寅彦ですね。

奥本:それと、ガモフ(ジョージ・ガモフ)なんかが流行ってたでしょ?

池澤:そう。

奥本:『不思議の国のトムキンス』などのシリーズですね。

池澤:あれは、隣の家の大学生のお兄さんが白揚社のシリーズを持っていて、そこへ入り込んでは持ってきて、読んでまた返して、ということをしてたな。

河野:今日、一番心配しているのは、こういうとりとめのない話に終始するんじゃないかっていうことなんですが、すでにしてそうなり始めているので(笑)、ちょっと池澤さんの『科学する心』に話を移しましょう。

奥本:天皇陛下の採集人だった青木熊吉の話とか。

河野:そうですね。池澤さんは今度の本の第1章に昭和天皇とウミウシの話を書いておられますね。まだお読みでない方もたくさんいらっしゃるので、おもしろいところをすこしお話いただけますか。

池澤:昭和天皇というか、もう裕仁さんなんですけどね、この場合は。

あの方は、相当熱心な生物学者だったんです。熱心っていうのは、本当に好きで、週に1日半を、研究のために充てて、政治がらみの仕事が終わると、一散に研究所へ走って行き、そっちに勤しんだと。

相模湾がもっぱらフィールドで、持っている船で海に出る。そこで採集をして、それをずっと調べて海洋生物の新種を見つけるわけです。新種らしいものは標本にして持って帰り、小さなものが多いですから、顕微鏡で見て、どういう種類であるか、本当に新種であるかどうか確認して、論文を書くということを、もちろん専門家が付いてなんだけれども、延々と行っていました。それはもう立派な研究で、ちゃんとした図版の入った『相模湾産後鰓類(こうさいるい)図譜』という図鑑など、17冊くらい出しているんです。

博物学というのは、ヨーロッパで王様や貴族たちの趣味から始まって、広まったようなところがあります。つまり、珍しいものを集めて、お互いに自慢し合うと。奥本さんの昆虫評論と同じなんですけど(笑)。それで、「ヴンダーカマー」という「驚異の部屋」をお城の中に作り、そこにいろんなものを並べるあたりから始まっている。生物学も、現場でそういうことするというのは、帝王にふさわしい優雅な学問なんだけれども、本当に熱心でしたね。

今、奥本さんが言ってくださった青木熊吉という人は、天皇の採集用の船に乗っている技手であって、具体的に標本を集めるのを手伝う。研究者ではないんですね。これがなかなかおもしろい人でした。ヒトデの仲間で、いわゆる、甘食パンにそっくりな形のものを見つけて、それに「カシパン」って名前を付けた。標準和名というのがあって、正式な学名はラテン語だけど、標準和名っていうのは日本語で付ける。普通に僕らが呼んでいるのはだいたいその和名なのですが、その標準和名に「カシパン」というのを付ける。さらに、ヒトデの仲間で、非常に触手が複雑に枝分かれして、グジャグジャしてるやつには「テヅルモヅル」と付ける。そういうセンスのいい人でした。

ある時、まだ少年だった裕仁君と海へ行って、タコかイカを採ったらそれが墨を吐いて、その青木氏のシャツが黒く染まってしまった。すると、少年裕仁君は、「怒るなよ。宮城(きゅうじょう)に帰ったら、後で新しいシャツを買う金を送るからな」と言って帰った。ところが、忘れてしまったらしくて、何年経っても送られて来ない。そしてそのうち、それがその青木さんの自慢になってきて、「天下広しと言えども、天皇さんに貸しがあるのは俺だけだ」って言っていたら、それが天皇の耳に届いてしまってお金が来た。「これで自慢の種がなくなった」と悲しんだという(笑)、そういうおもしろい人が身辺にいるような、そういう一面が裕仁さんにはあったんです。

それを受け継いで、明仁さんはハゼの研究ですね。ハゼには、淡水産と海水産と両方いて、しかも種類が多くて、微妙な違いがあるんで、それを分類学で研究した。これまた、ずいぶん論文を書いたりしていらした。というふうに、つまり、生物学関係はあの一家の伝統なんですよ、という話です。

そして、明仁さんというと、新聞記事で見たんだけれどももう1つ話があって、皇居に住んでいるタヌキが何を食べているかという、タヌキの食性の研究をしているそうです。これは今でも続いていると思うんですが、どういう方法で調べるかというと、タヌキというのは、1か所、決まった所で糞をするんですよ。だから、毎週1度そこに行って、糞を採集して、網に入れて、上から水をかけると、残るのは植物の種なんですよね。そしてその種を顕微鏡で見て、何の種であるかを同定していけば、タヌキの食生活が分かるということを延々と続けて、100何回か採集されたのかな。

河野:高貴なる科学者(笑)

池澤:だから、被災地などへ公務へ行って不在の時は、職員が代わりにそこへ行きタヌキの糞取ってくるわけ。これまた優雅な趣味ですよね。

奥本:そういう時に、必ず、優秀な採集人みたいな人がいて、その採集人というのはだいたい勘が鋭くて、器用な人が多いんですよね。その存在が、学者をどれだけ助けているかということはありますね。もちろん学者自身がすごく勘のいい人で、採集がうまい人もいます。たとえば、レーウェンフック(アントニ・ファン・レーウェンフック)は、顕微鏡を球に磨きますが、あれを他の人が真似しても、あんなに多くのものは見えないんですよね。だから、イギリスからも、レーウェンフックの所に顕微鏡の球を磨きの依頼に来るわけです。それで、彼の顕微鏡で見ると、水の中に微生物がいっぱい見えて驚く、という世界ですね。

虫の世界でもそうで、普通の人じゃ取れないものを上手に取っていくすごい人は必ずいます。科学の実験でも、この人がやるといい結果が出るとか、中には、見えないはずのものが見えたりするという、インチキなこともありますけどね(笑)。

池澤:逆に、全然だめで、不器用な学者もいますね。たしか、フェルミ(エンリコ・フェルミ)がそうだったと思います。彼が触ると、すべての実験機械が壊れると。

河野:学者ということでは、昭和天皇にしても、いわゆる大学で研究している学者とは明らかに違いますよね。

奥本:鳥の世界とか、鳥類学者は、だいたい身分の高い人ですね。

河野:イギリスのロスチャイルド家のをウォルター・ロスチャイルドは、財力にまかせて世界のいろんな動物を研究しますよね。アフリカから連れてきたシマウマを四頭立て馬車につないだり、ガラパゴスから100匹以上のゾウガメを運び入れて放し飼いにしたり。

奥本:「ヴンダーカマー」を作ったのは、みんなそういう人たちですよね。オランダの大金持ちとかね。

河野:ダーウィンその人が紳士科学者。

奥本:豪士みたいなものでしょう。何億円かの資産がある。

池澤:カントリージェントルマンですね。

奥本:カントリージェントルマンですね。働かなくてもいい人なんですよね。だからこそ、ダーウィンは進化論を思いついて、ここにもこういう実例がある、こういう実例があるって、ずーっと発見をして、それを楽しんでいるんですよ。だけど、発表したくないんですね。親戚にも宗教家がいっぱいいるし、うっかり変なことを言うと、みんなに迷惑がかかってしまうから。

河野:そこらへんを丁寧に説明していただけますか。進化論と、当時の状況。

奥本:進化論を発表すると、その当時の神学や宗教家の人たちに、いろいろ差し障りがある。神様が作ったものが進化したなんていうのは、とんでもない発想ですから。なのでダーウィンは発表したくなかったんですね。ところが、ウォレス(アルフレッド・ラッセル・ウォレス)という男が、インドネシアのテルナテ島でマラリアに悩まされながら書いてきた論文を知り、「これは自分の書いていることと同じだ。これを発表されちゃったら、自分の立つ瀬がない」という状況になり、周りのハクスリー(トマス・ヘンリー・ハクスリー)などに相談した結果、「一緒に発表しようよ」ってことになったわけです。

池澤:ハクスリーは、たしか、ダーウィン以上にダーウィン主義者でしたね。

奥本:ダーウィンの番犬と言われたくらいです。

池澤:ダーウィンのブルドッグ。

奥本:王様よりも王党派っていう感じで。

河野:そういう意味では、いわゆるアカデミズムではなく在野。

奥本:仕事としてそれで飯食うのと、いつまでも楽しんでいるのとの違いがありますね。ホビーの延長した書画骨董と似てるようなところもありますね、やっぱり。ところで、昆虫学者はだいたい身分が低いんです。

河野:ファーブルは違うわけですか。

奥本:ファーブルは、そういう点では、身分があって研究できた人ではないです。

河野:奥本さんは、もともとお住まいだった所を、今、「虫の詩人の館」というファーブルに因んだ空間にしていますね。地下に、ファーブルの南フランスの生家がそのまま再現されているのですが、身分が高い大金持ちの家ではまったくない、ということが一目瞭然ですよね。

奥本:そうですね。はっきり言えば、貧農の家ですからね。

河野:では、ちょっとファーブルのお話を伺わせてください。

奥本:ファーブルの『昆虫記』をずっと訳していましたが、向こう(フランス)へ行くたびに、いろんなファーブル関連のものを見ると、買いたくなるんです。農機具や、窯や、もちろんファーブルの描いた絵とか原稿とか。そういうものを欲しくて買っていると、それが家の中に貯まってくるわけです。そして、それを跨いで歩いていたんですね。マタギの生活というんですけれどね(笑)。でも跨いで歩いていてもしょうがないので、「人に見せたらどうですか」というアドバイスをしてくれる人がいて、「ファーブル昆虫館」を作りました。「虫の詩人の館」の「虫の詩人」はファーブルのことです。

河野:ファーブルは、そういう貧農の家が生家だったのですか?

奥本:ファーブルの生まれは、南フランスのほうの、ルーエングという地方です。モンペリエから800キロくらい離れた山の中。そこの貧しい家の息子ですね。その地方は寒い所で、それこそブドウも小麦も実らないような土地です。親戚には大きな農家の人もいましたけども、ファーブルのお父さんはその家を出ていて、手にろくに職がなかった。そして都会に出て、一旗揚げようとカフェを開いたりして失敗する、というのを繰り返しながら、転々としているという生活でした。

ファーブルが16歳の時には、夜逃げ同然というか、一家離散です。それで、ボーケールという所で鉄道工夫したり、レモン売りをしたりして、非常に苦労していました。

あの時代、19世紀の中頃には、フランスでちょうど義務教育が広まってきます。そうすると、先生が足りない。先生が足りないので、師範学校が作られた。それで、師範学校で、給費留学生を募集していたわけです。ファーブルはそれに合格して、小学校の先生になることができて、やっと食べていけるということになりました。

河野:その傍ら、虫と付き合い始めたわけですか。

奥本:虫は、自分の博物学の一部にあったのでしょうね。昆虫採集を習い覚えてやっていたようです。だけど、普通に昆虫採集していても、形体のディスクリプションというような描写をしていても、ごくつまらないと思ったんでしょう。そこで、ハチの生態を書いた論文があるのを読み、「あぁ、こういう生きた生き物、生きた虫を研究するという分野があるんだ」ということに気がつくわけですね。そこから、ハチの生態などを研究し始めるということです。

池澤:それは論文として発表するのとは別にエッセイ風に書いたのかしら。

奥本:初めは、論文に書くんです。それで、賞を貰ったりもしますが、専門家しか読まないし、つまらない。それで、ハチを見てる自分の描写も含めて、立体的な文章を書くようになるんです。

池澤:文章を書く才能はすごくあった?

奥本:そうですね。ただしその代わりに、「あれはエッセイだ」と散々馬鹿にされます。今でも馬鹿にされてます。

河野:その「馬鹿にされる」というのは、昆虫学としてですか?

奥本:昆虫学としては、門前払いですね。今でも、たとえば、あるカメムシの専門家の日本の先生には、「ファーブルのカメムシの卵の孵化の様子っていうのは、世界最初の発見です。それは認めますけど、あれ、エッセイですからね、話になりません」って言われますね。つまり、博士論文としての手続きを満たしてないから、門前払いということです。

河野:何が足りなくて、何が余計なんですか。

奥本:形式が整ってないらしいですね。

河野:論文としての体裁が。

奥本:自分の感情が混じっているとか、そういうことでしょうね。

河野:その感情っていうのは、たとえば?

奥本:「おもしろい」と言っているとか(笑)。

それは、フランス文学でもそうでして、「エッセイ風になってはいけない。ディレッタントになってはいけませんよ」というのは言われますね。「学術論文の形を整えなさい。そうでないと、修士論文、博士論文ではない」と。それは露骨には言いませんけれども、やんわりと言われ、諭されますよ。

池澤:それはつまり、ファーブルにしても、エッセイ風に書く人にしても、学者としてはアマチュアとしか見られないってことですよね。

奥本:そうですね。

池澤:アマチュア精神でいいんだと思ってやれば、それでいいわけですよね。ファーブルは結果が出たわけですよね。

奥本:楽しければいいっていうのは、たとえば、僕みたいな学者失格の人間の場合ですよね。だけど、開き直るしかないわけで(笑)。

河野:ファーブルが虫の動きを描写する時に、擬人化というか、そこに自分の心情を乗せて説明したりする。ああいう部分が学問的にはよくないということですね?

奥本:ああいうのが学者の気に障るんでしょうね。

河野:「だるそうに歩いてる」とか、

奥本:そうそうそう。

河野:そういうのが気に入らないわけですね。

奥本:「アタフタと忙しそうに慌てて歩いてるハチ」なんていうのは、その描写がいけないんでしょうね。だけど、プルースト(マルセル・プルースト)なんかは、「あのファーブルのハチのように」なんて、ファーブルをよく読んでますね。『失われた時(失われた時を求めて)』の中に出てきます。ベルクソン(アンリ・ベルクソン)なんかもよく読んでます、ファーブル。

河野:しかし、虫そのものを時間をかけて観察し、形態や分類ではなく、動物行動学として記述してますよね。あれは、非常に新しい昆虫学だったんではないでしょうか。

奥本:それは、レオン・デュフールという人が最初にしています。ただ、ファーブルのものは、それよりはるかに生き生きしてるんですね。

ファーブルの天敵みたいな学者が2人いるんですが、その人たちは、「ハチがそんなことをするはずがない」と、見ないで批判したんです。ファーブルのハチを、実物を見ないで批判する。「そんなことがあるはずがない。ないと言ったらないんだ」って(笑)。

河野:でも、それが今もって続いているというのはどういうことなんですか?

池澤:今もってというのは、そうですね。むしろ、日本では、たとえば、坂上昭一とか、岩田久二雄とか、ファーブルの跡を継ぐような筆の立つ学者がいますけど、ヨーロッパではどうなんだろう。

河野:坂上昭一さんはずっと「自然」に連載されていました。

奥本:ファーブルをもっと精密にしたようなところがありますよね。

池澤:『ミツバチのたどったみち進化の比較社会学』という名著があって、単独行動をしてるハチから、いかにして社会的なハチが進化してきたかっていうのを跡付けるために、ずっと野原でハチを相手に観察と実験をするんです。

奥本:それで、生きているハチを見てると、わからないことだらけで、疑問が次々に湧いてきますよね。それを坂上さんは、非常に精密に、長いこと実験、観察を繰り返していますね。ハチがどうしてあんな姿をしているのかって、わからないですよね。たとえば、アブとハチはどう違うか。ハチは毒の針を持ってるでしょ?もしハチから毒の針を抜いてしまったら、ハチは怖くもなんともないです。スズメバチであろうとなんであろうと、叩き潰してしまえば終いです。あの針ってなんだと思います?

河野:ハチにとっての針?

奥本:はい。どこから出てきたんですか、毒針。

池澤:産卵管?

奥本:そうです。産卵管が発達したものなので、メスにしか針はないんですね。オスのスズメバチなんか、摘まんだって平気ですからね。それに毒を盛り込むっていうのが、やっぱりすごい自然の発明じゃないでしょうかね。スズメバチに刺されて、人は死にますから。

池澤:あれは2度目が怖いんですよね、アナフィラキシー・ショック。

奥本:抗体ができちゃうんです。人によりますけどね。

池澤:だから、林野庁で山に入って働く人たちは、自分で注射器のセットを持ってるんですよね。

奥本:毒を吸い取るんですよ。すごく野蛮な方法ですけどね。

池澤:山の中だと、病院まで間に合わないことがあるから。

河野:ファーブル自身は刺されたりしたのでしょうか?

奥本:しょっちゅう刺されてます。でも体質が大丈夫だったんでしょうね。

河野:なるほど。さきほど「自然がメスのハチに針を授けた」という話がありましたが、生物がそういう変化を遂げていくということについて、ほぼ同時代に生きたファーブルとダーウィンはそれぞれ相手をどう考えていたのでしょうか?

奥本:ファーブルは、ダーウィンの進化論をまったく認めなかったんです。だけど、個人的には付き合いをしているんですね。

河野:ファーブルは、ダーウィンの進化論を認めない?

奥本:たとえば、ジガバチというのがいる。それが獲物の神経を毒針で突いて麻痺させるのですが、その時に、ポイントをちゃんと突くんですよ。

河野:ポイントというのは、相手の弱い所を?

奥本:神経中枢を突くんです。最初は、「ハチって、どうやってそんなことを発見したんだ?」ということをダーウィンに聞くわけです。神経中枢を刺されて、体を麻痺させられた獲物にハチが卵を産みつける。卵から孵ったハチの幼虫は、その獲物の体を食べていくんですけれども、命に関わるような部分を避けて食べていくんです。そして最後の最後まで、生きたまま、腐らない獲物を、最終的に殻になるまで食べ尽くすんですね。「その食べ方を、どうやって幼虫は発見したんだ?」と。「偶然の積み重ねで、それが、子々孫々伝えられていくなんて、そんな偶然の積み重ねがあるだろうか」とファーブルは言うんです。そして、ダーウィンも非常に困る。「私の進化論は、ファーブルの説には合わないようだ」と、ダーウィンも言ったそうです。

池澤:でも、実際には、非常に長い時間が与えられていて、しかも昆虫は世代交代が早いから、結局は進化で説明できる。

奥本:というふうに考えるしかないんじゃないでしょうかね。たとえば、卵を200個産むとして、それが、1年の間に4回くらい繰り返すとすると、世代交代が非常に早いんですよね。だから、偶然生き残ったやつたちが子孫を残していくんじゃないかと。

河野:長い時間のスパンでみると、ダーウィンの進化論は、法則として正しいということですね。

奥本:でも、進化論というのは、どんどん、どんどん、改良されたり、改変を加えられて、ネオダーウィニズムになっていったり、さらにそれが否定されたりして、よくわからないですよね。

河野:ダーウィンとファーブルは、紳士的に論争したんですか。

奥本:たとえば、「ハナバチは地磁気を感じるかもしれないから、磁石を持たせた針をハチの体にくっつけてみたらどうだろうか。この実験をやってください」と、ダーウィンはファーブルに手紙を出して頼んでいますね。それでそれやってみると、ハチは背中に異物がくっつけられたものですから、こすりつけて、実験どころじゃなかったと。その結果をイギリスに書き送ったけれども、ダーウィンさんが亡くなった後だった、というようなこともあります。本人同士は尊敬し合っていたみたいですよ。

河野:あぁ、そうですか。

奥本:「類い稀な観察家」と言ったのはダーウィンですからね、ファーブルのことを。

河野:でも、非常に根本的なところで意見の相違があるように思われます。

奥本:やっぱり、自分の説を信じつつも疑う、ためらうところはあったでしょう。

河野:なるほどね。

池澤:ダーウィンが一番困ったのは、目ですよね、生物の。

奥本:目の発生。

池澤:「これほど精密で、目的にかなった器官がどうやってできたか。これは聞かれても、私にはわからない」と言った。最近になって、うまい説明の仕方を見つけたのですが、いい?こんな話をして。

生物の皮膚のどこかに光を感じる細胞が生じる。そして、その光を感じる細胞の部分がたまたまくぼむと、その光を感じる細胞たちの周囲に土手ができるでしょう?そうすると、どっちから光が来たかわかるようになる。フラットな所にあったら、明るさしかわからないけれども、へこみの所にあったら、受ける光の差でどっちから光が来たかわかるようになる。そういうへこみがどんどん深まっていって、穴状になった。これ、ピンホールカメラでしょ?

そのカメラが傷つかないように、膜でその穴を閉じる。透明な膜で閉じて、その膜がレンズ状になったら、もう目ですよね。その過程にどのくらい世代交代が必要かっていうと、案外数十万で済んでしまう。だから、それで「目」ができる。

河野:数十万っていうのは?

池澤:数十万世代で、親から子へね。そんなもの、生物学的には、本当に一瞬のことなんです。一旦、その目っていうものができると、行動が能動的になる。つまり、相手を追いかけたり、逃げたり、それから、食われないように殻を作ったり、あるいは、速く泳ぐ仕掛けを作ったり、本当にあっという間に、爆発的に進化する。そういうことを少なくとも僕は信じますね。

奥本:なるほど。目が完成するまでの間に、触角とか、いろんなもので補助しながら、杖を突きながら歩いているみたいなところがありますからね。そのうちに目が完成していくっていうのは十分あり得ますね。

池澤:という説明をダーウィンにできればよかったんだけど、まだまだ無理であったと。

河野:ダーウィンの時代、まだ遺伝のこととか、わかってないこともあったわけで、その時代にしては壮大な仮説を打ち立てていた。

奥本:進化論も、メンデル(グレゴール・ヨハン・メンデル)の遺伝も、常識で考えたら、すぐわかることでしょ?だって、親は子に似てる、子は親に似てる。当たり前じゃないですか。それから、たとえば、家で飼ってる家畜の、都合のいいものばっかり選んでいくと、おとなしいイヌになったり、おいしいブタになったりしていく。だから、進化論は、わかるといえばわかるんですよね。

河野:それは生活の知恵として、おそらくみんな見て、知って、思ってたんだろうけれども、あの時代のある種の常識というものがあった。

奥本:神が作り給うたっていう。6千何百年前、何月何日に、天地が作られたっていうのを、子どもの時からずーっと信じ込まされてきた人が、それ以上の大それたことは怖くて言えないでしょうね。

池澤:進化論の一番基礎のところに大きな誤解があって、よくなっていくのが進化だとみんなが思ってる。でもそうじゃなくて、どんな場合でも、まずはただの変化なんですよ。その変化の結果が、環境に対して有利であれば、その形質は残る。この環境とセットというところがわかってないから、「進化したケータイ」なんて言い方をする。メーカーが言うのならそれは改良です。しかし、マーケット全体で見れば、改良したケータイがマーケットで受け入れられて広がるかどうか、あるいは、嫌われて消えていくかどうかということです。だから、マーケットという環境と性能の関係まで見ると、たしかにそれは進化である。だから、ガラパゴス化したりするんですよ。

奥本:だから、時々ご破算になって、5回くらい大絶滅が起きた?

河野:変化して、死滅していった数のほうが多いってことですよね。

池澤:あらかた、絶滅してますよ。

奥本:でも、すごいですね。大絶滅があって、イモリみたいな、トカゲみたいなものが残って、それからまたワーって広がっていって、同じようなものができるって。恐竜と哺乳類で似たようなやつが出てきますよね。本当信じられないですね。素晴らしいと思うな。恐竜から人間になってる可能性もあるわけでしょ?恐竜人間っていうか。立って歩く恐竜が人間になっていく。

奥本:いたかもしれない。

池澤:あそこで絶滅しなければね。

河野:ここでまた、ファーブルの『昆虫記』の話を奥本さんに伺いたいんですけど、ずっと愛読書だったわけですよね。

奥本:ええ。

河野:それを翻訳したいというお気持ちになった理由はあるんですか?

奥本:小学校の5年生の時に、岩波文庫の翻訳を読んだんです。その前に、中西悟堂という詩人の書き直したものを読んでたんですけど、岩波文庫版を読んでみると、文章が硬いんです。欧文直訳体で、「私は私自身をどこどこに発見した」みたいな文章です。

たとえば、「この虫は胸に角がある」って書いてあるんです。でも胸に角があったら、歩けないじゃないですか、つっかえて。「トラックス」(仏:thorax)っていう言葉があって、それは背中を含めて胸部ということなんです。

考えてみたらわかると思うんだけど、たとえば、こんなダイコクコガネみたいな虫がいて、胸にもこんな角があるとしますよね。でもここに角があったら、歩けないじゃないですか。それで、「変だな、この人虫を知らないのかな」と、子ども心に思ったわけですね。そういうところがポツポツとあるんですよね。だから、もう少し読みやすい訳にならないかなぁ、と子どもの時に思いました。自分が訳すとはとても思いませんけど。それと、むずかしい文章嫌いなんです、わからないから(笑)。

河野:ファーブルはわかりやすい文章なんですか。

奥本:いや、そうでもないですけどね。

河野:そうなんですか?

奥本:わかりやすい日本語に訳せればいいんです。

河野:わかりやすい日本語に超訳すればいい(笑)?

奥本:自分の文体にしちゃえばいい。これはこういうことだろう、というね。

池澤:すごい(笑)。岩波文庫は誰の訳でした?

奥本:林達夫と山田吉彦。

池澤:きだみのる、か。

奥本:きだみのるさん(山田吉彦さん)ね。この方はね、すごくフランス語ができるんだと思います。というのは、実物見ないで、無理やりガーッと訳していくのは、文法などが非常に頭に入っているんでしょうね。よくやったと思うんです。

河野:よくやったと思うけれども、やっぱり翻訳の細かいところが。

奥本:実物をわかってない。それから日本語が硬いですね。硬いですねって、きだみのるのことを偉そうに言う資格はありませんけどね。

河野:直訳っぽい?

奥本:欧文直訳体ですね。その前の大杉栄の訳は、勢いがあってすごいですよ。

河野:そこから奥本さんまでの間に他の翻訳はなかったんですか。

奥本:大杉栄と無政府主義者が、大正12年に翻訳をしますが、関東大震災のどさくさ紛れに殺されちゃうわけです。その後、椎名其二など、その当時の社会主義者の人たちが続きを翻訳します。それが叢文閣版ですね。

叢文閣版があって、その次が、北原白秋の弟の北原鉄雄という人やっていたアルスです。それで、また昭和3年くらいからずっと翻訳されると。

その同じ頃に岩波文庫で、1冊ずつ出されるわけです。だから、昭和5年くらいの時点で3種類のファーブル『昆虫記』がある。

河野:でも、戦後は途絶えてしまった?

奥本:岩波文庫は、昭和20年代までかかって、完訳したんです。昭和20年代に完訳が3種類あった。

池澤:聞いた話なんですけど、誰かが、たとえば、「ハチの社会生活」っていう本を出そうとしたら、警察に呼ばれたとか。

奥本:「社会」っていう言葉が引っかかったんです。実際に、ホイーラー(ウィルアム・M・ホイーラー)の、『昆虫の社会生活』っていう本を翻訳した人が、社会主義者的な人だったらしいですね。それで、特高が部屋に入ってきて、「赤だ」って言ったっていうんです。おもしろいでしょう(笑)?

河野:それは戦前のお話ですよね、もちろん。

奥本:もちろん、もちろん。

池澤:なるほど。しかし、変な話にまた持っていくけど、『みつばちマーヤの冒険』は非常に帝国主義的ですよね。

奥本:はいはいはい。

池澤:ねぇ。

奥本:ボンゼルス(ワルデマル・ボンゼルス)はそうですね。

池澤:帝国に身を捧げる兵士みたいなイメージですよね。だから、ハチの社会に対してそういう見方もまたあったんですね。

奥本:あったんですね。

河野:そんな中、奥本さんは、ファーブルを翻訳しようと決心された。

奥本:すすめてくれる人がいたんです。「ファーブルやるといいんじゃないですか?」と、こっちにベクトルを渡しながら言ってくれた人がいるんです。それでやらせてもらったということですね。

河野:でも、本当に大変なお仕事で、何年かかったのですか?。

奥本:30年かかりました。

河野:30年?

奥本:サボりサボりね(笑)。もっと勤勉な人だったら、もっと早かったでしょうね。でも、結構楽しみながらやったっていうのもありますし。

池澤:それは読んでいてわかります。

奥本:注釈もいっぱい付いてる。

池澤:そうそうそう、あのね、注のほうがおもしろいんですよ。日本の古典が出てきて、やたら文学的。泉鏡花が出てきたり。

奥本:しますね(笑)。

池澤:だから、文学と科学の間がつながってる。つまり、僕や奥本さんは、科学のほうへちょっと身を乗り出した文学者なんだと思うんだ。

奥本:そうですね。

河野:池澤さんは、今は作家であり文学者であるんですが、大学でまず勉強しようとしたのは物理だったわけですよね。

池澤:子どもの時の自分の中に、理科少年と文学少年がいて、どっちを育ててやろうかな、と思ったんです。だけど、文学なんて、本を読んでいればいいんだから、大学で教わることはないし、大学を出たからといって書けるようになるわけじゃないだろうと。

奥本:僕もそう思います。だから、大学でやったんです。寝転んでやれる文学を(笑)。

池澤:あぁ、そうか(笑)。しかし物理は具体的なトレーニングですから、自分ではできない。じゃあ、大学でやってみようと思って、大学でやったんだけど、年ごとにだんだん進むとむずかしくなっていくんですよ、当然だけど。それで、あるところまでいって、これは無理だなと思った。理科の先生ならなれるかもしれないけど、それ以上はむずかしい。

奥本:はっきり言えば、そういう理科も、職業教育の面が非常に大きいでしょう?だから、嫌になることありますよね。

池澤:そうね。たぶん僕はもっと趣味的だったんですね。

奥本:ヨーロッパの貴族のパスカル(ブレーズ・パスカル)や、レオミュール(ルネ・レオニュール)など、ああいう人は、本当に大富豪の貴族ですもんね。子どもの時からすごい環境にあって、好きなことをやっている人たちです。

池澤:僕に話を戻せば、何か詩を書いたり、エッセイ書いたり、翻訳で食べながら、それでも科学への関心はずっと続いていたから、何をやっていたかと言うと、科学啓蒙書を読んで、科学雑誌読んで、興味だけはずっとつないできた。その中で、自分の身辺をちょっと科学っぽい目で見るというのが癖になって、それは今も続いています。

奥本:理科と文科に分かれるのって、やはり学校でのテストみたいなものがきっかけになることがあるんじゃないですか。本当は天文でも物理でもね、生き物でも好きなのに、テストして、点数を付けられて、評価されるって嫌じゃありませんか?それで子どもが嫌いになることありますよね。

池澤:実際そのテストが問題で、自慢ではないけど、およそ入学試験っていうものに通ったことがないんですよ。

奥本:(笑)

池澤:端から全部落ちてる。

奥本:自慢しないでください(笑)。

池澤:(笑)京都大学っていう所に行こうと思ったら、意見が合わなくて、というのはつまり、試験に落ちたってことなんだけど、入れてくれなかった。だから、やっぱりだめなんですね。

奥本:理想を言えば、志望する学生をみんな入れて、後で落とせばいいんですけどね。それはできないんですよね。授業にならない。もし余裕があれば、1人1人指導できたら理想ですね。

池澤:産業戦士を育てる講座みたいな感じがあったでしょ?

奥本:それは職業教育ですから。

河野:でも、池澤さんは、文学好きな少年と、科学好きな少年とがいる中で、その科学好きな少年も、葬り去らずにご自身の中で生かしてたわけですね。

池澤:それは無責任に楽しめるし、結果も出さなくていいんだから。翻訳さえしなくていい(笑)。

奥本:実は、理科に学問が偏る時代っていうのは、比較的新しいですよね。江戸時代は文科の学問ばっかりでしょう?要するに、漢文を読めばいい。フランスだったら、ラテン語の文章読んでればいい。あるいは、ラテン語を書けるとかね。そこには、理科の「理」の字もない。それこそパスカルみたいなよほど特殊な恵まれた人だけが、サイクロイド曲線なんていうのを、じーっと考えたり、パスカルの定理作ったりするわけでしょ。あんなのって、特殊な人ですよね。ある時期までは全部文科だった。

それが今逆転して、理科が非常に優勢になってる。なぜかって言うと、技術が産業に役立つからですね。だけど、これが本当に学問かどうかはわかりませんけどね。意味について考える人がいないもん。

河野:ある時から、理系と文系とくっきり分かれてしまった。

奥本:茅さん(茅誠司)が東大の学長になった高度成長期あたりからじゃないですか。その前は、東大法学部の役人になる人たちが秀才のトップだった。

池澤:それも、科学より工学ですよね。

奥本:そうです。

池澤:具体的に、その応用が利につながる科学と技術が一番優先されて、国同士、会社同士で競い合って、いろんなものが発明され、便利にはなった。しかし、便利以上の価値を生み出してないと思うんだけど。

奥本:今4G、5Gというものが、ものすごい競争になっていたり、ファイナルカウントダウンが始まっているような、世界の終わりが近づいているような気がするんですけど、みなさんは感じませんか?「チチチチ、チチチチ」って。

池澤:僕らはいいけど、若い人たちは。

奥本:導火線に火が点いているような気がして、心配です。

河野:理科・文科って、そんなにくっきり分けられるような話でもないんだけれど、ひとつには、さっきおっしゃってた産業にとって有用だということで、科学技術とか、そっちにみんなが向かっていったのでしょうか。

奥本:政治家の蓮舫さんの質問で、「2番じゃだめなんですか」っていうのがありましたね。

河野:はい。

奥本:2番じゃだめなんです、特許取れないから。

河野:そういう部分もあると思うんですが、さっきおっしゃっていたように、文学するか、科学するかということがそんなにくっきり分かれてなかったのに、どんどん文明が発達していく中で、普段の暮らしで感じる「なんでこれがこう、動くんだろう?」とか、「なんでこれがこういうふうになっちゃうんだろう?」という普通の「ハテナ?」が失われていったような気がします。

奥本:子どもの場合は、それをずーっと持ち続けてほしいですよね。だけど、そんな悠長なこと言っていられない時代になってきた。

河野:『ロウソクの科学』じゃないですけど、ロウソクの火を見るとか、なんでロウソクの火が灯るのかとか、そういうこと考えたり、しゃべったりする時間がなくなっていますね。

奥本:家の中に燃えている火がないですもん。

河野:それはそうですね。IHの時代ですから。

奥本:この間、ロウソク点けようとしたら、誰もライター持ってないし、たばこを吸ってないし、火が点けられなかったですね。

河野:というふうになって、ますます理科的なことを考えたりする時間が少なくなっているなぁということはありますよね。

池澤:体感で感じることがなくなっている。今のロウソクがいい例だけど、僕ら子どもの時、戦後すぐで、電熱器ってものがあったんです。陶製の電熱器。

奥本:ニクロム線の電熱器でしょ。

池澤:そうです。陶器の板に、グルグルグルっと溝が掘ってあって、その中に、ニクロム線という、ニッケルとクロームの合金で作った電線がコイル状になっているのを埋め込むんですよね。そこに電気を通すと、それが赤くなって、お湯が沸かせる。赤くなって、手をかざすと、温かさが感じられる。だから、これは熱い。つまり、火と同じなんだと。電気を通すと、火と同じ効果があるんだということがすぐわかる。触ったら、本当やけどしますから。

でも、電子レンジじゃ、それがわからない。全然わからない。高周波の電波が水の分子を、という言葉の説明はあるけれども、体感できないんですよ。そうやって、周囲のものがブラックボックスになっていって、入口と出口しかわからず、途中が見えなくなっている。これからAIの時代になったら、もっとわかんなくなる。

奥本:わかんないですね。

池澤:理科的な世界がだんだん遠くなっていったんじゃないかなって気がするのね。

河野:ところでブラックホールっておわかりになります?

奥本:(笑)

河野:「そういうものがある」とか、「重力波を発見した」とか、聞いてもちょっとわかんない。ビッグバンの話など、そういうとてつもない大きな話があるじゃないですか。頭が追いついていかないような世界の話があって、それを考えるのも理科の人だと思うと。

奥本:でも、説明されれば、わかるようにはなっているんじゃないですか。なんでもかんでも吸い込まれていく、光さえ吸い込まれていくから、真っ黒けの世界、とかね。その程度のことなんですよ。

河野:それ、すごく文学者っぽい説明ですよね。

奥本:そうですか(笑)。すいません。

河野:それが間違っているとかではなく、そういう説明をすると、それこそファーブルのように、科学っぽくないということで、不真面目だと言われそうな気がしますよね。

池澤:その種の、本当の先端の科学、天文学の場合は、それでいいんです。つまり、具体的な観測結果をもらって計算したって、自分たちには理解できないことなんだから。ただ、イメージとして、どういうふうに考えればいいかということですよね。

非常に密度の高い星があったとして、密度があまりにも高くて、豆粒1つで地球の重さと同じくらいの密度になったとしたら、その重力っていうのは、本当に強いから、光さえ、そこから外に出られなくなってる。出られないってことは、外から見たら、真っ暗。しかし、強烈な重力はあるから、質量に応じて、周りの空間を歪める。その歪みが重力レンズになって、向こうから来る光が別の所にずれて見えたりする。というようなことを、言葉で説明していく。それでいいんだと思うんですよ。それは、ちょっと頭がクラクラするような話だけど、そのクラクラ感は悪いもんじゃない(笑)。

奥本:だから、最近の「ヒッグス粒子」とか、「ダークマター」とか、亡くなられた海部さん(海部宣男)の晩年はおもしろいことばっかりだったと思うんですよ。そういういいものを見て亡くなられたような気がする。

池澤:「ダークマター」は、宇宙には見えているものよりも見えていないもののほうがずっと量が多いっていうのは本当に不思議です。

奥本:ええ。

河野:「ダークマター」、池澤さんから説明していただけます?

池澤:宇宙全体の質量と、その他全部を計算していくと、見えてるものだけで説明しきれないんです。つまり、まったくとらえようのない質量がものすごくたくさんあるに違いない。でも今のところ、それは捕まえようがない。普通の物理現象に絡んでこない。しかし、ないとすると、説明がつかないから、あることにして、それに「ダークマター」って名前をつける。そういう一種の帳尻合わせなんだけど、しかし、それが間違ってないとしたら、「ダークマター」はあるはずでしょう、というような話(笑)。

河野:逆にそこらへんまで行くと、仮説の立て方とか、こうであるはずだっていう説明は、さっき言ってた文科と理科がパーッと分かれていたものが、ある意味、近づくという気がしなくもないですね。ただ、日常は、さっき池澤さんがおっしゃったように、まったくその接点がなくなって、科学に触れる機会が暮らしの中から消えています。

池澤:でも、夜空を見て、「星がたくさんあるなぁ、あれが本当はものすごく遠いんだぞ」というふうな感慨を持つことはできる。

今、海部宣男さんの名前が出たけど、海部さんは最先端の天文学をやってらして、ハワイにある「すばる(すばる望遠鏡)」という大きな工学望遠鏡の隊長でした。その一方で、星に関わる日本の古典みたいな大変に文学的なエッセイをお書きになった。この間、海部さんと東大で同期だったという数学者の先生と話してて、「亡くなっちゃいましたね、海部さん」って言ったら、「あの人は、東大で科学の基礎をやってる時、一方でダンテ読んでたんだよ」って。やっぱりそういうことなんだなという印象の人でしたね。

僕は、海部さんとは仲がよかった。ハワイの「すばる」は、日本が初めて海外に作った大きな研究室だったんです。

河野:ハワイ島ですよね。

池澤:そうです。マウナケアの上のほうですね。海部さんが、「見に来ませんか」って言うから、「あぁ、行きます」って行った。自らご案内してくださって、「すばる」を見学したんですよね。そんなこともあったし、実を言えば、この『科学する心』っていう本は、連載してる途中から、一番読んでほしいと思っていたのは海部さんだったんです。

ところが、去年の11月くらいから、なかなか深刻ながんであるということが伝わってきて、その時は、あと2か月って話だったのかな。それで、「あぁ、悲しいなぁ」って思っていたら、比較的安定した時期が続いているということで、『科学する心』をまとめている途中のゲラの段階でお送りしたの。

そうしたら、奥様から電話があって、1章ごとにホチキスで止めたゲラを、「ゆっくり楽しそうに読んでます」と言われて、「あぁ、よかったなぁ」と思った。海部さんご自身とも話しができたし、なんかこう、間に合ったっていう感じ。

亡くなる前に本になったものもお送りできた。だから、奥様の重美さんの話では、「たぶん、最後に読んだまとまった本だったと思います」ということでした。なんか、少し悲しいながらもホッとしたところがある、そういうことも関わった本でした。

河野:海部さんのことで言うと、ダーウィンの講座で、海部さんの息子さんの海部陽介さんに、講師としてお話しいただくんです。海部陽介さんは、日本人がどこから来たんだろうということを、身をもって実験的に証明しようとしている。おそらくは、日本人っていうのは、台湾から海を渡って、沖縄の島を目指したはずだと。それで、その当時、どうやって船を作って、その海の向こうの沖縄目指したかというのを実証実験しようとしていて、これまでは失敗してます。(※201977日から79日にかけて、台湾東部から沖縄・与那国島へ丸木舟を使い、約200キロの航海に成功しました。)

また今度、夏にそれを挑戦しようとされていて、それが終わったあたりで、「ダーウィンの贈りものI」の講座に来ていただこうと思っているんですけれども、父親がそうやって空を見て天文をやっていた人で、息子さんが違う形で、海の向こうを見ながらホモサピエンスについて考えている。

奥本:与那国から、葦の船で漕いでいくという実験ですか。

池澤:台湾から与那国までを試みて、それはだめだった。他の材料でやってもだめで、今度は木で試してみるそうです。

奥本:あぁ、それは見ました。

池澤:やっぱり、黒潮超えるのが大変なんですよ。

河野:みたいですね。

池澤:海部陽介さんは、国立科学博物館で自然人類学が専門かな。

奥本:はぁ。

池澤:人の起源ですよね。僕は一度、彼の本の帯文を書いたことがあって、そうしたら、お父さんのほうが喜んでくれた(笑)。今年の試みがうまくいくといいですね。非常にむずかしいには違いないから。

河野:お父さんと息子ともになんだか知的エリートの親子鷹みたいに聞こえてしまうかもしれないんだけれども、それ以上に、ワクワクさせてもらうところがありますね。父親が星を見ながらときめいたその心と、息子が海を超えて思いを馳せるというところ。ともにロマンを感じます。

奥本:ノーベル賞貰った人が、子どもの時に夢中になるのは、天文学か昆虫採集なんです。

河野:そうなんですか?

奥本:その2つが多いんです。それに夢中になって、小学生時代、中学生時代を過ごした人が、その学問に対する情熱をずっと持てるんですけど、今は、なかなかそういうことができなくなっている。我々が子どもの標本教室や採集会を開いても、「子どもが行きたがるから、誘わないでください」なんて言われちゃうんですね。ものすごく受験勉強してますが、その受験勉強の内容について言うと、ひっかけの問題が多いですね。こんなところでひっかけなくても、もっと素直に出せばいいのにと思うんだけれど、それじゃ差がつかない。そういう受験をやるもんですから、楽しくない。それで受験シーズンが終わると、マンションのゴミ捨て場に、教科書や参考書を縛って、全部捨ててあります、憎悪を込めて。

河野:わがマンションもそうですね(笑)。あー、さっぱりしたという感じ。

奥本:という感じがしますね。せっかく自分の時間かけて読んだ教科書を、国語の教科書であれ、算数の教科書であれ、取っておけばいいように思うんです。そういう学問を愛する気持ちって、やっぱりそういうところから育ってほしいんですけど、そうはいかないみたいですね。

河野:でも、奥本さんの、「虫の詩人の館」に来てる親子連れや子どもたちがすごくうれしそうに標本を見てるじゃないですか。

奥本:低年齢化してますよ。小さい子ばかり。大きい子はどんどん来なくなってます。

河野:でも、お父さんお母さんは、喜んで手を引きながら来ている印象がありました。

奥本:初めはそうなんですけど、だんだんと子どもがあんまり深入りすると(笑)、迷惑みたいですね。

河野:子どもを交えて、ワークショップみたいなこともなさってらっしゃるわけですよね。

奥本:「あんまり虫が好きになると、あの人みたいになるよ」って、指さされているじゃないかと思うんですけど(笑)。「あんなになっちゃったら大変だ」と。

河野:でも、天文学少年と昆虫少年にノーベル賞受賞者が多いとは初めて聞きました。

奥本:多いです。

河野:それは科学部門の人たちっていうことですか?それとも全般にですか?

奥本:科学部門でしょうね。だけど、ノーベル文学賞を取る人でも、科学に興味の深い人は多いですよね。ただね、あるかなり偉い文芸評論家に、「奥本さん、イモリって、虫ですか」って、真顔で聞かれたことありまして、その人の頭の中は江戸時代なんですね。

奥本:この字(蟲)なんですよ。すべての生き物がこれだった時代。こういう分類が頭の中にあるんですよね、きっと(笑)。

河野:ちょっと説明してください。その蟲は?

奥本:すべての生き物をこう言うんです。

河野:あぁ。

奥本:哺乳類とか、毛のあるものは、「毛蟲類」と言うし、「裸蟲」っていうのは、人間とか毛のない動物のことを言います。で、「虫」という字そのものは、もともとは「チュウ」と読まないんです。「キ」と読むんです。

河野:「キ」?

奥本:「キ」。こんな、手塚治虫みたいな、新石器文化のマムシの象形文字がはじまりです。

河野:はいはいはい。

奥本:これ(蟲)が初めてチュウです。

池澤:3つ並べる。

奥本:そうなんです。3つを並べて。

たとえば、孫悟空の所へ、中国の菩薩がひっとらえに来るんですよね、「お前はもう死んでいるんだ」と。孫悟空が、「そんなはずはない」と、天国へバッと駆け上って見ると、自分の名前が死者の中に入っているんです。それで、筆で塗り潰すんですが、毛蟲という所に孫悟空の名前はあるんですよ。その地獄の名前を消せば、永遠の命が得られるという話ですが(笑)。つまり中国の分類学では、すべての生き物はこれ(蟲)です。たぶん、その文芸評論家の人は、まだ頭の中が江戸時代なんじゃないですかね。

河野:毛蟲、裸蟲以外もあったわけですか?2大分類なんですか?

奥本:いやいや、いやいや。

河野:まだまだいっぱい?

奥本:羽の生えた鳥なんかも、

河野:あぁ、そうか。

奥本:「羽蟲」ですよね。こういうふうに。

池澤:生き物っていうことなんですね。

奥本:そうです。生き物っていうことです。クリーチャー(creature)ですね。

河野:それでも、1つの時は、マムシから来たんですね。

奥本:そうです。これを、このマムシという象形文字、これがこんな字(蟲)になって、「キ」と読んでるということですね。日本人は「ムシ」と読んでますけど。

河野:その3つになったわけは、日本人が3つに重ねていったんですか。

奥本:いいえ、これは中国です。

河野:中国、そうですね。

池澤:木から森ができるようなものですよ、まず林になって。つまり、読みが変わって、意味も変わるでしょ?

河野:なるほど。そういうことですね。

奥本:そういう文科系としては大変偉い人なんだけど、非常にとんちんかんな人ってたまにいますよね。植物の名称について、非常に詳しくて、「漢字ではこうなる、ラテン語ではこうなる」って、一生懸命やっているんだけど、「実物には私は興味がない」っていう人もいます。「見る気もない」って。ちょっと図鑑を見れば、すぐに氷解するようなことを、ちっとも調べようとしない人がいます。手触りも何も大事にしない人ね。形骸化した知識(笑)。それは、文科系の中にいる欠陥人間ですよね。理系でも、もちろん同じような欠陥のある人はいますよね。

池澤:晴れて気持ちのいい日に、山の中を歩いていて、周りに様々なものがあって、それはみんな美しく見えて、風も心地よくて、鳥の声が聞こえて、あるいは、虫の鳴き声が聞こえて、そういう中で、ここにいる自分であるなぁという、そういうコレスポンデンスな感じに自然を捉える。

奥本:それが詩人というものですよね、哲学者でもあり、詩人でもある。

池澤:まずそこから始まって、具体的にそれぞれ、「じゃあ、この声は、何の鳥だろう?」というあたりから深く入っていけば、それは自然科学でしょう?

奥本:そこから分類が始まりますからね。具体識別もあるし。だけど、まったくそういうことに興味がなくて、知識だけある人って不思議ですよね。

池澤:結局、訓詁学みたいなもんでしょう?

奥本:そうですね、訓詁。書中です。

河野:でも、奥本さんのファーブルの本を読んで、それがとてもおもしろいっていう読者は少なからずいるわけです。

奥本:はい。

河野:それがどんどん減っているとも思えないし。

奥本:減ってるんじゃないでしょうか。

たとえば、ネットで引いたら終わりっていう時代が来てますよね。スーッとどこかで素通りする。それで、電源切ればおしまい、みたいな。電源を入れれば、いつでもネットで知識は手に入るし、知識を手に入れるために苦労するっていうのは馬鹿馬鹿しいと。キーボードを押せば出てくるという感覚が、僕らの時代はまだましでも、パソコンの普及で。初めからあれがある子どもたちっていうのはどうなっていくのか。

河野:でも、奥本さんは、そういう子どもたちを前に、『昆虫記』に書かれているような虫との接し方とか、そのおもしろさを伝えようとされますよね。

奥本:そこに興味をもつ子どもはいると思うから、

河野:一生懸命話すわけですよね。

奥本:一生懸命話しますけど(笑)、うーん、どうでしょうね。

池澤:詳しくなくても、自然というものがあって、それが自分を取り巻いてるんだという図が感覚的にあって、その上で、その中のパートパートについては知識があると。最初の段階では、この虫についての知識のパートパート、その1つ1つはそれだけでしかないけれど、やがてそれ全体が知のネットワークになって、全体像を作っていく。最初は粗いけど、だんだんと詳しく、細かくなっていく。そうやって、我々は、自然というものをパートに分けると同時に、もう一遍統合して、世界観を作っていくわけでしょ。最初からパートしかなかったら、それはバラバラでしかなくて身に着かない。ものの考え方、感じ方につながってこない。たしかにだんだんそうなっていますね。

奥本:たとえば、自分は何種類の鳥を知っているとか、数を競いますね、漢字検定みたいに。そうじゃなくて、知識を楽しむということが大事なんじゃないですかね。

河野:知識を楽しむということを、子どもたちに分かるようにお話してください。

奥本:たとえば、標本のチョウチョ何種類、自分は名前を挙げることができるとか、どことどこが違うんだっていうような表面的な知識をバーッと列挙して、誇ろうとする子どももやっぱりいますよね。そうじゃなくて、誰も見てない所でも、自分でそのチョウを楽しむ、鳥を楽しむっていうことができればいいんじゃないでしょうか。

河野:そのチョウを楽しむって、僕もよくわかんないところあるんですけど、どういう楽しみ方ですか。

奥本:幸福になることですよね、チョウを見て(笑)。

河野:奥本さんは、そこに至福の時があるわけですよね。

奥本:そうですよね。

池澤:やっぱり、きれいだし、かわいいですよ。

奥本:そう。

池澤:僕はもうほとんどフィールドへ出なくなっちゃったけど、沖縄にいた頃、周辺にはチョウも鳥もいろいろいたし、やっぱり見つけたらうれしかったな。

奥本:でも、そうでない人っていうのは、たとえば、自分は何種類のチョウチョを知ってるということを人に褒められたい、誇りたいっということがあって、虚栄心という気がする時がある。誰もいなくても、自分はそのチョウを見て、楽しむことができるし、幸福な気持ちになることができれば、そのほうがいいじゃないですか。

池澤:だから、散歩していて、オオマダラとか、スジグロカバマダラとか、どこでもいるものでも、目の前をヒラヒラ飛んでくれたら、とてもうれしい。オオマダラは、たしか白地に黒い筋ですよね。あれ、なぜか沖縄で、「新聞蝶」っていうんですよ。

奥本:そうですか。

池澤:新聞ちぎったみたいだから。それも、「琉球新報じゃなくて、沖縄タイムスのほうだ」って言う人がいて。そんなはずはないと思うんだけど、ともかく出会うとうれしいものですよね。

奥本:「虹を見れば、我が心躍る」っていう詩があるじゃないですか。「MY heart leaps up when I behold. A rainbow in the sky」ああいう楽しみ方じゃないんですか。誰も見てなくても、虹と自分があって、それで幸せっていう。何の役にも立たないですけどね。

池澤:そこでは自分と自然が1対1で向き合っている。しかもそれで充足している。

奥本:そうです。

池澤:孤独なんだけど、それは、ロンリネスじゃなくて、ソリチュードのほうである。それが自然観の最初だと思うんですよ。自分と、目の前の海とか空とかチョウチョとか。それを欠いたまま、人間社会の中で、輪になって内側を向いて、互いの顔しか見てないようになってきいる。振り返れば、そこは自然なんだけど、誰も振り返らないっていう流れがインターネットでいよいよ強調されて、生きている実感がどんどん空疎になっているような気がしますね。

河野:チョウチョが飛んでいることが目に入れば、池澤さんが言ったように、「かわいらしい」とかっていう気持ちが湧いてくるのかもしれない。

奥本:他のものが目に入らなくなってる。

河野:目に入らなくなってるってことでしょ?

奥本:そうですね。

河野:きれいな花が咲いていても、それが目に入らない。

奥本:「え?そんなのいた?」って。

河野:そう、虹はかかっているけど、

奥本:なにも見ないと。

河野:目的地に急いで歩いていたら、かかっている虹が見えなかったとか、さみしいですね。たぶんチョウチョを見つけられれば、見た人は、「あ、かわいい」とか、「あ、おもしろいな」とか、感じるのかもしれない。

奥本:「花が咲いてた」とか。

河野:「花が咲いてた」とか。大切なのはそこでしょうね。

奥本:それがあれば、他のものは要らないというか、人の称賛は要らない。

池澤:また昭和天皇の話なんだけど、子どもの頃、彼が作った標本がありまして、それは、いわゆる押し葉、腊葉標本なんですが、その周りにチョウの標本が貼り付けてあるんですよ。たぶん、食草なんだろうと思うんだけど。

奥本:あれは、ヨーロッパの伝統に則っていると思うんですよ。

池澤:あぁ、そうか。

奥本:はい。食草とチョウの標本、その取り合わせですね。博物画がそうじゃありませんか。それを天皇も心得ておられたんじゃないですか。

池澤:子ども心にね。

奥本:うん。

池澤:そうやって、自然を思う常に、彼なりの原則で体系化していってる。

奥本:そうそうそう。

池澤:すごいもんだと。思いついたのならすごいし、知っていたのなら、エコロジーの基本原理であるから、それもまたすごいと思う。

河野:さっきおっしゃった「楽しむ」っていうところに向けて、何が今できるでしょうか?そういう「楽しむ」きっかけを見つけるにはどうすればよいのでしょう。

奥本:1人で、昆虫採集しに行って、虫を取って、標本を作って、あるいは、絵に描いてみて、それで1人きりで楽しむのがいいんじゃないでしょうかね。

河野:虫は結構ハードル高いと思うんですよ。もうちょっと手前にないですかね。

奥本:ハードル下げるんですか?

河野:虫って、わざわざ探しに行かないと、なかなか見つけるのは大変ですよね。

奥本:虫は、普通の生活してれば、いくらでもいるんですよね、本当は。だけど、清潔過ぎの生活してるでしょ?とにかく草が生えてくると、全部草刈り機でジャーンって切っちゃうし、田んぼの畔にさえ、今は雑草も生えてない。それはやっぱり変ですよ。

池澤:僕は今、札幌の町中に住んでいて、街路樹はあるし、雪が降るのも自然だけど、やっぱり自然は遠くなったと思うんですね。沖縄の田舎にいた時が一番フィールドが近くて、鳥も何種類もいて、うちのベランダで子を孵したのもいたし、虫も湧いて出る。出るのはいい虫ばかりじゃなくて、ある時ヤスデが大量発生してたんですが、あれ、臭うんですよ。大量発生っていうのは、膨大な数出てくるんです。山の中で大量発生すると、汽車の線路を覆って汽車が滑って走れなくなるというくらいの数です。ある時期はうちのまわりでも多かったんで、毎朝掃き集めて、空き地に捨てに行く。そういうことも含めて、外へ出るたびに何かがあっておもしろかった。

だから、ずっと沖縄の田舎にいれば、まだまだ科学エッセイ、現場編が書けたと思うんだけど、その後僕は引っ越してしまった。場所によって、それから、自分の暮らす自然によって、特に虫だけと言わなくても、周りにあるものみんな見ていくと、それは、やっぱり楽しいものですけどね。町中だって、奥本さんみたいにやれるわけだから、まず外に出て、キョロキョロすることから始まっていいんじゃないかな。

子どもを一緒に連れてたら、「あ、これがいるよ」って言うし、子どものほうが見つけてきて、「これ、何?」って尋ねられたり。そこから「わかんないから、調べようね」っていうふうに話が広がっていくと思うんだけど、でも、それは、1人1人の心の姿勢ですからね。どう言ったって、知らない人には通じない。そういう人はだんだん少数派になってきますよね。それは仕方がない。

奥本:子どもには、子どもの頃のものを見る目と、それを表現する言葉を忘れてほしくないですね。

河野:はい。言葉については、奥本さんも、『ファーブル昆虫記』をお訳しになったりとか、そういうことがまさに言葉を豊かにするための大きな貢献だと思います。池澤さんの今度のエッセイの中には、たとえば料理のお話を書いておられて、料理というのも、言ってみると、非常に科学につながる仕事ですよね。

池澤:そう、あれは基本的には、物理学と化学となどなどですからね。一番簡単な例でよく言うのは、熱伝導の話なんです。ローストビーフを作る。ビーフの塊を買ってきて、室温に戻して、塩胡椒をすり込んで、場合によっては、外側だけちょっとフライパンで炙って固めて、あとは、オーブンに入れて、温度設定をして待つ。で、そのうちに、外側の熱がだんだん中へ中へ沁み通っていく。単純な熱伝導です。そして中心の部分が60℃くらいまでになったら出来上がり。今、針みたいになった、中へ突き刺す形の温度計があるから、それを使えば、誰でも間違いなくおいしいローストビーフが作れる。それだけのことでしょ?

オムレツを作るんだったら、卵を溶いて、フライパンにバターを溶かして、相当熱くしてから流し込んで、混ぜて、それからこう畳みながら、一番いいところまで来たら、パッと皿に移す。つまり、硬くなりすぎる前に。これはたんぱく質の熱変性です。という言葉を使えば科学的だけど、上手な主婦たちはみんなやってること。

一事が万事そんなもんで、科学的に説明はできますよ。その先で、たぶん、「おいしい・まずい」ができてくるんだから(笑)。でも、料理そのものは、それだけのことだと。

科学の目で見て、合理的にということはたしかにある。昔、麺類を茹でるのに、「びっくり水」を用意しましたよね。

奥本:あったかな。

池澤:あったでしょう?そういう言葉が。「あらかじめびっくり水を用意します」って言ったら、お店に買いに行っちゃった人がいたっていうんだけど。なんであんなもの用意するかというと、火加減が細かくできなかったから、沸騰直前に注すために置いておくわけです。それだけのことなんですよ。

河野:本当に目を向ければ、いろいろおもしろいことって、身の周りにあるんだけれど、それが視界に入ってこなかったりするので、気づきのきっかけがあるといいですね。

奥本:うん、見過ごすことはもったいない。それと子どもの場合、ある年齢までに、そういう「感じる」っていうことがないと、感受性の回路が閉じちゃうんじゃないでしょうか。

河野:うんうん。

奥本:それは、たとえば、五感とか、味覚とか、音感とか、それから、人間関係の感覚も。だから、その回路が閉じる前に、やっぱり人間らしく、いい感覚持ってほしいなぁと。それには、「昆虫採集しなさい」、「天文を見なさい」と(笑)。

河野:なるほど。ありがとうございました。

池澤:ありがとうございました。 


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受講生の感想

  • 帰り道、自分が子供に戻ったような気分になりました。
    ドキドキ嬉しくて寝付けませんでした。
    好奇心、「まずは外へ出てキョロキョロしてごらん」
    よいですね。

  • たくさんの気づきが与えられましたが中でも、他人に対して「こんなに虫を知っている」というような比較をするのではなく、そのものを自分が慈しんで、自分自身が「楽しむ」ことか大切というお話に、ハッとさせられました。

  • 現代の科学の進歩によって、火は電気に。土はコンクリートに。どんどん、自然から人間の作ったものへと移り変わっていることに想いを馳せました。
    それもまた進化のひとつではないかとも思いました。