橋本治をリシャッフルする。 
第1回 内田樹さん

橋本治の『へんな』本

内田樹さんの

プロフィール

この講座について

思想家・武道家・著述家の内田樹さんが敬愛してやまない橋本治さんについて、ときに愛惜の念を隠すことなく、たっぷりと語ってくださいました。初回授業から熱気を帯びたものとなり、この講座への期待が大きく膨らみました。「橋本治の『へんな』本」と題して行われた授業でしたが、この講義ノートを見直してくださった内田さんは講義ノートに「橋本治の天才性について」とタイトルをつけて戻してくださいました。(講義日:2020年1月22日)

講義ノート

何を話すか決めないで来たんですけど、橋本さんについて、10人の方が10通りの切り口で論じるというので、僕はこの本を選びました。たぶん、ここにいらっしゃる方、どなたも読んでないと思うんです(笑)。『アストロモモンガ』と『恋するももんが』と『シネマほらセット』です。この3つは橋本さんが「本当に売れなかった」と、しみじみ嘆いていた本です。特に『恋するももんが』は、まったく売れなかった。まぁ、売れなくて当然なんですけど。でも、これらの本は思い入れの深い本なんです。私の妻と今から30年ぐらい前に知り合った頃、「僕、橋本治が大好きなんだ」って言ったら、「私も橋本治さんの本、1冊だけ持ってる」って言うから、「何?」って訊いたら、『アストロモモンガ』って(笑)。「この人だったら、やっていけるんじゃないか」と思ったことがありました。

橋本さんというのは、本当に、巨大なスケールの作家であり、思想家であり、実践家であり、イラストレーターであったり、薩摩琵琶の作者であったり、編み物作家であったり、多面的な活動をされてきた方ですから、全体を語り尽くすことは不可能なんです。これからいろいろな方が、それぞれの個人的な記憶や、受けた影響を少しずつ語ってゆくことで、次第に全体像が浮かび上がってくると思います。僕は今日、この本について語るつもりですが、それは同時に橋本さんのスタイルとか、文体についても語ることになると思います。でも、まず最初に、「僕にとっての橋本治さん」という個人的な思い出を語りたいと思います。

2019年1月29日が橋本さんの命日ですから、あと1週間で橋本さんが亡くなって1年になります。橋本さんのお通夜の帰りに、女流義太夫の鶴澤寛也さん、新潮社の足立真穂さんと、今、橋本さんの本を書いていらっしゃる矢内裕子さんと僕の4人で、橋本さんのことを語り合いました。とにかく本当に優しい、度量の大きな方だったというのが4人の共通した印象でした。ですから、橋本さんがいなくなったことの大きさは1年間経ってもまだうまく言葉にできません。だから今日、この機会に、僕にとって橋本さんは何だったのかということを少しだけ言葉にしておこうと思います。

●駒場祭のポスターの衝撃

最初、橋本治という名前を知ったのは、この教室の入り口にも貼ってありました1968年の駒場祭のポスターです。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」という有名なコピーのポスターです。僕はあの実物を見に行ったことがあります。駒場祭に行ったんじゃなくて、駒場祭のポスターを見に(笑)。68年の秋に僕は小田急相模原にいたんです。小田急線に乗って、下北沢で乗り換えて、駒場東大前に行って、「これがあのポスターか」と思ったんです。なんで僕がそんなことを知っていたかというと、その記事が朝日新聞に出ていたんです。「駒場祭にすごいユニークなポスターが出ている」っていう記事を見て、実物のポスターを眺めたんです。でも、そのことを改めて思い出して、ちょっとびっくりしたのは、当時の朝日新聞の取材力がすごかったってことです(笑)。そう思いませんか? だって、無名の学生イラストレーターの駒場祭のポスターを、新聞記事にしたんですからね。

その1年前の67年、僕が生まれて初めて観た芝居というのが唐十郎の状況劇場なんです。「月笛お仙(腰巻お仙)」っていう芝居を新宿花園神社に観に行きました。17歳の高校2年生が、どうして状況劇場の芝居を観に行ったかというと、これも朝日新聞の、たぶん扇田昭彦が書いた劇評を読んだからです。劇評で絶賛されていたので、観に行ったんです。花園神社に行って、赤テントの前で列を作っていたら、「先週も来た」っていう人がいて、その人が「先週はガラガラだったんだぜ。今日こんなに混むのは、朝日新聞のせいだ」って、怒ってました(笑)。すごいですよね。朝日新聞が時代の変化をいち早くとらえていた時代があったんです。もう今の朝日新聞にはそんな取材力も批評性もありません。メディアの劣化は日々みなさん実感してると思うんですけども、それは単に、記者が総理と寿司を食っているとかいうことじゃなくて、実際に取材力が落ちてるってことです。ほんとうに新しい動きが出てきた時に、それを感知するアンテナが、記者にもうない。すでに他のメディアや、ネットで話題になったものを後追いしている。「ニュース」を自分で見つける力がもうない。60年代までの新聞記者たちにはそれがあった。自分で「全く新しいもの」を見つけられるくらいに鋭敏なセンサーを持っていた。そのおかげで、僕は68年の駒場祭のポスターを見ることができた。

その時、橋本さんのポスターを見て、僕はショックを受けました。有名なポスターですから、みなさん図柄はよくご存じだと思います。でも、若い人はこれを見て、「このポスターの、どこがそんなに衝撃的だったの?」と不思議に思うんじゃないでしょうか。「ぜんぜんふつうじゃん」って。あのね、ぜんぜんふつうじゃないんですよ、これ。そのことは1968年の秋の、日本中の大学祭のポスターを並べたらわかります。日本中の大学祭のポスターの中で、駒場祭のこれだけが、ひとつだけ、まったく異質なんです。当時の大学祭のポスターって、60年代の終わりに学生だった人だったらご記憶でしょうけれども、とにかくうるさいくらいにゴテゴテなんです。原色で塗りたくってあって、汚い絵が描いてあって、大学祭のスローガンらしき意味不明の長い文が書いてある。その頃って、大学祭のスローガンって、3行くらいあったんです。だいたいよく意味のわからない抽象的な政治スローガンが大学祭のテーマだった。画数の多い漢字をたくさん使った変な政治ポエムみたいなものです。その中にあって、駒場祭の橋本さんのポスターだけがひときわ異質だった。任俠映画のパロディなんだけど、絵柄はバランスがとれていて、うるさくないんです。静かなんですよ。色使いも3色くらいしか使ってなくて、余白が多いんです。当時の大学祭のポスターにはほとんど余白なんかありません。隙間なく、ベタベタと色が塗り込んであって。僕が受けた衝撃というのはもちろん「なんて過激なポスターなんだろう!」と思ったからなんですけれど、それは世の中が暴力的で、騒々しくて、ヒステリックに沸き立っている時代に、橋本さんの絵と言葉が例外的に優しかったからです。その鮮やかなコントラストに「これ描いた人は凡人ではないな」と思った。

僕は高校2年で学校を中退しているので、68年の秋は何の身分もない無職の中卒少年でした。その時は半年ほど家出していた後に家に戻っていて、親元で飯を食わせてもらっていたんです。高校は辞めてるから行くところもないし、大学行く気はないからすることもない。「これからどうしたらいいんだろう? 何をしたらいいんだろう?」って呆然としていた時でした。暇だったんですね。だから、あのポスターを見に行ったんだと思うんです。「男東大どこへ行く」って。まだ東大行ってないのに(笑)。でも、あのポスターを見た時に、ちょっとだけ心が鎮まった記憶があるんです。「この人は凡庸な人ではないな」と思った。そして、このポスターを採用した駒場祭の実行委員会も、なかなかセンス良いなと思った。たぶん候補作がいっぱいあった中で、橋本さんのを選んで、「これだ」と言った人がいた。もしかしたら、その人も僕と同じような印象を抱いたのかもしれない。その当時の、暴力的で、攻撃的で、断定的な言葉が行き交う時代に、不意に静かで、手触りの優しいものが登場してきた。それが衝撃的だった。「静けさの衝撃」っていうか、「優しさの衝撃」っていうか、何でしょうね。とにかく、僕はそこに優しい手触りを感じた。寛容とか、許しとか、余裕とか、遊びとか、そういうものを。橋本さんはそういうものを差し出すことで時代に抗ったんだと思います。その時に「橋本治」という名前が、18歳の僕の脳裏に刻み込まれた。それから後も、断片的にメディアで橋本さんの名前を見ることがあったんですけど、まともにフォローしてなくて、70年代に橋本さんが何をしていたのか、実はよく知りませんでした。

80年代に入って、しばらくしてから、当時、僕は東海大学でフランス語の非常勤講師をやっていました。その時に、講師控室で、昼休みに下川茂さんという東大の院生だった人が小説を読んでいたんですね。「何読んでるんですか?」って聞いたら、表紙を見せてくれた。『桃尻娘』という本だった。下川さんて真面目な方なんで、そのエロいタイトルにびっくりして、「なんですか? それ」って言ったらね、「これ書いた橋本君って、駒場の時の同級生なんだよ。おもしろい子でね」と笑って教えてくれました。「あの橋本治」が小説を書いていたなんて知らなかったので、すぐに買いました。これがその時買った『桃尻娘』です。もうボロボロですね。奥付見ると、昭和56年の講談社文庫の初版です。僕が下川さんに話を聞いたのが83、4年頃だったと思いますから、その頃にはまだ文庫版の初版が売れ残っていた。たぶん、あまり売れてなかったんでしょうね。

●自分が持っている記憶を「抜く」

『桃尻娘』を読んだ時の衝撃は、忘れられないです。本当に素直に感動しました。「この人は天才だ」って。18歳のときに駒場祭のポスターで「橋本治」という名前を脳裏に刻み込んだ自分の直感は間違ってないと思った。今回の講座のために久しぶりに読み返してみたんですけど、1行として、1語として、無駄な言葉がない。完璧な小説ですよね。『桃尻娘』は短編がいくつか収録されています。登場人物たちは同じですけれど、作品ごとに次々と語り手が変わってゆく。独特の構成なんです。とにかく間然する所がない。驚くべきことですが、デビュー作において、すでに橋本さんは文体も手法も完成している。語り手は次々と変わるんですけど、全員に共通するのが、とにかく饒舌(笑)。饒舌だけじゃない。とにかく、誰もが言葉の選択が適切なんですね。高校生同士の会話なんですけれど、本当の高校生、こんな賢くない! っていうぐらいに……(笑)。なんで、こんなに適切な言葉が次々出てくるんだろう。捨て台詞みたいなやり取りもあったり、いかにも高校生的な定型的な言葉なんですけれど、そのひとつひとつが本当に、見事なほどに完璧に彫琢されている。

ずっと後になって、橋本さんと初めてお会いした時に、「『桃尻娘』って、どうやってお書きになったんですか?」って話をかなり詳しく聞きました。その時のやりとりは『橋本治と内田樹』という、すごい名前の本に収録されています。その時に、橋本さんが「『桃尻娘』は完全に技術で書いた」って言ったので、驚きました。でも、一番びっくりしたのは、語り手に言葉を託すために「自分の記憶を抜いた」っていうことでした。

書いた当時、橋本さんが28歳、主人公の語り手(玲奈ちゃん)が15歳、高校1年っていう設定だったので、年が13違う。ということは、玲奈ちゃんになり切るためには、橋本さんは、玲奈ちゃんが生まれる前の13年分の記憶を全部消さなきゃいけない。橋本さんがリアルタイムで生きて、見てきたものが、玲奈ちゃんにとっては、事実としては知らない、あるいは伝説みたいな形でしか断片的に知られていない。だから、目の前にある現実は同じでも、その厚みや濃淡が違う。三人称で書く場合に、作家は「感情移入」っていうことを当然するわけです。他人になりきって書く。でも、それって、どちらかというと「足し算」をするわけですよね。自分にない思念とか、感情とかを想像的に加算してみる。でも、現に自分が持っている記憶の、ある部分を「抜く」っていう、そういう言い方で自分の作家的創造について語った人って、僕は橋本さんしか知らない。自分の存在をかたちづくっている記憶の一部を「なかったことにする」って、すごいことですよ。

これも80年代の話ですが、大瀧詠一さんという僕の敬愛する音楽家がいますけれど、大瀧さんがピーター・バラカンさんとFMヨコハマでリバプールサウンズの特集やったことがありました。その時に、若い中学生か高校生ぐらいから葉書が来て、「ビートルズってすごく衝撃的だったって言われてるけれど、いま聴くと、別にどうってことないじゃないですか。髪だって、そんなに長くないし」って。その時に大瀧さんがいささか気色ばんで「後から、歴史を見ちゃいけないよ」って言ったんです。「ビートルズがいたから、それから後の音楽ができたんだし、あの時のビートルズの髪の毛は当時としては十分に長かったの!」って(笑)。1962年まで歴史を遡って、62年から後に起きたこと、ビートルズが次々ヒット曲を飛ばして、世界中の音楽に影響を与えて、若者たちのライフスタイルや価値観を変えた……という歴史的事実をいったん「なかったこと」にしないと、62年のある日、ラジオから『抱きしめたい』が流れてきた時の衝撃はわからない。でも、その時の衝撃を想像的にでも追体験しないと、ビートルズの音楽の真価はわからない。

後からですけれど、この大瀧さんの話は橋本さんの言ってることとよく似てるなと思いました。天才は同じようなことを考えるんですよね。62年から後に音楽シーンで起きたことをいったん「なかったこと」にしないと、62年のビートルズ登場の衝撃はわからない。橋本さんは玲奈ちゃんから見える世界の鮮度を再現するために、自分が生まれてから13年分の記憶を抜いて、想像的に1961年生まれになってみた。橋本さんはそういうことができる人だった。たぶん大瀧さんも、そういうことができる人だった。これが橋本さんの例外的な天才性だと思います。

それから後に「昭和三部作」とか、過去を舞台にした小説を橋本さんはたくさん書かれていますけど、そこでもたぶんしていることは同じだと思うんです。過去のある時点を舞台にした時には「それから後に起きたこと」を、書いてる橋本さん自身は自分の記憶から「抜いて」いる。抜かないと、その時代のリアルに戻れないから。今から先に何が起きるかわからない「未来は霧の中」という感じが再現できないから。そして、たしかに僕たちにとって目の前の現実の現実性を構成している最大のファクターって、「次の瞬間何が起きるかわからない」ということなんですよね。現実の現実性を構成しているのは、未来の未知性なんです。「もう起きてしまったこと」なんかどうでもいいんです。それはもう現実になってるんだから、変化しないし、動かないから。でも、「これから起きること」は目の前の現実の意味を一変させるかも知れない。だから、僕たちが現実を見つめているときに、最大の集中力を向けているのは「これから起きること」に対してなんです。「何が起きるかわからない」という未来の未知性、未来の開放性が僕たちが現実を見ているときに、現実の表情とか手触りに最も決定的に関与しているファクターなんです。そして、橋本さんはそのことが直感的にわかっていた。

『桃尻娘』を読んで、とにかく僕は衝撃を受けました。駒場祭のポスターの時に受けた衝撃と、『桃尻娘』の衝撃って、よく似てるんです。とにかくユニークな、まったくオリジナルな、唯一無二のクリエイターが登場してきた。そして、作品も手法も、デビュー時点ですでに完成している。語り手がどんどん変わってゆくという構成は続編の『その後の仁義なき桃尻娘』でも同じで、こちらには滝上圭介君という男の子が語り手になる『大学番外地 唐獅子南瓜』という短編がありますけど、これがすごいんです。さっきも言ったように、他の主人公たちはみんな饒舌なんだけど、滝上君は、あまり頭の回転がよくない(笑)。語彙が貧しい。だから、すぐに言葉に詰まっちゃう。でも、誠実な人なんですよね。だから、言葉に詰まっても、出来合いのストックフレーズに落としこんで小器用にまとめるということはしない。何か言いかけて止まってしまうという、言語活動の不能そのものを言語化してしまう。自分が本当に言いたいことは何なのかわからなくなると、立ち止まって、「……」になるんですよ。この「……」が、すごいんですよ、とにかく。ぱらりと頁を開くと見開き2ページぜんぶ「……」なんていうのがあるんですから。一番長いところでは3ページ、めくってもめくっても「……」が続く。たまに二言三言言葉が出てきても、また詰まって「……」になる。何か言いかけて、言葉が喉元まで出かけているけれど、言葉にならないもどかしさって、僕らにとっては日常的な経験ですよね。でも、これを作品化した人は日本文学史上橋本治を以て嚆矢とするわけです。この豪胆さには本当に感動しましたね。それを載せた編集者もすごいし、単行本にした出版社もすごい。

橋本さんに伺ったら、オリジナルと、雑誌と単行本と、文庫版とでは、「……」の数も行数も、全部変えたそうです。ページを開いた時の視覚的な「効果」を考えて変えたって教えてくれました。僕は「あれはすごいですね。あれは、世界文学史上例を見ない前代未聞の文学的冒険だと思います」って、僕は目を輝かせて申し上げたんですね。橋本さん、まんざらでもない感じでした。「そう?」って(笑)。

●文体などを真似て、自由になった

『桃尻娘』を読んでから後は、もう手に入る限りの橋本さんの本を読みました。「この人と同時代に生きることができて、新作が出る度に読めるのって、本当に幸運なことだ」と思っていました。橋本さんの本を読んでいると、それだけで幸せになれた。だけど、追いつけないんですよ。橋本さん、書いて、書いて、書きまくるものですからね。橋本さんが亡くなった時に「一体、僕は橋本さんの本を何冊持ってるんだろう?」と思って、本棚にある本を数えたら125冊ありました。それでも橋本さんの全作品の半分にも及ばない。僕は『窯変 源氏物語』は最初の方だけしか読んでませんし、『双調 平家物語』も最初の2巻くらいしか読んでない。追いつかないんですよ。でも、そのおかげで、橋本さんの「新作」はもう出ませんけれど、これから読むことができる「未読」の本が200冊近くまだ残っている。これは僕にとってはうれしいことです。

僕にとって個人的に印象深いのは、ちくまプリマー新書という、筑摩書房が出した中高生向けの新書に書いたことです。この新書は橋本さんが筑摩書房の吉崎宏人さんという編集者と一緒に企画したものです。だから、新書の1冊目が、橋本さんの『ちゃんと話すための敬語の本』。中高校生に対して、敬語というのはどういうものか、どうやって使うものかを噛んで含めるように説明したものです。橋本さんはこういうものを書かせると、本当にうまいんですよ。「説明」が天才的にうまい人なんです。で、僕がその新書シリーズの2冊目だったんです。教育論の本を書いてくれって吉崎さんに頼まれて、『先生はえらい』というタイトルの本を書くことになった。せっかく橋本さんに続いて出すなら、新書の性格にある程度の共通性がある方がいいと思って、「橋本さんが書いたものを見せてください」とお願いしました。まだ本が出る前なので、橋本さんの原稿のハードコピーを頂いた。ご存じの方も多いと思いますけれど、橋本さんって、なんとも味のある、やわらかい字を書かれるんですよ。橋本さんは結局最後まで、キーボード叩いて原稿を書くってことをされなくて、すべて万年筆で原稿用紙に書かれたわけですよね。そういう書き方をする最後の作家だったかも知れないです。その橋本さんの手書き原稿のハードコピーを横に置いて、「臨書」するような感じで僕は『先生はえらい』の原稿を書きました。ですから、あの本は、読んだ方は気づかなかったかも知れませんが、橋本さんの文体と説明の仕方を模倣しているんです。意識的に「果たして僕は橋本治みたいに書くことができるだろうか?」と考えて。せっかく新書の1番2番という続き番号を頂いたんですから、これもご縁ですから、自分がどれぐらい橋本治的に書けるか、実験してみようと思って書いた。だから、『先生はえらい』で、僕は文体もロジックも話の進め方も、ずいぶん変化したと思います。子どもの頃から、北杜夫とか、吉本隆明とか、廣松渉とか……、あるいは椎名誠とか、いろんな人から文体の影響を受けてきたわけですけど、この時に橋本さんの文体を意識的に模倣したことでそれから後の文体がずいぶん変わったと思います。すごく自由になった。橋本さんの隣のポジションで新書を書いたことは、僕にとって、本当に大きな経験だったと思います。

はじめて橋本さんとお会いしたのは、このちくまプリマー新書の刊行を記念するためのものでした。新書の1番を書いた橋本さんと、2番を書いた僕が対談をすることになった。御茶ノ水の山の上ホテルで橋本さんとはじめてお目にかかった。68年の駒場祭ポスター以来のファンでしたから、こちらは40年来のアイドルとお会いするわけです。僕はめちゃくちゃ緊張しました。橋本さんて、対談相手が気に入らないと帰っちゃうって聞いておりましたから。ある女性社会学者と対談した時に(笑)、対談が始まる前に5分ぐらい雑談をしたら、橋本さんがスッと立ち上がって部屋から出ていった。編集者は「煙草でも吸いに行ったのかな?」と思っていたら、そのままお家へ帰ってしまっていた。「どうして帰っちゃったんですか?」と僕がその時に聞いたら、「私の知らないことを話すから」って(笑)。「私が知らないことを、なんか知ってて当たり前みたいな感じで喋ったんで、『あ、この人とは共通の言語がないわ』と思って」帰ったそうです。

僕も学者だというので、橋本さんは若干警戒されていたみたいです。僕と会う前に、橋本さんは僕の本を一冊しか読んでいなかったそうです。平川克美君との往復書簡集の『東京ファイティングキッズ』です。それだけ読んできた。橋本さんも僕らとほぼ同時代の東京生まれですから、見てきたこと、経験してきたことはだいたい同じだろうというくらいの予備知識で対談をしたわけです。「新書の番号が並びだから対談するけれど、つまんないやつだったら、面倒だな……」というくらいの、あまり期待なく僕と会ったんだと思います。

橋本さんと話すのって、ほんとたいへんでしたよ! だって、橋本さんて、ある領域ではめちゃくちゃ知識が深いけれど、ある領域にはまったく興味がないから。知識も興味もまだら模様になっていて、どうなっているのかわからないんですよ。あることに関して日本で一番詳しいぐらい知識を持ってるから、そのすぐ近辺のことは当然知ってると思って話題を振ると「読んでない。知らない」とか平気で言うわけです。いったいこの人の知識の地図はどうなってるんだろうって、最後までドキドキしながら対談をしました。その対談本が文庫化されたときに、久しぶりに読み返してみたら、なんか偉大なアーティストにファンクラブの人がインタビューしてるみたいでした(笑)。僕はずっともみ手して、「いや~、橋本先生は偉大ですな」みたいなことばかり言っていて。

それからしばらくして、『私家版・ユダヤ文化論』という本で小林秀雄賞を頂くことになりました。審査員が、養老孟司、橋本治、加藤典洋、関川夏央、堀江敏幸という顔ぶれでした。堀江さんとは面識がなかったんですけれど、養老、橋本、加藤、関川の4人はよく存じ上げている方々でした。尊敬する方々に選んで頂いたことはたいへん嬉しかった。授賞式では、ふつうは養老先生が受賞理由や選考過程をお話しされるんですけど、その時は養老先生がほかにご用事があって式に出られず、橋本さんが選考委員を代表して受賞理由を説明してくれました。「内田さんのこの本は……」と語ってくださったわけです。僕は同じ舞台に立って、橋本さんの横で拝聴しておりましたけど、あまりに感動したので、橋本さんが何を話したのか全然覚えてない(笑)。とにかく、ずいぶん褒めてくださった。橋本さんのスピーチの後に、受賞者からも一言と言われて、「ジョン・レノンが、デモテープを送った自作の曲のコード進行について説明してくれるのを、横で聞いてるアマチュアバンドのギタリストみたいな気持ちです」って言ったことを覚えています。とにかく「天にも昇るような気持ち」でした。橋本治に物書きとして認知されたわけで、これはほんとうに自信になりました。自分が10代から憧れてきた人に「なかなか良いものを書いたじゃない」って言って頂いたわけですからね。このときは、本当にうれしかったです。

●地雷原を踏破して、可動域を広げてくれた先達たち

でも、それから後は、橋本さんと一緒にお仕事する機会はあんまりなかったんです。いろいろな対談とかコンピレーションの企画があるたびに、「橋本さんのご都合を伺ってください」って出版社に訊いてもらったんですけれど、橋本さんも他の仕事をたくさん抱えていらしてお忙しかったし、途中からは難病に罹ってしまわれたので、ご一緒にお仕事する機会はほとんどありませんでした。ほぼ唯一の例外が、『月刊現代』の仕事でした。僕と関川夏央さんの2人がホストになって、毎回ゲストを呼んでお話を聴くという趣向のもので、その第一回ゲストに「ぜひ」とお願いして、橋本さんにおいで頂きました。時間を忘れるほど愉快な鼎談だったんですけれど、その翌月に『月刊現代』そのものが休刊になってしまって、企画そのものが一回だけで終わってしまいました。次回は池部良さんを呼んでお話を聴くつもりでいたので、ほんとうに残念でした。でも、橋本さんは、ほかの用事ではほとんど外に出られないけれど、小林秀雄賞の授賞式にだけは毎年いらっしゃるので、僕もできるだけ授賞式にゆくようにしていました。養老先生、関川さん、加藤さんには、他の場所でもよくお会いしたんですけれど、橋本さんだけは家からお出にならないので、なかなかお会いする機会がなかった。

橋本さんとお会いした最後も小林秀雄賞の授賞式でした。控室の椅子に座っていらしたので、走り寄って、隣に座って、しばらくおしゃべりしました。「これ、例のベルサーチですか?」と聞いたら、橋本さんがうれしそうに「そうだよ」って、どういう服か説明してくれました。橋本さんは、80年代の終わりぐらいのバブルの頃、ものすごく稼いでいたんですけれど、その時にベルサーチのシーズンの服を全部買ったんだそうです(笑)。たしか1年分全部買うと1400万円で、橋本さんは春と秋の2シーズン分を買ったそうです。コートからジャケットからセーターから、あるだけ買ったそうです。「どういう買い物をする人なんだろう」と思いました。ベルサーチって、バブル時代の物ですから、僕が「これが例のベルサーチですか?」って聞いた時点で20年くらい前の流行り物だったんですけれど、生地や縫製がいいですから、橋本さんが着ると、しゅっとして、とってもお似合いになっていました。

去年は、橋本さんが1月に亡くなって、その後、5月に加藤典洋さんが亡くなって、2人とも1948年生まれ、僕の2学年上なんです。2学年上というと、大瀧詠一さんも、僕の兄貴もそうなんです。2013年に大瀧さんが亡くなり、16年に僕の兄貴が亡くなり、19年に橋本さんと加藤さんが亡くなった。僕の2つ年上の、兄たちの世代の人たちが一斉に退場してしまった。これは大きな喪失でした。この方たちは僕から見ると「先駆者」なんですよね。地雷原に突っ込んでいくパイオニアです。「ふつうはそこまでやらないだろう」ということをやって。そうやって僕たち後続世代に自由に動ける領域を示してくれた。わが身を犠牲にして、ということではないんですけれども、地雷原に突っ込んで行って、後ろを振り返って、「ここまでは来ても大丈夫だよ」って教えてくれた。後から続く人間にとって、こんなにありがたいことってないですよ。「ここまでやっても大丈夫」って教えてもらえるのは。それは勇気を与えるというより、僕たちを怯えとか恐怖心から解放してくれる。「橋本さんはここまでやった。だから、あそこまでやっても大丈夫なんだ」って。

『恋するももんが』なんて、復刊した出版社もすごいし、この企画を持ち込んだ橋本さんもすごいですよね。まったく売れなかったそうですけれど(笑)。だってこれ、架空の高校の文芸部の同人誌っていう設定なんで、手描きなんですよ! 手描きで、しかも橋本さん以外に、いろんな素人の人が勝手なことを書いてる。クオリティも高校の文芸部の出しているものとそれほど変わらないんです(笑)。『アストロモモンガ』はもっとすごい。これを読んだ方って、いったいどれくらいいるんだろう。今日来てらっしゃる方の多くは熱烈な橋本ファンだと思いますけれど、さすがに『アストロモモンガ』までは手を出していないんじゃないかな。じゃ、ちょっと読みますね。「草刈正雄様へ」。『アストロモモンガ』の「まえがき」です。

 日本の皆様こんにちは。私が夫の故国であるこの日本にまいりましてからもう八のツクネリウスの時(旧暦の六年八ヵ月)がたってしまいました。夫と共に日本にやってまいりました当時は、私も占星術を始めるようになるなどとは夢にも思いませんでした。アストロモモンガではそのことを「陸のイノギョルイを見る」と申します。あってはならないことのたとえなのです。
 父の母国でございますフランスにおりました自分は、お友達のマダム・ノストラダムス・ハナコ(この方は有名な大ノストラダムスの血を引く十七代目方で屋号を山城屋とおっしゃいます)、おなじくマドモアゼル・リツコ・アベ(この方は日本の有名な陰陽師でいらっしゃった葛の葉(くずのは)狐の御子息安倍晴明様の三十二代目でいらっしゃいます。屋号は堅気屋、好きな花は紫陽花と三色すみれ、足の文数は十文七分です)とご一緒に「アストロ三人娘」というトリオを組みまして、コメディー・フランセーズ前の通りで手相見をいたしておりました。アベさんが三味線を弾き、私とマダム・ノストラダムスがギターを弾くのでございます。
 マダム・ノストラダムスは非常にしたたかな方でいらっしゃいましたのでボケのパートを、私はまだ若うございましたのでツッコミというような役回りでございました。マドモワゼル・アベはまだお嬢様と申し上げてよいようなお年頃でございましたので、お得意の美声をお聴かせになる。詩人のムシュー・ジアン・コクトーなどは「むべなるかな、むべなるかな、かそけき詩神(ミューズ)の歌声を聴く」などと仰せられて、毎週水曜日にはスカラ座のマチネエのお帰りに必ずお越し遊ばしたのでございます。なんという平和な日々でございましたろう(帰らざる青春の日々に乾杯!)……(『アストロモモンガ』河出書房新社 1992年、5-6頁)

と、こういうのが延々と続くわけです。もちろん全部、噓なんですよ。これ、なんと占星術の本なんですよ。橋本さんが勝手に考えた12の星座があって、その全部について、1年365日、88年から12年分の運命が書いてある(笑)。当時、細木数子の六星占術の本がベストセラーになったのをご記憶でしょうか。たぶん橋本さんはそれが念頭にあったんだと思います。五島勉の『ノストラダムスの大予言』というのもありましたね。99年の7月に、「恐怖の大王」が来臨して地球は滅びるっていう。うちの娘なんか、それを半ば信じていたみたいで。90年代に中高生だった子たちの学力って異常に低いと言われているんですけど、それはノストラダムスのせいだって(笑)。ずいぶん経ってから、娘に聞いたんですけど。中高生の頃、全然勉強しなかったのはノストラダムスの大予言のせいなんだって言うんですよ。「だって、99年の7月に世界滅びるっていわれたら、勉強とかする気になれないじゃない」だって(笑)。そりゃ、そうですわ。ずいぶん罪作りなことをしました。『アストロモモンガ』は細木数子の占星術と『ノストラダムスの大予言』に対するカウンターだったんだと思います。それらしい予言なんか、書こうと思ったらいくらでも書けるということを身を以て証明しようとしたんでしょうね。正面から批判するんじゃなくて、「同じこと」をやってみせる。これはずいぶんと洗練された批評だと思います。でもね、さすがにこれは通読するのは根性が要りますよ(笑)。なにしろ次から次と、湧いて出るように嘘をつき続けるのを読むんですから。文庫は河出書房(単行本はネスコ)から出てるんですが、よく出しましたよね(笑)。

●橋本治の「奇書」3冊

僕がひそかに「橋本治の三大奇書」と命名している3冊があります。『恋するももんが』と『アストロモモンガ』と『シネマほらセット』です。『シネマほらセット』については、僕と橋本さんの対談から引用しますね。

内田 さいきん読んだ中では、『シネマほらセット』。あれは面白かったなー。久しぶりでしたね、あんだけ笑ったのは。
橋本 ああいうものは売れないけれどね、ほんとに。
内田 どうしてなんですかねー。あれは僕、橋本さんの最高傑作のひとつじゃないかと思うんですけど。
橋本 自分ではいちばん面白いですよね(笑)。ああいう自分でいたいし。俺ほんとに何年かにいちど完全にバカになるんですよ。(『橋本治と内田樹』ちくま文庫 2011年、55頁)

こういう本をどうして書くのかについて、橋本さん自身が証言しています。『九十八歳になった私』。これは2046年に98歳になった橋本治老人の日々を綴ったという趣向のものなんです。橋本さんのところに若い娘がやってきて、「橋本治全集を出したいんだけど」っていう提案をしてくるんです。橋本さんが「どの本を出すの?」って聞いたら、「古本屋で探してきた3冊」って言うんです。

 私が驚いて「三冊?」と言うと、メロンの娘は平然と「はい」と言った。
「私の本て、三百冊くらいあるのよ。二百いくつかくらいまでは数えたけど、その先は数えるの面倒になってやめたんだけどさ」と言ったら、メロンの娘は「そうなんですか?」と言った。(中略)
「いいけどさ、三冊じゃ全集とは言わないよ。よほど寡作な作家ならともかくさ」と言ったら、とても悲しそうな顔をしているので、「三冊ってなに?」と言ったら、『アストロモモンガ』と『恋するももんが』と『シネマほらセット』だと言った。
「ずいぶんすごい趣味だね」と言ったら、「はい、好きなんです」と冷静に答えた。(中略)
 私は「いいよ」と言った。「私が未来に於いて、『アストロモモンガ』と『恋するももんが』と『シネマほらセット』の三冊しか世に問わなかった作家になったって、かまやしないのだ」と言った。どうせ忘れられた作家なのだから。
「俺は全然いいけどさ、出しても売れないよ。この三冊は俺の中でも売れなかった本だから。」(『九十八歳になった私』講談社 2018年、文庫57頁)

これを読んで、僕、思わず膝を打ちました。あの橋本治でさえ、この3冊に関しては、「奇書」だと自覚してたんだなって。僕との対談の中ではこんなことをおっしゃってました。

橋本 自分の代表作を三作挙げろって言われたときに、『桃尻娘』と『窯変 源氏物語』と『アストロモモンガ』を挙げることにしてたんですよ。(『橋本治と内田樹』 53頁)

『桃尻娘』と『窯変 源氏物語』は橋本さんの代表作ですから、これはわかります。今後、「橋本治全集」が編まれる時、きっともう計画は進行してると思うんですけども、絶対入りますよね。でも、『アストロモモンガ』は入らない。絶対に入らないのはこの三冊です。でも、他にもありますよ。『デビッド100コラム』とかも入りませんね。『デビッド100コラム』って言っても、意味わからないと思うんですけどね。当時、ショーン・コネリーの「007」シリーズが大ヒットした後、その二番煎じの「0011ナポレオン・ソロ」っていうテレビドラマがありました。近年、「コードネーム U.N.C.L.E.」というタイトルで再映画化されましたが、これが1960年代中頃にすごく人気があった。主演のナポレオン・ソロ役がロバート・ヴォーンで、相棒のイリヤ・クリヤキン役がデヴィッド・マッカラムという英国の俳優でした。こちらの方が人気がありました。『デビッド100コラム』というのは、コラムが100個あるんです。「100コラム」と「マッカラム」の駄洒落なんですけれど、デヴィッド・マッカラムという人の名前を知らなければ、全然意味がわからない。これも、全集には決して入らないでしょう。

その最後の頁に、近刊予告として『ロバート本』って書いてある。『デビッド100コラム』を書いたので、ロバート・ヴォーンの駄洒落で『ロバート本』を書くって、予告しちゃったので、次は『ロバート本』を書くわけです(笑)。書きたいことがあって書いたんじゃなくって、ネタ振ったから伏線を回収しなきゃいけないからって1冊書いた。その話を対談の時に聞いたら、実はもうひとつ裏があって、「あれ、両方とも価格が1100円なの。だから0011なんだよ」って言ってました。そこまで仕掛けてたんですね。そういう悪戯が、橋本さんは本当に好きで好きでしょうがない人でした。

この講座でいろんな方が橋本さんのいろんな本を取り上げると思うんですけど、僕は、たぶん絶対誰も取り上げないこの3冊を取り上げることにしました。『恋するももんが』は、ちょっと音読不能なのでパス。だって、橋本さんが、どこを書いてるかわからないんですから(笑)。『アストロモモンガ』はお手に取って頂くとして。まあ、「呆れる」ということ以外に、特にお願いすることはないですけど(笑)。

●傑作『シネマほらセット』

ということになると、ある程度リーダブルな奇書ということになると『シネマほらセット』ということになります。これはほんとうに面白い本でした。対談で「最近これほど笑ったことはない」と僕は言ってますけれど、これも初版で終わりなんですよね。こんなにおもしろいのに……。奥付を見ると2004年、河出書房新社ですね。河出書房新社って、なかなか偉いですね。三大奇書のうちの2冊を出しているんですから(笑)。で、どんな話かって言うと、これもまあ全部、噓なんですね。『噓つき映画館 シネマほらセット』の「あとがき」を読んでみます。

 本文にはたまーに「本当のこと」——たとえば「シンデレラの最も古い形はナポリのものだ云々」——もありますが、全部ウソです。あることないことではなく、ないことをないことだけで、丸四年間原稿を書いてました。
 なんで連載をやめたかというと、早い話、ネタ切れです。「ウソをつく余地がなくなったら、ウソは成り立たない」というようなもんでしょうか。この本の最後は『七人の侍 episode 2 野武士の復讐』ですが、その原稿を書いてしばらくしたら「ハリウッドで『七人の侍』のリメイクをする」という話が伝わって来てしまいました。「ハリウッドが日本のチャンバラ映画なんかやるはずがない」というところからスタートして、こっちのウソは成り立ってるわけですが、向こうがそれを始めたら、こっちのウソは成り立たない。こっちがネタ切れである前に、向こうの方がネタ切れでしょう。ウソとかパロディというものは、やっぱり「上等の本物」がなければ成り立たないもんじゃないかと思います。(『噓・つ・き・映・画・館 シネマほらセット』河出書房新社 2004年、252-253頁)

これは、橋本さんのおっしゃる通りですね。実際、『七人の侍』は最初は『荒野の七人』でリメイクされましたけれど、最近も『マグニフィセント・セブン』というタイトルで、デンゼル・ワシントンやクリス・プラットで再映画化されました。『シネマほらセット』にはハリウッド版『忠臣蔵』という「噓」が出てくるんですけれど、これも実際にハリウッドが作っちゃったんですね。『47 RONIN』というのを(笑)。橋本さんが妄想した噓映画だと、浅野内匠頭がキアヌ・リーヴスなんですけど、『47 RONIN』にも実際にキアヌ・リーヴスが出てるんですよ! ハリウッドのプロデューサー、この本読んだんじゃないかと(笑)。この本に収録されている48作、全部噓の映画なんですよ。橋本さんは、映画のタイトルとキャスティングを妄想するのがほんとうに好きだった。「この人にこの役をやらせたらどうかしら」ということを考えると、いくらでも想像が膨らむらしい。とにかくおもしろいので、いくつかご紹介しますね。言っときますけれど、これ全部、噓ですよ。

『マタ=ハリ』という映画をハリウッドが作った。監督はティム・バートン、主演は白石加代子! 

かつてブルース・ウィリスとの夫婦共演の『レベッカ』で、タイトル・ロールのレベッカをデミ・ムーアが演じたまではよかった。そこに、先代の奥様付きの家政婦に扮した白石加代子が、「奥さま、お待ちしておりました」と言って姿を現した瞬間、「勝負はあった」と言われて完敗してしまったデミ・ムーアであります。
それ以来の因縁のライバルが、天才少女スター姫川亜弓と天才演劇少女北島マヤになって再度激突するのであります。「私は一度だってあの人(=北島マヤ)に勝ったと思ったことはないのよ」という姫川亜弓の劇中のセリフを読んで、思わずデミ・ムーアの全身は震えたという話でありますから、これはもう楽しみであります。
共演は、姫川亜弓の母・大女優姫川歌子にローレン・バコール、ブロードウェイの幻の名作『紅天女』上演に命を賭ける往年の大女優・月影千草にキャサリン・ヘプバーン、“紫のバラの人”速水真澄にキアヌ・リーヴスという、すごいんだかいびつなんだかよく分からない豪華キャストであります。(同書、22頁)

よくこんなキャスト思いつきますよね。でも、ただの思いつきじゃないんですよね。そう言われるとありありと目に浮かぶ。これも笑った、「ブラピの天下の一大事」。

 主演はブラッド・ピットにデニス・ホッパー。ブラッド・ピットが、一心太助と将軍家光の二役をやります。デニス・ホッパーは、もちろん大久保彦左衛門であります。(中略)将軍暗殺を狙う大陰謀がある。それを察知した太助は、大久保の親分にご注進。登城した彦左衛門がふと拝見した上様のお顔は、なんと太助にそっくりだったのであった。魚屋の太助は将軍様になり、将軍様は魚屋に転向して、敵が尻尾を出すのを待っているのだが、なんと、その将軍暗殺の陰謀を企む悪い老中鳥居讃岐守種次に扮するのが、トム・ハンクス。
いいです。トム・ハンクスの悪役ぶりは、ほんといいです。すごく憎い。常々私は、トム・ハンクスは「悪い老中」にぴったりじゃないかと思っていましたが。将来はハリウッドの山村聰ですな。(103-105頁)

ね、おもしろいでしょ。僕が一番大笑いしたのは「丹下左膳」。丹下左膳はアントニオ・バンデラスです。

 いきなり江戸城。そのお湯殿。白い湯帷子で背中を流させるのは、クリストファー・ウォーケンの八代将軍吉宗。その後ろでお背中を流しているのは、ご神君以来代々のお湯殿番——というのは表向き、実は隠密の総元締めである愚楽老人——F・マーリー・エイブラハム。(112頁)

“柳生の暴れん坊”源三郎がウィル・スミス、これが江戸の不知火道場に婿入りして、家付き娘の萩乃がドリュー・バリモア。江戸に出る時、家から持ち出したのが「コケ猿の壺」。ここに「百万両の謎」が隠されているわけですけれど、源三郎、そんなことは知らないので、昼寝をしているときに、巾着切りの与吉(スティーヴ・ブシェーミ)にこの壺を盗まれてしまう。で、これをホットドッグ売りの少年チョビ安(ハーレイ・ジョエル・オスメント)がかっぱらって逃げる。逃げた先が、ムシロ掛けの乞食小屋。

 突っ込むチョビ安。続いて突っ込むスティーヴ・ブシェーミ。さらに突っ込む柳生の追っ手。「てやんでー!」と、愛刀濡れツバメを口にくわえて現れたその住人は、隻眼隻手の怪浪人——毛ずねの上には赤の蹴出し、黒襟かけた白地の着物には、ラテン語でヨハネの黙示録の散らし書——ご存じ丹下左膳!(114―115頁)

もうありありと目に浮かびますね。「あらすじ」は元の映画のままですから、橋本さんの腕の冴えはキャスティングにあるわけですね。たとえば、『オズの魔法使い』。ドロシーは都はるみ。神田駿河台下の下駄屋の娘。これって、麻美れいですね。ドロシーが大風で吹き飛ばされて着いた先がお茶畑。「どうしたらお家に帰れるの?」と嘆いていると、美空ひばりの魔法使いのお姉さんが出てきて、道を教えてくれる。

 途中で会うのは、「きれいな声の出るノドがほしい」と言う森進一のかかしと、「人間の心がほしい」と言う沢田研二のブリキ男、「強い勇気がほしい」と言う五木ひろしの臆病でたれ目のライオンです。なんとすごかろう。当時の日本歌謡界を代表する、都はるみ・森進一・沢田研二・五木ひろしが、歌いながら、黄色い海道の並木道を、オズの魔法使いに会いに出掛けちゃうのです。(148-149頁)

いや〜、この映画のサントラ聴きたいですよね。切りがないので、あとはキャスティングだけ。『源氏物語』。光源氏はアラン・ドロン。これはジェラール・フィリップ主演の『源氏物語』のリメイクなんですね。今回は5人の監督によるオムニバス。『空蟬』はミケランジェロ・アントニオーニが監督ですから、空蟬はモニカ・ヴィッティ。フランソワ・トリュフォーの『夕顔』では、タイトル・ロールはマリー・ラフォレ。ロジェ・ヴァディム監督の『花宴』では、朧月夜がジーン・セバーグ。『葵』、監督はジョゼフ・ロージー、六条の御息所がジャンヌ・モロー、葵の上がロミー・シュナイダー。ジャンヌ・モローの生霊って、怖そうですね。第五作がルイ・マル監督の『薄雲』で、藤壺がアヌーク・エーメ、明石がミレーヌ・ドモンジョ。このキャスティングを考えているときの橋本さんのうれしそうな顔が浮かびますね。楽しそうです。あとひとつだけ。『忠臣蔵』。大石内蔵助がロバート・デ・ニーロ。浅野内匠頭は先ほどご紹介しましたキアヌ・リーヴス。吉良上野介がアンソニー・ホプキンス。将軍綱吉がハリソン・フォード。赤穂城の受け取りに来る脇坂淡路守がトム・クルーズ。

ほんとに切りがないので、あとひとつだけ。『サイコ』は『寅さん』なんですよ。「私、生まれも育ちもアリゾナです。旧街道のモーテルで産湯をつかい、こわいお母さんに育てられました」という「哀しい寅さん」シリーズは1から12まで。オリジナルの『サイコ』は3までで、アンソニー・パーキンスがノーマン・ベイツを演じていますけれど、橋本版はシリーズ12作まであって、ベイツくんがアメリカ中を旅して、そこで悲しげな女に出会って「殺しちゃおうかな~」と思うんだけど、殺さないでまた旅に出る……というパターンを繰り返します。主演はピーター・フォンダ。タイトルだけご紹介しますね。『サイコ5 カンサスの二輪草』。ゲストはレオナルド・ディカプリオ。マドンナ役はダイアン・キートン。『サイコ6 ナッシュビル慕情』、『サイコ7 エリー湖の瞳』のマドンナはミア・ファロー。『サイコ8 ケイプコッドに陽は落ちて』って(笑)。よくこんなこと、思いつきますよ。『サイコ9 ブロードウェイの灯』はライザ・ミネリ。『サイコ10 オハイオ無宿』はジェイミー・リー・カーティス。『サイコ11 フィラデルフィアの鐘』はアン・バンクロフト。最後の『サイコ12 雨のピッツバーグ』はまたミア・ファローです。浅丘ルリ子なんですね、ミア・ファローが。

●あらすじとキャスティングで作品は成立する、と

もう止めておきますけれど、『シネマほらセット』の絶妙なキャスティング能力は、橋本さんの小説の登場人物の造形とよく似てると思うんです。こういう人にこういうことをやらせたらおもしろいんじゃないのかって。『シネマほらセット』って、映画の「あらすじ」とキャスティングだけしか書いてないんです。というのは、作品が成立するためには、それで十分だと橋本さんは思っていたということですね。「あらすじ」とキャスティングが決まれば、作品はもうほとんど完成したのに等しいんだ、と。これは「あらすじ」というものを橋本さんがどれくらい重要視していたかということに関係があると思います。「あらすじ」を書くことが創造なんだ、と、橋本さんは別のところで書いています。そう思うと、この映画の「あらすじ」だけを48本書いた本はひとつの文学的達成だったとも言える。橋本さんは「あらすじ」についてこう書いています。

 読書感想文の厄介は、「この本は大体 このように読まれるもの 丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶 」という「正解」が、どこかで決まっていることだ。だから、能力のある子供は、その「正解」を当てに来る。別種の能力のある子供は、その「正解」を引っくり返しに来る。前者は、「大筋の合意に沿った文芸批評」になり、後者は「衝撃的な文芸批評」になる。どちらも「書き手のあり方」を尊重した文芸批評にはなるだろうが、果してその本が「そのように読まれてしかるべき」であるのかどうかは分からない。「正解」が予定調和的に確定されているという、その前提が正しいかどうかも分からない。(中略)
だから、「読んだ感想」なんかを書かせる以前に、「あなたの読んだ本がどういうものだったかを人に紹介するための“あらすじ”を書きなさい」にした方が、「読む能力」を高めることになるのではないかと思う。「自分の感想」より先に、「あなたの体験したものがどんなものだったかを説明しなさい」の方が、有益ではなかろうかと思う。
「同じ本のあらすじを書かせたら、みんな似たりよったりになる」と思われるかもしれないが、「その人がこれをどう読んだか」というものは、内容を要約する「あらすじ」に表れる。人によって読み取り方は、微妙に違うからだ。人が「アクション映画だ」と言うのを見て、「喜劇じゃないか!」と思ったことさえある。
「正解は既にある」という思い込みによって書かれた「あらすじ」は、どれもこれも似たりよったりで、読んでもおもしろくない。「正解」が分からないまま、「これはどういう本だろう?」と模索しながら書かれた「あらすじ」は、「個性のある主観的な写生」になる。「この作品はいかなる作品か?」を答えるために必要なのは、まず「あらすじを書く」という写生行為ではないのかと思う。(『橋本治という考え方』朝日新聞出版 2009年、28-29頁)

橋本さんの、「あらすじ」を書くのは写生であるという命題に僕は強く影響されました。「自分の感想」を言うより先に「あなたの体験したものがどんなものだったかを説明しなさい」の方が言葉を使うためには有益ではないかと、僕も思います。

大学で「文体論」という授業を担当したことがあります。その時にこういうふうに授業の意図を申し上げました。「これから1年間かけて、君たちに文体の授業をします。授業の目的は、君たち一人一人に自分の文体、自分の“ボイス”を発見して欲しいということです。君たち一人一人には自分固有の“ボイス”があります。でも、それは簡単には見つからない。自分でこれが『自分らしい文体』だとか、『自分らしい語り口』だと思い込んでいるものは、だいたいそうではありません。それは君たちを解放するものではなくて、むしろ君たちを狭いところに閉じ込めるものだからです。“ボイス”は、それと逆のものです。それを手に入れたら、どんなことでも語れる、どんなことでも描写できる、どんなことでも説明できる、どんどん自由になれる。そういう自己解放の“ウェポン”です。ですから、探し出すのが難しい。だから1年間かけて、ゆっくり君たちの“ボイス”を発見してゆきましょう」。そういうことを言いました。

●「ボイス」をいかに発見していくか

「ボイス」という言葉を僕が仕込んだのは、『クローサー』という映画からです。映画そのものは大したことのない映画なんですけど、その中に印象深い一場面があった。ジュード・ロウとナタリー・ポートマンがロンドンの町で出会って、タクシーに乗る。座席でナタリー・ポートマンがジュード・ロウに「あなた、仕事は何してるの?」と訊くと、ジュード・ロウが新聞記者だと答える。「どんな記事を書いているの?」と訊くと、死亡欄を担当していると答える。そしてこう続けるんです。「僕はまだ自分の“ボイス”を発見していない。だから、なかなか死亡欄から脱出できない。」

僕はこの台詞には胸を衝かれました。なるほど、と思った。自分の“ボイス”をまだ発見していないで下積みにいるジャーナリストがある日自分の“ボイス”を発見して、キャリアアップしてゆくというのは、どういう出来事なんだろうと考えた。彼は死亡欄担当ですから、毎日「誰々さんが亡くなりました。喪主は誰々で、葬儀はいついつです」っていう記事を書いている。でも、ある日、編集長がその記事を読んで、「この記事を書いたのは誰だ?」と訊いて、「そいつを呼んでこい」と言う。編集長のオフィスに出頭すると「今度は一度死亡記事以外の記事も書いてみろ」と言われる。死亡欄の記事だけでも、記者が自分の“ボイス”を見出したことを辣腕のジャーナリストならわかる。「タイムズ」とか「ガーディアン」とかいうような一流のジャーナリズムの世界では、たぶん記者について「彼は自分の“ボイス”を持っている」とか「持っていない」という言い方が記者のクオリティを評価するときの基準としてふだんから使われているんだろうと思います。“ボイス”を持っている人が書くと、そこに何か独特のものが、読者に切迫する何かリアルなものが立ち上がってくる。コンテンツが驚天動地の内容である必要はない。どんなことでもいい。死亡記事だって、いい。

橋本さんにとって、「あらすじ」というのは、ジュード・ロウが書いている死亡記事のようなものだと思います。コンテンツ自体には当たり前の意味しかない。だから、誰が書いても同じだとみんな思っている。でも、違いますよね。『シネマほらセット』を読めばわかりますよね。映画の「シノプシス」なんて、どんなライターが書いても、芸能欄の記者が書いても、映画評論家が書いても、どれも同じだと思っている。でも、違います。橋本治が書くと、「あらすじ」だけがひとつの作品になる。それはわかりますよね。橋本さんがこの本で「写生」している映画はぜんぶ「ありもの」です。「弥次喜多道中」も「エデンの東」も「鉄腕アトム」も「巨人の星」も「バットマン」も、みんな知っている話です。読者は読む前からそれがどんな「あらすじ」の物語であるかをあらかじめ知っている。それを書いて、読ませてしまう。これはすごい力業ですよ。橋本さんが「個性のある主観的な写生」をすることはできると言うのは、このことだと思います。

それで、「よし! 学生に写生をさせてみよう」と思ったわけです。橋本さんのお知恵を拝借して、写生をさせようと思った。「自分の感想」はどうでもいい。「あなたの体験したものがどんなものだったかを説明しなさい」という課題を出しました。第一回の課題は「君たちが身近に知っている最も粗忽な人のことを書いてください」というものでした。これなら誰でも書けると思ったからです。粗忽な人って、そこらじゅうにいますからね。10人いたら必ず1人はいます。家の中にも、クラスにも、必ずいる。だから、簡単だと思ったんです。粗忽な人を1人探して来て、その人がどんな粗忽なふるまいをしたのか、それをひとつでもふたつでも具体的な事例を挙げてくれれば、それでいいんです。その学期の受講生は90人くらいいたんですが、宿題を翌週回収して、読んで、いささか愕然としたんです。つまらないんですよ! 身近に知ってる粗忽なおじさんとかおばさんとか、家族とか友だちのことを「写生」して欲しかったのに、そういうおもしろい人のことを書いたものがない。なんと、ほとんどの子が、自分のことを書いていたのです。「私は粗忽な人です」って。で、その事例が「傘を間違えました」とか「靴を間違えた」とか、全然おもしろくない!

もうひとつ驚いたのは、「粗忽とは何か」から書き始めた学生がたくさんいたこと。「広辞苑によると」とか「明解国語辞典によれば」って、「粗忽」の定義から入る学生がたくさんいた。悪いけど、言葉の定義から入るものは、例外なしにつまらない。わずか300~400字で仕上げればいい短い課題なんですから、いきなり「私の叔母の話です」とか、そういうふうにカットインで始まってくれたらいい。そして、印象深い実例を描写して。「叔母はそういう人です」で終わっていいんです。別に定義も要らないし、感想も要らないし、教訓なんかも書いて欲しくなかった。でも、それができたのは90人いて3人ぐらいでした。95%の学生は写生することそれ自体ができなかった。おそらく、中学高校の国語の授業で、写生をしたことないんだと思います。「主観を交えないで目の前の事実を記述する」ということを訓練されたことがない。日本の国語教育がいかに間違った方向に行っているか、その時わかりました。

おそらく今の国語教育は「自分の思っていること感じていることを、巧まず、ありのままに書きなさい」と、そういうことを教えてきたんだと思う。でも、そんなことをしたせいで、子どもたちは言葉を失ってしまった。だから、「粗忽な人」という課題でも、学生たちは「まず自分のこと」を書こうとする。それが習慣化しているんです。「邪悪な人」でも「思いやりのある人」でも、どんな課題を出してもきっと同じだったでしょう。中等教育の国語教育では「自分のことを書け」と言われ続けてきて、他人であったり、出来事であったりを写生することなんかしたことがない。だから、ある意味で手慣れたものなんです。「私はけっこう粗忽です」という話をして、人とちょっと違うというところを書くけれど、それは常識の範囲を逸脱しない程度の、おもしろくもおかしくもない話なんです。誰も眉をひそめないような許容範囲の中で、「自分語り」をする。そんなもの、面白いはずがない。一番つまらないのは、小器用なやつですね。どうでもいい失敗談をいくつか書いて、ちょっと自分を突き放してみて、「そんな私の粗忽さは治りそうもない」みたいな定型的な結論に落とす。つまらないんですよ! 「こういう風に書いたら、先生、80点くらいくれるでしょ?」ということがわかっていて、書いているんだから。自分のことを書いているんだけれど、全然自分のことなんか書いてない。今の中高の国語教育って、「私は」って書きながら、自分のことを絶対明かさない、そんな技術ばかり習得させてるんですよね。

僕の門人で以前刑事事件を起こした子がいました。拘留中に弁護士の勧めで、被害者に対して反省文を書いた。「申し訳ないことをしました。これからは二度とこんなことしません」という文なんですけれど、弁護士に見せたら、「全然ダメだ」と言って突き返された。「まったく心を打たないから書き直せ」って。でも、書き直しても少しもよくならない。3回ぐらい書き直させたけれど、書くほどにどんどん気持ちのこもっていない作り物の文章になってゆく。それで、弁護士が僕のところに相談に来たんです。読むと、文章としてはちゃんとしているんです。「これこれ、こういうことをしたことを深く反省しております。思えば、自分の生育環境や自己教育の失敗によって、こういうことになった。これからは二度としないで、立派な社会人になります」っていうことが書いてある。でも、1ミリも人の心を動かさない。

それを読んで、この子の場合は、暴力性とか、自制心のなさとかいうことよりも“ボイス”を持っていないことが問題だと思って、個人教授を始めたんです。往復書簡で。「君の最大の問題は、自分の“ボイス”を持っていないことだ。だから、自分のことを語れない。自分の経験も語れないし、自分の目の前の現実も語れない」って。そして、いろいろな課題を与えて文章を書かせてみたんです。やってみてわかったのは、自分自身や自分の個人的経験のことを書こうとすると、全然書けなくなるということなんです。定型的な、作り物の文になってしまう。たぶん、トラウマ的なものがあって、それに決して触れないようにしているんでしょう。だから、ぐるぐる周回するだけで、少しも深まらない。たぶん、中学生か高校生くらいの時に「自分語り」の定型が出来上がってしまった。そうして自分で作った定型に嵌り込んで出られなくなった。いろいろ試行錯誤したけれども、うまくゆかない。そしたらある時に、「そうだ、フィクションを書かせてみよう!」と思いついたんです。最初に出した課題が、「1人で中華料理屋に入ったら満席で、『相席お願いします』って言われて、目の前に男女のカップルがいた。そのカップルが昼飯を前にして延々と罵り合ってる。君が食べ終わって席を立った時も2人は罵り合っていた。そのやりとりを書いてみて」という課題を出した。これは僕自身が実際に南京町で経験したことなんですけれどね。その課題を出したら、初めておもしろいものを書いてきた。日頃、そういうカップルとかを彼はよく観察していたんですね。女の子の他責的な言葉づかいとか、男の子の自己弁護のロジックとか、よく見ている。何よりも、自分のことを書かなくていいので、彼自身が楽そうだった。そのときに「なるほどこれがフィクションを書くことの効用なのか」と思った。“ボイス”を持つことの最大のアドバンテージは、そのボイスに「乗る」と速く書けるということなんですよね。どんどん書ける。そういう疾走感が経験できる。

僕たちはうっかりすると、まず言うべきことがあって、それをどういうふうに適切に相手に伝えるか、それを技術的に工夫する……という順序で考えてしまう。でも、違う。必要なのは、まず「乗れる」文体を持つことなんですよ。性能のよい「ヴィークル」が必要なんです。自分の“ボイス”というのは疾走する文体のことなんです。それに乗ると「走れる」のが“ボイス”なんです。彼の文章を読んで、ようやくそれに気がついた。それで、そのあともさまざま架空のものを書いてもらいました。「営業に行った先の取引先の感じの悪い課長が君にうるさく『営業の心得』を説教する」のを書いてという課題の時も、グルーヴ感のあるものを書いてきた(笑)。そういうものなら、いくらでも書けそうでした。そうやっていろいろなものを書いていくうちに、きっと自分の目の前の現実や、自分自身の経験も、内面も、疾走感のある文体で書けるようになると思います。彼との往復書簡は30回くらい、4年くらい続いたところで終わりました。「次の課題をください」というメールが来なくなったので、きっともう必要なくなったんだと思います。

●説明する力と、説明を読ませるグルーヴ感

橋本さんの文体って実に独特ですよね。橋本さんの文体の特性とは何かについては批評家たちがいろいろなことを言うと思うんですけれど、「速い」ということについては、たぶん誰一人異論を唱えないと思います。とにかく、饒舌なんですね。言いたいことがどんどん湧いて出てくる。その大量の言葉を届けるためには、スピードが要る。大量の言葉をでれでれ書いていたら、読者はうんざりして読んでくれませんから。必要なのはスピードなんです。橋本さん自身は作家にとって最も重要な能力は「説明」する力だと考えています。実際にご自身でもそう書いている。でも、「説明する力」よりももうひとつ手前に「読ませる力」というものがある。橋本さんは、「説明する力」についてはよくご存じなんです。自分にその力があることを知っていて、それを意識的に開発してもいる。でも、「読ませる力」についてはたぶん考えたことがない。自然にできちゃうから。天才だから。

●天才は超人的なスピードにある

橋本治の場合、その天才はスピードにあるんです。超人的なスピードなんです。これは天賦のものです。努力して身につけたものじゃない。だって『窯変 源氏物語』って9000枚ですよ。これを一気に書いてしまえる。だから、読もうと思ったら読める。紫式部のオリジナルを読んだら、誰が誰だかよくわからない。固有名が出てこないですからね。男たちは官位で呼ばれますから、除目で官位が変わると呼称も変わる。でも、橋本さんの『源氏物語』は、登場人物が誰で、どういう関係にあるのかがわかる。説明がほんとに詳細なんですよ。宮中というのはどういうもので、女御や更衣はどういうもので、右大臣と大納言はどれくらい格差があるのかとか、そこまで書かなくてもいいくらいに詳しい説明がしてある。桐壺の更衣の話だけでも、原文にして10行ぐらいのところを、橋本さんは10頁書いてしまうわけです。でも、それが一気に読めるように書いてある。橋本さんのすごいのは「説明がていねいで詳しい」ということじゃなくて、その「ていねいで詳しい説明」を一気読みさせてしまう速度ですね。

僕はふだんは書評は書かないんです。でも、橋本さんのだけは書きます。橋本治さんの『蝶のゆくえ』という小説が出た時に、東京の書評誌から書評の依頼で電話がかかってきたことがありました。「橋本さんの新作の書評をお願いできますか?」って。東京から神戸に移ってから東京のメディアの仕事はぱたりとなくなってしまったので、ちょっと驚きました。だから「どうして僕なんかに頼むんですか?」って不思議に思って訊いたんです。そしたら、先方が正直な人で、「橋本さんの書評って、誰に頼んでも断られちゃうんです」って(笑)。僕は喜んで書かせてもらいますって引き受けました。それから後、橋本さんの本が出ると、僕によく書評の依頼が来るようになった。

『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞、『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞を受賞しましたので、文壇・論壇的に、橋本治というのはどうやら「ちゃんとした人」らしいという認知がなされたのは、21世紀に入ってからです。それまではみんななかなか手を出さなかったんです。批評の対象にならなかった。

その話を橋本さんとお会いした時にしました。批評家が橋本治を避けるので、僕みたいな無名の人間のところに書評の仕事が回って来たんです、という話を。そしたら「もっとすごい話があるよ」と聞かせてくれました。『窯変 源氏物語』が完成した時に、ある新聞社が橋本さんのところにインタビューに来たそうです。その時、取材に来る前に、記者が下調べで橋本さんについての過去の新聞記事を検索したら……なんと、ひとつもなかったんだそうです(笑)! 『桃尻娘』でデビューしてからすでに15年の作家活動があったのに。その間、その日本最大の発行部数を誇る新聞の学芸欄に橋本治の名前が出たことが一度もなかった……。いかに批評家たちが、橋本治を苦手に思っていたかわかりますね(笑)。

でも、これは批評家を責められないんです。だって、本当に「なんでこんなことやってるのか」わからないから。『シネマほらセット』なんて書評しようがないじゃないですか(笑)。『桃尻娘』だってわからない。『桃尻語訳 枕草子』とか、ジュヴナイル版『古事記』とか、どうしてそんなことをするのか批評的には意味不明ですよね。さすがに、「昭和三部作」まで来ると、これはふつうの文学作品ですから、批評家も評論のしようがある。でも、それまでは橋本さんについて「この人は何が言いたくて、こんなものを書いているのか?」という問いには答えが出せなかったと思うんです。批評の場合、ある作品について論じる場合に、最初の手がかりは「いかなる文学的な系譜に連なる人なのか?」です。誰に繋がるのか、どういう流派なのか、どういう方法論なり文学理論なりを意識しているのか……それを問う。でも、これがないんですね。橋本治は前になく、後にない人なんです。いかなる系譜にも属していない。

ご本人に「文学的系譜で言ったら、橋本さんは誰の後継者になるんですか?」と訊いたら、ちょっと考えてから、「鶴屋南北?」って(笑)。「影響を受けた作家は?」という問いにはこれは「久生十蘭」と即答してくれました。でも、僕は久生十蘭なんて、名前だけは知ってるけど、読んだことがない。話を聴いた後に、久生十蘭全集を買って読んでみました。橋本さんに影響を与えるというくらいだからすごい作家なんだろうなと思って。でも、結論から言うと、「久生十蘭を読んだので橋本治がわかった」ということは、ありませんでした。いったい、どこに影響されたのか。サービス精神ぐらいですね、共通点は。橋本さんがどういう文学理論に基づいて書いてるのかもわかりません。一作ごとにまるで違うことをやってるわけですから。作品を通じていかなるメッセージを伝えようとしているのかもわからない。系譜がわからない。どういう理論なり技法なりに基づいて書いているのかわからない。そもそも何を言いたいのかわからない。それでは批評家には手が出せないです。

僕が平気で書けたのは、それが書評じゃなかったからです。ただの感想文、というかファンレターです。「最高! おもしろい! 橋本治天才!」で「みんな、読め」で終わりですから(笑)。批評性のかけらもない。でも、橋本治について書く人があまりいなくて、僕は頼まれると嬉々として引き受けるので、書評はずいぶんたくさん書きました。

最後に書いたのは『九十八歳になった私』です。『群像』で連載されていたものが単行本になる前に、ゲラを読んで、例によって大絶賛の感想文を書きました。のちに文庫化されたときには、解説も書きました。『群像』に書評を載せた時は、橋本さんはまだご存命でしたから、書評は橋本さんが読むことを前提に書きました。変なこと書いたら橋本さんに怒られちゃうなと思って書きました。でも、文庫版の解説は橋本さんが亡くなった後に書いたので、追悼文みたいなものになりました。それが「橋本治が読むことを想定しないで書いた最初の橋本治論」になったわけです。それまでは、どんなところに書いたものでも、「橋本さんが読んだらどう思うだろう」と自問しながら書いていたわけですから、どれも一種の「ファンレター」みたいなものだったわけです。それがもう書けなくなってしまった。「ファンレター」を送る宛て先がもうなくなってしまったんです。

●「自分の分かるところ」からスタートする

橋本さんの特徴というのは、先ほども申し上げましたけれど、とにかく説明がすごく上手いということです。橋本さんは、説明が大事だ、写生が大事だ、そこに個性が出るということを知っていた。橋本さんが説明について書いているところを引用します。

 自分でなにかを分かろうとする時、私は「自分の分かるところ」からしかスタートしない。それしか出来ない。「そんなことは当たり前だろう」と思う人は多いかもしれないが、決して当たり前ではない。どうしてかと言うと、専門家が初心者向けの本を書く時は、まず「初心者が分かりそうなところ」をスタートラインとするからだ。
 専門家は、自分の扱う分野に関してなら、一通り以上のことを知っている。その上で、「初心者のための入口」がどこら辺にあるかも理解している——だから「初心者が分かりそうなところ」をスタートラインにする。ところがこの私は、なにに関しても「専門家」ではない。「こりゃなんだ? 分からない」というところから思考をスタートさせるから、その自分の「扱う範囲」がどれくらいのもので、その分野の どこら辺 丶丶丶丶 にあるのかが、まず分からない。「そんな面倒なことは分からないから、 ここだけ 丶丶丶丶 に限定して、まず、自分が分かりそうな ここ 丶丶 を片付けることに専念しよう」と考える。(中略)
 「物を知っている人間」と「物を知らない人間」が両極分解してしまうのはなんのためかというと、「物を知っている人間」が「物を知らない人間」の「知らなさ加減」を理解しないためである。なにしろ私は、「あ、難しい」と言って、開いた本をすぐ閉じてしまう人間なので、自分の「知らなさ加減」をよく理解している。そして、そういう人間が、「面倒臭ェなァ」と思いながら立ち上がって——立ち上がろうとして、理解をしてみようとする時に直面する困難も、よく理解している(大変なんだ、ホントに)。それで、今となっては昔のことだけれど、「どうして物を知っている人間は、物を知らない人間に対してやさしくないのかなァ」と思ったりもするのである。
(『橋本治という考え方』、12〜14頁)

この引用に、橋本さんの「説明」についてのたいせつなことはほぼ全部書き込まれていると思います。橋本さんは「自分の分かるところ」からしかスタートしない。ふつう、自分がある分野をあんまり知らないとき、全体の俯瞰図、「マップ」を作りますね。そして、そのマップのどの辺に自分がいるのかをまず確定しようとする。自分は「この辺」についてはだいたいわかっているけれど、こちらの方はとんと不案内である、と。そういうふうに自分の知と無知についての一望俯瞰的な「知」をまず得ようとする。そこから「知的空白」を一つ一つつぶして、知識の空隙を埋めるという手法をとるわけですけども、橋本さんは違う。橋本さんはマップを作るということをしないんです。できないのかもしれないけども、橋本さんはあえてしないのだと思う。

ある知的な領域に関して、一望俯瞰的なマップを作らない。地図を持たない。自分がいまいるところから歩き出す、とりあえずそこから始める。素人はふつう地図を欲しがる。自分がいったいどこにいるかをまず確認したがる。「向こうに行くと山がある、こっちに行くと谷がある。この辺の道が通りやすそうだ」っていうのをまず抑えておいて、それから歩き出す。それがふつうです。ふつうでいいんですよ、もちろん。でも、橋本さんは違う。まず自分がいるところから立ち上がる。まわりは五里霧中ですけれど、とりあえず足元に石ころが見えたら、その石ころについて書く。草が1本生えていたら草1本について書く。歩いていったら木があった。そしたら木について書く。実際に自分が具体的に、身体を通して触れた「現実のもの」だけを書く。その点については徹底的に禁欲的なんです。「わかったようなこと」を絶対書かない。自分の視点を離れて、出来合いの上空飛行的な視座からあたりを一望してみるというイージーなことを絶対にしない。その代わりに、足元の石ころ1個について、草については、ものすごい、膨大な量の、仔細な説明を書くわけです。

このスタイルは本当に一貫しています。一番驚くべきことは、橋本さんが『窯変 源氏物語』を書き始めた時には、『源氏物語』を読んでいなかったということなんです(笑)! 読まずにいきなり現代語訳し始めたんです。もちろん、「だいたいこんな話」ぐらいは知ってたんですけど(笑)。高校の古典でやりますし、大学は国文科ですからね。でも、国文科に行ったら、まわりで『源氏』をやってる偉そうな学生がいて、そいつらが大っ嫌いだったそうなんです。だから、『源氏』と自分とは縁がないと思っていた。でも、橋本さんは、自分のスタイルをある時点で獲得した。別に知らなくてもいいんだ、と。なんにも知らないままに、最初に1行を読む。そして、この1行に書いてあることは何だと思ったら、自分が納得いくまで解釈する。そして、2行目に移る。はじめから筋がわかっていたら、細部は見ない。だって、これから何が起きるかもう知ってるんだから。登場人物がこれからどうなるかわかっているから、細部は飛ばす。でも、橋本さんはそうじゃない。橋本さんは『源氏物語』を読んだことがないので、これから登場人物たちがどうなるか知らないんです! だから、物語の中で登場人物が不安になると、一緒に不安になる。登場人物たちが期待で胸を膨らませると、一緒に胸を膨らませる。登場人物と一緒に、「次に何が起こるかわからない」未来の未知性のうちで生きる。

でも、『源氏物語』を勉強して、筋を知っている、文学史的位置づけを知っている、「読みどころ」を知っている賢い読者は「次に何が起こるか知っていて」読むわけです。そうなると、登場人物が先のことがわからなくて不安になったり、先のことについて勘違いの期待をしたりしているのに共感するということができない。だって、その後何が起きるか知っているから。

橋本さんがすごいところは、物語の先がどうなるのか知らないままに読み始めないと物語のリアリティーには触れられないということを直感したということですね。これはインテリには絶対に思いつかない。インテリは、読んでない本についても、あらすじを知っていて、文学史的意味を知っていて、どういうふうに評論すれば賢そうに見えるかまで知っているから。橋本さんはインテリじゃないので、物語にダイレクトに触れようとした。マップを持たずに歩き出した。そうですよね。光源氏だって、これからわが身に何が起こるか知らないんですから。光源氏の不安や期待や妄想にリアリティーを感じるためには、これから何が起きるか知らないという「無知」が必要なんです。

さきほど「過去の記憶を抜く」という話をしました。これからどうなるかがわかっているというのはいわば「未来の記憶を抜く」ということになります。その典型が『窯変 源氏物語』なんです。橋本さんは『源氏物語』を読んでいなかった。そして、橋本さんはそれが自分が現代語訳する時の最大のアドバンテージだと思ったんですよ。だって、「夕顔」を現代語訳している時も、そのあと夕顔が生霊に取り憑かれて死ぬって、知らないわけですよ! だから「おっ! 死んじゃった」と驚く(笑)。光源氏と一緒に狂乱するわけです。「ああ、死んじゃった!」って。こういうこと、ふつうは起きないんです。ふつうの人は、全体をマッピングして、一望俯瞰して、自分が全体性のうちのどこに位置づけられるのか、その意味をあらかじめわかった上で歩き出す。でも、橋本さんはそれをしない。足元の石ころひとつ、草1本をていねいに説明するところから始める。「とりあえず自分の視野にはこれしか入っていない。これだけしかわからない。でも、ここに、こういうものがあり、こういう出来事が起きるというのは、背後にこういうことがあるからに違いない」と考える。「こういう全体的な構造がないと、こういう現象は起こらないんじゃないか」と推理して、今目の前に見えている「この部分」を説明するわけです。でも、橋本さんが「全体的な構造はこういうものではないか?」と推理できたのは、出来合いのマップを参照したからではなくて、足元の石ころを精密に観察したからなんです。物語のある具体的な1行を熟読することによって、どうしてこの1行が書かれなければならなかったのか……その必然性を考える。そこから全体の構造を推理する。

登場人物についてもそうです。どうしてこの人物はこんなふるまいをして、こんな言葉を口にするのか。これは名探偵の推理とまったく同じですね。シャーロック・ホームズが現場に落ちている具体的な断片を仔細に観察して、このものがここにこういうふうにあるのは「このような出来事」がそこで起きたからではないかという「物語」を構想する。それが推理ということです。読者は具体的な断片から、大ぶりの「物語」を構想できる名探偵のこの推理の妙術に感動するわけですけれども、橋本さんが『窯変』でしたことも、構造的には名探偵の推理と同じなことです。

●リアルにそこで生きているからこそのグルーヴ感

だから、スピードがあるわけです。生きてるから。最初から最後まで、ストーリーを全部知っている人間が説明すると、どうしても「手抜き」になる。だって、本人は知っているから。話の始まりから結論まで知っているから。そうすると、早く結論までいきたいと思う。そう思うことは止められないんです。だから、細かいところをはしょって、一気に結論までもっていっても、そこには「手抜き感」はあっても、「スピード感」は生まれない。スピード感とかグルーヴ感っていうのは、リアルにその場にいないと、そこで実際に息づいていないと発生しないんです。橋本さんの書くものに例外的なスピード感があるのは、ただ話が速いっていうんじゃないんです。その文章の中でリアルに生きてるからなんです。生きて、1歩ずつ前に進んでいる。具体的な橋本治の生身がそこにあるから、読んでいて引き込まれるわけですよ。ライブなんですよ。

橋本さんは、「どうして物を知っている人間は、物を知らない人間に対してやさしくないのかなァ」って書いていますね。「やさしくない」というのは、「わかりにくい」とは違います。先方は懇切丁寧に説明しているつもりでも、「やさしくない」ということはあるんです。だから、どうしてもその話を聴く気になれない。物を知ってる人間は、全体を上空から一望俯瞰して、それから個別的なことについて説明をする。これが、つまらないんです。こういう人たちは必ず、「周知のように」とか「なるほど……ではあるが」というような言い方をしてしまうわけです。それって「オレはだいたい全体をもう見終わっているから」ということをアピールしているんです。論じていることについて、オレはもうあらかた知ってるよ、と。だから、オレはぜんぜん「ときめき」なんか感じてないぜって。そりゃ、当たり前ですよね、もう知ってるんだから。驚きもないし、感動もないし、不安もないし、期待もない。でも、そんなもの読まされて、こちらがおもしろいわけないじゃないですか! 「周知のように」と言われたら、「周知じゃねぇよ!」って(笑)。上空から見てものを言わないで欲しい。今自分は足元の石ころ、足元の草1本を見ているわけなんだから、それを一緒に見て欲しい。それが「やさしさ」ということですよね。橋本さんがいう「やさしさ」というのは、そのことですね。

物を知らないというのは、ぜんぜん恥ずかしいことじゃない。物を知らないので、知りたいと思うというのが人間の自然なんですから。みんな今から1秒後に何が起こるか知らない。自分がいつ死ぬのか知らない。自分の感覚が及ぶ範囲外で何が起きてるかも知らない。実際には上空から一望俯瞰しているということの方が幻想なんですよ。そんなこと実はできやしない。人間は自分の知ってることしか知らない。その限界の中で生きている。未来がわからない。過去もだんだん覚束なくなっている。自分の意識が届く範囲外のことについては、確かな情報がない。それが僕らのリアルですよね。橋本さんは、そのリアルの通りに書く。だから、橋本さんの文体と読者は同期できる。同期しているから、スピード感を感じる。文章が生きているから速い。

●小説とは「説明すること」

次の引用資料にあるのも、橋本さんの説明論です。非常に重要な文章で、橋本さん自身、たぶん自分がどれくらい重要なことを書いたのか、わかってないと思います(笑)。こういうこともあるんですね。橋本さんほど明晰な人でも。

 三十代の真ん中辺の頃ふと思って三島由紀夫の小説を読み直し、「小説とは説明することだ」と気づいた——あるいは、前から思っていたことを、はっきりと確認した。ともかく、三島由紀夫は説明ばっかりしている。にもかかわらず、あまりそれと気づかせないのは、三島由紀夫の文章が「華麗なるロジック」を展開するものだからである。それで私は、「ああ、説明が一本調子だと飽きちゃうもんな」と、あんまり普通の人が考えないようなことを考えた。(中略)
三島由紀夫は、徹底して「説明をする人」である。「なんでこんなにも説明をしたがるのか?」と思えば、彼の中に「分かってもらいたい」と思うことがあるからである。(中略)「三島由紀夫自身」がなりをひそめて、文章作家三島由紀夫が情景描写を始めるとすごい。「近代日本の最も美しい風景画は、三島由紀夫が言葉によって綴ったものではないか」とさえ思う。私は『午後の曳航』に登場する横浜の街の描写が最高に好きだ。三島由紀夫があれほど美しい風景を描き続けたことが忘れられているのは、残念だ。風景画家としての三島由紀夫のすごさは、普通は「美しい」と思われないものに目を向け、そこに「新しい美の基準」を発見して、そのことによって「美しい風景」に描き変えてしまうそのことである。だから、三島由紀夫の情景描写は、「説明」ではない。それを「説明する」という必要を三島由紀夫が感じていない。ただ、虚心坦懐に描写している——そういうことをしないと「美しい風景」というのは出現しないものだからだ。(『橋本治という考え方』、157-161頁)

三島由紀夫を読んで、「『小説とは説明することだ』と気がついた」、これはまったく正しいですね。三島由紀夫はほんとうに説明の名人ですからね。第一級の作家というのは、全部、説明の名人なんです。描写だけで読ませる。よく、バルザックは壁紙の描写だけで1頁まるまる使ったと言われますけれど、これは別に意地悪な批評家が言うように、原稿料を稼ぐためにそうしたんじゃなくて、本当に描写がうまい人がやると、壁紙の描写を読むだけで読者は愉悦を覚えるということがあるんです。だから、説明がうまい人は説明に凝るんですね。読者が喜ぶから。

僕が三島由紀夫の中で感動したのは、『暁の寺』で「阿頼耶識」という仏教的にきわめて難解な概念について、本多繁邦が説明するシーンですね。これが驚くほどわかりやすい。阿頼耶識についてかつてこれほどわかりやすい説明をした人を僕は知らない。「三島由紀夫って、説明うまいなあ」とほとほと感動した。ですから、橋本さんのこの文章を読んで、深く共感した。村上春樹も説明がうまい。『1Q84』の最初の方に、70年代になって、過激派の政治運動をしていた人たちが、政治運動から生還して、コミューンを作って、新興宗教を始めたり、有機農業をやったり……という半世紀くらいの左翼政治史を老学者が回顧する場面があるんですけれど、1ページ半くらいで、60年代末から21世紀にわたる日本の新左翼運動のある本質を見事に説明していた。これほど見事な左翼運動史の説明を僕はかつて読んだことがない。これも読んでいて、どきどきするくらいにおもしろかった。別に何か大事件が起きるわけじゃないんですよ。僕だって知っている歴史的事実を村上春樹が要約しているだけなんですから。でも、説明がこれくらいうまいと文学的愉悦をもたらす。

ただ、次のところはちょっと僕は橋本さんとは意見が違うんです。意見が違うというより、たぶん同じことを言うにしても、言い方が違う。

三島由紀夫が徹底して説明する人であることは間違いありません。「『なんでこんなにも説明したがるのか?』と思えば、彼の中に『分かってもらいたい』と思うことがあるからである」。ここがちょっと微妙なんですね。たしかに三島には読者に理解してほしいことがあった。でも、それは三島由紀夫自身の思いとか感情とかじゃない。もっと違うものなんです。三島由紀夫とか平岡公威とかに「分かってもらいたい」ことがあるわけじゃない。読者が、日本人が、ひろく人間が「分からなければいけないこと」がある。それを「分かってほしい」と思っている主体は、個人じゃないんです。もっと普遍的な、非個人的なものなんです。だから、次に続くんです。「『三島由紀夫自身』がなりをひそめて、文章作家三島由紀夫が情景描写を始めるとすごい」。実際に、三島由紀夫自身が「いないところ」において、三島由紀夫がその天才性を発揮するというのは事実なんですね。そのことは三島由紀夫自身が一番よく知っていた。三島由紀夫が表に出ちゃダメだって。だから、『仮面の告白』なんですよ。

近代日本の最も美しい風景は三島によって描かれた。描写ですから、何のメッセージ性も、何の主張もない。『午後の曳航』の中での横浜の街の描写なんてストーリーラインに何の重要性もない。それはメッセージじゃない。三島由紀夫が想像の中で、横浜の街を歩いている。それは現実の横浜の街じゃない。三島由紀夫の脳内に構築された、想像の横浜の街です。それを記述している。すると、それが生きて、立ち上がってくる。そういう立ち上がってくるような風景を描写をしたいと橋本さんは思った。風景に限らず、人物でも、ある出来事でも、それを描写することで立ち上がらせる。橋本さんに「文学的野心」というようなものがあったとすれば、それだったと思います。

橋本さんが他の作家に関して、羨ましいというようなことを書いた例はほとんどないので、これはたぶん唯一の例外と言っていいと思います。橋本さんが何かを最高に好きだっていうのは、かなり稀有なことですからね。「三島由紀夫があれほど美しい風景を描き続けたことが忘れられているのは、残念だ」。ここには橋本さんの万感がこもっていると思います。それは「私がそれを引き継ぐ」と宣言しているということです。「普通は『美しい』と思われないものに目を向け、そこに『新しい美の基準』を発見して、そのことによって『美しい風景』に描き変えてしまう」こと、それが橋本さんの文学的野心であり、その野心を橋本さんは三島由紀夫から継承したんだと思います。

●情景描写は国褒め。「中央フリーウェイ」も国褒め

風景描写というのは、古い言葉で言う「国褒め」のことですね。白川静先生が書いていますけど、本来の詩というのは描写なんです。そこに山がある、深い森がある、谷を清冽な清流が流れている……そういう情景を描写をすることが詩の本義なんです。情景を描写するという行為そのものが祝福になる。記述することによって、記述される対象が祝福される。そこに現実性を賦与する。生命を賦与する。それが詩である、と白川先生が書いています。『万葉集』にも叙景の詩はたくさんあります。別に何か事件が起きる舞台装置として描写されているわけじゃない。叙景することによって、祝福しているんです。

この「国褒め」の伝統は『万葉集』から現代までずっと続いています。だから、右に競馬場が見えて、左がビール工場というのは(笑)、万葉以来の伝統を継いでいる「国褒め」なんです。もし、ユーミンの歌が一曲だけ後世に残るとしたら、『中央フリーウェイ』じゃないかと僕は思うんです(笑)。サザンの『勝手にシンドバッド』もそうですね。江の島が見えて来た、というのは彼が故郷の湘南海岸を祝福しているんです。『長崎は今日も雨だった』も『港町ブルース』もすべて「国褒め」なんです。『男はつらいよ』は映画版の「国褒め」だと僕は思います。僕はいま48作全作踏破する旅を続けてるんですけど、寅さんの物語そのものは完全にパターン化していて、驚きがありませんけれど、山田洋次が撮っている日本の田園の風景はひとつひとつため息が出るほど美しい。町並とか線路とか駅とか宿屋とか海とか里山とか、そういう風景をひたすら撮っている。あれは映像を通じて日本列島に祝福を与えているんだと思う。国民歌謡も国民映画も国民的な物語も、どれも叙景を通じて祝福を与えているから、「国民的」なものになり得る。

●「まだ『時代を描く』ということをしていない」

橋本さんは、三島由紀夫の横浜の街の描写から「作家の本来の仕事は叙景を通じての祝福である」ということを直感したんだと思います。「ただ、虚心坦懐に描写している——そういうことをしないと『美しい風景』というのは出現しないものだからだ」。この言葉に、橋本さんの作家としての覚悟が表れていると僕は思います。

晩年に書かれた昭和三部作とか『草薙の剣』とか、読んだ方ならわかるでしょう。橋本さんが、「ちょっと時間がないから、急ぐよ」っていう感じになっている(笑)。昭和の人間たちの群像を次々と書いていくわけです。すごい勢いで。さすがに書いてる本人も、これはちょっと速すぎるかなと思ってるはずですけれど、橋本さんは説明能力が高いから、急ぎ足でも説明できちゃうので、それじゃあというので、がんがん行っている。橋本さん自身が、これは新潮社のサイトに書いていたことですけれど、遺作『草薙の剣』の前に書いた三本の長編小説(『巡礼』、『橋』、『リア家の人々』)が「昭和三部作」というふうに呼ばれたことについて、「私は『人』を書いたつもりで『時代』はその背景です。私には『昭和』という時代を特別視する頭も、その後の『今』を特別扱いする考えもなくて、それを言うなら、まだ『時代を描く』ということをしていない」と書いていました。

「まだ」という一言のうちに「時代を描く」ことが橋本さんにとっての未完の目標だったという思いが託されていると思います。「昭和という時代」を描き、祝福し、それを供養すること、それを橋本さんは個人的なミッションとして引き受けた。別に、誰も頼んでいないけれど、引き受けた。自分以外に誰もしそうもない仕事だから引き受けた。そして、昭和という時代に生きた人たちの肖像を描いた。ただ、虚心坦懐に書いた。何のメッセージもなく、自分の目に映じたものだけを書く。すると、自分が描写したものの裏側が見えてくる。虚心坦懐というのは、「後ろ」を見る、断片から全体を見る。

 高橋源一郎さんと対談した時に、「小説を書く時には目に見えるものを描写しているだけだけど」と言って、これまた驚かれた。書く書かないは別として、「そこにあるもの」をイメージして、それを「どうすれば描写出来るかな」と考えていて、別に作中人物の心理分析をしているわけでもなく、「 こう 丶丶 言った彼や彼女の表情」を思い浮かべて、「えーと、 こんな顔 丶丶丶丶 をしているということは——」と思って、やっぱりその人物を描写している。私の心理描写は、「内面描写」じゃなくて、「外面描写」なんだ。
 「なぜ見えるの?」と言われても、絵を描く時は、「描かれるべき状況」を考えて、それを思い浮かべるんだから、自然とそうなる。だから、「小説の中では書かなかったけど、本当は、あの自動販売機の裏にアジサイの花が植えてあって、咲いてるんだ」なんてことを言ったりもする。(中略)「登場はしないけれども それ 丶丶 はある」というような大道具小道具や衣装の設定はする。(同書、173-174頁)

自動販売機の後ろに、紫陽花が咲いている。これが本当に説明能力のある人の力なんだと思います。自動販売機のビジュアルを微細に、いくら客観的に再現してみても、それでは説明にならないんですよ。写生にならない。写生というのは、ある記述を通じて、それを含む背後の構図、全体が見えてくるものでなければならない。

橋本さんは『源氏物語』冒頭の「いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらねど、すぐれてときめきたまふありけり」という1行を仔細に説明して、物語の背後にある王朝の構造を書き出しました。『窯変』の場合はわずか1行を10倍、20倍に膨らませたわけです。でも、自分の小説の時は、それを逆にしている。自分に見える全体をただ1行に集約した。でも、それは背景のすべてを含んだ1行なんです。だから、読者が精密に読めば、その1行から背後の全体が見えて来るはずなんです。自動販売機の後ろに紫陽花が「幻視」されるはずなんです。「登場はしないけれどもある」ものがその1行の厚みや奥行きを形成している。

●橋本治さんが持っていた「共感覚」

橋本さんはさまざまな点で天才だったと思うんですけれども、最後に橋本さんは独特な感覚の持ち主だったということを話したいと思います。「共感覚」って言うんですけれど、文字に色が付いている、あるいは、文字が音として聞こえる。

この間、養老孟司先生から伺ったんですけど、人間が構成する視覚像の中で、眼から入ってくる情報は10%に過ぎないんだそうです。後の90%は目以外の、聴覚や触覚や嗅覚から入ってくる情報によって構成されている、と。それを聞いてなるほどと思いました。だから、卓越した作家は、「目に見えるもの」を書くだけで、そこから音が聞こえて、匂いがしてきて、温度や湿度まで感じられるんだ、と。当然なんですよね。視覚像を構成するのに、眼からの情報は10%だけなんですから。残りは他の感覚から構成されて視覚像ができているなら、視覚像を精密に再現すれば、匂いや手ざわりまで感じられるはずなんですよ。たぶん橋本さんには、その能力が先天的に備わっていた。物を見る時に、視覚像以外に、別の感覚も動員している。だから、文字に色が付いていたり、音がしたりする。

 昔、「ひらがなって、大体俺には色がついてるんだよね」と言って、「え?」と人に驚かれた。二十代の初めで、別に作家になる気もないし、イラストレイターをやっていた時分だったので、文字の意味なんかよりも、文字が連想させる「色のイメージ」の方が気になった。たとえば「か」だと柿の赤茶色が連想される。「き」だと黄緑。「く」だと黒——そういう埒もない連想なのだけれど、「さ」に白を思って、「し」にも白を思うのだけれど、この二つの白は違う。「さ」は、ほんのかすかにピンクの入った白で、「し」は漂白された白——きっと「桜」と「白砂」の連想なのだろうけれど、(中略)
同じ文字でも、ひらがなとカタカナとでは、微妙に色の感じが違うのだけれども、なんだってかな文字で色の連想ゲームをしていたのかというと、自分でもよく分からない。「文字を読む」よりも「色を見る」の方が自分の体質に合っていたそのことの結果だとしか思えない。(同書、173頁)

これは数学者の森田真生君から聞いた話なんですけど、最近の研究で、世界の一流の数学者たちの脳波を測定して、彼らが数式を見ている時に、脳内分野のどこが活動しているかを調べたんだそうです。そしたら驚くべきことに、数式を見ている時の数学者の内部で活性化してるのは、ふつうの人間が人の表情を見る時に使う脳内分野なんだそうです。人間は、人の表情を読むことに大量の脳内の資源を使っている。人の表情から、その人が本当は何を考えてるか、次にどういう行動をとるのかを予測するのは、人間にとって生存戦略上の最優先事項ですから、当然と言えば当然なんです。ほとんど目に見えないようなわずかな表情筋の変化だけで、相手の心の中を読む。表情を読むのと同じ脳内部位を使っているということは、数学者には「数式が顔に見えている」ということですよね。数学者は「数式が何を言いたいのか、読むことができる」ということですね。

サヴァン症でも、「数字に色が付いてる」人がいるそうです。2は緑とか、3は赤とか、色がついている。2×3という数式を見ると、6の色が出てくる。素数はとりわけ色が鮮明らしいです。サヴァン症で素数が「読める」人には、何十桁の数字でも、一見しただけで素数であるかどうかが識別できるらしい。それは「数字の表情」を読んでいるからだと思います。僕たちが他人の表情を読むときには、一瞬のうちに膨大な情報を処理している。表情筋の動きだけじゃなくて、まばたきの頻度とか、目の焦点とか、息づかいとか、無数の情報から「噓をついている」とか「怒りをこらえている」とか、そういうことを判定している。でも、自分がどれくらいの量の情報を処理しているのか、本人は知らない。

橋本さんはイラストレーターをされていたので、どういう絵がリアルな絵なのかということはよくわかっていたんだと思います。それは、見ている人の五感を動員するものですね。色使いがきれいだとか、デッサンが正確かどうとかいうようなことだけじゃなくて、何が匂ってくるのか、何が触れて来るのか、何が聴こえて来るのか、そういうことを絵を見るときの基準にしていたんだと思います。小説を書く時も、その基準を適用した。だから、説明がうまいんです。橋本さんの説明には「表情」があるから。たしかに「目に見えるもの」を書いているんだけれども、読むと音が聞こえて、匂いがしてきて、何かが触れるのを感じる。数学者が数式を読むように、僕たちが他人の表情を読むように、橋本さんは自分の文章を読者に「読ませた」。それができるのが言葉の力だということを橋本さんは直感していた。

 やっぱり私にとって文字というのは、その初めから「音が聞こえるようなもの」だった。だから、「声に出して文章を読む」というのは、そんなに難しいことではない。 そこ 丶丶 から聞こえて来るような音に神経を集中して、自分の口をそれに合わせて動かすだけのことだと思っていた。それで、小学校の国語の授業が、退屈でしようがなかった。(同書、174頁)

読むのが上手な子というのは、文字と音声が同時に来る子のことですね。字を見た瞬間にもう音がする。橋本さんが「国語の授業が退屈」だったのは、共感覚の持ち主だったからです。視覚と聴覚が連動していた。

橋本さんは、『橋本治という考え方』、『橋本治という行き方』、『橋本治という立ち止まり方』『「わからない」という方法』など、さまざまなご本で、自分がどうやってものを考えたり書いたりしているかについても、手の内をほとんど全部さらけ出しています。それでもまだ橋本さんは自分が本当は何をしているのかを全部は言葉にしていないと思うんです。橋本さんの共感覚、グルーヴ感、スピード感、細部から全体を一気に引き出す推理力、全体を細部に凝縮する集中力……そういうものは生まれつきなので、方法論的な吟味の主題にはならない。天才は自らの天才性の所以を語ることができない。それはカール・マルクスもマックス・ウェーバーもジークムント・フロイトも、みんなそうです。彼らはいろいろなことが説明できる。でも、どうして人には説明できないことが自分には説明できるのか、それは説明できない。

マックス・ウェーバーは『資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理』の冒頭で、「なんか、この世には“資本主義の精神”というようなものがあるような気がする」と言い出すわけですね。別にエビデンスがあるわけじゃなくて、「そういうもの」があるような気がする。それで、これからその例示をいろいろとしてゆく。たぶん本が書き終わる頃には“資本主義の精神”がどんなものであるかはみなさんにも明らかになるであろう、と。これはいわゆる「上空的思考」とはまるで違うものですね。まだ上空には達していないんですから。今はまだ「地べた」にいる。でも、これから事実を積み上げ、精密に推論していけば、最終的に「上空」に達することについては確信がある。「その、ウェーバーさんの脳裏に閃いたという“資本主義の精神”というアイディアはどこから来たんですか?」と訊いても、たぶんウェーバーさんには答えられない。だって、思いついちゃったんだもん(笑)。どうして“資本主義の精神”なるものが存在すると直感したのかはウェーバーにも言うことができない。天才は、あらゆることを説明できるけれど、自分の天才的直観、天才的洞察がどうしてわが脳裏に去来したのか、その経緯については説明できない。これからいろいろな橋本治研究が行われてくると思いますが、僕はもう少し橋本治の天才性について考えてみたいと思います。

● 質疑応答

受講生:先ほど内田先生が、大学で生徒さんたちに書かせた時に、主観を抜いて物事を説明する能力がないことに驚いたという話をなさいました。私は教える仕事をしているわけじゃないんですけれども、同じ職場で十数年ぐらい、毎年新しく、同じぐらいの学歴の子たちが入ってくるのを見ていて、主観抜きで説明する能力の劣化を感じるんです。「本を読め」と言っても、そもそも、本を読む時に、文章を流れるように朗読する能力が特になくて、割と学歴が高い子たちでも朗読できない子がゴロゴロいるんですね。いきなりそれで橋本治を読めっていうと、ちょっと厳しすぎるかなと思うんです。橋本治の手前の何か本を読む、それよりもしかすると手前かもしれないんですけど、何かありますか?

内田:ここに来る前に、晶文社で、矢内東紀君とYouTube対談をしてたんですけど、そこでもその話になったんです。今度、国語教育が「論理国語」と「文学国語」に分かれましたね。「論理国語」というのは、契約書とかマニュアルとかを読ませるというので、「そんなの国語じゃない!」と僕は怒っていたんですけど、現場の国語の先生に言わせると「もう今の高校生はマニュアルや契約書さえ読めなくなってる」っていうんです。そこまで国語力は落ちているらしい。でも、母語を操る力というのは、呼吸したり、食べ物を消化するのと同じぐらい重要な力です。この能力を発揮しないと生きていけない。母語運用能力というのは、生存戦略上極めて重要度の高い能力です。だから、放っておけば、自然に高まるはずなんですよ。魚が放っておいても泳ぐ能力を向上させたり、鳥が飛ぶ能力を向上させようとするのと同じで、ごく自然なことのはずなんです。それが停滞している。それは「何か」が言語能力の開発をブロックしてるからだと思います。何らかの心理的な要因が母語運用能力を高め、豊かにしていく自然発生的な動きを阻害している。

僕自身が中高生とか観察して感じることのひとつは「語彙が少ないこと」と「超高速でやりとりすること」を「コミュニケーションがうまくいってること」だと勘違いしているらしいということです。僕は神戸市の住吉に住んでいるので、灘高の最寄り駅なので、駅でよく出会うんです。興味があるので、何喋ってるのかなって立ち聞きするんですけれど、何を話しているのか、まったくわからない。内輪のジャルゴンでしゃべっているから。わかるのは、超高速でやりとりしているということと、一人一人がだいたいどういう台詞を言うか「期待の地平」の範囲内にとどまっているということです。「キャラ設定」があらかじめ決まっている。だから、「口ごもる」とか「言いよどむ」とか「前言撤回する」とかいうことがまずないんです。でも、これまで誰にも言ったことのないアイディアを思いついて、それを相手に伝えようとする時って、そんなにすらすらとは言葉が出て来ませんよね。「打てば響く」ような仕方で、「生まれてはじめての言葉」が出て来るはずがない。でも、高校生たちの会話を聴いていると、そういう「立ち止まり」はどうも許されないらしい。超高速コミュニケーションの邪魔になるから。

自分が新しい思念や感情や概念を発見した時、新しい言い方を探り当てた時、それがうまく使えるかどうかの「試用期間」のうちは、ちょっと及び腰で、おずおずと話すはずなんですよ。ああ、うまく言えないなあ、もっとうまい言い方はないかな……と、ひとつのアイディアの周りをぐるぐる回るはずなんですよ。でも、そういう余裕が許されない。ふだん言わないようなことを言い出すと「らしくないこと言うなよ」と一喝されて、言葉を探る努力そのものが否定される。そういうコミュニケーションのマナーが母語運用能力を下げているんじゃないかと思います。本当は、コミュニケーションがうまくいってることの指標は「口ごもる」「言いよどむ」「言葉に詰まる」「言ったことを撤回する」「同じアイディアについてさまざまな表現を試みる」とか、そういうことが許されている状態じゃないかと思うんです。何かが生成するプロセスというのは、そういうものなんですから。

でも、今の若い人たちの場合、家庭内にも、学校にも、そういう寛容で、忍耐づよい対話的環境が用意されていない。テレビを見ても、そこでは「寸鉄人を刺す」ようなエッジの効いた言葉を脊髄反射的に発話できる能力ばかりが珍重されている。「かねて用意のストックフレーズ」を一気に喚き立てる人が座を制する。その場で思いついた、出来立てのほやほやの、柔らかいアイディアを語るというようなことはマスメディアではまず許されないです。でも、そういう環境で、母語運用能力が育つはずがない。言葉が生成するプロセスというのは、とてもデリケートなんです。生まれたての赤ちゃんに対する気配りと同じくらいの気配りが必要なんです。想像力と愛情と忍耐が必要なんです。言語能力というのは、大量のストックフレーズを覚え込んで、適当なタイミングでそれを出力するというのとは全く違うことです。言葉が生まれ、育っていく生成的なプロセスなんだということがわかってもらえないと話にならない。そういう環境を、周りの人たちが整えてあげなきゃいけない。学校で、誰かが何か言いかけて言葉に詰まった時に、「はやく言えよ」とか圧力をかけるんじゃなくて、周りが黙って、言葉が出るまで待ってあげるとか。

僕は神戸女学院大学というところで教えていたんですけれど、ウィリアム・メレル・ヴォーリズという米国人の建築家が設計した校舎なんです。これが教育環境として素晴らしいんですよ。音響がいいんです。小さい声でも教室の後ろまで届くんです。木造で、漆喰で、天井が高くて、床が木なんです。ヴォーリズの教室で授業やると、「え? 何て言ったの?」って聞き返すということがほとんどない。ゼミで学生が発言する場合でも、声を張らなくてもいい。小さな声でも通るし、何か言いかけて、言い淀んでも、その言い淀んでいる間も、次の言葉を探して、学生の中で何かが生き生きと活動しているということが、息遣いからわかる。「今、喉もとまで言葉が出かかっている」ということが切実に感じられる。音声的な環境が良いというのはほんとうに大事なことだと思いました。若い人たちの言語運用能力を伸ばしたいと思ったら、「小さい声で話しても聞き届けられるような環境」を整備することが、有効だと思います。

前に、うちの大学で新校舎を設計するという計画があって、その時の計画委員会の席で、建築事務所の人に「音響の方はどうなってますか?」と訊いたことがあります。そしたら、「遮音はしっかりしています」という答えだった。「いや、僕が聞きたいのは、教室の中で言葉はどういう風に聴こえますかということなんですけれど」って言ったんですけれど、「それは建築家の考えることじゃありません」と不思議な顔をされた。採光とか遮音とか動線とかを考えるところまでは建築家の仕事だけれど、教室の中で声がどういうふうに響くかなどということは建築計画の埒外だ、と。「よく声が聞こえなかったら、マイク使ってください」って。いや、それは違うでしょう! だって、ヴォーリズは教室の中で声がどう響くかを考えて設計しているんですから。100年前の建築家が配慮していたことを、現在の建築家は配慮していない。

今『寅さん』シリーズをずっと見てるんですけれど、あの「とらや」というのは音声環境がとっても良い環境なんですよね(笑)! 「とらや」は土間があって、小上がりに茶の間があって、奥に仏間がある、二階に上がる階段があるんですけれど、どこでも、話が聞こえるんです。仏間で満男が何か捨て台詞を言っても聞こえるし、台所で「タコ社長」が何か寅さんの悪口を呟いても聞こえる。いろんな場所で、いろんな人が発する言葉が全部拾われる。「とらや」では家族たちが「今、何て言ったの?」と聞き返すという場面がほとんどないんです。それと対比的に、「タコ社長」の経営する隣家の印刷工場は一日中すさまじい騒音の中で若者たちが働いている。叫ばないと相手に言葉が通じない。音声的に非常に不利な環境に置かれている。たぶん山田洋次は「とらや」と「印刷工場」を意図的に隣り合わせたんだと思います。一方は小さな声でも届く。一方は叫ばないと届かない。だから、そこにいる若者たちはコミュニケーション能力が向上しない。ギターを掻き鳴らして大音量で歌うのが精一杯の自己表現で、呟くように語るとか、言いよどみながら、自分の思いの輪郭を手探りするというような余裕が与えられていない。ですから、印刷工場の若者たちは、最初からレギュラーとして登場するにもかかわらず、ついに一人も「寅さん」シリーズの中で固有名を持った人物として登場することがなかった。どうでもいいことのようですけれど、意外に重要なことだと思います。
受講生:ありがとうございます。

受講生:僕は、実は、橋本治さんのあまり良い読者ではなくて、たくさんは読んでいないんですけれど、すごい惹かれるところがあって、なんで惹かれるんだろうってことが、今日、お話を聞きながら、なんか解きほぐされる感じで、本当にありがとうございました。とりわけ印象的だったのは、あらすじとか写生がクリエイティブだと、そこに批評性があるっていう。自分も国語教育で「お前、何考えてんだ」って言われ続けて、それで何を書いていいかわからなくて行き詰ってるみたいなことをずっと考えていたので、この言葉は橋本さんの作品を読む上で、ものすごく「ああ、その通りだな」と感じました。お聞きしたいのは、内田さんが先ほど「橋本治は後にも先にもいない。どこの系譜にも位置付けられない」と仰ったんですが、僕、今日、聞きながら、内田さんこそ、橋本さんの後を、全然文体とかやってることは違いますけども、継いでらっしゃる感じがしました。あらすじとか、説明とか、写生っていう言葉で繰り返し仰っていたんですけど、内田さんの文章って、すごく──橋本さんとはちょっと違うかもしれないんですけど──批判する相手がものすごく輝く、といいますか、
内田:(笑)
受講生:読んでいて、その批判されてる相手の本を読みたくなる。これ、いつも感じていて、レヴィナス論とかでフェミニズム批判されてますけど、そのフェミニズムの本の方を読みたくなって……その、何て言うんでしょう、あらすじを説明する力とか、内田さんが受け継いでらっしゃる感じがします。ちくまプリマーのシリーズは真似をされたと仰ってましたけど、橋本さんから受け継いだ部分があるというご自覚はお持ちですか? あと、もうひとつお聞きしたかったのは、橋本さんご自身が何かを批判するという形で書かれた本とかあったのか。もしあったら、ちょっと読んでみたいなと思いました。

内田:後の方の質問からですけども、橋本さんが誰かを批判してるというのは、ちょっと記憶にないですね。物を知ってる人間が、物を知らない人間に説明するのが不親切だっていうことはよく怒ってますけどね。それは、「てめぇ、さしずめインテリだな」っていう感じで(笑)。一般論的な怒り方ですけれど、個人的な批判というのは、したことないんじゃないですか。論争ということに巻き込まれたこともないし。

前の方の質問ですけど、さっき言った通り、ちくまプリマー新書の時に「臨書」という形で、橋本さんが説明する時の語り口をかなり意識的に模倣しました。それ以前からの長い読者ですから、文体上の影響は明らかに受けています。でも、それは「文体上の」というのにはとどまらない。今、僕は「レヴィナスの時間論」という連載を4年ほどやっています。『時間と他者』というレヴィナスの時間論講演を逐語的に精読するという趣旨のものです。講演録自体は90頁しかない短いものですし、これまでにもう何度も読んでるんですけれど、それを頭から1行ずつ精読しています。これって、考えてみたら、橋本さんが『窯変』でやったやり方を真似しているんですね。橋本さんは『源氏物語』がこれからどう展開するかわからないという状態で、目の前の1行を解釈した。僕もそれを真似て、『時間と他者』の目の前の1行を解釈することに、とりあえず集中する。この論考がこれからどう展開するのかは「わからない」ということにしておく。実際にはもう何度も読んだ本で、このあとどういうふうに論が展開するのかは知っているんです。でも、「知らないことにして」読んでいます。だから、目の前の1行を解釈していて、「たぶんレヴィナスはこういうことを言おうとしているのだと思う」と書いて、その次の行に行ったら、話が変わってしまっていたとしたら、「どうも先ほどの予想と違う方向に展開してしまいました……さあ、これからどうなるのでしょう」っていうのもあり、というやり方で書いています。ふつう、学術論文で「さっき書いたのは、ちょっと勘違いでしたので、方向修正します」っていう書き方はあり得ないんです。書き手は論文の全体を上空から一望俯瞰していて、序論から結論までを全部統御できているという前提で書く、というのが学術論文のルールですから。でも、『窯変』の橋本さんのやり方を知ってから、「そういうのも、ありなんじゃないかな」と思うようになりました。そういうスタイルで哲学的な論文を書いた人って、これまであまりいないと思うんですけれど、そういうやり方があってもいいんじゃないかな、と。そう思ったのは、橋本治という先駆者がいたからですね。専門分野は違いますけど、橋本さんの話の進め方、論の進め方には、すごく影響されています。足元の石ころひとつを凝視していると、そこから全体が見えて来るということがあるわけですから。ただ大事なことは、いくら解説が長くなっても構わないけども、とにかくスピード感、疾走感がないといけないということです。それがないと読者はついてきてくれませんから。それは心しています。

●橋本さんの教養の元は芸能

受講生:熱く語っていただき、ありがとうございます。あまり知識がない者としては、カルチャーショックを受けて、第1回からこんなことで大丈夫かしらと、相当、今、フラフラしてるんです。橋本先生の豊饒な世界とか、軽く、斜に構えたようでいて、実はとっても深い知識がチラッと自然と出てきてしまう雰囲気とか、空前絶後な方ということは、まだ少ししか本を読んでない中でも、今日の内田先生のお話で感じられたのですが、橋本さんは、それをどういった風に身につけられたんでしょうか。そこが、すごいミステリアスです。どうして、そういうグルーヴ感とか豊穣感とか、懐の大きさとかを身につけられたんでしょう。

内田:たぶん、橋本さんの教養というのは、昔の「庶民の教養」と同じソースじゃないかと思うんです。『シネマほらセット』でも豊かに出てくるのは、もちろん漫画や映画の知識もありますけれど、とにかく伝統芸能についての知識が豊かなんです。歌舞伎とか、読本とか、浄瑠璃とか、そういう方向の知識が豊かなんです。でも、これは橋本さんにとっては勉強して身につけたものじゃなくて、身近な生活にあった「ふつうのこと」なんですよ。子どもの頃からテレビを見ていれば、クレージーキャッツとかドリフターズとかの芸については「そんなこと、誰でも知ってるよ」っていうことになりますけれど、橋本さんにとってはそれが伝統芸能なんだったと思う。で、どうして伝統芸能かというと、そこが手薄だからなんですよね。橋本さんは「手薄なところは、私が引き受けなければいけない」という考え方をする人だったんです。僕はそれを「公共的」というふうに呼んでいるんですけれど。ちょっと、2人の対談で橋本さんが「公共」について書いてるところを読んでみますね。

内田 橋本さんってね、ほんとに徹底的に公共的な人ですね、やっぱり。現代日本の文壇で、これだけ浮いているっていうのは、結局、日本は私小説の世界じゃないですか。「私」というものをどのようにして精密に表現していくのかをみんな競っている。そういうところでまるで正反対の方向に、公共性の化け物みたいなものとしているんじゃないですか、橋本さんて。
橋本 だって芸人ってそうじゃないですか。(中略)芸人はお客さまのためですよ。やっぱり。(中略)お客さまの役に立たない役者なんて役者じゃないなって思う。つまり自分のフォローできる範囲を超えたところにお客さまがいるんです。自分はこれでいいと思っていたけど、お客さんはあまりそれを喜ばなかったりすると、自分の持ってる能力外のことを考えないとお客さんに受けるというところにいかないし、それをやらないと自分の芸域は広がらないみたいな考え方があって。俺はそういう前近代のところが全部しっくりわかるんです。(中略)パブリックであるように自分を構築すること自体がおもしろいんです。それはたぶん近代人じゃないんでしょうね。(『橋本治と内田樹』、文庫246頁)

橋本さんの教養って、前近代の教養なんですよ(笑)。だから、橋本さんは「作家」ですけども、主観的な立ち位置としては「芸人」なんだと思う。芸人だから、お客さんにとにかく喜んでいただかなきゃいけない。お客さんが自分の芸域の外のことを要求するのであれば、自分の芸域を広げなきゃいけない。これが橋本さん独特の「公共」的なスタンスだと思います。「自分を表現する」ことなんか、どうでもいいんです。橋本さんって本当に、徹底的に公共的な人なんです。今、この日本の文化的・歴史的な状況の中で、自分はいったい何をすべきなの、何ができるのか、「橋本治以外の余人をもっては代え難い、橋本治だけにできることは何なのか?」をいつも考えている。「私はこういうことが言いたい」じゃなくて、「私以外の誰にもできなくて、私にならできることは何なのか?」を考える。その次も橋本さんの公共性についての引用です。

内田 高橋源一郎さんが、前に「自分はどんな小説でも、最初の五ページを読んだら、その作品の質がわかる」と言ったら、ある編集者が「いや、橋本治さんは人がその本の話をするのを聞いただけで、どの程度の本かわかるそうです」と教えてくれたので、これは負けたと思ったそうです(笑)。その話を聴いたときは、橋本さんて勘が異常にいい人なのかなと思ったけど、違いますね。そういうことじゃない。自分じゃない人が読んでいる本も、自分が読んでいる本も、大きく「自分たちが読んでいる本」というところで結びつけられるんですよね。
橋本 そうなんです。だから、自分じゃない人がそれを読むんだとしたら、こういうことなのだろうという、類推はつくんですよね。
内田 自分がいま読んでいる本は、それは自分が担当して読むべき本であって、それを読むことが共同体のための仕事だ、と。
橋本 だから俺に、最近読んだおもしろい本はありますかと訊かれても、まずは無駄なんですよね(笑)。
内田 誰とも共有されてないから(笑)。
橋本 そうそう(笑)。
内田 「誰とも共有されない」ことをするというかたちで共同体に奉仕するのが橋本さんのパブリックですからね。(『橋本治と内田樹』、文庫277頁)

この時に橋本さんに「ほんとうに最近は何読んでるんですか?」って訊いたら、『続日本紀』だって言うんですよ(笑)。いまどき、そんなもの読んでる人、日本に橋本さんしかいませんよって(笑)。こういう本の読み方は、本当にパブリックと思います。パブリックというのは、本を読んでいるのが「私」じゃなくて、「私たち」だということです。自分が読みたい本を読んでいるわけじゃないんです。興味がある本はいろいろあるけれど、その中で「たぶん今の日本で橋本治しかそれに興味を持っていない本」を選んで読む。つねに、「私たち」という集団を基礎として、何を読み、何を知り、何を理解するかが問題なんです。知性というのは集団的にしか存立し得ないということを、橋本さんは熟知されていた。だから、周りを見渡した時に、「誰もやっていない領域」が残されていたら、「誰かこれやってくんないかな。でも、これできるのって、俺しかいないじゃん……」と思うと、やるわけです。薩摩琵琶のために作詞するなんて、もともと橋本さんの「芸域」じゃないわけですよ。女流義太夫の解説するとか。でも、「他の人が誰もやらないなら、俺がやるっきゃないか」って。自分の芸域をそうやって広げて、欠落を埋めてゆく。こういうのは「自己表現」じゃないですよね。「公共事業」ですよ。橋本さんが「誰もやらないこと」ばかり選択的にやるようになったのは、別に橋本さんがへそまがりだとか、好事家だとかいうのではなくて、橋本さんが徹底的にパブリックな人だったなんからです。

受講生:今の続きになるんですけども、他の人たちがやってない異質なところに飛び込んでいくという話で、まだ橋本先生が橋本少年か橋本青年だった時、あのポスターを選んだ学園祭実行委員も偉いという話も出ましたが、そういう風に世の中と繋がったり、「選ばれる存在」でいられたのは、橋本さんがどういうことをされていたからなのでしょうか。

内田:前に、「歴史の風雪に耐える書物とはどういう書物か?」訊かれた時に、「ひとにぎりの熱狂的なファンを持つ本」が生き延びると答えたことがあります(笑)。同時代に多くの読者を得て、批評家たちに絶賛された作品というのは、実はあんまり残らないんですよ。もう生きている間に十分に名声と栄誉を享受したから、後世の人が改めて「この人はすばらしい」と言い回らなくても、誰も困らないから。でも、同時代に十分な数の理解者を得られなかった作家については、後世の熱狂的なファンがしつこく「伝道活動」をするわけです。「この人の素晴らしさを知っている者があまりに少ない。俺が語らないと、この人の真価は知られずに終わってしまう」という奇妙な使命感を抱く読者がいると、作家は生き延びるんです。「みんな、知らないかもしれないけど、すっごいんだから、この人!」と言って、人の袖をひっぱって無理やり読ませるような、そういうはた迷惑な読者がいると、いいんです。その人の本が同時代では評価されず、さっぱり売れなかったということが、ますます「伝道師」の使命感をかき立てるわけです。

そういう点で、橋本さんは理想的なんですよね(笑)。同時代において、その業績について、ほとんど理解されなかったから。「橋本治研究」で博士論文書く人が出て来るのは、あと10年か20年先のことですよ。今書いたって、主査ができる大学の先生がいないから。でも、その代わり、それから後もずっと研究者は絶えないと思います。「オレが研究しないで、誰が橋本治を研究するんだ!」っていう使命感を感じさせるから。これから生まれてくる少年少女たちの中から、橋本治を読んで、脳天を砕かれるような衝撃を受けて、「すごい! どうして、この人のことを大人たちは知らないんだろう。教科書にも載らないし、試験問題にもならないんだろう。絶対おかしい。この天才の真価を理解しているのは、この世界に私だけかもしれない」って勘違いするわけですよ(笑)。でもね、この勘違いがとっても大事なんです。周りの高校生たちに「ねえねえ、橋本治って知ってる?」って訊いても、誰も知らない。「誰、それ?」という感じで。だから燃えるわけですよ。「こいつらに橋本治を読ませるのが私の生涯のミッションだ」と思い込む「橋本治の伝道師」がそうやって生まれる。僕がそうですからね! どうして僕が『シネマほらセット』と『アストロモモンガ』と『恋するももんが』を選んだかというと、「俺が語らずに、誰がこれらの本について語るだろうか」って(笑)。そういう変な使命感に駆り立てられているからですよね。僕みたいな使命感に燃えた読者がこれからあとも必ずそれぞれの世代から出て来ると思います。それが橋本治さんの作品がこれからも歴史の風雪に耐えて読まれ続けてゆく理由だと思います。

河野:これからも、「自分が語らずして、橋本治を誰が伝えるか」と思う方が次々と登場されると思います。今日はどうもありがとうございました。

(おわり)

受講生の感想

  • 私が新聞や雑誌などで知ったつもりでいた橋本治さんは「膨大な知識、深い洞察力、軽やかな感性の持ち主」だ。近いように見せていながら絶対に手の届かないところに居る印象だった。内田樹さんが語る橋本治さんは、それだけでなく、とてもチャーミングな方だったのだと思った。内田樹さんのお話で心に残ったことがある。「主観を入れずに写生をするように表現する」「あらすじが大切」「疾走感、グルーヴ感、ライブ感のある文章」「mapを作らずにはじめ、断片で説明する」。どれも、なるほどと肯いた。

  • 内田樹さんは、橋本治さんと一緒にお仕事もされたことがあるにも関わらず、今でも橋本治さんへの憧れがあり、橋本治さんに認められた喜びや、橋本治さんへの賞賛が途切れることなく続いているように感じました。先生は講義中、本当に楽しそうに橋本治さんの作品を声に出して読まれました。それを眺めるこちらも楽しくなる至福の時間でした。笑い泣きしたのは久しぶりでした。そして、私にとって大事なこと、授業に期待していたこと、ものを書く仕事に役立つ内容、知りたいこともたくさんありました。

  • 内田先生が「ファン」として橋本さんの奇書(失礼!)をとてもうれしそうに音読し、あこがれの橋本さんと会ったときの話をしてくださるのを聞いて、取り付く島がないと思っていたこの講座に、うっすらと「島影」が見えてきたような気がします。自分で橋本さんの著書をちょこちょこ読んでもここまでこられなかっただろうと思うと、「俺が語らねば誰が語るのか」という使命に燃えた熱狂的なファンこそが作品を後世に伝えるのだという内田先生の言葉に深くうなずきました。

  • 自分にとって、内田さんの講座のいったい何が「太陽(いちばんの衝撃)」だったのか。振り返ってみると、じつは「話の内容」ではなくて、「内田さんの態度」だったのだと思い至りました。「権威をまとわない態度」であり、「臆面もない敬愛の表現」であり、もっと端的に言ってしまえば「『シネマほらセット』の朗読」が最高だったんだなと。「よくこんなの思いつきますよねー」「面白いですよねぇ」「キリがないんですよね」……朗読の合間に挟まる内田さんの語り口がいまも耳に残っています。その光に照らされているからこそ、講座全体が輝いているんだなと。なんというか、内田さんが「小僧としての自分」で語りにいっているとぼくには感じられました。「小僧」として臆面もなく愛を語るのは、年を取っていくほどむずかしくなるのかなぁと感じるのですが、内田さんの姿は、ぼくもこんな風に年を重ねたいと強く憧れるものでした。