シェイクスピア講座2018 
第5回 串田和美さん

K.テンペストとシェイクスピア

15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。

串田和美さんの

プロフィール

この講座について

この日、ほぼ日の学校が自由劇場になりました。
車座の中心から笛の音とともに、まるでお芝居のように授業がはじまったのです。語られるのは、俳優さんや受講生の「記憶」。個人的な体験がみんなの記憶と重なり、得も言われぬ一体感が生まれました。そして、音楽家・飯島直さんのリードでみんなで作り上げた「春の島の音」。そこに重ねられた俳優・武居卓さんのことば。時空を超える「場」の空気を、いっしょに味わってみてください。(講義日:2018年3月13日)

講義ノート

何を話せるかな、と考えてきました。いつもちゃんと勉強しないでお芝居を作っちゃうもんですから、正しいことはほとんど言えないと思います。噓も言います。ゲスト席に詳しい講師が座ってますから、「あれは違うよ」ということがでるでしょう。お芝居は大体、噓ですから(笑)。

僕がシェイクスピアに出会ったのは、高校生のとき。母親と観た「十二夜」だったと思います。小沢栄太郎さん演出の俳優座。酒樽の上に板を乗せただけの舞台装置で、とてもおもしろいなと惹かれて観ました。1960年代に最初に自由劇場を作ったときは、俳優だけをやりたいと思っていたのですが、演出を担当していた人たちがバラバラになって、一人残って吉田日出子さんと若い人たちとまた集って、演出もやることになった。最初にやったのが「マクベス」でした。なぜ「マクベス」を選んだのか思い出せませんが、書いてあるとおりではなく、「マクベス」の運命についてのイメージみたいなものをやりました。さっき調べてもらったら1972年なんですって。

60年代までは、文学座と俳優座と民芸が3大劇団といわれて、そこから分かれた小さな劇団がいくつかある程度でしたが、60年安保のころから政治運動とかが重なって、各地で新しい動きが自然発生的に生まれました。東京でも唐十郎さんの状況劇場などアンダーグラウンド(アングラ)といわれる芸術運動がたくさん生まれました。そんななか、戯曲至上でなく「これが演劇」というのは何かを探していたような気がします。そういうのが僕の中にはずっと残っています。シェイクスピアも400年前の遠い国の話ではなく、今の時代の自分たちにとってこれは何か、私とどういう関係があるんだろう、そっちを大事にするような発想を持ってお芝居を作ってきました。

さて、今日は『テンペスト』です。読んできた人、いますか? 読んでない人もいますね。大事なんですよ、読んでない人。では、読んでいない人のために、大体こんな話ですというのを話してください。

受講生:
王が弟に裏切られて、娘と一緒に島に流されて、そこで復讐する機会をうかがっている。魔法を使って、王の座を奪った弟らが乗る船を難破させて、葛藤を味わわせながら、最終的には王の座に返り咲くというシェイクスピアとしては珍しいハッピーエンド。

なるほど。誰か補足してくれますか?

受講生:
私が「ああ、こういう事だったのか」と思ったのは、裏切った人が最後に許しを請うところ。だから、復讐劇ではあるんだけれども、なんか最終的に許しがあって、「ああ、こういう終わり方もあるんだな」と不思議な感じでした。おもしろいと思いました。

ほかには?

受講生:
精霊がでてきます。自分も復讐心から解放される、というのもテーマかなと思いました。

なるほど。じゃあ、一年前に「K.テンペスト」をやった俳優に聞いてみましょう。

細川貴司さん:
ミラノ大公プロスペローが、魔法の研究に熱中して、国の政治がおろそかになる。弟のアントーニオがナポリ王と結託して、プロスペローを国から追い出す。プロスペローは幼い娘と、身の回りのものだけ持たされて海に流されるんですね。これで死ぬだろうとみんな思っていたんだけど、ゴンザーロというナポリの優しい男が魔法の本とか大切なものを渡すんです。それから、時は過ぎ去って12年後の話です。ナポリのクラリベルというお姫様がアフリカ大陸のチュニスに嫁ぐ。みんなで花嫁を船で送って帰ってくる。その帰りに嵐が起きるのですが、これはプロスペローが魔法で起こした嵐なんです。嵐で一行を自分の島におびき寄せる。そして1人1人に嫌な仕打ちをしていくわけです。ところで、プロスペローが流れ着いた島には、悪魔の子と呼ばれるキャリバンがいます。見た目が汚くてみんなに嫌われている。それとエアリエルという妖精がいるけれど、見えない。10年間木の股にはさまれていたのを、流れ着いたプロスペローに助けられて仕えることになる。そしてプロスペローはエアリエルを使って魔法をかける。キャリバンは本来自分が島の王様だったのに、プロスペローがやってきたことによって、王の座から引きずり降ろされて奴隷のように扱われていると思っている。このほか、ナポリの王様ファーディナンドという気立てのいい男がいるんです。プロスペローは、この男と娘のミランダを結婚させようと会わせるんだけど、ちょっと障害を与えるんです。こういうことがいろいろありながら、プロスペローは、自分を追い出した弟と、自分をたぶらかしたナポリの王様を懲らしめて、彼らに心から悔い改めさせて懺悔をさせ、彼らを許す。そういうお話だったと思います。

わかりましたか? 聞く方が読むよりわかりましたか? やっぱり演劇は必要なんだ。すごいね。プロスペローは魔法を使ったり、船を沈めたり、いい人なのか悪い人なのか、読み方・聞き方によって変わりますね。しかも時代が変わるなか、「キャリバンを奪い返せ」という風に書いてある『テンペスト』もあったり、70年代には『テンペスト』を植民地問題を考える戯曲にした人もいました。『テンペスト』を読み返して意味をとることをみんなやっていますね。

おとといまでチェコの「白い病気」(カレル・チャペック作)というお芝居をやっていました。80年前、チェコにナチが攻め入る寸前に書かれた反戦劇ですけど、戦争だから悪い人と良い人の話というのではなくて、「寓話にしないと書きようがないもの」が書かれています。僕は一生懸命戦争に反対する医者の役でしたが、演じながら反対する人の矛盾も感じていました。きっとシェイクスピアもそのことを知っていて、だから突っ込みどころがあるようなものが生まれたのだと思います。世の中って、そうでないと表しようのない、きれいに説明できないものがある。だからお芝居にして、それを笑おうかみんなで泣こうかといった風になにかを感じるものにする。そういうことだと思います。

今日は松本でシアターカンパニーアルプを僕と一緒にやっている近藤隼くん、武居卓くん、細川貴司くん、下地尚子さん、音楽をやってくれた飯塚直さんに来てもらいました。僕らは作品を作る時に話し合いから始めます。「この本はどうでしたか?」「そう感じちゃったんだね」「そこを一番覚えているなら、そこがいいんだよ、きっと」とか、「それもありだね」という箇所を膨らませたり、役者だけじゃなくて美術の人とかスタッフも混ざって思い出話をしたりしました。『テンペスト』なら難破だから溺れる話とか、海の話、島の話‥‥。今日はそんな話もしてみようと思います。

じゃあお題は、島か海、溺れる、そんなようなものから‥‥。記憶にある海や嵐でもいいですよ。

近藤隼さん:
中学3年生の時に反抗期だったんです。祖母がアルツハイマーというか少し記憶が曖昧になる時期と重なっていたんですが、元気だったおばあちゃんがそんな風になってるのを認めたくなかった。夏休みに入って、おばあちゃん家に2人っきりになる時があって、すごくドキドキしていたんです。おばあちゃんとどんな時間を過ごすんだろうって。しかも台風の日で、急に雨が降りだしたんです。雨戸を閉めてたら、おばあちゃんがいなくなっちゃった。外を見ると、おばあちゃんが雨の中でシーツを干してたんです。あわてて外に行って、「何してんの」って言ったら、水たまりで踊るように喜んで遊んでいたんですね。なんかその時に、きれいだなーと思ったんです。その瞬間からおばあちゃんの世話をするのが不自然じゃなくなった。でもその年の年末には死んじゃったんですけど。嵐っていうと、僕の中でちょっとそういう不思議な時間だったというのを思い出しました。

うん。じゃ、次の人。

武居卓さん:
ちょっと僕の中で「テンペスト」に近い話をしますね。海の話。僕、岐阜県出身で海がないんです。泳げないし、海の記憶もあんまりないなと考えていたら、カニを思い出したんです。岩の間にいるちっちゃいカニ。あれを一日中バケツいっぱいに捕った記憶を思い出して‥‥「ああ俺の中の海はあそこで止まっちゃってんだな」と思っているうちに、大きなカニのことを思い出したんです。すっごい大きなカニがいて、最後にこれだけ捕ったら終わりにしようと思っていたんだけど、ずーっと捕れなくてイライラしちゃった。小学校低学年です。木の棒でガリガリやったり、切られてもいいと思って指を突っ込んでみたんだけど、向こうも頑なで出てこない。細い棒を見つけてきて、ガリガリってやったら、バーンってハサミが取れちゃったんですよ。おっきいハサミが。その途端に感じる罪悪感。俺は、自分の快楽、娯楽のために、この岩場でボスとして生きてきたこいつの人生を片腕で生きていかなきゃならないものにしてしまった。それを子供ながらに感じて、捕まえたカニを全部逃がしました。今日、松本からバスでくるときに、あのときの罪悪感を思い出しちゃったんです。そのままだと気持ち悪いなと思って、ちょっとバスの中で調べたんです。そうしたら、カニはハサミが生えるらしいんですよ。これ、救いと解放。「テンペスト」です。ずっと罪悪感抱えていたんですよ。でも調べていったら、アメリカにカニのハサミだけを使う名物料理があるんですよ。ハサミだけちぎって海に返すんですよ。生えてくるから。もうあり得ない!(笑)。今日の僕の「テンペスト」です。

下地尚子さん:
このあとに話すの嫌ですね(笑)。

海がすごい好きなんですね。両親が沖縄出身で沖縄に帰省するたびに海に連れてってもらったんですね。ひょんなことで母親と話をした時に、「お母さんねぇ、死んでもお墓いらないのよー」って言い出して、「私が死んだら散骨してちょうだい」みたいなことをよく言ってたんです。小さい頃は小さいなりに「お墓がなくて拝むっていやだな」と思っていたんですね。でも「K.テンペスト」を去年やった時の会場が横浜だったので、フェリーに乗ってみたんです。乗客は私ひとりで、ずーっと波を見ながらぼーっと乗っていたんです。そしたら波がヒュッ、ヒュッって顔を出してるように見えてきて、母親は健在ですけど、なんか「ここいるぞ」「ここいるぞ」みたいに、もし誰かがそこにいたんならこれはこれでいいかもしれないって思えたんです。ちょっと腑に落ちたという話です。

細川貴志さん:
僕は高知県出身なんですけど、小学校に上がったばかりの時、サマーキャンプに行ったんです。僕は色が黒くていがぐり坊主で、いつも走っている子で、「本町のカール・ルイス」って呼ばれていました。その時一緒に海辺で遊んだ子が「あきひろくん」っていう色白のきれいな感じの子なんです。たまたま2人で遊んでいたら、白い骨みたいなものがいっぱいあった。サンゴか貝かわからないけれど、それを「恐竜の骨だ」「化石だ」って話したんです。ふと見ると、ちょっと年上の男の子たち3人組が「バカじゃないのあいつら。こんなとこに恐竜の化石あるわけないじゃん」って言ってんですよ、こっちを向いて。無性に恥ずかしくなって、そいつらのとこに行って、耳元で「わかってるけど、つき合ってるんだよね」って言ったんです。裏切ったんですよ、あきひろくんのことを。ひどいでしょ。で、戻ったんだけど、さっきまでのあきひろくんじゃない気がしたんです。あきひろくんだって知ってるんです、化石じゃないことは。あのときの後悔をいまだにたまーに思い出して、「あきひろくんごめん」って思います。

受講生:
5歳ぐらいとかのときに、水上スキーみたいなのの後ろに乗せられて、途中で海にポンって落ちてしまって、フワフワ海の中を漂っていた映像だけが頭の中にずっとあるっていうのが、海の唯一の記憶です。苦しいとか辛いとかはなくて、すぐ助けに来る親の映像だけがある感じ。それを思い出しました。

受講生:
実はある時から散骨して欲しいなと思ってる自分がいます。どうして私はそう思ってるのかなと思いました。山に埋めて欲しいって言ってる友人もいたんですけど、私は海に散骨がいい。言ってる自分はいいんですけど、家族はどうなのか。そんなことを見つめてみたいな、と。

受講生:
今から16、7年前に、祖父母と父と僕の4人でキューバに行くチャンスがありました。信じられないぐらい海がきれいだったんです。海が透明で、魚が泳いでる様子が見えるんですね。童心にかえった父がすくったのが透明な魚なんです。その魚をもって祖母に向かって走っていって、「お母さん、これ透明だよ」って見せると、祖母がそれを見て「あら、とってもきれいね、でもかわいそうだから返してあげな」って言って、父が返しにいく姿を見たんです。その1年後ぐらいに祖母が急死するんですけども、海って52歳と70歳の親子に原始的な行動をさせるんだな、と思いました。僕はあの風景を一生忘れられなくて、みなさんのお話を伺っていて、すごくきれいにキューバでの父と祖母の映像が浮かびました。

あー、いい話。テンペストですね。

あまりにも『テンペスト』から離れちゃうかもしれないと思ったので、Kという頭文字をつけて、「K.テンペスト」という題でお芝居を作ったんですけど、こんなふうに話をしながら作りました。戯曲もちゃんと読んだけど、稽古場でも何度も何度も、こういう話をみんなで絞り出して、それを文章化して作っていきました。最初のセリフを読んでください。

(下地さん朗読)

小さな子どものころのことです。どこだったのか、とてもきれいな海岸でした。砂浜全体があわーい黄色、ベージュ色。手にとってサラサラサラサラ、サラサラサラサラ。海の砂って小さな石のつぶだと思ったけど、その海辺の砂はよく見ると貝殻やサンゴや魚の骨や、そういう生き物だったものたちの小さな小さな破片でした。「わぁ、これみんな生きてたものたちのカケラなんだ」。そう気がつくと、なんだかとてもうれしくなって、そしていつか僕もそんな海辺の小さなかけらのひとつになれるのかなと思いました。打ち寄せる波はやさしく、「おいでー、おいでー」と呼ぶようで、僕はバシャバシャ波の上を沖に向かって歩いていきました。どこまでも平気で歩けそうな気がしたんです。けれど海は突然、僕を海の底へ沈めようとしました。僕はとても小さな子どもだったので、泳ぐということも、溺れるということも、それから水の中では息ができないということもよくわかっていなかった。波は僕をぐるぐる回したり、海の奥の方へひきずりこもうとするのです。僕はなんだかからかわれているようで悔しいので、ちょっとむきになって目を見開きました。すると、海の中はとてもにぎやかで、たくさんのよくわからないものたちが、いろんなお話をしたり、歌ったり踊ったりみたいなことをしていて、僕も一緒に遊ぼうとしたら、急になにかが僕の体を引き上げました。気がつくと、お父さんや知らない人たちが僕の体をさすったり、名前を呼んで大騒ぎをしていました。

砂浜が「生き物のカケラ」
僕自身30代のころ、島に行くのが好きで、定期便がないような小さな島に行って、工事している人の宿に泊めてもらったりするのが好きだった時期があったんです。なんでこんなに島にこだわるんだろうと思ったら、小さいころ、脚に小さなシミがあって、妄想狂だったから「これは島の地図で、誰かが僕に埋め込んだんだ」と思ったんです。宝島の地図で、いつか誰かが僕の皮膚をはがしに来るか、生け捕りしに来るんじゃないかって小さいころずっと思っていた。だから島というのはすごく気になるものだった。関東にいると、砂って石でしょ。でも南のきれいな海だと、海岸がベージュ色でフワーッときれいで、貝殻や魚の骨やサンゴだと気づいたときに、「すごいなー。生き物のカケラなんだよ」と思った。だから死んだら海に散骨もいいな、にぎやかだろうなーと思ったんです。だから、『テンペスト』も、貝殻とか砂になっちゃった何かがしゃべってた話なんじゃないかっていうイメージがわいて、そう考えると自由になった。そうじゃないと、シェイクスピアを現実世界の話として考えると、それこそつまらない意味の矛盾だらけになってしまう。けれど、貝たち生き物がワイワイ話したことかなと思った途端に、全部が楽に読み込めるというか、分かるような感じがして、おもしろいなっていうふうにして取りかかった記憶があります。

(休憩)

僕は若いころ俳優学校で発声というのはこういうもんだと教わったのですが、自分ではしっくりこなかった。だから、どういう声がいい声かってずっと考えていました。自分がいいなと思うのは、相撲の呼び出しの声とか物を売ってる人の声とか、ちょっとシャリシャリッとしてる声がいい。「K.テンペスト」では、音楽家の飯塚直さんにいろんな人と声の練習をやってもらいました。お坊さんに来てもらって、みんなでお経をやったり、バリ島のケチャをやったり、モンゴルの北のロシア連邦トゥバ共和国のホーミーとか、いろんなことをやってみました。和音の作り方、いわゆる学校で教わるドミソとかとは違う不協和音と呼ばれるものとか、少しやってみましょう。

飯塚直さん:
今のドレミというのは、ヨーロッパの一部の地域で、ごく一部の人たちが体系化してきたもので、実はそのほかにいっぱいいろんな音階とドレミ以外の音楽があるんです。ピアノの音ではできない、色んな音と音が重なった素敵な世界があるんです。村の中で農作業しながら出している音や歌からできたり、遊びながら長い時間をかけて生まれてきたりした音楽なんですけども、「K.テンペスト」を作った時はいろいろ遊びながらやりました。では、なにか「今日の音」をつくりましょう。たとえば、ちょっと島っぽい、島に春が来た時の風のにおいみたいな。この部屋に島のにおいを作りましょう。コツは聴くことです。今ここがどんな世界、どんな音ができてるかなっていうのを見る。目で見るのではなくて、何か違うセンスなんですけど、ここにできている音を見る。もう一つのコツは、地球の裏側に向けて歌うといいです。

みなさんをいくつかのグループに分けてみましょう。そこに住んでる何か、ちっちゃいもの、精霊のようなもの、大きな鳥も出てきますし、人もいるかもしれない。こちらのグループが空。こちらは風になりましょう。海の底チームから行きましょうか。各自好きな音でいいです。合わせようと思わないでください。そのままの音で、ホワーン、ホワーンってリズムっぽく。いいですね。こちら、空というか、雲でもいいです。あんまり考えないでいいと思う。ちょっとシェイプを山型にしてみます。最後に生き物グループ。好きなことをしゃべってみてください。面白いですよ。笑ってる人とか怒ってる人とかいる。日本語じゃなくても構いません。訳の分からない言葉。早口の人、遅い人、つぶやいて黙る人、くしゃみする人、一番自由かもしれないですね。今、この時1回しかできない事件なので、合わせてみましょう。柔らかく、波みたいにサーッと続けて。うんとちっちゃくします。風に乗って聞こえてくる音のような、歌のような感じ。男性だけになります。だんだんちっちゃくして、息になります。はい、お疲れ様です。

串田さん:
プロスペローが娘と2人、流されてたどり着いた島には、原住民みたいなキャリバンというのがいた。エアリエルという名前のように空気のような、妖精のようなスピリッツがいて、キャリバンを操る方法を見つけて、魔法みたいなことをやる。それで嵐を起こしたりする。醜いという設定のキャリバンが言うセリフが、「この島にはいろんな音があるんだよ」。僕はそこがすごく好きで、その音は僕らに聞こえるものなのか、僕らが思っている音とは音の範囲が違うのかもしれないと思ったんです。何もないところで、1人でその音を聞いて、泣いたり楽しんだりしてるっていう話をするところがあるんです。そのセリフをちょっと読んでもらいましょう。そこに、今みたいな音を流すとしたら、どんなだろう?

音をちょっとやってみましょう。聞こえない音というのを、聞こえるという表現でします。表現って何だろう? ないものを「ない」と表現するとか、見えないものを見せるとか、聞こえないという音を作るとか。それがお芝居であり、絵画だったり、音楽だったりするような気がする。キャリバンにしか聞こえないものは、文明人が言うと「なんにも聞こえないじゃないか、何言ってやがんだい」っていうようなものだと思う。でも彼には聞こえているかもしれない。音というのは、鼓膜だけで聞くものじゃないぞということなんだけど、それを音で表す。無粋なようだけどしょうがない。文明人、我々には聞こえないけれど、彼に聞こえていたのはこんな音かな? という音を出しましょう。みんな知り合いでもないのに、それがワッと何か出来たら奇跡だから、おもしろい。

(受講生全員で島の音をだす)

武居卓さん演技:
ほら‥‥いろんな物音。良い音色、気持ち良い歌声、ウットリさせてくれる。でも何も悪い事しない。時に、いろんな楽器の音が耳もとでブワーッと響く事もある。かすかに響く事もある。ぐっすり眠ったあとに、目が覚めてこの歌声が聞こえてくると、またぐっすり寝ちゃう。それで夢見るとさ、雲が真っ二つに割れて、宝物が覗いてる。それが俺の上に降ってきそうだ。あとちょっと、あとちょっと・・・あとちょっとってとこで夢が覚めちゃうんだ。あぁ俺、夢の続きが見たいから、あの時泣いたんだ。

皆:(拍手)
いい、いい、良かった。

妖精とかそういうものが出てくると、「妖精出た!」って決めるのではなくて、「それは何の事を言ってたんだろう?」と一生懸命考えて、今のうるさい社会の中では聞こえないものや見えないものを感じてたんだろうなって思うわけです。それはシェイクスピアに限らず、昔の人や自然の中にいる人は、もっといろんなものを聞き取れていたんだろうと思うんです。何年か前に南アフリカに行った時も、子供がものすごく遠くの車をみつけたり、いろんな音が聞こえるって話しているのに驚いた。「気配」みたいなものにエアリエルとかスピリッツとか名前をつけているのかもしれない。僕らにそれを感じ取る力がなくなっちゃっているから、「そんなものいるかい!」と思ってるだけかもしれない。シェイクスピアがそんな事も考えて、名前をつけたり、筋をつけたりして、聞こえない音や見えないものをどうやってお話にして伝えるかの工夫をしてる。そういうところから、おとぎ話のように思えるものが生まれたんだと思うとね、素敵なことですよね。昔の人の方が優れている要素がたくさんあるぞって思いますね。

残り30分です。なにか質問ありますか?

受講生:
劇中歌ってありますよね。その時に、たとえばシェイクスピアの曲を聞いたわけではなく、想像しなきゃいけない場合、どういう歌を想像されますか?

串田:
その時々ですね。普通にいっちゃうと古楽みたいなものが聞こえちゃうんだけど、さっき言ったみたいにシェイクスピアはもっと違うものを聞いていたんじゃないかなーとか、いったん自分に問いかけます。

受講生:
「テンペスト」はシェイクスピア最後の作品と本に書いてありました。最後に、プロスペローが魔法を手放すのと、シェイクスピアが筆を置くのが重なっているのではないかという解説を読みました。「テンペスト」を演じたり演出なさって、どういうふうに感じられましたか?

串田:
まぁそうかもしれないけれど、でもそれは他人が言うことで、書いた本人は違うかもしれない。人というのは人が見て作られているものだと言えば、そうかもしれない。でも、「あなたはこうでしょ?」って言われても、「違います」って言えないですよね。シェイクスピアはもう死んじゃってるから。それ以上に、「この境地になって」・・・と言うけど、当時のシェイクスピアは結構若い。僕なんかよりずっと若い。年取った若者って感じ。だけどこういうものを書きたかったのか、自然にそれを選んでいく感じが、すごいと思います。当時もちろん、何百年か経つとこんな世の中になっているなんて思ってもいなかったかもしれない。どこかで思っていたかもしれないけども。その時に、人が捨てなきゃいけないものがあるとか、そういう感覚があったんだろうと思うと、すごい。僕らはなかなか捨てられない。原発だって何だって引きずっている。それでも捨てるってどんなだろう、ということを、400年後に連想させてるというのはすごいことだと思います。シェイクスピアは何を考えたんでしょうね、本当に。プロスペローは本当にしょうがない人です。やたら怒るし、差別するし、キャリバンいじめるし。しかも妖精まで罵ったりして。上手くやれば喜ぶ単純な人でもある。でも、「あ、自分だ」と思うところもある。魔法という言葉も、いろんなことを想像させたり考えさせてくれる言葉ですね。これが当時の英語で、当時の発音で、どんなふうに聞こえたんだろう? 意味じゃなく音として聞こえたんだろうかって想像しますね。意味を超える響きとして聞こえたんだろうか、とか。シェイクスピアにはそんなことも感じます。

受講生:
シェイクスピアは妻子を地元に残して、フッと芝居をやろうとロンドンに出て行ったわけですけど、串田さんご自身は、何を、どういうお芝居をやろうと思われたのですか。その情熱は、今もなおあるものですか? 何を求めていらっしゃるのですか。

串田:
インタビューでよく聞かれます。「何がきっかけでお芝居をはじめたんですか?」って。わからないんですよね、僕は。不思議とそこだけはあまり確固たる理由が見当たらない。僕は変な記憶がたくさんあって、広島に原爆が落ちた8月6日が3歳の誕生日で、その9日後に終戦になったんですけど、その時は、山形県の新庄の奥の小さな村に疎開していました。3歳だったけれど、その時の記憶がたくさんあって、お芝居を考えたり作ったりする時の元になっているような気がするんです。戦争からやっと解放されたとき、近所のおばちゃんに連れられてお芝居を見に行ったんです。ムシロ敷きの小屋で歌舞伎のようなものをやっていた。ゴザの上に座らされておにぎりを持たされた。ゴザの匂いと磯の香りのする海苔と、明かりの眩しさの中で、たいした衣装も着てなかったんだけど、おじちゃんたちがワハハと笑っている口の大きさや眩しさが、僕の原風景というか原動力かもしれない。親に聞くと、興奮して、何かしゃべりながらそこらじゅう走り回っていたようです。自分では記憶が無い。でもその風景は、自分をいまだにぐっと支えている感じがあります。

お芝居って残らない。どんどん無くなっちゃう。今は映像で残したりしますけど、それはどう見ても違うものだし、あの感じは残らない。寂しい仕事をしてるなと思うこともあったけど。でも「残らないから残るような感じ」もあると思います。疎開先の、役者の名はおろか、出し物も分からない、ただの気配みたいなものになってるんだけども、それが70年以上も経ってまだ僕を動かし、僕のことをギューッとひっぱっているって、すごいと思います。そういうものを作れたらなっていう気持ちがあります。そんな感じです。

シェイクスピア、どんなことを考えて芝居してたのかな。シェイクスピアは記憶を題材にしますね。記憶って、覚えてるっていうだけの記憶じゃないっていうかな、僕は、多くのものにそれを感じ取る。記憶の正体って何だろう。年取って記憶力がなくなるとか、そういう記憶とは違う。地面の記憶とか、地球の持ってる記憶とか、そういうものも含めて何だろうと。

他に質問ありますか?

受講生:
串田さんは、シェイクスピアだけじゃなくて、歌舞伎とか日本の古典芸能も演出されてると思うんですけど。古典芸能を演出することと、シェイクスピアを演出することの共通点とか違いってありますか。

串田:
古典っていうのは、リアリズムよりももっと真実。リアリズムでは表しようのない、今、生きてる実際ってあるでしょう。その表しようがないことを、神様が出てきたり、妖精が出てきたり、そういうものでしか表せないものの方がわかるようなことがある。歌舞伎も、話は単純かもしれないけれど、そんな物語を聞いて、そんな事があり得るとかあり得ないとかじゃなく、物語という様式で、もっと違うものを感じられるか、その大きさがあるかないかっていうこと。歌舞伎もシェイクスピアも、近代になるとうけるように直してしまってどれが本当かわからなくなってしまった。歌舞伎なんて長過ぎるから、一部だけやったり割愛したり。それから戯曲よりも演劇表現に目を向けるようになった。何十分もただ髪を梳くとか、そういうものを見ているうちに自分の心や体が影響を受けたり、空想しはじめる。そういうすごさってあるでしょう。古典のすごさというのは、そういうところかなと思います。

最後に、松岡和子さんが訳した「テンペスト」の終わりをちょっといじったものをやります。いろんなことがあってプロスペローは許す人間になろうとしながら、なかなか許せなくて苦しむ。でもやっぱり許そうという気持ちになったところです。僕の演出では、それまで演じていた人たちが、貝殻のような、砂のような、海の中の粒のような思いというものだけになって、みんな横たわっています。そこでプロスペローを演じた僕が、一人で立ち上がって、最後の挨拶をする。原作を大事にしながら、立ち上がったところのお話をします。

串田さん演技:
そこにお座りの皆様方、こうして私の魔法は崩れ去りました。自ら、地の底深く埋めると言いながら、同時にこのプロスペローも消え去ることでしょう。一同と一緒にナポリへ向かうと言いながら。私は、魔法を学んだが、現実世界に生きる術にはならなかった。人間の心を知る事。生きる者の営みについて、異なる利害の人々との共存を学ぶ術は見つけられなかった。憎しみではなく、理性を持って許し合う事に、微かな願いを抱きながら。そもそも、このプロスペローは、海に沈んだ罪人たちが思い描いた空想の存在に過ぎません。海辺に打ち上げられては、引いてゆく、骨のカケラの小さな、小さなつぶとなった、いくつもの思いたちの他愛のないお喋りに過ぎません。私もまた空気の中の希薄なスピリットに過ぎません。どうか皆様方の優しい息で、私の船の帆を膨らませて下さい。願いを込めた拍手の力で、私たちの いまし めを解いて下さい。願いの力は大気に溶けて、再び歌になるでしょう。

おわり

受講生の感想

  • 声を出さないで聞いていたい、と思うくらい
    教室が音に包まれていて、ぞくぞくしました。
    あんな音が人間の体から出るんですねえ。
    目を閉じると、海辺の風を感じられるようでした。

  • 音に包まれたとき、涙があふれました。

  • 「声」がつくりあげる世界が
    どこまでも広がっていくのを実感しました。
    プロスペローやエアリエルといっしょに
    島にいる気持ちになりました。

  • 串田和美さんの演出の秘密が
    すこしわかったような気がしました。
    お芝居を観にいくのが
    もっと楽しみになりました。