スペシャルイベント 
番外編  たらればさん

たらればさん、SNSと枕草子を語る。第一部

たらればさんの

プロフィール

この講座について

たらればさんは漫画から古典文学まで幅広いテーマをつぶやき、フォロワーは約14万人という人気ツイッター・アカウント。本職は編集者です。

糸井をはじめ、私たち「ほぼ日の学校」がとりわけ惹きつけられたのは、『枕草子』や『源氏物語』について熱く語るツイートです。ほぼ日の学校・番外編の本講義では、特に思い入れの深い『枕草子』の魅力をたっぷり語っていただきました。

「いまの時代、特にSNSが好きな人にとって『枕草子』は相性がぴったり」ということで、第一部では最初の10分ほどは歴史背景のミニ解説、その後は「SNS」をキーワードに、古典が苦手な方もたのしめる枕草子の魅力をお届けしました。第二部は、たらればさんが敬愛してやまない、京都学園大学山本淳子教授をゲストにお迎えしました。あこがれの教授を前に、たらればさんがご自身で「僕がいちばんの役得でした」と語るように、本当にうれしそうに、大好きなテーマについて縦横に語ってくださいました。

講義ノート

■美しい姫君と不安に震える幼帝の「ものがたり」

みなさん、こんばんは。たらればと申します。
本日は本題に入る前に、少しだけ、予備知識として、「歴史の話」にお付き合いください。
ある、悲劇的な運命をたどった、美しく聡明なひとりの姫君のお話です。

その姫の名を、藤原定子(ていし)。波乱に満ちた長い天皇家の歴史のなかでも、とりわけ数奇な運命をたどった妃です。
貞元(じょうげん)2年、西暦977年生まれです。ちょうど千歳年上の方とかいらっしゃるのではないでしょうか。

今から約1030年前の正暦元年(西暦990年)、定子は一条天皇の妻となるべく、皇族として宮中に入りました。
婚姻は彼女が数え年14歳になったばかりの春、つまり今でいうと中学1年生の頃のことでした。
迎える一条天皇は当時、数え年で11歳。
彼は母がたの祖父である藤原兼家の政略により、数え7歳で天皇に即位しています。当時の最年少記録ですね。

のちほど詳しく述べますが、こうした「幼い帝」は、この頃の日本の政治体制、特に天皇家と藤原氏の関係を考えると、なかば必然的に生まれた制度といえるでしょう。
この「幼帝」、「摂関政治」、そして枕草子や源氏物語を生み出した「後宮文化」は、それぞれが密接に携わり、支え合っています。のちに、日本文化史上最高峰と呼べる宮廷文化を作り上げることになる、一条帝も、このときはまだ、不安に震えるひとりの少年でした。

■貴公子の父と、知性で駆け上がった母と

定子の父親は、当時の最高権力者であった藤原兼家の長男・将来が約束された貴公子、藤原道隆。
同じく、母は和歌にも漢詩にも詳しく、知性で道隆の心を射止めたキャリア女子・高階貴子。
貴子は「内侍(ないし)」という、いまでいう女性高級官僚であり、漢詩の才能を認められてたびたび殿上の詩宴に招かれていたそうです。そんな彼女が道隆に送った和歌が、小倉百人一首に残っています。

「忘れじの 行末まではかたければ 今日をかぎりの 命ともがな」
 大変有名な一首ですね。儀同三司母という名前で載っています。
「もしあなたが今おっしゃった『ずっとこの気持ちを忘れない』という約束を、生涯守り通す自信がないのであれば、今日この瞬間までの命でもかまわない」
と、命がけの恋愛であることを強調した歌です。

この、定子の両親の属性。有能なキャリアウーマンであり、その知性と社交性に加えて、恋人に熱烈なラブレターを送るほどの貴子の情熱、さらにそれらを真正面から受け止めて、正妻として迎えた道隆。こうした父と母に育てられた、藤原定子という女性が妻として後宮に入ったことは、日本文学史上において、非常に大きい意味があると私は思っています。

■後宮文化の旗手となるべく英才教育を受ける

藤原道隆家(中関白家)の教育方針は明快でした。
明るく優雅、高貴にして洒脱であることこそ至高。
こののち、盛大に花開くことになる「後宮文化」の旗手となるべく、定子は文化の英才教育のなかで育ちました。その甲斐あってか、定子は入内後たちまち3歳年下の一条天皇の心をとらえます。 
一夫多妻制の時代にあって、一条天皇はただひとりの妻として定子を愛し、定子の両親や兄・藤原伊周らとともに、仲睦まじく暮らし、その様子が『枕草子』に華やかに綴られることになります。
平安中期、藤原氏の隆盛を支えた「摂関政治」と「後宮文化」とは、娘に教養を与え、天皇の妻として入内させ、その娘の魅力で天皇を惹き寄せることで発達していったのです。

■この環境がひとりの天才を開花させた

さて、定子入内から3年後、まさにその華やかな後宮の絶頂期に、当時28歳、バツイチ子持ちだったひとりの女性が出仕することになります。
父は有名歌人だった中流貴族の清原元輔。母の名前は伝わっておらず、また、彼女自身の本名も現代には知られていません。
女房名は清少納言。

父・元輔は「梨壺の五人」のひとりであり、勅撰和歌集「後撰集」の選者でもありました。
元輔50歳の頃、遅く出来た末娘だったこともあり、たっぷり甘やかされて育った清少納言は、博学で負けん気が強く、ミーハーで美意識に厳しい、とはいえカラッとした性格の女性だったと想像されます。
17歳の美しい中宮となっていた定子のもとに出仕した清少納言。
はじめは大変緊張していたものの、すぐにその才能を開花させてゆきます。

「香炉峰の雪」と聞けば格子をあげ、「鶏に急かされて」と言われれば「孟嘗君のことか」と返す。阿といえば吽、ツーと言えばカー、当意即妙、軽妙洒脱。
定子後宮では、分厚い教養を土台として、活発で機知に富んだやり取りこそが奨励されました。清少納言はまさにそのなかで活躍したのです。
その活躍する姿と中関白家の隆盛の姿こそが、『枕草子』の中心的テーマといえるでしょう。

さらに言えば、もともと素養があったとはいえ、清少納言が、名も知られぬひとりの中流貴族の娘から、いま誰もが知る「清少納言」という存在になれたのは、定子とそのサロンがあったからだといえるでしょう。

しかしそうした美しく華やか時間は、まもなく終わりを告げます。

■坂道を転がるように堕ちてゆく

定子の父・藤原道隆が、清少納言出仕1年半後の995年5月に病死します。
アルコール依存症と糖尿病の併発だったと言われております。
享年43歳。
皆さま、健康にはくれぐれも気をつけてください。
代わって台頭したのは道隆の末の弟・藤原道長。
そう、「この世をば、わがよとぞおもう望月の 欠けたることもなしとおもえば」と詠み、のちに平安時代最強の権力者と呼ばれる道長が台頭してきたことによって、権力の後ろ盾を失った定子たちは、坂道を転がるように「幸せな座」からすべり堕ちてゆきます。

権力を盛り返そうと企てた定子の兄・伊周らは失態を犯して都から追放され、続けて母を亡くし、住まいは火事で消失。定子自身、ショックを受けて出家するも、一条天皇の強い希望により還俗させられ、それでも道長一派からの抑圧を受け続けます。
こうした逆風の中、定子を支えたのは夫である一条天皇とその愛でした。
宮廷の政治を支える多くの貴族たちが藤原道長派へとなびく中で、一条天皇は変わらず定子を愛し続け、定子はそれを支えに生き続けたのです。一人目の女子を生み、二人目は男子を生みました。この時代、天皇の子を産むということは政治的に大変な意味を持つことです。
子供を作ることで着実に定子と一条天皇は宮廷内で地歩を固めていきました。
しかし、前述のように、実権を握る藤原道長からの圧力は日に日に強まり、定子に対する精神的、文化的抑圧は、加速して行きました。

■「わたしはその、涙の色が見たい」

一条天皇との婚姻から10年、清少納言出仕から7年、道隆死去から5年、西暦1000年12月、定子は3人目の子供を生んだ直後、失意のうちに亡くなります。
享年24歳でした。
すでに運命を悟っていたのか、出産直前につづったとされる、一条天皇への愛を詠んだ辞世の句が遺されていました。

「夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき」

後拾遺集にも取られた恋歌です。
「もしあなたが、わたしと過ごした夜を想い出して、なつかしんで泣いてくださるのであれば、わたしはその『涙の色』を見とうございます」。
定子はこの苦境にあって、死を覚悟してなお、一条帝に「あなたと一緒に生きていたい」という歌を遺すんですね。

権力の頂点から一転、一族郎党「罪人」扱い。絶頂期から奈落の底へ。この一連の政権交代劇は、「長徳の変」と呼ばれています。薬子の変や本能寺の変と同じ、政変ですね。

■「それこそが、わたしの生まれた意義なのだ」

みなさん、今日は、これだけは覚えて帰ってください。
『枕草子』とは、清少納言という天才作家が、およそ7年の出仕期間のあいだに経験した、あざなえる縄の如き禍福の、そのうち美しく輝く時間と空間をよりすぐって閉じ込めた作品です。

時代は変わる。環境も変わる。権力は移ろいやすく、そのなかで多くの人が生き、死んでいゆきます。その政治的、人間的、文化的大転換の真っ只中に、清少納言は直面しました。

それでもあの、短いけれど美しく気高い時間と空間は、永遠に遺すべき価値のあるものだ。
ほかならぬわたしが遺すのだ。
あそこで名付けられ、あそこで生きがいを得た、わたしが遺すのだ。
それこそが、わたしの生まれた意義なのだ。
清少納言はそう考えたのではないでしょうか。『枕草子』は、こうした背景のもとに生まれた、美しいキサキ・藤原定子に向けた、追悼と鎮魂の作品なのです。

■『枕草子』を知ることで日々の生活に彩りを

前置きが大変長くなりました。
皆さま、改めまして、こんばんは。
本日はようこそいらっしゃいました。ご覧のとおり、犬ではなく立派な人間(?)です。
本日は、日本最古の随筆である『枕草子』について知ることで、ほんの少しでも皆さまの日々の生活が彩り豊かになればと、その魅力を伝えていければなとおもいます。

わたくし、普段は出版社でウェブサイトの更新や、紙の本を作る編集者をやっています。
ツイッターはあくまで趣味なんです。
毎日気分よく会社の休み時間などに…あ、休み時間に、ですよ。ツイートしていたところ、糸井重里さんと、このほぼ日の学校の河野校長に見つけていただきまして、ここでこうして喋っているわけです。

■なぜ「今こそ古典」なのか

さて、わたしの計算によると、いまちょうど第1部の1/4くらいなので、ちょっとした雑談を交えながら進めたいと思います。

この中でツイッターのアカウントをお持ちの方はいらっしゃいますか?
「はい」という方は、わたしに向かって目をパチパチさせてみてください。
これね、ツイッターで仲良くなった友人の病理医に教わった手法なんです。便利なんですよ、周りの人に知られず、登壇者のわたしにだけ見えるんです。
では改めて、わたくしをフォローしてくださっている方は? はいパチパチパチ。
「実は源氏物語のほうが好きだ」、という方、パチパチパチ。
 ふむ。
今日はわりと本気で「犬がくるんだろうな」と思っていた人は?
あはは…そんなわけあるかい。
「実は猫派だ」、パチパチパチ。
あー……やりづらい(苦笑)。よくわかりました。ありがとうございます。

はい、冒頭で申し上げたとおり、本日お話を進めるのは、『枕草子』についてです。
この9月に「ほぼ日」のサイトに2500字くらいの「なぜ今こそ古典」なのか、「なぜ今こそ『枕草子』なのか、『枕草子』とSNSは相性ぴったりなのか、という文章を寄稿いたしました。今日は、あそこに書かれていることの、さらなるアップデート版、枕草子寄りにもう少しだけ突っ込んだ話をします。

■「人の気持ち」が文章で見える時代に

本題に入る前に、SNSについて大事なことをこの場でひとつだけ付け加えると、インターネットとSNSが発達したことで、現代は有史以来もっとも「人の気持ち」が可視化される社会になっています。
「文字として書いたもの」と「書き手の気持ち」がイコールかというと、厳密に言うとそれはまた難しい話ではあるのですが、とはいえ一般的には、SNSに書かれた言葉は「その人の気持ち」だと認識されています。

「その人はどんな人物か」を判断する際に、「その人はどんなことをどのように書いているか」が重要になってきている。
たとえばわたしのフォロワー、わたしの書いたものを日常的に目にする人は、およそ13万人いますが、生身のわたしに関わり合いのある方は、それに比べるとごくごくわずかです。
つまり、ほとんどの人にとって、「わたし」といえば、わたしの書いたものの中にだけ宿る「作者像」のことなんですね。

これはいささか極端な例ですが、しかし数の大小はあれども皆さんも同じです。
メール、LINE、チャット、ブログ、SNS。書いたもので判断され、書かれたもので判断している。文字による情報流通量が爆発的に増加した社会とは、そういうものです。

するとどんなことが起こるのか。
あまりに多岐にわたるのでここでは詳しく話しませんが、個人的に、その人は、普段どんなものを読んでいるのか、どんな言葉を発しているか、どんな言語空間、どんなコミュニティに属しているのか、それが、その人の「人格」を左右する時代なんだと思っています。
「人格」。
すごいですよね、「人格を判断される」って。
けれど実際問題として、人と人とがコミュニケーションを重ねる際には、大なり小なり相手の人格を判断するものだと思っています。その判断の手がかりになるのが、その人の書いた文章であると。そういうケースが激増していると、そういう話です。

■普段どんな言葉に囲まれていますか

もちろんこれまでも、そうした人格判断、あるいは人格への影響はありました。書いたものやどんな言語空間に属するかで、その人の性格や気性が判断されてきた。
けれど今は、その影響力が桁違いに上がっている、「世の中に流通している文字情報があふれる」というのは、そういう時代なのだと思っています。

言葉は社会的なものです。どんな言葉に触れ、どんな言葉を綴るかは、なにより自分自身の人格に強い影響を及ぼします。
文章が、自分自身を変えてゆき、他人に与える印象を作ってゆく。そういう時代なのです。
皆さんは普段、どんな人と、どんな話をしていますか。
どんな言葉を綴り、どんな言葉を受け取っていますか。
その言葉たちが、ゆっくりとですが、少しずつ、自分の人格に影響をあたえ、受け取る相手へ印象を形付けていることに、もう少しだけ敏感になると、よいことがあるのではないかと思っています。

本日は「枕草子」という、日本最古の随筆についてお話しします。

「随」とは「ありのままにしたがう」という意味です。
「随筆」とは、「随想」とも言います。
筆にしたがう、想いにしたがう。
日本語で最初に書かれた随筆が、その奔放なイメージとは裏腹に、いかにコントロールされたものか、「想い」を律して書かれたものかを、本日はじっくり紹介してゆきたいと思います。

■「世界観」を知ることで受け取る情報が増える

さて。
唐突で恐縮ですが、皆さん、エレクトリカルパレードってご存じですか。
東京ディズニーランドで毎晩開催されている、パレードショーです。
わたし、ディズニーにはあまり詳しくないんですが、好きなんですね、あれ。
見ているとわくわくしますよね。
今回の講演で例としてあげるのは、サッカーの代表戦でもプロ野球の日本シリーズでもよかったんですが、今日はディズニーランドのエレクトリカルパレードを例に立てて進めたいと思います。

あのパレードを一度でも見たことがある方ならわかると思うのですが、あれは、登場するキャラクターのそれぞれのディズニー映画作品を見ていると、よりパレードが楽しめる仕組みになっています。
詳しい人はご承知のとおり、パレードは「フロート」と呼ばれる電飾でキラキラビカビカと飾られた、きらびやかな乗り物ごとに世界観が区切られています。

『ふしぎの国のアリス』では金髪の少女がキョロキョロしながらネコに乗っています。
『ピーターパン』では緑の服を着た少年が船の上で海賊と戦っています。
同じように、『トイ・ストーリー3』、『アラジン』、『塔の上のラプンツェル』、『シンデレラ』、『美女と野獣』、『アナと雪の女王』などなど、作品に沿った衣装に身を包んだキャストたちによる、ダンス、そして音楽をともなう豪華絢爛なパレードなんです。
綺麗なんですよ。
ただなにも知らずパレードを見ても、美しい電飾、美しいダンス、美しい音楽に圧倒されることでしょう。

しかしそれだけではなく、それぞれのディズニー映画を何度も見ていると、世界観ごとの各キャストのダンスや仕草、他のキャストとのからみに、より一層の「物語」を感じることができる。

ピーターパンとアラジン、シンデレラとベルは、「それぞれまったく違う動き」をしています。
当然です、背景にある物語がまったく違うのですから。「同じパレードを見る」、という経験を得たとしても、そこから受け取る情報量には大きな差がある、ということです。あらかじめ持っている情報量が多ければ多いほど、「ある体験」から読み取れる情報が増えてゆく。

■情報の量を増やし、質を上げる方法は

先ほど申し上げたとおり、もちろんこの話は「エレクトリカルパレード」に限りません。
たとえばプロ野球の試合だってそうでしょう。
それぞれの選手に来歴があり、監督に物語があり、チームに歴史がある。
個々のプレーには意味があって、そのひとつひとつが積み重なって「ひとつのゲーム」が組み上がる。そのゲームのどこに注目するか、どれだけの物語を引き出せるかは、見た人それぞれの内に秘めた「情報の質と量」によってかわってくるんです。

では最も効率的に、最も効果的に、この情報の量を増やし、質を上げる方法はないのか。あります。私の知る限り、ひとつだけあるんです。

「たやすいことだ。愛すればよい」
さだまさしさんの名曲ですね。

この三角形はですね、上とか下とか、右とか左とかではないんです。
水平にして、どんどん未来を指し示す図だと思えば良いんです。
最初は「きれいだなー」とか「おもしろいなー」だけでよい。そう感じることで、皆さんは「好き」、「おもしろそう」という「鍵」、キップを手に入れているんです。

また、もうひとつ。
これはとても大事なことなんですが、もし仮に、皆さんに「その先に広がる巨大な三角形」見えなくても、この世のどこかには、それが見えている人がいるということは覚えておいてください。
この世界には、多くの「知識と好奇心によって知ることができる、巨大な知の体系があるんだ」と、「たまたま今の自分には見えていないだけだけど、その体系はたしかに存在するし、その体系を愛し、その先へ突き進んでいる人たちがいる」とおぼえておくこと。
それは、皆さんの人生を豊かにするし、他者への理解と慈しみを生み出す源泉になるでしょう。

■きっかけは「なんかカッコいい」で充分

話は戻って『枕草子』です。
先ほどの知識の話。たとえば『枕草子』だったらどうか。
きっかけはなんでもいいんですよね。
清少納言先輩かっこいいー、でもいいし、なんかスカッとしたこと言ってくれたー、でもいい。「いまの私達と変わらないじゃないかー」なんてところでもいい。そこから、「ちょっと読んでみようかな」と思うと、と、無数の扉が現れるはずです。
このどれかを叩いて開けてみればよい。

古典といわれるだけでなく、世の中の「すぐれた作品」と呼ばれているコンテンツには、こうした扉がたくさんあります。もちろん、この扉をひとつ開けると、この先にはさらにたくさんの扉が広がっていて、しかも別の扉からやってきた仲間と同じ部屋で出会えたりするんですよね。

ちなみにこれはSNSでも同じです。
何を書こうか、ではない、書くべきことは無数にあるんです。この扉が見えていないだけなのです。
ではこの扉はどうすれば見えるようになり、どうすれば開くようになるのか。
はい、先ほど申し上げましたね。「たやすいことだ、愛すればよい」。
今回は、このうちのいくつかの扉を少しだけあけて、中を覗いてみたいとおもいます。

■耳に届くフレーズが、意味を知ると変わって響く

星の数ほどある日本文学作品のなかでも、最も有名な冒頭部分……といっても差し支えないでしょう。本日お配りした小冊子にも書かれておりますが、現在中学校の指定国語教科書には、すべてこの冒頭部分が記されているそうです。
すなわち、義務教育を修了した人なら全員このフレーズを目にしたことがあるはずです。

「春はあけぼの」

今からこれを、わたしが音読してゆきます。
なぜ音読するのか。
それは、いまこの瞬間と、この一連の講義が終わったあとでは、耳に響くこのフレーズが、間違いなく変わって響くからだという確信があるからです。

まずは皆さん、お手元の小冊子に目を落としても構いませんし、スクリーンに映った文面を目で追っても構いません。
僕が読むこの第一段の文面を、目で追ってみてください。

春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山際、少し明りて、
紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

夏は夜。
月のころはさらなり。闇もなほ。
蛍の多く飛びちがひたる、
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて
行くも、をかし。雨など降るも、をかし。

秋は夕暮れ。
夕日の差して山の端いと近うなりたるに、
烏の寝床へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど
飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、
いとをかし。
日入り果てて、風のおと、虫の音など、
はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは言うべきにもあらず、
霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、
火など急ぎおこして、
炭持て渡るも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、
火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

はい、なつかしいですね。
みなさん、なんとなく覚えているもんだなと実感しているのではないでしょうか。
お配りした冊子には、現代語訳も掲載しております。そちらもぜひご参照ください。
古文としては、一見非常にやさしく、それでいて解釈の可能性に幅のある、大変な名文です。ではこの、400字あまりの、日本で一番有名な冒頭部分は、どこがどうすごいのか、少し詳しく見て行きましょう。

■なぜ「春」から始まっているのか?

まず、300段以上ある『枕草子』は、なぜ冒頭にこの「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」というフレーズを置いたのか。
生活習慣から男女の色恋、歌枕や日記など、多岐にわたる話題のなかで、清少納言がまず冒頭で「季節それぞれの長所」を取り上げたのには理由があります。
その理解のためには、「勅撰和歌集」への簡単な知識が必要です。
「勅撰和歌集」とは、天皇や上皇の命令によって編纂された、その時代を代表する和歌集です。
いわば文明のモニュメントですね。
勅撰和歌集の歴史は、醍醐天皇の…、醍醐天皇というのは、先ほど登場した一条天皇の曽祖父、ひいおじいちゃんです。その醍醐天皇の勅命によって西暦905年に成立した「古今和歌集」から始まりました。

2番目の勅撰和歌集は醍醐天皇の息子である村上天皇が作らせた『後撰集』。
その選者が清少納言の父・清原元輔ですね。
一条天皇は祖父である村上天皇を尊敬しておりましたから、そうした接点もあって清少納言やその彼女が書いた作品を愛したのだろうと、そういう接点もあったと思われます。

さて勅撰和歌集。
西暦1439年に後花園天皇の勅命で編まれた『新続古今和歌集』まで21編が存在します。
この勅撰和歌集には、21編すべてに共通する重要なルールがあります。
それは「春夏秋冬、四季おりおりの和歌が冒頭に置かれること」。
和歌集ですから、季節の歌だけでなく、離別の悲しみ、恋の切なさを詠んだ歌も多数収められているのですが、この、「冒頭に春夏秋冬を置く」というルールは踏襲され続けています。ではなぜ、勅撰和歌集は冒頭に春夏秋冬の歌を置くのか。

■天皇とは時間と空間を支配する存在

ご承知の方も多いと思います。
勅撰和歌集とは「天皇」に命令で編纂された、天皇に捧げられる和歌集だからです。
「天皇」とはそもそも、「この時間と空間を支配する存在」です。来年(2019年)、「平成」から元号が替わります。大正から明治、昭和、平成と、天皇が替わることによって元号も変わってきました。元号とはすなわち暦であり、時空間を指しています。

つまり、春、夏、秋、冬と季節を唱え、それぞれを寿ぐことは、それはそのままその治世を寿ぐことにつながるのですね。

みなさんご承知のとおり、『枕草子』は勅撰和歌集ではありません。和歌集ですらない。
しかしこれはわたくし、確信を持っているのですが、世界中で唯一人だけ、清少納言は勅撰和歌集を書くつもりで『枕草子』を執筆したのだと思っています。
この作品で定子様の御代を寿ぐのだ。
それが私の役目なのだと。
そういう決意をもって、「春はあけぼの」という冒頭文を書き出したのだと。

■日本語と相性がいいテンポ

また、これは『枕草子』を読む上ではあまり意識されていないんですが、「春はあけぼの」、「夏はよる」、「秋は夕暮れ」、「冬はつとめて」、それぞれ七五七七音なんですね。
「は る は あ け ぼ の」、七文字七音。

平安時代、自身の気持ちを表す主流の表現手段は和歌でした。
五七五七七。七五調というのは日本語にとても相性のよいテンポなんですね。
先ほど申し上げたとおり、清少納言は和歌の名家出身ですから、当然、書き残す作品は和歌でもよかったはずです。しかし彼女はあえて散文、随筆というかたちで作品を残しました。そうした表現手段をとってなお、和歌のいいところはしっかり反映させているんですね。

この、全体的には散文だけど、作品の冒頭、イントロダクションには七五調を置く、という表現手段は、多くの日本語作品でいまもよく見られます。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」(川端康成『雪国』)
「子供より 親が大事と思いたい」(太宰治『桜桃』)

【七五調】
あなた変わりは ないですか 日ごと寒さがつのります(北の宿)
隠しきれない 残り香が いつかあなたに 染み付いた(天城越え)

【五五七調】
愛しさと 切なさと 心強さと

【五五七五調】
空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ 星になる

 はい、『TOKIO』です。作詞・糸井重里ですね。

『枕草子』第一段に仕込まれた演出はまだあります。

【前後参照の構文】
たとえば「春」は朝焼けでグラデーション、夏は夜でモノトーン、秋は夕焼けでグラデーション、冬は雪景色、これは読み手に想像させる景色の色調がグラデからモノクロ、またグラデ、そしてモノクロと、交互になることでそれぞれの情景がより鮮烈になるような工夫がされている。

【反転屈折の除法】
最後にオチを付ける手法です。春の章段には「をかし」という言葉は登場しません。
省略、夏で、をかし、いとをかし、冬でつきづきし、最後に「わろし」

【対句構成】
春のフレーズには「山際」、秋のフレーズには「山の端」が登場します。
これは漢詩のテクニックですね。五言絶句とか七言律詩とか、清少納言は漢詩にも詳しかったこともあり、そうした技法をこの第一段に組み込んでいるんですね。
この仕掛けは「表」にすると大変わかりやすいので、ちょっと見てみましょう。
(表)
はい、見事に、交互に参照し合っていたり、だんだん別のものに入れ替わったり、徐々に大きな表現になって最後にオチが付いているのがわかるかと思います。
「この春のこのフレーズとこの秋のフレーズは、参照しあってるんだな」とわかると、あの400字の第一段がさらに奥深いものに感じられてお薦めです。

さらにこれらに加えて、この枕草子の第一段の文章は、非常に映像的に記述されている、という点について紹介いたします。

■目を閉じて千年前に封印された景色を思い浮かべる

『枕草子』って、非常に「映像的」なんですよね。
清少納言は1000年前に、そういうことにチャレンジしたんです。
この情景描写のテクニックは、今でも日本語で綴られているエッセイの多くに使われています。
今から私、いちいちカメラ的な注釈を加えながら、もう一度第一段を音読してみます。
みなさまぜひ、目をつぶって、自分がカメラを回して風景を録画しているような気持ちになって、わたくしの音読を聞いてみてください。

まず皆さんは平安京、京都盆地のど真ん中に立っています。
カメラは東側、東山連峰を映し出しています。あの大文字焼きが見られる山脈ですね。

「春はあけぼの。ようようしろくなりゆく山際少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」

カメラは山の尾根と、グラデーションに彩られた空との境目を映しながら、アングルはすーっと横移動します。

「夏はよる」

ここで暗転です。

「月の頃はさらなり」

カメラは縦移動に替わります。夜空に浮かぶ大きな月が現れます。「遠くて大きな、動かない光」です。

「闇もなお」
「ホタルの多く飛びちがいたる」

再び暗転です。
しかし真っ暗ではありません。カメラは手前の空間を映し出し、今度は「近くて小さな、動き回る光」をとらえます。

「またひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」

ここで初めて「をかし」が出てきました。枕草子を代表する価値感です。

「雨など降るもをかし」

カメラは再び空を見上げます。空から降り注ぐ「縦の動き」を捉えます。そして「雨」ですから、さーっという屋根を叩く音と匂いがかすかに感じられます。

「秋は夕暮れ」

再びグラデーションです。

「夕日のさして山の端いとちこうなりたるに」

カメラは再び横移動します。先程の「春」と同じですが、今度は夕日なので赤く染まったグラデーションを映し出します。

「烏の寝床へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさえあはれなり」

カラスの特徴とはなんでしょう。近くで騒がしく、不規則に動くトリです。

「まいて雁など連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし」

今度は雁です。遠くで響く鳴き声、そして規則的に動くトリですね。

「日入り果てて」

日が沈みきって、あたりはだんだん暗くなってゆきます。

「風のおと、虫の音など、はた言ふべきにあらず」

今度は耳元、そして足元から聞こえてくる小さな音に耳をすまします。

いよいよ最終センテンスです。

「冬はつとめて。雪のふりたるは言うべきにもあらず」

再び情景はモノトーン、白一色になり、カメラは縦移動。
空から舞い散る雪を映し出します。

「霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに」

ここで初めて温度への言及がありました。カメラを持った皆さんの手は、肌寒さを感じているはずです。

「火など急ぎおこして炭もて渡るもいとつきづきし」

先程の肌寒さから、今度は炭の暖かさを感じるイメージです。

「昼になりて、ぬるくゆるびもていけば」

ここで先程から、『枕草子』が映し出す描写に「人間」が登場していることに気づくはずです。
炭を持って宮中を駆け回る姿、それが昼になってなってややぬるくなってしまった。「カメラを持った自分」以外の視点が入る。
ここで「客観」が登場するんですね。

「火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」

最後、ここで「わろし」、「いまいちだねえ」で第一段は閉まります。

いかがでしょうか。
枕草子の第一段が、大変映像的な文章だということがご理解いただけたのではないかと思っています。
皆さまぜひ、ご自宅へ帰られましたら、もう一度第一段を読んでみてください。
千年前の宮中の、鮮烈な風景がこの第一段に封じ込められているのだと実感できるのではないでしょうか。

■「病は……」の段

もう一段だけ詳しく説明します。わたしが結構好きなところです。第百八十三段ですね。清少納言が、ちょっと変わった……かなり個性的な嗜好をもっているんじゃないかな……ということがよくわかる記述があります。

「病気は、胸。もののけ。脚のけ。
そのほか、ただどこが悪いというのではないが、食欲がない様子。」

省略されていますが、「それがいい」と言ってるんですね。人の病気をおもしろがっていて、ここからさらにすごいことが書いてあります。

「十八〜十九くらいの女性で、髪がたいそう立派で身の丈くらいあり、
すそがふっさりしていて、まるまると肉づきがよく、
色が白くて顔も愛くるしく、
「美しいなぁ」と思える人が、ひどい歯痛に悩んで、額や髪が汗や涙で
ぐっしょり濡れて、それが顔に乱れかかっているにもかかわらず、
(気にしている場合ではないのか)顔を真っ赤にして痛むところを
手でおさえている姿は、なんとも色気がある。」

非常にヘンタイ的な描写です。よく読むと、これは当時の上級貴族の描写であることがわかりますす。そうでないと肉づきがよく色が白い、ということはありませんから。
つまり、セレブな女性が苦しんでいる。この頃は歯医者なんてありませんから、虫歯になると一生痛い。大変なんですけど、だからこそ色気がある。
こういう話って、中学校で勉強しても、そういう色気の意味、ああ、美しいセレブが治らない痛みに苦しむからこそいい、という、そういう良さはわからないですよね。
さらに、この章段の後半です。

「(美しい女性が「病気になった」と聞くと)友人の女房は次々に駆けつけ、
若々しい貴公子たちも大勢詰めかけてくるが、なかには
「痛々しいですね。普段もこんなに苦しまれるんですか」と、
適当な挨拶をする者もいる。
病人に恋している人は、心から心配して浮かぬ顔をして、
それこそ「恋の風情の見せ所」といった趣がある。」

これ、会社の同僚とかが病気になったと聞いたときの情景なんです。すごい観察眼だと思われませんか? 適当なことを言う奴もいる。でもこれが好きな人の話だと聞くと、どうやって心配すればこの恋心が表現できるかなと思う気持ち、わかりますか? これもまた中学生にはわからないだろうと思うんですけど、ここからさらにレッドゾーンに入っていきます。

「とても見事な長い髪を、乱れないよう後ろで引き結んで、
ものを吐くために起き上がった様子も、痛々しいけど愛らしい。」

これね、長い髪の方わかると思うんですけど、寝床から起き上がって吐くときは、こう、後で手に髪を結んで吐くんですよね。これ、この姿が愛らしいというのは、どういう感性だろうと思います(笑)。古典というとハードルが高いと思いますが、こういうことが書いてあると思うと、ちょっとハードル下がりませんか。

■「をかし」と「あはれ」

まだ時間ありますか? ない? では急ぎでもうひとつだけ、「萩の上露」に見る「をかし」と「あはれ」の違いを駆け足で話します。
受験でよく出るところです。

「をかし」という言葉は、現代語の「おかしい」とはちょっと意味が異なります。もうちょっと知的なニュアンスがあって、清少納言と『枕草子』の代表的価値観です。知、美、客観、鑑賞などの意味が入っています。
これはですね、どういうシチュエーションで使われているかを理解するといいです。
『枕草子』の百二十六段「九月ばかり」に出てきます。
そもそも萩は、当時貴族の庭によく植えられていた草花です。この草花は葉が固いので、上に露がたまる。秋に雨が降ると露がたまって、葉がしなって下がる。すると露が落ちる。落ちると、葉がぴょんとあがる。それが「をかし」。そんなことを「をかし」と思わない人がいるのも、「をかし」だね、と書いています。

では「あはれ」とは何か。
これは紫式部、『源氏物語』的価値観です。愛、儚さ、主観、人生を指しています。『源氏物語』の第四十帖「御法」という第一部のクライマックス。紫の上というスーパーヒロインが亡くなるところで「萩の上露」が出てきます。
非常に体調の悪い紫の上が庭を見ている。萩の葉の露を見て、紫の上は、「私の人生はああいうものだ。あれが落ちて大地に還るように、わたしの命もなくなるんだ……」という和歌を詠みます。
そこへ光源氏が泣きながら「あの上露が君ならば、ぼくも一緒に消えてしまいたい」みたいなことを言うわけです。ともあれ、そういう価値観です。萩の露は水ですから落ちれば大地に戻ります。人生の儚さ、愛だとかを表現しているのが「あはれ」だと思ってください。

まとめます。
◎「枕草子」は、「かけがえのない美しい時間を閉じ込めたい」という狙いで書かれた、追悼と鎮魂のものがたりである。
◎同じ事象、同じ体験からより多くの情報を引き出すために重要なのは「基礎知識」と「好奇心(愛)」である。
◎「新しい表現」を生み出すために最も有効な手段は「古い表現」をよく学ぶことである。
◎清少納言自身「それ」が得意だったし、『枕草子』はそれを学ぶのに適している。
◎好きなものの好きなところを紹介するときは、照れている場合ではない。
◎大人になってからのほうが、「古典」は楽しい!!

■一条天皇の心に鎖をかけた『枕草子』

最後に少しだけ、『枕草子』以後の話をします。
「あの美しくも気高かった時間と空間を閉じ込めたい」という清少納言の狙いは、結果的に的中します。
定子の夫であった一条天皇は一時期、定子との楽しい時間、空間にとらわれ、その影を追う日々を過ごすことになります。
具体的に言うと、定子が亡くなったあと、一条天皇は藤原道長の娘、彰子をなかなか愛そうとはしませんでした。
もちろんそれは彰子が若すぎたから、というのはあるにしても、それにしても、です。

彼が愛したのは通称・御匣殿(みくしげどの)。
藤原道隆の四女であり、定子の末の妹です。
一条帝は彼女と関係を持ち、御匣殿は懐妊にいたります。彰子はじめ4人の妃がいた中で、わざわざ定子の妹と関係を持ち続けたのです。
そうした、一条天皇の心に鎖をかけ、「美しい時間」に閉じ込める力が、『枕草子』にはあったのだとわたくしは思っております。

とはいえしかし、その御匣殿も懐妊中に急死します。1002年のことだと言われています。
一条天皇は二度までも定子を失うのですね。

■天才にかけられた鎖を解き放つ天才を

こうした状況に困ったのが、最高権力者となった藤原道長でした。

「冗談じゃない。せっかく道隆一族を追い落としたのに、このままでは肝心の一条天皇がわが娘、彰子に振り向いてくれない。それでは、なんの意味もないではないか」
「定子の女房が書いた『枕草子』に、時間をとどめ、帝の心を釘付ける力があるというのであれば、その時間を動かし、帝の心を解き放ってこちらに惹き寄せることのできる作品を生み出すしかない」

 300年以上におよぶ平安時代において「最大の政治家」と言われる藤原道長でも、追い詰められた時にとる手段は、かつて目の前で見た、兄・道隆がとった手法でした。
すなわち、優れた文学的才能を持つ女房を見つけてきて、自分の娘に仕えさせ、その文化と魅力で天皇を魅了する。
しかしそんなことができる人間がはたしてこの日本のどこかにいるのか。
『枕草子』を超える、止めた時間を動かす作品を書ける人間がどこかにいるのか……。

結論から申し上げますと、藤原道長は「その人物」を見つけ出します。
天才が作った、日本文学史を代表する『枕草子』という作品に対抗できる人物を探してみたら、日本文学史上最高傑作を執筆できる人物が見つかったわけです。
しかも京都にいた。親戚だった。
ええー…。
『週刊少年ジャンプ』とかにありそうな話ですよね。

■日本文学を代表するあの作品を

私は清少納言派ではありますが、しかし「日本文学作品の中で最高傑作は?」と問われれば、瞬時にこの作品名を上げることでしょう。

国内外にその名を轟かす大長編作品、『源氏物語』。

これを記すことになる紫式部は、このとき(西暦1002年頃)20代中盤。
道長に発見され、雇われて彰子の元へ出仕することになるのは、早くても1006年頃からでは、と言われてますから、この頃はまだ、自らの運命について何も知らず、京都の片隅でこの一条天皇と中宮定子らが繰り広げていた政変を見守っていたはずです。

第2部でご紹介する山本淳子先生は、まさにその、清少納言と紫式部の関係をご専門として研究されている先生です。
わたくしもお話を伺うのを楽しみにしております。
これにて第1部終了です。ご清聴、ありがとうございました。

■美しい姫君と不安に震える幼帝の「ものがたり」

みなさん、こんばんは。たらればと申します。
本日は本題に入る前に、少しだけ、予備知識として、「歴史の話」にお付き合いください。
ある、悲劇的な運命をたどった、美しく聡明なひとりの姫君のお話です。

その姫の名を、藤原定子(ていし)。波乱に満ちた長い天皇家の歴史のなかでも、とりわけ数奇な運命をたどった妃です。
貞元(じょうげん)2年、西暦977年生まれです。ちょうど千歳年上の方とかいらっしゃるのではないでしょうか。

今から約1030年前の正暦元年(西暦990年)、定子は一条天皇の妻となるべく、皇族として宮中に入りました。
婚姻は彼女が数え年14歳になったばかりの春、つまり今でいうと中学1年生の頃のことでした。
迎える一条天皇は当時、数え年で11歳。
彼は母がたの祖父である藤原兼家の政略により、数え7歳で天皇に即位しています。当時の最年少記録ですね。

のちほど詳しく述べますが、こうした「幼い帝」は、この頃の日本の政治体制、特に天皇家と藤原氏の関係を考えると、なかば必然的に生まれた制度といえるでしょう。
この「幼帝」、「摂関政治」、そして枕草子や源氏物語を生み出した「後宮文化」は、それぞれが密接に携わり、支え合っています。のちに、日本文化史上最高峰と呼べる宮廷文化を作り上げることになる、一条帝も、このときはまだ、不安に震えるひとりの少年でした。

■貴公子の父と、知性で駆け上がった母と

定子の父親は、当時の最高権力者であった藤原兼家の長男・将来が約束された貴公子、藤原道隆。
同じく、母は和歌にも漢詩にも詳しく、知性で道隆の心を射止めたキャリア女子・高階貴子。
貴子は「内侍(ないし)」という、いまでいう女性高級官僚であり、漢詩の才能を認められてたびたび殿上の詩宴に招かれていたそうです。そんな彼女が道隆に送った和歌が、小倉百人一首に残っています。

「忘れじの 行末まではかたければ 今日をかぎりの 命ともがな」
 大変有名な一首ですね。儀同三司母という名前で載っています。
「もしあなたが今おっしゃった『ずっとこの気持ちを忘れない』という約束を、生涯守り通す自信がないのであれば、今日この瞬間までの命でもかまわない」
と、命がけの恋愛であることを強調した歌です。

この、定子の両親の属性。有能なキャリアウーマンであり、その知性と社交性に加えて、恋人に熱烈なラブレターを送るほどの貴子の情熱、さらにそれらを真正面から受け止めて、正妻として迎えた道隆。こうした父と母に育てられた、藤原定子という女性が妻として後宮に入ったことは、日本文学史上において、非常に大きい意味があると私は思っています。

■後宮文化の旗手となるべく英才教育を受ける

藤原道隆家(中関白家)の教育方針は明快でした。
明るく優雅、高貴にして洒脱であることこそ至高。
こののち、盛大に花開くことになる「後宮文化」の旗手となるべく、定子は文化の英才教育のなかで育ちました。その甲斐あってか、定子は入内後たちまち3歳年下の一条天皇の心をとらえます。 
一夫多妻制の時代にあって、一条天皇はただひとりの妻として定子を愛し、定子の両親や兄・藤原伊周らとともに、仲睦まじく暮らし、その様子が『枕草子』に華やかに綴られることになります。
平安中期、藤原氏の隆盛を支えた「摂関政治」と「後宮文化」とは、娘に教養を与え、天皇の妻として入内させ、その娘の魅力で天皇を惹き寄せることで発達していったのです。

■この環境がひとりの天才を開花させた

さて、定子入内から3年後、まさにその華やかな後宮の絶頂期に、当時28歳、バツイチ子持ちだったひとりの女性が出仕することになります。
父は有名歌人だった中流貴族の清原元輔。母の名前は伝わっておらず、また、彼女自身の本名も現代には知られていません。
女房名は清少納言。

父・元輔は「梨壺の五人」のひとりであり、勅撰和歌集「後撰集」の選者でもありました。
元輔50歳の頃、遅く出来た末娘だったこともあり、たっぷり甘やかされて育った清少納言は、博学で負けん気が強く、ミーハーで美意識に厳しい、とはいえカラッとした性格の女性だったと想像されます。
17歳の美しい中宮となっていた定子のもとに出仕した清少納言。
はじめは大変緊張していたものの、すぐにその才能を開花させてゆきます。

「香炉峰の雪」と聞けば格子をあげ、「鶏に急かされて」と言われれば「孟嘗君のことか」と返す。阿といえば吽、ツーと言えばカー、当意即妙、軽妙洒脱。
定子後宮では、分厚い教養を土台として、活発で機知に富んだやり取りこそが奨励されました。清少納言はまさにそのなかで活躍したのです。
その活躍する姿と中関白家の隆盛の姿こそが、『枕草子』の中心的テーマといえるでしょう。

さらに言えば、もともと素養があったとはいえ、清少納言が、名も知られぬひとりの中流貴族の娘から、いま誰もが知る「清少納言」という存在になれたのは、定子とそのサロンがあったからだといえるでしょう。

しかしそうした美しく華やか時間は、まもなく終わりを告げます。

■坂道を転がるように堕ちてゆく

定子の父・藤原道隆が、清少納言出仕1年半後の995年5月に病死します。
アルコール依存症と糖尿病の併発だったと言われております。
享年43歳。
皆さま、健康にはくれぐれも気をつけてください。
代わって台頭したのは道隆の末の弟・藤原道長。
そう、「この世をば、わがよとぞおもう望月の 欠けたることもなしとおもえば」と詠み、のちに平安時代最強の権力者と呼ばれる道長が台頭してきたことによって、権力の後ろ盾を失った定子たちは、坂道を転がるように「幸せな座」からすべり堕ちてゆきます。

権力を盛り返そうと企てた定子の兄・伊周らは失態を犯して都から追放され、続けて母を亡くし、住まいは火事で消失。定子自身、ショックを受けて出家するも、一条天皇の強い希望により還俗させられ、それでも道長一派からの抑圧を受け続けます。
こうした逆風の中、定子を支えたのは夫である一条天皇とその愛でした。
宮廷の政治を支える多くの貴族たちが藤原道長派へとなびく中で、一条天皇は変わらず定子を愛し続け、定子はそれを支えに生き続けたのです。一人目の女子を生み、二人目は男子を生みました。この時代、天皇の子を産むということは政治的に大変な意味を持つことです。
子供を作ることで着実に定子と一条天皇は宮廷内で地歩を固めていきました。
しかし、前述のように、実権を握る藤原道長からの圧力は日に日に強まり、定子に対する精神的、文化的抑圧は、加速して行きました。

■「わたしはその、涙の色が見たい」

一条天皇との婚姻から10年、清少納言出仕から7年、道隆死去から5年、西暦1000年12月、定子は3人目の子供を生んだ直後、失意のうちに亡くなります。
享年24歳でした。
すでに運命を悟っていたのか、出産直前につづったとされる、一条天皇への愛を詠んだ辞世の句が遺されていました。

「夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき」

後拾遺集にも取られた恋歌です。
「もしあなたが、わたしと過ごした夜を想い出して、なつかしんで泣いてくださるのであれば、わたしはその『涙の色』を見とうございます」。
定子はこの苦境にあって、死を覚悟してなお、一条帝に「あなたと一緒に生きていたい」という歌を遺すんですね。

権力の頂点から一転、一族郎党「罪人」扱い。絶頂期から奈落の底へ。この一連の政権交代劇は、「長徳の変」と呼ばれています。薬子の変や本能寺の変と同じ、政変ですね。

■「それこそが、わたしの生まれた意義なのだ」

みなさん、今日は、これだけは覚えて帰ってください。
『枕草子』とは、清少納言という天才作家が、およそ7年の出仕期間のあいだに経験した、あざなえる縄の如き禍福の、そのうち美しく輝く時間と空間をよりすぐって閉じ込めた作品です。

時代は変わる。環境も変わる。権力は移ろいやすく、そのなかで多くの人が生き、死んでいゆきます。その政治的、人間的、文化的大転換の真っ只中に、清少納言は直面しました。

それでもあの、短いけれど美しく気高い時間と空間は、永遠に遺すべき価値のあるものだ。
ほかならぬわたしが遺すのだ。
あそこで名付けられ、あそこで生きがいを得た、わたしが遺すのだ。
それこそが、わたしの生まれた意義なのだ。
清少納言はそう考えたのではないでしょうか。『枕草子』は、こうした背景のもとに生まれた、美しいキサキ・藤原定子に向けた、追悼と鎮魂の作品なのです。

■『枕草子』を知ることで日々の生活に彩りを

前置きが大変長くなりました。
皆さま、改めまして、こんばんは。
本日はようこそいらっしゃいました。ご覧のとおり、犬ではなく立派な人間(?)です。
本日は、日本最古の随筆である『枕草子』について知ることで、ほんの少しでも皆さまの日々の生活が彩り豊かになればと、その魅力を伝えていければなとおもいます。

わたくし、普段は出版社でウェブサイトの更新や、紙の本を作る編集者をやっています。
ツイッターはあくまで趣味なんです。
毎日気分よく会社の休み時間などに…あ、休み時間に、ですよ。ツイートしていたところ、糸井重里さんと、このほぼ日の学校の河野校長に見つけていただきまして、ここでこうして喋っているわけです。

■なぜ「今こそ古典」なのか

さて、わたしの計算によると、いまちょうど第1部の1/4くらいなので、ちょっとした雑談を交えながら進めたいと思います。

この中でツイッターのアカウントをお持ちの方はいらっしゃいますか?
「はい」という方は、わたしに向かって目をパチパチさせてみてください。
これね、ツイッターで仲良くなった友人の病理医に教わった手法なんです。便利なんですよ、周りの人に知られず、登壇者のわたしにだけ見えるんです。
では改めて、わたくしをフォローしてくださっている方は? はいパチパチパチ。
「実は源氏物語のほうが好きだ」、という方、パチパチパチ。
 ふむ。
今日はわりと本気で「犬がくるんだろうな」と思っていた人は?
あはは…そんなわけあるかい。
「実は猫派だ」、パチパチパチ。
あー……やりづらい(苦笑)。よくわかりました。ありがとうございます。

はい、冒頭で申し上げたとおり、本日お話を進めるのは、『枕草子』についてです。
この9月に「ほぼ日」のサイトに2500字くらいの「なぜ今こそ古典」なのか、「なぜ今こそ『枕草子』なのか、『枕草子』とSNSは相性ぴったりなのか、という文章を寄稿いたしました。今日は、あそこに書かれていることの、さらなるアップデート版、枕草子寄りにもう少しだけ突っ込んだ話をします。

■「人の気持ち」が文章で見える時代に

本題に入る前に、SNSについて大事なことをこの場でひとつだけ付け加えると、インターネットとSNSが発達したことで、現代は有史以来もっとも「人の気持ち」が可視化される社会になっています。
「文字として書いたもの」と「書き手の気持ち」がイコールかというと、厳密に言うとそれはまた難しい話ではあるのですが、とはいえ一般的には、SNSに書かれた言葉は「その人の気持ち」だと認識されています。

「その人はどんな人物か」を判断する際に、「その人はどんなことをどのように書いているか」が重要になってきている。
たとえばわたしのフォロワー、わたしの書いたものを日常的に目にする人は、およそ13万人いますが、生身のわたしに関わり合いのある方は、それに比べるとごくごくわずかです。
つまり、ほとんどの人にとって、「わたし」といえば、わたしの書いたものの中にだけ宿る「作者像」のことなんですね。

これはいささか極端な例ですが、しかし数の大小はあれども皆さんも同じです。
メール、LINE、チャット、ブログ、SNS。書いたもので判断され、書かれたもので判断している。文字による情報流通量が爆発的に増加した社会とは、そういうものです。

するとどんなことが起こるのか。
あまりに多岐にわたるのでここでは詳しく話しませんが、個人的に、その人は、普段どんなものを読んでいるのか、どんな言葉を発しているか、どんな言語空間、どんなコミュニティに属しているのか、それが、その人の「人格」を左右する時代なんだと思っています。
「人格」。
すごいですよね、「人格を判断される」って。
けれど実際問題として、人と人とがコミュニケーションを重ねる際には、大なり小なり相手の人格を判断するものだと思っています。その判断の手がかりになるのが、その人の書いた文章であると。そういうケースが激増していると、そういう話です。

■普段どんな言葉に囲まれていますか

もちろんこれまでも、そうした人格判断、あるいは人格への影響はありました。書いたものやどんな言語空間に属するかで、その人の性格や気性が判断されてきた。
けれど今は、その影響力が桁違いに上がっている、「世の中に流通している文字情報があふれる」というのは、そういう時代なのだと思っています。

言葉は社会的なものです。どんな言葉に触れ、どんな言葉を綴るかは、なにより自分自身の人格に強い影響を及ぼします。
文章が、自分自身を変えてゆき、他人に与える印象を作ってゆく。そういう時代なのです。
皆さんは普段、どんな人と、どんな話をしていますか。
どんな言葉を綴り、どんな言葉を受け取っていますか。
その言葉たちが、ゆっくりとですが、少しずつ、自分の人格に影響をあたえ、受け取る相手へ印象を形付けていることに、もう少しだけ敏感になると、よいことがあるのではないかと思っています。

本日は「枕草子」という、日本最古の随筆についてお話しします。

「随」とは「ありのままにしたがう」という意味です。
「随筆」とは、「随想」とも言います。
筆にしたがう、想いにしたがう。
日本語で最初に書かれた随筆が、その奔放なイメージとは裏腹に、いかにコントロールされたものか、「想い」を律して書かれたものかを、本日はじっくり紹介してゆきたいと思います。

■「世界観」を知ることで受け取る情報が増える

さて。
唐突で恐縮ですが、皆さん、エレクトリカルパレードってご存じですか。
東京ディズニーランドで毎晩開催されている、パレードショーです。
わたし、ディズニーにはあまり詳しくないんですが、好きなんですね、あれ。
見ているとわくわくしますよね。
今回の講演で例としてあげるのは、サッカーの代表戦でもプロ野球の日本シリーズでもよかったんですが、今日はディズニーランドのエレクトリカルパレードを例に立てて進めたいと思います。

あのパレードを一度でも見たことがある方ならわかると思うのですが、あれは、登場するキャラクターのそれぞれのディズニー映画作品を見ていると、よりパレードが楽しめる仕組みになっています。
詳しい人はご承知のとおり、パレードは「フロート」と呼ばれる電飾でキラキラビカビカと飾られた、きらびやかな乗り物ごとに世界観が区切られています。

『ふしぎの国のアリス』では金髪の少女がキョロキョロしながらネコに乗っています。
『ピーターパン』では緑の服を着た少年が船の上で海賊と戦っています。
同じように、『トイ・ストーリー3』、『アラジン』、『塔の上のラプンツェル』、『シンデレラ』、『美女と野獣』、『アナと雪の女王』などなど、作品に沿った衣装に身を包んだキャストたちによる、ダンス、そして音楽をともなう豪華絢爛なパレードなんです。
綺麗なんですよ。
ただなにも知らずパレードを見ても、美しい電飾、美しいダンス、美しい音楽に圧倒されることでしょう。

しかしそれだけではなく、それぞれのディズニー映画を何度も見ていると、世界観ごとの各キャストのダンスや仕草、他のキャストとのからみに、より一層の「物語」を感じることができる。

ピーターパンとアラジン、シンデレラとベルは、「それぞれまったく違う動き」をしています。
当然です、背景にある物語がまったく違うのですから。「同じパレードを見る」、という経験を得たとしても、そこから受け取る情報量には大きな差がある、ということです。あらかじめ持っている情報量が多ければ多いほど、「ある体験」から読み取れる情報が増えてゆく。

■情報の量を増やし、質を上げる方法は

先ほど申し上げたとおり、もちろんこの話は「エレクトリカルパレード」に限りません。
たとえばプロ野球の試合だってそうでしょう。
それぞれの選手に来歴があり、監督に物語があり、チームに歴史がある。
個々のプレーには意味があって、そのひとつひとつが積み重なって「ひとつのゲーム」が組み上がる。そのゲームのどこに注目するか、どれだけの物語を引き出せるかは、見た人それぞれの内に秘めた「情報の質と量」によってかわってくるんです。

では最も効率的に、最も効果的に、この情報の量を増やし、質を上げる方法はないのか。あります。私の知る限り、ひとつだけあるんです。

「たやすいことだ。愛すればよい」
さだまさしさんの名曲ですね。

この三角形はですね、上とか下とか、右とか左とかではないんです。
水平にして、どんどん未来を指し示す図だと思えば良いんです。
最初は「きれいだなー」とか「おもしろいなー」だけでよい。そう感じることで、皆さんは「好き」、「おもしろそう」という「鍵」、キップを手に入れているんです。

また、もうひとつ。
これはとても大事なことなんですが、もし仮に、皆さんに「その先に広がる巨大な三角形」見えなくても、この世のどこかには、それが見えている人がいるということは覚えておいてください。
この世界には、多くの「知識と好奇心によって知ることができる、巨大な知の体系があるんだ」と、「たまたま今の自分には見えていないだけだけど、その体系はたしかに存在するし、その体系を愛し、その先へ突き進んでいる人たちがいる」とおぼえておくこと。
それは、皆さんの人生を豊かにするし、他者への理解と慈しみを生み出す源泉になるでしょう。

■きっかけは「なんかカッコいい」で充分

話は戻って『枕草子』です。
先ほどの知識の話。たとえば『枕草子』だったらどうか。
きっかけはなんでもいいんですよね。
清少納言先輩かっこいいー、でもいいし、なんかスカッとしたこと言ってくれたー、でもいい。「いまの私達と変わらないじゃないかー」なんてところでもいい。そこから、「ちょっと読んでみようかな」と思うと、と、無数の扉が現れるはずです。
このどれかを叩いて開けてみればよい。

古典といわれるだけでなく、世の中の「すぐれた作品」と呼ばれているコンテンツには、こうした扉がたくさんあります。もちろん、この扉をひとつ開けると、この先にはさらにたくさんの扉が広がっていて、しかも別の扉からやってきた仲間と同じ部屋で出会えたりするんですよね。

ちなみにこれはSNSでも同じです。
何を書こうか、ではない、書くべきことは無数にあるんです。この扉が見えていないだけなのです。
ではこの扉はどうすれば見えるようになり、どうすれば開くようになるのか。
はい、先ほど申し上げましたね。「たやすいことだ、愛すればよい」。
今回は、このうちのいくつかの扉を少しだけあけて、中を覗いてみたいとおもいます。

■耳に届くフレーズが、意味を知ると変わって響く

星の数ほどある日本文学作品のなかでも、最も有名な冒頭部分……といっても差し支えないでしょう。本日お配りした小冊子にも書かれておりますが、現在中学校の指定国語教科書には、すべてこの冒頭部分が記されているそうです。
すなわち、義務教育を修了した人なら全員このフレーズを目にしたことがあるはずです。

「春はあけぼの」

今からこれを、わたしが音読してゆきます。
なぜ音読するのか。
それは、いまこの瞬間と、この一連の講義が終わったあとでは、耳に響くこのフレーズが、間違いなく変わって響くからだという確信があるからです。

まずは皆さん、お手元の小冊子に目を落としても構いませんし、スクリーンに映った文面を目で追っても構いません。
僕が読むこの第一段の文面を、目で追ってみてください。

春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山際、少し明りて、
紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

夏は夜。
月のころはさらなり。闇もなほ。
蛍の多く飛びちがひたる、
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて
行くも、をかし。雨など降るも、をかし。

秋は夕暮れ。
夕日の差して山の端いと近うなりたるに、
烏の寝床へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど
飛び急ぐさへあはれなり。
まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、
いとをかし。
日入り果てて、風のおと、虫の音など、
はた言ふべきにあらず。

冬はつとめて。
雪の降りたるは言うべきにもあらず、
霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、
火など急ぎおこして、
炭持て渡るも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、
火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。

はい、なつかしいですね。
みなさん、なんとなく覚えているもんだなと実感しているのではないでしょうか。
お配りした冊子には、現代語訳も掲載しております。そちらもぜひご参照ください。
古文としては、一見非常にやさしく、それでいて解釈の可能性に幅のある、大変な名文です。ではこの、400字あまりの、日本で一番有名な冒頭部分は、どこがどうすごいのか、少し詳しく見て行きましょう。

■なぜ「春」から始まっているのか?

まず、300段以上ある『枕草子』は、なぜ冒頭にこの「春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて」というフレーズを置いたのか。
生活習慣から男女の色恋、歌枕や日記など、多岐にわたる話題のなかで、清少納言がまず冒頭で「季節それぞれの長所」を取り上げたのには理由があります。
その理解のためには、「勅撰和歌集」への簡単な知識が必要です。
「勅撰和歌集」とは、天皇や上皇の命令によって編纂された、その時代を代表する和歌集です。
いわば文明のモニュメントですね。
勅撰和歌集の歴史は、醍醐天皇の…、醍醐天皇というのは、先ほど登場した一条天皇の曽祖父、ひいおじいちゃんです。その醍醐天皇の勅命によって西暦905年に成立した「古今和歌集」から始まりました。

2番目の勅撰和歌集は醍醐天皇の息子である村上天皇が作らせた『後撰集』。
その選者が清少納言の父・清原元輔ですね。
一条天皇は祖父である村上天皇を尊敬しておりましたから、そうした接点もあって清少納言やその彼女が書いた作品を愛したのだろうと、そういう接点もあったと思われます。

さて勅撰和歌集。
西暦1439年に後花園天皇の勅命で編まれた『新続古今和歌集』まで21編が存在します。
この勅撰和歌集には、21編すべてに共通する重要なルールがあります。
それは「春夏秋冬、四季おりおりの和歌が冒頭に置かれること」。
和歌集ですから、季節の歌だけでなく、離別の悲しみ、恋の切なさを詠んだ歌も多数収められているのですが、この、「冒頭に春夏秋冬を置く」というルールは踏襲され続けています。ではなぜ、勅撰和歌集は冒頭に春夏秋冬の歌を置くのか。

■天皇とは時間と空間を支配する存在

ご承知の方も多いと思います。
勅撰和歌集とは「天皇」に命令で編纂された、天皇に捧げられる和歌集だからです。
「天皇」とはそもそも、「この時間と空間を支配する存在」です。来年(2019年)、「平成」から元号が替わります。大正から明治、昭和、平成と、天皇が替わることによって元号も変わってきました。元号とはすなわち暦であり、時空間を指しています。

つまり、春、夏、秋、冬と季節を唱え、それぞれを寿ぐことは、それはそのままその治世を寿ぐことにつながるのですね。

みなさんご承知のとおり、『枕草子』は勅撰和歌集ではありません。和歌集ですらない。
しかしこれはわたくし、確信を持っているのですが、世界中で唯一人だけ、清少納言は勅撰和歌集を書くつもりで『枕草子』を執筆したのだと思っています。
この作品で定子様の御代を寿ぐのだ。
それが私の役目なのだと。
そういう決意をもって、「春はあけぼの」という冒頭文を書き出したのだと。

■日本語と相性がいいテンポ

また、これは『枕草子』を読む上ではあまり意識されていないんですが、「春はあけぼの」、「夏はよる」、「秋は夕暮れ」、「冬はつとめて」、それぞれ七五七七音なんですね。
「は る は あ け ぼ の」、七文字七音。

平安時代、自身の気持ちを表す主流の表現手段は和歌でした。
五七五七七。七五調というのは日本語にとても相性のよいテンポなんですね。
先ほど申し上げたとおり、清少納言は和歌の名家出身ですから、当然、書き残す作品は和歌でもよかったはずです。しかし彼女はあえて散文、随筆というかたちで作品を残しました。そうした表現手段をとってなお、和歌のいいところはしっかり反映させているんですね。

この、全体的には散文だけど、作品の冒頭、イントロダクションには七五調を置く、という表現手段は、多くの日本語作品でいまもよく見られます。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」(川端康成『雪国』)
「子供より 親が大事と思いたい」(太宰治『桜桃』)

【七五調】
あなた変わりは ないですか 日ごと寒さがつのります(北の宿)
隠しきれない 残り香が いつかあなたに 染み付いた(天城越え)

【五五七調】
愛しさと 切なさと 心強さと

【五五七五調】
空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ 星になる

 はい、『TOKIO』です。作詞・糸井重里ですね。

『枕草子』第一段に仕込まれた演出はまだあります。

【前後参照の構文】
たとえば「春」は朝焼けでグラデーション、夏は夜でモノトーン、秋は夕焼けでグラデーション、冬は雪景色、これは読み手に想像させる景色の色調がグラデからモノクロ、またグラデ、そしてモノクロと、交互になることでそれぞれの情景がより鮮烈になるような工夫がされている。

【反転屈折の除法】
最後にオチを付ける手法です。春の章段には「をかし」という言葉は登場しません。
省略、夏で、をかし、いとをかし、冬でつきづきし、最後に「わろし」

【対句構成】
春のフレーズには「山際」、秋のフレーズには「山の端」が登場します。
これは漢詩のテクニックですね。五言絶句とか七言律詩とか、清少納言は漢詩にも詳しかったこともあり、そうした技法をこの第一段に組み込んでいるんですね。
この仕掛けは「表」にすると大変わかりやすいので、ちょっと見てみましょう。
(表)
はい、見事に、交互に参照し合っていたり、だんだん別のものに入れ替わったり、徐々に大きな表現になって最後にオチが付いているのがわかるかと思います。
「この春のこのフレーズとこの秋のフレーズは、参照しあってるんだな」とわかると、あの400字の第一段がさらに奥深いものに感じられてお薦めです。

さらにこれらに加えて、この枕草子の第一段の文章は、非常に映像的に記述されている、という点について紹介いたします。

■目を閉じて千年前に封印された景色を思い浮かべる

『枕草子』って、非常に「映像的」なんですよね。
清少納言は1000年前に、そういうことにチャレンジしたんです。
この情景描写のテクニックは、今でも日本語で綴られているエッセイの多くに使われています。
今から私、いちいちカメラ的な注釈を加えながら、もう一度第一段を音読してみます。
みなさまぜひ、目をつぶって、自分がカメラを回して風景を録画しているような気持ちになって、わたくしの音読を聞いてみてください。

まず皆さんは平安京、京都盆地のど真ん中に立っています。
カメラは東側、東山連峰を映し出しています。あの大文字焼きが見られる山脈ですね。

「春はあけぼの。ようようしろくなりゆく山際少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」

カメラは山の尾根と、グラデーションに彩られた空との境目を映しながら、アングルはすーっと横移動します。

「夏はよる」

ここで暗転です。

「月の頃はさらなり」

カメラは縦移動に替わります。夜空に浮かぶ大きな月が現れます。「遠くて大きな、動かない光」です。

「闇もなお」
「ホタルの多く飛びちがいたる」

再び暗転です。
しかし真っ暗ではありません。カメラは手前の空間を映し出し、今度は「近くて小さな、動き回る光」をとらえます。

「またひとつふたつなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」

ここで初めて「をかし」が出てきました。枕草子を代表する価値感です。

「雨など降るもをかし」

カメラは再び空を見上げます。空から降り注ぐ「縦の動き」を捉えます。そして「雨」ですから、さーっという屋根を叩く音と匂いがかすかに感じられます。

「秋は夕暮れ」

再びグラデーションです。

「夕日のさして山の端いとちこうなりたるに」

カメラは再び横移動します。先程の「春」と同じですが、今度は夕日なので赤く染まったグラデーションを映し出します。

「烏の寝床へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさえあはれなり」

カラスの特徴とはなんでしょう。近くで騒がしく、不規則に動くトリです。

「まいて雁など連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし」

今度は雁です。遠くで響く鳴き声、そして規則的に動くトリですね。

「日入り果てて」

日が沈みきって、あたりはだんだん暗くなってゆきます。

「風のおと、虫の音など、はた言ふべきにあらず」

今度は耳元、そして足元から聞こえてくる小さな音に耳をすまします。

いよいよ最終センテンスです。

「冬はつとめて。雪のふりたるは言うべきにもあらず」

再び情景はモノトーン、白一色になり、カメラは縦移動。
空から舞い散る雪を映し出します。

「霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに」

ここで初めて温度への言及がありました。カメラを持った皆さんの手は、肌寒さを感じているはずです。

「火など急ぎおこして炭もて渡るもいとつきづきし」

先程の肌寒さから、今度は炭の暖かさを感じるイメージです。

「昼になりて、ぬるくゆるびもていけば」

ここで先程から、『枕草子』が映し出す描写に「人間」が登場していることに気づくはずです。
炭を持って宮中を駆け回る姿、それが昼になってなってややぬるくなってしまった。「カメラを持った自分」以外の視点が入る。
ここで「客観」が登場するんですね。

「火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」

最後、ここで「わろし」、「いまいちだねえ」で第一段は閉まります。

いかがでしょうか。
枕草子の第一段が、大変映像的な文章だということがご理解いただけたのではないかと思っています。
皆さまぜひ、ご自宅へ帰られましたら、もう一度第一段を読んでみてください。
千年前の宮中の、鮮烈な風景がこの第一段に封じ込められているのだと実感できるのではないでしょうか。

■「病は……」の段

もう一段だけ詳しく説明します。わたしが結構好きなところです。第百八十三段ですね。清少納言が、ちょっと変わった……かなり個性的な嗜好をもっているんじゃないかな……ということがよくわかる記述があります。

「病気は、胸。もののけ。脚のけ。
そのほか、ただどこが悪いというのではないが、食欲がない様子。」

省略されていますが、「それがいい」と言ってるんですね。人の病気をおもしろがっていて、ここからさらにすごいことが書いてあります。

「十八〜十九くらいの女性で、髪がたいそう立派で身の丈くらいあり、
すそがふっさりしていて、まるまると肉づきがよく、
色が白くて顔も愛くるしく、
「美しいなぁ」と思える人が、ひどい歯痛に悩んで、額や髪が汗や涙で
ぐっしょり濡れて、それが顔に乱れかかっているにもかかわらず、
(気にしている場合ではないのか)顔を真っ赤にして痛むところを
手でおさえている姿は、なんとも色気がある。」

非常にヘンタイ的な描写です。よく読むと、これは当時の上級貴族の描写であることがわかりますす。そうでないと肉づきがよく色が白い、ということはありませんから。
つまり、セレブな女性が苦しんでいる。この頃は歯医者なんてありませんから、虫歯になると一生痛い。大変なんですけど、だからこそ色気がある。
こういう話って、中学校で勉強しても、そういう色気の意味、ああ、美しいセレブが治らない痛みに苦しむからこそいい、という、そういう良さはわからないですよね。
さらに、この章段の後半です。

「(美しい女性が「病気になった」と聞くと)友人の女房は次々に駆けつけ、
若々しい貴公子たちも大勢詰めかけてくるが、なかには
「痛々しいですね。普段もこんなに苦しまれるんですか」と、
適当な挨拶をする者もいる。
病人に恋している人は、心から心配して浮かぬ顔をして、
それこそ「恋の風情の見せ所」といった趣がある。」

これ、会社の同僚とかが病気になったと聞いたときの情景なんです。すごい観察眼だと思われませんか? 適当なことを言う奴もいる。でもこれが好きな人の話だと聞くと、どうやって心配すればこの恋心が表現できるかなと思う気持ち、わかりますか? これもまた中学生にはわからないだろうと思うんですけど、ここからさらにレッドゾーンに入っていきます。

「とても見事な長い髪を、乱れないよう後ろで引き結んで、
ものを吐くために起き上がった様子も、痛々しいけど愛らしい。」

これね、長い髪の方わかると思うんですけど、寝床から起き上がって吐くときは、こう、後で手に髪を結んで吐くんですよね。これ、この姿が愛らしいというのは、どういう感性だろうと思います(笑)。古典というとハードルが高いと思いますが、こういうことが書いてあると思うと、ちょっとハードル下がりませんか。

■「をかし」と「あはれ」

まだ時間ありますか? ない? では急ぎでもうひとつだけ、「萩の上露」に見る「をかし」と「あはれ」の違いを駆け足で話します。
受験でよく出るところです。

「をかし」という言葉は、現代語の「おかしい」とはちょっと意味が異なります。もうちょっと知的なニュアンスがあって、清少納言と『枕草子』の代表的価値観です。知、美、客観、鑑賞などの意味が入っています。
これはですね、どういうシチュエーションで使われているかを理解するといいです。
『枕草子』の百二十六段「九月ばかり」に出てきます。
そもそも萩は、当時貴族の庭によく植えられていた草花です。この草花は葉が固いので、上に露がたまる。秋に雨が降ると露がたまって、葉がしなって下がる。すると露が落ちる。落ちると、葉がぴょんとあがる。それが「をかし」。そんなことを「をかし」と思わない人がいるのも、「をかし」だね、と書いています。

では「あはれ」とは何か。
これは紫式部、『源氏物語』的価値観です。愛、儚さ、主観、人生を指しています。『源氏物語』の第四十帖「御法」という第一部のクライマックス。紫の上というスーパーヒロインが亡くなるところで「萩の上露」が出てきます。
非常に体調の悪い紫の上が庭を見ている。萩の葉の露を見て、紫の上は、「私の人生はああいうものだ。あれが落ちて大地に還るように、わたしの命もなくなるんだ……」という和歌を詠みます。
そこへ光源氏が泣きながら「あの上露が君ならば、ぼくも一緒に消えてしまいたい」みたいなことを言うわけです。ともあれ、そういう価値観です。萩の露は水ですから落ちれば大地に戻ります。人生の儚さ、愛だとかを表現しているのが「あはれ」だと思ってください。

まとめます。
◎「枕草子」は、「かけがえのない美しい時間を閉じ込めたい」という狙いで書かれた、追悼と鎮魂のものがたりである。
◎同じ事象、同じ体験からより多くの情報を引き出すために重要なのは「基礎知識」と「好奇心(愛)」である。
◎「新しい表現」を生み出すために最も有効な手段は「古い表現」をよく学ぶことである。
◎清少納言自身「それ」が得意だったし、『枕草子』はそれを学ぶのに適している。
◎好きなものの好きなところを紹介するときは、照れている場合ではない。
◎大人になってからのほうが、「古典」は楽しい!!

■一条天皇の心に鎖をかけた『枕草子』

最後に少しだけ、『枕草子』以後の話をします。
「あの美しくも気高かった時間と空間を閉じ込めたい」という清少納言の狙いは、結果的に的中します。
定子の夫であった一条天皇は一時期、定子との楽しい時間、空間にとらわれ、その影を追う日々を過ごすことになります。
具体的に言うと、定子が亡くなったあと、一条天皇は藤原道長の娘、彰子をなかなか愛そうとはしませんでした。
もちろんそれは彰子が若すぎたから、というのはあるにしても、それにしても、です。

彼が愛したのは通称・御匣殿(みくしげどの)。
藤原道隆の四女であり、定子の末の妹です。
一条帝は彼女と関係を持ち、御匣殿は懐妊にいたります。彰子はじめ4人の妃がいた中で、わざわざ定子の妹と関係を持ち続けたのです。
そうした、一条天皇の心に鎖をかけ、「美しい時間」に閉じ込める力が、『枕草子』にはあったのだとわたくしは思っております。

とはいえしかし、その御匣殿も懐妊中に急死します。1002年のことだと言われています。
一条天皇は二度までも定子を失うのですね。

■天才にかけられた鎖を解き放つ天才を

こうした状況に困ったのが、最高権力者となった藤原道長でした。

「冗談じゃない。せっかく道隆一族を追い落としたのに、このままでは肝心の一条天皇がわが娘、彰子に振り向いてくれない。それでは、なんの意味もないではないか」
「定子の女房が書いた『枕草子』に、時間をとどめ、帝の心を釘付ける力があるというのであれば、その時間を動かし、帝の心を解き放ってこちらに惹き寄せることのできる作品を生み出すしかない」

 300年以上におよぶ平安時代において「最大の政治家」と言われる藤原道長でも、追い詰められた時にとる手段は、かつて目の前で見た、兄・道隆がとった手法でした。
すなわち、優れた文学的才能を持つ女房を見つけてきて、自分の娘に仕えさせ、その文化と魅力で天皇を魅了する。
しかしそんなことができる人間がはたしてこの日本のどこかにいるのか。
『枕草子』を超える、止めた時間を動かす作品を書ける人間がどこかにいるのか……。

結論から申し上げますと、藤原道長は「その人物」を見つけ出します。
天才が作った、日本文学史を代表する『枕草子』という作品に対抗できる人物を探してみたら、日本文学史上最高傑作を執筆できる人物が見つかったわけです。
しかも京都にいた。親戚だった。
ええー…。
『週刊少年ジャンプ』とかにありそうな話ですよね。

■日本文学を代表するあの作品を

私は清少納言派ではありますが、しかし「日本文学作品の中で最高傑作は?」と問われれば、瞬時にこの作品名を上げることでしょう。

国内外にその名を轟かす大長編作品、『源氏物語』。

これを記すことになる紫式部は、このとき(西暦1002年頃)20代中盤。
道長に発見され、雇われて彰子の元へ出仕することになるのは、早くても1006年頃からでは、と言われてますから、この頃はまだ、自らの運命について何も知らず、京都の片隅でこの一条天皇と中宮定子らが繰り広げていた政変を見守っていたはずです。

第2部でご紹介する山本淳子先生は、まさにその、清少納言と紫式部の関係をご専門として研究されている先生です。
わたくしもお話を伺うのを楽しみにしております。
これにて第1部終了です。ご清聴、ありがとうございました。