ダーウィンの贈りもの I 
第10回  須田桃子さん

生命科学の現在――ゲノム編集と合成生物学のこれから

15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。

須田桃子さんの

プロフィール

この講座について

合成生物学という新しい科学(であり工学)をアメリカに留学して取材してこられた須田桃子さんが、その成果をたっぷり発表してくださいました。人類はいま、進化の系統樹からはずれようとしているのではないか? 大きな問いかけがなされた衝撃の授業です。(講義日:2019年10月16日)

講義ノート

毎日新聞の科学環境部の記者の須田と申します。よろしくお願いいたします。みなさんはこれまで「ダーウィンの贈りもの」という講座で、地球の何十億年の進化の歴史を学んでこられました。私も時間の許す限り足を運んで一緒に講義を聴いてきて、本当に楽しく学んできました。今日はちょっとダーウィンのその先というか、人類が編み出した遺伝子工学を使って、進化の歴史に今、人類が介入しようとしているというお話をしたいと思っています。まず前半では、「ゲノム編集技術」についてお話ししたいと思います。CRISPR・Cas9(クリスパー・キャスナイン)について見たり聞いたりされたことがある方、いますか? さすが、ほとんどの方がご存じですね。すごく身近に迫っている遺伝子工学の最先端の技術で、後半でお話しする合成生物学という分野のひとつのツールです。あまりにも〝優れた〟効率がよい技術なので、2012年に一番使い勝手がいい、このゲノム編集技術が開発されてから、あっという間に世界中に普及して、今、医療とか食品とか、あらゆる分野で応用されようとしています。なので、まずその話をさせていただきます。

ゲノム編集食品というのは、たとえば「血圧を下げるトマト」とか、「体が大きいマダイ」、「アレルギー物質が少ない卵」など、今、日本でも開発中です。みなさん、ジャガイモの芽は毒があるからと、取って食べていらっしゃると思うんですが ――最近でも小学校でつくったジャガイモの芽を取り切れてなくて食中毒が起きることが、けっこうあります。ジャガイモの毒だと気づかずに、おなかが痛くなった人も含めると、ジャガイモの毒の影響はすごく大きいと聞いたことがあります―― その毒をつくらないようなジャガイモも、すでに日本で開発されています。医療応用では、体内と体外の両方で、ゲノム編集技術を使って遺伝子を修復して、病気を治す(先天性の難病を治す、癌をやっつける)、そういう研究も進んでいます。それぞれあとで、もう少し詳しくお話しします。

ゲノム編集の基礎知識

ゲノム編集技術を知るための基礎知識というのがいくつかあります。これは後半にもかかわってくるので、ちょっとお付き合いください。今日、よく使う言葉で「ゲノム」や「DNA」などがありますが、私の理解では、ゲノムは「概念」というか、生命の設計図である「全遺伝情報」を指す言葉だととらえています。ゲノムは実際には物質が担っていて、そのゲノム(遺伝情報)を担っている長い分子がDNAなんですね。ヒトの体も動物の体も細胞でできていますが、その細胞の中には核があって、核の中に染色体が入っています。DNAが二重らせん構造をしていることはご存じかと思うんですが、これが丸まってかたまったものが染色体をつくっているわけです。それを解きほぐしていくと二重らせん構造が見えてくる。

そして、よく見ると、ATCGという4種類の塩基が、この二重らせんのはしごの「段々の部分」をつくるように連なっているんですね。それぞれ2種類ずつ、つながる相手が決まっていて、それが2本のリン酸と糖でできた長いらせん状のひもを結びつける役割を果たしています。実はこのATCGの並びが、DNAの遺伝情報にあたる部分なんですが、この中で遺伝子と呼ばれるのが、タンパク質をつくるための指令になっています。塩基が3文字ずつで、1種類のアミノ酸に対応している。ヒトの体は水分とタンパク質でできているようなものなんですけれど、そのタンパク質の部品にあたるのがアミノ酸で、3種類の塩基で1種類のアミノ酸に対応して、20種類のアミノ酸がいろんな形で組み合わさって、すごく複雑なタンパク質をつくっているわけです。

ここは聞き飛ばしていただいていいんですが、細胞内でタンパク質はどうつくられるか? 二重らせんの一部が、そのときだけちょっとほどけるんです。DNAの遺伝子って、実は全体の中の1%から2%ぐらいの、すごく少ない部分なんですけれど、その遺伝子の部分だけがメッセンジャーRNA(DNAは二重らせん構造だが、RNAは1本のらせん)にコピーされて、そのコピーされたRNAが細胞内のタンパク質をつくる工場の遺伝子の部分に、指令を伝達していきます。そうするとリボソームという工場の中で20種類のアミノ酸が次々に組み立てられて、タンパク質ができるわけです。この「DNAから、それをコピーしたRNA、さらにタンパク質」という流れは、分子生物学という現在の生物学の中心教義(セントラルドグマ)とも呼ばれています。

ゲノム研究の歴史はそんなに長くありません。DNAの二重らせん構造の発見が1953年です。そのあと、遺伝子組み換え技術が割と早く、20年後にできるわけです。その遺伝子組み換え技術よりも、はるかに正確な遺伝子操作技術であるゲノム編集が最初に登場したのが1996年です。実はヒトゲノムの解読は、そのあとなんです。2003年にほぼ完了しました。そのあと2010年、2012年と、相次いで第2世代、第3世代のゲノム編集技術が登場するのですが、この第3世代のゲノム編集=クリスパー・キャス9というのが今日の前半の主役である技術です。

クリスパー・キャス9とは

開発したのはエマニュエル・シャルパンティエさんと、ジェニファー・ダウドナさん、2人の女性科学者が、海を越えた共同研究チームをつくって(シャルパンティエさんは欧州、ダウドナさんはアメリカ)、開発しました。これは微生物が持っている免疫の仕組みを利用しています。微生物のDNAの中をよく見ると、すごく不思議な、回文みたいに上から読んでも下から読んでも同じようなATCGの並びになっていることを、日本の九州大学の石野良純先生が発見して、なぜだろうと思っていたそうです。ずっと謎のままでしたが、わかってきたのは、どうやら微生物が持っている免疫の仕組みに関係しているらしいということでした。その回文のような構造に挟まっている部分が、過去にその微生物に侵入してきたウイルスのDNAの配列だったんですね。つまり、過去に侵入してきた侵入者を、回文のような配列で挟んで、覚えておく。で、次に入ってきたときに攻撃してやっつけるという免疫の仕組みを、実は微生物は持っていたんです。

これをうまく利用したのが、クリスパー・キャス9です。クリスパー・キャス9は、「酵素のハサミ」と「ガイド役のRNA」のセットになっています。この櫛みたいな形で描かれている「ガイド役のRNA」がぴったり合う部分を探し出して、探し出した部分を、酵素でできたハサミでチョキンと切る。二重らせん構造のDNAは、切られてもどんどんくっつくという、自動的に修復する能力があるんですが、修復しても、どんどん切っちゃう。しまいにはその遺伝子の部分が壊れちゃう。こうやってある遺伝子を壊すこともできるし、そのときに新たな遺伝子を同時に組み込むこともできるというのが、クリスパー・キャス9です。

クリスパー・キャス9には、いろいろな特徴があるんですが、一番の特徴は、遺伝子をピンポイントで編集できること。これまでも「酵素のハサミ」を使って、遺伝子を壊す技術はあったんですが、ウイルスに乗せるとか、正確に狙った場所を切るということが、あまりできなかった。たまたまそのウイルスにハサミ役の酵素を乗っけて入って、たまたま切っちゃったところが壊れるということが起きていて、その中でうまくいった細胞だけを使うというようなことをしていたんですが、このゲノム編集を使うと、遺伝子をピンポイントで狙ったように、自在に編集することが可能になりました。

「ガイド役のRNA」の部分は、第1世代、第2世代のゲノム編集ではタンパク質だったんです。タンパク質をつくるのはお金も時間もかかるんですけれども、RNAはDNAに似た塩基の配列なので、割と簡単に安くつくれて、ものすごくコストも下がったわけです。しかもクリスパー・キャス9は受精卵も改変できるので、あとでお話しするように、それが利点になっています。

編集することで、どんなことができるかを、たとえば文章で考えてみます。
「私は朝食にパンを食べた」という文章があるとします。このゲノム編集を使うと、「に」「パン」を取って「私は朝食を食べた」にできるし、「朝食」を「夕食」に変えることもできるし、「パン」じゃなくて「ヨーグルト」を食べたことにもできるし、疑問形にもできる。複数文字を同時に書き換えることも、複数の部分を同時に編集することも、今のゲノム編集技術ではすでにできるようになっています。「パン」だけじゃなくて、「パンとヨーグルト」を食べたということにもできる。挿入することもできるんです。従来の遺伝子改変技術となにが違うのかというと、さっきもお話ししたように、今までの方法は、ウイルスとか細菌に、外からある遺伝子を組み込みたいとき、そのウイルスや細菌を使っていたんですね。で、その中でうまいところに入ったものだけを使っていたので、すごく効率は低い。しかしゲノム編集技術だと、狙ったところが改変できるので、精度も効率も非常に高いわけです。

ただ、どんな技術も完璧ではないし、クリスパー・キャス9も本当に最近(2012年)できたばかりなので、課題はいろいろあります。たとえば、「オフターゲット」といって、よく似た、目的外の部分を改変してしまう恐れがあります。あと「モザイク」といって、もし受精卵 ――受精卵は、どんどん細胞分裂して個体になっていくわけですが―― を改変した場合、ひとつの個体の中で、狙いどおりに改変できた細胞と、改変できなかった細胞が入り混じってしまうということも起きます。このふたつが主な、大きな課題になっています。

解禁されるゲノム編集食品

ただ、食品については、どんどんゲノム編集技術を使った開発が進んでいます。最近国内でも、どんな審査をしてゲノム編集食品を食べられるか、市場に出せるかということをずっと審議してきたんですけれども、全部決まりました。ひとつは、ゲノム編集で、もともとある遺伝子の働きを壊したりする場合は、審査をしなくてよいということになりました。ただ、開発した業者に、任意の届け出を求める。一方で、外から遺伝子を導入した場合は、今までの遺伝子組み換え食品と同じように審査をすることになりました。さきほどの「血圧を下げるトマト」、「体が大きいマダイ」、「アレルギー物質が少ない卵」のようなものは全部、外から遺伝子を組み込むのではなくて、もともとある遺伝子を壊して開発しているんです。それは遺伝子組み換え食品との違いを出すためにそうしているようなんですけれども、それで、今、開発中のゲノム編集食品は審査が基本的には不要で、任意の届け出だけで市場に出ることになります。遺伝子組み換え食品はラベルに表示が義務付けられていますけれども、ゲノム編集食品でこの遺伝子を壊すタイプの食品は、食品表示をしなくていいことになっています。ただ、これについて取材すると、専門家の間でも、けっこう意見が分かれています。審査を不要として表示もできないことにしたのには、専門家からも異論が出ています。

たとえば、私が取材した、植物研究でゲノム編集技術を使っている先生は、遺伝子というのはネットワークを作って働いているのだから、特定の遺伝子を壊したときに、予想外の効果が出てしまう可能性があると言っていました。また、開発には「設計する」という思想が入っているので、製造者責任を取るために、審査はしないまでも、届け出は義務付けるべきじゃないかと。実際、「毒をつくらないジャガイモ」は、プレスリリースでも毒素は確かにできないと書かれています。ただ、ゲノム編集をしたことによって、芽の休眠している時期がなぜか変わっちゃったんです。毒素をつくらないという操作だけをしたつもりが、休眠時期も変わってしまった。研究者も全然予想していなかった変化だそうです。そういうことが、実際に国内の開発でも起きているということです。休眠時期が変わってしまったことで、直ちに体に影響があるかとか、食品として大丈夫なのかというところは、また別の問題かもしれませんが、実際その研究者が狙っていない効果が出てしまうということは起こっているわけです。

食品表示についても、生協とかいろんなところに取材をしたんですけれども、やっぱり消費者の側からすると、選べるほうがいいので、表示が不要というのは問題なんじゃないかという声もあります。ただ、もう決まってしまったので、今から変えるのはなかなか難しいかもしれません。私自身、審査も不要で表示もできないというのは、消費者に選択権がなくなってしまうので、どうなのかなという思いはあります。

医療への応用

次に医療応用ですけれど、すでに臨床試験が海外では続々と始まっています。ゲノム編集技術を使った遺伝子治療は、主にふたつあります。ひとつは体外で免疫細胞とかを編集する。たとえば最初の臨床試験はエイズウイルスの感染者が対象だったんですが、免疫細胞の一種のT細胞を患者さんの体外に取り出して、エイズが細胞に侵入しにくくなるような遺伝子改変をして、そのT細胞を戻すというようなことが戦略のひとつです。2015年には急性リンパ性白血病の治療で、ゲノム編集が使われました。1歳のレイラちゃんという女の子がいて、いろんな治療を試したけれども万策尽きて、このままだと亡くなるしかないという状況になってしまい、思い切った治療として使ったわけです。このときは、レイラちゃんの細胞ではなくて、健康なドナーの免疫細胞をもらって、その細胞を、まず白血病という癌への攻撃力を高めるようにゲノム編集をした。さらに、レイラちゃん自身の健康な細胞を攻撃しないようにゲノム編集をして、抗がん剤も併用できるよう、ドナーの免疫細胞が抗がん剤のターゲットにならないようにする――という3種類のゲノム編集を施してから体内に戻した。レイラちゃんは元気になりました。これは国際的にもかなり大きく報じられました。中国では、クリスパー・キャス9が生まれた4年後の2016年に臨床研究で実際に患者さんに使う試験が始まっています。さっきご紹介したふたつの例はクリスパー・キャス9以外の、それ以前の技術を使っているんですれども、クリスパー・キャス9を使った臨床研究ももう始まっています。

「体内で」というのもあり、それはクリスパー・キャス9ではなく「ジンクフィンガーヌクレアーゼ」という技術を使って、体の中でゲノム編集をするんです。2017年に体内で編集する最初の臨床試験がありました。ムコ多糖症(体の中でムコ多糖という代謝物質を分解できない)という先天性の難病があります。代謝物質を分解するための酵素が肝臓でうまくつくれないので、その酵素をつくるための遺伝子と、その遺伝子を入れ込むためのゲノム編集の遺伝子を、同時に血管を通して肝臓に送り込んで、肝臓の中で ――全部の細胞にはゆきわたらないんですけれども―― 何パーセントかの細胞を治療して、必要な酵素がつくられるようにするという臨床試験が行われた。今の所、安全性には問題がなさそうですが、効果についてはまだ検証中のようです。これが本当に臨床応用でちゃんと手元に届く医療になるかはまだわかりませんが、こういった治療も次々と行われています。

こういった医療や食品以外にも、普通の基礎医学の実験などでも使われています。たとえば遺伝子を壊した「ノックアウトマウス」(ES細胞などを使って、何カ月も、時には1年以上もかけてつくっていた実験用のマウス)なども、このゲノム編集だと受精卵で一気に1世代目からつくれるので、基礎医学の発展もすごく早めたといわれています。

2018年7月、開発者の一人であるジェニファー・ダウドナ博士が日本に来たとき、インタビューをさせていただきました。すごく素敵な方でした。ダウドナさんは、開発者であると同時に、開発当初から、ゲノム編集というのは幅広い応用が期待できると同時に、悪用もされてしまう可能性があるため、倫理的な課題とか、悪用をどうやって規制するかとか、そういったことを国際社会でちゃんと議論をしていきましょうということを訴え続けてきた方なんですね。彼女に、今なにが一番心配ですかと尋ねましたら、こんなふうに答えていました。「最も心配なのは、社会の反発を引き起こすような応用です。もしそういう応用が起きてしまうと、ゲノム編集そのものが悪いといって、すべての応用を否定するような批判が起こりかねない。それは絶対に阻止しなければいけません」と。やっぱり開発者(生みの親)なので、この技術を人類にとってより良い方向に利用してほしいという思いがすごく強いんです。もし社会の批判が大きくなって、この技術そのものが使えなくなってしまったら、人類にとってとても不幸なんじゃないかとお話ししてくださいました。

ゲノム編集ベビー

ところが、これ2018年夏ごろに取材して、なぜか記事になったのは9月だったんですけれども、 11月末に衝撃的な事件がありました。中国の研究者が、ヒトの受精卵にゲノム編集を施して、実際に赤ちゃんを産ませたことが突然報道されたんです。AP通信という海外メディアの特ダネでした。ちょうど香港でゲノム編集に関する国際会議が開かれる直前のタイミングの報道で、しかもその研究者は国際会議に出てくるらしいということがわかり、世界中が注目しました。その報道があった時点で世界中で批判が巻き起こったので、その研究者はもう登壇しないんじゃないかといわれていたんですけれども、驚いたことに、彼は堂々と出てきました。そして、スライドを何十枚も使って、自分の臨床研究について発表しました。同時にインターネットでその動画が公開されていたので、私も固唾をのんで見ました。

この、賀さんという南方科学技術大学の副教授は、まだけっこう若いんですけれども、こんな研究をしたと言っていました。HIV(エイズウイルス)に感染した夫と、感染していない健康な奥さんのカップルにドナーになってもらって、体外受精で受精卵をつくりました。今、夫が感染していたとしても、精子を洗浄して体外受精させることで、ちゃんとエイズウイルスに感染していない受精卵をつくることができるんですね。そういう形で受精卵をつくって、その受精卵の段階でクリスパー・キャス9を使って、ある遺伝子の一部を切断して壊しました。で、その受精卵をお母さんの子宮の中に移植して、双子の赤ちゃんを出産させました。ルルとナナという名前だそうですが、片方の赤ちゃんは完璧にゲノム編集ができていて、もう片方の赤ちゃんは、ちょっと中途半端だったけれども、「だいたいできていた」というような発表でした。壊した遺伝子は、CCR5という、エイズウイルスが細胞に感染するときに、その入り口をつくるための遺伝子なんですね。その遺伝子を壊せば、入り口ができないので、エイズウイルスがその細胞に感染できなくなるという遺伝子です。それを壊した目的が何かというと、受精卵の段階での感染を防ぐことが可能なわけですけれども、誕生したあとにもエイズウイルスに感染しにくくする、もしかしたらお父さんからの感染を防ぐためにやったのかもしれないんですが、これについては医学的にまったく必要性がないのではないかと指摘されています。

なぜ世界的に反発が巻き起こったかというと、たくさん理由があるんですけれど、主な問題点だけ挙げてみます。まず、安全性が未確立なんですね。実は以前にも、ヒトの受精卵でゲノム編集をしたという研究は何件も実施されています。最初も中国で起きて、それも実はCCR5を壊すという研究でした。いろんな研究があるんですけれども、実際に子宮に戻して赤ちゃんを産ませたとき、その赤ちゃんが健康な状態で生まれてくるかというのは誰も知らないし、まだそこまで技術が成熟していないと見る人が多かった。赤ちゃんにとっての安全性が全く未確立であると。「未確立」という意味はいろいろあるんです。ひとつはさっきお話ししたように、オフターゲットとモザイクという問題があります。狙ったところ以外の遺伝子を壊しちゃっているかもしれない。また、受精卵をいじるので、体の中でCCR5が壊れている細胞と壊れていない細胞、狙いどおりに編集できたのとできていないのが混在してしまう可能性がある。さらに、そのCCR5が、どんな遺伝子ネットワークをつくっているか今の知見ではわからないので、なにかのネットワークを壊しちゃうという可能性もあるわけです。

第2の問題は、医学的な妥当性がないこと。受精卵の段階での感染は防げるし、生まれてからのエイズウイルスの感染も、普通に生活していれば防げるわけです。なので、全然その必要性がないと。必要性がないのにやるということは、親が望むような体質を赤ちゃんに与えるということで、いわゆるデザイナーベビーをつくることに、ある意味で該当するんじゃないかという指摘もあります。

第3に、受精卵の段階で遺伝子を改変してしまうということは、子の全身にその遺伝子の影響が及んでしまうわけです。つまり女の子だったら、その子の卵子(男の子だったら精子)にも及んでしまって、その子が大きくなって自分の子供を持つときに、その子供にも遺伝子(ゲノム編集をした結果)は受け継がれてしまう。延々とそのゲノム編集の影響が、将来の世代にも、孫にも、そのまた孫にも引き継がれてしまう。こういったこと、つまり安全性が未確立だとか、将来世代にもその遺伝子改変が引き継がれちゃうとか、そういったことをちゃんと親に説明をしたのかが現時点ではよくわかっていません。報道だと、ちゃんと説明していなかったんじゃないかと言われています。

その他の問題点としては、受精卵をゲノム編集していいのかということについて、国際的な議論が全然進んでいなかったので、コンセンサスがない状態で実際にやってしまったこと。これは中国国内の指針にも違反していたし、なによりいきなり「赤ちゃんが生まれました」という報告だけで、そこに至る過程にまったく透明性が欠けていた。こういった安易な、フライングのようなゲノム編集の応用は、デザイナーベビーとか、もしくは遺伝子 ――優れた遺伝子というのがあるのかわからないけれども―― によって人を選別するような優生思想にもつながりかねないといわれています。

実は日本では、こういった研究を ――していいか、いけないかというと、当然してはいけないんですけれども―― 禁止する法律の枠組みがまだなくて、指針で禁止しているだけなんですね。でも、イギリス、ドイツ、フランスなどでは、ヒトの受精卵の遺伝子改変をして、さらに子供を産ませるということは、法律で原則禁止されて、罰則が設けられている国もあります。中国の一件を受けて、日本は今、法規制をしようという機運がやっと高まって、議論が進んでいます。夏ぐらいから議論が始まって、一応ほぼ毎回聞きに行っているんですけれども、まだ研究状況だとか、海外の規制の状況だとか、そういうのを整理しているような状況で、なかなか本論に入っていかない印象があります。

映画「ガタカ」が描いた世界

私が中国のゲノム編集ベビーの一報を聞いたときに、真っ先に思い出したのが、「ガタカ」という映画でした。1997年でちょっと古いんですが、受精卵の段階で遺伝子操作をするのが普通になった、そういう近未来を舞台にした映画です。遺伝子操作をして生まれた人は、優れた頭脳と運動能力と見た目(グッドルッキング)と、いろんなものを兼ね備えた「適正者」と呼ばれる人たちで、自然妊娠で普通に生まれた人は「不適正者」と呼ばれる人たち。この適正者と不適正者が混在しているような社会を描いています。イーサン・ホーク演じる主人公は不適正者で、職業を選ぶ権利すらないという、そういう怖い映画です。映画では、赤ちゃんの血液を採って、その場で遺伝子解析をしちゃう。そして、生まれた瞬間に、「30歳ぐらいで死んじゃいますよ」と宣告されてしまう。本当はお父さんの名前を引き継ぐ予定だったんですけれども、お父さん、それを聞いて、名前をとっさに変えちゃうんですね。自分の名前を与えない。これが本当の冒頭で、イーサン・ホークは、それでも普通に両親に愛情をこめて育てられるんですけれども、やっぱり両親としては、自分の息子が30歳で死んでしまうと聞いて、第二子が欲しいと思うんです。で、第二子を、この時代での「普通」のやり方で得ようとします。体外受精自体は、今も現実に広く臨床応用されている技術です。目の色と髪の色と肌の色を選べちゃう。映画のその場面はすごく象徴的だなと思っています。

後半でも少しお話ししますが、ゲノム編集を医療応用でヒトの受精卵にどこまで使っていいかということは、今、国際的に専門家が議論をしているんですけれども、ダウドナさんにしても、ほかの第一線の研究者にしても ――ファン・ジャンというアメリカのMITのすごく優秀なゲノム編集の開発者の一人にも意見を聞いたんです―― どうも「難病のためだったらヒト受精卵を改変してもいいんじゃないか」って思っている人が少なからずいるようなんですね。先天性の大変な病気だったら、受精卵の段階で治療してあげることが、その子のためになるんじゃないかと言っている人は、実は多いんです。

ただ、ここから先は私の個人的な見解ですけれど、映画「ガタカ」のように、病気の可能性を排除するだけじゃなくて、それが可能になったときには、病気以外のもの ――若ハゲとか近視とか、病気じゃないですよね―― も改変しようとしてしまうのではないか。そういう欲望を人間は止めることができないんじゃないかって思いますし、それをこの映画は見事にすくいとって、あの場面ができていると思います。なので、難病だったらいいんじゃないかという議論は、一見すごくもっともらしく聞こえるんですけれども、私はかなり慎重に議論すべきところじゃないかなと思っています。ここで前半を終わらせていただきます。
(休憩)

合成生物学をめぐる議論を取材した1年

アメリカで私、2016年の秋から1年間、会社の制度を使って留学しました。合成生物学という、ゲノム編集も使う新しい分野について約1年間、取材をしてきました。その内容を主にお話しできればと思っています。合成生物学を取材しようと思った理由はいろいろあるんですが、ひとつは、人工的な生物をつくるという学問なので、倫理的な問題も当然はらむでしょうし、それが社会に応用されていくときに、どんな規制や倫理をめぐる議論があるのかとか、研究者自身がどうしてこの研究をやっているのかというのも直接聞いてみたいという思いが強かったんですね。

実はちょっとほかの分野と迷っていたんですが、2016年3月の発表を聞いて、「あ、やっぱり合成生物学で間違いないな」って思ったんです。「ミニマル・セルという微生物をつくった」という発表があったんです。これはコンピュータ上で設計して、実験室で一から合成した人工のDNAを持つ世界初の生命体であると。実は同じチームが、自然界にいる微生物をそっくり模倣した人工DNAを持つ生物というのを、その前につくっているんですけれども、これ(ミニマル・セル)はDNAの設計から人工的であるということで非常に画期的な成果だと思うんです。これについては最後に詳しくお話をします。この成果が16年の3月に発表されたので、やはり合成生物学を取材しなければいけないなと思った次第です。

ノースカロライナ州立大学に遺伝子工学・社会センターというところがあって、そこに客員研究員として滞在しました。ノースカロライナ州はアメリカ東部の真ん中ぐらいにあります。名前が示すとおり、遺伝子工学を扱う生物学者と、そういった遺伝子工学と社会との接点で何が起きているかを人文科学的な側面から研究している人と、――まあ理系・文系という分け方はもうアメリカではしていないと思うんですが―― 日本でいうところの理系・文系の人たちが一堂に会して日々議論をしているような、非常におもしろいところです。まだアメリカでもそういったセンターは数少ないそうなので、まさに私のやりたいことにぴったりだなと思って選びました。ただ、ノースカロライナ州立大学にいるままではあまりいろんな人に会えないので、そこを拠点に、ボストンや、ワシントンや、サンフランシスコや、いろんなところに出かけていって、研究者とか、倫理学者とか、合成生物学を使ってビジネスを展開しようという企業の人たちにもお話を聞きました。全部で70人ぐらい、もっとかな。

合成生物学というのは、初めて聞く方もいらっしゃると思うので、どんな学問なのかをお話ししたいんですが、2000年代に急速に発展した、まだ新しい学問です。ゲノムを解読するということが90年代後半ぐらいから、ようやく始まったわけです。世界で最初に、微生物のゲノムを読む、全部の塩基配列を読みましたっていったのが95年だったんです。だから2000年代というと、まだヒトゲノムの解読とか、いろんな動植物の解読が進んでいる時期でした(今も解読をやっているわけですが)。そういう、「読む」時代から、実はもう「書い」たり「編集」したりする時代に移り変わっています。その「書いたり編集したり」というところが合成生物学です。

この学問が、なぜ2000年代に急速に発展したか。その背景には、ゲノムを解読するのにATCGの並びを読んで、データにして、コンピュータに保存できるようになったということがあります。ゲノムをデジタル化できるということと、そういう膨大な ――ヒトだと30億もATCGの並びが続いている―― ゲノムという情報を扱えるようなコンピュータ技術が発展したということです。非常におもしろいことに、合成生物学の担い手の一部は、そのコンピュータ技術の発展を担ってきた人でもあるんですね。ビル・ゲイツ(マイクロソフト社の共同創業者)は数年前のインタビューで「もし私が、今、ティーンエイジャーだったら、生物学をハッキングするだろう」と言っていますし、あとで登場するクレイグ・ベンター(ゲノムの解読においても、合成生物学においても、立役者の一人)は「今後20年間で、ものづくりのスタンダードは合成ゲノミクスになるだろう」と言っています。合成ゲノミクスとは、合成生物学の中でも本当にコアな、DNAを(さっきのミニマル・セルのように)一から実験室でつくっちゃうぞという研究です。

「自分でつくれないものを、私は理解していない」

合成生物学は、主にアメリカやイギリスで発展しているのですが、アメリカではその担い手という意味で、ふたつの流れがあります。ひとつは、コンピュータ学者や工学者たちが、生物学者と一緒になって、生物学を「工学化」するというコンセプトで始めた流れです。もう一つが、クレイグ・ベンターのチームです。クレイグ・ベンターという、本当に個性的な研究者が、自前の研究所に集めた優秀な科学者たちで設計したゲノム=合成ゲノミクスを、一から実験室で合成する。その人工DNAを持つ生物をつくるという流れです。このふたつの流れに共通するスローガンがあります。取材していると本当によく耳にしたんですが、20世紀最高の物理学者の一人、リチャード・ファインマンが、最後の大学での講義で残した言葉です。「自分でつくれないものを、私は理解していない」。言い換えると、自分でつくることによって、人は(生物に限らず)何かを理解できるということです。つまり、合成生物学者は、生物を自らつくることによって、生物を理解できると信じて、この研究をしているわけです。

ひとつめの、生物学を「工学化」するという流れを、まずご紹介します。トム・ナイトという方は、「合成生物学のゴッドファーザー」と記事で書かれたりしているんですが、90年代初頭、ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)にずっといて、コンピュータ技術の発展を、まさにその渦中で担ってきた一人で、コンピュータとインターネットの両方にかかわっている人です。彼はどんどん発達しているコンピュータにも、いずれ限界が来るだろうと思っていた。で、なんとか生物をうまく使って、新しいコンピュータをつくれないかということを最初思っていたようです。だけど、コンピュータ学者であるトム・ナイトにとっては、生物はものすごく複雑で、生きているものですから変化もしていくし、よくわからない。理解しきれないから、使いにくいという印象があったようなんですね。ところが90年代の初頭に、ハロルド・モロウィッツという生物学者が、ある論考を発表します。その中で「生命は完璧に理解できる」と主張しました。マイコプラズマという本当に微小な細菌がいるんですが、その細菌を構成している原子の数を概算すると約10億個であるということを、モロウィッツは書いていた。それを見たトム・ナイトは「おっ!」と思った。それだったら「生物は完璧に理解できる」というモロウィッツの主張は賛同できる、自分にも理解できそうだと、利用できそうだと思ったようです。なぜなら、当時のシリコンチップ(コンピュータの部品)のトランジスタの数は、約1,000億個。10億個よりもずっと多い数の部品で構成されたものを、コンピュータですでに使っている。なので、生物ももしかしたら、コンピュータに使えるかもしれない。生物を理解することもできるかもしれないと発想したそうです。そこで、トランジスタとシリコンチップに換えて、DNAの配列、そのATCGの並びの配列と細菌(主に大腸菌)を使って「生物のマシン」をつくろうと考えます。

そこにドリュー・エンディ(大学で橋の造り方やビルの建て方など、建築工学を学んだ人)も来て、コンピュータ学者と工学者が一緒に、新しい分野を興そうとした。彼らは基本的に工学者です。工学の世界ではどんな部品にも規格化というのが基本的にあるんですが、当時、生物学の実験では、規格化が一切なされていなかった。規格化というのは、どこの工場でつくった部品でも同じように使えるためにあるわけですが、規格化されていないものもいっぱいある。コンセントの形とか国によって違うので、海外旅行をしたときに苦労することもあるわけです。

規格化は非常に大事なので、それを生物学でもやろうと、DNAの部品、「バイオブリック」というのを考案します。従来、ある実験室でつくった遺伝子の配列が、ほかの実験室では使えないということが起きていたので、生物学で実験をやるときには全部、その実験室の中で完結させないといけなかったんですね。だから途方もない時間と労力がかかる。それをまず解決しようと、規格化を考えます。トム・ナイトはレゴブロックのファンで、バイオブリックもレゴのように、いろんな人がそれぞれつくった遺伝子を簡単に接続できるように設計されています。

2003年に、ドリュー・エンディとトム・ナイトが一緒になって、MITで合成生物学の講座を立ち上げます。こんな講座でした。まず学生がDNAの配列を設計します。具体的にいうと、たとえば「大腸菌を蛍光で光らせる」とか、「点滅させる」とか、そういったことを考えて、それができるようなDNA配列を考えるんです。どんな遺伝子を入れたら大腸菌が点滅するのかを設計します。そして、自分たちでその配列をつくるのではなくて、その設計図を民間のDNA合成会社に送り、外部で(アウトソーシングで)設計図どおりのDNA配列をつくってもらう。その人工のDNAがMITの実験室に戻ってくると、戻ってきたDNAを、今度は大腸菌の中に組み込んで、本当に設計したとおりに点滅するのかを実験して確かめるわけです。さっきお話ししたバイオブリックを登録する、インターネット上のカタログもつくって、そこでコンセプトとか遺伝子をみんなでシェアできるようにもしていきます。

DNA合成会社とはなんぞや? って思われると思うんですが、私もどんなところなのか見たくなって、行ってみました。モニターの写真はノースカロライナ州立大学の近くにある小さなDNA合成会社です。アメリカにはこういったDNAを合成する会社が山のようにあって、大学や企業から発注を受けて、DNAの配列をつくっています。完全に自動化されています。写真はちょっと小さくて見づらいけれど、ATCGという文字が見えると思います。この配列をつくっている4種類の塩基が、小さな機械の中に全部セットされていて、そこに設計図をデータとして送り込むと、ちゃんと中でうまく合成して、配列をピシピシピシっとつくってくれる。できた配列がチューブの中に入っているそうです。設計図どおりにできているか、今度は配列を解読して、確かめて、発注先に戻すんです。こういう会社がいっぱいあるわけですね。

当初は20人にも満たない、本当に小さな、しかもMITの中の一講座に過ぎなかったんですが、またたくまに盛り上がって、ついには国際大会(iGEM)ができました。私が2016年(毎年10月に、ボストンでジャイアントジャンボリーという大きな国際大会が開かれる)に行ったときは、あまりの熱気に驚きました。そのときは42カ国・地域から300チームが参加して、約5,600人が参加しました。途中しか参加できない人もいるので、最終の大会に集結したのは、3,000人。みんな色とりどりのチームTシャツを着て、すごく楽しそうに、熱気のこもった発表をしていました。写真は、いわば生物版のロボコン(ロボットコンテスト)で、各チームが独自の生物マシンの作製を競い合うんです。その目的・分野は全部で14部門あり、多岐にわたっています。医療(診断、治療、医療応用など)、エネルギー(バイオエネルギーの開発など)、食品の開発、情報処理、製造、いろんな部門があり、それぞれの部門に分かれて競い合います。

一番印象的だったのは、彼らが掲げている研究テーマでした。地球規模の、人類の未来の課題を解決するようなテーマを設定しているところが非常に多かったんです。たとえば昨年ぐらいから、海のプラスチック汚染が国際問題化して、国際政治の中でちゃんと取り上げるようになって、ストローを使わないようにとか、レジ袋を使わないようにとか、国内でもいろんな動きが始まっていますが、iGEMでは2012年に、イギリスのロンドン大学のチームが、海のプラスチック汚染 ――プラスチック製品が粉々になったマイクロプラスチックが海洋に流れ込み、いろんな生物の体内にも取り込まれて、その影響はまだよくわかっていないところもあるものの、とにかく海水も生物もマイクロプラスチックだらけになって汚染されている問題―― を解消するために、微生物(細菌)の力を使って、プラスチックの島をつくろうじゃないかというアイデアを立てた。壮大なアイデアなので、すぐには実現できないんですが、そういうマイクロプラスチックを察知して集めてくるような細菌をつくれないかということを研究していました。私が行った2016年には、ドイツのミュンヘン大学が、移植用の臓器不足を解決するために、3Dプリンターで組織・臓器をつくれないかということを考えていました。今はまだ、そういう3Dプリンターはないわけですが、将来それができたときのために、生体組織・細胞でできたバイオインクを発明しようとしていました。日本からも8つのチームが参加していて、たとえば、香蔵庫(こうぞうこ)というアイデアで研究していたチームがいました。普通の冷蔵庫は温度を冷やして食べ物を保存するわけですけれども、そのチームは香りの力で食べ物を腐らせないようにしようというような発想で、香蔵庫というのを考案していました。日本チームも、すごくおもしろいアイデアで健闘していたと思います。

本当に非常によくできた教育システムというか、教育の装置になっていると思ったんですが、自分たちが発表するだけじゃなく、その3日ぐらいの間に、いろんな講座で学ぶ機会もあるんです。例えばFBIの生物テロの担当者がやってきて ――その講義は全参加者が聞かなければいけない―― たとえば遺伝子改変した生物が実験中に誤って外に流出してしまったらどうなるかみたいなことを教えたり、どんなルールがあって、どういうことを守らなければいけないか、またなぜそういうルールがあるのかみたいなことをちゃんとレクチャーしてくれたりするんです。ちょうどCOP-MOPという、生物多様性に関する国際会議を控えていた時期で、その会議を主催している専門家が登壇して、生物多様性がどうして重要なのかとか、どういう課題があるのかをレクチャーして、会場の学生とも議論していました。

各チームの発表を審査しているのは、みんな専門家です。左上の写真で、赤いトレーナーを着ている人たちが審査員です。彼らは大学の仕事を休んで、手弁当でジャイアントジャンボリーのためにボストンに集まって、次世代の研究者を育成するために、ボランティアで審査をしている。そんなところもすごいなと思いました。また、みんな研究自体は自国・地元でやってくるわけですが、ただ研究するだけじゃなくて、そのプロジェクトに取り組む過程で、現代社会でなにが課題になっているのかを調べたり、自分たちの研究をどんなふうに社会に役立てたいかを、ちゃんと地域の人たちに開示して発表したり、議論したり、そういう場をつくらないといけないというきまりがあるんです。なので、学生たちは、単に自分たちがやりたいことを狭い閉じたチームでやるだけではなくて、ちゃんと社会とコミュニケーションをしないと評価してもらえないという仕組みになっています。

私はこのiGEMが、合成生物学の現状を示す鏡のようなものだと思っているので、出身エリア別に、どう推移しているのかを調べてみました。iGEMはすべてのデータを公開しているので、ネット上で探していくとデータもすぐ出てきます。参加チームの数とか出身国がわかるんですが、注目していただきたいのが、表のオレンジ色っぽいのはアジアなんです。全体的に参加チームは伸びているんですが、特にアジアの伸びが大きい。中でも特に伸びが大きいのは中国なんですね。中国の参加チームは数も多いし、成績も優秀。英語の発表も流暢で、国を挙げて合成生物学や若い世代にも投資をしていることが感じられました。iGEMに参加するには、かなりの費用が必要です。登録料もかかりますし、ボストンへの旅費も、滞在費も必要です。そのお金をどう工面するかというのも、各チームが頭を悩ませているところなんですけれども、中国のチームは大学からの支援も手厚いという話をちらっと聞きました。

生まれていくバイオベンチャー企業

このiGEMから数々の、国際的に注目されるバイオベンチャーも生まれています。会期中には、このバイオベンチャーの創設者たち ――まだみなさん、20代、30代で若いんです―― が登壇して、自分たちの起業の経緯とかを話すようなシンポジウムもありました。たとえばギンコ・バイオワークスという、ボストンにあるバイオベンチャー ――トム・ナイトさんもメンバーの一人です―― は、香りを生産するための微生物をつくっています。ちょうど2016年ごろ、フランスの有名な老舗の香水会社と提携したことで話題になっていました。また、ベントー・バイオワークスというところは、パソコンくらいの大きさの、持ち運びできるDNA解析セットを開発して販売しています。これはDIYバイオの人たち ――専門家じゃない(いわゆる専門教育を受けていない)けれども、バイオ実験をやりたいという人がけっこういて、アメリカや欧州では、自分の家の中に実験室をつくったり、共有できる実験室で自分たちのしたい研究や実験をしている。それがDo It YourselfのDIYバイオといわれている―― を対象としたDNA解析セットで、かなり売れているそうです。バイオブライトというところは、いろんな科学実験、生命科学実験の質や効率を上げるような技術をさまざま開発して提供している。そういったバイオベンチャーが、次々に生まれています。

ランディ・レットバーグという人は、トム・ナイトさんの盟友で、ずっと一緒にコンピュータ科学の進展の渦中にいて、あるところまでは一緒に合成生物学の研究もしていたんですが、今はiGEMの運営者として頑張っておられます。ランディさんは、最初、コンピュータが馬鹿にされていた頃、コンピュータが部屋いっぱいになるような大きな機械で、全然使い物にならないと言われていた黎明期から、普通の人たちの生活をもガラッと変えてしまう技術に変貌していく過程を見ているんですね。その彼が、「自分が見てきた情報革命の次に来るのは、合成生物学革命だ」と断言していました。彼がイメージしているのは、新しい素材や物質を、細胞につくらせること。大腸菌とか酵母とか、そういう微生物に新素材をつくらせる。環境により優しく、しかも出来もずっといいものをつくることができると熱っぽく語ってくれました。実際、産業界の投資熱も高まっています。アメリカには合成生物学の関連企業がいっぱいあるんですけれど、ちょっと古いデータで申し訳ないんですが、2017年の上位50社が調達した資金が17億ドル以上と、巨額のお金を集めています。スライドに写っているのがその投資家の顔ぶれで、彼らはずっとIT企業に投資してきたんだけど、今、バイオに一斉に鞍替えしていると紹介されていました。

それだけ言われるなら、産業化の実例を見てみたいと思い、合成生物学の産業化に最も成功した企業のひとつといわれるアミリスを訪ねました。アミリスが有名になったのは……実はマラリア特効薬の原料で、アルテミシニンという物質があるんですが、それを今まで、クソニンジンという ――ちょっとすごい名前なんですが(笑)―― 自然の植物から抽出していたんです。でも植物から抽出するので、生産量が安定しなかったり、量も十分じゃなかったりする。で、アミリスは、その原料を、遺伝子改変した酵母の中でつくる技術を開発したんです。彼らはその技術をライセンスアウト(特許権を売却したり使用を許可する)して自分たちではもう持っていないのですが、同じ技術を応用して、酵母を入れるタンクがある大きい工場をブラジルにつくって、化粧品とか香水の原料をそこで生産しています。この製品が使われている商品がガラス棚に陳列されていたんですけれど、驚いたことに日本の薬局やデパートで売っているような、いろんな価格の化粧品とかがありました。日本語で書かれたものもありました。本社は完全に実験室なんですが、かなり高度な感じの実験室があって、白衣を着た研究者が、いっぱいいるところです。ブラジルの工場で使う一番いい株を、ここで開発したり、選定したりしています。

彼らは何をしたのかといいますと、イースト(酵母)の細胞の中では、いろんな代謝が行われています。細胞(生物)が生きていくためには代謝が欠かせないわけで、外から取り入れた栄養をエネルギーに換えるのも代謝ですし、複雑な代謝の経路があるんですが、その経路の一部を遺伝子改変すると、ゴムに代わるような物質だとか、化粧品とか、香水の材料・原料だとか、いろんな物質ができる。このイーストが材料(食べ物)にしているのは糖なんです。ブラジルなのでサトウキビ畑がいっぱいある中に工場を立てて、サトウキビを酵母に与えて、いろんな物質をつくらせている。2週間とか3週間のサイクルで、つくる物質を変えていくのだそうです。つくる物質によって違う酵母の株を使っているんですけれども、それをアメリカにある本社で開発しているそうです。こういった合成生物学の産業化が実際に進んでいることを目の当たりにできました。

私はバイオエネルギーにすごく興味があったんですが、ここで印象的だったのは、実はアミリスもバイオエネルギーを開発していたことです。酵母に、石油に代わるようなものをつくらせている。つくらせる技術をもう開発したそうなんですけれども、残念ながら従来の石油に匹敵するような、コスト面での競争ができるような安いバイオ燃料がまだできていない。技術的に質の高いものはできているのだけれども、価格競争でまだ負けちゃうんだと、技術責任者にあたる方が話してくれました。

2012年にクリスパー・キャス9という、第3世代のゲノム編集技術が登場し、効率・精度が優れていて、低コストということで、爆発的に普及したわけです。合成生物学にとってクリスパー・キャス9というのは、どういう意義があったのか。合成生物学をウォッチングしている、グレゴリー・コブレンツさんという大学教授は、「合成生物学にとって信じられないほど役に立つ道具である」と言っていました。「クリスパー・キャス9の登場によって、合成生物学者たちのビジョンは実現に少し近づいた」と。うまいたとえだなと思ったんですが、今までの彼らがつくっていたバイオブリック(規格化したDNA部品)は、いわばハンマーとバールだけで車をつくるようなものだったが、クリスパーによって、ドライバーとレンチで、より精巧な細かい作業ができるようになったと話してくれました。

遺伝子ドライブ

実際、そのゲノム編集を使って合成生物学の分野でどんな研究が行われているかという一例をお話しします。今、注目されているのが「遺伝子ドライブ」というアイデアです。これは(2012年にクリスパー・キャス9が登場した2年後の)2014年、ケビン・エスベルトさんという若い研究者が提唱したアイデアです。

実は遺伝子ドライブという概念自体は前からありました。普通、生物はお父さんとお母さんから染色体を1本ずつもらって、50%ずつの確率で遺伝しますよね。それが実は遺伝子の種類によっては、50%より多い確率で子孫に伝わっていくものが、もともと遺伝子の中にはあるんです。その遺伝子に、広めたい特質・体質の遺伝子をセットにして挿入することができたら、50%以上の確率で子孫に伝わっていくので、やがては種全体に広がるんじゃないか、みたいなアイデアがもともとあったんです。ケビン・エスベルトさんは、「だったらそこで、50%以上の確率で伝わる自然の遺伝子を使うのではなくて、クリスパー・キャス9を使って人工的にそういう遺伝子をつくっちゃえばいいじゃないか」と考えたそうです。モニターの図です。ゲノム編集のクリスパー・キャス9のツールと、その集団の中に広めたい遺伝子を、セットで片方の染色体に組み込みます。そうすると、染色体は普通2本セットになっているわけですが、クリスパー・キャス9が作動して、隣の染色体もすぐにゲノム編集しちゃうんですね。それで、広めたい遺伝子を乗せる。そうすると、遺伝子ドライブを組み込んだ、たとえば図では蚊になっていますけど、この「遺伝子ドライブ蚊」と、「野生の蚊」を交配させると、生まれたすべての子供に、染色体の両方に広めたい遺伝子が伝わってしまうので、50%をちょっと上回るどころか、理論的には100%の確率で、広めたい遺伝子が子孫に伝わるんです。それがまた野生の蚊と交配すると、また子供は100%その遺伝子を乗っけて……というふうに、何世代か進むうちに、その集団全体、もっといえば種全体に、広めたい遺伝子が伝わってしまうことになります。これを2014年に提唱してからすぐ、蚊やショウジョウバエなどの実験動物で、この遺伝子ドライブが実現しそうだということが、実験的にも確かめられました。

今、どんなことをこの遺伝子ドライブを使ってやろうとしているかというと、一番熱心に研究されているのは、蚊なんです。蚊というのは、マラリアとかデング熱とか、いろんな感染症を媒介します。日本ではなかなか実感がわかないんですが、アフリカでものすごく多くの子供がマラリアによって命を奪われています。デング熱とか、ほかの感染症もそうですけれども。さっきちょっと説明が足らなかったんですが、この「広めたい遺伝子」っていうのが、たとえば「子供を100%オスだけにする」とか、「メスだけにする」ような、性別を左右するような遺伝子を乗っけたとします。そうすると、子供が全部オス(あるいはメス)になっちゃう。何世代かして、集団全体がオスになったりメスになったりしたら、もう子供をつくれなくなって、その集団は壊滅しちゃいますよね。あるいはもっとマイルドに、感染症を媒介しているので、マラリアだったら寄生虫がその蚊に入っちゃうわけですけれども、その寄生虫が寄生できないようにする遺伝子を組み込むことも、もちろんできます。そうすると蚊を絶滅させるんじゃなくて、単に媒介しなくなるということもできるようになるわけです。ただ、絶滅というのも実際には研究されていて、「もう絶滅させちゃえ」というような研究がかなりされています。

もうひとつ、絶滅系で研究が盛んなのは、島です。小笠原諸島とか、島というのは海によってまわりから隔絶されているので、生物多様性が豊かで、固有種が多い。それが人間の活動によって、ネコとか、ネズミとか、いろんな齧歯類(げっしるい)が入り込んで、生物多様性を脅かしているという現状があるわけです。今、島で生物多様性をなんとか守ろう、外来生物を駆除しようという試みがずっとされています。捕獲したり、毒団子みたいなので殺したり、いろんな手段でなされているんですが、なかなか追いつかないんですね。なので、外来生物自体を、遺伝子ドライブを使って、その島の中で絶滅させようという研究もされています。これ、けっこう過激なアイデアのように思えて、私がいたノースカロライナ州立大学に、野生生物の保護を何十年もやっている研究者がたまたま講演に来たので聞いてみたんです。今までの方法でなぜだめなんですか、遺伝子ドライブとか使わなくてもいいじゃないですかと。だけど彼が言ったのは、「これまでの自然保護は、野生生物の保護にしてもいろいろやっているんだけど、まったくうまくいっていない」と。生物多様性の保護に限らず、地球温暖化もです。「二酸化炭素は増え続け、気温と海水面も上がり続け、熱帯雨林もどんどん失われて、種の数は減る一方だ」と。「大絶滅期に入って、私たちはもう失い続けているのだから、自然保護の新たなツールを検討すべきであり、合成生物学がそれを提供してくれるかもしれないと考えている。例えば砂漠地帯で植物が生息できるように、植物の根の中に棲む微生物とか、植物自体のゲノムを改変することで、砂漠でも効率的に水とか栄養を吸い上げて育つような植物をつくれるかもしれない。普通の人、特に自然保護をやろうというような人は、自然を改変することによくないイメージを一般的に持っているんだけれども、これまでのような伝統的な取り組みをいくら続けたところで事態は好転しないだろう。だから新たなツールと、それに伴う利益とリスクを考えていくことが、私たち自然保護に携わる者の責任だ」、というようなことをお話しされていました。もちろん賛否両論あると思うんですけれども、アメリカでは今、自然保護を何十年とやってきた方が、そういう考えになっているんだというのは驚きでした。島で生物多様性保護をやっているNPO(非営利組織)アイランド・コンサベーションという団体の人にも話を聞いてみたんですが、彼らもずっと伝統的な、毒物を使ったりして外来生物を駆除することをやってきたんだけれども、なかなか難しくて効果が上がらないということで、遺伝子ドライブにすごく注目していると言っていました。実際に大学とかで遺伝子ドライブを研究している人と組んで、共同研究を模索したいというような話もしていました。

実験に伴うリスクとは

しかし、当然こういった研究は、研究自体にも危険が伴います。たとえば、今は閉じた実験室の中で実験をしているけれど、不用意な実験で遺伝子ドライブの改変を施した生物が仮に実験室の外に流出しちゃったらどうなるか? 全然意図しないで、その生物が蔓延しちゃうわけですね。ショウジョウバエの実験で最初、羽の色を変えるという遺伝子ドライブが試みられて、その実験は成功したんですが、それを伝えた『ネイチャー』の記事は、もしこの実験したショウジョウバエが一匹でも逃げ出したら、世界のショウジョウバエの半分ぐらいが、羽の色が薄黄色に変わってしまっていただろうというような記事を書いて、警鐘を鳴らしていました。

当然ながら、遺伝子ドライブのアイデアを使って、生物兵器をつくることもできるかもしれません。たとえば蚊の唾液腺に、毒素をつくり出すような遺伝子を導入して、刺された人が毒を注入されちゃうとか、そういう蚊を何世代かでつくることもできるかもしれない。あと非常に怖い想像ですが、農業では受粉を媒介する昆虫とか鳥はすごく大事ですよね。その昆虫とか鳥をある地域で根絶させちゃうことで、その国とか地域の農業を壊滅させることもできるかもしれないわけです。マラリアを根絶するために蚊を絶滅させるのがいいのか悪いのかというのは議論があると思うんですが、やろうとしている人たち――たとえばビル・ゲイツと奥さんがつくったビル&メリンダ・ゲイツ財団がマラリアを根絶させるための遺伝子ドライブ研究にかなりの投資をしています――は、マラリアで命を落とす子供を救いたいという思いが根底にあると思いますが、そういった善意の研究と、生物兵器への悪用と、両方が可能になる技術といえると思うんです。そういった善悪両方に使える技術の性質を、「デュアルユース」と呼んでいるんですけれど、遺伝子ドライブもデュアルユース性がありますし、遺伝子ドライブだけではなく、合成生物学全体にとっても宿命なんじゃないかなと、取材をしていて感じました。

たとえば、旧ソ連で生物兵器を開発していたことは、もう事実と言っていいと思うんです。何人かアメリカや欧州に亡命した研究者がそれを告白したわけですね。その一人にお話を聞いたんですけれども、旧ソ連では、今でいうところの合成生物学的な発想で、新しい、未知の病原体をつくる研究がなされていたそうです。セルゲイ・ポポフさんという方は、今、ジョージ・メイソン大学の教授ですけれども、1980年代から90年代の初めに、旧ソ連で生物兵器の開発に実際に携わっていた方です。彼はどんな研究をしていたのかというと、ふたつの異なる病原体を組み合わせて、より強力な、未知の病原体をつくると。未知の病原体の何がいいかというと、敵がその治療法とか、何の病気かを察知できないので、混乱を引き起こすことができる。それはすなわち兵器としてかなり有用だということです。たとえば、ペスト菌に、人工的に作製したベネズエラ馬脳炎ウイルス(ウマの病気だが、ヒトもかかることがある)の遺伝子を挿入した、新しい病原体をつくろうとしていたそうです。ペスト菌の症状が現れたとき、抗生物質で治療しようとしますよね。ペストもベネズエラ馬脳炎も致死性の高い病気なんですが、このベネズエラ馬脳炎ウイルスは、抗生物質で活性化してしまう性質を持っているんです。なので、ペストを抗生物質で治療するとベネズエラ馬脳炎が活性化し、逆にそれをしないようにペストを治療しないと、ペストで死んでしまう。いずれにしても、感染したら死んでしまう恐ろしい病原体をつくろうとして、実際にサルなどを使った動物実験で実証できたというようなことを話してくれました。

こういった細菌とウイルスをくっつけるとか、遺伝子を挿入するというようなアイデア自体は ――1980年代にはまだ合成生物学という言葉は一般的ではなかったんですが―― まさに合成生物学的な発想です。ポポフさんは、合成生物学を利用した生物兵器の開発を世界で最初に実施したのはソ連だと明言していました。ただ、秘密研究だったので、いろんな物質の名前とかは全部暗号でやり取りしていたそうで、すごく効率が悪い研究だったとも話してくれました。またポポフさんは、ソ連が崩壊したタイミングで、イギリスからさらにアメリカへと亡命するんですが、混乱していた時期で、いろんな新たな病原体が開発されたけれども、そういった生物兵器のもとになるようなレシピというか、研究の資料とか、あるいは病原体自体がどこかに売られた可能性があるとも話していました。

意図しない生物兵器製造も……

実際に今、合成生物学者が ――生物兵器をつくる目的ではないんですけれども―― 生物兵器につながりかねない研究を行ってしまうことがあります。昨年の2月ぐらいだったか、カナダの研究者が、アメリカの製薬会社の投資を受けて、天然痘によく似たウイルス(馬痘ウイルス)を人工的に合成することに成功したと、『PLOS ONE』という科学誌で発表しました。これはさっき紹介したような民間のDNAの断片をつくる会社に、馬痘ウイルスの断片を発注して、それを集めて、研究室でつなぎ合わせるという作業で、価格も期間もそんなにかけないで成功したという内容だったんです。これが衝撃的だったのは、天然痘というのは1980年に世界で「患者さんがいません」という根絶宣言がなされているんです。今、天然痘の株は、アメリカとロシアの2カ所だけに厳重に保管されています。ところが、実験室で天然痘をつくれることを、ある意味でこの実験は示してしまったわけです。馬痘ウイルスは、天然痘にすごくよく似ているうえに、天然痘よりもゲノムのサイズが大きいんです。なので、これができちゃうということは、天然痘も、塩基の配列さえわかれば(ゲノムの情報さえあれば)実験室でつくれてしまうということなんです。なので、この成果自体、国際的にもすごく驚かれましたし、『PLOS ONE』という雑誌がなぜこの成果を載せたのか……実はこの研究者はほかの、もっと有名な科学誌にも論文を投稿して、倫理的な理由で掲載を断られているのに『PLOS ONE』は載せた。『PLOS ONE』では倫理的な課題について議論をしたとは言っているんですけれども、どれだけ、どんな議論ができたのかはよくわからない。載せたことがよかったのか、みたいな批判もかなりありました。

ここで、デュアルユース性というところで、ちょっと気になることがあります。アメリカの政府機関の中で、合成生物学の最大のパトロンといわれているのは、DARPA(国防高等研究計画局)という軍部の研究機関です。ソ連で人類初の人工衛星スプートニクが1957年に発射されたとき、アメリカは「まさか宇宙工学でソ連に先を越されるとは!」と衝撃を受け、それでNASAや、このDARPAができたんです。DARPAができてから、革新的な軍事技術を開発することを目的に、さまざまな技術を開発しています。ベトナム戦争で使われた枯葉剤とか、今も戦争でよく使われているステルス技術とか、暗い中でもよく見える暗視技術とか、民間でよく使われているドローンとか、いろんなセンサーとか、当然インターネットとかGPSとか、そういったものの基礎になる技術は、実はDARPAで生まれています。最初のきっかけは、スプートニクみたいなショックを、もう二度と受けたくないということでしたが、2008年に当時のトニー・テザー局長は、「われわれのミッションは進化した。今のわれわれの使命は、驚かされるのを防ぐとともに、われわれの敵に驚きをもたらすことだ」と議会で述べています。彼らは「DARPAモデル」という、独特の研究方式を持っていて、とにかく目標を最短期間で実現する。そういうところが世界的にも注目されて、実は日本でもDARPAモデルを模倣しようとしています。DARPAの建物の中には、実は実験室はないんです。彼らは指揮をとるだけなんです。アメリカ中、あるいは国外の大学とかいろんな研究機関に、公募形式でプロジェクトを立ち上げて、そのプロジェクトの進展や方向性を指揮して、とにかく最短で目標を達成させるという研究機関です。

私が行ったノースカロライナ州立大学で指導役をしてくれたのが、トッド・クイケンという研究者なんですけれども、彼がワシントンのシンクタンクにいたときにまとめた論文があります。彼はDARPAの合成生物学への投資がどれくらい伸びているかを、実際に公表されているデータで検証しました。2014年までしかデータがないんですが、図の一番後ろのオレンジ色のところがDARPAで、急激に伸びています。ほかにNIH(アメリカ国立衛生研究所)、NSF(アメリカ国立科学財団)、DOE(エネルギー省)とかもありますが、それらよりもDARPAの伸びがいかに大きいかがわかると思います。ただ、この図、ちょっとトリッキーなところがあります。NIHは合成生物学という言葉が好きではなくて、あまりプロジェクト名とかで使っていないんです。NIHも実質的には合成生物学的研究にかなり投資しているんですが、合成生物学と銘打って投資しているという意味ではDARPAはかなり大きく、しかも急激に伸びているということがいえます。ただ、2011年から合成生物学研究を始めているんですが、実はそれ以前に、90年代半ばぐらいから、生物戦という、生物テロを想定した防衛研究をかなり本格的にやっています。そこでは旧ソ連のポポフさんが話していたような、未知の病原体を想定して、それを即座に察知したり、治療法を開発したりというような研究もしていました。ちょっと怖いことに、この中のあるひとつの研究では、兵士の戦闘能力の強化(エンハンスメント)の研究も実はしていました。2000年代、2011年、2012年くらいから本格的に合成生物学への投資を始めて、2014年には生物技術研究室という名前の、本当に合成生物学に特化したような研究部門、研究室が発足しています。

彼らの真の狙いを聞きたくて、DARPAを訪ねて、合成生物学にかかわっているプログラムマネジャー5、6人と室長にそれぞれインタビューをしたんですが、当然ながら、攻撃目的の研究はしていないというのが公式見解で、「われわれのミッションは国家安全保障に資する画期的な技術を生み出すことだ」という、お題目的な回答でした。レネ・ワグリンさんという写真右側の方は、ちょうどセーフジーンズ(Safe Genes=安全な遺伝子)という新しい研究プログラムを立ち上げたところだったんですが、彼女は「遺伝子ドライブに関心がある」、「感染症に対処するために遺伝子ドライブを使いたい」とはっきり言いました。大学に戻って、トッド・クイケンという私のメンターに、この話をしましたら、それはすごく納得がいく話だと。兵士はジャングルみたいなところに行くことが多いわけですから、当然感染症のリスクがあるわけです。病気になると兵士の士気を落とすし、戦闘能力も下げてしまうので、感染症は軍隊・軍部にとっては大きいリスクであると。で、それを排除するために遺伝子ドライブを使うというアイデアは、軍部としては当然考えるだろうと話していました。

プログラムマネジャーの話で、実際にDARPAモデルとはどういうものかを具体的に聞くことができたんですけれども、実はプログラムマネジャーたちは、大学の教授クラスの、本当に優秀な研究者たちが、その終身雇用のポストをなげうって、DARPAの3年から5年しかない任期制のポストにやってくるんですね。それくらい、DARPAのプログラムマネジャーになることには魅力があるんです。なぜかというと、大学にいるときとは比較にならないような規模のお金を使って、いろんな大学の第一線の研究者たちを動かして、自分のアイデアを形にできる。だから教授職をなげうって、たかだか3年から5年のためにDARPAにやってきたんだという話をしてくれました。実際、彼らの名札には、その任期がちゃんと書いてあるんです。プログラムを立案するためには、数百人ぐらいの研究者と話して、コンセプトを固めていくそうです。つまりDARPAのプログラムというのは、一人の人が自分のアイデアでやるわけではなくて、第一線にいる研究者の、最先端のアイデアを総合してつくっているのだそうです。さらに、進捗はすごく厳しくチェックするそうです。時には1週間ごとにチェックすることすらありますと。DARPAの最大の特徴は、予算配分がすごく柔軟なことです。セーフジーンズの中でも、七つぐらいのプログラムを一斉に走らせるんですけれども、2、3年ごとに中間報告があって、そこでうまくいっていないところは投資をやめてしまう。うまくいっているところに投資を振りわけるので、最速で目標を実現していくわけです。

では、DARPAの目的はなにか。プログラムマネジャーにも直に尋ねたんですが、本音みたいなところはわかったような、わからないような感じがして、アメリカの軍部の生物学への投資を長年研究してきた生物学者キース・ヤマモトさんにも見解を聞きました。DARPAは当然、防衛目的の研究をしていると言うわけですが、キース・ヤマモトさんいわく、防衛目的の研究というのは、すなわち攻撃目的にもなりうると。たとえば、ある未知のウイルスに対するワクチンをつくりたいというプログラムがあったとします。実際、そういうプログラムはあると思うし、今までもDARPAでされてきたんですけれど、想定されている未知のウイルスなり未知の細菌を実際につくってみないことには、ワクチンはつくれないんですね。未知のウイルスをつくって、それに対するワクチンをつくること自体は防衛目的の研究なんだけれども、それが完成したあかつきには、未知の病原体も、ワクチンとセットで軍部は手にしているわけです。それは、すなわち攻撃目的にも使えるでしょ、というのがヤマモトさんの説明でした。またDARPAというのは、お話ししたように、研究の進捗とか方向性を強力にコントロールしている。だから研究者は自らの意思で研究をしていると思っていても、実際にはその方向性はお金の出元であるDARPAがかなりコントロールをしていると。もうひとつ、なるほどなと思ったのは、この分野への投資によって、DARPAはエキサイティングな科学を代表することができる。国際的に合成生物学はすごく注目されているわけで、そのエキサイティングな科学をDARPAが最も投資をして、最先端のところをやっているんだ、と。同時に彼らが飼いならすことができる超一流の研究者を特定する方法にもなると。

DARPAと研究者たちの距離の取り方

DARPAの投資に対しては、アメリカの研究者の間でもさまざまな受け止め方があります。遺伝子ドライブを初めて提唱したケビン・エスベルトさんはMITの助教ですが、自分の研究室を持っています。彼は、「軍部のお金は使わない」とずっと言っていたんですけれども、DARPAの投資は受け入れることを決めます。「防衛予算を使えば、その分、爆弾とかミサイルへの投資を少なくできるでしょう」と言っていて、ちょっと詭弁に聞こえてしまったんですけれども(笑)、すごく頭がいい人なのに、どうして? と思いました。逆に、セーフジーンズというDARPAのプログラムに、ちょうど私がいた大学の研究者たちが研究計画を応募していて、その大学の遺伝子工学・社会センターの共同センター長であるフレッド・グールドさんも入っていたんですが、彼は途中で抜けたんです。「どうしてなの?」って聞いたら、「共同センターのトップである自分がDARPAの研究に参加してしまうと、センターが一丸となって軍部の研究に協力しているという印象を社会に与えてしまうかもしれない。それは避けたい。私自身は、DARPAの研究は透明性が高くて、いい目的でやっていると信じているけれども、やっぱり社会的な印象は大事だ」というような話でした。研究者の中でも、いろんな意見があるんだなと思いました。

ゲノムを「書く」プロジェクト

ちょっとここで話を変えて、ゲノム合成計画というのも紹介します。これは今、実際に動いているプロジェクトです。GP-writeといって、ゲノムプロジェクト・ライト。ライト=書く、つまり合成するという意味で使われている言葉なんですけれども、2016年に『サイエンス』という有名な科学誌で、この計画が発表されたんですね。そのときには、「ヒトゲノム合成計画」という名前がついていて、彼らは10年以内に合成生物学の中心的な技術のコストを1/1000にするという、具体的な目標を掲げていたんですが、実際につくりたいのはヒトゲノム(ヒトのDNA)であると言っていました。

ところが、その発表をした当初、社会から非常に大きな批判が巻き起こりました。この論文が発表された直後に、ある科学イベントが行われたんですけれども、そこで若い参加者がこう質問したそうです。「もし精子と卵子を使わずに、人工のヒトのDNAをつくって、そのDNAを持つヒトをつくれるようになってしまったら、死んでも誰も悲しまない、完全に消費可能な人間を軍部がつくることをどうやって止められるんでしょうか」。もちろん、ヒトのDNAをつくることと、人工DNAを持つヒトをつくることは、技術的にかなり高いハードルがまたその先にあるわけですけれども、やっぱり人工のDNAをつくるというのは、そういう懸念を引き起こしてしまうわけですね。彼らは結局、ヒトゲノム合成計画という名前を変えて、HGPのHはHumanだったんですけど、そのHumanを取って、GP-writeという名前で、今はやっています。批判を受け止めてそうしたということです。

当初、彼らは非公開のシンポジウムを開いていたんですが、実はYouTubeとかで全部見ることができて、それを見ていたら、デボラ・マシューさんという女性の生命倫理学者が一人だけ反対の意見を述べていたんです。雰囲気的に居心地が悪かったんじゃないかと気になって、デボラさんに話を聞きに行ったところ、彼女はこういういくつかの問題があったと指摘しました。この論文を2016年に発表したときに、彼らはもうすることを決定していて、倫理的な課題はあとで検討しようとしていた。順序が間違っていると。もうひとつは、ヒトゲノムというのは私たちの共有の資源であって、それを操作してしまうことは、人間の尊厳に対する不適切な行為になりうると。ヒトゲノムをまったく操作してはいけないとは、デボラさん自身は思っていないんだけれども、これ以上は許されないという閾値があるんじゃないかと。

では実際に、そのGP-writeの主催者はどう考えているのかということで、中心になっている4人のうちの一人であるジョージ・チャーチさんという、ハーバード大学の有名な研究者にも話を聞きました。モニターの写真を撮ったのはiGEMの会場なんですけれど、彼はiGEMに参加する学生たちの間ではスターなので、彼が登場するだけでまわりにワーッと学生が集まって、みんな自分たちの研究を「見て、見て」みたいな感じで引っ張りまわして、なかなかインタビューできなくて焦りました。それくらいチャーチさんは有名でした。彼がやっている有名な、関心を浴びている研究のひとつに、マンモスの再生というのがあります。ずっと前に絶滅しているマンモスを、遺伝子工学を駆使して現代によみがえらせようというプロジェクトです。

ジョージ・チャーチさんいわく、「GP-write、ゲノム計画の目的は、ヒト自体をつくることではない。われわれの目的は『ウルトラセーフ』、つまり、癌とかウイルスとかいろんなものにかかりにくい、すごく強いヒトの細胞をつくることです」と。で、その細胞に、いろんなホルモンだとか、医薬品の原料とかをつくらせる。あるいは実験に使う。医学研究に使う。そういうための人工的なDNAを持つヒト細胞をつくりたいんだということを、縷々説明してくれました。クローズドの会議って批判されたけれども、決してそんなことはないんだということも力説していました。しかし、彼は2012年に『再創世記』――残念ながら、まだ和訳されていないんです―― という本を書いていて、その中で「合成生物学のクライマックスはゲノムを改変した人間をつくりだすことだ」って書いちゃっているんです。言っていることと書いていることが違うんじゃないかなと感じました。倫理的な議論を私もつたない英語で試みたんですけれども、なかなかうまくかみ合わなくて、「そのコンピュータ上で設計した人工のDNAを持つ人というのは、今、技術的にはできないけれど、将来できてしまったらどうなる?」みたいな話をしたんですが、チャーチさんは、自分たちがつくらなくても、誰かがつくるかもしれないねということで話してくれ、別に問題はないよと。そういう子は、両親というか仮の育ての親を見つけてもらって、ちゃんと愛情に包まれて育っていけば、アイデンティティは確立できるよと。でも、実は私は以前に不妊治療の取材をかなり長くやっていて、そこで色々感じるところがあって、チャーチさんは、そういう倫理的なことは、あまり現実感をもって考えていらっしゃらないんじゃないかと感じました。

というのは……長らく日本では、お父さん側の精子に問題があって赤ちゃんができないカップルに、第三者の精子をもらって子供をつくるという治療をしてきました。この技術はAIDとよばれているんですが、そのAIDで生まれた方たちが今、20代、30代になっています。彼らは自分のお父さんが生物学的な親ではないということを知らずに育つことが多く、ある日突然それを知って、アイデンティティの危機を感じるということが、AIDで生まれたお子さんたちの口から語られるようになってきているんです。実際、AIDで生まれて、ある日突然、その事実を知って、自分の精神が崩壊するような気持ちになったと語ってくれた人にも、何人かインタビューをしたことがあります。彼らの苦悩を思い出したとき、育ての親がいて愛情に包まれて育ったとしても、自分の生物学的な両親がいなくて、誰かがコンピュータ上で設計したということをある日突然認識したら、どんな思いになるだろうかというのは、なかなか想像するだけで辛いものがあります。チャーチさんはそこまで、もしかしたら想像していないのかもしれないと感じました。

チャーチさん、なかなか物議をかもすのが得意な人で、実は最近も、遺伝子変異リストみたいなのを、いきなり自分の研究室のホームページで公開しました。これは、ヒトの遺伝子でどこにどんな変異・変化があるか、どんな能力の向上とか体質の変化があるかみたいなことが、今までの研究をもとにリストにされているんです。たとえば、骨がすごく強くなるとか、記憶力がすごくアップするとか、そういうような遺伝子が羅列されているんです。チャーチさんがなぜこのリストを公開したのかは、よくわかりません。いくつか短いインタビューが海外のメディアから出ていましたけれども、判然としなくて、なかなか議論を呼ぶのが得意な方だなと思います。

ミニマル・セルの衝撃

時間が押してきてしまったんですけれども、クレイグ・ベンターのことも、ちょっとご紹介させてください。ミニマル・セル(最小限の細胞)です。設計したゲノムを一から構成する、合成ゲノミクスというのは、今は実は酵母とか大腸菌でも行われているんですけれども、先陣を切ったのはこのクレイグ・ベンターという人なんです。すごく個性的な人で、少年時代はわんぱくで落第生だったそうですが、衛生兵としてベトナム戦争に従軍して、人の生と死の現場に直面し、その1年余りの体験の中で生物学にすごく興味を抱いて、戻ってから猛勉強をして研究者になったという方です。

ヒトゲノムの解読計画が2000年代後半に始まり、日本を含む6カ国ぐらいで、政府が公的な資金を出して、国際的な共同チームをつくって、ヒトゲノムの解読をしようとしていたんですね。そのときにベンターは、自分が立ち上げたベンチャーで、その公的なチームに競争を挑んだんです。世界が度肝を抜かれたんですけれど、ベンターはその競争にほぼ勝って、同着でヒトゲノムを解読することに成功しました。その彼が99年にミニマル・セル計画を発表していますが、実際に構想したのは95年だそうです。きっかけは、人類史上初めてベンターの研究チームが2種類の微生物のゲノムを読むことに成功したときに、生命の基本のレシピは何なんだろうという疑問を抱いたことだそうです。当然、自然界で最小のゲノムを持つ生物がいるんだけれども、それが最小じゃないだろうと。もっともっとそこからそぎ落としていって、最後、生命を維持するのに最小限の遺伝子を持つ生物をつくってみたいと構想して、ミニマル・セル計画を始めます。

モニターの写真の素敵なおじいちゃんたちですが、ハミルトン・スミスさんはノーベル賞学者で、この3人の方たちは本当にみなさんジェントルマンで、丁寧にお話をしてくれました。彼らが中心となって、足掛け20年。普通の研究所で20年、同じ研究チームで、同じテーマで研究を続けるってなかなかありえないと思うんですけれども、ベンターが、クレイグ・ベンター研究所という自分の名前を冠した研究所をつくって、そこでミニマル・セルをずっとやっていたんですね。そしてついに、2016年の3月に発表します。コンピュータ上で、まず最初にゲノムを設計して、自動の装置でDNAの断片をまずつくります。その断片を大腸菌とか酵母の体の中で、どんどん長くしてつなぎ合わせていく作業をします。ついに完全なDNAをつくってそれをごく近い種の微生物の細胞の中に移植するんですね。そうすると、移植した細胞が生き残った場合に、100%人工のDNAを持つ微生物ができあがるわけです。写真に写っている研究者は日本人なんですけれども、クレイグ・ベンター研究所は世界で最高の研究所だと話していました。

写真のシャーレの中に入っているのがミニマル・セルです。これの何がすごいかといいますと、まず自然界で最小の細菌は58万塩基対なんですが、それを下回る53万塩基対という、本当に小さなサイズのDNAを持っていること。そして遺伝子の数はわずか473個なんですが、驚いたことに、その1/3の149個は機能が不明だったんですね。ベンターがすごく得意そうに、新しい実験をしたことで、この149個の未知の遺伝子が発見できたと話してくれました。新しい発見には、新しい実験が必要なんだと。まさにリチャード・ファインマンが言ったように、「つくることによってしか理解できないことがある」のだと、ベンターは話していました。

もうひとつ、ベンターが強く主張していたのが、このミニマル・セルが立証したのは「ゲノムは生物のソフトウェアである」という考え方だということです。人工DNAを持つ微生物は、最初はもともといる微生物に移植されているんです。だから体は、もともといるほかの生物の細胞膜だったり、細胞質だったりするんですけれども、どんどん分裂を繰り返すうちに、新しいDNAの指令に基づいてタンパク質がつくられて、その体の細胞質も細胞膜もつくりかえていくんです。理論的には30回分裂を繰り返すと100%、移植した人工DNAの指令に基づくタンパク質とかだけで構成された細胞ができあがるので、その時点で人工生命といってもいい気がするんですが、そういうものができた。つまり、生物というのは、ゲノムというソフトウェアに則って働くのだと力説していました。おもしろいことに、この研究チームは、ゲノム(DNA)を移植することを「インストール」と言ったり、ゲノムを働かせる、DNAがちゃんと動く、指令を出し始めることを「起動させる」といったり、そういう言葉をインタビューの間でも使っていました。

ミニマル・セルというのは、本当に最小限の代謝と、生物の条件である「自分のDNAを子孫に伝えていくこと」だと思うんですけれども、それができるだけなんです。シャーレの中で増えて、DNAをコピーしていくだけなんですけれども、ミニマル・セルについては、とにかく149個も機能がわからない遺伝子があるということで、これがどんな機能を果たしているのかみたいなことを、今、せっせと、いろんな大学とも共同研究をしながら探索しているそうです。もし将来、このすべての遺伝子の機能とか、ネットワークとか、細胞が生きている仕組みとかがわかったら、それはコンピュータ上で人類が新たな生命のゲノムを設計するときの土台になるのかもしれません。このミニマル・セルは動画があるので、見ていただきます。これは自然界のやつをそのままコピーした人工DNAを持つ細胞です。どんどん、シャーレの中で増えていくんですね。

今見ていただいている動画が、ミニマル・セルの細胞が増えていくところです。私、もう何十回となく見ているんですけれども、すごいなと思うと同時に、ちょっと怖いなと思うところがあります。この細胞がコピーしているのは、人工のDNAなんですよね。自然界にない、つまり進化の系統樹から外れたDNAをせっせとコピーして増やしているところが、試験管の中ですけれども、ちょっとSFチックで、若干怖いなと思います。

人間は進化の系統樹に介入していいのだろうか?

クレイグ・ベンター研究所を訪ねたのは留学生活の終盤だったんですけれど、1年間、合成生物学の取材をしてきて、ずっと胸の中に疑問があったんです。私たち人類は、この合成生物学で遺伝子ドライブを使って、ひとつの種を根絶させることもできるかもしれないし、ミニマル・セルのように自然界にない生物をコンピュータ上で設計してつくりだすことすらできる。まだまだ始まったばかりの学問ではあるけれども、そういう種を創造したり、あるいは進化の経路をゲノム編集によって変えたり、あるいは絶滅させることすらできるかもしれない。地球上にたくさんいる多様な種の中のひとつの種にすぎない私たち人類が、地球が何十億年かけて育んできた進化の系統樹に介入していいのか? 進化の担い手となっていいのだろうか? という疑問がずっとあったので、それをクレイグ・ベンターに「どう思いますか?」と聞いてみました。

彼は、「私たちには全く新しいものを創り出すことを可能にするだけの知性がある。君はひとつの種にすぎないというけれども、そんなことはない。私たちはそのへんにいる種とは違うんだ」と。従って、「もちろんその権利がある」というのが、ベンターの答えでした。彼は無神論者なので、神はいないと考えている。あるのはただ、社会の規準だけだといっていました。社会の規準がそれを許すならば、研究を続けていけるだろうということですね。

合成生物学にはデュアルユース性もあり、健全に発展していくかどうかは、本当に社会が問われているところだと思うんですけれど、健全に発展するためにはふたつの条件が必要だと、私は思っています

ひとつはResponsible Science(責任ある科学)。Responsible Scienceとか、Responsible Innovation(責任ある革新)という言葉を留学中によく耳にしたんですけれども、これは科学者自身が、その技術を研究・開発しながら、同時にそのリスクとか懸念をちゃんと社会に公開して、社会と一緒に議論をしながら研究を進めていく。それが責任ある科学者の態度だという考え方です。実際にジェニファー・ダウドナとか、遺伝子ドライブを提唱したケビン・エスベルトは、Responsible Scienceを地でいっている。たとえばエスベルトは遺伝子ドライブの最初の論文の中で、リスクについてもちゃんと言及していますし、積極的に発信をしています。そういう科学者の態度が重要であるということと、もうひとつはそれに対して市民が参画していく、Public Engagement(市民参加)も重要だと思っています。社会が無関心であれば、研究者は研究者だけの議論で先に進んでいってしまうかもしれないということです。

倫理観、そして価値観

最後にみなさんに質問します。さっきクレイグ・ベンターは、社会の規準(言い換えれば倫理観とか価値観)によって決まるんだと話したといいましたが、私はこの社会の規準というのは、時代と目的によってどんどん変化していくものだと思っています。

まずひとつめの質問なんですが、両親が望みどおりの赤ちゃんをつくるという「デザイナーベビー」は許されると思われますか? 許されると思う方、手を挙げていただけますか。許されないと思う方? やっぱり多いですね、ありがとうございます。

次の質問ですが、今、火星に行きたいというベンチャーの起業家がいますよね。火星に人類を送り込むための、そういう映画もありましたが、そのためのヒトゲノム改変は許されるでしょうか? 火星は重力の環境とか、大気ももちろん地球と違うので、火星の過酷な放射線だったり、重力だったり、そういうものに対応できるように人類の体を改変する、そのためのヒトゲノム改変は許されるかどうか。許されると思う方? けっこういらっしゃいますね。許されないと思う方? ありがとうございます。デザイナーベビーよりも、「許される」という方が多かった気がするんですけれど、受精卵の段階でゲノムを改変するという意味では同じことなんですよね。

留学から帰ってきた直後、ある大学で授業をしたとき、学生さんに同じ質問をしたら、同じような結果になりました。デザイナーベビーは許されないと思う方が圧倒的に多かったんですが、火星に人類を送り込むための改変だったら、条件付きで許される。しないと滅亡するならOKっていう、なかなか説得力のある意見がありました。将来、火星に人類が移住するときがあるかないか、わからないですけれど、質問の仕方や目的が変わるだけで、もしかしたら社会の見解、いわゆる社会の規準というのはどんどん変わっていくのかもしれないなと感じています。ご清聴ありがとうございました

河野:どうもありがとうございました。お疲れさまでした。なかなか、ぎょっとする話ばかりでしたが、1年間、精力的に取材なさったのがすごいですね。広いアメリカで、お会いになったのが70人? 1年間であれだけの取材をやって、1冊の本をあげてというのは、大変に生産的な留学だったと思います。
須田:ありがとうございます。
河野:その成果を今日はたっぷり聞かせていただいたと思います。ご質問ある方、いらっしゃいますでしょうか。

受講生:ゲノム編集食品なんですが、問題はオフターゲットだということでしたが、それはどれぐらいの確率で起きるものなんでしょうか。
須田:実は、オフターゲットをどうやって評価するか、つまりオフターゲットがどれぐらい起きているのかをちゃんと調べたり、評価したりする方法も、まだ本当は確立されていないんです。その狙っている配列と似たようなところで起きやすいとはいわれているんですけれども、じゃあそこだけ調べればいいのかという問題もありますし、そのつど全ゲノムを調べるって、なかなか効率も悪い。オフターゲットの頻度は、私も気になっていろんな研究者に聞いたんですが、たぶん種によっても違うと思うんですけど、カチッとした答えは出てこなかったですね。

受講生:とっても楽しかったです。途中で、ウルトラセーフなヒト細胞というお話が出てきたんですが、医学が発達するにしたがって、人間は病気をどんどん克服したかわりに、新たな人間の脅威(癌や遺伝的精神疾患など)も見つかってきたわけです。ウルトラセーフな人間が生まれたとして、それに対して、また何かしらの脅威が見つかったら、それはどうやって対抗策を見つけるのか心配になってしまうんです。そういった可能性は研究されているんでしょうか。
須田:すごく重要なご指摘だと思うんですが、ウルトラセーフという概念自体が、チャーチさんが言っていることなので、まだ、それに特化した研究はされていないと思います。たとえば中国のゲノム編集ベビーで改変されたCCR5という遺伝子を改変すると、たしかに理論的にはエイズウイルスにはかからなくなるんです。でも、一方で西ナイル熱とかインフルエンザとか、ほかのいくつかの感染症にはかかりやすくなることがわかっています。そういう報告がいくつか出ています。ですので、賛否というか、ひとついいことがある遺伝子改変をしたとしても、その裏側で何が起きるかわからないということで、チャーチさんの遺伝子変異リストの中でも、ネガティブな起こりうる変化も一応ちゃんと書いてあります。

河野:ゲノム編集ベビーの生みの親というのか、あの中国の先生はその後どうされているんですか。まず生きているんでしょうか。
須田:私たち記者の間でも、すごく話題になっていたんですけど、よくわからないんですよね。去年の11月とか12月に騒動があって、そのときには双子の赤ちゃんが本当に生まれたのかどうかすら、よくわからなかったんです。でも年が明けて、1月だか2月に中国当局が、あれは事実であると発表したんです。だからどうやら赤ちゃんが生まれたというのは事実らしいと。だけど賀さんがどうなったか、大学の職は確か失っているはずなんですけど、どこでどうされているのか、情報がないのでわからないし、取材のしようもなくて困っています。誰かご存じでしたら教えてください。
河野:国の外に出ているという可能性もないわけではない?
須田:いや、わからないですね。そもそも出られるのかどうか……。

受講生:おっしゃったように、やっぱり人って欲望があるから、もっともっとって絶対なるじゃないですか。で、その歯止めが利かなくなったらどうするんだろうとか、いろんなことを思っているんですけど、人間がこれから自分たちで進化していくようなことをやっていったときの、なんか希望をひとつ持って帰りたいなと思ったんですけど。
須田:そうですね。個人的には、最初の「ガタカ」の映画のときにも少しお話ししたかと思うんですけど、基本的にヒトの次世代・将来世代に伝わるような遺伝子改変は、してはいけないと思っています。もちろん希望している難病の方もいるんですが、実は体外受精をした受精卵は、ちょっと分裂が進んだ段階で細胞を少しとって、病気が遺伝しているかを調べることが、今、できるんですね。実際にそういう技術も応用されているので、受精卵そのものを改変しなくても、健康なお子さんを持つこともある程度は可能なんです。そういう代替策というか、それでやっていくべきじゃないかなと思っているんです。じゃあ難病と普通の病気の境目はどこにあるのかとか、普通の病気と若ハゲみたいな、いわゆる個性といっていいような特徴との境目はどこにあるのかというのは、誰も決められる人はいないと思うんです。私はやっぱり、個性豊かな人がいっぱいいる世界に住んでいたいし、そういう世界を守るためには、基本的に「してはいけない」と決められたらいいなと思うんですね。ただ一方で、フライングしてしまう研究者がいる。実はその中国の研究者のあとにも、ロシアの研究者が、目の難病のカップルを対象とした受精卵のゲノム編集をする計画を発表しているんです。そういうことをやりたい、自分のほうがもっとうまくできるみたいなことを言って。そういう人が出てくるのは本当に心配ですし、そこはなんとか国際社会で協力して、歯止めをかけていく努力をすべきではないかと思っています。

受講生:とても考えさせられる、深刻な話なんですけれども、全然深刻でない、明るい質問を1個だけ。ベンチャー企業の話がちらっと出ましたよね。ベントー・バイオワークスという会社なんですけど、あれ、日本語の弁当がもとでしょうか?
須田:あ、そうですね、はい。まさに、あのお弁当箱の弁当から来たようです。
受講生:ありがとうございます。
河野:よく聞いてくださいました(笑)。では、今日はこのへんで。

受講生の感想

  • ゲノム編集という、遺伝子までをも変えてしまう術を得た人類は一体どこへ向かおうとしているのでしょう。怖いです。普段、私のまわりではおよそ関わりのない世界ですが、ある研究者にとっては全てを捧げてのめり込む程の魅力、いえ魔力を持っている研究なのですね。どこか人間の怖さも感じましたし、文明の発達というのは、常に表裏一体、素晴らしい発明も使い方ひとつで凶器となってしまうのは、いつの時代も変わらないテーマですね。完璧を追求すればするほど虚しい世の中になるような……そんなことを考えさせられました。

  • 「ウルトラセーフな細胞」というのが気になっています。あらゆる病を克服し、癌細胞に変化したりもしない細胞というものを考えたとき、私には「永遠に変化しない」「あらゆる物から影響を受けない」細胞というのは、生物として何かおかしなものしか想像できませんでした。

  • 「一度発明してしまったもの、生み出してしまった技術は使わずにはいられない」、こういうことって、人それぞれの考えがありますし、また人間が生き物として完璧でないことの証明というか、課題ということかもしれませんが、この先も考えつづけていかなければならないテーマだと思いました。

  • 非常に興味深い内容で、ダーウィンが今の時代に生きていたらどう考えるだろうと思いながら拝聴しました。映画「ガタカ」も早速観ました。22年前にこのような作品が公開されていたことが驚きでした。