シェイクスピア講座2018 
第8回 木村龍之介さん

過去と未来のシェイクスピア

15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。

木村龍之介さんの

プロフィール

この講座について

演出家・木村龍之介さんが、『ハムレット』公演を終えたばかりの俳優・河内大和さん、真以美さん、岩崎MARK雄大さんとともに、99席クラス全員を劇団員にしてしまいました。「みなさんはエルシノアです」という言葉ひとつで魔法の粉がかかったかのように、受講生はデンマークの城になり、そこに押し寄せる「森」を演じました。想像力のすごみを実感する授業となりました。

講義ノート

カクシンハン主宰、演出家の木村龍之介と申します。どうぞよろしくお願いいたします。僕、囲み舞台をやるとき「役者は背中で芝居しろ」とか言うんですけど、けっこう大変ですね(笑)。お尻向けちゃうかもしれませんが、よろしくお願いします。

この前、カクシンハン第12回公演として『ハムレット』をやりました。『ハムレット』、実際上演して僕がいちばん感じたことなんですが、400年、450年前の人たちも同じように集まり、俳優がしゃべり、それを一体感を持って共有していたということに、「ああ、なんかいいな」と思いました。とくに『ハムレット』という戯曲においては、それが顕著だと思いました。その話も今日したいと思います。ご覧になってない方もいらっしゃるでしょうから、少しまた『ハムレット』の世界をやってみたいと思います。それは、400年前、450年前、そんな昔のものを今まさに体験するという、ちょっと魔法のような出来事だと思うんです。シェイクスピアが仕掛けた一つの魔法、罠といってもいいかもしれないですね。それがどこでも再現できるということを体験してもらいたいと思います。

お渡しした紙を出してください。第1幕第1場、「バナードー登場」という、最初の授業でも扱ったこのシーン、これを今日またやって、シェイクスピアのおもしろさをみんなで体験してみたいと思います。

400年前、450年前のものを蘇らせるには、どうしたらいいんでしょう。僕はいつもそこで途方に暮れるんです。でも、これが演劇のおもしろいところだと思っています。400年前に書かれた言葉に、今の僕たちの生命やエネルギーを吹き込んで、「ああ、これは生きているものだ。400年前に死んだものじゃないな」と思うところまで、どんなふうにいけばいいのか。そういうことを今日はやってみたいと思います。たぶんみなさん、シェイクスピアについて授業を重ねてきて、手触りはわかってきたと思うんですね。あるいは、どういう方向性にシェイクスピアがいるのか、とか。今日はみんなでそのプールに飛び込んで、あるいはグラウンドで遊んでみたいと思います。演劇は英語でplay、遊びです。遊んだ者勝ちです。遊べば遊ぶほどシェイクスピアが迫ってくる。そういうことをやれたらなと思います。

第1幕第1場。この世界を「ほぼ日劇場」に立ち上がらせたいと思います。みなさんにも役者として参加してもらいます。で、まず前提として、演劇という形を与えるために、最初に持っておかなければいけないものがあります。これを立体化してみようと思うときに、みんなが共通して持っていないといけないこと。何でしょう。もちろん台本はありますね。この台本をもとに、みんなが同じイメージを共有することが大事です。イメージを共有しないことには、世界は立ち上がってきません。これは演出家の平田オリザさんがおっしゃることで、わかりやすいので引用させていただきます。大縄跳びってわかりますか。誰かエアーで縄を回してくださる人、いらっしゃいます? はい、縄を片方持ってください(縄はない。仕草だけ)。いきます。じゃ、こっち回りで。せーの。みなさん、縄見えますか? 誰か、跳んでもらえますか。(男性、飛ぶ)ご協力ありがとうございます。今、まさしくみんなでひとつのイメージを共有したと思うんですよね。もしここで、「いやいや、縄ないじゃん」っていう人がいたら、イメージが崩れてしまいます。これが、強いイメージを持つという演劇の武器の一つで、『ハムレット』においても、あるひとつのイメージを持たないと、みんなで立体化することができないんです。

では、どんなイメージかというと、まず、場所です。デンマークのエルシノア城という場所です。ここのイメージを共有することによって、世界が立ち上がってくる。たぶん100年前の日本人と今の僕たち、あるいは今のドイツ人、あるいはアメリカ人とで、また違ってくると思うんですよね。この差がシェイクスピアのおもしろいところです。これもあとで説明します。

さて、エルシノアってどんなイメージがありますか。

女性:古城な感じ。

いいですね。古いお城ですね。他には。

女性:石造りで暗い感じ。

いいですね。石造りで暗い。古城な感じ。ほかに何かありますか。ハムレットが最初、かたーくなって、「いやだ、いやだ」って言って、「雑草が伸び放題の荒れた庭だ」みたいなことを言ったりしますよね。

男性:荒れ果てた感じ。

荒れ果てた感じ、いいですね。どうもマイナスな感じがありますね。だから、あまりにもプラスだ~ってエルシノア始めると、ちょっとイメージと違うかもしれないですね。あえてそういうエルシノア城のイメージで上演することもできなくはないと思いますけど、今はマイナスな感じですね。イメージがつきましたね。なんか冷たい感じ、古城、古い感じ。それをまず持っておいてください。

第1幕第1場を楽しむためにはもうひとつ、亡霊があります。これまたイメージを共有しておかないと、たぶん、古今東西亡霊っていろいろあると思うんです。2ページ目と3ページ目に2回亡霊が出てきますが、亡霊のイメージは何かありますか。

女性:青白い感じ。

男性:リアルな。

女性:『ハリー・ポッター』とかの映画に出てくる亡霊。

ああ、出てきそうですね。はい、わかります。ちなみにどんな形ですか、それは。

女性:青白くて、でも、出てきたと思ったらパッと消える。

ああ、いいですね。『ハムレット』の亡霊はお父さんの亡霊ですから、リアルな感じしますね。血のつながった感じもしますね。他にありますか。

女性:落武者。

女性:おごそかな。

おごそかな感じ、いいですね。しずしずと歩いていったって言葉もあるくらいですし、そのとおりですね。この亡霊に形を与えてみたいと思います。どんな形でしょう。歩き回っているから、立っているんですかね。どれくらいの足取りでしょう。速いのか遅いのか、まさかスキップしてるのか?

女性:ゆっくり。

ゆっくりな感じはしますね。みなさんにこのあと亡霊になってもらいます(笑)。亡霊になったな、って自分さえも騙しちゃえる噓が演劇なんです。「あ、今日、亡霊っぽいね」とか言われることはないけれど、舞台上にいるときは少なくとも自分は亡霊だと思っているわけです。そういう「自分を騙せるイメージ」を何か連れてこられると、名優になれます。たとえば、右手と左手で、みなさん、どうやったら亡霊だって思えますか。座ったまま、亡霊と思える所作とか仕草をやってみましょう。

今の亡霊を覚えておいてくださいね。みなさんにはこれから、カクシンハンのメンバー、俳優になってもらって、エルシノアと亡霊役をやってもらおうと思います。これは河合先生の授業でもあったかもしれないんですけど、スピリットというものがすごく大事だと。僕は「魂」というんですけど、ハムレットはハムレットの魂がある人が演じるべきであって、ハムレットっぽい人がやるよりも、魂があることが大事。ハムレットの魂がある人と、ハムレットを演出したい魂を持った人が出会うことによって『ハムレット』という作品ができる。そういう魂って大事なんですね。ですから、エルシノアのみなさんは、スピリット、魂だと思っていただいて、そのエルシノアの魂の中から亡霊が出てくるようなイメージでやってみてください。

僕が『ハムレット』を読んだときに最初に実感を持てたのは、ハムレットが第1幕第4場で亡霊が出るっていうから、友だちのホレイショーとマーセラスとバナードーに誘われて行くんですね。そのとき最初に、「風が肌を刺す。寒いなあ」って言うんです。あ、ハムレットもちゃんと寒がる、僕たちと同じ人間なんだってすごく実感を持ったんですね、その台詞から(笑)。なので、エルシノアを「冷たい風」ということにさせてください。さっき思い描いた、冷たい、古城、荒れ果てた、そのような風を息で作ってもらいたい。

生徒:ヒュ~~(風の音っぽく)。

おお、さすが8回目の授業。すばらしい(笑)。みなさんの思う冷たい風を出してください。あるいは、みなさんの思うエルシノアの風。すると、あたかもここがエルシノアになったかのように思えるかもしれない。ハムレットはその風を感じて、「いやだ、いやだ」と思ってるんですよね。なんでクローディアスが、なんで叔父さんが王になっちゃうんだよとか、大好きだったお父さんがいなくなってしまった。なんで政治家たちは自分たちに重労働させるんだ。フォーティンブラス軍が進軍してるかもしれないぞというような不穏な空気の風を作ってください。

「亡霊登場」というト書きがあったら、さっきやった手をやってみてください。いいですか。みなさんアクターとしてやってみてください。俳優は、マーセラス、バナードー、ホレイショーをカクシンハンメンバーの河内大和、真以美、岩崎MARK雄大が演じ、ここを『ハムレット』の世界にしてみたいと思います。みなさんの風が起こってきたら、ここはエルシノアになります。最初の「誰だ」から始めましょうか。フランシスコが1人、歩哨で立っています。冷たい風でエルシノアにしてください。エルシノアになった感じが漂ったら始めましょう。『ハムレット』第1幕第1場。用意、みなさん、風、どうぞ。

(みんなで演じるワークショップ)

どうもありがとうございます。超即興シェイクスピアですけど、みなさんすばらしいです。

文字の羅列だった、シェイクスピアが書いた言葉が、シェイクスピアが生きていた当時の記憶というか、こんな感じで演じられていたんじゃないかということが、瞬時に立体化した感じがしましたよね。これが演劇の、とくにシェイクスピア劇のおもしろいところだと思っています。一人で読んでいてもわからないことかもしれませんね。やってみてどうでした? 発見はありましたか? 確かにこんなところで見張りしていたら、絶対早く帰りたいですよね(笑)。

これは実は、シェイクスピアは計算済みだったと思うんですよね、僕は。そもそも「デンマークの話をなぜシェイクスピアは書こうとしたんだい」って聞きたくなるんですよ(笑)。実際の城を描写したかったというよりも、もしかしたら、今流れた空気感みたいなものをシェイクスピアの脳か心は感じていて、それを文字に落とし込んだのがこの戯曲だったんじゃないかと僕は思ったりします。だから、戯曲に忠実にやるということも、もちろん字面は見なきゃいけないんですけど、その先、エルシノア城ってこの若者たちにとって何だ。亡霊ってこの人たちにとって何だろう。それだけじゃなく、もうひとつ。エルシノアって僕たちにとって何だろう。亡霊って僕たちにとって何だろう。そういう想像をしていく。ハムレットがエルシノアに対して感じているようなことを何か僕たちが感じたら、それがたぶんエルシノアだと思うんです。意味わかります? そういうものを見つけて、シェイクスピアがイメージしたエルシノアと僕らがイメージしたエルシノアがドッキングして舞台上にある。こんなことができるのがシェイクスピア戯曲のすごいところだなと思っています。それが世界各地で上演される。僕が違う国の演出家で、違う人だったらたぶん、違う風に着目する。そうすると、同じ『ハムレット』でも見比べることで広がりが出てくる。つまりハムレットがエルシノアと呼んでいる何かを、いろんな国の人たちがエルシノアと思ってやっている。

僕の考えるエルシノアは、ハムレット目線で言うと、制度とかを作ってきた大人たちのことを卑怯だと思って反抗する、そういう若者の自由を閉じ込めてしまうような空気、あるいは死んだ人のことは忘れて政治を先に進める、そんな何かがエルシノアかなと僕は思ったりして、実際そういう演出も数限りなくあります。で、そういう表象の差を作ったり、差を見ることができるのがシェイクスピアのおもしろさです。

だから、戯曲を読むときにみなさんにやってほしいなと思うのは、まずこの古典の言葉たちを愛して、シェイクスピアはすごいことをやってるんだと思って、何なんだろうと身を乗り出すこと。そして身を乗り出すときに、そこに正解・不正解を求めるよりも、シェイクスピアはどうしてこんなことを書いたんだろうとか、どうして僕はこのセリフを気に入ったんだろうとか、どうしてこのシーンは退屈なんだろうとか、そういうことを考える。それによって文字に隠れた裏側が出てくるんですね。

そういう楽しみ方をすると、僕のイメージではシェイクスピアが400年前からものすごいスピードで走ってきてる感じがするんですよね。そうやって想像してるとき、遠くのほうにいたおじさんが、「おーい」って来る感じがするんですよ。「木村くーん」って(笑)。そういうふうになれた瞬間に僕は演出を考えられるところがあるんです。あ、これ上演したいなって。これは蜷川幸雄さんがよく俳優に対して使っていた言葉なんですけど、「ありえたかもしれない自分」。もし間違ってたら「蜷川さんすみません」なんですけど、もしかしたら「ありえたかもしれない世界」、「ありえたかもしれない夢」とか喪失とか、いろんなことに思いを馳せることができる。で、僕がいちばん最初にここでもお伝えした、「もう一個の地球ができたような感じ」になるんじゃないかなというのがあります。それはめちゃくちゃ面白いことだと思います。

ここでその『ハムレット』なんですけども、いろんな『ハムレット』があるということを見てみたいと思います。『ハムレット』を皆さん、何種類観たことありますか? 『ハムレット』観たことない人いますか。いいですね。これから楽しいと思います(笑)。1種類観たことある方? 2種類? けっこういらっしゃいますね。3種類。すごい。4種類以上。ああ、すごい。5? 6? すごいですね。4種類以上の人はやっぱり見比べ甲斐ありますか?

女性:おもしろい『ハムレット』はみんなリアルなんですけど、リアルが違うなと思います。このあいだ観たカクシンハンさんのは、今の日本の若者のリアルかなって思ったんですけど、昔観たポーランドの『ハムレット』は、すごく寒くて暗くて、密告が横行してるような。だから、誰も大きな声でしゃべらない。ずっとコソコソ声でやってるんですよ。「大きな声でしゃべると、誰かに密告されて殺されちゃう」というのがこの人たちのリアルなんだなと思って観ました。

そのとおりです。授業を10分ぐらい先に進めてくださいました(笑)。そのとおりですよね。リアルに感じるところまでこの戯曲を引き上げるには、自分たちのリアルを持ち込まないとできないんです。おもしろいものって触れたくなるというか、同じ空気を吸っているような感じがするもの。そういうところまでいくと、文化の差が出てきます。せっかくなので、今回の『ハムレット』に関して僕はこういうことを考えて作ったということもちょっとお伝えできたらなと思います。そして、それがみなさんがこの戯曲を読み込むときの参考になればなと思います。アプローチの仕方は千差万別でいいと思うんです。人と違えば違うほどいい。なので、ああ、この人はこうだね、あの人はああだね、みんないいね、みたいな感じを目指したいと思っています。

いろんな『ハムレット』をまとめてきたんですけど(笑)、これだけでも30個ぐらいあります。少し映像を見てみましょう。(映像を見る)

こうしてひとつの演目を見比べるだけでも、シェイクスピアを通じていろんなことが考えられますね。おもしろいのはやっぱり言葉の扱いです。イギリスの場合はもともとの古語を使ってますから、昔の言葉。それを訳して僕たちは上演してますので、そこの違いも上演に表れているところがあります。朗々としゃべるのがあれば、コソコソしゃべったり。そこから「人間って何だろう」という感じも見えますね。人間をどう捉えているんだろうとか。高貴なハムレットもいれば、「ちょっとこれ王子様?」というのもあったり、着ているものにしても違いますよね。この違いを楽しむことこそシェイクスピア劇のおもしろいとこだと僕は思っています。シェイクスピア劇を観ると同時に、その違いを通じて、あ、この演出家は若者の孤独をこう捉えたんだなとか、親への愛をこう捉えたんだなとか、兄弟というものをこう捉えたんだとか、権力をこう捉えたんだなとか、如実に表れるところがシェイクスピアのおもしろいところであり、それがシェイクスピアを観るという「人類の宝」(笑)に近いところがあると思っています。

パイプ椅子の交差点のような、あの横断歩道で僕が『ハムレット』を作ったお話をすこしして、また続けていきたいと思います。

僕は前もお伝えしたとおり、大学に入ってから、なんとなく図書館へ行って手にしたのが『マクベス』で、「ああ、魔女出てきた、なんか面白そう」みたいな感じで入って、どんどん引き込まれていきながら、いろんな出来事を目の当たりにしました。ハムレットと一緒で、親が離婚して母方に引き取られて、新しい父親が来たんですね。僕は仲いいんですけど。父と母はよく喧嘩してたんです。醬油は飛ぶわ、塩は飛ぶわ。僕はおもしろいなと思っていて、阪神淡路大震災のとき、僕は大阪と兵庫のあいだの池田市にいたんですけど、朝ドーンときたとき最初、また親が喧嘩したと思ったんです(笑)。池田に住んでいたときには、池田小学校の事件もありました。そして高校3年生のときに、夜、数学の微分積分の宿題をやっていたときにアメリカで同時多発テロがあって、テレビで光景を目の当たりにして、勉強しないとこの世界はわからないものだと思ったんですね。英語なんてスペリングができないぐらい勉強してなかったんですけど、そこから一念発起して、「僕は勉強しました」と言えるぐらい勉強しました。

そして、大学に入って『マクベス』を読んだときに何かがストンと腑に落ちたんです。魔女に予言されたり、「森が動い」たり。近いな、と思ったんです。森が動くことを信じているマクベスとこの世界の僕たちは、同じ境遇だなと思ったりした。そこから演劇がおもしろそうだと思うようになったんです。そのときに大塚のスターバックスで座ってたときに、横断歩道を人がいっぱい横切ったんですね。なぜ大塚かっていうと、豊島寮という自治寮が東大の近くにありまして、2人1部屋で月額6,500円なんです。でも、ネズミが出るんです(笑)。そんなときに、「あ、やっぱりハムレットって僕たちと一緒なんだな」って何か腑に落ちたんです。何か自分で創作をしてみたいと思いながら、でも、どうやったらできるんだろうと思っていたときに、東日本大震災が起こりました。僕はそのとき渋谷にいました。英米文学部の友達とカフェでお茶していたんです。そしたら、僕の中で何というか、どう捉えていいかわからないような状況があったときに、シェイクスピアを通じてだったら何かできるんじゃないか、できることはなくても、何かそういうものとうまく通じ合える、コミットできる、向き合えるんじゃないかと思って、シェイクスピアを改めていっぱい読みました。そのとき芝居をやりすぎて留年してたんですけど、心配してくれた学部の先生の電話も取らないで、ずっとシェイクスピアを読んでたんですね(笑)。あとで怒られるんですけど。

シェイクスピアって、みんな元気に生き生きと生きてるんですけど、シェイクスピアのキャラクターを取り囲んでいる社会は、けっこう切実に困ってる社会が多いんですよね。戦争ばかりとか。『夏の夜の夢』は楽しいお芝居なんですけど、どうも妖精界が喧嘩して、それで水浸しになって人間たちは困っているという話もあったりする。どうも、社会が滅んでいってるというか、何かを失っているような前提があって、その中で人間が生き生きと躍動しているところが見えて、「あ、これが僕の感じたことだな」と勝手に思いまして、そういう想像力を自分で信じてみようと思ってカクシンハンを立ち上げて、今、上演しています。だから僕は、シェイクスピアはこの30年ぐらいの日本を見て作品を書いたんじゃないかっていう説を持っている(笑)。それは、人間社会とはそういうものなのだ、ということに通じるんでしょうけど。

カクシンハンの旗揚げ公演は、どうやって演出していいかわからなかったので、脚色して、『ハムレット×SHIBUYA』っていう作品にしてやりました。これは3.11のあとに出た古川日出男さんの『馬たちよ、それでも光は無垢で』という本に感化されて『ハムレット×SHIBUYA~ヒカリよ、俺たちの復讐は穢れたか~』と、大リスペクトしてやりました。改めて5年経って、一回脚色せずにシェイクスピアの台本のままやってみようと思って、俳優さんもお芝居とかシェイクスピアとかいっぱいやった方よりも、もっと等身大の人でやろうとオーディションで採りました。第1回公演は真以美さんにハムレット役をやってもらったんですが、ハムレットたちを中心にして、この横断歩道で僕たち一人一人がハムレットじゃないかと。社会に対していろんなことを考えたり、立ち止まったり、「生きてこうあるか、消えてなくなるか」ってたぶん、毎日どこかの細胞は考えてたりするかもしれないですね。このままでいいのかな、いけないのかなとか。そういう等身大のものとして上演したいということと、あとは死者を思うということに改めて気づいて、そこから演出も加速して立体化していったんですけど、『ハムレット』という戯曲は死者を思う戯曲なんだなということを思いました。死者を思う気持ちがある人は亡霊を見られるし、死者を忘れてしまった人は亡霊を見られない。だからハムレットだけは死者と会話できる。

そして、パイプ椅子というのは、僕にとっての象徴で、大量生産されて、どこにでも運ばれて、すぐ座れるもの。それは僕たちだし、同時に、だからこそ今回の椅子は、王様と王妃は座るけど、若者は頑として座らないで絶対エアーで座るとか(笑)、そういう象徴的な意味を込めています。

演出家や俳優たちはそういうことに思いを馳せてシェイクスピアを立体化していくので、2度おいしいと思うんです。シェイクスピアが戯曲を書いた切実さ。シェイクスピアは当時のロンドン社会とかを見て、言葉を立ち上げた。そういう才能ある人が立ち上げた言葉と、同時に今を生きる演出家や役者、そこで立ち上げるもうひとつの想像力と切実さ、これらが結実して両方見られるという、最高においしい演劇だと思っています。

今日後半は、みなさんに演出家になってもらって、ちょっと想像してみましょう、という練習をします。『マクベス』ではバーナムの森が動くというシーンがあるんですね。これはマクベスを倒そうとするマルカム軍が、木の枝を持ってみんなで行けば人数がわかりづらいから、大軍が来たと思ってマクベスはびっくりするだろうと。だから、木を持って進軍しようと、きちっとした理屈でやったことです。だけど、マクベスのほうは、「バーナムの森がダンシネインというマクベスの城に向かってくるまでは、あなたは王様から滅びません、あなたは王のままです」と言われている。絶対そんなことないですよね、森が動くなんてことは。だけど、マクベスは、森が動いたという報告を聞いて、動いたと信じ込むわけです。そこの演出を考えてほしいと思っています。

蜷川幸雄さんの『マクベス』は観られましたか。満開の桜がバーナムの森で、蜷川さんは王を失う喪失の気持ちと、権力が長続きしないということですとか、日本人の美意識とか、そういったものを含めて桜にしたと思うんですが、他にもあるかもしれません。ちょっと考えてみてください。

そこで、二つ。ひとつは、できるだけ自分の気持ちや思いを込めてください。と同時に、どんなバーナムの森を造形するかを考えてほしいんです。もうひとつは、他の人が今までやったことがないと思うことを想像してみてください。だから、桜はなし。後半はグループに分かれて、その造形をやって、そのシーンをここでやってみたいと思います。

前半の最後は、役者目線でもう一度、「生きてこうあるか、消えてなくなるか」というところを読んでみたいと思います。ハムレットをやりました河内大和に、少しだけ俳優目線で、「こんなふうに言葉を考えてるんだよ」というような、ちょっと演技的なディレクションをやってもらって、こういうふうに言葉を考えるんだということも体験していただけたらなと思います。まずは1回みんなで読んでみて、そのあと河内さんからの提案や僕からの提案をしてみたいと思います。

(ハムレットをみんなで朗読)

ありがとうございます、いいですね。どうですか、河内さん。

河内:じゃ、ちょっとやってみますね。「(無言)はぁ。(無言)はぁ」。終わりました。独白なんで、普通にリアルに考えたらしゃべらないじゃないですか。だから、普通に生きてて、やれと言われたらこうなると思うんです。でも、しゃべらなきゃいけないじゃないですか、舞台の上で。

今のような状態って絶対あると思うんですよ、日常的に。しゃべらなくても、すっごい考えて、考えてるけど口に出さないで立ち止まってたり、一人で信号待ちしてるときにため息ついたり。「(*ハキハキとした口調で)生きてこうあるか」と言っちゃうと、考えてないじゃないですか、今のしゃべり方。「生きてこうあるか、消えてなくなるか」って、まあ、もっと簡単にこの字だけ捉えると、「生きてこの社会で、つらいことたくさんあるけど、まあ、こうあったほうがいいのかなあ。いや、でも……ちょっと戦って、そのまま死んだほうがいい、いいなあ」とか、その感じでしゃべれるといいんですよね。だから、これを「(*力を込めて)生きてこうあるか、消えてなくなるか」みたいにやるのが、いちばんまずい。生きていて考えていて、たぶんいちばん大事なのが、ちゃんと考えるってことだと思うんです。台詞として言葉が書かれてあると、どうしても、ただしゃべっちゃうんです。そうじゃなくて、もっと本当に普通に、みなさんが生きていて考えているときに、「(*ボソボソ小声で)生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ」っていうのが言葉だと思うんです。どうしても向こうのお客さん聞こえないなっていうときに、ちょっとだけ音を出してあげるというか。そうじゃないと、自分のリアルを手放しちゃう。シェイクスピアの言葉ってたぶん、みなさんどこかで考えてる言葉がたくさんあると思うんです、日常生活でも。考えていても、想像していても、口に出してないだけで。じゃ、そういうものを口に出すときにどうしたらいいかというのを俳優は考えなきゃいけないんですけど、でも、まずこの1行目は言えると思うんです、俳優じゃなくても。そういう感じでいいと思うんです。シェイクスピアだから「(*きっちり)それが問題だ」と言わなくても。張り切ってやらないことがたぶん大事。もし役としてこの言葉を、言葉として、台詞じゃなくて言葉としてしゃべるときには、そこからスタートしたほうがより実感を持った、生きた言葉になってくると思います。そうすると、最初に「生きてこうあるか」っていう、そのトーンよりもみなさん声が出るようになるんです、最後のほうに向けて。なぜだか知らないけど。これがシェイクスピアっておもしろくて、本当に考えて、本当に感じて、本当にしゃべっていくと、だんだん細胞が起きてきて、心もホットになるし、頭もホットになるし、だんだんそれが出てくるんですよね、音として。今やりながら、思わず涙が出てきた方もいると思うし、いろんな感情が勝手に出てくるのがシェイクスピア。そこはやってみないとわかんないですよね。

(休憩)

バーナムの森について、考えていただけたでしょうか。みなさんの椅子にカードがついておりまして、同じ色の人は同じチームです。そのチームで、バーナムの森がどんなイメージかを話し合って、ひとつイメージを決めてほしいんです。じゃ、これから5分間。

なんとなくまとまりましたでしょうか。では、1組ずつ、どんなことを考えたかというのと、どんな結論に達したかを発表しましょう。

黄:黄色チームは、バーナムの森がどんな雰囲気のところにあったのかなというところから話し合って、マクベスがいるお城と森との距離ってどのぐらいだったんだろうか、どういうふうに見えていたんだろうか、こっちから見た森というのを考えました。どういう森かというと、たぶんスコットランドの、あんまり豊かじゃなくて、荒涼とした大地なんですけど、だいぶ先にこんもりとした森がある。そこが一夜にして近く感じるみたいなイメージ。ザッザッザッザというような音は、実際に進軍されてるんでするんだろうけども、自分の耳には聞こえないほうが怖さが伝わってくるよねって。音ももう聞く力がない。でも、どんどん迫ってくるみたいな、というところを話し合いました。あっという間に目の前に迫ってきて、「もうどうしよう」みたいな感じだったのではないか、というようなことを場面設定として話し合いました。

緑:緑チームです。はじめましての方々がそれぞれのイメージを言った中で、私が強引にまとめました。すみません、違う人がいたら。ここのチームでは、森は、いろんなイメージが出たんですけど、高層ビルじゃないかと。新宿とかニューヨークみたいな摩天楼でもいいんですけど、それが動いたらすごく不自然でビックリするし、ショックなもの。ビックリするという意味では、津波とかに通ずるものがあるんですけど、でも、津波、あるいは地震でゆがんだ高速道路みたいなものだとネガティブなイメージが付きまとうけれども、高層ビルは、動いたらビックリするものだけど、自分たちの生活の場でもあるし、富とか繁栄のシンボルでもある。もしかしたら自分たちの価値観の幸せの象徴のようなもの。それが実はバーナムの森なんじゃないかなと。

なるほど。すばらしい。

赤:われわれも結局、バーナムの森って自分たちにとって何だろうということに決着してしまうんですが、いろんなイメージの話を最初していて、どれだけ動揺するかというと、たとえば神罰が下ったとか、そういうイメージがある。最初僕たちは、森が動くってことはありえないことだと規定していたんですけど、実はありうるとうっすら知っていながら、その不安を普段脇に置いて暮らしているようなことが、やはり起こったほうが怖いんじゃないかと考えました。それはやはり、阪神淡路大震災や東日本大震災があったので、最初は動いてるかどうかわからない津波が近づいてきて、気づいたら見上げるような高さになっているようなことをイメージしました。あるいはあのとき、道に溢れていた人混み。1人ずつは人なんだけど、塊として見たときにとんでもないものに見えるとか、そういう量感、ボリューム感、重量感みたいなことを話しつつ、同時に、実はSNSに限らないですけど、噂とか、目には見えないけれど、ある日、ビットコインとか株券とかが何でもなくなってしまったときの喪失感とか、足元が危うくなる感じみたいなことを話し合ってみました。

薄桃:薄ピンクチームで話したところ、森は城の近くにあるので、城の人たちからすると「守ってくれるもの」というイメージがあったんじゃないかなと。マクベスにとっては予言の中で完全に守ってくれる存在だったので、それが迫ってくると、ボディガードに襲われるみたいな絶望感というが絶対あっただろうねという話がありました。やっぱり自然災害の印象が強くて、津波とか雪崩のようなイメージはあって、「終わった」という印象を持つだろうね、と。音は、黄色チームと一緒で、やっぱり聞こえなかったんじゃないかと、恐怖で。水の中にいるような感覚だったと思うから振動は伝わってきたんじゃないかなという意見もありました。ビジュアルとして、夜なのか日中なのかわかんなかったねって話をしていて、ただ、みんなが葉っぱとかを持って集まってきていて、上から見ていると思うので、黒い毒ガスがモワモワと迫ってくるような得体の知れない感じは出せるかな、みたいな話をしました。

すごいですね。確かにいろんな視点はあって、マクベス視点だとすごく悲劇的な感じがしたり、マルカム視点だと逆に正義の軍だし、どちらの視点から見るかによっても違いますね。面白いですね。ありがとうございます。じゃ、次どうぞ。

水色:水色チームです。まずバーナムの森は何ですかということでは、やっぱり死とか破滅とか、人が到底抗えないものというようなイメージがあって、それが何を指すのかというと、実際に森と捉えた方がいたり、津波という意見が出たりしました。ただ、どちらにしても、「当時の人にとって」と書いてあるのは、「じゃ、私たちの時代はどうなの?」というのがきっと裏メッセージで入ってるんじゃないかと考えました。当時の方は迷信的なことや神秘的なことをもっと信じていたから、森に対して恐ろしさを感じていたと思うんですけど、現代の私たちにとってそういう感覚は当時よりもだいぶ薄れてきている。それなら、そういう感覚って何だろうねというと、イメージ的には庇護者だったはずのものが裏切って自分たちに迫ってくるみたいなもの。津波の話にもつながってもくるんですけど、核とかそういう科学的なものもあるんじゃないかという話がありました。そうすると、音としてもあまり大きくない、逆に静かな音の中で、どんどん地響きのように迫ってくるみたいな、ただ、本当にもう人としては何もその前でなす術がない、そういったイメージかなという話をしました。

すごい。じゃ、灰色チーム。

灰色:灰色チームでは、侵食される恐怖を話してまして、神聖な神様だった森がブワーッと来ることによって、私たちの持っている命の塊である森が巻き込まれていく。で、私たち自身の形がなくなって、何もかもなくなるような恐怖、それを森が迫ってくるというものと考えました。で、現代の私たちになったときどうなるかというのは、先ほども出ましたけど、SNS。悪口とか一度拡散したらブワーッと広がっていく。だから、音的な恐怖よりも、メンタル的な恐怖を話し合っていました。

ありがとうございます。あとは、紫チーム。

紫:まごまごしてたら最後になってしまいました(笑)。なんとなくバーナムの森というのが、はじめは予言で守られてるもの、あれがあれば絶対大丈夫だと思っていたものというところで、いつもあるものと信じていたものが突然迫ってくるという、そういう恐怖かなと思ったので、いつも目にしていて動かないと思っているもの、たとえばスカイツリーとか東京タワーとか富士山とか、自然災害の津波とか、きれいな雪山が一瞬にして雪崩を起こして巻き込まれてしまうとか、山火事とか、そういったものが出ました。ちょっと変わったところでいうと、いつもあると思っていたというところで、母親が急にいなくなるとか、父親とか家族が急に変わってしまって、こちらに迫ってくるようなこともあるかもしれないというところと、あと最後に、バブルがはじけるという意見(笑)が出ました。

たくさんすばらしい意見が出ました。マクベスとマルカム、どちらに視点に置くかによっても違いますよね。マルカムが正義なら森の再生のイメージ、自然が回復していく平和のイメージにもとれますし、マクベスの視点でいうと自分の破滅という、両面あるところがおもしろいですね。では、ひと組、そのイメージをやってみてもらいたいと思います。

今回は、身ひとつでやってみましょうか。ここがバーナムの森です。ダンシネインの丘をこのへんにしましょうか。河内大和にマクベスをやってもらいたいと思います。第5場「ダンシネイン、城内」という紙を出してください。「奥で女たちの叫び声」というところから始まって、通してやってみましょう。使者の台詞の「丘の上で見張りに立っておりました。/バーナムの森の方を見ますと、急に、その、どうも、/森が動きだしたのです」と言ったら、ゆっくり動きだしましょうか。マクベスに対してプレッシャーをかけている森ですよね。ですから、そのあと、「それが噓なら、/貴様を生きたまま手近な木に吊るし」と、マクベスけっこうしゃべるんですが、そのあいだ、できるだけそのまま動きながら、マクベスにプレッシャーをかけてください。いいですか。そして、できれば最後、マクベスは、「警鐘を鳴らせ!――風よ、吹け! 破滅よ、来い!」と言うんですが、「破滅よ、来い」と思わせてください、河内さんに。もう破滅だーって思わせるところまでプレッシャーをかけてみましょう。

(バーナムの森ワークショップ)

すばらしい。ありがとうございます。

シェイクスピア劇って、読者をしているよりも、やってみることでわかることがいっぱいあって、しかも、そのわかることが、この本がわかったというだけじゃなく、自分たちまでわかっていくような、人間とか世界について発見があるのがおもしろいところですね。みなさんが積極的に議論してくださったおかげで、バーナムの森の価値が深まったと思うんです。お互いを知ることができたというのもあるんじゃないですか。あ、この人はこういうこと考えるんだとか、あるいは自分はこういうこと考えるんだとか。シェイクスピアという普遍的な古典を通じて自分が相対化されることによって、世界の豊かさとか、あるいは自分のかけがえのなさも含めた自分のオリジナリティみたいなものも感じられて、そこがおもしろいなと思います。盛り上がっていただきありがとうございます。

最後に質問、感想、フィードバック、何かありますか?

女性:カクシンハンさんの『ハムレット』を観たんですけど、その前に1回読んで謎だったのが、王妃。この人は何を考えてたのかまったくわからない。『ハムレット』を観たあとに思ったのが、最後はもしかして息子を守りたいみたいな感じで毒の入ったお酒を飲んだのかなとか、あとは、この国の治安を守るために結婚して、とりあえず平穏を保つみたいなことを考えてた人なのかなとか思ったんですけど、どういうふうに思って演出されたのかお聞きしたいです。

木村:「徹底して母だということを考えてください」というふうには、のぐち和美さんにお伝えしました。王妃であるというよりもハムレットの母だということ、そこが何か伝わるといいなと思ったことと、あとはあまりにもいろんなことが露骨に表現されてしまうと、お客様の想像力が削がれちゃうので、できるだけ、言葉をきちんと届けてくださいと。言葉を届けますと、みなさんの中でガートルードというのが想像できたりするんですね。ですから、ひとつは母であることと、もうひとつは言葉を届けて、今のようにお客様がいろんな想像をできるようにやっていただけたらと思いました。

女性:これだけいろいろ読んで、いろいろ演出されていらっしゃる木村さん、どの登場人物がいちばん自分に近く、自分がやるとしたら誰ですか。

木村:シンパシーを感じるのはハムレットですね。大きいのは芝居が大好きっていうこと。マクベスも素晴らしいですが、権力、権力、権力って具体的なものにいきますよね、リチャード3世も。発端はもっと内面的なものでも。でも、ハムレットはどっちかというと、亡霊とか、お芝居とか、見えない方向にいくんですよね。自分の物語を伝えてくれとか。つまり現実であんまり解決できなくて、虚構に賭けていくところが、すごくいいなと思って、ハムレットは大好きですね。

男性:台詞を読むときのアドバイスをいただいて、自分だったらどう思うかみたいなのをイメージしてさっき読んでみて、確かに台詞はわかったような気がするんです。でも、逆に、「あ、これは俺だな」と思ってしまって、ハムレット感がない(笑)。それだったら僕、何役やっても僕になっちゃうので、そういうのってみなさんどうされて、ハムレットを出すんですか?

河内:そうなんですよね。でも、最初に、まず自分だったら、この状況においてどういう思考でどういう行動をとるのかというところから入っていかないと、まずいことになっちゃうんですね。シェイクスピアやるとなるとどうしても、すごい先入観があるじゃないですか。400年前のもので、やっぱりこう立ってなきゃいけないとか、こう跪かなきゃいけないとか。そういうところから入ると絶対におかしな方向にいって、噓ばっかりになっちゃうんです。まず自分の中の真実、関係性の中から言葉の真実を捉えた上で、そこから、じゃハムレットだったら一体どういう立ち方になっていくんだろうとか、その人に対してどういう触り方をするんだろうか、どういう表情になっていくのかっていうのは、しっかりした真実を捉えてから、自分がリアルに感じたものをハムレットの場合はどう感じたのかを探っていくんです。心の真実、頭の中の真実がないと、全部虚構になっちゃいますから。なので、まずはさっきやったように、自分の本当に感じているものを守っていかないと、役がどんどんどんどん遠ざかっていっちゃうんで、そことどう引っ張り合いするか、みたいなところが楽しい。どの役をやるときもそうですね。

男性:木村さんがおっしゃった、ハムレット・スピリットというのは、自分の中にある魂とハムレット・スピリットを寄せ合うってことなんですか。それとも、自分の中にハムレット・スピリットがいるんですか。

河内:どっちもだと思います。たぶんハムレットの場合ってすごく特別で、きっとみなさんの中に絶対あると思うんですね、この魂って。今回『ハムレット』をご覧いただいたみなさんは感じたと思うんですけど、僕は独白やるときに、お客様と一緒に考えて、お客様と一緒に感じるようにしたかったんです、その台詞を、独白の中を。ハムレットと一緒に亡霊を見て、一緒に復讐に向かってどうしたらいいかを考えたくて、それはすごく気をつけてしゃべりました。

男性:私はカクシンハンさんのお芝居を観て思ったのが、初めて演劇に触れる人は3時間が長いと思うかもしれない。こうやってシェイクスピアにハマっていけばいくほど、言葉を大事にしなきゃとか、本は端折れないと思うんですけど、たとえばローゼンクランツとギルデンスターンはこういう役回りなんだなとパッと見てわかるということは、それを縮めて1時間でというふうに短く演出とか考えられたりするのか、また、やってみようと思われるのかを聞いてみたいなと。

木村:僕は『ハムレット』はマラソンだと思っていて。42.195キロを完走することに意義があるように思っています。ですから、できるだけハムレットは全要素をできるだけやって、それでなんとか3時間。ですけど、作品によっては、ポケットシェイクスピア・シリーズというのをやっていまして、『夏の夜の夢』は本当は2時間40分ぐらいのものを80分でやったりとか、短篇小説のようなこともします。ただ、『ハムレット』は僕、もしかしたら、ずっと3時間でやるかもしれない(笑)。でも、シェイクスピアが今生きてたら短くしようとすると思いますね。長い芝居をできるだけ短くして詰め込もうとすると思います。エンターテイナーですから、その姿勢はちょっとやってみたいなと思います。

私の授業はここまでです。またシェイクスピアライフをエンジョイしてください。どうもありがとうございました。

おわり

受講生の感想

  • ペンとノートを手に「さあ勉強」と参加したクラスですが、始まったらそんなもんじゃなくて。ほかでは決して出合えない、貴重なお話、体験、場の空気。もっと集中して感じたい。全身眼にして、耳にして。

  • 生徒全員でセリフを音読したり、「音」のように声を出してみたり‥‥「座学」だけではない、生きた授業を受けている。 シェイクスピアの奥深さにはまりにはまってしまった。

  • 大学は英文科ですが、これほどシェイクスピアを傍においたことはありませんでした。 参加する授業に毎回緊張感バクバクです。

  • 毎回の講義では自分の中の何かが反応して、いつもの自分とは変わっていくような不思議な感覚を味わうのですが、この講義では、シェイクスピアを実感できたと言うか、自分の中に入れると言うのはこういう感覚なのか? と感じることが出来ました。これまでの講義がこのワークショップに繋がって、自分の中にハムレットのデンマークの風が吹き抜けた気がします。「演出する気持ちで」という宿題が難しく、どう考えたら良いのか悩みながら講義を受けたのですが、全員のイメージを共有するところからエア縄跳びとか非常にイメージしやすく導いてもらって、最後の「バーナムの森」は観ていてゾクゾクするものがありました。 演劇って面白いな、シェークスピアって素敵だなと純粋に感動しました。