ダーウィンの贈りもの I 
第2回 渡辺政隆さん

ダーウィン『種の起源』に魅せられて

渡辺政隆さんの

プロフィール

この講座について

ダーウィンの著作を何冊も翻訳され、光文社古典新訳文庫の『種の起源』も翻訳された渡辺政隆さんは、『種の起原』は読むたびに「いつも新しい発見がある」と感じ、「噛めば噛むほど味がでる」と思っているそうです。そんな渡辺さんが、格別の親しみをこめて、ダーウィンのものの考え方や人生について語ってくださいました。(講義日:2019年6月12日)

講義ノート

雨が降りそうな中、ありがとうございます。9時半まで長丁場ですが、お付き合いいただけたらと思います。「『種の起源』を訳して」というタイトルをいただいていましたが、訳の話ばかりしてもしょうがないので「魅せられて」と勝手に変えました(笑)。ということで、お話ししていきます。雨が降りそうな中、ありがとうございます。9時半まで長丁場ですが、お付き合いいただけたらと思います。「『種の起源』を訳して」というタイトルをいただいていましたが、訳の話ばかりしてもしょうがないので「魅せられて」と勝手に変えました(笑)。ということで、お話ししていきます。

お見せしているのは、ウェッジウッド製のダーウィンのレリーフです。ぼくが10年ぐらい前に初めてダウンハウスへ行ったときに、ショップで購入しました。まず、自分の話をさせていただくと、進化の研究をしたいとあこがれて大学に入って大学院にも行ったんですが、あまりにも研究すべきことが多い。だとすれば、ひとつの分野をやるより、自分がおもしろいと思う研究や進化の話の全体をみなさんに伝える仕事の方が自分には向いていると思い至りまして、出版に足を踏み入れました。というわけで、かれこれもう30年以上、いろいろな本を訳したり書いたりしています。進化に関係する本が、ほとんどです。あとは科学史。科学史では生物の歴史の本がほとんどになります。一番多いのは、スティーヴン・ジェイ・グールドという人の本です。実はダーウィンよりグールドの方が僕には身近なんですが、そのグールドが「『種の起源』は何回読んでも新しい発見がある」と生前に言っていたし、自分でも改めて訳してみて、確かにそうだなと思っています。

ダーウィンに関しては、こんな本をこれまで訳しています(モニターに『種の起源』『ダーウィンと家族の絆―長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』『ダーウィンが見たもの』『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』など多数)。一番左の『ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯』が伝記です。1990年代に2冊、決定版の伝記が出版されました。最初に出たのが、ジェイムズ・ムーアとエイドリアン・デズモンドという2人のイギリスの科学史専門家が書いた本で、翻訳して全部で1048ページ、上下2巻になります。定価1万8000円。工作舎がよく出してくれたと思います。実は翻訳をやりたいとぼくの方がお願いして、本が出るまでに7年かかりました。途中ほったらかした時期もあったんですが、やり遂げたという感じです。幸いにも増刷が出たので、出版社の方には元は取っていただけたかなと。この講座を受けられた方、また余裕のある方は、お買い上げいただいて、改めてダーウィンの足跡をたどっていただければと思います(笑)。もう1冊は、長谷川眞理子さんが翻訳した「ダーウィンの『種の起源』」という名著シリーズのうちの一冊の著者でもあるジャネット・ブラウン――女性の科学史家で、もともとダーウィンの著作を全部ネット上にあげるという「ダーウィン・プロジェクト」のディレクターをやっていた方。今はハーバード大学の科学史の教授―― の、やはり同じぐらいのボリュームの本です。ある出版社から「そっちもやりませんか?」と言われたんですが、「ちょっと体力が……」といって、躊躇しておりました。それ以外には、この『拝啓ダーウィン様』という本ですね。これは、現代の分子生物学の研究者が、ウェストミンスター会堂(アビー)のお墓に眠るダーウィンに向けて手紙を出す形式の本です。「あなたの学説は今、こうなっています」と。「こんなけしからんことを言っている奴もいますが、私はあなたの正当な後継ぎです」みたいなことを書いている。この著者はダーウィンとサッカーのマンチェスター・ユナイテッドが大好きだったそうで、マンチェスター・ユナイテッドとダーウィンの話ばかり書いていた。この本の訳を依頼されて引き受けたことで光文社とお付き合いができまして、担当編集者だった駒井さんが光文社古典新訳文庫を立ち上げて、『種の起源』をやるしかないでしょうとなったということです。

次の『ダーウィンと家族の絆』は、原題が“Annie’s Box” という本。写真の子は、ダーウィンの長女のアンさんです。アニーちゃんと呼ばれています。あとで話しますけれども、これを書いたのはダーウィンの玄孫(やしゃご)にあたる方です。ちょっと変わったところで、『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』という奇妙なタイトルを付けた本もあります。みすず書房から出ていて、イギリスの有名な児童心理学者というかカウンセラーが書いた、ダーウィンとフロイトを分析する本です。ダーウィンがなぜミミズに執着したのかと、フロイトはなぜ夢に執着したかについて論じています。その中で、ダーウィンの書いた文章はとにかく苦悩の末に紡ぎ出した言葉であるということが書かれていますね。それ以外はぼくの書下ろしで、『種の起源』を訳した余力で『ダーウィンの夢』という本を光文社新書から出しました。現代の進化に関する短いエッセーをまとめたもので、とても読みやすいと思います。残念ながら絶版になっていますが、アマゾンで100円ぐらいで買えますので、よろしかったら買って読んでいただけると……(笑)。

実はダーウィンの『種の起源』を翻訳したのが2009年。2009年というのは、ダーウィンの生誕200年、『種の起源』出版150周年でした。それに先立って、岩波書店の岩波講座でダーウィンの話をし、それをまとめたものが『ダーウィンの遺産』です。

写真の子は、ダーウィンの伝記を訳しているときにもらった子猫ちゃんです。机があって、横に本棚があって、ダーウィン関係の資料を並べていたら横に来て、岩波文庫の八杉龍一さんの翻訳の上に土足で乗った……著者が命令したわけではありません。写真の子がとてもやんちゃで、そのころぼくは奈良のゴルフ場の横に住んでいたんですが、ゴルフ場の方に遊びにいって、車にはねられて死んじゃいました。お風呂の中で泣きました。そのあと1日8時間、机に向かって仕事をしていたら腰が痛くなって、これは散歩するしかないと。そうするとやっぱり、犬を飼わなきゃいけないということで、奈良県の桜井保健所に行ってもらってきました。で、名前を何にするか。ネコちゃんは単にシマシマだったのでタビー(tabby=とら猫)とつけたんですが、ダーウィンの伝記を訳し終わったころだったので、ダーウィンが飼っていた犬の名前をもらおうと、ダーウィンがケンブリッジ大学時代に寮で飼っていた犬からサッフォーという名をもらいました。16年生きましたが、おととし亡くなりました。

『種の起源』は2009年中に何とか訳さなきゃいけないということで頑張りました。最初は、ライフワークにして、引退して暇になったらやろうと思っていたんですが、やっぱり出すとしたら2009年しかないですよね。あとは光文社の駒井編集長の意気に感じて……、2009年の4月か5月に出せればよかったんですが、諸般の事情で、上巻だけ9月に出して、下巻はなんとか12月に間に合いました。何回も言っていますが、2009年がダーウィン生誕200年、『種の起源』出版150周年でした。世界でいろんなイベントがあって、日本では「ダーウィン展」が2008年にありました。行かれた方、いらっしゃいますか? あ、残念ですね。絶対後悔した方がいいです(笑)。ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館が企画して、世界巡回して、最後は2009年にロンドンの大英自然史博物館でやった。その一環として、2008年に日本に回ってきたんですね。これの監修もお手伝いさせていただきました。

このとき、いろんな展示を考えたんですが、ビーグル号を再現しようなんていう話も一時あったんです。そんなものができるのかと思うんですが、実はそんなにでかい船じゃない。本当に小さい船だったみたいですね。ダーウィンがもらった部屋は、その真ん中にマストが突き出ているんです。彼はそこにハンモックを吊って、海図台の上で寝ていたんです。ダーウィンは183センチほどで、立つと頭がつっかえたといわれています。まあ、ビーグル号航海のことは、長谷川眞理子さんがお話ししていたので、いいかと思います。

全然関係ないんですが、お見せしているポスターは、ぼくが客員教授をしている日大芸術学部の学生にダーウィンの授業を1回やって、どうせだからダーウィン展のポスターを自分たちで勝手に作っちゃえといって作ったものです。せっかく作ったので、ダーウィン展の会場の通路に貼ってもらったりしました。イギリスでは記念切手も2009年に出ました。写真は記念コインです。イギリスの造幣局が作って、ぼくも通信販売で買いました。金貨は高いので、銀貨にしましたけどね。それと、2009年前後だったと思いますけれども、イギリスでは10ポンド紙幣にダーウィンが載りました。表はもちろんエリザベス女王ですが、裏がダーウィンとビーグル号とハチドリ。『ビーグル号航海記』にハチドリは出てこないんですが……。あと、虫眼鏡みたいなものが描いてあります。本国では10ポンドですけれども、日本ではダーウィン人気が高いということで、こんなお札が……(広告チラシの「百万円紙幣」)。ダーウィンの価値は、日本ではこんなに高いということです。30年ぐらい前ですかね、タクシーに乗ったら、運転手さんの背中のポケットにあったんです。金融会社かなんかの広告でした。これに限らず、ダーウィンというのは、「進歩」、「発展」の象徴ということで、いろいろな商品名にも使われているんですよ。そのころ、旭化成がヘーベルハウスで「ダーウィン」というのを作りました。なにがダーウィンなのかというと、屋根裏部屋がある。進化していると。ちょうどそのときぼくは電通の『アドバタイジング』という雑誌に連載を頼まれて、そのことを、うれしくなって書いたんです。そうしたら掲載却下されました。クライアントに対してまずいと。書き換えを命じられました。今でも時々、ダーウィンという商品が出てきます。進化が、日本では進歩・発展の象徴として受け取られているということです。

2009年にはイギリスで2本、映像作品が作られました。“CREATION”は、BBCが作った映画です。先ほどのアニーちゃんの本が原作です。下の方は、イギリスの2時間スペシャルドラマで、ウォレスから手紙が来て、自分の理論の先を越されると悩んだ、そのときの模様を描いたものだそうです。 “CREATION” は日本ではロードショーでは公開されませんでしたが、アメリカでも上映延期。アメリカは、ご存知の方も多いと思いますが、大人の50%くらいが、神が創造したという創造論を信じていて、進化論を否定しています。特に南部の方では、公立学校で進化を教えるなという創造論者の運動がずっとあった。それは連邦裁判所(最高裁)で、思想信条の自由ということで退けられましたが、いまだにそういう抵抗があるのです。“CREATION” は、DVDでも売っていますので、関心があれば見ていただければと思います。

●進化論の成立

やっと本題に入って、「進化論の成立」についてお話ししたいと思います。ただ、進化、進化論については、ずっといろんな誤解がありました。特に大学の研究室でも長らく、生物学の研究室でさえ、進化というのは研究しちゃいけないといわれていました。「そんなものを研究したら論文が書けない」というのです。「だいたい再現実験ができないだろう。再現実験ができないのは科学じゃない」と。特に理学部の物理学の先生たちは、「進化って〝お話〟でしょ?」と。だから細々と研究をしていたナチュラルヒストリーの先生たちは、いつも悔し涙に暮れていました。

なんでそういう誤解が生じるのか。ぼくが思うに、ひとつは、evolutionという英語です。これは、まあ「進化」なんですね。ただ、翻訳をしていると、いろんな意味で使われているんです。「進化学」という、進化の研究をする分野もevolutionという言葉が使われます。進化だけでいえば、「生物が遺伝的な変異を遂げて多様化する」、そういう現象のことを進化というんですね。で、それを研究するのが進化学。そしてもうひとつ、「進化論」もevolution。われわれになじみのある言葉です。ですから、物理学の先生たちは、こっちの進化論を思い浮かべちゃうんですね。要するに、「今いる生き物は全部共通の祖先から分かれてきたという考え方である」の方を。もちろん、これは科学じゃない。「考え方」ですよね。でも、研究する学問としての進化もevolutionなんです。進化学において、進化を説明する理論は、evolutionary theoryと使い分けています。あとでもお話しすると思いますが、実験で証明できない進化を、ダーウィンはどうしたのか。進化というのは歴史上に1回しか起こっていないことの積み重ねですから、再現実験なんかできるはずがない。じゃあどうするか。歴史上に起こった過去の出来事を、どうやって科学にするかと悩んで、その方法論を作ったのがダーウィンの偉いところのひとつだと思います。

ダーウィンが出る前には、いったいどういう考え方があったのか。ギリシャ哲学、アリストテレスの時代から、キリスト教の時代まで、「存在の連鎖」という概念がありました。“the chain of being”ですね。この世にいろんな生き物がいることは、みんな認めざるを得ないわけで、下等なものから高等なものまで序列があると考える。キリスト教だと、これは神が造ったものだと理解します。一番上の方に人間がいて、その上に天使が、そのさらに上に神がいるというのです。そういう「存在の連鎖」を考えました。これは動かないものであると考えられていたわけです。西洋哲学では、「存在の連鎖」とか「自然の階梯」という概念が長らくあり、その歴史を書いた本もあるくらいなので、キリスト教に限らず、ギリシャ時代から、そういう考え方だったのです。

ダーウィンが進化論を最初に言い出したというようによく言われますが、必ずしもそうではない。科学としての進化論をダーウィンが最初に提出したことは間違いないんですが、その前は「転成説」というような言い方がされていました。transmutationとか、transmutation theoryなどと言います。動物が単純な胚からさまざまな段階を経て、複雑な大人へと成長する。それがまさに「存在の連鎖」を繰り返すような形で、時間を経て登場してきたという考え方です。「存在の連鎖」というのは固定した概念なんですが、それが転成というように発展的なものが出てきた背景には、やはり18世紀から19世紀にかけての漸進主義哲学(万物は変革を経て進歩するという考え方)があったと考えられます。その代表が、皆さんも名前はよくご存じのラマルク、それからダーウィンのおじいさんのエラズマス・ダーウィンです。写真左がラマルク。右がエラズマス・ダーウィンです。

では、ラマルクの進化論とは何だったのか。みなさん、キリンの首が長いのは、「高い葉を食べようと伸ばしていたから……」とか、すぐ思うんですが、ラマルクは、キリンの首なんて言っていないんです。ラマルクが言ったのは、「生物はどんどん発生してくるのだ」と。そうすると、その生物が時間とともに、どんどん単純なものから複雑なものに、直線的に横にすべっていく。こういう連続のものがたくさんいるから、進化が起こったと考えるわけです。でも、これだと先は行き止まりになってしまい、生物の多様性というものが出てこない。それに対してダーウィンが考えたのが、枝分れの図です。

おじいさんのエラズマス・ダーウィンは進化論を唱えたといわれてますが、なにを言ったか。ここに持ってきたのが『自然の殿堂』です。エラズマス・ダーウィンという人は詩人でもあり、発明家でもあり、もともとはお医者さんでもあったんです。発明家としては、ウェッジウッドの創業者のジョサイア・ウェッジウッドと協力して、ウェッジウッドの工場の機械をオートメ化したり、あるいは馬車を発明したりとか、そういうこともした。彼が書いた『自然の殿堂』という書に、こういう一節があります。「惑星の誕生と同時に出現した海が、浜辺のない地球をかき回す中、太古の洞窟に差し込む日差しのぬくもりの中、波の下で生命が息づいた」。これは、自然発生説ですね。メカニズムについては語っていません。エラズマス・ダーウィンはフランス革命に影響されて、革命、変革というものを信奉していたことがあって、キリスト教の創造論や存在の連鎖では説明できないと考えていたようです。それのちょっと後、ダーウィンの同時代かちょっと前ぐらいに、観念論的な転成説というのも出てきました。これは下等なものから高等なものへという直線的な変化ではなく、プラトン流の原型が転成するという、ネオプラトニズムという新しい哲学の潮流で、特にドイツロマン哲学の間ではやりました。ドイツの形態学の伝統の中で、生物には原型というものがあって、それが発展していくと考えたわけです。ドイツではフリードリヒ・シェリングとかローレンツ・オーケンとかがいますし、イギリスではリチャード・オーエンです。オーエンは、最初はダーウィンの共同研究者だったのですが、だんだん仲が悪くなりました。写真はオーウェンさんの銅像です。ダースベイダーではありません。

もうひとつ、こういう生物学の考え方と同時に、地質学もあった。ダーウィンは生物学者である以前に、地質学者でした。ビーグル号の探検でも、地質学の発見の方が多いぐらいです。地質学にはどういう伝統があったか。図は18世紀、スコットランド、エジンバラのジェイムズ・ハットンという人が書いたものですが、地層の断面を見ると、地層がなんていうか、ひっくり返っているわけですね。地質変動がある。地球というのは、こういう地質変動を経て、少しずつ変わってきたんだという、「斉一説(せいいつせつ)」を唱えたんです。斉一説に対する「激変説」というのがあります。激変説はどちらかというと創造論に結びつけられるんですが、斉一説の方は地殻変動、地球がひとつの機関として、生き物のようにどんどん変わってきているんだと考えます。地球の熱が、そういう地球のダイナミックな動きを作ってきたと、ハットンは唱えたんです。ただ、このハットンという人は、どうも文章が何を書いているか、みんなよくわからないということで、同僚の数学者のジョン・プレイフェアという人が、ハットンはなにを言いたいのかという本を書きました。で、それがベストセラーになっています。これは、その中の一節です。「時間の深淵をかくも深くまで覗き見て、めまいのする思いがした」。そういう一文に代表されるような、地殻というもの、地球というものが動いてきたんだということを、18世紀にエジンバラで言い出した人がいたわけです。

それを受けて、地質学、斉一説というものを、さらに一般に広めたのが、チャールズ・ライエルさんです。ダーウィンがビーグル号の航海に出るとき、ライエルの『地質学原理』の出たばかりの第1巻を持って乗り込んで、それをむさぼり読んだ。第2巻、第3巻が出ると、寄港先に送ってもらって読んだ。そして、南アメリカで地震を体験したり、火山の噴火を体験したり、アンデス山脈の上には木の化石があったり、貝の化石があったりしたことで、まさにライエルが言っていた地殻変動——現在起こる地震みたいなものが過去にも起こって、それが積み重なることによって地球が変わってきたんだと実感したんですね。モニターに出しているのは、ライエルの『地質学原理』の第1巻の口絵に出ているもので、ナポリの遺跡の前に誰かがたたずんでいるような絵なんですが、この柱になにか縞がついていますね。貝殻の跡です。これが実は、昔の海の高さだというのです。要するに、この土地は少なくとも2回、上がったり下がったりしたことがわかるという絵なんだそうです。

ダーウィンは非常にライエルに影響を受けています。『種の起源』の下巻に、こういう文章があります。「サー・チャールズ・ライエルの名著『地質学原理』は、自然科学に革命を起こしたと将来の歴史家が見なすこと請け合いの書である。その本を読んでもなお、過去から経過してきた時間は広大無辺であることを認めない読者は、即刻本書を閉じてもらってさしつかえない」。こう書いているぐらい、ダーウィンは心酔していた。ダーウィンにとっては、このライエルが提供してくれた、「地球の時間は長い」ということが重要なんです。広大無辺であると。要するに、生物が変わるには時間がかかる、そのための時間を、地質学は提供してくれたということです。ちなみにライエルという人はもともと弁護士なので、この『地質学原理』は非常に理路整然としていて、ダーウィンよりも文章はうまいと世評が高かった。ただ、そのほとんどが、ラマルクの悪口なんです。……まあ、でも地質学の話も出てきます(笑)。

● 『種の起源』

いよいよ『種の起源』です。1859年11月24日刊行、初版1250部です。1冊15シリング。見本を除いて、書店流通分は1170部。本文だけで490ページの本です。今の日本でいう取次みたいなところで予約販売をしたところ、一夜にして売り切れたという伝説が残っています。なぜイギリスの人たちが、そんなに飛びついたのか、ちょっと不思議な気もしますけど。今日、みなさんがこんなに集まっていることを考えると、同じような雰囲気なのかなと思います。モニターに出ているのは、初版本です。世界には1100〜1200冊ぐらい出たはずで、日本には今、10冊ほど初版本があります。東大とか遺伝研とか東京経済大、東北大とかですが、昨日ちょっとグーグルでリサーチしたら、古書店で1000万円ぐらいで出ていました。きれいな初版本がオークションに出れば、たぶん1000万円以上します。ちなみにテレビの「なんでも鑑定団」に、『種の起源』の初版本が出たんですが、遺伝学研究所のお宝で、所長が「うちの宣伝になるから」と、広報担当者が「偽物と鑑定されたらまずいから」と止めたのに、出しちゃった。ちゃんと奥付もありますから、偽物のはずはないんですが、図書館の蔵書ですから、蔵書印が押されている。なので、750万円にしかならなかったみたいです。オークションにかければ、たぶん吊り上がっていくと思いますが。

こんな漫画があります。“This is hard to swallow!” と書いてあります。古い英語なので、決して読みやすい本ではないというわけですね。ぼくが書いた本も、読みにくいと判定されました。硬いっていうんで、うちの犬が噛み砕いてくれた(犬が噛んだ本の写真)。書き直してくれるかと思ったら、パソコンの前で寝ちゃいました。これ、今、うちにいる犬なんですが。残念ながらダーウィンにちなんだ名前はついていません。姪っ子から預かった犬なので、姪っ子がつけた「きなこ」という名前です。今、ぼくは仙台に住んでいるので、「ずんだ」に変えていいかって聞いたら、だめだと言われました。

本論に戻ります。ダーウィンのそもそもの問題意識はなんだったのか。それは要するに、「なぜこんなにたくさんの種類の生物がいるのか」ということでした。ダーウィンはイギリスの郊外、地方都市シュルーズベリで、自然に恵まれた中で飛び回って育ちました。虫が大好き、魚が大好き、動物大好き。そういういろんな生き物が、あるいはいろんな植物が調和をもって美しく生きている。ダーウィンが勉強したペイリーの『自然神学』という本には、「神が造ったから、そういう調和がとれているんだ」とある。でも、じゃあなんでこんなにいっぱい、いろんな生き物がいるのかということは、ダーウィンの頭の中から離れなかった。そういう問題意識をもってビーグル号に乗った。最初に寄港したブラジルのジャングルは、イギリスどころじゃない。もう、あっちこっちからいろんな声が聞こえて、チョウチョが飛び回る……、歓喜に酔いしれたと手紙に書いています。まさに、なぜこんなにいろんな生き物がいるのか、場所ごとに違う生き物がいるのかということに、彼は問題意識をますます深めていきました。

ではダーウィンは、それをどう解決したか。今日はこれだけ覚えて帰っていただければいいんです。「進化は枝分かれである」と見抜いたということです。これが、それまでの進化論を唱えたラマルクとの一番大きな違いです。先ほど、ラマルクの図を見ましたが、直線的なんですね。結局、最後は行き詰ってしまう。ところがダーウィンは、もとの種からそれが分かれて、時間とともに、種はどんどん増えていくと言ったのです。

いつ、それにひらめいたか。ダーウィンはビーグル号で太平洋に出て帰る途中から、秘密のノートブックをつけ始めます。そのころから、やっぱりキリスト教の創造論じゃだめだと、生物は変わってきたということを実感するわけです。それで、それについて、いろんな覚書を書き始めました。その中の、特に進化に関する覚書がノートブックB。小さな手帳みたいなものです。これに、この有名な分岐図が出てくるんです。これは1837年ですね。ビーグル号から帰ったのが1836年。その次の年に、これを書いています。おもしろいのは、左上に “I think” って書いてあるんです。あとは判読不能ですけど。ダーウィンは非常に字が汚かったことで有名で、いつも手紙は同居していた娘さんが清書していたという話もあります。

なんて書いてあるのか。“I think” 「私はこう思う」と書いてある。下の方には、なんかぐじゃぐじゃって書いてあるんです(笑)。“Thus between A and B the immense gap of relation. C and B, the finest gradation. B and D rather greater distinction. Thus genera would be formed. Bearing relation.” と。AとB、この1というのは元の種だというんです。このAとBの間にはすごく大きな隔たりがある。CとBには、もうちょっと細かい隔たりがある。BとDは、まあまあ大きな違いがあると。こうやって、種の上は属というふうに作られていくんだと。で、これらの間にはrelation(類縁関係)があると書いてあります。A、Bと書いていないのは、そこで絶滅した種です。枝分かれの中で絶滅している。元の種も、新しい種が出てくると絶滅していくんだけれど、残ったものがA、B、D。それぞれ遠く離れたものが別の属になるし、近いものは同じ属に入っていく。そういうふうに分類されていくんだと、彼はこのときに書き付けて実感したんです。これでやれば、元の一個の原種から、生命の多様性が説明できると。あとは、これがどうやって分かれてくるのか説明すればいい。

●ダーウィンの偉大さとは

ダーウィンの偉大さをぼくなりに考えると、進化論の科学である「進化学」を、歴史科学として確立したことだと思います。先ほどもちょっと言いましたが、再現不能、つまり歴史上1回しか起こっていないことを、どうやって科学にするのか。いろんな証拠から類推して、仮説を立てて、新たな証拠があったらそれを書いていく。あるいは、現在生きているものから、過去を類推する。現在起こっていることは、過去にも起こったはずだと考える。それが長い時間をかけることによって、地球上にいろんな生物が登場したのだと。人間の歴史もそうですが、復元できないものは、現在から類推していくしかないだろうと。それが地質学でいう漸進論、斉一説の一つの考え方になるわけですね。

ふたつ目としては、科学的な進化理論。これは自然淘汰説ですね。初めて進化を説明するメカニズムを提唱したことです。先見性という意味では、今ある進化関係の学問分野は、『種の起源』で全部予見されています。生態学、地質学、発生学、心理学、行動学、あらゆるところにダーウィンの予見が当たっている気がします。そしてなにより、その後の社会に及ぼした影響です。いい面もあるし、悪い面もある。みなさんもご存知のように、悪い面としてはやはり、優生学とか、社会ダーウィニズムといわれますが、ナチズムのように、ダーウィンの優勝劣敗みたいなことを敷衍して ――ダーウィンはそういうことは言っていないんですが――、悪用した人たちがいたということですね。

ダーウィンの『種の起源』のどこが面白いかというと、「なぜこんなに多様な生物がいるのか」ということに、自ら疑問を発して、答えているところです。それから、「われわれは今、なんでここにいるのか」と、要するに「過去の生命から連綿と続く進化の中で、われわれはいる」ということを実感させられていくんです。まず自ら疑問を問いかけて、それにいろんな証拠を集めて答えていくというのが、すごいと思います。

それから科学。さっき言いましたように、歴史科学。推測だけではなくて、傍証を積み上げるということです。『種の起源』の最初に、家畜の話が延々と出てきます。特にハトの話ですが、現在人間がこんなに品種改良できるんだから、もっと時間をかけられる自然だったら、もっと大きなことができたはずだと。そういうアナロジーでまず説明していく。それと、いろんな文章の中で、ダーウィンは(ライエルとか、あとでいうハクスリーなどと比べて)名文家ではないんですが、比喩の使い方が非常にうまいと思います。いろんな洞察で、後世の人が読んでも、「あ、なるほど」と思うようなヒントが埋まっている。そして、とにかく世界を変えた。

ダーウィンの科学に対する態度をひとつ象徴する言葉があります。『種の起源』が出たあと、彼の僚友で、化石の研究者であるファルコナーが、論文の中でダーウィンの『種の起源』について、こう言っています。「ダーウィンは同時代の誰よりも、当代の生物化学においてもっとも孤立し尊重されてない分野の哲学的探究に衝撃を与えた。いうなれば、大殿堂の基礎を築いたのだ。しかし氏は、その大殿堂の建設が進む過程で、ちょうどミラノの大聖堂が古代ローマ様式から別の様式へと姿を変えたように、氏の後継者たちによって変更されたとしても、驚くにはあたらない」。なんか褒めているような、けなしているような、よくわからない。でも、ダーウィンがこの文章を読んで、非常に喜んだといいます。さっそく返事を書いて、「貴兄の結語に話を戻しましょう。私としては、驚くどころか、『種の起源』の内容の多くが反故であると証明されることを至極当然なことと見なします。ただし、骨組みだけは残されることを期待しますし、それを望んでいます」。要するに自分の説はまだ仮説である。だからそれを科学的に検証してもらうのは当たり前であって、否定されることもあるでしょう。ただ、骨組みだけは自信がある、ということですね。特に自然淘汰説に関しては、発表当時からあまり賛同は得られなかった。身近な、心を許した友達からも、意外と評判が悪かったので、そのへんはちょっとがっくりしていたところがあります。ただ、進化というものを万人に納得させるような論理展開で、証拠を集めて、1冊の本を書いたということでは、やっぱり非常に評価が高かったと思います。

長谷川眞理子さんのお話にあったと思いますが、ダーウィンは生涯職に就かずに、自宅で研究して本を書いて、その本は一般向けに売られていたわけですね。『ビーグル号航海記』もそうですし、『種の起源』ですら一般向けの本だったということが、今になると、驚くべきことだったと思います。亡くなる前年の1881年には、『ミミズによる腐植土の形成について』という本を書いた。彼は生涯、ミミズのことをいろいろ考えていたといわれています。ですから、彼はサイエンスライターでもあったといえます。

●謎の中の謎

『種の起源』の冒頭で出てくる言葉ですが、「謎の中の謎」=“Mystery of mysteries”というものに彼は取り組みます。「かつて私は、ナチュラリストとして軍艦ビーグル号に乗船していた。そのとき、南アメリカにおいて、生物の分布と、その大陸における過去と現在の生物の時間を超えた関係にとても驚かされた。そこで見た事実は、さる偉大な哲学者が『謎の中の謎』と呼んだ『種の起源』を解明するうえで、何らかの光明をもたらすのではないかと思えた。そして帰国した翌年の1837年には、種の起源という問題に関係しそうなあらゆる事実を辛抱強く集めて考察を重ねれば、この謎が解けるのではないかという予感が湧いてきた」。まさに先ほど言った“I think~” の分岐図のことです。この「さる偉大な哲学者」というのは、長谷川さんのレジメにもありましたが、天文学者のウィリアム・ハーシェルという人です。(ドイツ出身の)イギリス人ですが、南アフリカの天文台にいて、ダーウィンは南アフリカに寄港したときにわざわざ会いに行っています。実はこの「謎の中の謎」というのは、ハーシェルとライエルとの文通の中の言葉なんです。まだ謎の中の謎を、あなたたちは解明していないじゃないかと。ハーシェルは天文学者ですから、解明する立場にはないわけですが。謎の中の謎っていうのが、まさに種の起源だったということです。

ところで、誤解のひとつがやはりこの、「進化というのは進歩である」というイメージですね。いわゆる「進化の絵」は、サルがだんだん立ち上がって人間になるとか、最後、サラリーマンになるとか、いろんなバージョンがありますね。全然関係ないんですが、これはフランスで醸造されたHOMO ERECTUSというワインです。ブドウ畑の近くで直立原人の化石が出たのでこの名をつけたそうですが、その話じゃなくて(笑)、進化イコール進歩じゃないということです。よく、「チンパンジーが立ち上がれば人間になるのか」「いつになったらチンパンジーは人間になるんですか」という質問があるんですが、そうじゃない。ダーウィンが解明したように、進化とは枝分かれである。チンパンジーと人類の共通祖先は700万年前に袂を分かったわけです。そこから独自の、それぞれの進化を遂げてきているわけですから、チンパンジーはいつまで待っても人間にはなれません。新チンパンジーになるだけです。人間はチンパンジーに戻るわけじゃなくて、新人類になるだけです。これさえわかれば、進歩イコール進化ではないということがわかると思います。一番わかりやすい例でいえば、退化という現象がありますね。あれは進歩とは言えないでしょう。

実は『種の起源』をパラパラめくると……まさか、持っていない人はいないでしょうね(笑)。たった1枚しか図が出ていません。時間とともに種が分かれて、いろんな種類が出てくる。分岐の原理といいますが、これが彼の進化理論の一番大きな目玉だったと思います。ですから、これはいまだに正しいということになっています。この系統樹 ――分岐の原理については、次回の三中信宏さんが専門ですので、そちらに譲ります―― を説明するメカニズムは何かとダーウィンが考えたのが自然淘汰説だったわけです。

どこから思いついたかというと、マルサスの『人口の原理』です。生物は規制がなければどんどん増えていく。指数関数的に子供が増えていく。ところが地球上が一種の生物であふれかえらないのは、どんどん死んでいくからだ。それからもうひとつ、アダム・スミスの『国富論』です。レッセフェール(自由放任主義)。政府が規制しなくても、経済活動は独自にそれぞれが励んで競争すれば、いいところに落ち着く。パン屋が2軒できたら、味と値段を競っていって、消費者は一番おいしいパンが安く買えるようになるということですね。では、競争するのは何なのか。あとでも言いますけども、ダーウィンが設定したのは、生物の個体なんです。種ではなく、個体が単位であると。それと何回も出てきた、ライエルの斉一主義です。小さな変化が時間をかけてどんどん積み重なれば、大きな変化が起こるということです。

思いついた自然淘汰説を説明するために、アナロジーとして出しているのが、ハトです。人為選抜と自然淘汰のアナロジーを、延々と出しているわけです。ハトのさまざまな品種を示していますが、これは全部そのへんにいるドバトから作られた品種です。伝書鳩や飼いバトの元種は、カワラバトという野生種がインドの方にいたんですが、それが飼われて野生化したのがドバトです。それを飼って、どんどん品種改良したのが、この愛玩種です。伝書鳩は帰巣本能だけを研ぎ澄ませて、品種改良したものになります。自然淘汰説をわかりやすくいうと、――今日ゲスト席に来ている増﨑英明さんが思いついたので、ぼくは「増﨑の原理」と言っているんですが――「なぜ惑星どうしはぶつからないのか」という設問で、太陽系になぞらえてみると……昔の創造論では、「神様がそういうふうに造ったから」だとなるのでしょう。ラマルクだと、「惑星どうしが避けあうようになったから」だと。じゃあ、自然淘汰説ではどうなるのか。「ぶつかった小惑星は消えたから」であると考えるとわかりやすい。東京の国立天文台でこの話をしたら、非常にうけました。

繰り返しになりますが、『種の起源』とはなにかというと、この三つに絞られます。① 自然淘汰が作用する唯一の単位は生物の個体である。②自然淘汰は創造的な進化をもたらす唯一の力である。③短期間に起こった変化を長い期間に引き延ばすことが可能である。それを延々と490ページにわたって、ダーウィンは論証しているんです。彼にとっては長い時間が必要だったわけですね。

『種の起源』を出したあとで、ケルビン卿という物理学者が、地球の時間は1億年に満たないというようなことを言った(その前の創造論では6000年ぐらいしかないとか言っていたので論外なんですが)。ケルビンはどうやってはじき出したかというと、地球を火の玉だったと仮定して、それが自然に冷えるまでの時間を考えた。それで、みんな納得したんですね。「さすがケルビン先生だ」と。ところがダーウィンだけは反対したんです。足りない。時間が足りないと。もっと時間を、もっと、と反対した。ケルビンの計算が間違っていることは、のちにノーベル物理学賞を取ったアーネスト・ラザフォードが解明しました。いまだに地球の真ん中は熱いですよね。放射性物質があるわけです。燃えていたものが冷えた鉄のかたまりではないわけです。これまた全然違う逸話ですけど、ラザフォードがその講義をしたときに、気がついたら片隅にケルビン先生がいた……。話しているとき、途中で眠り出したので、しめしめと思ったのに、ケルビン批判のところに来たらパッと目を開いて睨んできた。そこで機転を働かせて、「まだサー・ケルビンのころは放射性物質がわかっていなかったので、ケルビン先生のときはあれが正しかった」と言ったら、「うん」とうなずいたという。まあ、科学というのはそうやって書き換えていくということですね。

●ダーウィンの暮らし

写真はダウンハウスです。右下が当時の水彩画で、苔むした感じですね。復元されたリビングの写真もあります。壁紙をウィリアム・モリスにして、さりげなく置いてある花瓶はウェッジウッドですね。ピアノがあります。奥様のエマがピアノを弾くんですね。ショパンに手ほどきを受けたこともあるという。なぜかファゴットが置いてありますが、これは息子が吹く。実はミミズの研究で、これが出てきます。ピアノの上にミミズを入れたつぼを置いて、ミミズに向かってファゴットを演奏したらどう反応するか。結果として、ミミズに耳はない。でも振動は感じるということを、ちゃんと真面目に実験しているんです。妻のエマさんは良妻賢母で、ダーウィンを終生支え続けたということです。ダーウィンはロンドンで結婚したころから、生涯、体調不良。吐き気とか下痢とか膨満感に悩まされて、それをエマさんが看病した。ただ、非常に子だくさんで、ほとんど毎年のように子供をつくっていたので、まあ、元気なときもあったんだと思います。写真は、女の子じゃなくて男の子、長男です。当時は男の子に女の子の格好をさせるというのがあったらしいんです。

体調不良の原因ですが……、異端の説をひそかに秘密ノートにつけて、20年間隠し続けていたわけですし、友達は全員キリスト教会とか貴族の、要するにエスタブリッシュですから、それで自律神経失調症になっていたのではないかとぼくは思っていたんです。でも、何年か前に新しい説が出て、ラクトース不耐症だったんじゃないかというのです。エマさんのレシピブックが出ていて、今も売っています。それを見ると、毎回のディナーに全部こってりした、75%以上がクリームを使ったデザートがある。ダーウィンも好きだったんでしょうね。でも食べると下痢をする。で、体調が悪いというので水療法を受けると、元気になるんです。真偽のほどはまだわかりません。ウェストミンスター寺院の墓をあばいて、髪の毛を取って、遺伝子分析すればわかると思いますけど。

写真は、当時の書斎だといわれるものです。暖炉があって、クロゼットがある。この下に洗面器が置いてあって、気持ち悪くなるとそこに吐いていた。棚がありますが、『種の起源』を書いたときに、原稿の一章ずつを全部入れていたといわれてます。敬愛するライエルとフッカーと叔父のウェッジウッドの写真が飾ってあります。今のダウンハウスの写真です。復元してある。日本にダーウィン展が来たときに、この書斎をそっくり復元して、……役得で座ってみました(笑)。

ダーウィンの日課は、まず起きると散歩して、ご飯を食べて、午前中は手紙を読んで、それから研究をする。午後はまた散歩して、で、また文通して……。家の周りに「サンドウォーク」という散歩道があって、ここで延々と散歩をしていたといわれています。同じ道を何回も、何回も。ちなみに、写真で歩いている右側の人が、先ほどのアニーちゃんの本を書いたケインズさんです。ダーウィンの玄孫。写真は「ダーウィンのミミズ石」といって、ダウンハウスにあります。これが当時の図です。真ん中に水準器みたいなものがあって、石があって、ミミズがこの石の下を掘ると、地上に糞を出す。そうすると、沈んでいくんです。この石がどれぐらい沈んだかを、上の器具で測る。ダーウィンの息子が機械製造メーカーを始めて、こういうミミズ水準計を作って販売していた。今もダウンハウスに行くと、この石はあります。よく見えないけど、そばにミミズの糞があります。日本のミミズはこういうのはあまり作らないんですが、種類によっては、穴から出てきて、外に糞を積み上げていくんですね。しっぽを中に入れたまま、顔だけ出して、周りの葉っぱを引き込んで食べるミミズもいます。

この写真が今のダウン村です。村の教会があるんですが、新しい墓ですね。なぜか奥さんのエマさんと、兄エラズマスの2人が同じ墓になっています。本当はダーウィンもここに埋めてほしかったわけです。それで、ミミズにほじくられたかったんです。ところが……。ぼくがうろうろして裏に行ったときに何気なく見たら、別の墓石があって、パースローという、ダーウィン家に仕えた忠実な侍従がここに眠ると書いてあった。これを見つけたときは、ちょっとウルっときました。

モニターに示しているのが国葬の模様です。左上のがチケットです。売り出されたそうです。いくらだったかは、ダーウィンの伝記に書いてありますので、読んでください。なぜ国葬になったか。異端の説ではなかったのか、ということですが、もちろん出版当時は反発があったわけですが、その後、科学というものが台頭してきて、イギリス国教会としても無視できなくなった。もうひとつは、ダーウィン親衛隊みたいな人たちがいたんです。当時、ダーウィンが活躍していた時代には、職業的科学者というのがそんなにいなかったんですね。ダーウィンも、アマチュアというか、趣味というか……。ケンブリッジ大学、オックスフォード大学には、そういう専門のポストもありましたが、イギリス国教会の聖職者を兼ねているポストなんです。16世紀のニュートンもそうでした。ちょうどダーウィンのころ、ハクスリーとか、地質調査所みたいなところに所属する、専門のプロの、お金持ちの出身ではない、たたき上げの研究者が出てきた。そういう人たちが、それまでの権威を壊して新しい科学を普及するために、あるいは自分たちが実権を持つために、ダーウィンを担ぎ上げたわけです。そして、うまく国葬にもっていった。同時に、そのころには進化理論がかなり浸透していたこともあって、国教会としても否定できなくなっていた。逆に国教会としても、ニュートンと一緒にダーウィンの墓を作ることによって、ある程度権威を借りるようなこともあったのかもしれないですね。お墓の写真です。すぐ横にニュートンの墓もあります。先ほどの『拝啓ダーウィン様』では、「ニュートンによろしく」とかって手紙を出していました。今、ニュートンの墓の近くに、2018年3月に亡くなったスティーヴン・ホーキング博士のお墓もあるそうです。

●ダーウィンの言葉

ダーウィンは要するに何をしたかったのか。生命が満ち溢れる自然を、どう説明するか。『種の起源』の最後に、有名な、entangled bankという一節があります。ちょっと原文を紹介します。

It is interesting to contemplate an entangled bank, clothed with many plants of many kinds, with birds singing on the bushes, with various insects flitting about, and with worms crawling through the damp earth, and to reflect that these elaborately constructed forms, so different from each other, and dependent on each other in so complex a manner, have all been produced by laws acting around us.

翻訳すると、「さまざまな種類の植物に覆われ、灌木では小鳥が囀り、さまざまな虫が飛び回り、湿った土中ではミミズが這い回っているような土手を観察し、互いにこれほどまでに異なり、互いに複雑な形で依存し合っている精妙な生きものたちのすべては、われわれの周囲で作用している法則によって造られたものであることを考えると、不思議な感慨を覚える」。法則によって……要するに神が造ったわけじゃないと。これを彼は証明したかったのだと思います。これ、みなさんで朗読しますか。

河野:そうですね。『種の起源』(下)に出てくるものですね。

(唱和)さまざまな種類の植物に覆われ、灌木では小鳥が囀り、さまざまな虫が飛び回り、湿った土中ではミミズが這い回っているような土手を観察し、互いにこれほどまでに異なり、互いに複雑なかたちで依存し合っている精妙な生きものたちのすべては、われわれの周囲で作用している法則によって造られたものであることを考えると、不思議な感慨を覚える。

渡辺:そうですね、はい。これは一文なんですね。ダーウィンの文章は長いんです。新訳するにあたって、編集担当から、どんどん切れと言われましたが(笑)、これだけは一文で訳してみました。

写真の光景が、ダーウィンの原点です。イングリッシュガーデンとか……、彼の生まれた家は、シュルーズベリを流れる川の土手の上にあったんです。彼はそこから裏の川に毎日のように下りていって、虫を捕ったり魚を捕ったりしていました。その原点を、大学に入った当初は、神が造った調和的な世界という説明で満足していたんですが、ビーグル号の航海の途中で、やはりおかしいと思い、20年かけて、この一文を書くに至ったわけです。

『種の起源』の中には、いろいろ有名な言葉があるんですが、よく英語で引用されるのが、この文章です。これが原典ですが、最後の言葉ですね。

There is grandeur in this view of life, with its several powers, having been originally breathed into a few forms or into one; and that, whilst this planet has gone cycling on according to the fixed law of gravity, from so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.

この中のendless forms most beautiful and most wonderfulという言葉が、英語では非常によく引用されています。これも光文社で翻訳した「進化生物発生学」の本、日本語の題名は『シマウマの縞 蝶の模様』としたんですが、原題がこの“endless forms most beautiful”でした。いろんな訳があるんですが、ぼくが訳したのは「この生命観には荘厳さがある。生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ」。これもみなさんで読みますか。

(唱和)この生命観には荘厳さがある。生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ。

渡辺:「不変の法則にしたがって地球が循環する間に」とありますね。もちろんニュートンの万有引力の法則を指しているわけです。これを彼があえてここに出したのは、「まさにその万有引力の法則に匹敵する進化の法則を私は見つけたんだ」と、ニュートンの権威を借りて言ったんだと思ってずっといました。ところが、先ほども出たスティーヴン・ジェイ・グールドさんが1800ページの本を書いて、――ぼくもそれを十何年かけて翻訳し終わったんですが―― その中で、「違う。ニュートンの万有引力の法則の太陽系は、同じところをぐるぐる回っているだけじゃないか。進化の方はどんどん広がって増えていっているじゃないか。こっちの方が偉いんだ。万有引力の法則よりも生物の進化の方がすごいということを自信をもって言った言葉なんじゃないか」と言いました。

それともうひとつ、昔の翻訳で、ここの「生命は……吹き込まれた」というところで、「創造主が造った」という翻訳があるんです。その昔の訳を読んで、ダーウィンだって創造論を言っているじゃないかと、つい最近もブログに書いていた人もいましたが、原文には、どこにも創造主って書いていないんです。

もうひとつ、このthis view of lifeという言葉が、やはり進化学の方ではキーワードになっています。有名なG.G.シンプソンという古生物学者は“This view of life”という本も書いていますし、スティーヴン・ジェイ・グールドさんがニューヨークのアメリカ自然史博物館の機関誌に20年間連載したものの総タイトルも“This view of life” です。「この生命観」。生物の進化も、要するに自然の法則によって起こっていると、最後に念を押しているところが、やはりダーウィンの一番のこだわりじゃないかという気がします。当時の人たちも、ここまで読んでショックを受けたかもしれないし、あるいは喝采した人もいたかもしれない、と思います。前半はここまで。質問があればお答えします。

受講生:もしも50万年後ぐらいにチンパンジーが新チンパンジーに進化するとしたら、それは結果的に、今の人間に近いものになる可能性はあるんでしょうか。

渡辺:まあ、形態的な拘束もありますので、同じにはならないでしょう。「猿の惑星」みたいになるのか……(笑)。その前にチンパンジーが絶滅しそうで、大型類人猿がいつまでもつのか……。人類も少しずつ変わっているところはありますので、なんともいえないし、未来はあまり予測できません。ただ、700万年前に袂を分かってから、チンパンジー、ゴリラは、お互いにやっぱり違いますよね。住んでいるところも生態も違う。元は同じでも、それぞれの生き方に適応しているところが違う。ですから、チンパンジーが50万年後にどこで暮らしているかわからないですけれども、その新しい生息地に適応できれば、ちょっと違う生き方をしているかもしれないですね。ただ、今のチンパンジーも、東アフリカと西アフリカでけっこう行動が違うらしいんです。石を使って木の実を割る文化があるのとないのとあったり、オスとメスの婚姻形態もちょっと違っていたりするので、やはり交流がないと、どんどん変わっていく。チンパンジーの中でも、変わってくる可能性があるんですね。チンパンジーには、ボノボとチンパンジーの2種類がいますが、あれもだいぶ違いますね。もしかしたらボノボの方にいくかもしれない。休憩時間中にいろいろ考えていただければと思います。

(休憩)

●出版までの長い時間

後半を始めたいと思います。出版までなんで20年も30年もかかったのか。やはり危ない思想だったということがあるんです。最初にご紹介した「ダーウィンの伝記」の中でも、ケンブリッジ大学時代に、宗教弾圧みたいなものをさんざん目の当たりにして、彼はけっこう怯えていたんじゃないかという説があります。また、『種の起源』の中でもちょっとだけ出てきますが、『種の起源』の何年か前に『創造の自然史の痕跡』という匿名の本が出たんですが、それがかなり怪しい進化論なんです。当時、そういう進化という考え方(転成説)はすでにあったわけですね。ただ、そのメカニズムがわからないから、系統だった説明ができていない。イヌがどうしたこうしたという話を面白おかしく書いた本が出て、けっこう売れたんです。匿名だったので、キリスト教系の科学者の間では、その犯人探しが行われて、結局、編集者が書いたことがわかったんですが、それがまた批判された。ダーウィンはそれを見ていて、中途半端な形では出さないと覚悟を決めたようです。

出したあとに、世間から糾弾されて子供たちに迷惑をかけたらどうしようという不安もありました。『ビーグル号航海記』のときに小間使いに使った少年がオーストラリアに移住していたんですが、「オーストラリアに移住するとどういう生活があるか?」みたいな可能性まで、彼に手紙で問い合わせているんですね。そのくらい彼は慎重だったんです。でも友達には少しずつ打ち明けたりしていました。

もうひとつはやはり、科学として確立したいと考えていた。人為選抜、品種改良は後付けですよ。自然淘汰説を思いついて、分岐の原理というものを思いついたあとで、じゃあこれをどうやって証明・説明していこうかというときに、現代に起こっていることをさかのぼって、時間を引き延ばすという原理にしたがって使えるのではないかと、家畜や作物のデータをたくさん集めた。そのために、世界中のナチュラリストと文通していました。彼はそういう場合に、決して権威を尊重するのではなく、平民の、アマチュアの人の意見も聞く。ロンドンのハトの愛好家クラブにもわざわざ加入するんですね。上流階級のハトクラブと、労働者階級のハトクラブと、ふたつあるんですが、その両方に入るんです。そこからデータを集めて、自分でもハトの品種改良をしたり、死んだハトを鍋で煮て骨を比較したりしています。

あと、フジツボの研究で忙しかったんです。先ほど書斎の写真を出しましたが、あの再現のテーブルの上にも、フジツボの標本と顕微鏡が置いてありました。種の進化のことや、生物の種を考えて、いろいろな人と議論している。

ダーウィンが一番気を許した科学者仲間に、ジョゼフ・フッカーという人がいます。ダーウィンよりも年下で、キュー植物園の園長の息子です。あとで本人も園長になりましたが、ダーウィンに憧れてヒマラヤ探検をしたりした植物学者です。その彼から、(ダーウィンを揶揄したわけじゃなく)何気なく「なにかの分類の専門家でもないのに生物の種についてはなにも言えないよね」みたいなことをチラッと言われて、自分も何かの専門家にならなきゃと思い、ビーグル号の航海で採取したフジツボ(雌雄同体のフジツボで、ちょっと変わっていた)があったのでフジツボをやろうとした。それで世界中から標本を集めて、フジツボの分類の研究を5年ぐらいやったんです。有名なエピソードで、ダーウィン家の子供が友達のうちに遊びにいったとき、その友達に「君のお父さんもフジツボやっているの?」って聞いたとか。要するに、明けても暮れても、フジツボの研究をしていた。そして、ちゃんとフジツボの本が出ています。立派な彩色を施した、標本画付きのものです。いまだにフジツボの分類に関しては、ダーウィンの研究が基礎になっているといわれています。そのフジツボの研究で、雌雄同体のものがあったり、退化したタイプがあったり、いろんなものがあったんですね。その中でもやっぱり彼はヒントを得た。なので、20年のうち丸々5年は、フジツボの研究で忙しかったわけです。

もうひとつ、やはりキリスト教に対する引っかかりがあった。ダーウィン家もウェッジウッド家も、まあまあリベラルですけど、ユニタリアン派のキリスト教の家庭で育ってはいるんです。奥さんのエマさんは非常に敬虔なクリスチャンで、ダーウィンがキリスト教を捨てたときに「死んだ後で、あの世で会えなくなったら嫌だ」と言ったとか。ダーウィン自身も体が弱かったので、遺言代わりに書いた手紙の中で「君と信仰を共にできないのはすまない」というようなことを書いています。それを吹っ切ったのが、(ひとつの考え方ですけども)アニーちゃんの死だというのが、ケインズさんの説です。写真は、ケインズ家の倉庫というか書斎の奥を調べていたら出てきた箱で、アニーちゃんの遺品だそうです。お母さんのエマが大事に取っていた、アニーが大切にしていた文箱ですね。亡くなったあと、エマさんが時々引っ張り出しては、娘のことをしのんでいたんじゃないかといわれます。すごくかわいい子で、利発だったといわれています。ダーウィンも、目の中に入れても痛くないという感じで、非常にかわいがっていた。ところが、あるときから体調が悪くなって。原因がわからないわけです。一緒に水療法に連れていったりしたんですけど、その療養先で、ダーウィンが看取る中で亡くなった。伝記を訳しているとき、アニーちゃんが亡くなるところは、ぼくも一気に訳せたし、ちょっと感情移入できました。そのあとでケインズさんという人が『ダーウィンと家族の絆——長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ』という本を書いて、それを翻訳することになって……ちょっと運命を感じました。

でも、ケインズって、ダーウィンじゃないじゃないかと思いますよね(笑)。これが系図ですが、よくわからないですね(笑)。ケインズというのは、あの経済学者のケインズです。チャールズ・ダーウィンの次男がジョージ。その娘にマーガレットがいる。このマーガレットが、ジェフリー・ケインズさん(経済学者ジョン・メイナード・ケインズの弟)と結婚するんです。ジェフリー・ケインズは外科医です。世界で初めて乳がんの乳房温存手術を成功した方で、同時に古典学者で、ギリシャ哲学に造詣が深かったといわれています。ダーウィン家は息子たちのかなりが、ケンブリッジ大学の教授になっています。今、ケンブリッジ大学にダーウィンカレッジがありますが、あれは、このジョージが住んでいた家をもとに作ったカレッジです。ケインズ家もケンブリッジ大学にいましたので、そこで両家の付き合いができて、子供が結婚した。その息子のリチャード・ロバート・ケインズさんは生物学者で、この人もケンブリッジ大学の教授だった。ダーウィンの研究書も書いている人です。その息子……ダーウィンからいくと玄孫(やしゃご)にあたるのが、本を書いたランドル・ケインズさんなのですが、写真右のスキャンダー・ケインズさんはその長男で、映画「ナルニア物語」の次男坊役に……オーディションに応募したら受かっちゃった。そのプロモーションのときは、ダーウィンの孫のひ孫……、と宣伝されたこともありましたね。この写真は映画のプロモーションで来日したときのものです。不思議な因縁ですね。著者のランドル・ケインズさんは研究者ではないんです。政府機関の役人だったんですが、趣味でダーウィンの伝記を書いたり、ダウンハウスを世界遺産に登録するための運動をずっとやっていて……、まだ実現していないんですけどね。それは別にして、つまり、こんなかわいい子がこんなに早く命を落とさなきゃいけないとしたら、神も仏もないだろうということで、ダーウィンはキリスト教から吹っ切れたという説なのです。

●『種の起源』のきっかけを作ったウォレス

『種の起源』をわれわれが今読める、一番の大きなきっかけが、アルフレッド・ラッセル・ウォレスです。ウォレスさんはマレー諸島にいて、標本を採って売っていました。トリバネチョウとかフウチョウ(極楽鳥)など、熱帯のものは、愛好家がいっぱいいるわけです。その人たちに標本を売る商売をしていた人で、ダーウィンも買っています。ウォレスもナチュラリストなので、自然を観察して、いろいろ考えていたわけです。そしてマラリアの熱に浮かされて休んでいるときに自然淘汰説をひらめいたんですね。彼もマルサスの『人口論』を読んでいました。ウォレスは、マレー諸島に行く前、南米のアマゾンでも4年ほど、探検していたんですが、帰りの船が全部燃えて、命からがら助かったものの全財産を失いました。そういう人が、もう1回一念発起してマレー諸島に行って、トリバネチョウを捕ったり、フウチョウとかオランウータンを捕って送っていたりしたわけです。

その人から、ダーウィン宛てに「こういう論文を書いたんだけど、もし発表する価値があるなら、ライエルさんに紹介してくれないか」という手紙が来た。ダーウィンはそれを読んで、まさに自分が考えていた自然淘汰説を見事に要約しているなと、がっくりきたわけですね。自分は全然発表していないから。ただ、ダーウィンがそういうことを考えていたことは、ライエルさんと、さっき言ったフッカーさんは知っていた。で、一計を案じて、同時発表ということにしたんです。悪く言う人は、ダーウィンはそのとき自然淘汰説を思いついていなくて、ウォレスの手紙(論文)を読んで、最後のピース(欠片)がはまったのではないかと言いますけど、そういうことはないと思います。自然淘汰説みたいな考え方をある程度思いついた人はその前にもいたんですけど、それを体系的に説明できるかどうかが問題だと思います。

1858年、リンネ学会というロンドンの学会で、2人の論文を同時に読み上げるということが行われます。ウォレスはマレー諸島にいますし、ダーウィンはまた具合が悪くなったことと、ちょうど一番下の子供が猩紅熱(しょうこうねつ)で亡くなった直後でがっくりしていてロンドンに出てくる元気はないということもあって、代わりに書記の人が読み上げたことになっています。ダーウィンのものとしては、昔書いた手紙と草稿みたいなもので論文の体は成していないんですけれども、一応それで同時発表したことになっています。

ダーウィンはそのとき、実は『自然淘汰説』という、すごく長い本を書いていて、発表するからには完璧なものにしなきゃいけないと考えていたんですが、もうそんな悠長なことは言っていられないということで、要約という形で490ページにまとめたんですね(笑)。1年弱で書き上げたということです。その草稿がたくさんありましたから、その中から抜粋して、作物の遺伝みたいなところは全部省いて、「次の本でやります」といったわけです。そのおかげで、われわれはまだ短い『種の起源』をここに手に取ることができるわけですね。

ライエルさんという人は、実はちょっと変わったことを言っています。示している絵の真ん中にいるのは魚竜なんですが、それはライエル教授です。同時代のデ・ラ・ビーチ(H. T. De La Beche)という地質学者で、風刺画が得意な人がいたんですが、その人がライエルの『地質学原理』の一節を皮肉って、こういう絵を描いたんです。そのライエルの一節が、「やがてまた、われわれの時代が巡ってくる」「巨大なイグアノドンが再び森に、魚竜が再び海に姿を現し、翼竜が影をなすシダの木立の間をすり抜けるように再び飛び回るかもしれない」。この一節をとって、魚竜のライエル教授が「またわれわれの時代が来る」と論じています。絵では演壇の下に人間の頭蓋骨がありますが、そのころにはもう人間は絶滅している。

これは、最初の方で地質図を見せた、ハットンも言っているんですが、歴史は循環するという考え方なんです。地球をひとつの大きな熱の機関 ――産業革命のころですから――になぞらえて、歴史は循環するという考え方をしていたんです。ライエルもそれにのっとって、要するに「発展する」というよりは「循環する」と考えていた。イギリスもやがてまた、もし熱帯になったら、また翼竜が復活するだろうというようなことを言っていた。たぶん、ダーウィンはここは取らなくて、ライエルの別のところを『種の起源』の中で引用しています。

ダーウィンの進化理論の中では、種は少しずつ変わるというのが重要なポイントなんですが、じゃあ変わる途中の中間的な種類はどこに行ったんだ? 見つからないじゃないか? 化石としても残っていないではないか?……これがダーウィンも考えた難点です。ダーウィンは、『種の起源』の中にも「自説の難点について」という章を設けているぐらいで、当然予想される反論に、あらかじめ答えているんです。中間段階の化石がないのはなぜかということについても答えている。それが9章の最後のところですね。

「本書であげた類の事実や論拠に重きを置かない人たちは、自然界の地質学的記録はまったく完全であると考え、当然のごとく私の学説をただちに否定することだろう。私はと言えば、ライエルの比喩を借りてこう言いたい。自然界の地質学的記録は、変わりゆく方言で書かれ、しかも不完全にしか残されていない世界の歴史である。その歴史についても、われわれの手元には、わずか二、三カ国だけを扱った最後の一巻しかなく、その巻にしても、あちこち短い章が残されているだけで、個々のページもわずか数行ずつしか残っていない。歴史を記しているとされる言葉もゆっくりと変化を続けており、飛び飛びに続く章のあいだでは単語も少しずつ異なっている。この状態は、突如として変化しているように見える生物種が、連続してはいるのだが、空隙だらけの塁層に埋まっている状態と似ているかもしれない。そう考えれば、上で論じた難題は大いに縮小するし、消失するとさえ言えるだろう」。

「ライエルの比喩を借りて」と言っていますが、ダーウィンなりにちょっと変形してあります。まあ、そういわれてみるとそうかなという気も……化石が見つかるなんて、本当に奇跡に近いものですから。これについては、現代進化学ではまた、いろいろ議論が分かれるところにはなっています。ただ、ダーウィンのさっきのこだわりの三つの原則に従うなら、徐々に変わらなきゃいけないわけです。ですから、あるはずなんだと、見つかっていないだけだと、やっぱり強調したかったんですね。

『種の起源』にまつわる有名な伝説として、発表された翌年の1860年に、有名な科学集会がありました。1831年にできた、英国科学振興協会という協会で、学会ではないんですが、今でもあります。科学を研究している人、あるいは関心のある人が集まって、科学を盛り上げようという協会です。当時は年に1回、どこかの都市に集まって、年会をやる。そこで講演会をやったりする。それが『種の起源』が出版(11月に出版)された翌年にオックスフォード大学で開かれました。ロイヤル・ソサエティというのは学士院みたいなもので、そこのエリート主義に対して、一般市民たち ――市民といってもお金持ちとか貴族とかなんですが――が楽しんでいる科学も一緒に広めようということでできた協会です。現在、この協会は、全国科学週間をやるなど、専ら科学の普及をしています。これを真似して作ったのが、アメリカの科学振興協会。『サイエンス』という雑誌を発行していて、世界で一番大きな科学団体といわれていますが、実は英国科学振興協会をお手本にして作ったものなのです。

1860年に、オックスフォード大学に新しい自然史博物館ができた。落成記念も兼ねて、ここで年会をしようということになったんです。この建物は、あんまり評判がよくなかったみたいですね。文人が前を通って、「なんだ、このつぎはぎだらけは」と言ったとか。中途半端なゴチックのようであり、ロマネスク的であり、よくわからない。教会っぽいところもあるし……。今でもオックスフォード大学に行くとあります。なかなかいい博物館です。当時の鋳鉄の柱が立っています。ここで1860年に年会があったんですが、その最後の講演会が、社会の進化についてみたいなことだったらしいんです。アメリカから来た学者が発表したんですが、そのあとディスカッションのときに、突然、オックスフォード教区の司教で、サミュエル・ウィルバーフォースさん——別名ソーピーサムという、口達者で有名な人―― が立ち上がって、ダーウィン攻撃を始めた。それを受けて立ったといわれるのが、トマス・ハクスリーさん。ダーウィンのブルドッグ(番犬という意味で)といわれる人です。ダーウィンを擁護したことで有名になった。ハクスリーさんは、たたき上げの平民の出です。医者でしたが、海軍の船に乗って、オーストラリアなどに行って、そのあとで鉱物学校の先生になった人ですが、非常に文才があることで有名です。この人に向かって、ウィルバーフォースが壇上から、「人類はサルから進化したというけども、ハクスリーさん、それはあなたの父方ですか、母方ですか」と問いかけたといわれています。それに対してハクスリーは立ち上がって、「あなたのように教養もありお金もある人が、そんな非科学的なことにいちゃもんをつけるくらいなら、私はサルを祖先に持つ方がうれしい」と言ったとか言わないとか。これで進化論、ダーウィンの種の起源、進化学説が一般に受け入れられて、キリスト教に勝ったという伝説ができました。

ところが、いろいろ調べてみると、どうもそうでもなかったようで、参加者ですらあまり記憶に残っていなかったらしい。同じ会場にいたフッカーさんは、ハクスリーがなんか言ったけど、声が小さくてよく聞こえなかったと証言しています。それよりも自分が立ち上がって反論したことの方がよっぽど効果的だったとか……まあ、伝説というのはそういうものですね。ところが、実はこのウィルバーフォースさんは、まったく生物学をやっている人ではない。なんでそんなことを言ったかというと、後ろにある人がいたんですね。それが実は、先ほどちょっと出た、ダースベイダーさん(オーエンさん)。彼が、黒幕なんです。

その前にオックスフォード博物館、ぼくは大好きなので、これを見せます。オックスフォード・ドードー(鳥)とあります。ドードーといえば、キャロルの『不思議の国のアリス』ですね。みなさんご存知のように、キャロルさんはオックスフォード大学の数学の先生でした。なので、オックスフォード大学のマスコットがドードーなんです。それで、わざわざ博物館にドードーを展示している。実はでも、これには由縁がないわけではありません。ドードーの剝製は世界にひとつも残っていません。絶滅したのはそんなに昔じゃないんですが、ポルトガル人がモーリシャス島に入って、家畜を持ち込んだために絶滅したんです。この博物館にあった最後の剝製が、虫がついたので燃やされてしまったという噂がある。その火の中から救ったのが、この頭のミイラ化したものだという説もあったり……。オックスフォード大学に行ったときは、ぜひみなさんドードーに会ってきてください。このドードーも、その後、復元されて、今はけっこうスマートな形になっています。昔はもっとデブっとした感じだったんですが、そんなんじゃなかったはずだという新しい研究があって。ドードーに関する生物学も、どんどん変わっています。ドードーの骨は日本にもあります。山階鳥類研究所に骨があって、蜂須賀正氏侯爵という人が、ドードーの本を書いています。お公家さんたちは生物学をやるというのが日本の伝統に、そのころなった。山階鳥類研究所の山階芳麿侯爵もそうです。オックスフォード博物館には、ダーウィンの像もあります。

●自然淘汰説の一番過激なところ

実は話したかったのは、リチャード・オーエンさんの話なんです。オーエンさんは形態学者です。哺乳類の化石を復元する研究をしていた方ですね。ダーウィンがビーグル号で帰ってきたころ、ちょうど売り出し中だった。ダーウィンは南米で掘り出してきたオオナマケモノの骨を、彼に預けました。彼が復元したのが写真のものです。彼はこの復元で、学会のメダルを取りました。ダーウィンはオーエンの研究室によく通って、そういう専門の話をしていた。そのころは仲が良かったんですが、だんだん悪くなってきた。オーエンの考え方は、観念論的なプラトニズムでした。すべての脊椎動物はある「原型」から発展したというのが彼の説です。生きている化石と呼ばれているナメクジウオという脊索動物に近い感じです。プラトンの原型論に従って、生物には原型があり、そこから変わってくるという進化論を、オーエンは考えていたんです。

ダーウィンの自然淘汰説の一番過激なところは、方向性がないことです。個体の「変異」というものがあるわけですが、どう変わるかわからない。全方向的に変わる可能性がある。進歩とか複雑なものに向かって変わっていくわけではなく、変異の中から、たまたま環境に適したものをふるい分けて拾っていくのが自然淘汰。環境が変われば方向もまた変わっていくわけで、方向性がないんです。変異の起こり方は偶然であるということで、当時としてはとても過激な考え方なんですね。「存在の連鎖」とは、とんでもなく遠い概念です。もちろん、ダーウィンにとって遺伝というものの仕組みは全然わかっていない時代です。メンデルが「遺伝の法則」を見つけたのは同時代ですが、まだ知られていませんでした。

オーエンさんは、その後、権威者に取り入って、うまく世渡りした。でも最大の功績は、ロンドンの大英自然史博物館を作ったことです。写真はサウスケンジントンにある大英自然史博物館です。もともとは大英博物館の収蔵品の一部だったんですが、置くところがなくなって、キリンの剝製と大理石像が一緒に置いてあるようになってしまった。新しい場所が欲しいと、政府とかお金持ちにおねだりして作ったといわれています。国立科学博物館で2017年に開かれた大英自然史博物館展に行かれた方、いますか? この博物館に行かれたことある方はいらっしゃいます? あ、いらっしゃる。すごいですよね。建物だけでも見る価値がある。ロンドンに行かれたら、大英博物館だけじゃなくて、ぜひ自然史博物館にも行ってください。あちこちの外壁に、奇妙な怪獣の像があります。テラコッタで作って配置したんですね。オーエンさんが1881年に、この大英自然史博物館を作った。それを記念して銅像ができて、大英自然史博物館のメインロビーの一番奥の階段の上に、ずっと飾ってあったんです。実はオーエンさん、研究者としてもすごい人なんです。「恐竜」っていう名前を付けた人なんですね。恐竜は、英語ではdinosaur(ダイナソー)といいますが、その言葉を1841年に作ったんです。で、イグアノドンを復元して、その中で晩餐会をやっちゃった。1851年、ロンドンで第1回の万国博覧会が開かれたんですが、その時にできた水晶宮というガラスの建物があったんです。1853年の大みそかに名士をよんで、その中で晩餐会を開いた。真ん中のメインテーブルに11人の主だった人を、外側のテーブルに残りの10人を座らせて、翼竜の形をしたメニューの8皿からなるディナーを提供したといわれています。このイグアノドンの復元は間違っていることがその後わかったんですが……。

ところが、ダーウィン生誕200年の2009年に、オーウェンさんの銅像が動かされて、ダーウィンさんの銅像に代わった。実はもっと前に ――オーウェンが生きている間に―― オーウェンが館長をやめて引退したあと、次の館長がダーウィンの大理石像を作ったんです。だから最初は、ダーウィンの大理石像がここに飾ってあった。それがいつの間にか、オーウェンさんに取って代わられた。やっぱり創設者をたたえないわけにはいかないだろうと。まあ、イギリスの中で、どういう毀誉褒貶があったのか知らないですけど。なので、僕が初めてロンドンに十何年前に行ったときには、ダーウィンさんの大理石像は食堂にありました。食堂の片隅なので、気軽に手をかけて写真を撮ってきました(笑)。それが2009年にメインに戻ってきました。でも、今でも気軽に写真を撮れます。早く行かないと、ダーウィンさん、またオーウェンに代わるかもしれない。

●旧訳と比べてみる

あとちょっと残っている時間ですが、もともといただいた題が「翻訳して」なので、恐れ多いですが、八杉龍一・大先生の翻訳と比較させていただきます。岩波文庫を見ていただければ、先ほどの土手の一節が出ています。ずいぶん長さが違う(笑)。八杉先生のだと、「いろいろな種類の多数の植物によっておおわれ、茂みに鳥は歌い、さまざまな昆虫がひらひら舞い、湿った土中を蠕虫(ぜんちゅう)ははいまわる、そのような雑踏した堤を熟視し、相互にかくも異なり、周囲で作用しつつある法則によって生みだされたものであることを熟考するのは、興味ふかい」と、厳かな訳になっています。

やはり文章というのは、朗読しないとだめですね。学生にライティング講座をずっとやってきたんですが、とにかくプリントアウトして、声に出して読めといつも言っているんです。長いと息が切れるので、長い文章は書けるはずがない。やはり、朗読に耐える文章を書かなきゃいけないと思います。

適応について論じた別の箇所も有名なので、読んでみます。八杉先生のだと「体制の一部が他の部分や生活条件にたいして示す、またある生物が他の生物にたいして示す絶妙な適応は、いかにして完成されたのであろうか。キツツキやヤドリギにおいては、これらのみごとな相互適応がもっとも明白にみられる。またそれよりごくわずかおとった程度にだが、獣の毛や鳥の羽に固着しているきわめてつまらぬ寄生虫にも、水にもぐる甲虫のからだの構造にも、微風にただよっていくはねのある種子にも、みられる。要するに、われわれはみごとな適応を生物界のいたるところ、あらゆる部分で、みるのである」と。これは3章にある適応についてですね。

資料に挙げているのは、(どこから取った訳だったか、忘れたんですが)別のプロの翻訳者が訳したもので、「生物のある部分が別の部分に、その生物の生態環境に、そして別個の生物の特徴にまで、こうも完ぺきに適応しているのはどういうわけなのだろうか。そのような美しい共適応を最も明白に体現しているのがキツツキとヤドリギである。そしてそれよりはわずかに劣るが、四足動物の毛や鳥の羽に付着する卑小な寄生生物にも、水中に飛び込むカブトムシの構造にも、ほんの少しの風にも乗って飛ばされる羽毛の生えた種子にも、やはり共適応はよく表れている。要するに、この美しい適応はあらゆるところに、自然界のあらゆる部分にみられるのである」。カブトムシが水中に飛び込むっていうのはよくわからない。これ、原文はビートルなんですね、甲虫。水生甲虫のことなんですが、そういうことになってしまっている。まあ、訳す人によってこうも違うのかと。

僭越ながら、ぼくは「体の基本的構成である体制の一部と他の部分との適応、あるいは生活条件への適応、さらには異なる生物種どうしの適応などはいずれをとってもみごとだが、はたしてそれらはどのようにして完成したのだろうか。キツツキとヤドリギとの関係を見ると、互いにみごとに適応し合っていることがよくわかる。哺乳類の体毛や鳥類の羽毛にしがみついている矮小な寄生虫、水中に潜る甲虫の体の構造、そよ風に乗って空中を漂う種子の冠毛などに見られる適応も、捨てたものではない。早い話、あらゆる場所、生物界のいたるところに適応の妙がころがっているのだ」と訳してみました。原文だとこれが三つの文章ぐらいで書いてあります。すごく長いんですね。

もうひとつ、ダーウィンのすごくうまいところで、生命の樹、生命樹というメタファーがあるんですが、これは4章の末尾にあります。

「同じ綱に属する全生物の類縁関係は、ときに一本の樹木で表されてきた。(中略)芽を出している緑の小枝は現生種にあたる。前年以前の古い枝は歴代の絶滅種にあたる。成長期を迎えるごとに、元気な枝はあらゆる方向に芽を伸ばそうとし、周囲の枝や小枝を覆い隠して殺してしまう。それはまさに、生きるための大いなる闘いにおいて、種や種のグループが他の種を圧倒しようとしてきたのと同じである。

太枝は大枝に分かれ、それがさらに細い枝へと分かれていく。しかしその太い枝も、樹木が小さかった当時は芽を出す小枝だった。以前の芽と現在の芽が分枝する枝で結ばれている関係は、入れ子関係になったグループの全絶滅種と現生種を分類した構図をよく表している。樹木がまだ低木だった時代に茂っていたたくさんの小枝のうちで、今は太い枝として残っていて新しい小枝をつけるのはほんの二、三本だけである。遠い昔の地質時代に生きていた種についても同じで、変化した子孫を現代に残しているのはごく少数である。

その樹木が成長を開始して以来、たくさんの太枝や大枝が枯れ落ちた。枯れ落ちたさまざまな太さの枝は、現生種は存在せず、化石でしか知られていない目、科、属などに相当する。ところで樹木の下のほうの叉から細い枝が一本伸びている光景をよく目にする。運に恵まれて生き残り、先端に葉をつけている様子は、ちょうどカモノハシやレピドシレンに通じるものがある。いずれも生物の二本の大枝と類縁関係でかろうじてつながっている動物で、他から保護された場所に生息していたことで厳しい競争をくぐり抜けられたのだろう。芽は成長して新しい芽を生じていく。そして生命力に恵まれていれば、四方に枝を伸ばし、弱い枝を枯らしてしまう。それと同じで、世代を重ねた『生命の大樹』も枯れ落ちた枝で地中を埋め尽くしつつも、枝分かれを続ける美しい樹形で地表を覆うことだろう」。

彼がこだわった、分岐です。進化は枝分かれであるということを、大樹のイメージで描いているんですね。この中で出てくるレピドシレンというのは肺魚のことです。

もうひとつ、すごく有名な比喩があります。プリントにありますね。ぼくは疲れたので、みなさんが読んでください。

(唱和)「自然のありさまは、一万本の鋭いくさびが密に絶え間なく打ち込まれている柔軟な表面に喩えられるかもしれない。そこには、あるときには一本のくさびが強く打ち込まれ、またあるときには別のくさびがさらに強い力で打ち込まれている」

生存闘争はくさび、要するに限られた環境で、キャパがあって、いくらでもそこに入れるわけじゃない。一本入ると、次のくさびがはじき出されるというようなことを、ここで訴えているということです。こういうふうに、ダーウィンは比喩を、すごく考えるわけです。どうやったらみんなにわかってもらえるかと、いろんな比喩を持ち出す。非常に巧みな比喩ですね。

これは、先ほども言った、一番有名な最後の言葉になります。最後のところに「生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ」とあるんですが、原文では、evolvedなんです。evolutionで「進化」ですね。「進化する」の動詞がevolveです。じゃあ、なぜここを「進化」と訳さないのかということなんですが、当時、evolveという言葉は、進化という意味ではなかったんです。evolve、evolutionという言葉を「進化」というふうに使い始めたのは、ハーバート・スペンサーという人です。社会哲学者で、社会ダーウィニズムを作った人といわれています。「弱肉強食」という言葉も作った人ですね。

evolveとは、もともとは卵が分裂して広がっていく、あるいは巻物を広げるという意味です。展開する、developなんですね。生物学では「発生」はdevelopmentといいますが、そういう、なにか閉じているものがどんどん広がっていく、発展していくという意味で、evolvedという言葉を使っています。なので、『種の起源』の初版にevolutionは出てきません。evolveという動詞形が、本当に最後の言葉として出てくるんです。ともすると、これを「進化してきたのだ」と訳す人がいまだにいるんですが、それは時代考証的に間違いです。

ダーウィンは第6版で、進化という意味でevolveという言葉を使っています。もうそのときには世間でevolveという言葉が定着してきたので使っているのですが、初版のときには使っていない。代わりに何を使っていたかというと、「変化を伴う由来」descent with modificationという言葉です。transmutationという言葉もありますが、それよりも変化を伴って由来してくるという言葉で、要するに遺伝に絡めて進化を語っているのです。それについて彼はくどくどと、ああでもない、こうでもないといって、『種の起源』を読みにくくしている。でも時々、こういうキラリとした一節が出てくるところが、すごいなという気がします。じゃあこれ、最後にもう1回、みなさんと読みましょうかね。先ほどはその一節、「つまり、自然の闘争から~」っていうのはなかったんですが、ここでは入っていますよね。

(唱和)「つまり、自然の闘争から、飢餓と死から、われわれにとってはもっとも高貴な目的と思える高等動物の誕生が直接の結果としてもたらされるのだ。この生命観には荘厳さがある。生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ」

はい、ありがとうございます。モニターに示しているのはダーウィンの最晩年の肖像画で、本人も一番気に入っていたといわれているものです。この眼差しを見ると、今の時代を見通していたのかなという気もします。噛めば噛むほど味が出るという意味で、この講座もいろんな角度から料理することになっています。どうも、ありがとうございました。

●質疑応答

河野:それではご質問のある方、手を挙げていただければ。はい。

受講生:人間はこのあと、どんなふうに進化されると思われますか。またどんなふうに進化したらいいなと思われますか。
渡辺:いつも聞かれるんですけどね、それ(笑)。どうなりたいですか。
受講生:それを私もよく考えるんですけど、う~ん、やっぱり人間がなんとかしなくちゃいけない問題が今たくさんあるので、よりよく進化してほしいなって思うんです。
渡辺:人類、ホモ・サピエンスが出てから20万年なんですよね、まだ。実に短いといえば短いですけど、その間にとんでもないことをしでかしているので、人類が進化する前に、地球がどうなるのかを真剣に考えたほうが、たぶんいいと思いますよね。われわれの体も少しずつ、これは遺伝じゃないですけど、栄養で体が大きくなるとか、少しずつ骨格なんかも変わってきていますよね。そういう意味で、連続的な変化はしていると思うんです。ただ、そんなに大きく変わるとは思えない。あるいは、進化したらもう人間じゃなくなる、今の人間じゃなくなる可能性もあるんでしょうね。ただ、人間は今、地球上で一番はびこっている生物なんです。ネズミとゴキブリと同じぐらい、地球上のあらゆるところにいる。その割には遺伝的な変異がめちゃくちゃ小さいんですね。みんな同じような遺伝子を持っているんです。人種の違いも、たいしたことはない。すごく動き回っていて、遺伝的な交流があるから。たとえば火星に基地を作って100年ぐらいいたら、違う人種や人類になるかもしれない。隔離されれば変わるでしょうけども、これだけ人間がたくさんいる中で大きく変わるっていうことはあまりないような気がします。人類進化の中でも、すごく人口が減った時代があったらしいんですね。アフリカからヨーロッパに出たときです。そのときにかなり遺伝的に限られてしまったものを、われわれはずいぶん持っているというので、地球上ではあまり変われる要素がないんじゃないかなという気がしますね。
受講生:からだだけじゃなくて、思考とかも。
渡辺:思考は、どんどん変わっていますよね。AIが入ってきたらどうなるかわからないし。どんどん人は考えなくなっているかもしれない。ここに来ているみなさんは違うでしょうけど。
受講生:ありがとうございました。

受講生:進化が起こるには、渡辺さんが言われたように、遺伝なしには変わらないと思うんですけど、たとえばヒトの色の違い(黒人、白人、黄色人種)を、ダーウィンはどんなふうに理解していたんですかね。
渡辺:人種間の違いに関しては、ダーウィンは性淘汰による説明をしていました。環境だけじゃなくて、要するに好みの違いみたいなものがあるんじゃないかとは言ってました。ただ、肌の色なんかは、環境に適応というところがもちろんあるわけです。最近復元によって、イギリスに住んでいた人たちは色が黒かったという衝撃の事実がわかってきました。

受講生:ダーウィンはもともと人間のはじまりは、アフリカのあたりから起こったんじゃないかって書いていますよね。で、実際そうだったわけですけど、どういうところからそういうのを思いついたんでしょうね。
渡辺:どうなんですかね。それは長谷川眞理子さん、あるいは海部陽介さんに聞いた方がいい(笑)。

男性:ダーウィン、第6版まで書いていますよね。八杉先生の翻訳を読むと、違いをずっと書いていますけど、だんだん要不要の説とか、ラマルクが言っていたようなことが入ってきたりしていますけど、削ったものもあるんですか。
渡辺:削ったものはあんまり。
受講生:増やしていっただけなんですね。
渡辺:そうですね。新しい章を作ったり、学説の変遷みたいなものを書いたりしています。
男性:ありがとうございます。

(おわり)

受講生の感想

  • 渡辺先生の講義を聞いているうちに、ダーウィンさん本人が話しているような錯覚に陥ってしまいました。初めて聞く単語が出てくると消化不良になりかける瞬間が何度かあったのですが、絶妙なタイミングでかわいい猫ちゃんが写真に登場したり、動物好きの一面をご披露されたり、それも全部計算ずくなのでは? と思わせる、なんとも知的な印象の渡辺先生でした。

  • 「ダーウィンはキリスト教と決別した」というお話でしたが、結文には、素晴らしく調和し、発展する世界を寿ぐ気持ちが含まれているようで、何か大きなものの存在や力を信じていたのかもしれないと思いました(日本的な考え方かもしれませんが)。

  • とても楽しい講義でした。「進化は枝分かれである」「だから一度分岐したチンパンジーと人間は二度と同じ種にならない」「チンパンジーは進化したら人間ではなく『新チンパンジー』になる」 というお話が、特に印象に残っています。