橋本治をリシャッフルする。 
第5回 三田村雅子さん

圧巻、『窯変源氏物語』

三田村雅子さんの

プロフィール

この講座について

『源氏物語』の研究者の目からみても優れている橋本治さんの『窯変 源氏物語』。どこがどうすごいのか、橋本治ファンを公言する三田村雅子さんが愛情たっぷりに解説してくださいました。「『橋本源氏』は『悪』を書いているところがいい」と語る三田村さんの授業をお楽しみください。(講義日:2020年7月18日)

講義ノート

三田村と申します。どうぞよろしくお願いします。このコロナ禍の状態の中で、そして、今日の激しい雨の中、わざわざおいでくださったことを本当にありがたいと思っています。

私は、小さい頃、離人症という病だったことがあるんです。あらゆるものがガラスを隔てた向こう側にしか見えないみたいな、そういう感覚になることがあって、「何だろうな?」って子どもの頃思っていたんだけれど、大人になって、それが離人症という名前の精神疾患のひとつだったことに気がついて、「ああ、そうなんだ」と思うことがありました。今のコロナ禍の状態で、あらゆるものがアクリル板みたいな物に隔てられて、あらゆるものがリモートになってしまって、そういう状況で外を見る状況が繰り返されている。そんな状況の中で、やはり本を読むというのはまったく違った体験で、自分の中で本当に生き生きと、人生とか、人とか、生きる直接の肌の触れ合いみたいなものを回復できる本当に得難い機会だなと改めて思うことがあります。

今日は橋本さんの『窯変 源氏物語』についてお話をさせていただきますけれど、橋本さんの本が出た時は、たいへんな衝撃でした。これほどレベルの高いものが、ものすごい勢いで出てくるんです、私からすると(笑)。橋本さんは3年間ずっと籠って書き続けたので、当然なのかもしれませんけど。いろんな方が『源氏物語』の現代語訳をなさってらっしゃいます。みんな、最初は「3年ぐらいでやる」っておっしゃるんですけど、5年かかったり、7年かかったり、必ずしも3年間なんかでできないんです。でも、橋本さんはもっと早くやるつもりでやって、それで3年間ずっと書かれ続けたっていうことを、いろんなところで書いていらっしゃいます。これだけのエネルギーが注ぎ込まれて、そして、それがまた橋本さんという人の力によって、『源氏物語』に秘められていたある可能性がこんな風に蘇ってきて、そして、本当に、窯の中で色が変わった陶器のようにまったく違った面を見せてくれる。そういうことが起きたということは、現代においては、本当に奇跡だと、私ども、一般の読者としてもそう思いましたし、『源氏物語』の研究者としても、そう思いました。

●原文の息づかいが理解されている『窯変 源氏物語』

『窯変 源氏物語』はすごい本で、選んでいる言葉のひとつひとつがものすごく美しくて綺麗で、華麗で、そういう繊細さと、『源氏物語』の原文が持っているある種の息づかいのひとつひとつが全部理解されている。ここで主語がスッと替わって、全体的な意味にグッと入っていくんだとか、どういうところにフッとした空白があって、その息づかいがどうなっているかということに対して、ものすごく敏感で、その敏感さをテコにして、しっかりそこで考えて、『源氏物語』の世界を汲み取っていく、味わっていくっていうところに広げていく。この「語り論」のすごさが、私どもにとっては素晴らしいなっていう風に思われました。

これは、やっぱり『桃尻娘』を書かれた橋本さんだからであって、『桃尻娘』って基本的に語り論ですよね。一人の高校生の女の子の自分語りみたいなところで始まるんだけど、友達の視点に替わったり、友達の語りとか、お母さんだとか、お父さんというのが全然理解しない、大人の声と本人の声がぶつかり合って、せめぎ合って、新しい意味を出していく、そういう語りの方法を十分理解されていた、その橋本さんだから。歌舞伎もたいへんお好きであったわけですけど、歌舞伎の登場人物、あるいは人形浄瑠璃も人形が喋る部分と地の文で喋る部分という次元の違う語りの言葉が頻繁に入れ替わってひとつの世界を作り上げていく。こういう語りのあり方みたいなものに対してものすごく理解があって、その滋養をたっぷりと体に焼きつけていて、そこから出てくる言葉なんだなと改めて思っているわけです。

●気になる同い年

私が生まれたのが1948年で戦後のベビーブームの時代なんですけど、ちょうど橋本さんの生まれた年もそうですね、村上春樹もそうですけど、ベビーブームの時代だった。同じ国文学をやったので、そういう意味でも、20歳になった頃から、橋本さんっていつも意識していて気になる存在だったんですけど、衝撃を持って受け止めたのは、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』という漫画論です。

その頃やはり、「昭和24年組」と呼ばれた漫画家の少女漫画が全盛期を迎えていて、その全盛期の少女漫画にすごく心惹かれているけど、その惹かれている自分の心をうまく言葉にできなかった。そういう自分に対して、橋本さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』は、ものすごくやさしい、わかりやすい文章なんだけれども、本質をグイグイ突いた論点で、私はものすごく感動して、それ以来、橋本さんを本当に尊敬しています。こんなにやさしい文章で、こんなに納得できる。橋本さんの文章って全部そうですね。納得っていうところまで言葉が届いていく。奥のところまでグッとくる。そういう文章を書いていらして、ともかく見事な分析だった。味わっていく部分が見事であるだけではなくて、特に私は「大島弓子論」とか「山岸凉子論」の素晴らしさにシビれましたけれど、本当に素晴らしかったです。ずっと後のことですが、私が『源氏物語』に関して、何回か橋本さんと対談したことがあるんですけれども、その後「一緒に飲みにいきましょう」って言って、お寿司を食べながら飲みました。漫画の話をして、すごく楽しかったです。至福の時間だったなっていう感じがいたしました。まぁ、それはどうでもいいんですが(笑)。

●学問的にも体系的な橋本さんの現代語訳

『源氏物語』を彼がやった時に、これほどの密度、これほどの精度でやるとは、最初は想像してなかったと思います。前回、『枕草子』の酒井順子さんが話してくださったと思いますけれど、『桃尻語訳 枕草子』は画期的な作品です。人々の心を奪いましたし、読んでいくと、彼の学問がものすごく体系的であることがよくわかります。どんなに小さい言葉でも、その言葉を解釈するために、彼はたくさんのことを調べて、きちんと整理して、その上で奥行きを持ったひとつの言葉として、それぞれの言葉を伝えていこうとする努力を絶対に諦めない。「こんなに手を抜かない人って、世の中にいるだろうか!」と、私は思ったのです。国文学者だから、いつもちゃんと勉強してるっていうことはなくて、やっぱり、その場しのぎで必死で勉強するのが普通なんですけれど、橋本さんは本当に根本からグッとやって、グッとつかみ取る。そのつかみ取りの力のすごさが、『桃尻語訳』でハッキリと出ていると私は思ったんです。

その素晴らしい力を『窯変 源氏物語』に活かしていましたので、確かに「窯変源氏」も素晴らしかったということはもちろん言えます。「この時代の政治って何なのか」とか、「歴史って何なのか」とか、「男と女というのはどういう関係なのか」とか、「男と男の関係」、「女と女」、「姉妹はどういう関係なのか」っていうことも、グッとつかんでいて、すごかったですね。

●悪を書いているところが良い

彼は評論家でもあるので、訳をしながら、その場面の本質は何かということを、所々言ってしまう。「これなんだ! 本質は」って、ひとつの言葉でグッと出すところがあって、それにシビれましたね(笑)。そして、どこが良いかというと、「悪」を書いているところ。『源氏物語』って、普通だと「王朝絵巻」を描いているような、なんてよく言いますよね。そういう俗流の『源氏物語』理解とはまったく違っていて、登場人物たちの政治的な意味とか、当時の家族制度とか、全体の政治構造がどうなっているかということをしっかりと言って、その人間が見えていて、その中でこの発言がこういう意味なんだということを言ってしまうところが鮮やかで、シビれましたね。悪意まで含めて、綺麗ごとじゃないんだっていうところを書いてるんです。

『源氏物語』の中で、光源氏のことを「光」と言ってるのは、これはあだ名であると言われていて、本名ではないです。光様っていう風な気持ち、心情で光源氏を想っているというのが光なんですけど、基本的に光源氏にひいきしていて、光源氏のことは割と良い方にしか言わないような語り手が語っているんですね、『源氏物語』の原文は。でも、その光源氏の気持ちになって書く『窯変 源氏物語』では、光源氏が主語で、「私は」「俺が」っていうのでグーッと書いていく。光源氏を主語にした時に見えてくる世界は、当時の社会のおぞましさとかいやらしさだとか、そういうものが全部見えていて、それで光源氏が苦しい中で選択していかなければならなかった道が見えてくる。

彼の美しさ。誰が見ても美しくて愛嬌たっぷりで魅力的である、その美しさを唯一の武器として政治の世界に割り込んでいくというか、まさに「愛とは政治である」っていうのは、後で読ませていただきますけれども、「愛とはまさに政治なのだよ。女って政治なんだ」っていう視点を持ってきて、読み込んでいる。そのすごさがありまして、それを橋本さんは「『赤と黒』のジュリアン・ソレルをやろうとしたんだ」と言ってます。『赤と黒』、フランス文学の名作ですよね。『赤と黒』のジュリアン・ソレルというのは、昇りつめていきたいというものすごい執着を持っていて、あらゆる女たちを自分の魅力によって取り込んで、相手を破滅させたっていいという形で突き進んで、最終的には、自ら破綻していく。そういう男のドラマなんですけど、『赤と黒』の赤は「恋愛」を表し、黒は「僧侶としての位置」を表しています。そのジュリアン・ソレルをやろうとしたというのは、本当にその通りだと思います。

●光源氏の置かれた立場

『源氏物語』は綺麗ごとでは済ませられない。光源氏のお母さんが早く死にます。お母さんが死んだ無念も抱えている。そして、お父さんも彼を、皇位継承権があるような皇子として残しておいてくれてもよかったのに、「そんなのはダメだ。そうしておくと、この子は皇位継承争いに巻き込まれるんだ」という風なことで、お父さんが彼に源氏という位を与えた。これは必然ではなかったんです。「お母さんの身分が低いから」と普通は理解されていますけど、お母さんの身分はギリギリでした。彼を親王にしたければ、することは可能だった。可能だったんです、当時の一般常識でも。でも、それを、「やっぱり、ここは断念した方がいい。お母さんがいじめ殺されたのに、この子までいじめ殺されちゃいけない」というお父さんの配慮が、源氏という位にして、源氏の魅力でのし上がってくればいいという判断だった。ですから、背景勢力がほとんどないんです、光源氏は。そういう光源氏が、自分の魅力だけを武器にして、どうやって戦って、どうやって上昇していくか。彼の上昇志向というか、結果として、女性たちとの関係というのが、彼が上昇するのに役に立っていったわけです。たとえば、有名ですけど、『源氏物語』の中の光源氏と藤壺の密通なんて、ただ「お母さんに似てるから」とか、「ステキな人だから」夢中になっただけじゃなくて、そこで生まれた子が天皇になることによって、表向きにはならないけれど、「天皇の父」としての権力を握って、准太上天皇(じゅんだいじょうてんのう)まで上り詰めていく、そういう話になっている。そういう構造なんです。六条御息所(みやすどころ)もよく考えてみると、自分の養女にした六条御息所のお嬢さんを冷泉天皇の中宮にして、子どもが少ない光源氏は、その力でのし上がった。そういう話になっていて、いろんな関係を結んだ女性が、いずれも彼の栄達の役に立っている。親王にもなれない源氏だったのに。

源氏というのはつまり、「皇位継承権がない皇子」という意味です。今の皇室制度とちょっと違いまして、今の皇室制度は、天皇の直(じか)のお子さんじゃなくても、親王という人はたくさんいますよね。孫も「なんとか内親王」ですけれども、平安時代は天皇の直のお子さんしか親王というのはいない。そして、直のお子さんの中でも、お母さんの身分がある人が親王になる。これが皇位継承権があるということ。源氏の源というのは、天皇家と源(みなもと)が同じだということで、特別の身分ではあるんです。当時、藤原氏がたいへん勢力がありましたけれど、それよりも源氏の方がちょっと良い。スタートラインが良いところから出発できるという特別の名門でしたけれども、最終的には、源氏には皇位継承権がないんです。だから、光源氏は、どんなに出来が良くて、「素晴らしいな。この子を天皇にしたら良かったな」と、お父さんの桐壺帝がどんなに思ったとしても、やっぱり天皇にはならない。そういう宿命だった。

そういう宿命だったということを表すのが『源氏物語』、つまり「天皇になれなかった皇子の物語」という話です。現代の私たちは女性との関係って恋愛だと思っているけど、違うんですね。恋愛じゃない。政治なんです。女をどう手に入れるか。光源氏が心を寄せた女性は、いずれも天皇家と深い関係がある。なぜそうなのか。天皇の女を手に入れたい。藤壺もそうですけど、朧月夜もそうですね。それから、女三宮も天皇の娘です。そういう人を手に入れたい、という欲望に身を焦がされていく人々の思い。(紫式部は)これが書きたかった。

当時の女性って、男のことを書いちゃいけない。政治向きのことなんか書いちゃいけないとか……まぁ、書いちゃいけないというか、『源氏物語』それ自体が、最初の女性の作品なんですね。それまでは男の人が、「女の人はこんなもんかな」って書いていたんですけれど、『源氏物語』になって初めて女性の物語になりました。そういう女性が書いた物語で政治を書いちゃいけないはずだったのに、男たちの世界にどんどん足を踏み入れていくところがあって、その物語を橋本さんはものすごく理解したというところがあります。

●インタビューの橋本さんの言葉から

お配りした資料に、1996年9月と10月の新聞記事があります。私がその時切り抜いたんですけど、1996年(平成8年)、『窯変 源氏物語』がほぼ出版され終わった頃のことですね。橋本治の特集です。連載第1回は、オウム事件を書いたものです。橋本さんは、いつもその時代の動向の一番重要なことについて、必ず何か発言してくれますよね。オウムの問題、宗教の問題っていうのをグッと言ってくれるし、東日本大震災の時だって、橋本さんは震災の中でどう思ったか、すぐ書いてくれましたね。コロナウイルスの蔓延を彼がどう受け止めるかなんて知りたいですね。連載第2回もオウム事件です。第3回は『窯変 源氏物語』について書いてあります。最初の所だけ読ませてください。

朝日新聞1996年10月2日 橋本治の世界3 
——三年がかり九千枚の『窯変源氏物語』(十四巻)が、文庫も入れると百五十万部です。

『源氏』をやってよかったと思うのは、おれ、ああいう日本語いっぱい持ってるんですよ。ある種、大時代な、歌っちゃうような。
でも、その日本語をうっかり使うと、人に笑われたり、けげんな顔されたりというのがあって、長い間使えなかったんですよ。ついにあの日本語使っていいんだと思ったら、すごくうれしかった。だから、『源氏』の情景描写みたいなものはなめるように書きましたもの。

文章に凝ったことがわかります。ものすごく格調の高い文章なんですね。漢語が多く使われておりまして、橋本さんの「窯変」は、三島由紀夫調と言ってもいいでしょう。すごく洒落た文章で、靉靆(あいたい)なんていう訳のわからない言葉をいっぱい使ってて(笑)、「靉靆が多いですね」って申し上げました。「夢浮橋」の最後の文章が「靉靆」だったんですけど、それは削ったようです(笑)。文庫本になったら、なくなっていました。難しい言葉をいっぱい知っていて、桃尻語みたいな文章でものを考えてると思ったら大違い。つまり、橋本さんは桃尻語の世界も自分の中に持っているけれど、それとは違ったこういう漢文調の文体もしっかり持っていて、その世界を今回は出してみたいという思いで、舐めるように書いたんですね。それはどういうところかというと……

――ああ、言葉を使うことに快感があった。

うん。何か言葉の一つひとつがガラスのモザイクつくっているような気がしてたから。だから、初音、胡蝶(こちょう)、蛍、常夏、篝火(かがりび)、野分、行幸とか、あの辺なんか一番好きですね。

『源氏物語』の一般的にはあまりおもしろくないと言われる部分なんですけど、鮮やかな、綺麗な四季が移ろっていく、そういう様子を書いているところがひじょうに美しい、という風に言っています。

『源氏』書いていて思ったのは、平安時代の人って、心理ないんですよ。心理がないかわりに情景がある。
人間って、心理が自分をコントロールするすべてだと思っているけど、そうじゃなくて、気がつかないで眠っていた心理が、風がススキを揺することによって、月が雲の上を流れていくことによって、あっ、と思い出すようなものなんじゃないか。だから、たぶん月の光に一番執着していたかもしれない。

ああ、こういう感性で書いたんだなっていうことがよくわかります。『源氏物語』の中の風景の描き方、まさにこういう風に橋本さんは書いたんだと思うわけです。そして、そういう日本語を考えたということですね。そういうところをもう一度見ますと、資料1枚目に貼ってある写真は何かというと、橋本さんが『窯変 源氏物語』に入れた写真です。おおくぼひさこさんが撮った白黒の写真です。非常に考えられたもので、光源氏がまだ赤ちゃんである。女たちの宮廷の中の様々なとばりに包まれている。赤ちゃんが外国人なのは、これは日本のドラマというよりも、それこそジュリアン・ソレルみたいな、世界的な、どこでも共通してできるイメージを、この赤ちゃんに託しているというところですね。様々なとばりに包まれて、まだ何もわからないけれど前に目を見開いている。見開いている眼差しというのは、「窯変源氏」は光源氏の視点で書いているわけですから、まさにそれが描かれています。

資料真ん中の写真は、すごく綺麗な男性です。この綺麗な男性は、若き光源氏で、「紅葉賀(もみじのが)」(第7帖)で青海波(せいがいは)の舞を舞っているところです。光源氏が一番光り輝いていたと言われるところです。外側に紅葉が描かれていて、綺麗な人の顔の半分だけがライティングされて、顔の半分は真っ暗になっていて、光源氏の光と闇という要素を出してるんだろうなと思います。伏し目だけれど、どこか何かを考えている。光源氏が青海波の舞を舞う時には、密かに藤壺を思い、そして、その時藤壺のお腹の中には、光源氏の息子、冷泉帝という存在が今いるんだということを密かに信じている男の眼差しなんですね。そういう心理を書いている、うまい写真だな、綺麗だなと、出た時にも感動した写真です。

資料左側の扇子が泥にまみれている写真で、扇子が意味しているのは、『源氏物語』最後のヒロインの浮舟なんだけど、作品の中で浮舟が白い扇のように捨てられる女なんだというイメージで出てくるんですけれど、その白い扇子が捨てられて泥にまみれている。彼女が入水したイメージを泥にまみれた扇子によって表していく。そういう写真を苦労して、頑張って撮ったことがすごく楽しかったらしくて、対談した時に、橋本さんはひとつひとつの場面にどんな思いを込めたのかってずっと喋っていて、いつまでも止まらなかったことがありました(笑)。私は、3回対談したことがあるんですけど、最初の時は、橋本さんが4時間喋り続けたんです。止まらないんです。ずっと。せっかく橋本さんがしゃべってくださってるのに途中で打ち切ってはいけないと思って、最後までお伺いしました。ハイヒールをどうしたとか、靴下をどうしたんだとか、思いの丈を込めた写真だったことがとてもよくわかりました。

資料最後の写真は、女の人が裸で立っていて乳房が出てるんだけど、そんなことも気にならないぐらい、まるで仏像みたいに昂然と頭を上げて立っている。肩を引いて、手も引いた、美しい女性が出てくるんですけど、これは浮舟ですね。浮舟が愛される存在として、三角関係の泥沼の中に巻き込まれて、なんだか迷い迷っていた彼女が、最後の最後に髪を捨てて出家して尼になって、薫が何と言おうと、すがりついてくるような薫の手紙をもらっても、「私は知らぬ」っていう風に昂然として、「たった一人で立つんだ」という気持ちをグッと出したところで、最後『源氏物語』は終わるんです。橋本さんは、この一人の女が「自分の足で立って進んでいこう。たとえどんな泥沼であろうと進んでいくんだ」と言うところに一番感動があったらしくて、浮舟のすべての虚飾を脱ぎ捨てた一人の女として昂然と立ってるみたいな、この写真を最後のところに付けられたんだという風に思います。いかにも思いが籠もっている写真だなと思うわけです。

●最も古い近代恋愛小説の古典

最初に出た『窯変 源氏物語』はA5判の本で、フランス装ですごく綺麗な本でした。その本の見返しに、橋本さんが書いた文章があって、それがまたすごく良い文章で、私は感動したんですけど、その本がもう手に入らないので、文庫本の後ろのところに、その文章の一部がちょっとだけ書いてあるのを資料に貼ってまいりました。見ていただくと、橋本さんがこの本を出すのにどんな思いを込めていたかがわかります。普通は、それぞれの巻の説明ですよね。「今度の巻はこうこうで……」とかそういうことを書くんだけど、彼は全然そんなこと書かないですね。全部見ると、橋本さんが『窯変源氏』をやる時にどんな思いで書いたかというのをそれぞれ言っていて、すごく参考になると思います。最初の1巻と2巻が、資料上の2段です。こんな風に書いてあります。

現代では、人と人との繋がりが希薄になってしまった。人と人との間には、安全という名の距離ばかりが広がった。しかしその平和な時代に、人はどれだけ残酷な涙を流すことが出来るのか。それを一千年前に見据えてしまった女性がいる。その物語をもう一度、“豊か”と言われる時代に再現してみたい。
月光のような輝きと、秋風のような澄明と、そして花の嵐のような予感をこめて、最も古い近代恋愛小説の古典を、今この時代に生きるあなたへ贈りたい。

「最も古いんだけど、近代なんだ、まさに現代なんだ」っていう、これが重要な肝だと思いますけれど、これが第2巻の言葉です。第1巻の言葉はこう書いてあります。

一口に“古典”で片付けられてしまう様々な作品群を見ていると、今の文学というのはなんと寂しいものだろうと思う。生き生きした話し言葉の文学もなければ、壮麗典雅な大悲劇もない。そういうものは全部アリだと思うのに。今度の私の源氏物語は、ただ一言、絢爛豪華をやりたい――これに尽きる。絢爛豪華で重くて難解で、でもやっぱりそこにあるのは人間のドラマで、千年前に、人はこんなにも豪華に現代の悲惨を演じていたという、そんな話。日本語ってこれだけ凄いんだぞ――。

ちょっと文脈的に最後違うんですけど、彼がそれを表そうとした日本語が、ここまで凄かったということを書いてるわけです。この日本語に対するこだわり方が凄い。橋本さんは、やっぱりこれが言いたかった。ここまで磨き抜いた言葉でそれを表したんだ、っていうことが、「これだけ凄いんだぞ」っていう言葉に表れていると思います。次は資料真ん中の段の右を見てください。

●源氏物語効果

俗塵の狂気をよそに肚を括って作家をやるには、昭和の御代の終りの時期が丁度相応しいと考え、さっさと信州に籠った。とにかく文豪になりたかったとはいえ、まさか三年居るとは思わなかった。

昭和が終わるというのは、やっぱり、戦後というか、戦争を抱えたあの時代が終わるという気持ちを、私は同世代ですから思ったんですけど、その終わりの時期がちょうど相応しいと考えたと書いてあります。「文豪」という言葉は、時々書いてるんですが、『窯変 源氏物語』をこれだけ時間をかけてやるということは、彼の「文豪になりたかった」という気持ちに後押しされていることは確かなような気がするんです。どうしてかというと、やっぱり『源氏物語』ってそういう作品なんです。たとえば、現在まで、文化勲章をもらってる人の多くは『源氏物語』を訳している文学者です。芥川賞とか、直木賞とかありますけれど、芥川賞は新人賞ですから、そういう文豪になるわけじゃない。でも、ある程度までいった作家というのは、「文豪」になりたいんです。文豪になるためにはどうすればいいかというと、籠って、今までの生活を少し改めて籠り続けて、5年とか10年とか籠る人もいるんですけど、そうやって籠って『源氏物語』の文体を学び尽くすというか、自分の体の中に入れ続けるということだと思うんですね。『源氏物語』ってものすごい分量なので、書き写すだけだって3年ぐらいかかっちゃう。それをやりながら、文章の切れ目だとか、リズムだとか、抑揚だとかを、ずっと原文を見て訳も考えて、自分の言葉にするというのを繰り返していると、あるところで、感覚がチューニングしてきて、「あっ!」って来るんですよね。リズムが合って、抑揚が合って、考え方があって……という、そういう体験を経て、『源氏物語』を全部訳し終えたということが、通過儀礼として、ある意味で、日本の文学の中のお墨付きというか、正統で伝統的な価値観を体現したことのお墨付きになっていく。そういう過程があるのだと思います。

たとえば、谷崎潤一郎は『源氏物語』を書く直前、『春琴抄』という名作を書いていますけど、発禁処分を受けてるんです。つまり、谷崎は書く小説、書く小説、いずれもいかがわしいとか言われて、いずれも発禁になっている。そういう状況の中で『源氏物語』をずっと書き続ける――彼は生涯3回も『源氏物語』訳しましたけど――そのことで、文壇の揺らぐことのない権威になっていったことは間違いがないわけで、それはやっぱり「源氏物語効果」です。瀬戸内寂聴さんも『源氏物語』を書いて、その後、『源氏物語』について全国を講演してまわりました。やっぱりそれは『源氏物語』の権威になり、権威になると歌舞伎でも何でも全部監修になるというので、文化人としての最高の地位が与えられる。それは円地文子さんもそうですし、田辺聖子さんもそう。ドナルド・キーンさんもそうかな。そういう性格があることは、確かなんですね。だから、自分の文学をみんなに認められたいという思いが強くあると、やっぱり「源氏」をやってみたい。そういう思いに駆られるというのは間違いのないことです。だけど、それはやっぱり橋本さんには橋本さんの素晴らしさがあるという風に思います。

●角田光代訳

最近の訳で言いますと、角田光代さんが河出書房新社で『源氏物語』の訳を書いてるんですけど、読みやすさを優先して「ばーっと駆け抜ける」というのが「あとがき」に書いてあるんです。そういう感覚で『源氏物語』を読んでしまうのが、本当に良かったのかな? っていうのが、どうしても私は拭えなくて……。特に「桐壺(きりつぼ)」の巻(第1帖)です。『源氏物語』って「あはれ」っていう言葉がいっぱい出てきます。その「あはれ」という言葉を、全部「悲しい」と訳したっていうんですね。だから、全部、「悲しい、悲しい、悲しい」になっちゃう。でも、「あはれ」っていろんな意味があって、私の立場から言うと、「あはれ」って基本的に同調圧力なんです。他の人が悲しいと思っていたら、私も悲しいと思う。他の人が感激していたら、私も感激した。「同じ気持ちですよ」っていうことを言うために、「あはれ」っていう言葉を言う。だから、いろんなところでみんなが、帝が悲しんでいると、女房も「あはれ」。「ああ、帝の気持ちに私は同調してますよ」っていうのを、「あはれ」と言ってるわけですが、それを全部「悲しい」にしちゃうと、「悲しい」だけがずっとあって、「ちょっと違うんじゃないか」っていう感じがします。私は角田さんの小説は大好きだし、角田さんの書かれるエッセイも大好きなんだけど、『源氏物語』に立ち向かう姿勢はちょっと違っていたんじゃないかなと思います。

国文学者で中野幸一さんという私の先生にもあたる早稲田大学の名誉教授が、『正訳 源氏物語』というのを出しました。最近(2017年完成)です。正訳というので全巻出したんだけども、彼の考える正しい訳とは何かというと、敬語をものすごくたくさん付けること。だから、天皇とかを言うのに「あそばしました」とか、原文にないのに、どんどん敬語を付けていって、「それが正しいと僕は感じられる」と言っていて、こんな時代錯誤の翻訳はないんじゃないか。もう90近い方ですから、みなさま褒めてばっかりいるんだけど、私は、「全然違う。そんなの全然良くない。正しくもない」と思います。国文学者だからキチンとしてるわけではないです。

リンボウさん、林望(はやしのぞむ)さんも『源氏物語』訳、書いています。林さんは、私も非常に親しいんですけど、読んでおもしろいですね。敬語は全部なくなってます。おもしろいんだけど、漢字がすごく多くて、なんかしかつめらしいんです。彼が喋ってるのと同じみたいな(笑)。普段の林さんが喋る風に『源氏物語』の中の人が喋っていて、なんか笑っちゃいます。

●橋本さんの『窯変 源氏物語』を読んでみよう

今日は、せっかくですから、橋本さんがお書きになった、「窯変源氏」の文章を少し読んでみようと思って、文章を抜いてきました。これを少し読んでみたいと思います。資料1枚目と2枚目は、「桐壺」の巻のはじめのところと、光源氏が生まれるところですね。その政治状況を彼がどういう風に捉えているかを見ていきます。冒頭ではないですけど、はじめのところ。

愛とは政治の別名である。女という形をとった政権欲が、愛という衣装をまとって宮中に上がる。帝という、一人の男のその前に。
まだ若い、男としての道を歩み始めたばかりの、帝なる青年のその前に。

これは、桐壺の帝がたくさんの奥さんをもらっていたという話。その時の帝は「青年」であると橋本さんは言ってるんですね。これは橋本さんが初めて言われたことだと思うんですけれど、「桐壺」の巻の桐壺帝って、分別のあるオジさんみたいな感じがしますよね。林望さんの訳でも、分別のあるオジさんみたいに書かれてるんですが、そうではなくて、10代の若者だったんじゃないか。そうじゃないと、この話は読めない、ということを、ひとつひとつ、全体の人間を考えて、橋本さんは結論しています。光源氏のお兄さんが2つか3つ上なんですね。それが第一皇子。最初の子どもが生まれる時って、平安時代でお父さんが天皇だったら、一刻も早く跡継ぎが欲しいわけですから、当然、10代であるはずだ。お父さんの年齢は、14、5歳だ。そうすると、その数年後に光源氏が生まれるわけですから、光源氏が生まれた時は17、8歳。まだ若い青年で、青年だからこそ、あんなに桐壺の更衣に夢中になったんだ、という風に理解しなきゃいけないっていうことを橋本さんが考証して、だから「帝なる青年」という書き方になった。ここまでちゃんと考えて、『源氏物語』、「桐壺」の巻をちゃんと読んだ。「桐壺」の巻の桐壺帝は10代の天皇だというのは、現在では通説です。橋本さんが言い始めたんだと思うんですけれども、通説になっています。

その帝に、新たなる子が生まれた。
私である。

これが光源氏ですね。

母なる女は、女御より下の身分の更衣ではある。そしてその更衣には、後楯(うしろだて)となるような父はいなかった。父以外には、古い由緒ある家に生まれた後家の母ばかり。その他に、この新しい子を生み落とした女の背後には、力を持った勢いのある男は存在しなかった。
「どう考えても、この女が私の位置を脅(おび)やかすことはない」―― 一の御子の母女御はそう考えた。
「しかし」と、更に母女御弘徽殿は考えた。「この女の生んだ子供が、私の生んだ子供の位置を脅やかすことは――」と。
帝が何をどうお考えになっていたのか、この時はまだ誰にも分からなかった。
まだ弟宮の東宮はいらっしゃる。

これは原文にはないんですけど、後に「六条御息所の旦那さんだった皇太子」というのがいて、その後死んだと書いてあるんですが、その人がいるとすれば、ここでいなきゃおかしいというのを、ちゃんと彼は考えて、その正しい知識をここで授けてくれています。

その次の御代の春宮は、多分、一の御子となるであろう。そして、私を生んだ母更衣が中宮の位に就(つ)くことはまずありえなかろうと。
生まれたばかりの緊張は、まだ動き出してはいなかった。
なにも始まらず、まだ十八歳の帝の後宮には、「中宮」と呼ばれる正式の皇后が存在しないままだった。帝の思し召しは、未だいずれにもない。

最初の一文は、「その次の御代の春宮には、絶対に第一皇子がなるに違いない」ということ。「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに」で始まる『源氏物語』の冒頭が、「女御、更衣はたくさんいるんだけれど、中宮はいない。中宮不在を実は語りかけてるんだ」ということを考えたのは、私の旦那さんだった三谷邦明(国文学者・横浜市立大学名誉教授、故人)ですけど、これが初めだと思うんです。橋本さんが言い出したのもほぼ同じ時期なので、橋本さんが非常に早い。そこが重要なんです。「中宮になれない」ということは、「まだ決まっていない」ということですね。決まってないから不安定な要因があって、光源氏の存在をどうやって位置付けたらいいのかわからない、そういうところで物語が始まっている。もし中宮になっちゃったら(弘徽殿女御は第一皇子を産んでいますし、右大臣の娘ですから、当然、中宮になる権利があるんだけど)、そこで中宮になっちゃったら、もう、それで終わりですよね。それ以外のことは、もう、ありようがないんですが、そういう風にはしたくない。帝はどうしてもしなかった。それは帝が右大臣に政治を任せたくなかったということをおそらく意味しているんですけど、それが帝の考え方だった。

つづきです。

私には分かる気がする。
上臈の顔を持った政敵と添い遂げる気が男にはあるのか、と。
権門家の娘の形を取った政争の火種を――そのことを知るでもない知らぬでもない、ただ嫉妬に顔をこわばらせる女に正妻の位置を与える気が男にはあるだろうか。
最後の拠り処となる妻の座に、権力の顔をした愛(いと)おしさの湧かぬ女を据える気があるだろうか。
私には分かる気がする。
とりあえず、まだその帝の後宮には「中宮」を名乗るべき女が存在しなかった。

「私には分かる気がする」――まぁ、ちっちゃな赤ちゃんの光源氏ですけどね(笑)。「上臈(じょうろう=高級女官)の顔を持った政敵と添い遂げる気が男にはあるのか?」。上臈の顔をしているけれど、弘徽殿女御は桐壺帝とあまり関係が良くない。そういう政敵と結ばれる、つまり政略結婚ですよね、そういうものに本当の気持ちがない、と。「私には分かる気がする。とりあえず、まだその帝の後宮には『中宮』を名乗るべき女が存在しなかった」――先ほどの言い方と同じなんですけど、橋本さんの文体というのは、同じことを繰り返すんです。とぐろを巻くみたいに同じことを繰り返していって、あるところでフッと臨界点に達して、「そうだ! これだ!」といって言葉が出てくる。その言葉がものすごく鋭いんです。だから、彼の思考形態と文体がまさに一致しているんですけど、こういう文体をもって書いています。

何も始まらぬ時、何かは生まれて、私を産み落とした母更衣は、帝の忝(かたじけな)い御寵愛をたまわりながらも、しかしその庇護(ひご)ゆえにまた敵も持った。
御寵愛篤(あつ)き身を唯一の頼りとしても、些細なる疵(きず)を求める目は纏(まと)いつき、猜疑と恩愛(おんない)の板挟みに、一人鬱々(うつうつ)とその身を痩(や)せ衰えさせて行った。
しかし、まだ何も始まってはいない――。

初めての女、他に伍(ご)して自分を支えるだけの力を持った父親を背後に持つ重い女。その右大臣家の女御が、帝から丁重に扱われていたのは言うまでもない。いや、丁重なばかりではない。その女御の洩らす不平不満は、帝でさえもお聞き流しにすることはお出来にならなかった。煩(わずら)わしいものと思い、その女御の不機嫌を思うだけで、帝のお心は後ろめたさに襲われる。そのような種類の愛情だった。
その時、帝にはまだ“中宮”を名乗られる正室がおいでにはならなかった。
権勢と野心、ともに並ぶものなき右大臣家の後楯(うしろだて)を持つ女御との間に一の御子を儲(もう)け、「次の御代の春宮となられるべきはこの一の御子」と世の衆目(しゅうもく)も一致しながら、しかしこの右大臣家の女御に対しての立后(りつごう)の御沙汰(ごさた)は未だになかった。
いかに帝のお年若といい、後宮に数多(あまた)の女御更衣を擁せられるこの帝には、まだ中宮と呼ばれる女性がおありではなかった。
それは何故か?
不思議におだやかな均衡(きんこう)と、それを崩そうとする腥(なまぐさ)い野心が、この帝の御代には等分に眠り、渦巻いていた。

中宮を名乗られる正室がいない。「不思議におだやかな均衡」。中宮がいないから、他の権力者たちがお互いを牽制し合っているような均衡状態があって、「それを崩そうとする腥い野心が、この帝の御代には等分に眠り、渦巻いていた」。当時の政治状況です。源氏の描き方をさらにグッと突っ込んで、その本質を明らかにするようなところで書いていこう。こういう風に『源氏物語』を始めていこうというのは、すごい志ですよね。すごく強い心だと思います。

●光源氏の野心

そして、光源氏がすごい美男子として登場します。

しかしこの私は、女にも紛う美貌と、人を危うくさせるような気品とを具えたこの私は、男ではなく子供なのだ。
私はその時、女達の胸にあって女達にさえ気づかれることのない惑乱の因(たね)を見てとっていた。まだ七歳の小児であったその時に。
「一体これ(丶丶)はなんなのだろう?」――私は、私を招じ入れ、微笑(ほほえ)みかけ、私をからかう女達の表情のその奥に浮かび上がる不思議な困惑、押し潰しきれぬ怒りにも似た警戒心を発見して、黙ってそれを見つめていた。
「これはなんなのだろう?」
私はその時、女達にも男達にも見出だしようのない感情の亀裂を、それを持つ時代の限界を発見していたのだった。
男達と、そして女達とで作るこの世の中に潜む、敵の盲点とでもいうべき空虚を。
正式の学問――漢書の講義はいうまでもなく、琴、笛の音も、奏すれば人を驚かせ、すべてに一々、挙げ続ければ愚かとも言われかねない神童ぶりの子供だった。
私には人の習うべき学問も音楽も、すべてはどうということがなかったのだ。
「なぜこんな簡単なことが出来ないのか。なぜこのようにたやすいことで人は一々驚愕(きょうがく)の声を上げるのか」、私にはそれが訝(いぶか)しくさえあった。
すべてこの世のことはどうということもなかった。私が全身の力を集中させ見続けていたものは、人が学ぶべきことでも、人に教えるべきことでもなかったのだから――。
私は私で、その時すべての力の源泉となるべきものを吸い尽くしていた。即ち、すべての人に愛されるという究極の強さを。

「女達の胸にあって」というのは、「抱かれて」ですね、可愛がられて。つまり、光源氏は、自分の背後に外戚もいないし、母親もいないし、おばあちゃんも死んでしまうし、誰もいないんだけれど、でも、みんなから愛される。この「愛される」ということを武器に生きていくんだという不逞な野心を胸に秘めた光源氏がいる。この光源氏の美しくないところが、私は『源氏物語』を読んでいつも感じていた、いつも微かな苛立ちとして感じていたことが、「ここだ」って、はらわたを摑まれるみたいに感じた。やっぱり『源氏物語』にはそういう悪意が確かにある。そういう感覚を覚えて、橋本さんの『源氏物語』にたいへん惹かれました。

●『日出処の天子』と『源氏物語』

「これは何なのだろう?」って思った時、私は、「これは『日出処の天子(ひいづるところのてんし)』だ!」と思ったんです。橋本さんが愛していた山岸凉子の『日出処の天子』の物語が、まさにその根っこのところにあった。『日出処の天子』は、山岸涼子の聖徳太子の物語ですよね。聖徳太子の物語は、光源氏の物語とすごくよく似ていて、「天皇になれなかった皇子」なんです。だけど、天皇に限りなく近くて、天皇以上の天皇かもしれないっていう人で、人々の心をグッと摑んで、たいへん頭の良い人であった。だけど、当時、聖徳太子の心の中に同性愛の問題や母へのコンプレックスなどいろんな問題があって……という風に捉えたのは、まさに山岸凉子が『源氏物語』的世界を聖徳太子の物語に読み抜いて、それを書いたのが、『日出処の天子』です。素晴らしい作品だったと思いますけど、「それがやっぱ僕の中に生きていた」っていうのを、橋本さんもおっしゃっていた。私はそうだと思っていたんですけど、橋本さんも、最初に私が対談した時の言葉の中で、「『日出処の天子』だった」って言ってますね。「書いた時はそう思わなかったけれど、やっぱりこれはそうだったんだ」と言ってるところがあります。私もそう思っていたので、実はちょっと嬉しかったんですけど(笑)、そういうことをおっしゃっています。

聖徳太子の物語と『源氏物語』は、いろんなところが重なっていて、それを『源氏物語』自体が書いてるんですけども、「窯変源氏」 はその中に悪を読み込んだ。『日出処の天子』も、聖徳太子の物語に母子相姦みたいなイメージと、同性愛の問題をさらに入れ込んだ。これは、やはり、構図としては、『窯変 源氏物語』と非常に近しいですね。『源氏物語』が『日出処の天子』に影響を与え、また、『日出処の天子』が「窯変源氏」に影響を与えた、そういうループが形成されていたのではないか、なんて思います。

●テキストの空白を埋める

そして、光源氏が元服した時に、藤壺に隔てられたところが、「桐壺」の巻に書かれています。原文にはないんです。『源氏物語』の原文は、どうしてそういう書き方をしたのかよくわからないんですけど、おそろしくたくさん空白を含み込んだテキストで、光源氏と藤壺がどうやって出会ったかを書いてない。光源氏と六条御息所がどう出会ったかも書いてない。花散里(はなちるさと=第11帖)と出会ったことも書いてない。朝顔(第20帖)と出会ったところも書いてなくて、ともかくそういう第1回の出会いはあったんだ、みたいなところから始まってしまう。なんでなんだ! 順番に書けばいいのに、『源氏物語』はそうではない。空白からグッと書き始める。

たとえば、「女御更衣がたくさんいた。でも、中宮はいなかった」なんて書かないから、「結局、それはそういう状況だったんじゃないか」とか、「天皇はまだ若かったんじゃないか」っていうのを、橋本さんと同じように、読者が何回も繰り返し読まないとわからない。1回読んだのでは、たぶん気がつかない。でも繰り返し読んでいく、循環する読みの中で、「そうだったのではないか」と読みを充実させていくところが、『源氏物語』のすごいところで、空白をいっぱい仕掛けているんですね。

現代の作家にすれば、その空白を埋めたくてしょうがない。だから、丸谷才一さんも『輝く日の宮』という本で、その最初の出会いを書いてますし、瀬戸内寂聴さんも、『藤壺』という本で、やっぱり、光源氏と藤壺の最初の出会い、1回目の密通事件を書いてますし、橋本さんは「桐壺」の巻に書いているわけです。資料3ページ目。

どこをどう逃げ帰ったのかは分からない。桐壺の宿直所へ入った時には、全身が汗でびっしょり濡れていた。それだけのことだった。
なんという浅ましい結果を見る思いの果てなのか――。

私達はもう男と女の距離を隔て、その距離は一つになるという行為を介してでしか埋(うず)めることが出来なくなっていたのだ。「母とも思え」と言われ、「姉とも思え」と言われ、「光」と「日」と、二つ並べて輝けるものと言われた二人が、決して「他人」であるという線を引かれたことのない二人が――。

光源氏と、輝く日の宮の「日」ですよね。

私は簾を隔てた向こうにいる人が「女」であるということの意味を初めて悟った。男と女の間に何故、簾という境が作られなければならないのかという意味も。
私達は、もう一つではあれないのだ。一つになるという浅ましい行為を、男と女が持ってしまう以上、私達はもう一つであることが出来ない。たった一人、我が身と同じく何かを分け合ってある人と思ったその人が、最も近しいと思っていたその人が、実はすべての女と同じく、男から遠くあるただの女の一人でしかないということを、私はその時初めて知った。
私達はもう、いつの間にか、男と女として対し合うしかなかったのだ。
私は、何もかも許された臣下である帝の子で、その人は、帝の寵を受ける妃であった。その人は、母にも等しい父の思い人で、かつてあった親密が、今ではもう大きな意味の亀裂となって広がっていた。
越えられない牆(かき)を挟み、そこに女が、ここに男がいる、そのことの恐ろしさが私を慄然(りつぜん)とさせた。
私は、帝の妃にかなわぬ思いをかける臣下だった。
私は、父の愛する女にかなわぬ思いをかける息子だった。
距離は開いて、そこには恐ろしい意味が立ちはだかっていた。
私は――その“禁忌”という名の距離を越えてしまった私は、恐ろしさに震えながら、三条の院の暗がりに、そうして私は忍び入った。

こういう風になる。「桐壺」の巻の最後で、もう「既にその関係はあったのだった」という風に書かれている。良いところですけれど(笑)、お休みをいただきます。
(休憩)

●喧嘩の仕方

先ほどは「桐壺」の巻に、橋本さんが新しく書いたところでしたね。これは、本当にいろんな人が、この空白を回復しようとして、丸谷才一さんも書いていて、これもなかなかうまい文章だなと思うんですけど、丸谷才一さんと瀬戸内寂聴さんは、「現実に『源氏物語』にそういうものがあった」という意見なんです。で、「それがなくなったんだ」という意見。でも、私は全然違う。丸谷才一さんは、「(源氏物語は)道長が書かせたんだ」みたいな書き方をしていて、そんなの間違いだっていうので、新聞に丸谷才一批判を書いたことがあります。特に「桐壺」とか「若紫」(第5帖)とか、最初の方は、紫式部が宮仕えする前だから、道長の意見なんぞ入りようがないわけです。紫式部の友達とか文学仲間の中で手紙を交わして、自分の新しい第1巻をみんなに配って、ファンができて、また戻ってきて……というのを繰り返していた状況の中で評判になって、紫式部が宮仕えに出たという、そういう段階なんですね。だから、「スポンサーがいたから『源氏物語』が素晴らしい作品になった」っていうことではなくて、むしろ、割と不遇な文学仲間の共通する熱い思いの中に、同人誌みたいに『源氏物語』は書き始められていったので、「パトロンがいて、良い意見を与えてくれて、良い男が書けた」みたいなのは、とんでもない間違いだと思います。斎藤美奈子さんなんて、丸谷才一の意見を読んで、あまりのひどさに「私は椅子からずっこけた」とか書いてますけど(笑)、「そう書けば良かったんだ!」と思いました。自分が勝手に椅子からずっこけるのなら、誰にも非難されない(笑)。いくら恐い丸谷才一でも大丈夫。斎藤美奈子さんには喧嘩の仕方を学んだような気がいたしました(笑)。「『輝く日の宮』という別の巻があって、現在は残っていない」みたいな、そんなはずがないんです。だって、六条御息所と出会ったこともそこに全部書かれていたとすれば、すごく長い巻になっちゃいます。『源氏物語』の最初の方の巻では、ひとつの巻にだいたい一人のヒロインです。「夕顔」(第4帖)だったら夕顔だし、「空蟬」(第3帖)だったら空蟬、そういう風にしか話が進んでないのに、ひとつの巻に藤壺事件も、六条御息所事件も、朝顔も花散里も全部入ってたなんていったら、ごちゃごちゃして何が何だかわからない話になっていたでしょう。むしろ、空白の中で読者に想像を巡らさせていく戦略だったと思うんです。橋本さんも頑張って、その空白をグッと埋めていると思いますね。

●朗読のはばかられる一節

次にお読みするのは、藤壺との密通、「若紫」の中の密通の事件です。光源氏がわらわやみ(熱病)で北山に行って、若紫の少女と出会ったところですね。ちょうど出会った時とこの密通は、ワンセットなんです。光源氏はわらわやみが治らなくて悩んでいる。他の人は、みんな治ったのに、光源氏だけがこじらせていて治らない。悩んでいる。ちょうどその時、藤壺も悩んでいて実家に帰っている。そして、光源氏と出会って密通事件が起きたという展開なのでワンセット。そういう話なんですけれども、光源氏と藤壺が出会ったのは「この時1回だけだった」と言われています。実際は、その前に「かの浅ましかりし出来事はそれとして」というのがあるんですが、「浅ましかりし出来事」=前に何かちょっとマズいこと、呆れたことがあったと藤壺が回想しているんですけれど。それを「何かあった」と考えて、それは何だったのか、ということなんですが。実際のセックスまでは行かず、その前段階ぐらいのところまで近づいてしまったということなんでしょう、おそらく。でもまぁ、これで1回だけの出会いが書かれております。あまりにも色っぽくて。まぁ、ポルノグラフィとしても楽しく読めるんですが、朗読ができないので、最初だけ。

「お会いいたしとうございました」
 王命婦が紙燭の火を吹き消し、燈台の明かりも吹き消す。
 真の闇の中に低く読経の声が流れ、そこに私の声だけが静かに突き抜けて行く。その声に押されるように、王命婦は広い邸をいずこともなく遠ざかって行く。
 帳台の中にいた人は、私の声に身を堅くする。
 闇の中を、私の匂いだけが光のように渡って行く。
 手を伸ばせば、懐かしいと言うことも出来ない彼の人の肉の震えが伝わって来る。

そのあたりから、ちょっと読めない文章になってまして……後でゆっくり読んでください(笑)。このあとずっとそういう文章があるんですけど、それが終わったところで、漢語をたくさん使った美文がまた書かれてきます。

闇の中に、微(かす)かに明かりが揺らめく。
忘れていた読経の声がかすかに蘇る。
紙燭の火が、黒い煤(すす)を闇の中に紛れこませて、こちらへと近づいて来る。
帳台の傍らに留まって、その明かりの中にうずくまって、王命婦が脱ぎ散らした私の衣類を搔き集めている。
「どうぞ」
王命婦の乾いた声が、ただそれだけを懇願(こんがん)する。「どうぞ」と。
夜明けが近づいている。
几帳を寄せ、暗い中で鬼火のように瞬く紙燭の火を頼りに、私は身仕度(みじたく)をする。
彼の人は、闇の奥で息を凝らしている。
吹き消してしまいたい。その火を吹き消して、再びまた暗い夜の闇が訪れてくるのなら。
何も言わぬ王命婦がほの暗い後ろから、そっと私に直衣(のうし)を着せかける。幽鬼のような冷たい手が、ただ無造作(むぞうさ)に素早く動く。
藤壺の宮は光を避けて、帳台の奥に顔を伏せている。
「もう一度――」
そう思って近づく私に、紙燭の明かりを袖で隠した王命婦が低く遮る。
「どうぞ」

読経の声に押されて、私は闇の中を帰って行く。
涙が二つ、あるいは三つ、闇の中に押し隠されて、隠しようのない衣擦(きぬず)れの音だけが、広い邸を渡って行った。

読経の声というのは原文にはないですけど、藤壺が病気だったということですから、その病気の治療のための声がかすかに聞こえてくる。美しい文章ですね。原文にない部分ですけれども。光源氏が着物を脱いで、そこら辺に散らしていったのを、王命婦(おうのみょうぶ=藤壺の側近)が搔き集めて持ってきて、ともかく早く出ていってもらわなきゃ困るので、着せてくれた。その王命婦の手が冷たかったというのは、別に関係ないんですけど、王命婦をまず光源氏が口説いて、落として、そして王命婦の力を借りて藤壺のところに入れたという風に橋本さんは考えている。まぁ、正しいところだと思います。それは想像としても非常にあり得ることだと。その王命婦が協力して出ていくところに、冷たい指があるわけです。そして、帰っていった。「涙が二つ、あるいは三つ」というのは、二つは藤壺の涙と光源氏の涙ですが、もう一つは王命婦の涙が、「あるいは三つ」なんですね。こういう、非常に美しい文章を書いてます。

これとよく似てるんですけれど、『源氏物語』の最初の方に、「帚木(ははきぎ)」(第2帖)「空蟬(うつせみ)」(第3帖)という巻があります。空蟬の女君と光源氏が密通を犯したことが書いてあるところなんですが、非常に生々しく空蟬の身体を書いていて性的な場面なんです。このお話は、なぜか藤壺の事件より先に書かれていて、なぜこれが先に書かれてるかというと、実は、藤壺の事件を重ね合わせるように、藤壺だったら体のことを原文では絶対書かない。身体の感覚とか、そんな失礼なことは書かないんだけど、空蟬との間だったら書けるというところで書くような、そういう感覚的な場面があるという風に言われています。お父さんみたいな年齢の人の後妻であって、しかも、最初は天皇の所に入内させるつもりであった、というところも似てますし、義理の息子に思いをかけられて困ってるという設定も、光源氏の設定とよく似ているので、藤壺と光源氏の事件を、空蟬と光源氏の事件を通じて描いていると研究者は言っている。そんなところです。ちょっと読みます。

しかし女は身動きをしない。ただただ、聞き分けのない女、疎(うと)まるべき女で押し通そうという態度がありありと見える。
後ろに回って女の体を抱きとめれば、観念した女の一途は、凝然(ぎょうぜん)たる白々しさを崩そうともしない。
「そうなのか。そうなのか……、あなたは何が起こるのかを承知の上で、そのように平然としていられる訳なのですね」と、私の中では魔性がつぶやく。
女の胸に手を差し入れれば、熱い胸乳(むなぢ)に落ちた汗のしずくが、冷たい遣水(やりみず)の流れとなって、どこやらへ落ちて行こうとする。
その跡を辿(たど)ろうとした私の腕の中で、女の体が激しく揺れる。
全身で私を拒もうとする女は、体を二つに折って、私の指の動きをかわそうとする。胸の奥の汗の流れは冷え固まり、女の目からは熱い涙がしたたり落ちる。
さすがに「これは――」と思いはしても、ここまできて女を手離す訳にはゆかない。ここで女を手離せば、己れの不甲斐なさに後々まで責められるばかりだと思うと、どうあってもこの女を仕留めない訳にはいかない。
力を弛(ゆる)めて、私は女の耳に囁(ささや)きかける。

「どうしたのです。聞き分けのない。どうしてそのように、私をまるで疎ましいもののようにお思いになる? こうなるまではともかくとして、こうなってしまった以上、かくあるは前世の約束事と思いあきらめられることこそが世の理(ことわり)と申すものを、それなのにあなたのなされようは、まるで物事の道理を知らない生娘(きむすめ)のようだ。そのように、ただただつらいとばかりに逃げられては、私としても立つ瀬がない、さァ――」
と抱えこめば、私の腕の中では厚い絹の衣ばかりが波立って、知らぬ間に、女の体は失せている。
女は脇(わき)へ身を寄せて、這(は)いつくばらぬばかりに身を低くして哀願する。
「なにとぞ、なにとぞ――、このような浅ましい身の上となります以前ならば、在(あ)りし日の私のまま、このようなお情けを受けいたしましたならば、私もまた身にそぐわぬ自惚(うぬぼ)れ心を持ちまして、後の逢瀬(おうせ)を唯一の頼りといたしましょう。このようなはかない身となり、仮なる旅寝の一夜のお相手を承りましては、私の立つ瀬がございません。どうぞひとえに、なにとぞ、私のことはお忘れ遊ばして――」と、ただ泣きに泣く。

「分かりました」
そういって私は、女の様子を伺っている。

「そう言われる、あなたの御身が、おいたわしい」

そう言って私は、膝を進める。
女は黙って動かない。
「さ、どうぞ、私を頼りに遊ばして」
と、私は女の肩を抱く。
この絹の、薫(た)きしめた香の中に、女の体は果たしてあるのか――。

指先に力をこめれば、厚い絹の鎧(よろい)の内に、か細い女の体が、警戒の心を解いて、ぼんやりとある。
「私は、あなたを見捨てたりは、しないもの――」
女の耳に囁くと、女の体はかすかにうなずく。
あるかなきかのうなずきを、私は捕えて離さない。
「私を、信じては、下さらない……?」
そう囁けば、信じるでもなく信じずでもなく、観念した女は、この場の記憶を消そうとでもいうように、ゆっくりとその体を預けてくる。
冷たい汗の痕跡を辿り、私は、女の羞恥心に錠を下(お)ろす。
袴の下紐を解(と)いて、解かれた女はなよ竹の撓(たわ)むように体を開く。
華奢な女の冷たい股間に、熱い不幸が身構えている。
「さァ、私と不幸になりましょう……」

受領(ずりょう)の後妻になった空蟬が、光源氏に突然忍んでこられて、身動きをしない。光源氏に身を許さないという姿勢がハッキリしていた。「不幸になりましょう」、キザなセリフですね(笑)。ここまでの書き方は原文はしていませんけど、確かにそういう肉感的な汗の描写は、こういう感じで書いてある。「なよ竹のように」というのは、原文では「なよ竹のように、男の力によって撓んでいくけれど、決してそのままにはならない。激しい反発力もある」という風にありますので、「女の体を開いていく」というところに比喩されると、ちょっと違うかもしれませんけど、まぁ、そういう場面を見事に書いていますね。

空蟬という人は、光源氏をその後絶対に拒んで、拒み尽くして終わってしまう人なんですね。そういう意味で、光源氏の心の中に「拒み尽くす女」としてしっかりと残っていく。安易に許してしまう女ならどこにでもいるでしょうけれど、受領の女になったから、そういう身分関係があるから、それから年上でもあるからかもしれないけど、だから「光源氏の一時の戯れの相手であっていいなんていうことはないんだ」という誇りと共に生きていた人で、その人の手ごたえは『源氏物語』の中に残り続けている。そういう意味でも、とても重要な人です。そういう人との出会いを書いていました。

その後、橋本さんは、『源氏物語』の王朝風の絵巻の美しいところをずっと見事な文章で書いています。衣装描写もすごく豪華で綺麗です。『源氏物語』が衣装描写をそれだけすごく書いているかというと、そうでもないところがあります。同じ作者が書いた『紫式部日記』を読むと、藤原道長の政権下における女房たちの衣装が、どんなに豪華で、贅を凝らしていて、キラキラと輝くような物になっていたか! 工芸品みたいな着物なんですね。そういう着物の描写を丁寧に書くことができた作者なのに、『源氏物語』ではそれほど豪華絢爛じゃないんですね。

●漢詩までつくってしまう橋本治さんの美学

やっぱり橋本さんは、着る物と衣装にものすごく関心があるんですよね。だから、すごく豪華な着物を身に纏わせたり、端役まで豪華な着物を着せたりして、そこら辺がすごくおもしろいといえばおもしろい。橋本さんの「空白を補うエネルギー」というのはすごくて、たとえば、光源氏の息子の夕霧が元服する時に、元服したということで漢詩を詠むんですけど、その漢詩まで彼が作っちゃってる(笑)。漢詩の作り方を学んで、「必死で学んで、1日に40字しか僕は書けなかった」って書いてあります(笑)。それは彼の美学というのか、美しさを際立てていくと思います。

彼のセーターも、素晴らしいですよね。色鮮やかで豪華で、どうしてこんな素晴らしいセーターが編めるのかと思います。そういう手編みのチクチク感と、翻訳をする動きって、どこかで重なってるんじゃないでしょうか。翻訳ができる人って、ずっと一定の持続力で言葉を言葉に変えていく作業と、セーターみたいな細かい目をずっと編み上げていく感覚とは、きっとどこかで繋がっている。私のよく知る人で、工藤庸子という優秀なフランス文学の研究者がいるんですけど、この人はセーター編みの名手で、翻訳家としても素晴らしい。きっと翻訳者はそういうことができるんだと思いますね。

私がちょうど橋本さんに対談で会った時に、橋本さんのセーターの本を読んでいて、「橋本さんのセーターの本を読んで、私はセーターの首の編み方が非常によくわかった。こういう風に編んでいって、折り返して繋ぎとめると見事に編めるんだっていうのを読んで、修正して編んだら、とてもうまくいきました」って言ったら、とても喜んでました(笑)。「そういう風に書くんですよ。あなた方国文学者は、なんだか訳のわからない難しい文章を書くけど、わかるように書くっていうことがものすごく大事なんだ。いかに届くように書けるかっていうことが大事なんだ」と、彼は言っていました。

●読者に届けたいという熱い思い

橋本さんが「読者に届けたい」という気持ちの熱さは、ちょっと普通じゃないですよね。特別な熱さだったと思います。それが時には、「窯変」など読んでいると、ちょっと暑苦しいというか……(笑)、全部の全体的なものを嚙み砕いて易しくわかりやすく伝えようとする。そういう情熱に溢れていると思います。

分量がすごいんです。普通の訳文だと、だいたい原文の3倍ぐらいになるんです。『源氏』って長いですからね。それの3倍って長いでしょ? それなのに、橋本さんはそれのさらに2倍、6倍ぐらいの分量になってます。だから、「橋本さんの『窯変源氏』(全14巻)を読んだことがあります」って時々人に言われるんですけど、「偉いですね」って(笑)、尊敬の眼差しですよ。私は「窯変源氏」を読んだ後に、この次、町田康さんが話される『双調 平家物語』(単行本全15巻)も読んだんですけど、す〜ごく大変! 『窯変 源氏物語』も大変だったけど、『双調 平家物語』の大変さっていうのは、それの何倍もある。一冊一冊が厚い。毎日、朝から晩まで、何ひとつ仕事をしないで本だけ読んで、一冊に3日間かかる。たいへんな仕事量です。すべてを教えてくださろうとしてるところがあります。

その橋本さんが、自分の源氏論というか、紫式部論をまとめて書いたのが、この本の中では11巻に入っているんです。「雲隠」という、光源氏が死んだと言われている巻です。雲隠れの巻は原文にはないんですけれど、そこに「雲隠」という題をつけて、紫式部の立場から、紫式部という一人の女を書いてます。これがなかなか魅力的で、この全体がすごく良いので、11巻だけでも是非、みなさまに読んでいただきたいなという気持ちがあります。私は粗忽者で、11巻をずーっと愛読してたのに、その11巻がどこかに行っちゃって、今日、ここへ持ってくるのに役に立たなかったんですが、2冊も持ってるんです。どこに行っちゃったんだろう? 今、(感染拡大防止のため)あらゆる図書館に入れないんですよ。大学の図書館が全部封鎖になっていて、本が見当たらない時にどうにもならないので今日は一部しかご紹介しませんが、「雲隠」というところです。その最後のところにこう書いてあるんです。

此世には、栄華以外に安住はない。それでは、その栄華が、見掛けばかりの虚妄であったなら?
美しい世界に住まう美しい天下人に対し、それを刺し貫く刃(やいば)なるものが、物語の筆であったなら?
憧れた世界が、虚妄として崩れ去ったら、それに憧れた心もまた、同じように崩れ去って行く。
私は名も持たぬ受領の娘で、それが、我が身を照らす、知性という名の光を持った。
此世は身分に覆われて、人は際(きわ)という名の局(つぼね)の内に押し籠まれていた。その貧しさを呪って、人は憧れという心を武器にして、閉された此世の階梯(かいてい)を上って行った。その果てにある、栄華という終末を求めて。
そこに住まう、そこから下って来る、美しい人達の力を信じて。その、天人にも紛う美しい人達が、すべては人としての内実を備えたものであるということを知らずに、あるいは……。

『源氏物語』の最初の部分は、光源氏が栄達していく。権力こそ力。光源氏が源氏に落とされたのに、そこから這い上っていって、須磨明石の葛藤を経て上っていって、遂に准太上天皇に到達し、あらゆる栄華が光源氏に集まったところを書いて、「栄華ってつまらないよね」っていうことを、ここでは書いているんですね。「栄華の果て、その後に続く物語を私は書くんだ」。紫式部の気持ちになって、橋本さんは言っています。栄華って何なのか。栄華なんて、全然大したことがなかった。頂点に行けばいいと思ってたけど、そんな価値観なんて何の意味もなくて、天人にも紛う美しい人たちが一番上にいるから、その美しい人のところに辿りつかなければって必死で思っていたんだけど、そんなもの、全然大したものじゃなかった。「虚妄として崩れ去ったら」ということの中には、紫式部が宮仕えをして、初めて宮仕えの実態を知って、貴族は素晴らしいものを見ているでしょうけど、そんなの全然くだらないっていうことをよく知った上で、光源氏の栄華を書いた時に、すごく白けていく思いを嚙みしめながら書いて、「その先を書きたい」と、紫式部の心境になって書いているわけです。

光源氏は死んでしまった。
人の世の華やぎを創(つく)り見せる至高の人が、しかしそれでも人に過ぎないと見据えてしまった私には、一体何が残されているのだろうか?
あるいは孤独。

光源氏の素晴らしい栄華だって虚しかったんだ、ということを書いて、「あるいは、孤独」。この「孤独」っていう言葉には、橋本さんの思いが込められてますね。『桃尻娘』の最後の方も、たった一人で立ち向かっていくって、孤独がずっと書かれていましたし、先ほど資料1枚目で見ていただいたところでも、「光源氏の孤独な遍歴」とか、「紫式部の孤独」という言葉がありました。やっぱり、彼が生涯嚙みしめていたのは、たくさんの人に愛されていながら、やっぱり最後までこだわったのは孤独、一人ぼっちの自分というものなんですね。それを考えていたという風に、ここでは書かれています。

抑(そもそも)この人の世に、この私が生きるのに相応しい世界などというものがあるのだろうか?
人の世を見据えるなどという邪(よこしま)を身に備えてしまった女に。人の世にありながら、人の世に外れるという、傲慢な欲望を身に備えてしまった女に。

「光源氏は死んでしまった」
そう胸に書き記して、私には僅かばかりの悲しみがあった。
「その人はもういない。憧れは、もう役に立たない」
その人を、認識という刃で刺し殺して、私の中の憧れも死んでしまった。
それを予期して、しかし私は、憧れを捨ててしまった私の心の冷たさが、やはり僅かばかり悲しかった。
私には、どのような生き方があったのだろう? どのような生き方がありえたのだろう?
果たしてそれは、ありえたのか?
「ない」と知る為に、それを知る恐ろしさに至る為に、私には憧れという厚い装束があった。
それを脱ぎ捨てて、一人の女には、どのような装束が残っているのだろう?
憧れを葬(ほうむ)った心に希望はない。しかしそれであっても、私にはまだ命の終わりが訪れない。
私を生かそうとするものがあるならば、まだ此世には希望というものがあるのかもしれない。
それが何なのか、それを見究(きわ)める為にも、私の生命には目的がある。

その後を、生きてみよう、書いてみようと私は思った。
人の物語の後に続く、私自身へと続く物語を、今一度。

「人の物語」というのは、光源氏の物語。男の物語です。でも、「私自身」=紫式部自身の物語をこれから書いてみよう。「宇治十帖」(最末尾の10帖)=続編の世界は、「私の物語だ」といって始めていくんだという、そういうことをここでは書いているわけです。光源氏の物語は、光源氏の自分語り、私という主人公で語っていたのですけれど、「宇治十帖」は女房の語り、本当の紫式部といっていいのかどうかわかりませんが、女房の語りとして語られています。その語りの中に、「私へと続く物語」、そういうものが語り始められるのだ、ということが書かれている。これも素晴らしい文章だと思います。

●橋本治さんのすごさを示す「竹河巻論」

「宇治十帖」が始まる前に、三つのつまらない巻があるんですね。これは『源氏物語』の作者が書いたんじゃないのではないかと前から言われていて、「匂宮(におうみや)」(第42帖)「紅梅(こうばい)」(第43帖)「竹河(たけかわ)」(第44帖)という巻なんですけど、これは文章が下手だとか、つまらないとか、全然話が進展しないとかいうので、ずいぶん疑われていた巻なんだけど、ここに橋本さんは焦点を当てて、「竹河」の巻に、どういうものが書かれてるのか、すごくよく分析しているんです。この「竹河巻論」はものすごくて、「竹河」の巻をひとつの転換点として、『源氏物語』の語りの世界が完全に変わる。女房語りになる。その女房は必ずしも信用できなくて、なんだかいい加減な、うろ覚えの知識で勝手なことを言っている、その声がまわりに満ち満ちていて、その女房の訳のわからない見当違いの変な言葉をかいくぐって、「読者はその真相を突き止めていくという新しい読みがそこで展開されているんだ」ということを、橋本さんは言ってるんです。これはやっぱりすごい読みの力です。

特に「竹河」の巻の語り手が、今までと違うこと。今までの語り手というのは、原文でいうと、紫の上の関係者、紫の上の女房たちが語っているという前提で書かれているのですが、どうもそうじゃない。この巻の語り手は何かいかがわしい。確かにいかがわしいんですね。悪御達(わるごたち=口の悪い女房たち)って書いてあるんです。髭黒(ひげくろ)邸に仕えていた悪御達。玉鬘(たまかづら)の旦那さんである髭黒が、最後は太政大臣までなるんですが、太政大臣で死んじゃうんですね。最初は太政大臣の奥方ですから、玉鬘さん、素晴らしい生活をしてるんですが、子どももいっぱい生まれて幸せなはずなのに、旦那さんが死んじゃって、旦那さんの髭黒がデリカシーのない人間だったので、みんなからは冷たくされて、その後は鳴かず飛ばず。生まれた子どもは二人とも美女なんだけど、全然良いことがない。男の子たちもみんな出世できない。こういう不満を抱えた一人の女がいる。その屋敷に仕えた女房として、ベラベラ、ベラベラしゃべっている。そのしゃべくりの術を書いているところですね。読みます。

宜(よろ)しく御承知置き下されますよう。
平然と誤りさえも述べ立てます「宰相」の問わず語りでございます。あまりにもそれが笑止(しょうし)と存じましたなら、そのことばかりを私は註(ちゅう)させていただきましょう。しかしその他のことは、すべて「宰相」の語るがままでございます。様々な思惑の住む人の世にございます。その様々の思惑の一つを、この先に――。
これは、影の語り出だします、光の裔(すえ)にあらざる“人”の物語でございます。

さてさて、世と申しますものは恐ろしいもの。その末には如何なることが起こりますやら、何とも知れぬものでございます。
六条院お隠れ遊ばしてその後、何やら怪しげな言を伝えます方々がおいでるようで、私などは「はて――」と首を傾(かし)げましてございますが、私よりは遙かに勝(まさ)って年数を積もらされた古女房の方々が、何やら怪しげな夢なりを見て、それと現(うつつ)との境目が見え難くなったと申しますようなことでもござんしょな。六条院のお末に、何やら怪しげなお胤(たね)が入られてなどと、私には一向に存じよらぬことでございます。さても笑止。そのような可笑(おかし)げな噂(うわさ)が出で来たりますことも、世というものが末となって下りました結果のことでございましょう。儚(はかな)いと申しますものは、時の移ろいでございますわ。
此方(こちら)の大殿がお隠れ遊ばされての後でございます。人の心とはなんとも無体(むたい)なもの、お邸が傾こうようなものでもございませんに、蟻(あり)のたかるが如く群れ寄った世の人も、なんともはや。いやはや、恐ろしいこと。
北の方におわします尚侍のお腹には、故殿のお子が、男は三人(みたり)、おんなは二人ございましたわ。姫君には勿論宮中(うち)のお宮仕え、若君だとて勿論と、それぞれにお心を砕かれて、年月の過ぎ行かれるのをさえもお待ち遠にお思い遊ばされて、もうもう御養育のことに万全のお備えをお持ちであったのに、その殿が敢(あ)えなく――。誠に夢のようでございましたわ。
 殿がお亡くなり遊ばしてしまえば、姫君の方の御入内(じゅだい)のこともぱったり。人の心と申しますものは、もうもうただ時に従うものでございますわな。私はこの目で、それをよっく見ましてでございますよ。御威勢盛んであらせられた太政大臣(おおきおとど)でございましたもの、そのお名残りの御宝物(おたから)でございますとか、ご領じ遊ばします所々の御荘(みしょう)などというものはお変わりございませんですよ、勿論。そちらの方でのお揺るぎというものは、なんといっても御威勢お盛んな太政大臣でございましたから、一向にございませんでしたよ。ですけれどもしかし、人と申しますものは御宝物ではございませんもの。

「六条院」は、光源氏のことですね。「お隠れ遊ばしてその後、何やら怪しげな事を伝えます方々がおいでるようで」……なんか変な言葉ですね、「おいでるようで」。「私などは、『はて――』と首を傾げましてございますが」、この怪しげな言、言葉というのは、「女三宮が密通してる」とか、「女三宮が産んだ子どもは本当は光源氏の子どもではない」なんていう、正編で書かれたことですね。それを言ってるんだと思います。「私よりは遙かに勝って年数を積もらされた古女房の方々が、何やら怪しげな夢なりを見て、それと現との境目が見え難くなったと申しますようなことでもござんしょな」って、すごいですね(笑)。「六条院のお末に、何やら怪しげなお胤が入られてなどと」、これは柏木の胤ですね。「ございません」とか、「ございます」とか、いろいろ言っていて、人の悪口も言ってるんですね。中宮の悪口を言っていて、うちの玉鬘さんの姫君がやきもちを焼かれて嫉妬されていじめられた。嫌ですね、っていうようなことを言ってるところがあります。

六十路(むそじ)に届かれようというお年頃ではございますのに、でございますよ。
それまでに御悋気(りんき)などというお噂は一向に伺うことはございませんでしたお方なのでございますのですけれども。
大層物静かなお心持ちで、秋の心を大層お好みであると、そのようにばかり承っておりましたのではございますけれども、やはりお血筋と申されますのはございますのでしょうかねェ。
古い御代に六条の御息所と申されましたお方には、とかくのお噂と申しますものがございましたのですけれども、やはり、御寵愛の筋に男御子がお生まれ遊ばしますということになりますと、御事情と申しますものは変わられるのでございましょうか。
お血筋とは申し上げたくはないのでございますけれども、冷泉の御所では、大層にお年を召された、あのお静かな后(きさい)の宮までが、何やら――。

さようでございました。なんですか、年を取りますと、ついあらぬことを口走りますのですか。何を申し上げようと致しておりましたのですか。

六十路、60歳ですね。六条御息所のお嬢さんで、光源氏の養女になった秋好中宮です。その人が、玉鬘の娘さんにやきもちを焼いて、迫害している。弘徽殿女御みたいな迫害をしている。お血筋というのは、六条御息所のお血筋ですね。「だから、あんな嫉妬するんですよ」と密かに囁かれたということです。語り手が、ちょっと不正確な語りをしているところも、徹底して、「ございます調」で攻めているところがあります。「宇治十帖」も、橋本さんは「ございます調」で書くんですけど、「ございます」に憑りつかれたようになっちゃって、「ございますのオブリゲーション(強迫)」(笑)と言ってるんですけど、強迫作用ですね。もう、「ございます」、「ございます」と、ついつい言っちゃうということをやりながら、その「ございます」をかいくぐって、何か言いたいということを非常に強く出しているわけです。

●「美とは力である」

残り10分なので、美しい文章をひとつ読みます。「総角(あげまき)」(第47帖)から。

風流皇子の匂宮は、その秋の夜を月を求めて過ごされておいででした。東の空に上ります月がまるで春の夜のように艶(なま)めいて、澄み渡った空を照らします。そこに美しい人の呼び声のような霞(かすみ)が一筋、二筋。その誘う手を搔く(か)いくぐりますようにして、象牙(ぞうげ)色の秋の月は中天へ。空を渡りきるその以前に明けの光に冒されます月は、あるいは、捕えても成就(じょうじゅ)し難い恋の雛形(ひながた)でもございましたでしょうか。
秋の庭に露が下ります頃、しっとりと馨(かぐわ)しい匂いがお庭先より渡って参りました。藤袴(ふじばかま)よりも艶(えん)なその人の匂い――。

薫が匂宮のところに近寄る、美しい文章です。本当に綺麗な文章を書いています。また、こういう文章もあります。

美とは力である。制度格式でがんじがらめになった貴族達の社会を揺がす力である。それ故(ゆえ)にこそ、「国は乱れ憂慮すべき事態が出来いたしましょう」と、人に言わせる“畏れ”である。
それ故にこそ、人は美に不吉なものを感じとる。人の胸を慄(おのの)かせるような美は鬼神の胸をも轟(とどろ)かせ呼び寄せると人が言い習わすのも、美が人の世に棲(す)む空虚を衝(つ)き動かし、人を不幸へと追いやるからだ。
人は、美を購(あがな)うことが出来ない。
さればこそ、人はその美なるものが流れ流離(さすら)うことを夢見る。女から女へと渡り歩き、その美なるものが決して人の上に君臨せぬことを――。

改めて、「宇治十帖」から、美というものを取り上げた光源氏の物語を振り返ってくる。そういうところが書かれています。その後は、「宇治十帖」の一番中心的な人物である八の宮が、実はすごく傲慢な心を持っていた人で、その八の宮が死んだ後に、彼の身代わりになってお坊さんたちが、常不軽(じょうふきょう)という行をやったと書いてあります。お坊さんたちが、あらゆる人の家の前に行って、頭を床に叩きつけてコンと鳴らすんですね。そんなことをしたら脳震盪を起こすと思うんですが、そのコンとぶつけることが重要で、多少、脳震盪を起こすことが、一種のトランス状態を導きだすみたいな形で、人々の前で法華経の常不軽品というお経を読んで、コンとやる。「自分は生前にちゃんとしなくて傲慢に生きてきました。傲慢に生きたことを申し訳ありません」って言って、八の宮の代わりに、お坊さんたちにそれをさせたという記事が出てくるんです。

そのことの意味を、『源氏物語』の学者は考えなかったんですが、橋本さんはグーッと突っ込んで、その常不軽品の意味を調べ、これを八の宮という人の最後に持ってきたのは、やはり物語の中で理想化されて素晴らしい人だという風に書かれてる人は、全然そんなことない。むしろ傲慢で、現実をちゃんと見なかった人なんだ。驕慢の罪にあたる人なんだということを、物語がキチンと言っている。そういうことを表してるんだ、と。

物語のヒロインである大君(おおいきみ)さんが死ぬ時に、それは聞こえてきた、ということで、お父さんを理想として、お父さんみたいになりたいって思っていた人が、自分の憧れのお父さんがそんなに素晴らしい人じゃなかったということに気づいていく、そういう音として、常不軽の音がポーン、ポーンと聞こえてくる。それを見事に書いていて、やっぱりこれは『源氏物語』を単に綺麗ごとに絶対済ませないということです。

●描き出した俗物性

横川の僧都に中にある俗物性も書いていますし、あらゆる人、北山の僧都に対する俗物性も書いている。俗物性に関することに、橋本さんは異常なまでに敏感で、「それは絶対におかしい」っていうことをグイグイ書いています。私もそれは全然反対じゃないです。薫もすごい俗物なので(笑)。ある意味では、そういう人に騙されてしまう大君だって、虚しく空回りしてる存在なので、「超越的に素晴らしい人なんて全然いないんだ」っていうことを、ずっと書き続けているというか、そういう心境にあるんだと思います。そこが、また、素晴らしいなと思うわけです。

資料をめくっていただきますと、「夢浮橋」(最後の第54帖)の最後のところですね。「ございます調」がやっぱりいっぱいありまして、溢れるほどのございますを使いながら、そこから浮かび上がってくるものを書きたい、というわけですね。

人の世にあって、人の心を備えてしまった女の物語は、このように終わるより他になかったのでございます。

知ることは、あるいは恐ろしいこと。
知ることの予感に訪れられるのは、ある意味で輝かしく、そしてその輝きのある分、恐ろしいこと。
知ることばかりを頼りの糸筋として生きるのは、心細いこと。
しかし私は、そのようにして、生きてしまった。
そのように思うより他はございませんでした。
生きてしまったことを悔いるまい。
書いてしまったことを恥じるまい。
私は、それを知ってしまったのだからと。

それをこそ、誇りと思おう。私は知って、それを形にして書き記してしまったのだからと。

私が何を書いたのか、それはもう分からない。
書き進めて、私はいつの間にか、世の女の住まう境を踏み越えていた。
それをしたのは、私一人だったのだろうか?
自身の足で、安穏とされる領域を踏み越えていた。
美しい物の怪に誘われるのではなく、思惟(しい)の心と、それを確かにする己れの筆の力に助けられて、私は安穏として人の住まう苦しい境から、人として伸びやかに生きられる、大いなる木の根方へと歩み寄っていた。

「大きな木の根元」というのは、浮舟が漂って、大きな木の根元で意識を失ったという場面のことを言ってるんですね。だから、浮舟と同じように、大きな木の根元に歩み寄っていた。

ただ一人で。
それを間違いとは言わせない。
私は歩んで、その歩みを確かなものとして心に刻んだ。
物語とは、私にとってそのようなものだった。
あるいは、此世に生きる時よりも長い、手習(てならい)の時。それを過ぎて、私は、歩んでもよいのだと思った。
ただ一人、恐れることなく。

「ただ一人」が2回繰り返されている。やっぱり、これ、彼の孤独ですよね。

暗い夜の内に、もう私を導く者はない。
美しい物の怪の姿が、どこかにまださすらうようにも思えた。
しかし、私の前には、何もなかった。
ただ、「この先を生きてみよう」と思う“時”の他には何も――。

「生きてみよう」と私は思った。
生きなければ何も始まらない。
物語の筆を捨てて、そして、その自分の前にある“時”というものを眺めた。

これが最後なんですね。「生きてみよう」。『源氏物語』の最後って中途半端に終わってるので、何がなんだかわからないんですけれど、最後のこの言葉というのは、もちろん紫式部が『源氏物語』を書いた時に行き着いた言葉でもあると同時に、やっぱり、ここまで書いた橋本さんの言葉でもあると読めますよね。

●橋本治さんが『窯変 源氏物語』で手に入れたもの

私は、『源氏物語』を翻訳した後、橋本さんがやはり小説家として変わったなと思うんです。『桃尻娘』もその連作も素晴らしい作品には違いないけど、その後書かれた『リア家の人々』など三部作、それから『巡礼』を書かれたし、『初夏の色』を書かれた。ごくごく普通の生活をしている一般の、貴族でも何でもないような普通の人、むしろ、ゴミなんかをずっと溜めて、世間からバカにされてる、どうしようもない人の心を、実に見事に書いて、本当に素晴らしい作品だと思うんですけど、その作品の書き方を彼はどうして手に入れたのかというと、やっぱり『源氏物語』の中のこの「ございます調」です。

誤解する世間の人の声とかそういうものが、どんどん主人公たちの気持ちとすれ違っていって、そのすれ違ったところに、実は現れ出てくる思いというものが、「書いたこと」によってではなくて、「そこで言えなかった言葉」が胸の中にせりあがってくる。「宇治十帖」の世界なんて、その書き方です。「ございます」で覆い尽くしていこうとする世間常識みたいな言葉がちりばめられているんだけれども、そのちりばめられている向こうに、もっと生々しい本人たちの思いが、そこに絡め取られない思いとして浮き上がってくるような、そういう小説の書き方。まさに語りの名手であった橋本治だけがつかみ取ることができた、そういう世界というものが、実は「宇治十帖」を書く中で彼が会得した方法で、それを見事に展開したのが、その後に書かれた素晴らしい小説作品に結実してるのではないかと、私は思っています。今日は朝早くから、艶めかしい話を聞いていただきまして恐縮でした(笑)。ありがとうございました。

受講生の感想

  • 挿絵写真の解説に加えて、 「女房更衣あまたさぶらいける中に」が 「まだ中宮がいない」ことを示していることや、藤壺の段で「涙が二つ、あるいは三つ」は「王命婦の気持ち」まで踏み込んで書いている……など、「橋本さんならではの描写」であるといった解説に、「ああ! そうだったのか! もう全部解説して欲しい!」 と思うほどでした。「ある程度まで行った作家はみんな文豪になりたくなる。そして文豪になった人はみんな源氏を訳している」という見解も興味深かったです。

  • 三田村先生は、ごく自然に「橋本治さん愛」がこぼれ出ていて、語りに引き込まれました。「窯変源氏」読もうかしら……と思いました。でも、まだ『桃尻語訳 枕草子』すら読み終わってないのに……。

  • 三田村先生の情熱の籠もった講義、大変に解りやすく、深いお話も貴重でした。

  • 濃厚な内容で面白かったです。私がこれまで持っていた知識やイメージとは違う角度から見ることを気付かせてくれるような授業でした。これからも、ひとつずつコツコツと見ていこうと思います。