2021年4月14日公開
橋本治をリシャッフルする。
第10回 木ノ下裕一さん
15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。>
歌舞伎の現代化に最前線で取り組む「木ノ下歌舞伎」の主宰者・木ノ下裕一さんが、「橋本治的視点」で歌舞伎を観るとはどういうことなのか、詳しく解説してくださいました。最後は、実作者らしい決意表明で締めくくられ、江戸時代と、橋本治さんがもっとも歌舞伎を観た1980年代、そして現在までがひとつながりになる充実の講義でした。(講義日:2020年7月18日)
木ノ下でございます。(コロナウイルスで)大変なことになってしまいましたが、工夫を凝らしてくださって、今日こうやってみなさんとお会いできることを楽しみにしておりました。私、京都に住んでおりますので、一応、京都の自宅で2週間出かけずにここへ来ました。よろしくお願いいたします。
大変な先生方の中で、一人だけ若造がおりまして、身の縮む思いでございます。まったく雑談ですけど、今朝、京都から来て、地下鉄・外苑前の駅から上がってきまして、僕、方向音痴なんですよ。っていうのは、江戸の面影がない所、全然ダメなんですよね。江戸の地図なら、なんか分かるんです。「あ、こっちに大川端。あ、こっちが、なるほど百本杭。うん、なるほど」みたいなことですけど、この辺はもう本当に分からなくなっちゃうんです。で、出た瞬間、やっぱり方向が分からなくなって、「困ったな」と思ったら、明らかにほぼ日の学校の受講生であろうという上品な方が何人も同じ方向に向かって行くんですよ。何の確証もないけど、きっとあの方々は、ほぼ日の常連さんに違いないと思って後をついてきましたら、見事正解でございました(笑)。
今日、橋本治……橋本さんとか、橋本治先生とかお呼びするべきなんでしょうけれども、個人的に接点があったわけではないので、割と距離感遠いんですよね。しかも、これ言うと、みなさん、この後の2時間どう受ければいいんだと思われるかもしれませんけど、実は、あんまり良い読者でもないんです。もちろん読んではいるんですけれど、すごく入れ込んだという経験もあんまない。今は若干変わったんですけどね。この講座があると思って、読むわけですよ、橋本治を。「あ、おもしろいな」と思えたんですけれども、もともとそんなに思い入れはないわけです。ですから、橋本さんっていうのもなんか近所のオジサンみたいでアレだなと思うので、橋本治という風に敬称略で呼びますけれども、気を悪くなさらないでください。それは敬称略ということでございます。「橋本治と歌舞伎」というテーマで今日お話しすることになっております。(カメラに向かって)オンラインのみなさん、なかなか集中しきれないと思うんですよ。プライベートな場所で受けるって大変なことですから。できるだけテンション高く頑張ろうと思ってます。
2時間という限られた中で、みなさん、授業料を払われて受けてくださるわけですから、できるだけお土産をたくさん持って帰ってもらおうと思ってます。できるだけたくさん情報を詰め込んで、2時間やれたらいいなと思っておりますので、多少分かりづらいことがあるかもしれませんけれども、最後に質問をちょっとだけ受けられればなと思っています。
まず、今日の2時間のメニューをお伝えします。まず、「橋本治と歌舞伎」ですけれど、2つのテーマを軸に、今日の講座を進めようと思っております。まず1つ目。「橋本治が観ていた歌舞伎とはいったい何なのか」ということです。その次、「橋本治は歌舞伎をどう創作に生かしたのか」。つまり、歌舞伎から何をインプットし、その後、いかに自分の創作を通してアウトプットしたか。この2点を軸に、それをみなさんに分かっていただくような講座にしたいなと思っているのであります。
これは2時間を貫く大テーマなんですけれども、この後に、この2つをみなさんと一緒に深めていくために、新たに3つのキーワードで、橋本治と歌舞伎、もしくは歌舞伎というものを深めていきます。3つのテーマは、その都度、1個1個明かしていきます。ひとまず、「この大きいテーマなんだな、今日は」と。「それを3つのキーワードで、ある種なぞっていくんだな」ということを、まずお含みおかれまして受けていただけると助かるということです。
本題のキーワードに行く前に、ちょっと前提からお話ししていきたいんですね。その前提とは何かというと、橋本治がそもそも観ていた歌舞伎、これがちょっと問題なんです。2つあるんです。その話からまず、前座的にお話ししたいと思います。
橋本治さんはたくさんの本をお書きになっていますけれど、実は歌舞伎について書いた本は意外と少ない。主なところで3冊です。まず、『橋本治歌舞伎画文集―かぶきのよう分からん』。画文集ですね。中に橋本治画伯の歌舞伎俳優の、ある種似顔絵をたくさん収めてまして、前半はずっと絵です。後半は絵と文章。これが、まず1冊目。主に俳優論です。つまり、橋本治がリアルタイムで観ていた役者が主なんです。つまり、当時の同時代の歌舞伎について橋本治が書いたもの。次に、『大江戸歌舞伎はこんなもの』という本があります。これは、『かぶきのよう分からん』とはちょっと方向性が違いまして、江戸の歌舞伎というものはどういうものであったのかを書いている本です。こういう上演形態で、こういう風なロジックで物語ができていてとか、そういうことが書かれている本でございます。最後、『江戸にフランス革命を!』という本です。これは復刊されたものですけど、元々は上中下の3巻出ています。内容は、いろんな文章が入ってるんですけど、歌舞伎について書かれたものは全体の3分の1ほどでしょうかね。評論集でございます。という3冊なんですね。
今日、三田村雅子先生の話、おもしろかったけど、「『窯変 源氏物語』(全14巻)を今から全部読むんか」と思ったら、ちょっと二の足を踏みました。「橋本治と源氏」は大変ですけど、「橋本治と歌舞伎」は簡単。この3冊をお買い求めになって読めば済むことですから。意外と資料は少ないです。インタビューとか断片的に書いたものは無数にありますけれども、ひとまずまとまって書かれたものは、この3つです。
この3つ、出版された時期を照らし合わせていくと、復刊も含めると、けっこうコンスタントに出版されてまして、橋本治って歌舞伎をライフワークにしていたんじゃないかという錯覚を起こすんですけれど、実は初出、どこで発表されたかをめくっていきますと、ほぼすべての文章が1980年代なんです。つまり、ひとつ目、「橋本治がリアルタイムで観ていた歌舞伎」というのは、主に80年代の歌舞伎を指します。ここをまず押さえておいていただければ。主に観ていた歌舞伎は、様々ありますけれども主に80年代の歌舞伎なんだと。論じたものも、ほぼ80年代の歌舞伎を通して考えたことです。後年、あまり歌舞伎を観なくなると言われています。様々な理由があるんですけど、それはおいて、主に橋本さんが熱狂したのは、80年代の歌舞伎。
もうひとつ橋本治が見ていたもの、つまり「歌舞伎のこういうところが、俺、好きだな」と橋本治が思っていた歌舞伎。つまり、心の中の歌舞伎ですね。リアルタイムで観ていた歌舞伎は、目の前にあるリアルな歌舞伎。それとは別に、橋本治が心の中で「ああ、歌舞伎のこういうとこ、すげぇな」って思っていたものは何かというと、これが江戸歌舞伎なんです。
江戸歌舞伎の説明が必要かもしれませんけれども、江戸歌舞伎にはふたつの捉え方があって、「江戸時代に行われていた歌舞伎」と大きく意味を取るタイプ。つまり、大阪、京都、江戸ですね。日本で徳川時代に行われていたもの全体を「江戸歌舞伎」ともとるんですけれど、この場合の江戸歌舞伎、つまり橋本治が目していた歌舞伎はそうではなくて、「江戸で行われていた歌舞伎」のことです。ですから、上方のお芝居、つまり関西のお芝居はあまり入ってきません。橋本治の「我が心の歌舞伎」は、江戸時代の江戸という都市で行われていた歌舞伎。江戸時代も長うございます。260年あるわけですから、その中の天明から安政にかけての約80年間。江戸末期の歌舞伎でございます。天明が1781年に始まりますから、そこから明治が始まるまでの約80年間の歌舞伎を指すことが多いです。くどいですか? 大丈夫ですか(笑)? 橋本治の心の歌舞伎は、江戸時代において、江戸という都市で行われていた、かつ、天明から安政までの幕末の80年間の歌舞伎を指す。橋本治はどこにポイントを置いていたかということをまず前提として整理しておきます。
ちなみに、80年代の歌舞伎というのは大変な時代でしてね。歌舞伎を好きな方、いらっしゃいます? 半数ぐらいですね。どんな時代かと言いますと、戦後歌舞伎の最後の輝きの時代、黄金期なんです。つまり、戦後の歌舞伎を支えてきた六代目中村歌右衛門を筆頭に、先代の松本白鸚さん、そして二代目尾上松緑さん、十七代目の中村勘三郎さん、十三代目の片岡仁左衛門さん。関西では、二代目中村鴈治郎さんがギリギリで、實川延若さんもいたかな? という綺羅星のごとく戦後歌舞伎を支えてきた名優たちが、最後のきらめきを見せて、自分の十八番の演目を次々に上演している時代です。「もう、これでやり納めかも!」という感じで、最後の輝きを歌舞伎座で見せていた時代ですね。今の大御所たち、たとえば、今の中村吉右衛門さんとか松本白鸚さんとかが、若手から中堅に行くかな? くらいの感じです。もうちょっと下の、亡くなった十八代目の勘三郎さんが、まだ若手ですね、部類的には。スーパー歌舞伎が始まったのは86年ですから、今、大御所たちの世代が自分のライフワークを見つけ始めた時代です。だから、上も元気、下も元気。上は上で、もう自分の芸の極致、完成形をどんどん上演していて、下は下で、「これから行くぞ!」という、ある種の世代交代でもあるんですけれども、層が厚いんです。羨ましいでしょ。僕、85年生まれ。「あと20年早ければ!」と。もっとも、もし20年前に生まれていれば、「また20年!」って言いますよ、きっと。そういうもんですけれども、とにかく歌舞伎が非常に元気な時代です。だから、橋本さんはとても良い時代の歌舞伎を観ているんですね。ということが、まず、前提にあります。
そして、江戸歌舞伎は江戸歌舞伎で爛熟の時代なんです。つまり、都市としての江戸文化がだいたいできてくるのは天明から幕末にかけてなんですね。特にその間、文化文政という文化が爛熟した時代を挟みますから、そのあたりで非常に盛り上がってくるわけです。で、何が起こるかと言いますと、江戸という都市の中で、歌舞伎がどんどん都市型の芸能として発展する。つまり、劇場が立派になる。システムが整う。安定した興行が打てる。そのために、様々な興行のためのシステムが出来上がっていくという風に、ある種、商業化するわけです。しかも、江戸独自の演目、江戸の劇作家による作品ができ始めるのがこの時代ですから、江戸が自活して、自分たちの文化として歌舞伎を発信できるようになってきた時代なんです。それ以前は、やっぱり上方が強いわけです。上方の演目を江戸が輸入したり、上方のものを江戸ナイズして江戸歌舞伎が栄えていく時代を通り越して、「俺たちだけの力でも、ちゃんとした演目は作れるし、江戸独自の興行形態だって作っていこう!」みたいな、そういう時代でございます。その江戸歌舞伎のシステムが完成した時代を、橋本治は「我が心の歌舞伎」と呼んでいた。というのが前段でございまして、それを頭の片隅に置かれまして、この後、受けていただければなと思うわけです。
江戸歌舞伎の映像は残ってませんけど、80年代のは残ってますから、まさしく橋本治が観ていた頃の歌舞伎を、ちょっとだけ観てみましょう。『伽羅先代萩』です。それこそ橋本治が惚れ込んだ俳優、六代目中村歌右衛門の「政岡」というものを観たいと思います。何年の上演かと申しますと、昭和58年ですから、1983年ですね。今の歌舞伎をよくご覧になってる方は、今の歌舞伎の雰囲気とずいぶん違うと思うんです。その違うところを重点的に要チェックですね。どういうところが違うのか。普段、歌舞伎をあまりご覧にならない方は、歌舞伎役者のキャラの濃さを楽しんでください。ものすごい役者ばっかり。歌舞伎俳優のキャラの濃さに注目して観ていただきますと楽しめるんじゃないかなと思います。
お話は、あんまり細かく説明する時間がないのですが、仙台藩のお屋敷で、あるお家騒動が起こっています。政岡というのは主人公で若君の乳母です。若君は「良い者」の方なんですね。この若君の命を狙う奴らが、御殿にはびこっている。どうするかというと、ステイホーム。かくまうんです、自分の部屋に。ご飯も運んでくる物を食べさせない。UberEatsしないんですね。全部自分でご飯炊くわけです。危険が及ばないように、ずっと隔離している。政岡には千松という実の子どももいるんです。この実の子と若君が、ほぼ同い年なんですね。政岡は、自分の子どもを育てながら、若君を養育している、そういう御殿のシーンです。そこに悪い奴らが乗り込んできて、「若君、お菓子でございます」と言って、菓子折りのお菓子を持ってくる。若君はお腹減ってるんですよ。あんまり物が食べられない。政岡は炊事道具がありませんから、工夫しながら料理を作ってるんですけど、どうしても外界とは遮断されています。なかなか物資が手に入らなくて、ひもじい思いをさせている。子どもですから、そのお菓子を食べようとするんですけど、その時に、さぁ、どうなるか。その辺を橋本治になった気持ちで観てみたいと思います。『伽羅先代萩』でございます。(動画鑑賞)
足利家の御殿です。真ん中にいますのが、橋本治さんが大贔屓だった中村歌右衛門。とにかく怖いんですよ。不気味なの。そこが注目ポイント。もの思いにふけってるところです。「ああ、若君にこんな思いをさせて。もう大変。いつまで続くのかしら、このステイホームは」っていう気持ちだそうです。栄御前は實川延若さんですね。ここにお菓子を置いてるんです。栄御前の方が位が高い。だから、食べさせないわけにいかない。明らかにパワハラ。「食べろ。私の菓子が食えないのか」。ひもじいから、「うわ、どうしよう」。毒が入ってるんです、この饅頭には。「でも、止めることはできない」という、この辛さ。悩んでますよね。奥の方から登場するのが、政岡の実の子ども、千松。このお菓子を取って食べるんですね。食べては捨て、食べては捨て。毒が入ってますから……。つまり、この子どもは、状況を察して、自ら身代わりになって食べるんです。毒、効いてます。「ああ、お腹が。お腹痛いわ」。
これ、毒が入ってること、みんなわかってるんです。千松という子どもも、たぶんわかった。「これはヤバい。おかあちゃん、ピンチ」。そこで、自分がひもじいから食べたというフリをして、毒見をするわけです。それで菓子を蹴散らす。案の定、毒が効いてくる。この時に、八汐という悪いオバサン(十七代中村勘三郎)が何を思ったかというと、「あ、毒入れたこと、バレる」。放っておくと苦しみますから、「若君の菓子を先に食うとは何事か」という体で、千松を殺すんですね。その時に、政岡は、我が子が今まさにここで殺されるわけですけれども、微動だにしないところが見せ場なわけです。
勘三郎、芝居に入ったら集中しすぎてまわりが見えないというシーン。子どもの首根っこ捕まえて、児童虐待みたいなシーンです。この後、メチャクチャ突き刺す。「我が子が!」、政岡は一瞬たじろぐんですけれども……(若君の)命を守ることが役割。歌右衛門、怖いですね、怖いでしょう。ここは政岡の非常に難しいところで、役割としては、若君の命を守らなければいけない。しかし、自分の子どもは殺されている。早く助けに行きたい。板挟みにあうわけです。ここ、ドラマ的には何が起こるかと言いますと、あまりにも政岡がたじろがないので、みんなが勝手に勘違いするんです。「あ、すり替えたな」って。つまり、「我が子が死んで、こんなに平気でいられるわけがない。なるほど。若君の格好を子どもにさせて、すり替えたな」っていう風に思うところなんです。
みんなが去った後、一人になります。ここから歌右衛門、注目です。一気に気持ちが抜けるんですね。このたっぷりした感じ。今の俳優さん、ここまでたっぷりしないですよね。立ち上がるだけですよ、やってることは。今、聞きました? 「芝居の神様!」って大向こう張るんですよ。すごいですね、「芝居の神様」って大向こう。この時に、政岡が何を考えてるか。怖いでしょう? 笑ってるようで、怒ってるようで、ホッとしてるようで、悲しいようで。怖いですね。感情が一本じゃないんです。そして、子どもの傍に行くわけです。本当は、ここからがとても良い。子どもの死体を横にして政岡が喋るという、一番の見せ場になってきます。ここからが、興味深いんです。第一声が「でかしゃった」って言うんですよね、子どもに対して。つまり、「あなた、よくぞ死んでくれた」。あなたのおかげで、みんなは若君を殺せたと思ったわけですね。千松を殺したということは、すり替えたなら若君のはずですから、みんな、「暗殺、成功!」と思って帰っていったわけです。でも、実は自分の子どもですよね。で、「あなたのおかげで、若君は助かった」と。「みんなも誤解してくれた」と。「だから、あなたは立派なんだ」っていうことを褒め称えるわけです。その後、やっぱり悲しい。親の気持ちと、乳母としての気持ちが交錯するんです。その前の花道のすごく長いたっぷりした間も、「いったい何考えてるのやろ? このオバサンは」っていう感じでしょ。怒りなのか、悲しみなのか、安堵した気持ちなのか。一人の人間の中に、様々な感情が交錯して、綯い交ぜになっている状態ですね。今の『伽羅先代萩』を観てると、あんまりそういう印象ないと思うんですよ。けっこう綺麗なんですよね。つまり、「今は乳母の時間」、「ここからは母の時間」、「ホッとした時間」っていう風に、説明できるし、洗練されてると言いますか、そういう感じなんです。
でも、橋本治が観ていた頃の歌舞伎は、もう少し雑多なんです。人物の描き方も、いろんな不純物が入ってるというんですかね。ひと色じゃない。このコクの違いというものが、80年代の歌舞伎と、30年後の現代の歌舞伎にはある。どっちが良いじゃないですね、味わいが違う、方向性が違うだけで。橋本治は、こういう歌舞伎を観て面白いと思ったわけです。つまり、一人の個人の感情とか気持ちとか、そういうものを超越したいろんなものが入り混じっている歌舞伎。だから、橋本治のこの本は、『かぶきのよう分からん』です。橋本治はずっと「歌舞伎はよう分からん」って言うわけです。あんなにも歌舞伎に詳しいのに「よう分からん」。なぜかと言うと、「よう分からんようにできてる」と。「これはこうこう、こうである」という風に、理論立てて説明できないように歌舞伎は敢えてなっているんだ。そこが歌舞伎の面白さなんだ、っていうのが橋本治の大きな歌舞伎の主張なんです。
他の本には、たとえば『江戸にフランス革命を!』の中で、歌舞伎俳優について触れてるんですけど、「江戸の歌舞伎とは、ある意味で、筋立て(ストーリー)がどんなものであろうとも、筋立てそのものにはまったく意味がないような代物でもある。どんな支離滅裂な筋立てであっても、そこにそういう支離滅裂を平気で可能にしてしまう肉体を持った俳優がいさえすれば、どんな無理だって平気で辻褄が合ってしまうからだ」。まさしく歌右衛門なんですね。いろんなものが交錯しているけれども、説得力を持って、ある怖さでもって、体現してしまえる俳優がいてこその歌舞伎だ。歌舞伎はそういうものなのだ。ということを、橋本治が言っております。前段が長いです(笑)。
80年代の歌舞伎を観ながら、「歌舞伎ってよく分からんな、よく分からんな、そこが面白いな」と思っていた橋本治がその後どういう風に進むかというと、「じゃあ、どうしてよく分からないのか。このよく分からない歌舞伎を作り上げている構造って何なんだ」っていう方に興味が向くんです。そのことは、『大江戸歌舞伎はこんなもの』のあとがきに書いてあります。少しだけ抜粋しましょうかね。
「江戸の歌舞伎という『なんだかよく分からないもの』は、素晴らしいことに、徹底して『なんだかよく分からないもの』です。中途半端なボロを出しません。『中途半端に理解される』ということに関しては、鉄壁の守りを構築しています。中途半端な説明を阻んで、そんなことを望む人間には、『野暮』という言葉をつきつけます。なんて素敵なんでしょう」って書いてます。そして、「私は、そのスタイリストぶりに惚れたのです」という風に書いてます。
その後、「私は、『分かられる人間』より、『分からないけど魅力がある人間』になりたい。だからこそ、私は、『なんだかよく分からないけど魅力がある人間』を放っといてくれない近代の『中途半端な』合理主義を嫌悪します。私にとっての江戸の歌舞伎とは、『自分に都合のいい分かり方』しか望まない近代の合理主義を撥ねつけてしまう、『なんだか分からないもの』の典型なのです」。つまり、「なんだか分からないもの」で放っておかない今の、近代から始まる風潮みたいなものと歌舞伎が、非常にマッチしたということですよね。だから歌舞伎だっていう風に思った、ということなんだと思います。
そして、「自分もそういう人間になりたい」からどうするかというと、『中途半端な説明を拒絶する徹底したスタイリストを可能にする構築とは何だ、という疑問解明に乗り出す』のです。つまり、自分も歌舞伎のように、なんだかよく分からない、そして中途半端な解釈とか理解とか、そういうものを跳ねつける強さ、そういうもの、そういう人になりたいし、そういうものを作ってみたい。そのために、歌舞伎の構造という、ここで江戸の歌舞伎が登場します。じゃあ、もともと、この歌右衛門たちのルーツに当たる、「よく分からないものを構築した構造」、仕組みは何かということに、橋本治はいき着くわけです。この『大江戸歌舞伎はこんなもの』という本、もしくは『江戸にフランス革命を!』という本は、橋本治なりに、なんだか分からないものを作り上げた江戸歌舞伎のシステムとか構造を分析した本なんです。
ちなみに、この画文集は、現代の歌舞伎なんですね。この感じ、分かりました? 今の歌舞伎役者のよく分からないおもしろさを書いた本。自分もこういう作品を作りたいなと思って考えた本が、これなんですね。
ここからが、実は今日の本題でございます。橋本治は自分の創作の糧にしようと、もしくは、歌舞伎はどうしてあんなにもよく分からないことが成立しているのかというのを知りたいと思って、様々に歌舞伎の構造を研究するわけです。
橋本治が見つけ出した、感銘を受けた、もしくは、客観的に僕が見て、これがきっと橋本治にとって重要な歌舞伎の構造であったであろうということを、3つのキーワードで、1個1個やっていくということなんですね。
1つ目は、「世界」という概念です。歌舞伎における「世界」。世界というと、私たちは、今、私が住んでる世界とか、「イッツ・ア・スモール・ワールド」とか、そういう世界を想像しますけれど、歌舞伎の概念における世界とは何かというと、歌舞伎作者が新作を書こうとした時に、真っ先に考えることが、この「世界」なんです。何もまだ決まってない。配役も決まってない。まぁ、俳優は決まってますけどね。まったく何の構想もない時に、江戸歌舞伎の作者は何を考えたか。世界を考えるんです。世界って何かというと、物語の類型なんですね。物語のパターン。物語の主要人物たちです。歌舞伎の場合は、無数にそういう世界が既にあるわけです。たとえば、『仮名手本忠臣蔵』は、「太平記」の世界ですね。「太平記」の設定を借りてきて、そこに赤穂浪士の物語を乗っけているわけです。『義経千本桜』は「義経記」の世界です。「義経記」という既にある物語のフォーマットを借りてきて、新しく作り直す。常に歌舞伎の作者は、まず世界を借りてくるところから始めるんです。
ここが現代の創作とずいぶん違う所です。現代は、すぐ盗作とかパクリとか言われるわけでしょ。ですけど、江戸の劇作に限らず文芸の方もそうですけど、借りてこない方がおかしい。借りてくるものの方が正統なんですね。ゼロから自分で作った世界よりも、何か世界を借りてきて、そこに自分の何かを乗っけるという作り方が一般的だし、正統なんです。歌舞伎の場合もそうです。世界をまず決める。
こういう本があります。『世界綱目(せかいこうもく)』という本がありまして、何かと申しますと、これは出版された本ではなくて、幕末の江戸の劇作家、つまり、歌舞伎作者たちが、写本でみんな持っていた本なんです。つまり、歌舞伎作者の「あんちょこ」なんです。何かといいますと、今は翻刻されて国立劇場から出てますけれども、「世界」のリストなんです。つまり、様々な世界がある。義経記の世界、太平記の世界、大化の改新の世界、様々な世界がある。
今、平家物語の世界のページを開いています。ここに「平家物語」と、「世界」の名前が書いてあります。次には主な登場人物がダーッといるわけです。平清盛を筆頭に、知盛、教経とか、ずっと続くわけです。次に引書(いんしょ)って書いてるんですけど、これが「原作は何か」ということです。この場合は、『王代一覧』という本。そして、次のページに行くと、「平家物語」「源平盛衰記」、これが原作です。この世界の始まり=原作ですよと。その後に、義太夫と書いてあります。先行作品です。今までどれぐらいの作者たちが、この平家物語の世界を借りて、こういう作品を書いてきましたというリストでございます。
これが延々、載ってるんです。200項目ぐらい。200の世界が、この本の中にリスト化されてるわけです。ですから、歌舞伎の作者は、まずこれをめくりながら、「次はどの世界にしようかな~?」って考えて作品を作っていたわけなんです。なんかロマンを感じません? この『世界綱目』って。すごい好きでね、『世界綱目』。今では、分からなくなった世界もたくさん入ってます。今でも古本屋でけっこう売っていて、二束三文みたいな値段でしてね。だいたい500円ぐらいで買えちゃう本なんです。余談ですけど、なんか好きでね、これ、見つけるたびに買っちゃうんです。古本屋さんで。放っとけなくて。これ、延々見てると、時間を忘れるんですよ。「こんな世界があるのか」って思うんでね。だから、なんか放っとけなくて。家に何冊もあって困っているんですけどね。そういう本がございます。この世界から選んでいくということなんですね。
たとえば、この「世界を選ぶ」というのがどれだけ作者にとって大事だったかが分かるひとつの例をあげます。江戸の当時の芝居小屋は1年契約なわけです。つまり、劇作家も俳優も1年間契約をして、その1年間は、中村座なら中村座で興行を打ちましょうという契約を結んでいるわけです。1年の始まりは11月の顔見世興行です。この顔見世興行のお稽古が始まる前、本を書く前、まずはじめにやることは何か。メンバー決まりました。劇作家も決まりました。プロデューサーもいます。その中でやるのは、「世界定め」という儀式。「儀式」兼「打ち合わせ」です。世界を定めるんです。具体的には、作者と座元――プロデューサーですね、お金を持ってる人――と、座頭=俳優のトップ、立女形=女形のトップ、この4人は最低集まって、密な空間で集まって(笑)、世界をどれにしようか決めます。新しいメンバーで行う新しい顔見世興行を、「どの世界にしようか」っていうのを会議で決めることを、世界定めと申します。
実は、世界定めの絵が残ってるんです(モニターに示す)。密ですね~(笑)。ここで注目するところは、筆と紙を持っているのが作者。「世界定め」という字が書いてあります。「立作者、恵方に向かいて筆を執ること」。つまり、世界はもう決まったんですね。じゃあ、たとえば、「太平記でしょう」と決まった。するとこの作者は、節分の恵方巻きと一緒で、恵方の方に向かって世界を書くんです、紙に。「決まりました!」っていうのをやる儀式があったんです、年に1回。というぐらい、世界は非常に重要なわけです。一から自分で作らない。元々あるものから借りてくるんだ、という発想。世界が決まって、次に作者は何を考えるか。「趣向」です。世界を考えた後に、趣向を考えるんです。つまり、借りてきたものをそのまま描いても面白くないわけですね。だから、何か新しい視点、新しい趣向を入れないと新しい作品にならないわけです。
ちょっと、これ説明しましょうかね。ドラえもんの映画、「ドラえもん」の世界になるわけです。のび太がいて、ドラえもんがいて、ジャイアンがいて、スネ夫がいる世界、出木杉くんまでいるわけでしょ。このドラえもんの世界だけを描いてたら、毎週やってる普通のドラえもんですよね。でも、映画版には趣向が必要。西遊記にしてみよう、みたいなね。ドラえもんという「世界」に西遊記という「趣向」を入れ込んで一本にするわけでしょ。ドラえもんという世界に、卑弥呼の世界を入れ込んできて、「日本誕生」でしょ? っていう風に、何かの世界に新しい趣向を放り込むわけですね。たとえば、『仮名手本忠臣蔵』で説明すると、「太平記」の世界に赤穂浪士の物語を趣向で入れ込むことで、あの作品が出来上がってるわけですよね、っていう風に、常に「世界」と「趣向」なんです。
もう1つ、『戯財録』という本があるんですね。これは、幕末の歌舞伎作者が、「こういう風に本を書くと良いです」っていうのを書いてる本で、「あなたも、明日から歌舞伎作者になれる!」みたいな本なんですね。これもやはり出版された本ではなくて、後世に伝えるために書いた、その人のメモ程度っていうか、覚え書きみたいな本なんですけど、その中にやっぱりこの「世界」と「趣向」が出てきます。
これは二代目の並木正三が書いた『戯財録』なんですけど、どう言ってるかというと、世界は縦軸。趣向が横糸なんだ。この合わさるところに作品は生まれる。そういう風に作品を織りなしていくんだと言っております。こういう発想で、歌舞伎の本はできている。すべての本がこういう世界と趣向の組み合わせでできているんですね。おそらく、これ、結構、橋本治的には、「はぁ、なるほど」と思ったんだと思うんですよ、この世界と趣向の話は、たとえばこの『大江戸歌舞伎はこんなもの』のほぼ半分を割いて書いていますから、結構、橋本治的には「胸熱ポイント」なんでしょうね。
なぜこんなことをするかというと、ひとつは、やはり現代と著作物の概念の違いがあります。つまり、著作権ありませんから。江戸の作者たちの考え方では、書いたものはシェアするものなんです。つまり、「自分の作品」はもちろん自分が書いた「自分の本」なんですけど、同時に「みんなの作品だ」となるんですね。世界を借りてきたわけですから。あと、「他の誰かがこれをいじってやってくれてもいいよ」となる。誰でも入れる、シェアできるところで作品を保管していくわけです、イメージですけど。まず、そういう考え方があるわけです。橋本治も、盗作について書いてる文章なんかあると、「えっ? 何が悪いの?」みたいな感じなんですよね。たぶん、それはやはり「世界を借りてくる」というところにある種の憧れがあったからだと思うんです。
そして、世界を借りてくることの効果です。効果あるんです、これ、やっぱり。どういう効果かと申しますと、一から説明しなくていいんです。これ、大きいです。たとえば、我々、お芝居とか観に行って、「何か面白くない」っていう時って、だいたい世界観に入り込めない時ですよ。「そんなことある?」とか、「そんなこと起こる?」とか、「うわ、リアリティないな」とか思った時に、やっぱり引いちゃうわけでしょ。でも、世界を借りてくれば、それがまずない。
普通のお芝居を観に行って、男女のカップルが登場すると、たとえば、どういうカップルなのか考えますよね。これは健全なお付き合いなのか、なんか違うのか。どっちが惚れているのか。ラブラブなのか、もう末期なのか。いろんなこと考えますよね。セリフの端々で関係性を見せていくところから、まったくの新作の場合は考えないといけないし、書く側も注意しないといけないわけですけれども、世界を借りてくると、義経と静御前が登場すれば、もうカップルなんです、それは。誰が観ようとカップル。どういう関係か分かるわけですよ、この2人の関係は。本妻がいるんだけれども、実は違ってどうのこうのとか、この後こうなってって分かるわけです。関係性を説明する必要がないから、観客がスッと物語に入ってこれるんです。前提を共有した状態で、ドラマが進行していきますから。
趣向を入れる理由は、世界を借りてくるわけですから、この作者が新しく付け加えたものがよりクリアーに見えるんです。静御前と義経ですけれども、めっちゃ仲悪いとかね。そうなると、「あっ! この作者は、いわゆる悲恋の2人ではなくて、2人のある種の夫婦喧嘩的なものを新しく今回趣向として付け加えたな」と分かる。元々のものが共有されてますから、その作者が何を変えたかが、非常にクリアーに分かる。ということは、作者が言いたいこと、伝えたいこと、もしくは面白がってほしいポイントがよく分かります。だから、これ、非常に便利な構造なんですね。
そう考えると、たとえば橋本治の『リア家の人々』は、シェイクスピアの『リア王』の世界借りですよね。そこに日本の近現代史を「趣向」で持ってるわけです。ある種この構造で、あの物語は出来上がっているわけです。あと、特に橋本治の場合は、戯曲にそれが結構よく出ています。『ボクの四谷怪談』という作品がありまして、もうだいぶ前にシアターコクーンで蜷川幸雄演出で上演されました。観に行きましたけど、そんな面白くなかったです(笑)。でも、面白くなかったことと、勉強になるかは違いますからね。でも、確かにあれはやっぱり世界と趣向なんです。つまり、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』を70年代に置き換えるわけです。けれども、完全に70年代の風俗ではなくて、そこには、いわゆる江戸時代的なお岩さんも登場するんですよね。その中で、橋本治的に四谷怪談の世界を借りて、70年代という、当時の現代を織り込んだ。若い頃書いたそうです。劇作のほぼデビュー作っていったかな? なので、当時の現代というものを織り込んで、物語を紡いでいったわけです。趣向というのは、基本的に現代なんです。つまり、どんどん古びていくんです、趣向というものは。古びていいんです。機織りをしていても、どんどん織っていったら、糸はまくっていきますよね。古くなっていくわけですよね。だから、趣向は古くなっていいんです。鮮度が大事。世界は、逆に動かない。世界は続くわけです。
あと、読んでなくて喋るの申し訳ないですけど、『義経伝説』というのがあるんですって。みなさん、ご存知? あれ、ロッキード事件なんですね。ロッキード事件と義経記の世界、「ああ、世界借りかな」と思ったりします。あと、これも読んでませんけど、『ハイスクール八犬伝』。『南総里見八犬伝』の世界を高校生に置き換えてるというものだそうです。という風に、この「世界」と「趣向」で作品を考えるのは、橋本治のいくつかの作品に如実に見ることができるというところで、ちょうど今、1時間経ったそうでございますので、残り2つのキーワードは後半に置いといて、ここで休憩を入れたいと思います。
(休憩)
後半戦でございます。ちょっと前半のおさらいをしておきましょう。まず、橋本治がおそらく影響を受けたであろう歌舞伎の構造、もしくは、作品を作る時に歌舞伎がどういうことをしてきたか、どういうことをしているかということがあります、というお話をしました。それを今日3つ紹介しようと思います。そのうちのひとつが「世界」と「趣向」でございました。これは、おそらく、橋本治がかなり念頭に置いて、様々な作品を考えていたのではなかろうかという気がするということです。
そこで、ふたつ目は「ニン」と「ハラ」なんですね。漢字もいろんな表記があるんですけど、一応、「仁」を使っておきましょうかね。仁と肚(腹)です。これは何かと言いますと、先ほどの「世界」と「趣向」は、まず歌舞伎作者が真っ先に作品を作る時に何を考えるか。世界を考える。そして趣向を考える。同じように、歌舞伎役者がある本を受け取った時に何を考えるか。ニンとハラなんです。つまり、作者における「世界」と「趣向」のように、歌舞伎俳優はニンをまず考えるわけです。ニンとは何かなんですけれども、今でも、「ちょっと僕のニンじゃないから」とか、そういう風に使うこともあるんですが、その俳優の得意としている役柄、キャラクターのことですね。
大きくは、「立役」と「女形」に分かれます。そして「敵役(悪者)」と、大きく3種類に分かれるわけです。そこから様々、細分化されていきます。若い女性なのか、とか。立役の中でも、ものすごい強い荒事(あらごと)のニンなのか、同じ色男、格好いい男性でも、和事(わごと)のニンなのかっていう風に、いろんなパターンです。世界の人物のパターンなんですね。これも時代物シリーズのニンと、世話物(江戸当時の現代劇)シリーズがあるわけですが、時代物に限定して数えてみますと、細分化しても二十数個しかない。たとえば、「赤姫のニン」=赤い衣装を着たお姫様のニン、とか。世界中には様々な人がいるわけですよね。みんな個性が違う。でも、歌舞伎の場合はそうではない。十人十色ではないんですね。二十何通りしかない。老若男女、良い者も悪者も、みんな、この二十いくつかのキャラクターの中で収まるようになってるんです。もちろん歌舞伎作者も歌舞伎俳優のニンに当て込んで書いてるわけです。で、本を受け取ると、歌舞伎俳優は「なるほど、自分のニンだな」と思うのか、「自分のニンじゃないからどうしようか」っていう風に、その二十何個のキャラクターから、何かを選び取るわけです。
では、具体的にニンがどういうものか、少し映像を見ながら深めていきましょう。様々なニンが大集合する演目があるんです。それは正月狂言で江戸時代も上演されていました『暫(しばらく)』という演目で、様々なニンの俳優が集まっている「ニン図鑑」なんですね。どういう人か、観ただけで分かります。「ああ、二十何通りのキャラクターって、こういう感じなんだな」というのを感じながら見ていただきたいと思うわけです。(映像を観る)
この人、いかにも悪そうでしょ。敵役の中でも、そんなに偉い人ではない。赤っ面のニンでございます。小悪党。こちらが大敵役のニン。そこに、道化役がいたり、こちらは、良い者のニンですね……分かりやすいでしょ。これが二十何パターンあるわけですよ。これは坂東玉三郎さんの『女暫』ですので、玉三郎さんが登場する。玉三郎さんは主役のニンでございまして、本当は立役がやる役なんですけど、これを女形版に改編したものが『女暫』でちょっとややこしいんですけど、見るからに強い。いわゆる荒事のニンです。形だけでも大きいわけです。グッグッグッと直線的な動きで、ドーン、ドーン。大仰にやっています。どういうシーンかというと、悪者たちに良い者たちが囲まれて、間一髪! 「皆殺しになってしまう!」っていうところに、スーパーヒロインの巴御前が、「しばらく!」って登場して全員を救う、そういう話です。
つまり、ニンというのは、フォルム(形)と演技体も含みます。つまり、見ただけで分かるわけですね。道化役なのか、強いのか、弱いのか、偉いのか、偉くないのか分かる。その上で、演技体も決まってくるわけですね。そういうキャラクターでございます。せっかくなので、玉三郎さんがすごい強いところまで観てみましょう。ちょっと面白いんですよ。ショッカーみたいな悪者がいっぱい出てくる。それを一網打尽に、ものすごい速さでやっつけるっていうシーンがありまして、お気に入りのシーンなんです。一瞬で終わりますから、みなさん、瞬き禁止でございます。
「ニンというものはこういうものですよ」っていうことが分かりやすいかと思って観ていただきました。でも、ニンだけで役は成立しないわけです。さきほどの芝居は、割とニンだけでやってますね。見たままのキャラクター。これだと、できる演目も限られますね。勧善懲悪ものしかできなくなってくるわけです。この次に歌舞伎俳優が何を考えるかというと、ハラなんです。
ニンというのは主にフォルムを伴います。ビジュアルを伴います。ハラは見えない。心の中なんですね。生理、心理です。我々も、「腹に一物ある」とか、「腹黒い」とか、「腹を割って話そう」とか、気持ちを表すのは腹って言いますよね。歌舞伎の場合もそうです。ハラなんです。もちろん、これはハラがないっていうことではないんです。強い人は強いハラ。そのニンとハラが一致しているから、ひとつに見えるわけですね。
歌舞伎俳優は、これを微妙にズラしたりします。ズラすことによって、その役の深みを出すわけです。ズラさないと、二十何通りのパターンしかない。そこにニンとハラをいかに組み合わせ、いかにズラす、もしくはズラさないのか、というところに歌舞伎俳優の役作りのクリエイティブがあるんです。
たとえば、『仮名手本忠臣蔵』というお芝居があります。お軽という人物が3回登場するんですけど、はじめは腰元です。これがちょっと、勘平(かんぺい)という恋人といちゃついてる間に大変な事件が起こってしまって、「もう、家には帰れない」となって、実家へ引っ込んじゃうんですね、カップルで。京都と大阪の間の山崎というところです。自分の実家に勘平も連れてきて、山猟師をさせるんですね。だから、2回目の登場の時は、腰元じゃなくて女房なんです、ニンとしては……なんですけど、こういう口伝(くでん=口で伝えられたこと)があります。『仮名手本忠臣蔵』六段目に登場する「女房に変わっているお軽」を演じる時は、「腰元の気持ちで演じろ」。つまり、ニンとハラをズラすんですね。その時に、女房の気持ちで演じるな。元腰元ですから。そうすることによって、甲斐甲斐しく、腰元のような行儀良さで勘平の世話を焼いている、でも、見た目は世話女房のニンなんですね。というところに、「ああ、この人、元腰元だったな」とか、実家の貧しいあばら家に自分の恋人(勘平)を連れてきちゃって、「私のせいでごめんね」っていう気持ちが出るわけです。次に出てくるのは七段目。勘平がなんとか討ち入りに参加できるように、お金の工面するために、自分は身を売って廓にいるわけです。そこで、「実は、勘平が死んじゃったよ」っていうのを聞くわけです。そこを演じる時は、今度、「女房の気持ちで演じろ」という口伝があります。でも、形は遊女なんです。遊女のニンなんですけど、ハラは女房のハラ。ズラすわけです。するとどうなるかというと、勘平の死を聞いた時に、非常に取り乱すんです。その時に、形は遊女なんだけれども、心の中は勘平を愛していました、という深みが出るわけです。
これが全部ニンとハラが一致していると、単に人物が変わっていっただけなんですよね。そこをズラしていくことによって、お軽という人物の深みが出てくる。そういう風に、歌舞伎の役というものは役作りされていて、今でもそうされてるみたいです。
若干余談になりますけど、「コクーン歌舞伎」(東京・渋谷Bunkamura内の劇場シアターコクーンで行われる歌舞伎公演)で、2018年に『切られの与三』という作品を補綴(ほてつ=既存戯曲の再編集)させてもらって、歌舞伎俳優さんたちがいらっしゃって、稽古場にずっと行ってたんです。で、役を書くわけですよ。元々ある、お富、与三郎の本なんですけど、長らく上演されてない場面も出しましたので、みんな観たことないわけですよね。その役はどういう役かって。すると、衣装合わせの日に――あるんですよ、衣装合わせの日が。松竹衣裳のおびただしい衣装を稽古場に持ってきて、歌舞伎俳優さんがそれを選ぶという日があるんです――たとえば中村扇雀さんとか来てくれて、「木ノ下くん、これはどういうニンなの?」って聞くわけです。僕も歌舞伎好きですから、やっぱりニンを考えて書いていましたから、「これは、こうこう、こういう芝居のこういうイメージですよ」って言ったら、「あっ! 分かった」って言って、急にそこから役作りが進むんですよね。だから、歌舞伎俳優さんが新しい役に取り組む時に、「ニンを考えるんだな。その後、ハラを考えていくんだな」っていうのは、今でもそうなんだっていうことをちょっと勉強しました。もちろん俳優さんにもよるんでしょうけれども。「今でも、ニンとハラの発想は生きているんだ」と思った記憶があります。
ですから、みなさん、歌舞伎を観る時にぜひ、「この役はどのニンで、どのハラでやってるんだろうか」というのを考えながらご覧になると、面白さが増すと思います。もうちょっと言うと、戻りますけど、世界と趣向がやっぱりそうです。「この話は何を世界にしていて、何が趣向なのかな」と思いながら歌舞伎を観ると、また歌舞伎の観方が深まっていきますよ。きっと橋本治は、そういう風に歌舞伎を見ていたんだろうと思います。前半に観た中村歌右衛門の非常に不可解な政岡も、おそらく、この、ニンとハラのズレなんですね。観た感じは位の高い乳母なんですけれど、そこに母親というハラが入ってくる。それが交錯するということですよね。その中で、あの不可解さが生まれていく。1本の芝居の中で、何度もこのハラを交換していくような、そういう深みなわけです。
橋本治が、どの本だったかな? 『江戸にフランス革命を!』の中かな? に、「東海道四谷怪談の乳母の『おまき』という役がとても面白い」ということを書いてます。どういう役かというと、お岩さんに毒薬を届けに来る隣の家の乳母なんです。何が面白いかと言うと、この乳母を初演した人が、いわゆる乳母的なおばあさんではなくて、若い綺麗な女性を得意としていた女形なんだっていうんです。これは、市川おの江という俳優で、写楽も絵で残しています。そこに橋本治は着目する。つまり、毒薬を届けに来るおまきという人物は、毒薬と知っていたのかどうかっていう問題なんですね。これは本の中ではどっちか分からない。産後の肥立ちが悪いお岩さんに、「これ、血の道によく効く薬なんで、体が良くなりますよ」と言って持ってくるんです。おまきは本当にそれを血の道の妙薬だと思っていたのか、毒薬だと分かって血の道の妙薬と渡したのか、これ、分からない。橋本治はここに、南北、もしくは座元が、その時にいかにも悪いオバサンみたいなニンを持ってこなかったことが見事だと言うんですね。歌舞伎の場合は、見たまんまですから、市川おの江がやってるということは、まぁ、見た感じ、良い乳母。でも、この良い乳母が毒薬を持ってくるところに、悪意のない怖さが出ると。つまり、勧善懲悪ではなくて、「どこまで誰が知ってたの?」っていう怖さが出るんだ、ということですね。これはやっぱり、ニンの配置のうまさなんです、きっと。その市川おの江が、どういうハラでやってたかは分かりませんけど、ひとまず悪くないニンでやったということを、橋本治は非常に評価しているんですね。
そういう風に、橋本治はやはり、ニンとハラに興味があったんだと思います。ここで考えたいのは、『桃尻娘』はニンとハラでできていると考えることはできないかっていうことなんです。つまり、女学生です。高校生から始まるわけですね、第1作は。非常にリアルな高校生なんですが、いわゆる我々が思っている高校生ではないですよね。つまり、ドラマなんかで描かれるような、ステレオタイプな清純なイメージではないわけです。もっとリアルというか、「高校生って、こんなこと考えてるのかな?」って思うわけです。しかも、よく読んでいくと、いかにも高校生っぽいところもあれば、成熟した考え方のところもあれば、達観したばあさんみたいなところもあるわけでしょう。混在している。幼さと、何て言うか、性に対しても成熟しきらない感じを抱えながらも、あるところは達観したおばあさんのような発想もする。これは、女子高生というニンの上で、ハラで遊んでいくような感覚の気がするんです。『桃尻娘』という作品は。
『桃尻娘』の最後に、橋本治の第1作のあとがき(ポプラ文庫版)の部分にロングインタビューが載っています。この中で、こういうことを言ってるんです。様々な参考作品はあったと。ジャン・コクトーの『声』とか、谷崎潤一郎の『卍』とかあるんですけれども、その中でも、女のモノローグで何かおもしろいものができるかもしれないなと思わせてくれたのは、鶴屋南北の『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』なんです。『桃尻娘』の背後には、鶴屋南北の『桜姫東文章』があるんですね。ここで3つ目のテーマに移ります。
3つ目のテーマは、鶴屋南北です。『桜姫東文章』がどういう作品なのかを説明しなきゃいけないんですけれども、急に難しいので、まず鶴屋南北という作家がどういう作家かということから、説明していきましょう。
橋本治は鶴屋南北が大好きなんです。もう一人挙げるなら、鶴屋南北の師匠の一人でもある初代桜田治助(さくらだじすけ)という人がいます。この桜田治助と鶴屋南北のファンなんですね。歌舞伎の面白い作品で引用するもの、もしくは、解説するために例に挙げるものは、だいたい南北の作品か桜田治助の作品です。特に南北には非常に思い入れがあったようで、いろんな本に南北のことを書いてますけど、インタビューで、「わが生涯、初めての読書体験は南北である」と言い切っています。つまり、それだけ入れ込んで読んで、ある深みにハマっていった初めての作家は鶴屋南北である、と。どうやら、大学に入る前後に読んだらしいですね。奇しくも、『鶴屋南北全集』が発刊されるのが1971年。ちょうど学生時代なんです。これで割と簡単に、南北の一応の全作品、現存する主な作品はだいたい読めるようになるわけですね。これを橋本治は興奮しながら読んだということなんです。
橋本治は鶴屋南北のどのあたりに共鳴したのか、ということなんですけど、鶴屋南北が劇作で行った、ある革命があるわけです。大きく2つあるんです。1つは、鶴屋南北という人は、先ほどの1番目の、世界と趣向のシステムを非常にうまく使える作家です。世界と趣向のシステムを極めた人ですね。これ以上ないというぐらい、やり尽くした人。ちなみに、この世界と趣向をうまく使うというのが、南北の師匠でもある桜田治助から引き継いだものなんですけれど、その桜田治助から引き継いだものを、南北がよりブラッシュアップするわけです。
どういう風にうまく使うかというと、普通は1つの世界に対して趣向があるわけですけれど、南北の場合、2つの世界を同時にやっちゃうんです。世界を2つ以上、縦糸を増やしてしまう。たとえば『桜姫東文章』を考えてください。あれは、梅若という子どもを亡くしたお母さんにまつわる、「隅田川」の世界なんです。それだけでいきゃあいいのに、いかないんですよ。そこに清玄と桜姫という、全然関係のない世界をもう1個横につける。何の共通点もないんですよ、このふたつの話は。「隅田川」は、東京の隅田川で伝わっている古い話なんです。「桜姫」は、清玄というお坊さんが桜姫の肉体に迷ってしまって、破戒坊主に身を滅ぼしていくという話でしたね。まったく関係ない。それをあたかも同じ世界かのようにドッキングするんですね。
その発想も面白いんですけど、たとえば、桜姫の弟が梅若丸っていう風に、勝手にそういう設定を作るわけです。シャレみたいなもんですよ、梅若丸。先行作品に松若丸が登場するのがあるんです。近松門左衛門の『雙生隅田川』という作品があって、これは、梅若、松若という兄弟。本当は、世界には梅若しかいないんですけど、そこに新しいキャラを付け加えて、実は梅若、松若という双子の兄弟だった、という趣向で書かれた本があるんです。それも取り入れて、梅松桜姫で語呂が良いって、それだけの理由でドッキングする。そのドッキングがうまいんです。
そうやって世界を乱立させながら、趣向もたくさん入れます。当時流行っていたものとか、当時評判になったもの。たとえば、桜姫はお姫様なんですけど、だんだん身を持ち崩していって、最後は安女郎にまで身を落とすんですね。それは、本当に元公家の娘だったんじゃないかという噂の遊女が当時評判だったんですって。そういう同時代のゴシップネタも入れてくるわけです。2つの世界を掛け合わせて、物語を展開し、趣向もまた3個入れますから、これ、綯(な)い交ぜと言うんです。鶴屋南北の劇作の大きな特徴は、綯い交ぜの構造なんです。綯い交ぜとは、もうひとつ。混ぜるんですよ、縄を編むごとくに、綯(な)う=よりあわせる。縦糸を編みこんで1個にしちゃうんですね。
2つ目、これは生世話(きぜわ)です。生世話物の確立。何かというと、当時の世話物というのは、庶民が主人公、登場人物なんですね。時代物というのは、歴史上の人物たちが主な登場人物。それに対して、庶民が出てくる世話物。その世話物に生がつく。生な世話物。生々しいんですね。当時使われていた、いわゆる普通のお兄さんお姉さんが喋っているような、超口語を舞台に上げてしまうんです。それまでの歌舞伎は、浄瑠璃を基本にしていますから、割と整った言葉なんですね。劇の言葉なんです。劇の言葉も使うけれど、あるところは、その辺の兄ちゃん、お姉ちゃんが喋っているような生の言葉で、その辺にいるような服装で、その辺にある裏長屋みたいなものを場面設定にした、スーパーリアリズム。そういうのが生世話なんです。この2つ、綯い交ぜの手法と生世話というスタイルを確立したのが、鶴屋南北の大きな仕事でございます。
やっと「桜姫」に行けます(笑)。桜姫が何かと言うと、やはり、この綯い交ぜです。2つの世界が綯い交ぜになっているんですけど、生世話はどこに出てくるかと言うと、先ほど「女のモノローグでおもしろいことができるんじゃないかと思ったきっかけは、桜姫東文章である」と橋本さんが言ってましたけれど、桜姫の言葉がおもしろいんです。桜姫、元々公家ですから、言葉遣いが丁寧なんですね。いわゆる位の高いお姫様の言葉。それが、ある悪い男に引っかかって、安女郎まで身を持ち崩していく間に、どんどん言葉が変わっちゃうんです。だから、最終的には、公家言葉と落ちぶれたお女郎さんの汚い言葉がチャンポンになっていくところが、見せ場なんですよね。
これ、本当は誰かの映像で観ればいいんですけど、映像がなかったもんで、棒読みで申し訳ないんですけど、一端だけでもご紹介できればと思います。場面は、最下層の遊女に身を持ち崩している桜姫が、清玄っていうお坊さんに言い寄られて、この清玄が途中で死んじゃうんですね。死んだら幽霊のストーカーになって桜姫につきまとうんですけど、桜姫はその時、肝が据わってますから、まったく幽霊を怖がらない。その幽霊に向かって啖呵切るっていうシーンがあるんです。
「幽霊さん」って言うんですね。「幽霊さん、いやさ、そこに来ている清玄の幽霊殿」、この一文だけでもチャンポンです。「幽霊さん」というのは庶民的な言葉ですよね。「いやさ」も結構な庶民的です。いやさって言うから生世話でいくのかなと思いきや、「幽霊殿」って「殿」つけちゃうんですね。これは、いわゆる公家言葉になるわけです。「つきまとうような性(しょう)あらば、ちっとは聞き分けたが良いわいな」。「自らが」って、自分のこと。公家言葉ですね。「自らが先々を鞍替えするも、そなたの死霊がつきまとう故」、この辺までは丁寧な言葉ですよね。このまま硬い言葉でいくのかなと思いきや、「馴染みの客まで遠くなるわな」、世話ですね。またくだけるわけです。「ええ、人の稼ぎを邪魔をするのか」、ここは世話ですね。その次、「妨ぐるのか」、これも、急に、また公家の言葉になります。そういう風に、非常に短いセンテンスで、公家言葉と安女郎の生世話の言葉が、チャンポンになっていくんです。これは、つまり、ハラが変わるわけでしょ。一行の間にハラが目まぐるしく変わっていくわけです。観た感じは安女郎。ニンは安女郎ですよ。そこに公家のハラがうまく入ってくるのが、『桜姫東文章』の大きな見せ場なんですね。
これを参考にしながら『桃尻娘』を書いたと思えば、『桃尻娘』は、女子高生のニンに、どういうハラを持ってくるか。その中でどれだけ深いモノローグを展開させることができるのかということを、橋本治は考えたのではなかろうか、ということでございます。
鶴屋南北の話はもう少しやっていきます。南北は非常にいろんなことがうまくて、たとえば『東海道四谷怪談』は有名な作品ですけど、そもそもお岩さんの話は、当時からある種の都市伝説としてあった物語の世界を借りてきて書いてるわけなんですけれど、趣向もうまいわけです。同時代のゴシップニュースみたいなものもいち早くドラマに取り込むんです。たとえば『東海道四谷怪談』でいうと、まず「戸板に打ちつけられた不義密通」。不義をした死体、どうやら武士の奥さんと家来の男女らしい死体が戸板に打ちつけられて川に流れていた、という話があるわけです。それとはまた別に、深川のずっと奥の方で、心中した若い男女の死体が流れつく。ちょっと前に起きた同時代の事件を集めて『東海道四谷怪談』という作品を書くんですよね。
この感じも、ちょっと橋本治に共通するものを感じるわけです。『橋』という作品がありますね。あれは、少し前ですけど、同時代に起こった2つの殺人事件を、この2つの事件がもし何かしら関係があったらという風に、繋げて考えて描いた小説ですよね。ですから、同時代の取り込み方、まったく関係のない事件に何かしらの共通点を見つけて描き出そうとする手腕というのは、非常に鶴屋南北的と言えば鶴屋南北的です。つまり、鶴屋南北という人の生世話なんです。生世話がけっこうミソでして、生世話というのは現代。今まさにしゃべっている人の言葉をそのまま舞台に乗せるわけですから、リアルなんです。現代なんです。
でも、でもですよ、『桜姫東文章』は、ものすごい古い話ですよね。梅若伝説にしても、清玄桜姫にしても。だから、時代劇をやっているのに、急に現代が生世話で入り込んでくるわけです。『東海道四谷怪談』は、『仮名手本忠臣蔵』をある種パロディ化して、しかも『仮名手本忠臣蔵』は、太平記の世界を借りてます。『仮名手本忠臣蔵』ってすごい複雑で、そもそも太平記の世界なんですよ。うんと古いんですよね。そこに赤穂の事件が入り込んで、二重構造。『四谷怪談』はそれをパロってますから、時代劇なんですよ。だから、設定も太平記の時代のはずなんです。けれども、そこに現れる、お岩さんにしろ、伊右衛門にしろ、直助権兵衛(なおすけごんべえ)にしろ、みんな、“現代”の人なんですよね。だから、時間軸がいびつなんです。たとえようがないんですけど、大河ドラマで「麒麟がくる」を見ていたら、織田信長とか登場人物たちが、普通に渋谷のセンター街にいるお兄さんみたいな人のようなものですよ、場面が変わってあるところでは。甲冑を着てやってる場面がパンと終わったら、急にセンター街に飛んで、同じ話と思えというわけです。無茶な話でしょ? でも、そうやって、時代劇のはずなのに、ある時にポーンと現代に飛ばして、現代を描く。その現代や書いたものが、カットが変わったらまた時代劇に変わるっていう風に、時空を超えて、現代と過去を往復しながら大きなドラマを生んでいくんです。
つまり、最近起こった凶悪犯罪も、太平記の時代に起こった争いも、こういうところでは共通してませんか? っていうことですよね。歴史を長い目で見て、現代の側から過去の側までずっと見通して、生世話という手法によって往復させることで、長い隔たりのある過去と今を繋げるんです。この生世話の手法も、ちょっと橋本治的でしょ……という感じが、私はしているということなんですけれども、脈絡なくお話ししました。
少しまとめておきますと、世界と趣向というものがある。そして、ニンとハラという問題がある。そして、最後は鶴屋南北。この3点ぐらいが、おそらく創作において橋本治に大きな影響を及ぼしたのではないかというのを、断片的な言説を取り上げながら、ちょっと考えてみたということです。
で、ここからなんですよ。ここからでございます。ここで3つは終わり。まとめに入っていきます。橋本治は『大江戸歌舞伎はこんなもの』のあとがきに、こういうことを書いてるんです。読み上げませんけれど、なんだかよく分からない歌舞伎って良いんだっていう風に言ってました。なぜ良いのかって、もう少し考えると、っていう風に書いてます。歌舞伎が一番良いのは、たとえば敵討ちの話があったとして、「今からやっと仇がうてるぞ!」っていう時に、「まずは、これぎり」って言って終わる。結末まで書かない。起承転結の結がないところがまた良いっていうんですよ、橋本治は。
なぜ良いかというと、「世界はそういうもんだ」って言うんです。つまり、何かに対して、捉えどころがないんだ、世界というものは。なんだかよく分からないものだ。それに、「いや、これはこういう、こうこうこういうことで起こった」っていうのを分析したがるのは、近現代人なんだ、その発想は。と言うんです。江戸の人たちはそうは思ってなかった。自分が何か行動することによって何かが変わると思ってなかった。常に我慢をしていた。我慢はするものだと思っていた。だから、ドラマの最後まで描かずに、掴みどころなく終わっていけるんだって言うんです。
しかも、個人という感覚も、現代人とは違うはずだと。いわゆる自我というものがあって、「私がいて世界」ではなくて、一人の人間の中に様々な人が住んでいたりする。ですから、個人と世界という関係性や捉え方も、現代と江戸ではずいぶん違うし、この世界は何とかなると思っているのは、現代人の思い上がりだと。若干、誇張してしゃべってますから(笑)、ちゃんと読んでくださいね、すいませんね。ですけど、そういうことです。結末まで書かない。だって、世界はそう簡単には収まってくれないもの。創作を超えて、人間としてどう生きるかということを考えた時に、橋本治が一番歌舞伎から学んだのはそこだっていうことなんですね。世界をどう捉えるか。訳の分からないものなんだ。その中で生きていくしかないんだ、っていうことを、歌舞伎から、もしくは江戸から学んだという風に書いてるわけです。
是非、橋本治の歌舞伎論、言うても3冊ですから、読んでみてもらいたいと思います。非常に素晴らしい歌舞伎論です。「なるほどな」と思って読むんですけれども、やっぱりちょっと、僕は少し異論を唱えたいわけです。ここまででひとまず橋本さんの話は終わります。
分かるんですよ、「世界とはそういうものだ」っていうのは。敢えて歌舞伎を「こういう解釈だ」とか、「政岡の気持ちはこのはずだ」とか、合理的な解釈をしないことの大事さも分かるんです。分かるんですが、私は読んでいて、橋本治の歌舞伎論をそのまま、「ああ、これ、なかなか結構なものだな」と思って受け止めてるだけじゃ、やっぱり良くない気がしました。これを超えていかないと良くないなと思うんです。
つまり、はじめに戻りますけど、橋本治が歌舞伎を観ていたのは80年代です。あの歌舞伎を観ていたわけですよね。ということは、あの時代性なわけです。そこから30年経っているんです。当然古くなるわけです。橋本治の歌舞伎論だって、きっと。つまり、その間に時代がどんどん変わってるわけでしょ。バブルだって弾けるわけですから。その中での歌舞伎の役割と、80年代の歌舞伎の役割は違うと思うんですね。古典というものは、常に、現代との距離感の間で生まれてくるものですから、現代の距離が変われば、自ずと古典の見え方も変わるわけですよね。だから、橋本治の時代は、まだ世界と趣向がなんとか通じたかもしれない。そして、そういう不可解な人間の面白さを体現できる俳優がいたのかもしれない。いました。しかも、時代はバブル。その時代の歌舞伎論と、今の歌舞伎論は、やっぱり違うはずなんです。違って然るべきなんですね。
何が違うかというと、今、現実の方が、歌舞伎の荒唐無稽さ、支離滅裂さを追い抜くでしょ。つまり、凶悪犯罪っていったって、まだ「四谷怪談」の方が分かりますもん、理由が。でも、もう人間の理解を超えた事件が起きる。当然、そこには、橋本治が問題視していた松本サリン事件があったりするわけですよね。そういうものを経ての今ですからね。理由のない災害も起こるんですよね。理由のないウイルス流行るんですよね。こういう時に、いつまでも、「いや、世界はそんなもんだ」って言ってていいのかっていうことです。
そういう目で見れば、歌舞伎の中にも、ある種疫病が流行った時代に書かれた作品があるんです。たとえば、河竹黙阿弥の『三人吉三』なんてそうなんですよね。そういう目で読めば、つまり、安政の大地震から5年かな? コレラの大流行から2年かな? ぐらいに書かれた作品だという風に、河竹黙阿弥の『三人吉三』を読み込んでいくと、「ああ、なるほど。これを書いた理由が分かるな」と思う瞬間があるわけです。「これはたくさんの人が理由なく死んでいった後に、何を上演するかということを黙阿弥は考えたから、あんなにも馬鹿馬鹿しい地獄の場面が入ってくるんだな」と思うわけです。つまり、「みなさんが亡くされた身内の方は、今、こんなにも楽し気な地獄で仲良く暮らしてますよ」っていうことかもしれないと思うわけです。
申し上げたいのは、何か分からない、よく理由が分からない歌舞伎を楽しむ。結構です。世界と趣向を楽しむ。結構です。ハラとニンを楽しむのも結構ですし、綯い交ぜの手法うまいなと思いながら観るのも結構ですけれども、もうそこから30年経ってますから、この後の我々の歌舞伎のお客さん、もしくは、歌舞伎について考える人間の使命としては、今もう一度、歌舞伎をどう読み解き直せるか。橋本治の歌舞伎論をどう超えていくか。もしくは、「超えていくか」っていう問題が悪ければ、橋本治の歌舞伎論をどう更新していくか。現代に合わせてチューニングしていくかっていうことが、歌舞伎研究者、もしくは歌舞伎関係者、そして、歌舞伎ファン、歌舞伎のお客さん、全員の課題ではないかな、というところを話し終えまして、ちょうど時間でございます。ひとまずこれで、お話の方は終えたいと思います。どうもありがとうございました。
河野:せっかくの機会ですし、木ノ下さんにご質問ある方、挙手をお願いします。
受講生:最後のところの「超えていく」っていう時に、午前の三田村先生の話だと、「近代っていうのはまだ始まってない。始めていかなきゃいけないんだ」っていう話がある。一方、「いわゆる近代というところでの合理主義的な解説を歌舞伎に当てはめちゃイカンのだ」っていう話が今度あった時、木ノ下先生のお話を聞いて、「超えていかなきゃいけない」っていう時に、橋本さんのお土産としては、メッセージに還元することをしない。つまり、「これが河竹黙阿弥のメッセージですね」って言ってしまうとそこで終わってしまうような気がするんです。つまり、合理主義的な、橋本さんが否定したようなことは簡単にできてしまう。それをしないということが、たぶん橋本さんを通して、これから私たちが歌舞伎を観ていく時の、一番の首根っこ押さえられてるところなんだろうなと思うんです。そこについて、どのように思われますか?
木ノ下:いや~、痛いところを突かれました。そこ分からないです、僕も。でもね、本当にメッセージを読み取ろうとすることとか、合理的な解釈をすることが、ダメなのかって言いたいわけです、僕は、もう一回戻ってもいいんじゃないかっていう気もするんです。戻るっていうのは、元に戻るわけではなくて、つまり、冒頭で「そういうことをするのは野暮」っていう風に、歌舞伎が「撥ね返してくる」っていう風に橋本さんは書いてましたけど、もう野暮を承知でやる勇気だって必要じゃないかっていう気がするんです。
まとまらずしゃべりますけど、たとえば、近代において、合理的解釈で歌舞伎を読み直した俳優がいるわけです。明治の九代目市川團十郎と、大正から昭和にかけての六代目尾上菊五郎。この2人がある種、近代において歌舞伎を合理的に構築し直した人なんですけど、橋本治はこの2人に触れない。ほとんど出てこないんですよ、本の中にも。この2人を避けて歌舞伎を語るって、けっこう離れ技というか、よくこんなにもうまく逃げられたなっていう感じがするんです。だから、それに対して橋本さんが「六代目はこうだからダメだよ。九代目、こうだからダメだよ」って言ってくれてれば、なんか首根っこ押さえられてますよ。でも、そこを放置してるから、そっちに可能性なくない? っていう感じがしてるってことですかね。
まぁ、難しいんですよね。「これはこうだ」っていう合理的な解釈とか、限定してしまうことになりますから、危ないです。それをするのは危ないですけれども、ただ、これ、本当に観念的な話で申し訳ないですけど、そもそも橋本治が言うように、歌舞伎というものはロジカル(論理的)にできてないんだと。独特のロジックでできている。世界と趣向があったり、ハラとニンがあって、現代人の理解を超えてるものなのだということを分かりつつも、そこにどう合理的な視点も放り込んでいくかっていう、バランスなんだと思います。
それまでの合理的な解釈って、「新劇に勝るとも劣らない歌舞伎があるんだ」とか、「近松門左衛門は日本のシェイクスピアだ」とか、そっちの訳分からない方を排除して、「実は訳分かるものです」っていうところに特化したのが、今までの合理主義ですよね。じゃなくて、橋本治的なところにも軸足を置きつつ、「でも、それだけだと、やっぱり、なかなか歌舞伎厳しいよ。世界分からないもん、今」っていうところで、こっちに軸足を置きつつ合理化の方にも軸足を置いてる。そのバランスの中で、現代にフィットする、ある受け取り方というものを編みだしていくっていうことなんじゃないかなっていう気がします。こんな観念的なことですいません(笑)。これからなことでございます。
受講生:「野暮を承知で」っていう話が聞けただけでも良かったです。
木ノ下:あ、本当ですか。「野暮を承知で」の方が良いと思います。
河野:ご質問ですね? はい、どうぞ。
受講生:すごい面白かったです。橋本治さんの歌舞伎についての本をあまり読んでなかったんですけど、最近考えていたことで、若い人たちが本をあまり読まなくなってきてるんですけど、若い人たちが、じゃあ何してるかというと、二次創作物というのが流行って、コスプレが流行って、それずっと繋がってると思うんですけれども、歌舞伎ぐらいまでは、既存の世界があって、そこに作者が趣向を乗せてってというので、まだ庶民と物語が近かった感じがするんですけど、物語の二次創作物、作りだされたキャラクターの更にその真似の……っていうので、物語の本当の根っこが、どんどん失われてて、大元の自分の物語は何? みたいなことが少しずつ分からなくなっていってると、コスプレ的なキャラクターになりきってしまう。自分の物語が構築できなくて、既存の物語とかキャラクターに自分を乗せていくというのが、どんどん広まってる感じがするんですね。たぶん、大元の物語とか、橋本さんが実際の事件を元に小説を書いたりっていうのは、ちょっとそれも立ち戻る活動というか、創作だったのかなと思うんです。現実の事件が、歌舞伎で演じられていた物語を超えてしまって、そこにキチンと物語を与えてあげないと、なぜそれが起こったのか分からない。ただそれは、世界と趣向、世界観を持ってくるっていうところで、本来人が持っている物語から離れていったのが今の状況なのかな? という感じがしてるんですけど、それについて、歌舞伎と絡めて、どう思われますか?
木ノ下:はい、難しいですね。いや、大きなテーマです。確かに、僕も橋本治さんの作品をそんなにマメに読んでないし、今回にわか勉強で読んだ程度ですので、あんまり大きなことは言えないんですけど、確かに、あるところで小説の作風が分かれますよね。午前中の三田村先生の授業では、『窯変 源氏物語』を境目にどんどん変化していったという話も伺って、あ、なるほどなと思ったんです。つまり、『桃尻娘』に始まる初期の作品の時は、割と歌舞伎的だなと思うんですけど、後半の文芸誌に連載する頃は、けっこう文楽的だなと思うんですね。浄瑠璃的だなっていう風に思うんです。
後年、橋本治さんは『浄瑠璃を読もう』っていう本で、歌舞伎のことはあまり喋らなくなったけど、浄瑠璃の方はたくさん発言をされるようになりましたよね。そこに歌舞伎から浄瑠璃へっていう何かあったのかなっていう気はしたな。今、ちょっとお話伺いながら感じておりました。
自分の世界が分からなくなっていくっていう話なんですけど、これは難しいですね。歌舞伎においては、自分の世界が分からなくなっていいんです。つまり、元々の話が何であったかというのは、どんどん劣化していっていいものなんです。たとえば、隅田川の世界があって、清玄桜姫の世界がある。これが鶴屋南北の時代に『桜姫東文章』としてひとつになるわけですよね。今度、この『桜姫東文章』の世界が出来上がるわけです。だから、世界って、平面にいっぱいあるわけじゃなくて、立体なわけですよね。この世界とこの世界がドッキングしてこの世界になって、またこの世界を真似たのがあって、みたいに非常に複雑に入り乱れてる超立体なものが世界の概念ですから、何がそもそも元々かっていうのは、だんだん遡れなくなっていくっていうところが、世界の面白さなんだろうと思います。
と同時に、それは歌舞伎ですよね。浄瑠璃はやはり、地続きの歴史として歴史を描くというか、やっぱり中心は時代物ですから。つまり、歴史をもう一回隈取り直す。つまり、当時の私たちの歴史、江戸時代の人たちの歴史をもう一回隈取り直すような働きをしますよね。昔の人の歴史というのは、伝説とか逸話とか、そういうのを含めて歴史ですから。つまり、弁慶はすごい強いとか、立ち往生したとか、ああいうのも含めて歴史ですから、もう一度、時代物において、自分たちの物語、自分たちが今ここにいる、その背後の歴史というものを何度も何度も隈取り直してみようっていう風にするのが浄瑠璃の方ですから、歌舞伎の物語が分からなくなっていく感じと、歴史を見つめ直していく浄瑠璃というのは、また性質が違って面白いところでございます。こんなことを考えながら聞いていました。ありがとうございます。
河野:ありがとうございました。
(おわり)
まるで噺家のようなツカミで断然好きになりました。歌舞伎への深い造詣と明快な論旨で、楽しく、かつわかりやすく、今回講師に選ばれた理由がよくわかる講義でした。映像を解説しながら、ちょいちょい歌舞伎への愛と毒を含んだ突っ込みをされるのが面白くて! ずっと聞いていたい授業でした。最後に「橋本さんの歌舞伎論を超えて行かなくてはいけない」という話をされたのが、とても木ノ下さんらしい締めでした。今、まさに表現者として歌舞伎に関わる者として、新しいもの、今だからできるものを作っていくのだ、という木ノ下さんの矜恃なのだと思いました。
「橋本治の歌舞伎論を超えていく」のくだりは、表現者としての矜持を感じたのですが、学校ニュースでは「覚悟」と書かれていて、とても共感します。
「世界」と「趣向」、(「世界のリスト」や「世界を選ぶ」「世界定め」という言葉も新鮮!)、任(にん)と肝(はら)という概念、新作の作り方に驚愕し、著作権というものに対する考え方の違いなど本当に面白かった。『桜姫東文章』を桃尻娘の参考にした話は、前に聞いた矢内裕子さんの講義とつながって「このことだったのか!」とわかり、中身が濃くて、ものすごく刺激的でした。