橋本治をリシャッフルする。 
第8回 二村ヒトシさん

なぜ『恋愛論』は超名著か

15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。

二村ヒトシさんの

プロフィール

この講座について

大学時代、橋本治さんの『恋愛論』に出会い、この本に影響を受けて、励まされてきたと語るアダルトビデオ監督の二村ヒトシさん。恋愛とは何か? 人間にとって性とは何か? この根源的な問いと格闘をつづける二村さんが、いま改めて『恋愛論』という本の力を語ってくださいました。(講義日:2020年2020年9月5日)

講義ノート

先週の町田康さんの講義、僕も聴かせてもらったんですけど、おもしろかったですよね……。お話のいちばん最後で会場からの「かしこいって、どういうことなんでしょう?」って質問に「本当の人間の『かしこさ』っていうのは、存在しないんじゃないですかね。ポテトチップスのバーベキュー味みたいなもんで『かしこ味』っていうのがあるだけで」って町田さん答えてて、あれにはしびれましたね。普通の講座の普通の先生だったら、たぶん「本当にかしこいっていうのは、橋本治のことでしょう」みたいに普通にまとめて、そこで話が終わっちゃうこと言いますよね。そう言わないのが町田康こと町田町蔵でしたね。講演は「おもしろいこと言う合戦」ではないので、がんばって普通じゃないこと言わなきゃいけないってことでもないですけど、ただ、やっぱり、ものを書いたりする人が、聞いてる人、読んでいる人に「この人は何を言ってるんだろう?」って自分の頭で考えさせることをやめてしまったらダメだと思うんですよね。

●ニコニコしながら怖いことを言う

町田さんは作家であると同時にパンク歌手でもあるからか、真面目な顔のまま、なんなら恐い顔のままでおかしなこと言いますよね。笑っていいのかいけないのか、「この人、マジなのかな?」っていう心地良い緊張感を聞いてる側に与えるわけなんですけど(笑)、そういう町田さんの逆で、橋本さんはニコニコしてるんですよ。この『恋愛論』の中でも「僕はね、人に緊張感、与えないの」って橋本さん、おっしゃってます。いまの言いかた、ちょっと橋本さんのモノマネにチャレンジしてみたんですけど……。先週の講義で義太夫の演奏のあとで鶴澤寛也さんが橋本さんのモノマネをしてらしたので対抗してみました(笑)。寛也さんと違って僕は橋本さんにお目にかかったことなかったので、これ、はたして正しく似せられてるのかどうかわからないんですけど、ニコニコしたまま寛也さんに「あなたの三味線は近代的だから~」とか言ったんですよね(笑)。ヤバいですよね。ニコニコしながら怖いこと言うって。

これも『恋愛論』の中のエッセイに書いてありますけど、橋本さん、ある時期から全方位に対してニコニコするのをやめたっていうんですね。テレビに出るのをやめた、っていうことなんですけど。若い頃はフジテレビのキャラクターになったりしてマスコミの寵児って感じだったのが、「それはくたびれたから、もうやめるの」みたいなこと言って、テレビでニコニコしてる人であることをやめた。みんなにニコニコするのをやめて、その後はご自分が気に入った相手に対してニコニコしながら怖いことを言うようになったっていうことは、つまり橋本さんが、自分が選んだ相手とちゃんと話をしようとするって決めたってことなんじゃないかと思うんです。そういうことが、じつはこの本に書かれています。

本当にね、「これ恋愛の本なのかよ?」っていうとこもあるんですけど、まぁ、でも恋愛なんですよね。出てくるのは橋本さんのまったく個人的な恋愛の話です。順番は前後するんですけど、小学生の頃のこと、高校生になってからのこと、作家になってちょっとしてから。だいたい失恋なんです。恋愛の終わらせかたの話とも言えるんですが、驚くべきことに橋本さん、その〈終わった恋愛〉の中で何も失っていないんです。

『恋愛論』は全部、一人語り。この講座でもいろんな先生がずっと橋本さんの〈語り〉とは何かって話をされてきたと思うんですけど、それこそ『恋愛論』は橋本さんの講演をまとめたものです。自分の恋愛について思い出したところからしゃべっていって「恋愛っていうのは、こういうものである」っていう橋本さんの理屈がたくさん出てくるんですけど、まるで小説のように読める。それが、はたして恋愛のためのマニュアルになっているのか? 「恋愛というのはこういうものだ」って橋本さん断言してるんだけど、じゃあ、これを読んで恋愛がうまくできるようになるのかどうか? っていうのは、どうなんですかね(笑)? そこは皆さんに考えていただきたいので、ぜひ皆さんも、現在進行形でも昔でも、ご自分の愛情とか恋愛感情とか、人との出会いとかいろいろ思いながら読んでいただけるといいんじゃないかと思います。30年以上前の本なんですけど、5年ぐらい前に復刊文庫化した時に僕が解説を書かせていただきました。

●関係ないようでいて、恋愛につながっているもの

この新しい文庫には、講演録のほかに、おまけが3つ付いてます。「気難しい赤胴鈴之助」っていうエッセイと、「誰が彼女を殺したか」は有吉佐和子さんという橋本さんよりちょっと年配の、当時の大女流作家が亡くなった時のエッセイ。それから「セーター騒動顛末記」、これは『男の 編み物 ニット 橋本治の手トリ足トリ』っていう本が評判になったとき「男がなんで編み物するの?」「なんで、そんな本を出したのか」って言われて、どういうふうに思ったかを書いたエッセイが収録されています。じつは3つとも恋愛に関係あるんですよ。関係ないようでいて、じつは橋本さん非常に考えて収録作を選んでおられるなと思います。「恋愛論」の一人語りだから難しい部分が、有吉さんとの話とかを読むと腑に落ちる、そういう仕掛けになっている。

今回の講座での僕、二村の役割って、橋本さんの恋愛観やセクシャリティについて話すことだと思うんですけど、『恋愛論』の他にご紹介するべき橋本さんの著作があと3冊あって、今日、時間のない中でどれだけ触れられるかわかりませんけど、持ってきました。まず『恋愛論』よりだいぶ前に書かれた『シンデレラボーイ シンデレラガール』。お読みになったかたも多いと思われる、有名な本です。お手元にお配りした資料に、いつ頃出たという年号だけ書いておきました。それから『恋愛論』と同じ頃に『青空人生相談所」という本を出してます。人生相談の本です。後で少し触れます。そして『窯変 源氏物語』のお仕事を終えてから出した『ぼくらのSEX』。性教育の本なんですね。橋本治が性教育の本を出しているんです。

『青空人生相談所』が絶版で、いま読めないんですよね。最初は『親子の世紀末人生相談』としてフィクション・インクという出版社から単行本が出ていて、それを編集し直してタイトルを『青空人生相談所』に変えて、ちくま文庫から出たんですが絶版です。『ぼくらのSEX』は集英社のキンドルで読めます。親が読んでおもしろいなと思ったら、お子さんがいる方は、その辺にポイッと放り出しておけば子どもさんが勝手に読んで、それが理想的な性教育だと思うんですけど(笑)、キンドルだとそれが難しい。

僕が大好きな、僕が影響を受けまくった『恋愛論』『シンデレラボーイ シンデレラガール』『青空人生相談所』『ぼくらのSEX』、この4冊が橋本さんの膨大な仕事の中でどういう位置付けだったかということをお話ししたいと思って、どうやって話そうかって考えてたら、3日くらい前に僕、思いついてしまったというか、気づいてしまったんです。『恋愛論』が、橋本さんの人生の中でどういうタイミングで出版されて、その後、橋本さんの仕事「を」どう変えていったのか。なので今日はその話をします。結論を先に言っとくと「橋本さん、本当に頑張り屋さんだったんだな」ということです。

橋本さんの人生を直線にすると、例の東大駒場祭の「とめてくれるなおっかさん」のポスターを描いたのが20歳。それで『桃尻娘』を30歳になってから書くんですね。そして、35歳を過ぎてから『恋愛論』。『恋愛論』を既に読まれてるかた、どのくらいおられます?(会場、挙手) ありがとうございます。ぼくがお礼を言うのヘンですかね(笑)。ヘンですけど、嬉しいです。読まれたかたはわかると思いますが、『恋愛論』にドッジボールの女の子が出てきます。これが橋本さん小学生の時で、高校に入って素敵な男の子とイチャイチャしていたのが16歳。そして大学に入ってポスター描くわけですね。

『恋愛論』を書いてから、この講座ではあまり話されてないかと思うんですけど有名な話で、橋本さんメチャクチャな借金をしてマンション買って、そしたらバブルが弾けて、毎月100万円ずつ借金を返し続けたわけです。そのために、ものすごい量の本をお書きになった。そして借金を返し終わったら亡くなられてしまった。そのマンションを買ったのが、まさにこの『恋愛論』の頃。それと公式には「そこから橋本治の文体が変わった」とされてる『チャンバラ時代劇講座』を書いたのも、ちょうどこの『恋愛論』の頃なんですね。

●『恋愛論』という本で何かがあったはず

橋本さんは『桃尻娘』でデビューしたわけなんですけど、その後の何年か、いろんなエッセイを書いてて、あんまり小説を書いてなかったんですね。『恋愛論』書いてから、普通の、まぁ、普通のって言っても、橋本治ですから普通じゃないんですけど、おもしろい小説を書き始める。だから、やっぱり僕「このへんで、なんかあったんだろうな」と思ったんです。大学でずっと歌舞伎とか江戸時代のことをやられてた橋本さんが、『桃尻娘』という一人称小説でデビューした。もちろんエッセイは一人称で書いた。それを『チャンバラ時代劇講座』で、「自分が子どものころ観ていた映画をまとめてやったことで、三人称の文章が書けるようになったんだ」ってご自分でおっしゃってるらしいんですけど、じゃ、その動機は何だったのかっていう話なんです。僕、橋本さんより15歳ぐらい下で、今55歳なんですけど、今日の講座を受講されてる皆さんは僕と同世代か、もうちょっと下ぐらいのかたからお若いかたまでおられると思うんですけど、新井素子さんって作家、ご存知ですか?

はい、『恋愛論』のあとがきで橋本さん、やらかしてますね。「えっと、新井素子です」とかいって、似てないモノマネをやっているのね(笑)。今のかたが読んだらなんのことやら全然わからないと思うんですけど、「えっと、新井素子です」っていうのは新井さんの小説の本のあとがきのお決まりのパターンで、新井さんというのは星新一に絶賛されて女子高生SF作家としてデビューしたかたですね。女の子の一人称で押し通してファンタジーを書いて大人気になった。デビュー前に星新一に絶賛されたというのは、つまり手塚治虫が荒木飛呂彦を絶賛してデビューさせたら荒木さん『ジョジョの奇妙な冒険』を描いちゃって、もちろん『ジョジョ』は後の『鬼滅の刃』にすごい影響を与えて、まあ少年ジャンプの、というか日本の漫画を変えちゃったみたいなことですよ。要するに新井素子さんというのは、ラノベというジャンルを作っちゃったと言えるかたなんですよね。橋本治という青年が女子高生の一人称で『桃尻娘』を書いた同じ1977年に、本物の女子高生がやはり女の子の一人称で小説を書いて、かたやリアルな中間小説で、かたやライトなファンタジーなので全然違うんですけど、橋本さんは『恋愛論』のあとがきで、その新井さんの独特のあとがきの文体のモノマネ芸をしてるっていう、そういう関係です。

もう一人、同じ時期に栗本薫さんがいるわけです。彼女が橋本さんと仲良かったのか仲悪かったのか知らないんですけど、僕はどっちも愛読してました。栗本さんはもう一つのペンネーム、中島梓名義で評論をメチャメチャいっぱい書いた人ですよね。そして栗本薫という名前でキャラクター重視の冒険ファンタジーと探偵小説をいっぱい書いて、女性作家なんだけど男の子の一人称で、彼女が創造した名探偵も栗本薫っていう名前で男性なんです。だから『桃尻娘』の逆といえば逆ですね。ご存知かと思うんですけど、栗本さんは小説における現代的なBL(ボーイズラブ)というジャンルも作っちゃった人です。彼女は橋本さんより5歳お若かったけど、10年くらい前に亡くなられました。新井さんはまだ還暦くらいで、お元気です。ライトノベルの祖である新井さんは「女子高生の一人言なんだけど、世界はファンタジー」みたいな構造だったんですが、とにかく栗本薫と新井素子という二人の女流作家が橋本さんのデビューと同じ頃にデビューしてて、未来の日本の娯楽小説の形式を創造した、しかもそこにはジェンダーの問題が相当、入ってるってことです。これが『桃尻娘』と、もしくは『枕草子』と、橋本さんの中でどう関係あったかということは、僕は文芸評論家ではないし、橋本さんの研究家でもなくて、ただ、当時読んでたっていうだけなのでわからないんですけど、なにも関係ない、まったく意識してなかったとしたら、あとがきで新井さんのモノマネとかするわけはない。

文芸批評家でエッセイストとしての栗本薫、つまり中島梓は、たしか筒井康隆論でデビューしてるんですよね。その10年ぐらい前、橋本さんは東大の図書館で、江戸時代の歌舞伎の台本とかを読みふけっていたわけですけど、ある日、そのころ文壇の若手の鬼才として登場した筒井さんの小説を読んで「あっ、小説で、文章でふざけていいんだ!」っていうことを知ったらしいんです。という話をどこかで、橋本さん書かれていました。そうなんだけど、橋本治の『桃尻娘』をデビューさせたのは筒井さんじゃなくて野坂昭如さんなんですけどね。野坂さんこそ一人語りみたいに延々と文章が続いていくみたいなのを書いていた、戯作者ですよね。その頃、僕は『桃尻娘』を読まずに野坂昭如も読まずに、筒井康隆を読んでる生意気な小学生でした。中学になって少女漫画も読み始めた。『パタリロ!』とか『はみだしっ子』とか。僕はその後、恋愛っていう意味では男性は好きにならなかったんですけど『風と木の詩』は読んでオナニーしてました。あ、もう20分経っちゃった。すみません、ぜんぜん『恋愛論』の話にならないですね。

●読者の視点で見た、橋本治さんの語り口

僕が橋本さんを読んだのは大学生になってからなんですね。橋本さんが35歳ぐらいで『恋愛論』を書くちょっと前。椎名誠さんや嵐山光三郎さんと〈昭和軽薄体〉ってまとられて、同世代の村上春樹さんまで、おもしろエッセイを書いていた。村上龍さんだけはエッセイでも難しい怖い顔してましたけど(笑)。そのへんの新鋭の書き手たちが、ひとつのサブカルのジャンルとしてまとめられて、読んでる大学生は多かった。橋本さんの本でいうと『極楽迄ハ 何哩 ナンマイル 』なんか、当時の僕にとって本当におもしろかった。

橋本さんがセーターの本を書いてテレビに出られてた頃ですよね。その直前の『シンデレラボーイシンデレラガール』、これがサブカル前夜っていうか、おもしろエッセイ前夜っていうか、少年少女向けのまじめな本でね。文庫版のあとがきを見ると「自分は学生の頃からイラストレーターやってて食うに困ったことはないんだけど、これ書いてた時は本当に金がなかった。印税が出ないし」みたいなボヤキを書いてて。単行本版の表紙の絵を糸井重里さんが描いてるんです。その前に糸井さんとの対談集『悔いあらためて』が出てます。二人でチンピラみたいなコスプレの写真を撮ってて。橋本さんは最初の貧乏というか、イラストレーターとして食えていて『桃尻娘』で小説家としてデビューして、その後は小説あんまり書かないで、わりと難しい評論を書いてたんです。まったく売れなかったわけじゃないとは思うんですけど、収入は減ったのかな。とにかく、この『シンデレラボーイ シンデレラガール』の時はお金がなかった、と書いている。それを『恋愛論』と突き合わせると、どうも、その頃「恋愛論」に出てくる最後の失恋の時期だとも思うんですけど。相当ヤバい失恋をしたのが30歳ぐらいで、その後に書かれたものなんですね。

その『シンデレラボーイ シンデレラガール』のあとがきで、金がないんで困ってたら糸井さんが「金を貸すなんて、友情の中で一番簡単な友情だから、いつでも言ってね」って言ったってサラッと書いてあるんです。糸井さんはすでに沢田研二の作詞とかをされてて、お金はあったんでしょう。それに続けて橋本さんは「糸井くん、ありがとう」みたいなことを書かないんですよ(笑)。書かないで、読者に向けて語り始める。「あなたが、もし、お金がなくても恥ずかしくないくらい努力してるんだったら、貸してくれるっていう金持ちの友達がいるんだったら、そこに威張って借りに行こう。でも、返す時は恥ずかしそうに返そうね。迷惑はかけたんだから」みたいな。でも「もし、自分が貧乏なのは自分のせいで、金がないのは自分が頑張ってないからで、頑張れてるって言う自信がないんだったら、それでも飢え死にすることはないんで、恥ずかしそうな顔して友達に借りに行こう」。お金のある友達に「貸したげるよ」って言われたら、大威張りで借りに行こう。それが自分がやってることに自信があるってことだ、みたいなことが書いてあるわけなんです。で、貧乏したときに「金なら言ってよ。いつでも貸すね」って言ってくれる友達があなたにいないんだったら、それはあなたと友達の間に友情がないっていうことだから、自分から借金を申し込んではダメです、みたいなことが延々と書いてあって、非常に面倒くさいんですね(笑)。あとがきなんだから簡単に「糸井くん、ありがとう」って書いとけばいいとも思うんですけど、全然そういうことを書かないで、すごい論理的で倫理的なことを書くわけなんです。でも、それが橋本さんなんですよね。なんでかというと最初の町田康さんの話と同じで「糸井くん、表紙も描いてくれてお金も貸してくれて、ありがとう」って書くのが普通のあとがきなのかもしれないんだけど、そうじゃないんですよね。そっから先、読者に自分の頭でものを考えさせるために、橋本さんは本を書いているからなんです。

おもしろエッセイをたくさん書いて、テレビに出て、お金が入ってくるようになる前に、この『恋愛論』によるならば社会に出てからの大失恋の後に、橋本さんは貧乏しながら『シンデレラボーイ シンデレラガール』を書きます。男の子を好きになっちゃった男の子や、自己肯定感を持てなくて自分自身のことを好きになれない女の子に向けて、つまりシンデレラボーイたちとシンデレラガールたちに向けて「君は、自分のこと好きになっていいんだよ。だけど、そのためには頑張らなきゃね」って伝える、励ましの本なんです。徹底してるなと思うのが、あとがきにまで、そういう「金を借りる時の態度について」みたいなことが書いてある。おもしろいですよね。

●訳はわからないままだけれど、やさしくなった文章

そのくらいの時期から、橋本さんの文章は本当に柔らかく、読みやすくなるんです。もちろん『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』とかの初期の難しい評論もおもしろいんですけど、やっぱり難しかった。

『桃尻娘』が世に出るまで、自分は本当に孤独だったみたいなことも書かれてますけど、おもしろエッセイの時代になって、文章がやさしくなった。やさしくなったんですけど相変わらず訳はわからない(笑)。内田樹さんが講義で「これは奇書だ」「もう、まったく訳がわからない」みたいに言ってた『恋するももんが』みたいな本を出すわけです。いや、内田さんのおっしゃることもわかるんですが、あれ架空の高校の文化祭のパンフレットだか卒業文集だかっていうテイの、おそらくこの頃友達になった、橋本さんを兄貴と慕うサブカル仲間たちと一緒に作った本ですよね。だから問題は内容じゃないんです。『恋愛論』にも書いてあるように、橋本さんの人生は子供の頃はバラ色だった。小学生の時は本当にアホだった。高校になって好きな人ができて、その相手さえいればいいって思った。だけど周りのみんなが受験勉強を始めたので、つまらなくなった。それで、ふてくされてまったく勉強しないで大学落ちて1年浪人して東大に受かるわけですね。

そういう橋本さんの高校の終わりから大学にかけての寂しさ、その対比としてのアホの子だった少年時代のアホらしさの輝き、仲間たちと内輪ウケでゴチャゴチャ楽しんでる喜びが『恋するももんが』という非常にバカバカしい本、何が書いてあるかサッパリわからないんだけどテンションだけは異常に高い本に記録されてるって僕は思ったんです。僕が勝手に思ってるだけで正解じゃないかもしれない。僕より橋本さんのことご存知のかた、もし違ってたら指摘してくださいね。

その後、しばらくしてから『アストロモモンガ』っていう超くだらない(笑)本がもう1冊でる。これも内田さん曰く「この世に存在しない星占いの本で、全編、何が書いてあるかわからない」。これは占いという文化、オカルトのパロディです。おちょくった本です。橋本さん、いばってる占い師のばあさんみたいな人の気持ち悪さ、金持ちなのに下品な感じが嫌いだったんでしょう、そういうことに対する諧謔。でも橋本さん、星占いというものの徹底的な論理性はおもしろがってたんじゃないでしょうか。だからこの本で、でたらめな星占いを丸ごと一つ、橋本論理で創造しちゃった。つまり星占いによれば、世界の時間がグルグル循環していて、あらゆる順番が必ず巡り来る。そして、それぞれの星座にそれぞれ違う役割が担わされている。どういうことかというと、橋本さんが牡羊座の早生まれだったということが『ロバート本』だったか『デビット100コラム』だったか、そのへんのエッセイ集で書いてあって、牡羊座は星座の中で一番最初に来る〈世界を作る者〉であり、早生まれなので、学校生活の中ではノロマなのに、小学校の時とかは、はしゃぎ回っていた。星占いの順番が巡って、橋本さんが作家・橋本治になって彼を慕う年下の友達たちができて橋本さんは彼らの兄貴分になった。「一番ガキなんだけど、お兄ちゃんなんだ」っていうことが、関係あるような気がするんです。

この頃橋本さんと仲良かった、まついなつきさんが、この後『笑う出産』っていうエッセイ漫画がベストセラーになるんですけど、その後で本当に占い師になっちゃうんです。俺、橋本さんにはお目にかかったことないんですけど、じつは、まついさんにはずいぶんお世話になっていて、占ってもらったんです。僕のすごい大事だった人二人の関係が悪くなっちゃった時とか、その二人のホロスコープ作ってもらって「ほら、大丈夫だよ」って言ってくださった。一番こたえのは仲良かったAV女優が一人自殺した時なんですけど、その時も、まついさんがその子のホロスコープを見て「この人の場合、ちゃんと死ぬことも大仕事だったんじゃないの?」って言ってくれたんです。それでこっちは体の震えが止まったみたいなことがあったんですけど、もちろん、そういうのは残った人間のための言葉なんです。ご存知かと思うんですけど、まついさんも亡くなりました。橋本さんが死んじゃった、その1年後ぐらいに。すみませんね、話がなかなか進まなくて。いっこうに『恋愛論』の話にならないですけど、でも関係あるはずなんだよな、このへんの話。

さっきも言いましたけど、おもしろエッセイの時代にテレビに出ていた橋本さんは『恋愛論』を出す前に「もうくたびれた。みんなにニコニコするのや〜めた」って言ってテレビに出なくなっちゃうんです。僕はセーターの本読んでなくて自分でセーター編むってことはしなかったので、『恋愛論』に収録されてる「セーター騒動顛末記」を読んで想像するしかないんです。「騒動」っていうぐらいですから、男がセーター編むということが30年前は大変だったんでしょうね。セーターを編んだことのない中年男も、子どもがちっちゃい頃は編んでたけどセーターやマフラー編むのをもうやめちゃったおばあちゃんも、もう1回編めるようになる、みたいな〈手仕事の本〉なんですよね。橋本さん、たぶん自分で着るために学生時代ずっとセーターを編んでて、当時の青年はあんまり着ないような、どこにも売ってないようなド派手な手編みセーターを着て東大にいって、あんまり友達ができない、みたいなことをやっていたけど、作家になってからできた友達には、たぶんセーターを編んであげてたんですよね。

で、『恋愛論』の元になった講演で、橋本さんド派手なセーターを着て聴衆の前に現れて「しばらく自分で編んだセーター着てなくて、ずっと人にあげてたんだけど、今日は着てきちゃった」っていう話から始まるんですよね。つまり「今日は、これから自分の話をするよ」っていう宣言なんです。

「セーター騒動顛末記」では、おじさんとか、おばさんとか、若い男の子とかがみんなセーター編み始めて「橋本さん、セーター編むの楽しいですね。僕にも〈美しいもの〉が作れるんですね」みたいな。だから、ずっと橋本さんが一人でやってたことが読者に伝わって、伝わったってだけじゃなくて、読者を励ましたんだなと思うんです。おばあさんが「あら、キレイなセーターね。私にも編めるかしら」みたいなことを橋本さんに話しかけて「いや、絶対編めますよ!」って橋本さんあの調子で言う、そういう……、なんて言えばいいんですかね、あんまり論理的に説明できないんですけど……。

●自分の中の子どもに語りかけていた

そのセーターの本『男の 編み物 ニット 手トリ足トリ』と『恋愛論』の間に、『青空人生相談所』っていう本で、橋本さんは読者の兄貴分として、自分に向けてではなく、実際に知ってる自分の仲間たちだけに向けてでもなく、読者みんなの悩みに答え始めるわけなんです。

それより前に書いた『シンデレラボーイ シンデレラガール』も、子どもたちのために書いた本なんだけど、やっぱり、それって「橋本さんの中にいる子ども」だったんですよね。おそらく昔の自分自身に語りかけている。じつは『桃尻娘』もそうですよね。『桃尻娘』のヒロインの女の子やゲイの男の子は橋本さんの分身だと思います。そういうふうに自分に向けて自分のことを語っていた時代を終わらせて、橋本さんは末井昭さんが編集していたエロ本とか、はたまた女性誌とか、いろんな所で人生相談を始めたんです。エロ本と女性向けの雑誌とでは読者が違うわけです。あらゆる日本人、なんなら橋本治さんの本を読んだことない、橋本さんが何者だかよくわからない人たち、おじさんおばさんたちからも相談が届いて、それに全部答えるんですね。それをまとめたのが『青空人生相談所』。すごいんですよ、この人生相談が。

今、インターネットで人生相談いっぱいありますよね。いろんなかたが書いていて流行ってる。橋本さんは理屈の人ですから分析するんですよね。分析しながら、その人の持っているドラマを読み解くんです。読み解いて、最後は放り出すわけじゃないんだけど「最後は自分で考えてね」っていうことを言うんですよね。これたぶん精神分析のやりかたですよね。「答えはあなた自身が知ってるでしょう」って。寄り添うんだけど、アドバイスはしない。あんまりバカな奴は上から叱りつけるんですけど。「基本的に、あなたが相談したっていうことは、もう、あなたにはその問題を解きたいっていう意思がありますよね。話してくれただけで、じつは問題は半分以上解決してますよ。正解はあなたの心の奥にありますよ」っていうスタンス。

ただ、この正解に辿り着く、自分が知ってる答えを出すためには、やっぱり「他人」が必要なんですよね。他人と話をしないと、自分っていうものに気がつけない。自分が持っている答えなのに。橋本さんにとっては、その「他人と話をする」っていうことが恋愛だったんです! あ、話してたら、やっと繫がった……。よかったよかった(笑)、やっと、ここにたどり着きました。

●「他人と話をする」ことが恋愛だった

ずっと、何も考えてない、牡羊座の早生まれの、教室で授業中に歌を歌ってるアホの少年だった橋本さんが、自分が「この人のこと好き」っていうふうに決めた人と会う。好きになった同級生の男の子は、優等生なんだけど、とにかく顔が綺麗で、彼は彼で何も考えてなかったんだけど、彼を好きになった橋本さんは、いろいろなことを考えざるを得なくなって、考え始める。初恋っていうか、若き日の恋の相手が何も考えてなくて「あ、男っていうのは、何も考えないものなんだ。それに比べて、彼と出会った俺の頭の中には、すごくいろんなことが起きた」。もしかしたら、その時から10年20年経って、この話を語る時に、後付けで考えたことなのかもしれないんですけど、「俺は、あの時、彼と話をして、いろんな体験をして、クラスで気持ち悪いとかも言われて、いろんな人間の心を考えたな」っていうことを語る本なんですね。

それではここから『恋愛論』に書かれてる哲学を……、お手元にお配りした資料にある『恋愛論』のテーゼ。読んだかたはわかると思うんですけど、読まれてないかたにはさっぱりわからないですよね。資料の反対側に、僕が自分の恋愛の本で書いた言葉が、いかに橋本治の盗作かっていう(笑)、どんだけ影響受けてんだよって話なんですけど。

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[資料]
橋本治『恋愛論』のテーゼ
 他人に自分を愛させたら勝ち。
 他人を愛してしまったら負け。
 他人に愛されてしまったら身の不運。
 「世の中」に「恋愛」というものはない。
 恋愛は光である。周囲にあった暗黒を発見してしまう。
 恋愛と出会った瞬間、それまでの自己は解体されてしまう。
 恋愛とは、誰かに救ってもらうことではない。
 恋愛に必要なのは陶酔「能力」である。
 いまの男は、男だというだけで「いびつ」である。男は「わかってあげる」ことだけしかしない。
 恋愛は、ちがう部分と同じ部分が、ちょうど半分ずつある相手との間に起こる。
 恋愛をすると、女は人間になり、男は天使になる。

[資料]
二村ヒトシのテーゼ
 男はキモチワルイものである。女はめんどくさいものである。
 恋愛は、親との関係の「やりなおし」である。
 いまの自分を好きじゃない人が、どこかへ連れ出してくれそうな人と(自分を変えてくれそうな人と)出会ったときに、恋に落ちる。
 女性は「女」から「人間」になってしまったから、やることが増えた。
 恋すると、相手がどんなに性格よくても、あなたは必ず打ち砕かれる。
 恋愛は共犯関係である。
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すみません、ちょっと自分の話をさせてください。僕が書いた『すべてはモテるためである』っていう本は「男っていうのは、こういうところがキモチワルいんだよ」っていうことを延々と書いてあるんですけど、ここでいう「男」っていうのは読者である「あなた」のことなんです。これは『恋愛論』より後の橋本さんの本で『貞女への道』っていうのがあるんですけど、女性の読者に向けて「男って気持ち悪いんだよ」っていう話を延々と書いた本です。『アストロモモンガ』の後ですね、87年。たぶん、形としてはここからパクったんだろうと思うんですけど……、っていうか、お前は何者だって話なんですけど、僕、アダルトビデオの監督をやっている者です。

大学生になって橋本治を読み、その後、有名な加藤鷹さんとかよりちょっと後ぐらいに業界に入って。だからもう30年ぐらいやってるんですけど、AV監督をやりながら『すべてはモテるためである』っていう恋愛の本を98年に出して、筒井康隆の影響は自覚してたんですけど、後になってから人に「これは坂口安吾でしょ」とか言われて「ああ、言われてみりゃそうだった」みたいな感じなんですけど、ただ一人だけ「これは橋本治ですよね」って見抜いた人がいて、その人は当時僕の先輩のAV監督をやってて、最近ではウルトラマンの脚本を書いてる中野貴雄さんていう人なんですけど、見抜く人は見抜きましたね。俺自身も気がついてなかったもん。そう言われて読み返してみて、「あ、なるほど。本当にそうだった」。そこで僕は初めて自分の言ってることが全部、橋本さんのパクリだったって自覚するんです。

自分で自分を愛せないから、代わりに相手に好きになってもらおうとする、自己肯定感を補強しようとしてて、でも、そんな恋愛うまくいくわけないよねって。だから自分を嫌いな人は幸せな恋愛はできませんよって、そういうことを書いたのが僕の本なんです。この本がちょっと売れまして「どうやってモテるかは、テクニックじゃなくて、自分自身を知ることなんだ」って主旨の恋愛本のブームみたいなのが来るんですけど、そのブームの最初である僕の本の、根っこには橋本治さんの著作、『シンデレラボーイ シンデレラガール』や『恋愛論』があったっていうことです。

●橋本さんに習ったところ

もののついでに言うと僕がAVの監督として撮ってるのは、女性が男性を抱くものとか、女性同士のエッチとか。普通の男性が性転換しないで女装してAV女優になって男優とやって、撮影が終わったらまた男性に戻るAVとか。

でもこれも僕、橋本さんに習ったんだなって最近思ったんです。そんなこと思われても橋本さん迷惑でしょうが、どこが橋本さんから習った部分かっていうと、僕、そういうのを「変態」だって思ってないんです。王道だろ、これが正統だろって本気で思ってるんですよ。男だって女から可愛がられたいだろ? 女だって、むかつく男より女のほうがいいだろ? 男だってAV女優に、なれるもんならなりたいだろ? ほんとはみんなそう思ってるんだろ? それがまた実際に売れるしね。たくさんの人が見てくれるし。

橋本治って確かに不思議な人で、とても男性的でもあり女性的でもある。僕はそれを「論理とドラマのハイブリッド」だって『恋愛論』の解説に書きました。セクシュアリティ的には橋本さん、いわゆるゲイだったかと思うんです。だけど全然「マイノリティ」ではない。橋本治は、男としてっていうか、人間として、非常にまともだった。若い頃に、同級生の男子相手に、非常にまともな恋愛をした。彼の同性愛のほうがまともで、今、我々が悩んで苦しんでいる我々の「普通の」恋愛や結婚のほうが制度として根本から間違ってるんじゃないか。アダルトビデオと繫がってるようで繫がってない話ですけど、僕はやっぱり正統派を目指したんです。ポルノを作っていく中で。っていうようなことで、すごく自分が橋本さんの影響を受けたなぁっていうふうに思っています。

ちょっと休憩して、後半で『恋愛論』の内容をみんなで考えていきたいんですけど、まだ読まれてないかた、さっきの「テーゼ」っていうところ、これ、やっぱり読まれてないとわからないですよね。

「他人に自分を愛させたら勝ち。他人を愛してしまったら負け。他人に愛されてしまったら身の不運」、わりと普通のこと書いてるんですよね。橋本治がこんな普通のこと言うの? っていうくらい普通の、悪いヤリチン男とか意地っ張りの女の人が言いそうですよね。恋愛を勝ち負けだと思ってる。恋愛は真剣勝負だって橋本さんは書いてるんですけど、ここにまた論理のアクロバットがあるんですね。普通に考える勝ち負けとは、ちょっと違うんですね。

もっと難しいのは「世の中に恋愛というものはない」。この本を読むと、奇跡のように「なるほど。世の中に恋愛っていうものはない」ってわかるんですけど、読んでないと何だかわかりませんよね、我々は、今、あるいは昔、恋愛をした。あるいは恋愛ができなくて、したいと思っていた。だから「恋愛がないって、どういうこと?」って思う。これと対になってるのが「恋愛は光である。恋愛をすると、自分の周囲にあった暗黒を発見してしまう」っていうテーゼ。

これを後半への宿題という感じで、休み時間の間に、いったい橋本さん何を言ってるんだろう? って、皆さんちょっと考えてみてください。抽象的すぎてわからないっていう人は、もしかしたら、これでもいいかもしれない。この問いは橋本さんじゃなくて、僕がさっき思いついたんですけど、

「恋愛と結婚とセックスで、あなたにとって一番大事なのは何ですか?」

ちょっと具体的でしょ。別に答はないんですけどね。人それぞれ違うっていう話なんですけど、どうしてこういう問いが立つのか? 普通の論理じゃないと思うんです。恋愛と結婚とセックスで、一番大事なのは何か。自分にとって何かっていうことよりも「なんで、この人こんなこと言ってるんだろう?」っていうことを、休み時間にちょっと考えてみてください。後半に続きます。まだ全然『恋愛論』の話をしてませんね。これからします。
(休憩)

●心が生きるのが性だから

後半です。「世の中に恋愛っていうものはない」っていう橋本さんのテーゼ。これへの補助線として僕から皆さんに「恋愛と結婚とセックスと、あなたにとって、大事なのはどれですか?」って訊きました。この問いは変だなぁって思われると思うんですね。僕も自分で訊いてて変だと思います。なんで変かというと「だって、それは普通、一直線に来るものじゃない?」っていうことだからですよね。恋愛して好きになった人と結婚して家族を作るためにセックスするのか、ついセックスしちゃった人と恋愛関係になって結婚するのか、いろんなケースがあると思いますけど、普通に考えたら一直線ですよね。

橋本さんがゲイだから結婚っていう概念がちょっと男女とは違うっていうのはあんまり関係ない話で、橋本さんは男女だろうと同性愛だろうと「恋愛っていうのはそういうものじゃないぞ」って言うんです。恋愛というのは、もう少し独立性があるというか、橋本さんが本の中で「これ(『恋愛論』)には、セックスの話は出てこないよ。おあいにくさま」みたいなことをおっしゃっています。橋本さんがセックス嫌いだったのかどうかはわかりませんけど、恋愛の末にセックスがあるわけではない。でも「セックスはご褒美だから」みたいなことは別の本に書いてるんです。頑張ってきたことのご褒美だし、やっぱり、性のエネルギーっていうのは、人間のエネルギーの一番強いところ、エネルギーの根本だって『ぼくらのSEX』で書いている。さっきも言いましたけど、本当に、この本、中学生とか高校生のお子さんに読んでほしいんだよね。

生きるエネルギーであるから大事なものだけど、人間はエネルギー全部をセックスに使ってるわけではもちろんない。そんなことをするのは、おかしい人。だけど人を好きになることとか、仕事をすることの中で「性っていうのは心が生きるって書くわけだから」と橋本さんは書いてます。心が生きるのが性なんだから。僕が嬉しかったのは『ぼくらのSEX』の中で「ポルノというのは、ちゃんとセックスの教科書になるんだから」みたいなことも書いてある。今の世の中の論調とはまったく逆のことですよね。そう言われると、こっちは励まされて、国定教科書にはならないけど、橋本さんの本を若い人が読むぐらいのことの100分の1でもアダルトビデオでできたらいいな、みたいにも思います。「セックスって何なんだろう?」って考えるようなアダルトビデオが作れたらいいなと。

話を『恋愛論』に戻します。さっき言った「自己肯定感のない人の恋愛がうまくいかない」って話ですけど、若い女の人が、セックスを恋愛の人質にとったりしますよね。男性の知り合いから「僕はゲイじゃないんだけど、橋本治を好きになっちゃった。橋本さんはゲイなんでしょ。後は何とかしてよ」みたいなことを口では言われないけど、相手がそう思ってることが橋本さんにはわかっちゃって「ああ、いつも男が女の子からやられてるのはこれか!」って納得したっていうくだりがあるんです。そういうのは恋愛じゃない。むしろ橋本さんが高校生の頃にやっていたことのほうが恋愛だろう。結婚に結びつかない。別にそれは「道ならぬ恋だから」「男同士だから」って話じゃなくて、女が好きな男でも、男が好きな女であっても、橋本さんがやっていたような恋愛は誰でもしようと思えばできるはずだと。

橋本さん中学生の時は、空が青いって言っちゃあ教室で授業中一人で歌を歌ってるっていう、どう考えてもヤバい子だったんですけど、高校にあがってメチャメチャ素敵な男子、優等生で、笑うと白い歯がこぼれるみたいな、勉強もできる。だけど、自我っていうレベルでは何も考えてない。頭は良いんだけど中身は空っぽな、素敵な同級生に出会って「あ、これは友情じゃなくて恋だ」って橋本さん自覚するわけです。向こうは何しろ何も考えてない男の子だから、橋本さんの恋が彼にはわからなくて、わからないから受け入れる。エッチなこととかするわけじゃないけど、まわりから見るとどうかと思うぐらい男同士でイチャイチャしてる。彼にはそのことの意味がわかっていない。だけど、まわりはやっぱり気持ち悪がるわけですよね。恋する橋本さんを差別するまわりの一人一人の男、っていうより、それこそ〈社会〉ですよね。

〈恋愛〉っていうのが存在しないのは〈世の中〉に存在しないってことだ。じゃあ世の中にないんだったらどこにあるんだ? 橋本さんの文章って哲学ですから、わざとわからないこと書くんですよ。で、それはいったい何のことを言ってるんだって、単語ひとつひとつから遡って考えないといけない。世の中に恋愛がないんだったら、それは当然、個人の心の中にあります。恋愛、あるんだもん。誰かを好きになるっていうことはあって、それは世の中にはないんだけど、好きになった人間の心の中だけにはある。じゃ、世の中にあるのは何なのかって言ったら、それが〈結婚に繫がる恋愛〉なんです。祝福されて結婚して、祝福されて子どもができる、そういうもの。逆に言うと、世の中を回していって人間の数を増やすために、人間社会は恋愛と結婚いうものを〈良いもの〉なんだって決めた。たぶんキリスト教社会なんだと思うんですけどね。

でも、江戸時代の日本もそうだったのか? 祝言をあげる、みたいな。当然、江戸時代は、結婚、妻とのセックスというのは子どもを産むためにするもので、もちろん独身の男はお女郎さんを買いに行くけど、男同士で浮気するみたいなことも、お侍さんにも町人にも盛んにあったといいます。でもそれは公式に世の中にあるものではなかった。同性愛とか不倫とかは〈社会〉には存在していない。男女の恋愛でも駆け落ちとか〈世の中〉にとってダメなものはダメなわけです。つまり家制度、親にとって、ダメなものはダメ。そういうことが、それこそ歌舞伎とか文楽の世界では描かれてると思うんですけど、僕は歌舞伎や文楽の教養が全然なくて、みなさんと一緒にこの講座の他の先生の講義を聴いて勉強しております。古典の世界では「お前たちは親の決めた許婚だから」とか、今だったら「友達みんなを結婚パーティーに呼んで祝福されて、幸せに結婚しよう」みたいな制度は、言ったらなんですけど、恋愛というものの持つ闇、あるいは、その闇を成立させるそれぞれの人間の心とは関係ないですよね。世の中のために、祝福されるために結婚する。

恋愛の先に結婚があって、そうじゃない恋愛は不実だってことになってますけど、橋本さんはハッキリとこの本の中で言います。「恋愛っていうのはそういうものではなくて、誰かを好きになったことで、その相手があまりにも輝いて見えるので、好きになった相手が光であるが故に、それまで自分がいた世界が闇だったっていうことに気づいてしまう。それが恋愛だ。そうじゃないものは恋愛じゃない」って言いきりますね。もちろん「こんな人と結婚してたのか」って年取ってからしみじみガックリくるみたいなこともあるかもしれない、そういう熟年離婚みたいなことのきっかけに、新しい恋がなることもあるかもしれないし、若い頃の初恋も、じつは美しいものというより、良かれと思った親によって束縛されていた世界が、実は闇だったということに誰かを好きになって初めて気がつくのが初恋なのかもしれない。

僕は、先週の義太夫の講義で気がついたんですけど、つまりその「社会的じゃない恋愛」「世の中に存在しない恋」って、それ、つまり「 道行 みちゆき 」だって思ったんです。「橋本治をリシャッフルする」、ちゃんと講座と講座がつながるなあ(笑)。

道行こそが、橋本さんが考えていた恋愛なんだと。江戸時代の文楽の舞台は電気の照明がないわけだけど、人形遣いのかたが黒い衣装で闇に消えて人形だけが浮かび上がる……、現代の日本人は文楽っていうと、人形が闇の中に光で浮かび上がるイメージを想像しませんか。

今の「同性愛は差別されてきた弱者のものだから〈いいこと〉で、不倫は奥さんが可哀想だからとにかく〈悪〉だ」みたいなアホな話がありますよね。じゃあダブル不倫はどうなんだって話なんですけど(笑)、とにかく「不倫はダメで、同性愛はいい」みたいな、いわゆる真面目なリベラルのかたが言いそうな、そういう現代の風潮というのは、同性愛者はもう差別されてはならないっていって、もちろん差別はなくなったほうがいいんですけど、それこそ世の中のための結婚とか、社会から祝福されるみたいな場所に、同性愛者も組み込もうとしてますよね。それは、橋本さんはたぶん嫌だっただろうなって思うんですよ。そこには個としての誰かを好きになっちゃったことの自尊心みたいなのがないですからね。これは実際にゲイの友人から聞いたんですけど、もちろん政治的、法律的には、結婚はできたほうがいい。遺産の問題とか、病院で最期を看取れるかとか、そこで差別されるのはイヤだと。だけどゲイの人も結婚できますよっていう世の中に完全になったら、今度は、今の独身の女性が差別されてるのと同じように、結婚したゲイが結婚しないゲイを差別し始めるでしょ、っていうんですよね。我々がその一員である社会っていうのはそういうふうに恐ろしいもので、すぐにまた別のマイノリティを差別し始めます。

橋本さんは、差別の問題を考えたわけじゃないと思うんですけど、どっちかというと、誰かを好きになることの矜持の問題。橋本さんは、男なのに男が好きな自分っていうものに罪悪感を持っていない。完全に持っていないのか、ものすごい努力をして持たないようにしていたのか、それは橋本さんを個人的に知らないので僕にはわからないですけども、文章を読むと、そう読めますね。

●恋愛に必要な陶酔能力

30年前でゲイっていう言葉が一般的じゃなかったかもしれないですけど、この本の中にホモっていう言葉も、まったく出てきません。罪悪感とか被害者意識を持ってしまったら負けと思っていて、「あいつら気持ち悪い」っていうクラスの連中のほうが、つまり〈社会〉のほうが間違っているって橋本さんは考えていたんじゃないかと思います。また、この罪悪感とか被害者意識って、橋本さんぐらいになると、そんなものいちいち抱えている暇がないんだよね。なんでかというと、橋本さんは、そういうことに苦しみを感じる前に、彼との恋愛にふさわしい自分になるために、ものすごい努力をしていて大忙しなんです。

彼と一緒にいるために努力するっていうことを、ろくでもない男を好きになっちゃった女の人が、よくやりますよね。その人に似合う服を一生懸命着るとか。もちろん橋本さんは、そんなことはしません。これ、すごい微妙なとこなんだよ。『恋愛論』を読めばわかるんですけど橋本さんはメチャメチャ乙女ですよ。乙女なんだけど、メンヘラ(精神的に不安定)的な乙女じゃない。すごく男らしい。くだらない世間としての、自分を差別する連中のような卑怯なホモソーシャルではなく、孤独で、でも男なんです。だから「それが正当な人間だ」って言いたいんです、僕は。

自信のない人間が、惚れた相手の顔色をビクビクしながら相手に合わせる、っていうことがありますよね。それはどこかで逆転して、かならず憎しみが生じるわけです。だけど橋本さんはそういうふうにビクビクしていない。自分のことで忙しい、自分が彼をちゃんと愛することに忙しい。それはどういうことかというと『恋愛論』によるならば、陶酔能力っていうことなんです。「恋愛に必要なものは陶酔〈能力〉である」っていうテーゼもお配りした資料に挙げました。これも、どういうことでしょう? ちょっと頭の中で転がしていただきたいんですけど、陶酔するっていうのは、普通は相手を「好き、好き!」ってなることですよね。それじゃメンヘラ一直線なんじゃない? そうじゃないんですね。〈能力〉っていう言葉が付いてるっていうことは、橋本さんにとって陶酔能力とは、相手をすごく好きになりながら、でも、その好きであることに対して自分の中で踏みとどまる力なんです。

自分という離れ小島があって「自分は、あの人を好き!」って感情を得たとき、いろんな妄想が湧くわけです。その自分勝手な妄想をどんどん海の中に捨てて、海を埋め立てていくっていうんです。男が男を好きになるという、現実ではなかなか認められ得なかった自分の恋愛が、別に世間にどう見えるかじゃないんですよ。クラスのみんなにどう見えるかじゃなくて、僕と彼の間で、どう現実になりうるか。だって向こうは高校1年生とはいえウブだったって書いてありますね。橋本さんがエッチなことしようと思って触れるとビックリされるでしょう。だけど「僕は彼が好き」っていう中で、自分のフワフワした妄想は自分の中ではどんどん逞しくなっていくんだけど、それを〈自分〉という離れ小島が〈現実〉という陸と繫がるために、どんどん捨てていく。それで繫がった。まわりを埋め立て終わってみたら、自分が現実に組み込まれてしまったんじゃなく、自分という島がすごく大きくなっていって〈自分というもの〉はハッキリしたものになっていた、という。これ論理としてはよくわからないんだけど、絵としてはすごいわかりますよね。けっこう感動的な絵だと思うんです。

女の人でもゲイでも、同じように男を好きになった時に、恋愛陶酔能力がなくて、ただ陶酔だけをして、自分の陶酔を制御する能力がないと、どんどん自分というものを失っていくことがありますよね。最終的には被害者意識を持って、その男を憎み出してしまう。その男を憎み出すっていうのは、恋愛の最中で男が「ひどい奴だ、私は騙された」って気がついて憎むのか、結婚して30年経ってから「あ、やっぱり、この人は私を愛してなかった」って気づいて憎むのか、それは人によって違うと思うんですけど、男の人に合わせようとしていたら、そうなりますよね。

でも橋本さんは、ここは非常にリベラルというかフェミニズム的な視線を持つんです。「女の人はずっとそれやってきたよね。男に合わせてきたよね」っていうことを言うわけです。橋本さんは、女の味方をするわけじゃなくて、こういう公平なことを言うんですね。現代のフェミニストが言う言いかたとはだいぶ違うんですけど、女っていう性は男にずっと合わせてきたよね、と。ここから「すなわち男が加害者だ」っていうラディカル・フェミニストの話と違うし、注意が必要なところなんですけど、メンヘラの女の子も、女や妻を大事にするって言いながら全然大事にできていない男たちも、自信がないんですよね、男も女も。

それは、その人たちが「悪い」とか「病んでる」って糾弾するよりは、社会とか「こういう形の恋愛が正しい」「こういう形の結婚が正しい」って子供たちに刷り込んだ親の世代とかが、人間から自尊心を奪っていったわけです。でも「自尊心を奪うような社会が良くないんだ!」みたいなことを声高に言うのではなくて「社会というものは、恋愛という部分から人間の自尊心を奪うように、できている」と覚悟すべきなんじゃないんでしょうか。だって社会のために、こういう恋愛をしていかないといけないんだから。

●「気立ての良い人」

ところが橋本さんは、そこで、いつだって社会のためにじゃなく自分自身のために、すごい努力するわけです。世の中はどうだろうと自分は自分だ。相手が、何も考えてなくて気立ての良いお兄ちゃんなもんだから、気立ての良い男を好きになるわけです。これ、急に話が飛ぶみたいですけど僕の中では繫がってるんですけどね、やっぱり、つまんない相手を好きになっちゃダメですね、男も女も。気立ての良い人を好きになりましょうよ。

じゃあ、その「気立てが良い」ってどういうことかっていうことなんだけど、こっちが相手の気立ての良さを引き出すためにも、話が最初に戻るんですけど、橋本さんの持ってる緊張感のなさが必要なのでは。なんか自信のない女の人って、恋愛の場において緊張感があるじゃないですか。男も、初めて好きになった人とか、告白する時とかって、やっぱり緊張しますよね。さっき言った、橋本さんが誰に対してでも愛想良くしてるわけじゃない、媚びを売ってるわけじゃないっていうことです。自信がないから媚びを売るんじゃなくて、自分っていうものを成立させる自信があるから、自分が選んだ相手、自分が「好きだ、この人に対してはフランクな口をきこう」って思えた相手に対しては、ニコニコできるし、優しくなれる。緊張感を解くことができる。

陶酔能力っていうものの説明を橋本さんがしてるんですけど、これは「ガードを外す」ということに関係あります。人間は必ず自分を守ってるわけです。子どもの時からやってるので、自分を守ってるのかどうかすらわからなくなってるわけですよ。わかんなくなってるんだけど、女の人は、自分が好きだと思ったセックスする相手とは「えいやっ!」って思い切ってガードを外せる場合がありますよね。もちろん、女の人でも自分を守りながらセックスしてる人はいて、そういう人は、たぶんあんまり気持ち良くないんだろうなと思います。男に至っては、ほとんどの男はセックスするときも恋愛するときもガードを外せませんよね。心をガードしたままでも物理的な刺激で射精はできるからです。そして、それが男のオーガズムだってことになってるけど、心のガード外さないで射精だけしても気持ちいいわけないんですけど、それが男のセックスだと思わされてる。だから、自分のガードを守ったまま「よーし、女をイカせてやるぞ」みたいな、つまんないセックスをするわけですよ。

橋本さんが言うのは、そうじゃないんですね。ガードを外さなかったら、つまり、その人の前で「自分を縛ってるもの」から自由にならなかったら恋愛じゃない。だけど、それは相手に甘えるということではない。ガードは外すんだけれども、自分の中の「好き、好き」っていう気持ちを全部、相手にむやみと押し付けるわけではない。相手の中に土足で入っていくわけではない。だから、ストーカー行為とかセクハラとかの真逆なんですよね。あるいは、恋愛依存の真逆ですね。恋愛依存というのは、お互いの境界線がなくなっちゃうこと。その逆で、相手のすべては欲しがらない。

これ、読んだかたと一緒に考えたいし、まだ読んでないかたは読んでから考えていただきたいんですけど、橋本さんは、好きになった彼の全部を欲しがっているんでしょうか? だって未来はないわけですよね。でも、彼と〈道行〉なんですよ。スキー合宿で彼と一緒に夜汽車に乗った、それだけで幸せだっていうわけですよ。非常に美しいシーンが他にもたくさんあるので、ぜひ読んでください。これ、「我慢する」とも違うんですよね。その辺、微妙なんだよなぁ。性欲とか情動を我慢してるわけではない。感情が出てきたら、相手の前で泣いていいわけです。むしろ、泣くのを我慢してるほうが、相手に対して「私はあなたをこんなに好きですよ。かまってください」って相手に伝えてしまうかもしれない。本当は一番いいのは、情動が動いた時は泣いて、泣いた後ケロッとしてること。悲しいからだけじゃなくて、相手が本当に美しかった時でも、たぶん涙出てくると思うんですよね。

橋本さん自身は、そういうことを喋りながらね、この本は喋ってるというテイなので、そのことを言葉として言いながら、橋本さんご本人も泣くんですよね。いろんな人がこの『恋愛論』に感心する最大のポイントですけど、理屈を喋ってるようで、いつの間にか少年・橋本治のドラマが始まってる。始まってるんだけど、そのドラマを語っている橋本さんが突然、泣くんですよ。だから謡いとか文楽とか浄瑠璃の話と繫がるのかもしれない。語り手が姿を現していて、その語り手が泣いてるんです。泣きながら喋る。感極まって喋るんじゃなくて「感情が動いたんで、今から泣きます」って言って、泣くんですよね。しばらく泣いてるところをみなさんにお見せしてから、ケロッとして、また喋り始めるんです。これはまぁ、本当にその通りにやったかどうかわからない。もはや、これに収録されてるひとつの演劇だろうと思うんですけど、なんでそんなことをやるかというと、「恋愛って」ていうか「情動って、こういうもんだよ」っていうことを読者に見せているわけなんですよね。

●頑張り屋の橋本治さん

橋本さんは、その彼のことが好きだっていうところで泣いたわけじゃなくて、どこで泣いたかっていうと、さらに話は遡って、いろんな恋愛をしながら「俺って、なんでこんな頑張り屋なんだろう」って考えていて、話の流れでふと思い出すわけです。小学校に入って不安で不安でしょうがなくて、運動音痴で跳び箱も飛べない橋本さんを、お母さんが校庭のフェンスの外から「治、大丈夫かな?」って見ていた。それで治少年、お母さんに助けを求めようとしたんですね。そしたら「来るんじゃない。こっちに来るな!」ってお母さんに言われたんです。彼はそこで泣かないで頑張った。という記憶があって、ようするに6歳の時に、自分が「やらなきゃいけないことから逃げない」っていう約束を母親としたんだっていうことを、30何歳の橋本さんは思い出すんです、喋りながら。そして、この本以降橋本さんの書くものが変わったんだとしたら、そのことを思い出したからだろうなって僕は思うんです。

お母さんが「こっちに来るな」っていうのは、フロイトの心理学でいう、いわゆる「スーパーエゴ」ですよね。自分自身を超えて、何かのモラルがその人の人生を決めている。トラウマじゃないんですよ。これによって橋本さんがゲイになったとか、そういう話ではない。むしろ橋本さんは、この時お母さんに約束したことを『恋愛論』で思い出して、「よし、それで一生いこう」って決めたのかもしれないし、そうじゃないかもしれないですけど、これを考えると「とめてくれるな おっかさん」というあの言葉が、もしかしたら我々が普通に考える意味より深かったのかもって、ちょっと、これも昨日ぐらいに僕、急に思いついたんです。普通に考えたら「自分はこれから全共闘運動に行く。東大で暴れる。男は行かなきゃいけないときがある。かぁちゃん、逮捕されて警官に殴られるかもしれないけど、とめてくれるな」って、まぁ、ヤクザ映画ですからね、あの絵は。高倉健のセリフですか。これから男の子になるんだっていう話ですよね。だけど、もしかしたら根っこにはまったく別の意味があって……、わかんないな。ちょっと深読みかもしれないですけど、お母さんがあの時に言ってくれた「自分のやらなきゃいけないことから逃げるな!」っていうことを、その後、橋本さん、ずっとやっていて、ここから自覚的になったんじゃないかと思うんです。この『恋愛論』という本を書いてから。

●「ドッジボールの女の子」のエピソードが語るもの

あと、もうひとつのポイント、〈ドラマと感情〉。解説でも書きましたけど橋本さんが「男でも女でもないっていうのは、ドラマと感情のハイブリッドの人だ」っていう。さっきの、自分の妄想を捨てて埋め立てていったら自分という現実が現れた、みたいなこと。「愛を得ることは、真剣な戦いだ」っていうわけなんです。そして「相手が美しいんだから、その相手に見合うような美しい自分であれ」って思うわけです。現実をちゃんと生きながらも「好きだ」「相手が美しい」っていうことに関しては現実を脱出しろっていうわけです。

これが難しくて。陶酔能力が弱いとメンタルも弱るんですね。なぜかというと橋本さんが冒頭で言ってる「恋愛は戦いでしょ」って、その通りなんですけど、でも「恋は戦いだ」っていうのはバブルの頃とかに女性の化粧品とか服とかのコマーシャルでさんざん使われてきた言葉ですよね。「恋愛にあたって、自分を武装しろ」みたいな。それこそ「ガードを外すな」ですよね。「男に負けるな」っていうのは、仕事で負けるなっていう意味ではなくて「男を魅了する女であれ。恋愛は戦いだ」みたいな。これは「緊張感」なんですよね。いまだに、そういう緊張感をもって恋愛に臨んでしまう呪縛にとらえられている若い女の人もいるし、どうかすると、今、男のほうがそうなってますよね。恋愛ができない男っていうのが、最初から女の人を憎んでいたりする。「恋愛は戦いだ」っていう話は「だから負けたらダメ」っていうことに簡単にすり替えられてしまう。

そこで、これは橋本さんのような魂の強い人にしかできない話なんですけど、論理を逆転させて「いや、恋愛が戦いだって言って武装するんじゃなくて、〈戦い〉という対等なコミュニケーションの中にこそ恋愛が見つかるんじゃないの?」っていう話がね、この本に出てくるドッヂボールの女の子なんですね。読んでないかたのために言うと、さっきの小学1年生で、彼はお母さんに言いつかるわけですよね、「逃げるな」って。そしてその後、小学6年生になった時に、やっぱり運動神経なくて、なにしろ〈牡羊座の早生まれ〉なんで「体を動かすっていうことがわかんなかった」って。でも、そんな橋本さんが6年生の時に、ある女の子とドッヂボールで対決する。あんまり詳しく語ってる時間がないので、読んでください。このシーン最高なので。その後、高校に入って自分が綺麗な男の子に恋をするようになるとは露知らず、橋本少年はこの時、この女の子に、恋っていう自覚はなかったと思うんだけど、彼女のことを「綺麗だな」って思うんですよね。彼女がドッヂボールのクィーンになって、動きが不細工だった橋本さんが彼女と戦ってるうちに、だんだんドッヂボールを覚えて、対等に戦えるようになるんですよね。その時に彼女がニヤッとしたっていうんですよ。みんなでドッヂボールしてるのに、図体はデカいんで橋本さん、球を受け止めることはできた。その受け止めた橋本さんに向かって、ニヤッと笑った。「そのニヤッて笑ったのを、見たのは僕だけだ」っていうことが書いてあるんです。これは恋ですよね。

人と接する時に、厳しいことは言うんだけど、ニコニコ笑っていたほうがいい。気立ては良いほうがいい。だけどやっぱり、生きてることは真剣勝負で、自分がこれをやらなきゃいけないんだっていうところでは男も女もゲイもへったくれもなくて、本気で戦っている。だけど、その体を張って戦ってるところで、別にスポーツとか喧嘩とかじゃなくてもいいわけなんですよ。仕事でも何でもいいし普通に言葉を交わすっていうことでもいい、一瞬わかりあえるってことが起きると思うんです。橋本さんドッヂボールに関して、この時〈成長〉したんです。負けられない意地みたいなものがあって、ドッジボールでしか戦えない彼女と、ドッヂボールと関係ない橋本さんが偶然、戦ってるうちに、橋本さんが成長していってドッヂボールできるようになっていくんですよね。そのときに恋が芽生える……、とは書いてないですけど。

高校のカッコいい男の子と恋をしてた時にも、やっぱり橋本さん、頑張ったんですよね。それは「お化粧をして、彼が連れて歩いて恥ずかしくない女になろう」ということではなく、「僕、綺麗になったでしょ? 僕を見て」っていうような承認欲求じゃなくて、恥ずかしくない自分になろうっていうことです。そうやって自分を鍛えていった。「恋愛って、そういうことだろう」って、橋本さんは言ってるんです。その経験が、この後の作家・橋本治に効いてくるんですね。

さっきも言いましたけど『シンデレラボーイ シンデレラガール』は、やっぱり恋愛の本でもあるんだけど、兄貴が子どもたちの未来に向けて書いた本ですよね。「自分を愛する」ってことについて書かれた本。それは橋本さんが自分自身に向けて書いて、それが通じる人だけに届けられた。だけど、この『恋愛論』で自分を振り返る前に「人生相談」をやって、そのへんから橋本さん本当に「読者のために」ものを書くようになったわけです。『定本 チャンバラ時代劇講座』を書いて3人称が書けるようになった。原点である『桃尻娘』シリーズも時間かかったけど完結させた、みたいなのは文体の話であって、もちろんそれは重要なことなんですよ。橋本さんが一人語りをやめて普通の小説が書けるようになったっていうことなんだと思うんですけど、つまり他人がいないと3人称は書けない。

そしてその奥の動機には、『恋愛論』に収録されたエッセイの、有吉佐和子さんが関係しています。有吉佐和子さんという偉大な女流作家が、まだチンピラ作家である橋本治とわかりあって親友になって「あんた、頑張りなさい」って言って、有吉さん、その後ほどなく突然、死んじゃうんです。生前の有吉さんに最後に会ったときの別れ際、まさか有吉さん死ぬと思ってなくてすごい元気で、橋本さんが最後に駅の改札で手を振ったっていう場面も感動的なんで、ぜひ読んでください。

ありふれた言葉で言うと「バトンを受け継いだ」って言うんでしょうか? 橋本さん、『桃尻娘』も『シンデレラボーイ シンデレラガール』も、自分のことを表現したくて書いて、それで作家になったけど、有吉さんが死んだ後は「大作家になろう」って思ったんだと思うんです。そう約束したんです。だって有吉さんとの関係、明らかに恋愛なんだもん。橋本さんは、まだそんなには売れてない作家でゲイで、有吉さんは橋本さんより15歳ちょっと年上の女性で、お亡くなりになった時まだ若いですよね(享年53歳)。だけど大先輩で、大ベストセラー作家、国民的作家ですよ。でも明らかに有吉さんは橋本さんのことが好きだし、橋本さんも有吉さんを好き。で、橋本さん、頑張るんだよね、有吉さん亡くなってから。そして『恋愛論』を書いて、自分の恋愛というものにケリをつけて、『恋愛論』の最後で「僕、もう誰かを好きにならない」みたいなことまで書いている。これは有吉さんのことじゃなくて、30歳の時に彼女がいる男性を好きになって、仲が良くて、その人のことが必要だったんだけど、彼にはもう僕が必要なくなったということを知って、橋本さん「もう自分が生きてる意味がなくなったっていうことを体で知った」みたいな乙女なことを書くわけです。だけど橋本さん1晩だか2晩だか泣き明かして「あっ、この泣いてる僕って小説になる!」みたいなことを思うんです。

『チャンバラ時代劇講座』を書いて3人称の文体を得て、『貞女への道』という本も、僕がパクりましたけど、一種のマニュアル本というか、読んだ人に向けて説く本ですね。『ハイスクール八犬伝』っていうのは、これは誰も覚えてないと思うんだけどラノベ書いてるんですよ橋本さんも。SF八犬伝ですね。高校生に八犬士が乗り移って悪と戦うみたいな話なんだけど、8巻で、これ完結してないんじゃないかなぁ。あんまりウケないんで、それは自分のやるべき仕事じゃなかったと。もう「そういうのは栗本薫に任せた!」「現代の清少納言は新井素子さん、やってよ」と。「僕は、その代わり、本物の清少納言に憑依するから」って。つまり橋本さんは覚悟を決めて、このあたりで自分が「やるべきこと」を見つけたのではないか。はい、重要な本をひとつ忘れてました。『枕草子』の仕事が、やっぱりこの時代にあるわけです。『桃尻語訳 枕草子』は古文に苦しむ高校生たちを相当、助けたと思うんですよね。

それを書いてから『愛の矢車草』。普通の小説なんだけど登場人物は変態オンパレード。つまり言ってることは『シンデレラボーイ シンデレラガール』と同じで「変態だっていうことは、変なことじゃないよ」っていうことを、自信を持って世の中に対して言うんです。世の中から「変だ」って言われてることを「変じゃないよ」って肯定する。変な人たちの生き様が書かれている連続小説なんですけど、『生きる歓び』とか、『つばめの来る日』とか、ゲイの男の子が出てくるんだけど、こじらせたサブカルじゃなくて、とても普通の小説です。

この講座で先生のどなたかが、三島由紀夫との対比でおっしゃってたと思うんですけど、『桃尻娘』時代の一人語り、あるいは『恋愛論』の一人語りと違って、主人公の内面を語らせずに風景を描写することで、より内面を描いている。そういう高等テクニックをこのころ得た橋本さんは『窯変 源氏物語』を始めるんですね。そして橋本麻里さんがお話しされた『ひらかな日本美術史』があって……。『窯変 源氏物語』は、窯変って かま の中で焼きものが焼き上がって美しく変わるっていう意味ですよね。ゲイである自分を通しての光源氏と女たちの物語。『双調 平家物語』は一転、男たちの歴史ですよね。だけど、先日の講師の町田康さん曰く、本当に愚か者ばっかり出てくる。司馬遼太郎とか『新平家物語』の吉川英治とか、僕は読んだことないんですけど、こっちはたぶんマジメな男たちの話ですよね。サラリーマンとか高度成長期の人たちが愛読したマジメな小説です。自民党の政治家とかも読んでたわけですよね(笑)。だけど橋本さんの『双調 平家物語』は違う。みんなが、じつは「きらびやかなもの」を求めていた。昔の日本人みんな性のエネルギーにつき動かされてた愚かな人たちだったんじゃないか。

この時期から橋本さん、教科書みたいな本をすごい書き始めるんです。『ぼくらのSEX』は完全に高校生・中学生向けの性教育の本です。それから『美男へのレッスン』とか、新書で『男になるのだ』とか『古典入門』とか。これ、まさに後に新潮社とか集英社とかからバンバン出る橋本さんの新書の元になってると思うんです。

ちょっと駆け足になりますけど、お渡しした資料に大きい文字で書いてあるのが『天使のウィンク』っていう本です。2000年に出ている時評エッセイで、てことは、たぶん『双調 平家物語』を書きながら書いてるんですよ、同じ中央公論なんで。この本で「怖くないよ」って言うんです、橋本さん。「論理があれば怖くないよ。でも、その論理っていうのを言ってるのは、僕っていう天使だからね」。『恋愛論』の最後で橋本さん「俺が男を好きになることは、もうないよ。俺が天使になるんだ」ということを言う。関係あるかないかわからない、橋本さん本人も忘れてたかもしれないけど、その10年ぐらい後に『天使のウィンク』を書いて、地上からちょっと浮いたところから現実の人間たちに向けて「こう考えれば怖くないよ」っていうのを、大人たちに向かって言うんです。それから、ずーっと新書を書き続けるでしょ。ちくまプリマー新書の『勉強ができなくても恥ずかしくない』なんて、中学生向けの本ですからね。よくこんなこと言いますよね。でも、これ、同じなんですよ、言ってることが。「自分は変態かもしれない」っていうふうに思っちゃった男の子に対して言っている。同じこと『青空人生相談所』でもやってます。「変態だっていうことは、別に変なことじゃないんだよ。勉強できなくても恥ずかしくないんだよ。強くなりな」っていうことを、子どもたちに向けて、ずっと言い続けてるんですよね。

それを言いながら、若いオッサンたちに向けて、かつて若い頃、自分のおもしろエッセイを読んでいた人が大人になって新書を読むとなった時に、その人たちに向けて、つまらない言葉を使えば「人生どうやって生きるか」という本を書くわけです。同時にサブカル評論じゃなくて三島由紀夫論とか小林秀雄論とかで本格的に大作家になっていくわけです。3人称の小説も書き、そうやって有吉さんとの約束を果たしながら、新書『上司は思いつきで物を言う』はタイトルだけでメチャクチャ売れたそうです。こういう橋本治の諧謔が、どうやって生きていったらいいのかわからなくなった人たちに効く。セーター編んでる時から、『恋愛論』の時から、ずーっと同じ「読者を励ます」っていうことをやり続けるわけです。

『性のタブーのない日本』も僕にとっては教科書みたいな本です。江戸時代の日本人はどんなセックスでもやっていた、タブーはなかった。ただ、恥という概念だけがあって、タブーというのはキリスト教が輸入された時に輸入されたんだという、もうたぶん定説なんだと思うんですけど、普通の人はあまり言わないことですよね。それを、国文学の基礎がわかってる橋本さんが、セックスと恥とタブーの歴史を普通の人に向けて書いてしまう。

●ニコニコ笑いながら、対話をすることが恋愛

『恋愛論』で自分のことを書いてるようなんだけど、講演で泣いてみせて、読者に対して「恋愛っていうのは、この世にはないものなんだけど、やっていいんだよ。でも恋愛をやるっていうことは、頑張らなきゃいけないことなんだ。あなた自身が恋愛をし続けるために、強くあり続けなきゃいけないんだ」と言っている。この「強く」というのは、競争に勝つための強さみたいな、いい女になるとか、金持ちになるとか、新自由主義的な強さではなくて、橋本さんが持っていた強さ、持とうとした強さなんですよね。どんどん新しい自分になっていく。それには相手とちゃんと話すことだ。自分が「この人を好き」って認めた相手と、怖い顔してないで、ニコニコ笑いながら気立ての良い人間になって、相手の言うことをちゃんと聞いて、今の言葉で言うと対話することが恋愛であり、強くなることだよっていうことを言ってるんですよね。

この『恋愛論』が、橋本さんが亡くなる直前まで書いていたエッセイや子ども向けの本に、ずっと響いていたっていう話です。

ちょっと時間オーバーしちゃったんですけど、ちょっとだけ読みたい。『恋愛論』は読みません。『恋愛論』はご自分で読んでください。『負けない力』っていう本は2015年ですよね。いま言ったような「強くなるってことは、勝とうとするみたいなヤボなことじゃないんだよ」っていう話。「ずっとアップデートするということ、人を好きになり続けるっていうことは、負けないっていうことをしてるんだよ」という話です。3行だけ読みます。

「あなたも一人の人間なら、あなたの周りにいるのも、あなたと同じような一人の人間で、すごいことに、この世界はそういう無数の一人の人間によって出来上がっているんです」

これをサラリーマン向けの自己啓発書で書いちゃうんです。「強くなれ」なんて言わない。「負けないようにしよう。そのために知性が必要だ」っていうことを言うんですけど、同じこと言ってるんですよ、この『青空人生相談所』と『恋愛論』の時代から。

最後にもう一冊だけ。これ、一番最後に書かれた子どもの本です。『国家を考えてみよう』っていうプリマー新書で、社会学っていうか、公民? 政治とかを、ませた中学生とか高校生に伝える本です。このシリーズで性教育の本も復活させてほしかったんだよな……。この本の最後の章の一番最後に、「ハッキリしてるのは、大切なことはちゃんと考えなければいけないっていうことだけです。ちゃんと考えたって、そうそう簡単に答えは出ません。でも、大切なことは、ちゃんと考えて、うっかりして人に騙されないようにしなければいけないのです」。こんなことを高校生に向かって言うんですよね、橋本さん。

同じ本のあとがきからも、ちょっとだけ読みます。「『選挙に行こう』っていうのはいいんですが、でも、選挙に行って、何を基準にして選んだらいいのかが分からないっていう悩みだってあります。選びたい人がいないとかね。選びたい人がいなかったらどうするのか。進むべき方向は決まっています。政治家として選びたいような人が生まれてくる世の中にする。これです。もしも君がすることがなくて暇だったら、そのように考えることをお勧めします。することがあるのなら、なおさら、そのように考えることをお勧めします」。わかりやすい文章でしょ?

じゃあどうしたらいいのかっていうことを、中学生でも大人でも、自分の頭で考えないといけない文章ですけど、伝えようとしてることは明確だと思うんです。僕、これ、本当に『恋愛論』とまったく同じこと言ってると思うんですよね。ためしに、いま読んだ部分を、ちょっとだけ勝手に変えて読んでみます。「『恋愛をしたい』はいいんですが、でも、恋愛をして、何を基準に誰かを好きになっていいのか分からない、誰を好きになっていいのか分からないっていう悩みだってあります。恋人にしたい人がいないとかね。恋人にしたい人がいなかったらどうするの? 進むべき方向は決まっています。恋人として選びたいような人が生まれてくる世の中にする。そして、あなたが『恋人として選ばれるような人』になるんです。することがなくて暇だったら、今、あなたが恋をしてなくて暇だったら、そのように考えることをお勧めします。今、あなたが恋をしているのなら、なおさら、そのように考えることをお勧めします」。同じことを言ってるんですよね、橋本さん。

ということで、僕の大好きなこの『恋愛論』という本が、最後まで橋本さんが〈仕事をする〉っていうことに響いていたんじゃないかと。単なる自分語りで終わったんじゃなくて、その後、ずっと続いていたんじゃないかというふうに、僕が思ってしまったっていうお話でした。ありがとうございました。

●質疑応答

河野:質問を受け付けたいと思います。
二村:あの、僕、先生でも何でもないので、一緒に考えましょう。

受講生:最初に挙げていただいた4冊の本、まさに、私、10代の時にメチャクチャ読み込んで、これが普通だと思って大人になってしまったんです。
二村:(笑)
受講生:今、まわりの、同世代なり年下なりと話をしていて、特に普通の異性愛の男女の結婚の話や恋愛してる話を聞いてると、もう恋愛の話じゃなくて、なんか奴隷プレイか何かの話なのかな? みたいな感じがします。この感覚で普通に話せる友達は、言葉が悪いですけど、ヤリマンの女の子か、ゲイの男の子か、世の中でいう変態的な性癖を持ってる人とかと話がすごい通じるんですね。ちょっと本当にマズいなぁと……。最後におっしゃっていた、ちくまプリマー新書の、若い人向けに橋本さんが書いていらっしゃるシリーズ、まさに本当に性教育の本書いてほしかったなと思うんですけど、二村さんがそういうのを書かれるご予定とかないですか?
二村:あの……、荷が重いですけど、橋本さんのこと、僕、本当に好きなんで、本当にそう思うんですよね、誰かがやらなきゃいけないし。今、アダルトビデオが金にならないんでAV男優がみんな性教育を始めてるんです。そこではみんな、まともなことを言うわけです。「コンドームはつけよう」とか。当たり前だよね。もちろん当たり前のことも誰かが言わなきゃいけないんだけど、なにもAV男優に教わらなくてもいいだろう(笑)。あとはフェミニズムの見地から「女の人を傷つけないように」っていう、そういう2種類の性教育がインターネットに溢れていて、どっちも「正しい」んですけど、もし僕がやるんだったら正しいことは人に任せて、もうちょっと違うことをやりたい。「本当に自由でいいんだよ。だけど、自由であるためには、考え続けなきゃいけないんだよ」っていう性教育を、やりたいですよね。本の形になるかどうかわからないんですけど、『負けない力』で橋本さんが「自分は、もう60何年理屈をこねてきたけど、やっぱ対話が大事だよね」っていうことを最後におっしゃていて、僕、じつは今夜もやるんですけど〈哲学対話〉っていうやりかたで性教育の話ができないかなっていうプロジェクトをやっています。実際にはまだ子どもたちとは対話できてないんですけど、親御さんとか先生とかと、そういうのは怖くないんだよという話をしています。そういうのを通じて、橋本さんのいろんなヤバい本を子どもたちに読んでもらいたいと思います。セックスの問題は、本当に未来だと思うんで、橋本さん亡くなっちゃったしね、頑張ります。ありがとうございます。

受講生:二村さんが、たぶん中条(省平)さんに、「橋本さんって、男でも女でもない人だったんじゃないか」って質問されたのを覚えていて、それと関係するんですけれども、その時に中条さんが「『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』とかの後に、橋本さんは、あんまり内面のことを書かなくなって、表面だけ書くようになって、うまくすり抜けられたような」っておっしゃっていた。要するに、男性とは何かとか、女性とは何かって、突き詰めることに関する対抗策として、直接語らないで、まわりのことだけ書いたり喋ったり、あるいは行動したりって、すごくいいやりかたなのかなっていうのは、今、二村さんのお話を聞いて改めて思いました。間接的な対応策っていうんですかね。
二村:それは、セクシャリティの問題ですか?
受講生:それだけに限らないと思います。
二村:ありがとうございます。さっきも言いましたけど、僕はおもしろエッセイになってからハマり始めたので、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の当時の読者ではなかったし、良い読者ではないんですけれども、じつは僕も少女漫画論の本を書いてまして、『綿の国星』をなんで男は語りたがるのかっていうことなど書いています。角川書店の金子さんという女性編集者から「二村さんの『キンピラゴボウ』を書いてよ」って言われて書いてしまったものが、連載の時は『AV監督にとって少女マンガとは何か』っていうわかりやすいタイトルだったんですけど、本にした時『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』というタイトルになりました。「キンピラゴボウ」への対抗意識はなく、僕なりに、なんで男が少女漫画を読むのかっていう本を書きました。すいません、今の話に重ねて、宣伝をしてしまいました。申し訳ないです。そうか、中条さん、橋本さんがすり抜けたっておっしゃいましたっけ?
受講生:中条さんは、うまく逃げたとか、うまく逃がしたって言ったんですね。
二村:逃がした、ね。
受講生:電気を逃がすみたいな。
二村:ぶつかっていって、そこで破綻しなかったっていうことですよね。それ、引き続き考えてみたいと思います。ありがとうございます。

受講生:今のご質問を伺って、ちょっと連想したのが、前回演奏してくださった浄瑠璃の道行が、まさにその風景描写をして、風景描写だけど娘の気持ちを表している。それが、婚約者に会いに行くのだけれど、不安な心とかを全部その風景が表している。そこに凝縮されているんだっていうようなことを、今、ふと思い出しました。だから、一方で、「すり抜けた」っていうのもあるかもしれないんですけど、そういうことも頭にあって、それに仮託するというか、そういうもので何かを表現するっていうことも考えられたのかなとも思うんです。
二村:はい。文芸評論家ではないので、うまい答えが出ないんですが、お読みになっていらっしゃるのでわかると思うんですけど『恋愛論』では毛布に花が咲きますからね。本当に、あれ道行ですよね。夜汽車もそうなんですけど、読んでない方はお楽しみに。風邪で寝てる同級生の毛布に花が咲き乱れるんですよ(笑)。「だから好き、好き、好き!」とか言わないんですよね、橋本さん。ただそこに花が咲いて、それは「波打ち際だ」みたいな、また訳のわからないこと言うんですよね~。いや、完全に道行だなって、僕も先週思ったんです。ありがとうございます。

受講生:私の持ってるのは最初の本なんですけど、有吉佐和子さんのエッセイとか3つが最初に入ってるんですね。
二村:そうですね、順番がね。
受講生:それが新しい文庫で後ろになってることの意味は?
二村:僕は「出して、出して!」って僕の本の担当編集者にお願いしただけで。『恋愛論 完全版』をまとめたのは、今日も来てくれてて、その辺にいますけど、編集の彼なので(笑)。順番変えたのに意図ありました? 橋本さんがそう言ったの? そういうわけではない?

イースト・プレスの編集者:いえ……。覚えてないんですけど……『恋愛論』の本を出そうと思ったので、恋愛論をまず読んでもらいたいっていうのがあって最初にもってきたような……気がします。
二村:言われて思い出しましたけど、たしかに講談社文庫版は、先にこの3つが来るんだよね。だから読みやすいかもしれない。やっぱり『恋愛論』は文章がとっつきにくいので。これは『桃尻娘』ともまた違う橋本さんの一人語りで「あ、これは語りなんだ」「演劇なんだ」「長い一つのセリフなんだ」って思えば、一種の小説だってわかるんだけど。講演の速記録だと思うと読みにくいんですよね。あと当時の読者は、有吉佐和子さんのこともニットの本のことも記憶に新しかっただろうし。先にエッセイがあったほうが読みやすくて、落語の寄席とか歌舞伎みたいに「真打ちが最後」っていうことで、デカい『恋愛論』が最後だったのかもしれないですよね。でも、完全版では、あとがきも今までのあとがき全部入れようっていうことで、まず『恋愛論』を読んでもらおうっていうことでこうなった結果……どうなったかというと、前の授業で町田康さんがおっしゃってた読書会、猫町倶楽部っていうのがあるんですけど、そこで『恋愛論』もやってもらったんです。僕と漫画家の新井英樹さんが、橋本治ファン代表として行って、そしたら今の若い読者から「この『恋愛論』の語り、全然わかんないです」って言われましたね。「嗚呼、サブカルは遠くになりにけり」っていう感じがしたんですけど(笑)。すいません。余計なことを言いました。校長先生、こんなことで良かったんでしょうか?

河野:はい、どうもありがとうございました。

付記:講義の中で触れた橋本治『ぼくらのSEX』が、今回の講義をきっかけに『恋愛論 完全版』と同じく文庫ぎんが堂(イースト・プレス)から、2021年2月に復刊されることが決まりました。二村ヒトシさんが解説を書いていらっしゃいます。

(おわり)

受講生の感想

  • 二村さんから、「恋愛、結婚、SEX、何が一番大切ですか?」 という質問がありました。もちろん二村さんをもってしても正解はありません。橋本治さんが正解を持っているような話ではありません。個人的事情から、恋愛、結婚、SEX……頭の中にたくさんあった言葉たちが、頭の中をぐるぐるめぐっていました。二村さんは最後に「僕、先生ではないので一緒に考えましょう」とおっしゃいました。私より、ずっと、恋愛やSEXについて考えられた方にこう言われて、またいつも通り「正解を求めちゃダメだな」と気づく始末……。そういえば、授業中に「自分で考えろ」というメッセージがありましたね。橋本治さんは放り出すわけでなく、説明は丁寧にしてくれるんですけど、結局、この結論に至りました。いやー、こんなに悶々とした授業は、これまでなかったかもしれません。自分で考えるのは大事だけど、答えが出ないこともあるよねくらいのスタンスも大事だと思いました。楽にいこう。

  • 二村さん、本当にこの本を敬愛していらっしゃるんだなー、というのが、ひしひしと伝わってきました。やっぱり自分で読まないとわからないところが残ります。読んで、自分で考えてみようと思います。