橋本治をリシャッフルする。 
第9回 矢内賢二さん

小説は義太夫節をめざす――浄瑠璃熱のこと

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矢内賢二さんの

プロフィール

この講座について

おめでたい席で上演される浄瑠璃「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」からはじまったこの授業。竹本越孝さんと鶴澤寛也さんを特別ゲストにお迎えして、女流義太夫の実演と矢内賢二さんの解説で、橋本治さんが「近代小説の先祖である」と指摘した日本の「語り」という芸能について考えました。橋本治さんの作品に当たらな光を当てた授業をお楽しみください。(講義日:2020年8月29日)

講義ノート

●まずは義太夫節を

矢内:ようこそいらっしゃいました、こんにちは。お暑い中、ありがとうございます。矢内と申します。今日は浄瑠璃、義太夫節という、たいへん渋いテーマで、「小説は義太夫節をめざす」とシンボリックなタイトルがついておりますが、開講でございます。いろいろ考えた挙句、最初に有無を言わさず、義太夫節を聴いていただこうという趣向でございます。演奏は竹本越孝さん、鶴澤寛也さん、お二人です。どうぞ。

……。

だいたい「どうぞ」って言う時は、前もってチラッと見てから「どうぞ」って言わなきゃいけないんですけどね。油断してしまいました。なんでかって言うと、今、大学の授業ってオンラインなんですね。ですから先生は、ディスプレイに向かってしゃべるんです。あれ、やったことあります? 一人でディスプレイに1時間半しゃべるっていうの。なんか虚無に向かってしゃべってる感じがして、非常に不思議な体験です。ということもありまして、それから夏休みに入ったでしょ。だから、大勢のみなさんの前でしゃべるの、ものすごく久しぶりなんです。半年ぶりぐらい。なので、実は、内心、緊張しております。舞台用の声もなかなか出ないんですね。頑張ってしゃべりたいと思います。はい。じゃ、改めてどうぞ、お二人、ご登場ください。

最初にお聴きいただきますのが、お手元に詞章が配られておりまして、まず、 寿式三番叟 ことぶきしきさんばそう 。「ことぶきしき」じゃないですよ。「ことぶき、しきさんばそう」。どういう曲かと言いますと、実はストーリーらしいストーリーは全然なくて、要は、非常に聖なる存在が舞台上に出てきて、五穀豊穣、天下泰平を祝福するという、おめでたい曲。ご祝儀曲と言いますけど、ひたすらおめでたい曲です。ですので、舞台開きであるとか、お正月とか、そういうおめでたい時に演奏されるんですが、全曲は詞章にある長さですが、今日は四角で囲みました最初と真ん中と最後、コンパクトな抜粋版です。まず、義太夫節というのは、こういう音色で、こういう声で、こういう味わいのものだというのを体験していただきたいと思います。それではどうぞ、よろしくお願いいたします。

(寿式三番叟)(詞章)
それ豊秋津州の大日本 国常立の尊より 天津神七代の後 地神の始め天照らす 太神
(中略)
「おおさへおおさへほふ喜びありや喜びありや わがこの所よりもほかへはやらじとぞ思ふ」
物の音につれて立舞ふ小忌衣
千歳は近江なる白髭の御神なり
黒き尉は住吉の太神
鼓は浪のどうど打つ 音は高天原なれや
岩戸に向かふ神かぐら ほそろぐせりと吹く笛も
ひいやひしぎの音色まで 春は霞の立姿
(中略)
柳は緑 花は紅数々や
浜の真砂は尽きるとも 尽きせぬ和歌ぞ敷島の 神の教への国津民
治まる御代こそめでたけれ

ありがとうございました。寿式三番叟でした。そもそも義太夫節というものがこの世の中にあるというのを知りませんでしたっていう方、どれくらいいらっしゃいます? 全然恥ずかしくないですよ。たぶん、そっちの方が普通だと思います(笑)。あるのは知ってたけど、生で直接聴くのは初めてっていう方? ああ、けっこういらっしゃる。なかなか聴く機会ないですもんね。

●音だけで世界を構築していく浄瑠璃

今日のタイトルは「小説は義太夫節を目指す――浄瑠璃熱のこと」。義太夫浄瑠璃という言葉が入っておりますので、とりあえず、この言葉について少しお話をしておかないといけないだろうということで、浄瑠璃とは何かというお話からしていきたいと思います。浄瑠璃って、日本語として非常に奇妙な音でしょ。関西訛りで「じょろり」なんていうお年寄りの方もいまだにいらっしゃいます。辞書的に説明しますと、要するに、非常に長い物語です。大きなストーリーに、音楽的な節、旋律を付けまして、人間の声で、聞き手に語り聞かせる芸能。そういう、人間の声で語る、語りの芸能の一種。こういう語りの芸能を、音楽とか芸能論の方では、ジャンルとして「語りもの」という風に呼んでいますけど、その一種が浄瑠璃です。だいたい、江戸時代の頭ぐらいにカッチリ形が出来上がった物で、今、モニターでご覧いただいてるのは、『和漢三才図会』とか『訓蒙図彙』って江戸時代の百科事典です。挿絵入り百科事典。これにちゃんと浄瑠璃、「じやうるり」と書いてあります。『訓蒙図彙』の方は「浄瑠璃太夫」という形で項目が立てられておりまして、当時はこの絵のような感じで語っておりました。今はしませんが、どうも江戸時代には、必ず右手に扇を持って、パンパンと拍子をとりながら語ったようであります。

語り手を太夫と申します。今、竹本越孝さんが太夫ですね。それに三味線の伴奏が付きます。で、いつも思うんです。便宜上、伴奏ということが多いんですけれども、いわゆる歌謡曲などの伴奏とは意味合いが違います。つまり、もっと意味が重いんですね。単に歌とか語りにバックで音楽をつけるというだけではなくて、三味線自体が、たとえば登場人物の心情であるとか、その時の景色であるとか、いろんな「模様」と言いますけど、その時の情景を、三味線もまた音色でもって表現するという非常に重要な役割を持っている。そして、太夫の語りと三味線の音色とがつかず離れず渾然一体となって、ひとつの世界を構築していく。音だけで、ですよ。小道具も衣装も何も使わず。音だけでそれを構築していくという、ものすごい芸能が浄瑠璃なのです。

歴史をどんどん遡っていきますと、古代以来、日本にはいろんな語りの芸能がありまして、恐ろしいのは、それがだいたい残ってるということなんですね。今でも、聴こうと思えば聴けるというのが恐ろしいところです。たとえば、一番古いのだと、ショウミョウと読みます、声明。つまり、仏教でお坊さんがお経をあげますね。そのお経に音楽的な旋律が付いているものがあります。中には、本当に物語みたいにストーリー形式になってるものもあるんです。古くはそういうものから、「耳なし芳一」でお馴染みの琵琶法師の芸能、「平家物語」、それから、能の謡いも「語り」です。 説経 せっきょう 節、お父さんのお説教ではなくて、経、つまり、仏教の経典を易しく物語にして説き聞かせるという芸能が、説経節。いろんな伝統が積み重なった末に、江戸時代に入りまして、浄瑠璃という芸能が出来上がる。

当然、この浄瑠璃の中には、いろんな語りの芸能の語り方が流れ込んでおります。時代を越えて、いろんな語りが、次の時代の語りに影響を与えたり、あるいは、同じ時代の語りの芸能が、それぞれに影響を与えあったりしながら、浄瑠璃というのが出来上がってきたわけです。

そして、いろんな浄瑠璃の語り手(太夫)が出てくるんですけれども、その中で斬新な語り口――これが、当時どう斬新だったのかというのは、残念ながらよくわかりません。なにしろ、録音が残っていないのでわかりませんが、並みの浄瑠璃とは違う語り口――を開発して一世を風靡したのが、竹本義太夫さんという人であります。17世紀後半から18世紀はじめにかけて活躍した人物ですが、この義太夫さんの名前をとりまして義太夫節という。この竹本義太夫が創始した浄瑠璃の一派を、義太夫節と呼んでおります。この義太夫節が、とにかくものすごい人気を集めました。他にも、何々節、何々節っていろんな浄瑠璃があったんですが、義太夫節に飛びぬけて人気が出てしまったので、他の浄瑠璃は地盤沈下してしまった、というぐらい人気があった。現在では、人形浄瑠璃=文楽の上演にも義太夫節が用いられるというのは、みなさんよくご存知かと思います。

●「物語」のそもそも

浄瑠璃は語りの芸能であるということなんですが、この「語る」というのが日本語の動詞の中でも非常にいろんな意味を持つ……何て言うか、懐の深いというか、ひと癖ある動詞です。どういうことかなって考えてみると、おそらく、人間が言葉を使って、どこかで起きた出来事、多くは過去の出来事なんですけど、それを誰かに向かって伝える、表現する。あるいは、何か記録として残しておきたい。村の言い伝えなんかもそうですよね。そういう時に語るという動詞を使う。語るという行為を通じて、記録を残したり、表現したりするって、人間にとってものすごくプリミティブ(原始的)って言うか、言葉を覚えた人間にとってものすごく魅力的なことが、たぶん「語る」ではないかというような気がします。

辞書をひくと、「かたる」って、「騙る」と書いて人をだますという意味もありますよね。あれは、つまり、物語を使って人を騙すわけですね、欺くわけです。詐欺師がそうです。実際にはないストーリーをでっち上げて、それをうまく吹き込んで、人を騙る。「語る」と「騙る」というのは、うまく通じあってるわけです。

人が物事を語る時には、とにかく人が二人いれば物語は成立します。誰かが誰かに向かって、何事かを語る。誰かが誰かに出来事を語ることによって、そこに物語、物を語る物語が生まれる。普段あんまり物語の語源なんて考えないと思うんですけど、非常に単純なんですね。物を人間が語ることが、物語。常にそこには聞き手がいる。今、村の言い伝えって言いましたけど、たとえばよくあるイメージとしては、囲炉裏端で、おじいちゃんが孫に向かって、「むか~し昔、あの松の木には、天狗が棲んでおっての……」、あれ、物語ですよね。過去の出来事を記録し、表現し、伝達している。別に、そんな難しいこと言わなくても、我々、日常的に物語っています。学校行って、「聞いた? 聞いた? 昨日、田村先生、こんなこと言ってたらしいぜ」、「うそ~!」。あれも物語ですね。過去の出来事を語り伝えている。多くの場合、そこにはいろんな脚色とか、その場面の再現とか、演劇的な要素が加わるわけですけど、我々、日常的にそうやって物語を紡ぎ出しながら、知らず知らずのうちに生活している。というので、実は、語るという行為はものすごく身近なものであると共に、その物語によっては、非常に壮大なスケール、「今、ここ」の話では全然ない、違う時代の違う場所の話というのを、声と三味線で紡ぎ出すのが、浄瑠璃なのですね。

今の我々は、物語って聞くと、まず字になったものが本の形で出てくると思うんですね。物語っていうと本の絵が出てくると思う。おそらくそういう方が多いと思うんですけど、実は、歴史的には、物語が字になったのは後から起こったことで、もともとは、今お話ししてきたように、人が人に声で喋りかける。それを一生懸命聞くというのが、物語の一番ベーシックな形なのですね。だから、我々、つい、物語というと、小説とか童話とか絵本とか、読む物を思い浮かべがちですが、実は、本来は字で読むものではなくて、声を出して語るものであり、それを聞くものっていうのが、物語の本来の姿なのですね。まだまだ橋本さん、出てきませんよ(笑)。

●小説が生まれたとき、模索された文体

ところが、物語がだんだん文字という形で定着して、目で読まれるようになります。今度は文学のお話に移っていきます。徐々に、橋本さんに近づいていきます。書くことによって生まれる文学作品ですね。

江戸時代が終わります。明治時代になります。日本の文学で一番おそらく大きな事件は、小説というものが日本に生まれたこと。生まれたというか、正確に言うと、海外から輸入されてきたわけですね。「どうもヨーロッパには、小説という非常に現代的でモダンで、生々しい人間像を描く文学があるらしいぞ」っていうのが伝わってきたわけです。そこで、当時の文学者は、「じゃあ、これからの新しい日本を十分に描くために、小説というものを書こう!」って思い立つのですが、そこではたと困るわけです。小説を書くための文体がないんですね。どういうことかと言いますと、江戸時代までは、書き言葉と話し言葉が、かなり厳然と分かれていました。この感覚は今の我々にはわかりにくいかもしれませんけれども。たとえば、人に手紙を書く。全部、「 候文 そうろうぶん 」です。何々にてござ候。何とかすべきことと存じ候。候文を使います。それから、物語、今で言う小説を書く時とか、浄瑠璃もそうです。基本は文語、書き言葉です。文字に書く専用の文体というのが、確固としてあったわけです。

じゃあ、人々は、その文体で喋っていたかというと、全然そんなことはなくて、喋る時には、普通の口語、話し言葉を使う。落語も近代に入ってほぼできたものなんですけど、ある程度、江戸時代の言葉が残っています。「てめぇ、何とかするんじゃねぇのかい」、「いいえ、違うよ」、ああいう調子で喋っている江戸の人たちが、いざ字を書くとなると、「何とかすべきことにて候」。書くための言葉と話すための言葉というのが、カッチリ分かれていました。

明治の文学者だって、みんな江戸時代の知識と教養で育った人です。そういうふたつの文体を身につけた人が、「小説を書こう」ってなった時に、やっぱり江戸時代の書き言葉では、とてもじゃないけど、明治の人間の実態は書き表せないだろうと困っちゃうわけです。書くための道具がない。そこで、彼らは、象徴的なフレーズです、「話すように書く」。こういう非常に難しい問題に直面するわけです。あたかもしゃべっているかのような文体を、ゼロから作らなきゃいけなくなったわけです。ゼロでもないかな? 0.5ぐらいから作らなきゃいけなくなったわけです。これを指して、国語の教科書などでは、「言文一致」とか「言文一致運動」なんていう言い方をしています。話し言葉と書き言葉を重ね合わせる、一致させる。今まで分かれていたものを一体化させる。これに明治の物書きたちは苦闘する。文字通りの血のにじむような苦闘をするわけです。

その結果、文学史でひとつの到達点とされているのが、二葉亭四迷の『浮雲』。読んだことある方、たぶんいないと思いますけど、いらっしゃいますか? 読まれないんですよね、これ、残念ながら。実際読んでみると非常におもしろいんですけどね。主人公が優柔不断、ウジウジした官吏でクビになっちゃうんです。ちょっと憧れてる女性がいるんだけど言い出せなくてモジモジしてるうちに、ライバルにそれをさらわれそうになって、「あ~、やだやだ! ウジウジ」って。岩波文庫1冊分、ずーっとウジウジしてる。ある意味では非常に現代的な青年像なんです。残念ながら、これ、未完に終わっています。結末はわかりません。でも、機会があったら、読んでみるとおもしろいと思います。これが明治20年代初頭に出まして、20年かかったんです。ようやく日本に、言文一致の文体というのができた。もちろん、二葉亭四迷が独力で発明したという意味ではないですよ。いろんな人がいろんなチャレンジをして、その結果、二葉亭四迷がひとつの到達点に手がついたっていうことです。

実際の文章、こんな感じです。読んでみますか? 読むまでもないかな? 「高い男」……背の高い男っていう意味なんですけど、「高い男は玄関を通り抜けて縁側へ立出ると、傍の 坐舗 ざしき の障子がスラリ いて、年頃十八九の婦人の首、チョンボリとした つまみ ッ鼻と、日の丸の紋を染抜いた」、赤いまん丸の頰っぺたですね、「ムックリとした頬とで、その持主の身分が知れるという奴が、ヌット出る。『お かいん なさいまし』トいって、何故か口舐ずりをする。『叔母さんは』『 先程 さっき お嬢さまと 何処 どち らへか』『そう』ト言捨てて高い男は縁側を伝って参り、突当りの 段梯子 だんばしご を登ッて二階へ上る。ここは六畳の 小坐舗 こざしき 、一間の床に三尺の押入れ付、三方は壁で唯南ばかりが障子になッている。……」という具合に続いていくんですが、どうです? これ明治20年代の文章、というから、だいたい130年ぐらい前ですか。そんなに違和感ないでしょ。あれ、あんまり共感が得られてませんか(笑)? そんなに、「むか~しの文章」っていう感じでもないですよね。江戸時代の「なんとかしたるこそおかしけれ」っていう、いわゆる古文で習った文章からここへ飛ぶには、おそらくものすごい段差があったはずですね。それを乗り越えて、ようやく日本に近代小説というのが、徐々に徐々に生まれ出てくるというお話なんです。

●「圓朝の落語通りに書いてみたらどうか」

そもそも二葉亭四迷が『浮雲』という作品を書く時の、非常に有名なエピソードがあります。なにか書いてみたいと思ったけど、よくわからない。そこでお師匠さんの坪内逍遙先生の元へ行って、「どうしたらよからうか」と話してみると、逍遙が言うことには、「君は、圓朝の落語を知つてゐよう、あの圓朝の落語通りに書いて見たら何うかといふ。」「(中略)圓朝ばりであるから、無論言文一致体にはなつてゐるが、 ここ にまだ問題がある。それは『私が……でございます』調にしたものか、それとも、『俺はいやだ』調で行つたものかと云ふことだ。」四迷自身が『浮雲』を書く時の苦労話を書いていて、ここに「圓朝の落語」が出てくるんですね。逍遙が「落語みたいに書いてみたらいいじゃん」って、アイデアを授けるわけです。

じゃあ、「圓朝って、誰?」という話になると思うんですけど、三遊亭圓朝。幕末から明治にかけて大活躍、大活躍というのも言葉が足りませんが、落語史のみならず、日本芸能史に燦然と輝く大名人でありますね。演じるのも名人ですし、自分で新しい話を、どんどんこしらえた人。それが、また、軒並み名作という天才です。よく知られていますのは、「怪談牡丹灯籠」という、お露さんの登場する演目ですね。あるいは、「 真景累ヶ渕 かさねがふち 」という怪談噺、あるいは人情噺が現代でも人気を集めておりますが、この人、残念ながら録音は残っていません。写真が残ってるんですけど、声は残っていません。

ところが、次の資料をご覧いただくと、これを速記本と言いまして、舞台でしゃべった通りを文字起こししたのを本にして販売する。これが大変な人気を集めた。なので、今の我々が、文字という形で圓朝のしゃべりっぷりに触れることができるわけです。もちろん、しゃべったまま100%ではないですよ。多少の変更は加えられているんでしょうけれども、速記本というのが残っておりまして、資料のような感じです。「怪談牡丹灯籠」の通称「お札はがし」と呼ばれる場面です。真夜中に、カラ~ン、コロ~ンっていう下駄の音を響かせて、お露さんと乳母さんの幽霊が、伴蔵っていう男を訪ねてくるシーンです。幽霊なのに足があるというところです。「八ツの鐘が忍ヶ岡に響いて聞えますと、一際世間がしんと致し、水の流れも止り、草木も眠るというくらいで、壁にすだく蟋蟀の声も幽かに哀を催し、物凄く、清水の元からいつも通り駒下駄の音高くカランコロンカランコロンと聞えましたから、伴蔵は来たなと思うと身の毛もぞっと縮まる程怖ろしく、かたまって、様子を窺っていると、生垣の元へ見えたかと思うと、いつの間にやら縁側の所へ来て、『伴蔵さん伴蔵さん」と云われると、伴蔵は口が利けない。漸々の事で、『へいへい』と云うと、米『毎晩上りまして御迷惑の事を願い、誠に恐れ入りまするが、未だ今晩も萩原様の裏窓のお札が剝れて居りませんから、どうぞお剝しなすって下さいまし」という調子で続いていくんですね。ご覧いただくとわかる通り、これ落語ですからそうなんですけど、一人の男性がこれを全部語っているわけですから、まず情景描写ですね。今、こういう場所で、こういう時間で、景色としては、こういう舞台背景ですよ。で、伴蔵はこういう風に動きましたよ。幽霊がこんな音を出しましたよ。で、こんな台詞をしゃべりました。という、この場面のあらゆる要素が、言葉によって、一人の語り手によって、見事に表現されているわけです。そのそれぞれのパーツを組み立てると、この場面がものすごく生々しく、聞き手の頭の中に浮かび上がってくる。これも語りの芸ですね。

またしても四迷ですが、別の翻訳を書いた時に、「悪く申せば圓朝子の猿真似ですが」と謙遜して書いてますけど、圓朝、圓朝って言ってる。実は、言文一致が日本に生まれる背景には、三遊亭圓朝、ひいては江戸の落語という芸能が非常に大きな役割を果たしていたと思われるのです。

この前がちょうど町田康さんの講義で、私も大好きな作家さんなんですけど、面と向かうと緊張して話ができません。考えてみたら、現在だと、文学のフィールドの人と芸能のフィールドの人って、ハッキリ分かれてますよね。その点、町田さんは芸能から文学に移った、ものすごい天才だと思います。ふつうは文学の人、芸能の人って分かれてますけど、明治時代の初めの頃なんかは、こうやって小説家が落語を参考にしたり、小説を落語に翻案したり、芸能と文学というのが非常に近しいどころか、ひとつの土俵の上でぶつかり合って火花を散らすような関係にあったんだろうと思うんです。今の我々が芸能と文学について考えるよりも、もっと渾然一体としたものだっただろうと思うんです。

●橋本治さんと浄瑠璃

ようやく橋本さんの話に、40分経って辿り着きました。校長先生からお話がありましたが、2冊、浄瑠璃についての橋本さんの著述が単行本として刊行されておりまして(『浄瑠璃を読もう』、『もう少し浄瑠璃を読もう』)、2冊目の方が、残念ながら、橋本さんが校正の段階で亡くなっておられましたので、本当に僭越ながら……迷ったんですよ、(校正と解説を)お引き受けする時に。謙遜でも何でもなくて。だって、橋本治の文章に、ひょっとしたら手を入れなきゃいけないっていうのは、ものすごく怖ろしいことですよ。まぁ、それはいいんですけど。

橋本さんは、私にとってどっちかというと、小説家のイメージよりも評論家のイメージの方が大きいんです。怖ろしいことを平気でズバズバ言う評論家っていうイメージの方が大きいんですけど、この間、木ノ下裕一さんの歌舞伎についての授業がありましたが、橋本さんは歌舞伎についてもたくさん書いてらっしゃいます。それから、浄瑠璃についても書いてらっしゃる。ところが、歌舞伎と浄瑠璃って、兄弟みたいなものですけど、比べてみると、橋本さんの書きっぷりは全然違うんです。どう違うかというと、歌舞伎の方は、非常に我流の読み方なんですけど、すごく大雑把に言うと、「江戸の歌舞伎の論理というのは、現代人にはなんだかよくわからないへんちくりんなものである。ところが、そのよくわからないところこそが、ものすごくスタイリッシュで完成されてるから魅力的なんだ。それが良いんだ」っていうようなことを、あちこちで書いていらしたと思うんです。それってたぶん、橋本さんのイラストレーター的な部分のアンテナが歌舞伎にビビッと反応してるような気がする。つまり、目で見る、視覚的な情報に、歌舞伎のフィールドで、橋本さんがすごく反応してるような気がするんです。ところが、浄瑠璃についての文章を読むと、実に緻密なんです。「その登場人物が、なんで徐々にこんな窮地に追い込まれていったのか」とか、「このおとなしい人物が、なぜ、こんな衝動的な言葉を発してしまったのか」とかというのを、浄瑠璃の本を指でなぞるようにして、「そりゃ、なんで? なんで?」っていうのを細かく追い詰めていってる印象を受けます。それはたぶん、イラストレーターではなく、小説家としての橋本さんのアンテナが浄瑠璃に反応してるんじゃないかと思うんです、素人考えでは。

●「小説の先祖が人形浄瑠璃だと思って」いる人

「なんでまた義太夫節の浄瑠璃かと言えば、近代になって成立する小説の先祖が江戸時代の人形浄瑠璃劇だと私が思っていて」(『浄瑠璃を読もう』)。こういう怖ろしいことを、平気でズバッ、ズバッっておっしゃる人なんですね、橋本さんっていうのは。読み過ごしそうなところに、こういう爆弾みたいなことを書いているのですよ。「近代の小説の先祖は浄瑠璃である」って言った人は、おそらく、かつていない。史上初ではないかと思います。どういうことなんでしょう? ものすごく私は引っかかりを感じています。

ところが、浄瑠璃についての著述をいろいろ読んでいると、あちこちにそういうことを書いてらっしゃる。たとえば、先ほど三味線でご出演の鶴澤寛也さんとの対談、『義太夫を聴こう』っていう本なんですけど、「私は小説を書くときはいつもそうですよ、ここでテ~ンと一拍入るとか考えてる」。すかさず寛也さんが、「橋本さんの小説の書き方は、義太夫なんですか?」って突っ込むと、「そうですよ」って平然と言っちゃう。「自分の中に、当たり前のように義太夫が入っちゃってるから。ある時に義太夫を分析していったら、まさに自分の小説の書き方がそうだと気づいたわけです」。つまり、義太夫であると、ちゃんと解説してくださってるんですね。「義太夫が入っちゃってる」――お芝居の世界では、台詞とか音楽とかが、自分の肉体の一部としてビシッとマスターされてる状態を「入ってる」と言う。「3日目じゃまだ台詞が入ってない」とかいう言い方をするんです。「自分は義太夫が入っていて、それを意識せずに小説を書いていたけれど、ある時、実は自分が書いてる小説のルーツは義太夫だっていうことに気がついた」ということをおっしゃっています。怖ろしいこと言いますよね。たぶん、今までの小説家の中で、自分のルーツが義太夫節にあるっていうことを言った人は、これも一人もいないと思います。いないはずです。義太夫好きの人はいますよ。でも、「自分の小説は元をたどれば義太夫節だ」って言った人は、いないはずです。

「オレが目指しているのは、人形浄瑠璃の文楽の太夫なんですよ。小説家ってそういうもんだと思ってるんです」(『TALK 橋本治対談集』)って、ねぇ、すごいでしょ。「すごいでしょ」しか言う表現を持たないですけど。つまり、自分は文楽の太夫みたいなもので、小説家というのはそういうもん、と言う。そういうもんって、どういうもんなんですか? っていろいろ考えてみたんですけど、つまり、「語り」っていうことじゃないかなと、私は思うんですね。前半でご説明したように、語りの芸というのは、一人の人間が、映画のカメラの画角が切り替わるように、視点を次々に切り替えながら、「今ここの世界」というのを、縦から、横から、斜め、いろんな方向から、言葉で表現して組み立てるというのが、語りの芸ですよね。私、小説は素人なので、全然見当違いのこと言ってるのかもしれないですけど、おそらく橋本さんは、小説にそういう要素を求めていた、見出そうとした、あるいは、復活させようとしたのではないかなと、これは下衆の勘繰りかもしれませんが、そういう風に考えているのです。

その辺のところを、もう少しご自分の言葉で詳しく書いていらっしゃるのが、『失われた近代を求めてII 「自然主義」と呼ばれたもの達』の一節。ここでお話しになってるのは、我々が古文と呼ぶ、古典の文体の話ですね。「文語文で書かれた小説を読めばわかる」って書いてあるんです。

「随筆ではない、文語文で書かれた小説を読めば分かることだが、そこに語り手がいることは『地の文』の存在で理解されるが、その『地の文』の中に一々『物語を語っている語り手の存在』を発見するだろうかということである。たとえば、『源氏物語』を読んで、『紫式部が語っている』と思うだろうか? その初めは『紫式部が書いた文章だから、紫式部が語っているのだろうな』と思っても、その内に語り手のことなんかは気にならなくなる。『誰かが語っている』とさえ思わなくなる。『文章それ自体が“語ること”を担当する』とは、こういうことである。」

「地の文」ってありますね。登場人物の喋っている言葉じゃなくて、作者が何かを説明している「地の文」。この中に、我々が物語を語っている語り手の存在を発見するだろうか。『源氏物語』を読みながら、「あっ、これ、紫式部が語っている言葉なんだなぁ」などということを自覚しながら読むだろうか。そうじゃないでしょ。読んでるうちに、語り手のことなんか気にならなくなる。誰が語ってるのかわからないけど、「とにかく物語がここにある」っていう状態になる。これはたぶん、小説や物語が好きで没頭した記憶のある方なら、なんとなくわかると思います。いちいちそんなこと考えないんですよね。目は文字を追ってるんだけど、頭の中がどこか別の方に行っちゃってる。「文章それ自体が“語ること”を担当する」とは、こういうことである。わかりにくいですね。私も、これを写しながらしばらく悩んだんですけど、結局わかりませんでした。

さらに説明が続きます。

「『成熟したその以前の文章』から離れて独立し、やがては『口語体』としてその成熟を獲得して行くことになる言文一致体には、『文章そのものが語るべきことを語る』という能力はまだない。なぜかと言えば、『まず語り手が言う(喋る)―それを同じ語り手が文章として整えて行く』という二度手間が言文一致体だからだ。言文一致の『言』は、作者の『言う』なのだ。それが『文』との間で距離があるから、『言文一致』が必要になる。作者が『言う』ということをまず考えて、それが作者の頭の中で文章化される。」

言文一致体ができました。ところが、この新しくできた言文一致体には、文章そのものが語るべきことを語る、つまり、文語文のように、放っておいても「文章がどんどん世界を語り出してくれる」という能力はまだないと言ってます。なぜかというと、語り手がそこにいて、語り手が何かを考えてしゃべる。それを文字に置き換えていく。だから、 げん と文の間に距離があると言うんですね。踊り場みたいな、一種の段差がある。考える→作者がいっぺん言葉にしたものを文字に変換する。それが読者に読み取れてしまうから、近代の言文一致体は、古文のように、文章自体が勝手にしゃべり出すということがないんだ……と言ってるんですけど、どう思われます? 「私がもっとうまく解説してやろう」っていう人、いらっしゃいます? でも、なんとなくわからなくはないですね。明らかに、そういう踊り場、「段差」のある言文一致体よりも、それより前の昔の「文章自体が語る文章」の方が、橋本さん、たぶんお好きなんですよね、きっと。

「私は、文語文であれ口語文であれ、成熟した文章はわざわざ作者が姿を現して説明に苦労しなくても、『文章そのものが語るべきことを語る』と思っている。」

成熟した文章とは、こうあるものだ。おそらく小説家としての橋本さんは、成熟した文章に近づきたかったはず、ですよね。聞いときゃよかったと思うんですけど。

●古代以来の日本人の語りの遺伝子が入っている

というわけで、前半は浄瑠璃というのはこういうものですよ、語りの芸というのはこういうものですよというお話をして、後半、真ん中のジョイント部分では、実は小説というのは、そもそも日本で小説ができる時には、語りの芸がわりと大きな役割を果たしていたらしいという話をしまして、最後、どうやら橋本さんがあんなに浄瑠璃について一生懸命読んで、一生懸命書いて、ずっと浄瑠璃をお好きでいらしたのは、その浄瑠璃の中に文章のあるべき姿を見出してたのではないかという気がするんです。こんなこと言っていいのかな? ちょっと思い切って言い過ぎですかね(笑)?

言い換えると、別に浄瑠璃だけじゃなくて、『枕草子』だってそうだし、『源氏物語』だってそうだし、近代以前の文章というのは、作者がいちいち顔を出さない。文章自体が物語を紡ぎ出してくれる。そういう文章のひとつのサンプルとして浄瑠璃があり、浄瑠璃にものすごく色濃くて他の物語に比較的薄いかなっていうのは、やっぱり「語り」ですよね。人間の声の語り。それから音楽性。いま聴いていただいたように、浄瑠璃というのは、実は、文字で読むだけではよくわからないんですね。そういう風にできているのです。なんでかというと、もともと聴くものだから。聴いてわかるようになっている。昔の文学研究では、とにかく文字が大事だというので、一生懸命、浄瑠璃の文字起こしを読んで、それを「この登場人物の心情は」とか分析してきたわけですけど、それでは全然十分ではない、と考えるべきでしょう。つまり、三味線が入って、語りで節がついて、そこで初めて浄瑠璃というのは完成するんだ。浄瑠璃というのは音楽性があって、これは、『源氏物語』の講義を担当された三田村雅子先生もおっしゃってたと思うんですけど、いろんな視点を、パッパッと切り替えながら、語りをどんどん進めていくものであると。それがうまく調和がとれてるところがすごいって。だから橋本治さんは浄瑠璃を愛されたんだ、ということをおっしゃっていたと思うんですが、まさに、私も我が意を得たり、その通りだと思います。そういう人間の声の語り。

さらに言うと、いろいろ話が飛びますけど、浄瑠璃の語りというのは、古代以来の日本人が語ってきた語りの芸の伝統が、ちょっとずつ義太夫節の中に入ってるんです。ほとんど遺伝子みたいにして組み込まれているんですね。それで言うと、橋本さんの浄瑠璃愛、そして浄瑠璃を意識して書いた文章の中には、古代以来の日本人の語りのエッセンスというのが、ちょっとずつ遺伝子として入っている。これも、こんなこと言っていいんですかね(笑)? 私は、今回、みなさんの前でお話しするのに一生懸命考えたんですけど、そういう結論に辿り着きまして、はたとタイトルを見直しますと、「小説は義太夫節をめざす」って書いてあって、「あっ!」と思いました。これは校長先生がお考えになったんですか? 校長先生の卓見に感嘆いたしました。ちょっと感動しました。目の前にいるから言うんじゃないんです。「小説は義太夫節をめざす」、本当にその通りなんです。おそらく橋本さんの目指していた小説というのは、その先に義太夫節がひとつの達成点としてあったのではないかという風に思っているのです。

●解説「道行旅路の嫁入」

私のお話はこれぐらいにいたしまして、休憩のあと、また義太夫節の演奏をお聴きいただきます。曲目は「仮名手本忠臣蔵 八段目 道行旅路の嫁入」。「わ~っ!」って声があがりました。嬉しいですね。今、もう、「忠臣蔵です」って言って、「ああ、あれね」っていう反応が期待できない時代になってしまいました。松の廊下の話、刃傷の話ですね。実説では、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけて、家老の大石内蔵助他が敵討ちをする話なんですけど、お芝居の世界では、浅野内匠頭が塩冶判官。名前が変わっています。置き換えられています。吉良上野介が高師直、大石内蔵助が大星由良助、ダジャレみたいな名前になっています。「仮名手本忠臣蔵」では、この八段目に至るまでに、塩冶判官が師直に侮辱されて、とうとうぶち切れた判官が斬りつけます。切腹になります。大星由良助以下、俗に言う四十七士が仇討ちをするんですけど、その斬りつけた時に、後ろから塩冶判官を抱き止めた奴がいるんです。これを加古川本蔵と言います。加古川本蔵が抱き止めたために、塩冶判官は師直を殺せなかった。「ああ、仕留められなかった!」って恨みを抱いて切腹して死んでいくんですけど、加古川本蔵という人物がいて、実は、本蔵の娘の 小浪 こなみ ちゃんと、大星由良助の息子の力弥くんは、許嫁なんです。ところが、そんな大事件が起きたものだから、結婚がズルズル延期になっている。そこで、本蔵の奥さん、つまり、小浪のお母さん、継母なんですけど、お母さんの 戸無瀬 となせ がしびれを切らしまして、京都の大星家に結婚の催促に行こうというわけで、目立たないように行きましょうというので、母子2人で東海道を京都まで上っていく。その東海道を母子2人で旅していく場面が、この八段目の道行なんです。ここを抜粋でお聴きいただきます。
(休憩)

●「道行」というもの

(演奏)「仮名手本忠臣蔵 八段目 道行旅路の嫁入」(詞章)

浮世とは誰がいひ初めて飛鳥川。ふちも知行も瀬とかはり、よるべも浪の下人に結ぶ塩谷の誤りは、恋のかせ杭加古川の、娘小浪が許嫁結納も取らずそのままにふりすてられし物思ひ、母の思ひは山科の婿の力弥を力にて、住家へ押して嫁入りも、世にありなしの義理遠慮。腰元連れず乗物もやめて親子の二人連れ。都の空に志す
(中略)
アノ母様の差合ひを脇へこかして鞠子川。宇津の山辺の現にも、夢にも早う大井川水の流れと人心、都の花に比ぶれば、日蔭の紅葉色づいて、つひ秋が来てさ男鹿の妻故ならば朝夕に辛苦するのもなんのその。この手柏のうら若き二人が中にやや産んで、ねんねんころろんや、ねんねが守はどこへ行た。どことは知れたその人に逢ふて恨みをなんとまあ、どう言ふてよからうと、しんき島田のうさはらし。
(後略)

「仮名手本忠臣蔵 八段目 道行旅路の嫁入」という、お芝居好きの方にはお馴染みの場面でした。字を追いながらお聴きになって、浮かびましたかね? 舞台面というか、景色が。戸無瀬がいて、小浪がいて。お芝居だとバックにドーンと富士山が描いてあります。いわゆる、江戸の街道です。まぁ、押しかけ女房みたいなもんです。これから、「早く結婚して」って言いに京都まで行く。この場面だけ見ると、先に非常に嬉しい目的がある大きな旅なんだけれど、忠臣蔵全体で見ると、実はこの後にとてつもない悲劇が待っているという、陰と陽、両方の要素が入り混じった、非常におもしろい場面です。見た目は綺麗なんですけど。

これが実は、これから寛也さんとのお話の中で、まず最初にお聞きしたいなと思っているところなんですけど、「道行」と言います。「道行」というのは、歌舞伎とか浄瑠璃の用語でして、簡単に言うと、旅をする場面です。登場人物が移動しなければならない事情があって、A地点からB地点まで、だいたい二人なんですけど、手に手を取って旅をする、その道中を描くのが「道行」という場面です。浄瑠璃の作品だと、だいたいひとつの作品に必ずどこかに「道行」という短い場面が挿入されるのがお約束になっていて、忠臣蔵の場合は、ここに「道行」があるわけです。一番有名な「道行」は、心中ものの道行ですね。様々な事情で、この世にいられない。生きてはいけない。思い詰めた男女が、手に手を取って心中に行く、要は死に場所まで移動するプロセスを描くわけです。お読みになったらわかるように、特に物語が転がっていくシーンではありません。だって、目的があって、移動するだけですから。

では、そんなに文字をたくさん使っていったい何が書いてあるかというと、もっぱら景色が書いてある。重要なのは、景色が書いてあるんだけど、実は出てくる人間の内面がその景色とリンクしている、というところが、すごく大事なんです。いろいろお話を伺ってみたいと思います。生前、橋本治さんとものすごく親交がおありになって、それはもう、私なんかよりもずっと。

●鶴澤寛也さんとの対談へ

寛也:いやいや……。
矢内:鶴澤寛也さんです。演奏お疲れ様でした。
寛也:ありがとうございます。義太夫っていっても、今日はふたつとも 景事 けいごと って言って、ちょっと歌っぽいものだったので、本当は語りのもっとガッツリしたのもあるので、また違う機会に是非やらせていただきたいと思っています。

矢内:「道行について」ということで。聞くところによると、橋本さん、一時期、あんまり歌舞伎とか浄瑠璃に熱心じゃなかった時期があるらしいんですね。ちょっと遠ざかっていた時期があるらしいんですけど。それを浄瑠璃という魔の道に引きずり込んだのは寛也さんだという噂を聞いたんですけど、本当ですか?
寛也:私としてはそうだと良いなと思ってるんだけど、そういう訳でもないんです。ただ、何て言うのか、橋本さんはやっぱり中身としてそういうものがあって、でも他のことも忙しすぎたから、ちょっとこっちに手つけたらマズいっていうのもわかってたし。それがたまたまお目にかかってお話ししたら、橋本さんのことだから、うっかり私にアドバイスとかしちゃって、それでまぁ私も……そこの話をするとすごい長いんですけど、とにかく、悩んだ末にお願いして、義太夫の会のナビゲイターをしていただくことになった。橋本さんが解説とかのお話じゃなくて、「俺、やってみたかったんだよね、ナビゲイター」。で、「チラシに書け」って言うから、ナビゲーターって書いて持って行ったら、「ナビゲーターじゃなくて、ナビゲイター」って言われたんで、ナビゲイターって書いて。それは「道行の会」のひとつ前の会……ひとつ前じゃないや、最初だ。ナビゲイター。何を言おうと思ったんだっけ? あ、橋本さんが浄瑠璃にあれしたきっかけ。きっかけは、私がお手紙を出して、「今度、会があります」とか何度も書いてたら、遂に、「私は忙しいから行けません」みたいなお返事が来たんだけど、まぁ、みんな忙しい人ばっかだから、とりあえず出す。1回出したら、私たち芸人の習性として、けっこう出しちゃうんです。そしたら、ある時に根負けしちゃって来てくれたら、私、人間国宝の竹本駒之助師匠と会をさせてもらっていて、それで橋本さんはビックリされて、女義太夫は初めてだったんです。その前に、ちょっとだけ、竹本越孝さんと私の(殿中刃傷=でんちゅうにんじょう)最後の方だけちょっと聴いた、見た、ぐらい。で、ガッツリとそこで「ひらかな盛衰記 神崎揚屋の段」を聴いてビックリなさって、『文學界』に駒之助師匠の浄瑠璃についてという文章をブワ~ッて書かれて、その辺からちょっと危なくなった(笑)。「神崎揚屋は、ご自分が一番好きな浄瑠璃だから来た」っていうのはおっしゃっていました。「だってさ、中身がないでしょ、あれ」って言って。橋本さん両極端だから、すっごいバカバカしいんだったら、むっちゃくちゃバカバカしいもの。それか、ものすごく繊細で深いもの。神崎揚屋って本当にバカみたいな話なんだけど、曲としては素晴らしい曲なんです。それを「俺は神崎揚屋が一番好き」って、その時おっしゃったんです。

矢内:それは、今日、資料をお配りしている「道行の会」の前?
寛也:そうですよね? ちょっとわかんなくなっちゃった。
矢内:それが、橋本さんにとっては義太夫再発見という機会になって、今日案内をお配りした「道行の会」という、ちょっと変わった会に。
寛也:そうそう。それで、会をやるのがいろいろ難しいとかいう話をしていたら、そういう「『話を聴いて、理解して、聴く』っていう教養主義じゃなくて、もっと体で、音楽として楽しんだらどうか」っておっしゃって。義太夫っていうのは、ご存知のように語りものなので、音楽みたいに節を楽しむよりは、どっちかというと、ドラマそのものを楽しむ傾向が強いわけですね。もちろん、その部分が一番大きくて大事なんだけれども、「でも、そういうことばっかりで、『わかった・わからない』ではなくて、体で感じるアプローチというのもあるんじゃないの?」とおっしゃったわけです。それで、ご自分が義太夫が一番面白いなと思ったきっかけが、この「忠臣蔵の八段目、道行旅路の嫁入だった」とおっしゃった。それで、なるほど、と。「道行だけで会をやれば」みたいなことを言って……。
矢内:大胆な。
寛也:私たちの感覚だと、道行ってガッツリしたものの間に入っていて、20分とか30分しかないし、単品で会なんかとてもできないし、「はぁ?」みたいな感じで、「そんなの前代未聞だし」と思いました。義太夫史上初めて。その後は多少あるけど、思いもよらなかった。それで、ビックリしました。

●3回シリーズの「道行の回」

矢内 それは事前にある程度、橋本さんに「どんな会にしましょうかね?」みたいな相談をされたんですか?
寛也:ううん、そうじゃなくて。これだけなんて、とても会ができないから、いろいろ考えて、だったら、もう「三大道行をやる」っていうコンセプトの下に、シリーズにしないと無理だなと思って。私、そういうの考えるの、けっこう好きなの。うまいの(笑)。
矢内:プロデューサー的にも、はい。
寛也:最近は、プロデューサー的なんです。けっこう好きで、なかなかこれ良いと思いますよ。
矢内:これ(3回完結の「道行の会」)いらした方って、もしかしていらっしゃいます?
寛也:たぶんいらっしゃらないと思う。橋本さんの小説とかのファンの人って、意外に義太夫とか歌舞伎に親和性がない人が多い(笑)。
矢内:ちょっと問題発言(笑)。確かにそうなんですよね。
寛也:親和性がないんじゃなくて、あんまり聞いたことがないっていうか。小説は好きだけど、「橋本さん、なんかいろいろやってるよね」のところに私たちは入っちゃってて、たまたま仲良くなったりして来てもらうと、「いやあ、おもしろかった。そういえば、橋本さんの会も連綿と続いてるな」みたいなのがわかるんだけど、橋本さんやってることが多すぎるから、評論のファンの人とかいろいろいるじゃないですか。そうすると、義太夫とか琵琶まで来れない。

矢内:琵琶の作詞もなさってました。
寛也:いっぱいなさってます。私の(新作義太夫)よりずっと前。
矢内:琵琶も、弾き歌いの新曲を作られたり。しかも、シェイクスピアを題材にして作られたり、いろんな活動をされました。
寛也:私が横入りしたから、琵琶の人から、「最近、先生は女義太夫ばっかりやっていて、僕のを書いてくれない」とか文句言われてるって、橋本さんにブーブー言われたことがありました。「そんなの、知らんがな」みたいな(笑)。

矢内 確かに、橋本治の読者は「評論しか読まない」っていう人もいるし、「小説しか読まない」っていう人もいる。「文字を読みます」っていう人と、「義太夫、聴きます」っていう人が重なってるところって、すごく小っちゃいんですよね。
寛也:そう、本当に不思議なんですけど。でも、古典芸能が好きで、橋本さんが書いたからって、橋本さんの義太夫本とかを読む人たちは、もうどハマりですね。今回のこの講座も、こういう風に10回とかあるだけのことはあって、その部分、その部分で「ザ・専門家」なので、読む方は全然間に合わない。私も、全然、読み切れてない。
矢内:そうですよ。全11回、全然違うテーマで、11方面から。
寛也:これでも足りないですよ。だって、(橋本治作「城壁のハムレット」を演奏した)友吉鶴心さんとか来て薩摩琵琶の話をしたら、たぶん3回ぐらい潰れる。本当にそうなんです。
矢内:多面的な才能とかってよく決まり文句で言いますけど、本当にそうなんですよね。
寛也:そうなんですよね。

矢内:その道行の会、今、「三大名作」とおっしゃった。
寛也:三大道行ですね。
矢内:仮名手本忠臣蔵と?
寛也:えっと、義経千本桜と……。
矢内:道行の場合は、菅原ではないんですか?
寛也:そうですね、菅原の道行って、あんまりやらない。三大名作っていうと、どうしても、忠臣蔵と千本桜と妹背山の道行になるんです。心中ものの道行もあるんですけど、音楽的に綺麗なのは、この「道行の会」の三つの曲です。曽根崎みたいな心中ものはドラマ的なのと、詞章というか、曽根崎心中の「この世の名残り」とか、ああいうのは、どちらかというと、文学者とか、文章を読む人が好きかな? 音楽的に聴くのは、こっちの三つの方が、断然おもしろいです。

矢内:三つとも、それぞれ、悲痛な事情を抱えた人物が旅をするんですけど、舞台で聴くと、ものすごい華麗なんですよ。華々しくて、ちょっと憂いがあって。名曲。
寛也:良いですよね。今日は本当に「部分」だったんですけど、本当にいつかフルで(30分くらい)聴いていただけると。三味線も最低3人で、だいたい五挺ぐらいでやるんですけど。小浪はだいたいシン(最も中心となる太夫)で、お母さんが2枚目(それに次ぐ位置の太夫)でっていう感じなんですけど、そのやり取りも、なんとも言えません。

矢内:そもそも橋本さんが、「あ、義太夫すごい!」と思ったきっかけが、今の忠臣蔵の八段目の道行?
寛也:おもしろいと思ったきっかけとおっしゃってましたね。だから、絶対これをやろうと思って、三つ持って行って企画を言ったら、「えっ?」みたいな感じで、でも、その時、ものすごくいろいろ話してくれました。私、今ほど図々しくなかったので、いや、今も図々しくないんだけど、「今日、私が伺いましたのは……」って原稿用紙に書いて、暗記して、すごい緊張して行って、ちょっと挨拶してしゃべって……そしたら、「俺に話しろって言うんでしょ」みたいな。「えっ?」って言ったら、「だって、あなたが俺に会うって、それしかないじゃん」みたいなこと言われて、「ああ、そうですか」って。
矢内:お見通し。
寛也:そう、それで、橋本さんは、「八段目のお話は、俺、どこかでしたいと思っていた」と。
矢内:ああ、ちゃんとあったんですね、お腹の中に。
寛也:うん。たぶん、あったものがブワ~ッて蘇ってきたんじゃないのかな、話してた時に。「だけど、三つもさせられるとは思わなかった」って、おっしゃった(笑)。

●古典芸能の世界であり得ない企画だった「略称:道行の会」

矢内:そうすると、この「道行の会」の趣旨というか、メインの企画意図としては、義太夫節の音楽性に……?
寛也:はい。まさに、このタイトル「義太夫を音楽としてよみがえらせる」――これが目的だった。このタイトルも橋本さんが考えた。こういうタイトルを、みなさんが見たら別に何とも思わないと思うんだけど、当時、あり得ない感じだったんです。しかも、私なんかが主催で。今は少し違いますけど、やっぱり伝統芸能の世界って300年ぐらい続いてますし、いろいろ保守的なわけです。しかも、「略称:道行の会」って言われて。略称、コロン(:)って、全部、これ橋本さんの指定だったのね。
矢内:あ、そうですか。
寛也:私もう、自分の身に大変なことが起こるんじゃないかと……(笑)。本当に、そのぐらい、この時点では画期的だったの。今や、コロナの中で伝統芸能もいろんなことをやっていますけど。
矢内:当時としてはものすごく大胆な企画を。
寛也:そう。
矢内:そうですか。全部、橋本さんの指定だった。
寛也:もう心臓バクバクしながら。そうなんです。
矢内:「ナビゲイター」まで。それで今日は、実は、非常に貴重な音源をお持ちいただきました。この第1回「道行の会」で、橋本さんが「ナビゲイター」をして、解説めいたことをなさってるんですけど、そのお話を少しみなさんに特別にお聴きいただこうと。ほんの触りだけですけど。2ヶ所、つまみ食いでお聞きいただきます。

「『親子の二人連れ。都の空に志す』。うっかり読めば続いてますけど、浄瑠璃ってそんなに簡単じゃないです。『世にありなしの義理遠慮。腰元連れず乗物やめて〜』音楽が楽しくなってくるんですよね。花嫁行列のように、親子の二人連れっていって、さあどうなるんでしょう? っていわんばかりに、『都の』って言って『都のぉ〜〜〜〜〜〜〜』ってずっとやってて三味線弾きっぱなしで、歌舞伎だったら、ちゃりんと揚幕から音して戸無瀬と小浪が出てくるところだし、長ーい演奏が終わったら文楽だったら、前におろしてる幕がちょんと切れて後ろに富士山があるような舞台背景で戸無瀬と小浪がでてくる。こういう段取りですから、文章の言葉の上では『親子の二人連れ。都の空に志す』ってわかるようなもんですけど、実際にはちがうんですよね。『都の』で切れちゃうんですよ。『のぉ〜〜〜〜』って。ずっと聴いてると何がつながってるのかわかりゃしない。単純な『空に志す』とはじまるから、誰がって思うんだけど、文章がつながっている。だから、そういうことをわかっていないで、これを読んだから話の内容がわかるわけじゃぜんぜんない。じゃあ、何のためにこれがあるのかというと、『ああ、あのところ良かったなあ、あそこ何って言ってたんだっけ』って言葉を探すために、念の為に歌詞カードを見てる、そのためにこれ(詞章)が存在するのだと思っていただきたい。本当だったらもうちょっと丁寧に話をして、ああ、なるほどあそこで聴いたようなことをいま語ってるんだということにしたかったんですけど、あと10分くらいしか時間がないので、道行というのは後半になると駆け足になっていくんで(笑)。」

寛也:(時間がないと言いながら)40分ぐらいお話ししてました。
矢内:そういう人です、あの人は。しゃべり出すと熱が入っちゃうんです。ねぇ、おっしゃってますでしょ。「字面読んだってわかるわけないんだ」って、浄瑠璃は。本当にその通りでね。なにかコメントあります?
寛也:やっぱり三味線が入ることで、三味線って、特に義太夫の場合はそうなんですけど、情景描写をするので、その情景……何て言うのかな、作家だったらもっとベタに書くところを、三味線の音で表しちゃうので、詞章としてはちょっと短かったりとか、よくわからなくても、その感じで繫がっていくというのはあります。
 
寛也:素晴らしいんですよ。ちょっとじっくり聴いてください。

「『夢にも早う大井川水の流れと人心』水の流れと人心というものこそが八段目の旅路の嫁入りのテーマです。『水の流れと人心』は変わりやすいもののたとえですから、変わりやすいものだから『小浪は捨てられるよ』というふうに振っていくのかな、と思うとそうじゃないんです。変わりやすいものであって、力弥の心は変わっちゃうよ、という残酷な運命はあるかもしれないけど、『夢にも早う大井川水の流れと人心』という風に語るところをお聴きになれば、『水の流れも人の心も透明で澄んでいるものだから、信じられるかもしれないよ』という感じが胸のほうに伝わってくるんです。語る言葉があって、三味線の節があり、語り方があるという、いろんな要素で出してくるから、三味線を弾いてる寛也さんなんて『水の流れと人心』くらいのところを弾くと涙が出てくるという。そういうような節付けで言葉では言ってないけれど、言いたいテーマを伝えるというところがあります。お母さんははしゃぎますよ。嫁入りだから全体ははしゃぎますよ。でも、小浪としては『力弥さんからぜんぜん連絡がこない。もしかしたら他に女の人ができたのかしら』っていう風に考えるけど、小浪はいきなりそう考えるほど頭は悪くなくて、『私が嫌われたのかもしれない』というようなところから入っていくわけですけれど、小浪は女子高校生くらいの年頃で、浄瑠璃に出てくるような人だったらだいたい頭がいいんです。お母さんはまったく考えていないけど、『力弥さんの家がダメになってしまったのはうちのお父さんが止めたということがあるわけでしょ。それで結婚ってできるのかしら』っていうことを、黙って思ってるんですよ。お母さんは『行きましょう、行きましょう、平気なんだから』と言ってて、お父さんも『行っていい』って言ってるなかで、『でも』は言えないんですよ。『でも』は言えないし、力弥さんがどう考えてるかもわからないし、っていうところで、『もしかしたらお父さんの事件が起こしてるんじゃないか』っていう風に考える人間が唯一小浪だけなんですよ。事態はもちろん、九段目になって、そのとおりになるわけです。だから華やかでにぎやかで東海道の名所が読み込んであるけれど、小浪の『なんか大切なことを忘れてない?』っていうような不安心理がずっと八段目のそこここにちらっちらっと出てくる。そういう部分があるからこそ、『水の流れと人心』というのが響く。小浪というのは聡明な女だからいろいろ考えてる。考えているんだけど、旅の途中でそんなことを言っては、というのがあって、ひとつだけ明確にしていないことがあるんです。それは琵琶湖が間近というところ、石部石場の宿についてふっと思うことがあるんです。石が転がっている。大きな石と小さな石がころがっている。明らかに大石内蔵助と大星由良助がここでも重ねられるんですけど、大石の息子だから小さな石だと思って手に拾うんですよね。そこのところ『小石拾ふて我が夫となでつさすりつ手に据ゑて、やがて大津や』になりまして、『大津の』という言葉に『逢う』がかかってるわけです。もうすぐ大津で琵琶の湖が見える。東海道の難所を越えてほっと安心したところで、小浪は覚悟を決めるんですよ。どういう覚悟かというと、『私は力弥さんを好き』。だったら、その後の『死ぬ』とかっていう悲惨なことがあっても大丈夫という覚悟を小浪がするんです。言ってみれば、『道行旅路の嫁入』というのは、華やかで、東海道五十三次を、いろいろあるんだけど、なんだかわかんないけどひっぱられていく、なんだかわかんないけど離れ離れになってしまった娘の小浪が、密かに、重大な『力弥さんが好き』という決意をさせる、そういうためにある30分のプロセスだと思っていただければ。」

●情景に小浪の気持ちが凝縮されている

矢内:おもしろいですね~。聴き入ってしまいますね。
寛也:この、「私は力弥さんが好き」っていうところで、橋本さんはちょっと涙ぐまれながらしゃべっていたんです。
矢内:珍しい。いつもニコニコして、感情を露にするタイプではないように思っていました。
寛也:う~ん……私たちも漠然と弾いてるわけじゃないけど、そこまで考えてるわけじゃなくて、「そうか、全編通して、わざわざ東海道をお母さんと二人で行くって、小浪のそういう気持ちがいっぱい、いっぱいの気持ちでずーっとやるんだな」みたいなのって、「はぁ~~っ」と思いました。それと、途中で「水の流れと人心」ってあるところでおっしゃってたけど、「脇へこかして鞠子川。宇津の山辺の……」というところの前に、三味線の手が♪シャ~ンシャ~ンシャン〜♪ ってあるんですよね。それ、私は文楽の(鶴澤) 清介 せいすけ 師匠に教わってるんだけど、師匠がそこで、「ここでパァ~ッと景色が開けて、そのシャンシャンシャンっていうのは、大きく。大きくっていうのは大きな音っていう意味じゃなくて、タップリと大きく綺麗に」って聞いたんです。私、前から、ここからずーっと、「都の花に比ぶれば」ぐらいまでのところを弾いてる時に、いつも弾きながら、なぜか知らないけど、本当に胸がいっぱいになっちゃうんです。キュンとなっちゃう。それがなんでかわからなかったんだけど、橋本さんの解説を聞いた時に、「あ、やっぱり、小浪の気持ちが、この情景に凝縮されてる」っていうのがわかって、綺麗で大きい風景だけれども、憂いもいっぱいで、その憂いの原因というか、やっぱり自分がこれだけ思っているっていうのがキューンとなってるんだな、っていうのが……今、いろいろ思いだしました。ありがとうございました。
矢内:三味線弾きながら、なんだかわかんないけど……
寛也:ここに来ると、いつも胸がキューンとしていたんですよ、ずーっと。
矢内:それが「なぜか」っていうのを橋本さんが見事に言語化してくださった。
寛也:言語化、そうそう、そうですね。
矢内:へぇ~。
寛也:そうするとやっぱり、弾く時にもちょっと感じが違ってくるというか。どういう考えで弾いてもいいわけなんです。作者に指定されてるわけじゃないから。ただひとつのアプローチとして、そういうスタンスをお腹の底に持ちつつこの曲を弾いていくと、またちょっと違うかなと思っています。

矢内:こうやってお話を改めて聞くと、やっぱり、文芸評論というか、一種の研究というか、「いったいこの人物は何を考えてるんだろう? それを考えるのに至ったにはこういうプロセスがあって、ここで、この人がこういうことを一言ポロッと言ってるから、それが後になってこうなるんだ」って、解剖していくみたいに、1個1個、部品を分解していくようなのは、はたして正しいことなのかどうか私にはわかりません。もしかしたら、そうやって細かく分割して論理的にやっていくのは、すごく近代的な考え方なのかもしれないけれども、そうすることによって、江戸時代に書かれた物語の人物が、今の21世紀の我々とスポーンって繫がる。「小浪は女子高生ぐらい」と言われると、「あ、そうだよな。少女なんだよな」と思いますよね、やっぱり。
寛也:そうそう。そうしたらもう、「いろいろあって大変だけど、とにかく好きだから」っていう気持ちだけで東海道を爆走できるっていうのも、よくわかるような気がします。
矢内:お嬢様ですからね。一途。邪念がないわけですよね。
寛也:そうそう。
矢内:なんて奥が深いんでしょう。

矢内:三味線弾きの方って、弾きながら「この人は……」とか、いちいち考えない?
寛也:あんまり考えないですね。弾く前とか稽古してる時に、「これはどういう感じか」っていうのはあるけれど、そうですね、考えないわけでもないですね。
矢内:できないですもんね。「どういう人か」っていうのがないと。
寛也:そうそう。ただ、そこまで細かく分析はしないかな。
矢内:たぶん、あんまり細かくやり過ぎちゃうと、実際になさる芸人さんは、あんまり芸が良くなくなっちゃうような気がするんですね、個人的には。
寛也:やっぱり教わっているのを、そのまま入れていくのが第一なので、自分で分析して組み立てるというのは、もっと先の先のこと。まずは、流れみたいなのをわからないと。

●気持ちがそこに入る橋本さん

矢内:それが橋本さんは、非常に理詰めで……理詰めっていうと、ちょっとネガティブなイメージがありますけど、そうじゃなくて、1個1個きちんと積み上げていって、それが納得できるんですね。「この人はこういう人だから、こういう考え方をするんだ」と。
寛也:でも、橋本さんって、たとえば、さっき町田康さんも言ってらしたけど、『草薙の剣』や『巡礼』、あと『窯変 源氏物語』もそうなんだけど、その人が「初めてここにいる」っていう感じ。橋本さんが俯瞰して後から見て書いてるんじゃなくて、そこにいる。だから、いちいち起こったことに関して、その登場人物が、「うわ~、初めて! ビックリ!」みたいになる。私たちは見てて、「ああ、この人こうなるだろうな」って知ってて見てたりするけど、そうじゃなくて、橋本さんは書いてる時も、自分がその時代に入っちゃって、同化してる。だから、何か起きたことも、本当にビックリしちゃうみたいなところがおありだったような気がするんです。

矢内:『窯変 源氏物語』も。
寛也:そうそう。そういう意味で、俯瞰して見ていて、「この人はここで驚かそう」じゃなくて、本当に次々起こってくることや事実に、自分が「ええ~っ! こんなだったの! うわ~、大変」みたいに驚く。それで、読んでる方もそこに入って、というのはありますね。だから、橋本さんとしては、小浪と同化して、「私は力弥さんが好き」っていう気持ちで全編歩いていくんです。
矢内:そうだ。
寛也:というところで、話を聞いてる人も、そこに入れる。「こういうことがあるの。それで、実は大変なことが起こるのよ。今だけよ、ゆっくりして」みたいな感じじゃなくって、もう、ズワ~ッて入ってる。
矢内:だから、「ナビゲイター」でしゃべってる時も、一瞬、小浪とチャンネルが繫がっちゃってるんですよね。
寛也:そう! そうですね。だから、涙ぐんじゃう。「私は力弥さんが好き」って言った時は、小浪になってるわけだから。気持ちが本当にそこに入る。「私は力弥さんが好き」って言ってちょっと涙ぐまれた時に、私も本当に涙が出ましたね。ボロボロ泣いたわけじゃないけど。
矢内:ジワッとね。
寛也:本当にグワ~ッて来ましたね。「ああ、そうだ」って。私も「力弥さんが好き」に同化するみたいな感じになりました。

矢内:いわゆる古典と言われる作品と、現代の我々の感覚とか感性とをフィットさせるのが上手っていうと語弊がありますけど、自然にそういうことができた方だなと思います。
寛也:そうですね。
矢内:読みの達人ということもありますし、批評の達人でもあった。演奏会の後は、寸鉄人を刺すような怖ろしい批評があったとか?
寛也:なんか、「あのさぁ~」みたいにして。「あ、来た!」。
矢内:聞きに行かれるんですか? 「どうでした?」って。
寛也:まぁ、それはね。あと、ニコニコしながら寄ってくる時が一番危ない(笑)。
矢内:なんかやけに、笑顔で。
寛也:私が「ギャ~ッ」って言うのをわかってて、それで、ワ~ッて騒ぐと、「やった!」みたいな感じで(笑)。

●「精神を解放してもらった」

矢内:具体的に、どんなことを? 今までで一番覚えてるので、どんな怖ろしいことを言われました?
寛也:終わった時は、いつもけっこう怖ろしいっていうか、なんか……「卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」って、太い木を棟にするんだけど、木が切られるところ、タン、タン、タンって三つ、ガンガンガンって弾くところあるの。それ、タン、タン、タン!! って弾かなきゃいけないのに、3発目がちょっといまいちだった。そうすると、「あのさぁ~、切るとこのさ、3発目さぁ~」みたいな感じで。
矢内:寛也さんも、自分でわかってるんですよね?
寛也:もちろん弾いてる方はわかってるけど、お客さんはそこまでわかる人は少ない。本当にハッキリ間違えたとかは別だけど。
矢内:それを笑顔で。
寛也:笑顔で。で、「駒之助さんのはさぁ~、柳はぶっとい棟がドーンって感じだけど、あなたのはフッフッフッ」みたいな(笑)。あと、一番すごかったのは、「道春館(玉藻前曦袂道春館=たまものまえあさひのたもとみちはるやかた=の段)」をやる前に、楽屋で、どういうわけか駒之助師匠と橋本さんが、なんだか盛り上がっちゃって、私、橋本さんに前から、駒之助師匠は偉い方なので、「遠慮してる」って言われていたんです。「遠慮しないで、もっと弾かなければ」って。駒之助師匠には「もっとガンガン来てくれなきゃ」みたいに言われてたんだけど、私はもちろん遠慮も何もしてなくて、まぁ実力がそこまでで精一杯なわけです。自分としてはいっぱいいっぱいで、遠慮する余裕もないと思っていたんです。だから、「まだ、実力不足で恥ずかしいと思うけれども、決して遠慮はしてない」っていう風に言ってたんです。その話が楽屋で出て、「遠慮しないで」って言う。そしたら駒之助師匠も「そうや! もっと弾いてもらわな」っておっしゃったら、橋本さんも「ほら、そうじゃん!」みたいに、出る直前に二人でガンガン、「だから、あんたの三味線は物足りないんだ」みたいな(笑)。二人で、ワ~ッと言われて(笑)。
矢内:これから出るっていうのに。
寛也:そう、これから出る時に。でもその時は、言われてみれば、「すごい偉い人と出るから失礼があっちゃいけない」じゃないんだけど、あんまり破綻しちゃいけないみたいなのが確かにあったんですよね。だから本当に、ウン! タタン!! ってやって外すのは怖いっていうのが、たぶん、内なるブレーキであって、「ここに入るところまでにしておこう」というのは、たぶん自分の中であったなと思いました。
矢内:死亡事故だけは起こさないように。
寛也:そうそう。安全運転。その時だけは、「そうだ」と思って、もう何も考えないでガーッてやったら、案の定、ちょっとした事故はいくつかあったんですけど、にもかかわらず、終わった時のお客さんの反応がすごかったんですよ。それで、「ああ、こういうことだったのか」。今まで「足りない」って言われてたことの意味がわかりました。やっぱり私も様子してたのね、きっと、外向きに。なんか小綺麗に。
矢内:「様子する」って、関西弁ですね?
寛也:ちょっとかっこつけるっていうか。
矢内:すますっていうか、取り繕うというか。
寛也:必死になってカーッて弾くんじゃなくって、このままシュッて弾くぞみたいなのが、どっかにあったのかな。それからだいぶ変わりましたね。

矢内:それでも、言われるまでは、「私は全力でやってます」っていう感じだった。
寛也:全力。だから、自分の精神的なことですよね、きっと。その前の全力ではあったんですよ、たぶん。だから、精神を解放してもらったっていうのは、すごく大きかった。
矢内:芸の見巧者っていうのは怖ろしいですね。
寛也:うちの師匠とかにものすごい丁寧に稽古してもらってるし、駒之助師匠でも、越孝さんも先輩ですけども、いろいろ丁寧に稽古してもらってるんだけども、そういう風に、ちょっと別の視点っていうのもある。別の意味での見方というか、アドバイスをいただけたのは、私にとっては良かった。
矢内:なるほど。
寛也:本当は自分の芸の世界だけでも、もっときちんとやっていかなきゃいけないんでしょうけど。

●質疑応答

矢内:今日はせっかく実演家の寛也さんにお越しいただいてますので、何かお聞きになりたいことなどありましたら、どうぞ遠慮なくおっしゃってください。はい、どうぞ。
受講生:越孝さんが見ていらした舞台の本を見てみたいです。
(準備の間に)
矢内:文字がものすごく大きい。おにぎりみたいな大きい字です。
寛也:みなさん、覚えてらっしゃるんです。だから、本が無くてもできるんだけど、いっぱいいっぱいに語って、フッとした時に、パッと見る本ですね。
矢内:本来は、あれ、読むものですよね。
寛也:本当はね。
矢内:読んで声に変換するっていうのが、本来の浄瑠璃の語り方なんです。
寛也:そういう語り方でした。最近は、割とこう、顔を離す。この間、残念ながらお亡くなりになった 嶋太夫 しまたゆう 師匠は、読んでいらっしゃいました。
矢内: 床本 ゆかほん と言います。あの語る空間を床と言いまして、そこで使うので床本。やっぱり、夢中で語りながら見る物ですから、ものすごい大きさの字。文庫本にしたら3ページの本でも1冊になっちゃう。
越孝:これが床本です。師匠の本です。床本を読んでるわけじゃなくて、見てる。道行の方は少し小さくて、ちょっと字体が独特のものでございます。
矢内:義太夫に独特の丸っこい書体を使うんですね。ちょっとお稽古すれば、すぐ読めるようになりますから、練習されると良いと思います。

受講生:その日のお客さんの感じとかで、自分がのる感じというか、相乗効果のような感じとか、違いはあるんでしょうか?
寛也:多少あります。ただ、たとえば噺家さんとかだと会場と一緒に作り上げるみたいなところはあるけれど、私たちはクラシック音楽みたいなもので、決まってるので、そこまでの変化はないんですけど、やっぱり熱心に聴いてくださってるのはひしひし感じるので、自然と熱が入りますね。あと、一生懸命やってても、まったく反応がない時が辛い。気持ちが空回りするっていうか。今日はとてもやりやすかったです。ありがとうございます(笑)。

●「あなたの音は近代的だよね」

受講生:以前、橋本さんに「あなたの音は近代的だよね」って言われてガーンとなったという話を寛也さんから聞いたことがあるんですけど、どのようにそれを解釈し、どのようにそれを克服したのでしょうか?
寛也:私は「ザ・古典」の人だと自分では思ってたんです。近代的って思ってなかったんですけれど、橋本さんは、当然のように「あなたの音は近代的だから」って。
矢内:うわ~、すごいな、なんか。
寛也:橋本さんは、私も当然わかってる、まわりもそういう認識だろうと思っていたらしいんだけど、「えっ?」と思った。私は本当に、自分は王道を行ってて、ただできないのは、まだ道半ばっていうだけで……
矢内:進んでいる道は古典の道である、と。
寛也:そうそう。まさに、そのど真ん中のつもりで何十年やってきてるのに、「えっ?」って。要するに、音がそのまま出るんじゃなくて、1回頭を通して出てるって言われた。手からじゃなくて頭を通して。私、そういう芸は大っ嫌い! って否定してたわけですよ。人がやってる分にはいいんだけど、自分は絶対そうじゃない、っていうか、「私はそんな近代的、頭なんかじゃなくて、本当に体で感じてやってたんだし」と思っていたんだけど……
矢内:モロに言われちゃいました。
寛也:モロに言われて、ビックリしちゃった。ショックとかショックじゃないというより、ビックリしちゃったわけ。たとえは悪いけど、私、ずっと日本人と思って生きてたのに、「だって、イタリア人でしょ」って言われたような(笑)。だから、わかんなくなっちゃう。自分のアイデンティティがなくなっちゃうわけ。それからしばらく「えっ?」って感じで、どうしたらいいのかわからない。まぁ、普通にはやっていました。でも、私は近代的なものというのは古典芸能としては意味がないと思っているにもかかわらず、私が近代的だったら、義太夫節をやっていくことに意味があるんだろうか? っていうとこがあって、それはもう、すっごいいっぱいいろんなこと考えたんですよ、短時間で。それで、結論としては、「そういえば、私、なんとなく近代的な仕事――近代的って新作という意味じゃなくて――、ちょっと自分と違うなと思う仕事が来たり、そっちに行くのはなんでかな? 変だな?」と思っていたんだけど、「私が近代的だから、そういう環境になるのか」と、やっと気がついた。それをつらつらお手紙書いて、会ったら、「手紙を書こうと思ってたら、あなたはちゃんと自分で気がついたみたいだったから」って言われました。その時に何を思ったかっていうと、「手紙書かなかったら、手紙もらえたのに」(笑)。
矢内:惜しいことした。
寛也:「惜しいことした!」と思って、「ああ~、先走らなきゃ良かった」と思ったんだけど、その時に4時間ぐらいかな、橋本さんがずーっといろいろお話ししてくれました。私、自分が続けていくのに意味がないんじゃないかと思ったんですね。そしたら、「あなたみたいな人は、きっと古典だけじゃなく、自分が出したい音があるはずだから、まず新作とかで、自分のやりたいことを全部やってみて、そこから古典にアプローチをしたらどうか」って言ってくれた。私に意味がないとは言わない。それは、すごく橋本さんらしい。それで、そんなことをうっかり言ったばっかりに、橋本さんは、私に新作を書かされることになりました(笑)。橋本さんのすごいところは、橋本さんって責任感メチャクチャ強いんですよ。たとえば自分が何か言っちゃったことに対して、その人がダメージというか、何かなった場合に、橋本さんは放っておけない。絶対に救済しなければみたいな、世界のお母さんみたいな責任感。お父さんであり、お母さんであり。そういうところがあって、1回関わっちゃって、しかも私が自分の言った言葉で、意味があるのかどうかとかっていったら、とりあえず、ここまで引き上げてやんなきゃいけないというので、ずっと関わっていただけました。

矢内:何でもお見通しですね。
寛也:はい。だから、いろいろあったから、今はかなり自由。自分は近代的で、あ、ちょっと悲しくなってきちゃった、ガッツリした「古典の人」ではなかったんだっていうのがわかって、それはまったくもって非常に辛いことではあるんですけど、自分が自分として生きる道がわかって、ちょっと気持ちが自由になった。今、いろいろ思い出しました。だけど、その次の年に、自分はそういう人だと思って務めた舞台の時に、橋本さんが「近代的とか古典とかそういうことじゃなくて、寛也の三味線になってました」って言ってくれた。泣きましたね、ブワ~ッて(笑)。
矢内:ああ、泣けますね。
寛也:泣けましたね、あの時はね。本当に嬉しかった。
矢内:芸人冥利に尽きますね。
寛也:そうそうそう。だから、私は私で、芸人っていってもいっぱいいるわけじゃないですか。私は傍系かもしれないけど、私には私の生きていく場所があるみたいな。別に負け惜しみじゃないんですよ。そういう気持ちで、今やっています。
矢内:というように、数限りないエピソードをお持ちなんですが、今日はこのへんで。少しだけ時間オーバーいたしまして、失礼いたしました。本日はどうもありがとうございました。
寛也:ありがとうございました。

受講生の感想

  • 「語りもの」の解説から、竹本義太夫、明治の言文一致体の二葉亭四迷への坪内逍遥のアドバイス、三遊亭円朝の落語のことなど、興味深く拝聴しました。また、「仮名手本忠臣蔵」の八段目「道行旅路の嫁入」のライブ演奏、その解説の橋本治さんの音源、受講生の質問からの鶴澤寛也さんのお話と涙、すべてが相まって、橋本さんのお人柄や思い出が鮮やかに、立体的に立ち上がってくるようで、不思議な感嘆に満ちた空間でした。

  • 女流の素浄瑠璃を聴くのは初めてでしたので、特に楽しく、嬉しくなりました。対談を聞いていて強く感じたのは、橋本治さんの幅の広さというか、奥行きの深さでしょうか。橋本さんを知るきっかけは自分自身の歌舞伎好きからだったので、受講前から読んでいたものは『大江戸歌舞伎はこんなもの』と『これで古典がよくわかる』、そして『義太夫を聴こう』くらいでした。ですから、橋本治さんをキーワードにしてどんどん世界が広がっていくことに、ひたすら感動しています。

  • 矢内さん、寛也さん、ともに橋本治さんへのリスペクトの気持ちが溢れ出ていて心打たれました 本日もとてもいい会でした。幸せでした。