Hayano歌舞伎ゼミ 
第9回  早野龍五さん矢内賢二さん

初めて観るなら何を観る?

早野龍五さんの

プロフィール

矢内賢二さんの

プロフィール

この講座について

2018年7月に始まったHayano歌舞伎ゼミは、2019年2月27日のこの最終回をもって完結しました。最終回でありながら、いや、最終回であるからこそ、早野ゼミ長が投げた問いかけは「歌舞伎とは何か?」 それに対して、矢内教授は何と答えたのか? 歌舞伎好きの二人のかけあいをお楽しみください。

講義ノート

早野:今日は第1回に引き続き、というか、最初と最後のしめくくり、矢内賢二先生です。「初めて観るなら何を観る」というタイトルにしようと言ったのはずいぶん昔の話で、必ずしも今日そういう話にならないかもしれませんが、最初にアナウンスしたタイトルがこれでしたので、今日はこんなタイトルを付けてみました。みなさんと一緒に歌舞伎座にも行きましたし、みなさんの中にはすでにかなりの観劇歴をお持ちの方もおられることも存じているわけですけれども、長く歌舞伎を観ていくうえで、やはり標準というか、スタンダードというか、「歌舞伎のゴールデンスタンダード」は何かを知っていることは、たぶんとても大事なので、今日は繰り返し、そういうところに話は戻ってくるのではないかと思います。いきなり、いっちゃいましょうかね、この質問。「歌舞伎とは何か」。

●歌舞伎とは何か?

早野:そもそも歌舞伎とは何かって、たぶん学者の方も、この話を始めると止まらないでしょう。

矢内:無理なんです、これ。いちおう国語辞典を引くと定義みたいなことが書いてあるんですけど、「歌舞伎とはこういうものです」と定義するのは本当は無理なんですね。

早野:本当は無理な「ひとことで言ってみる」ということを、「私だったらこう言う」というのを、手を挙げていただいて白板に書きだしてみましょう。

矢内:「ひとこと」っていうのがミソですね。あんまりごちゃごちゃ言わない。

受講生:何でもアリ。

受講生:キラキラなもの。

早野:キラキラ、ああ、いいね。それがあるから、僕ら観に行くんだね。

受講生:究極の遊び。

矢内:格調高い。

受講生:新しい味わい。

受講生:日本の伝統。

矢内:これは当然出ますよね。

早野:こういう正統的な答えもうれしいですね。

矢内:安心感がありますね。

受講生:タイムマシン。

矢内:ちょっとひねった。

早野:他、どうでしょうね。

矢内:ちょっとネガティブな反応が出てもおもしろいと思うんです。チケットが高いとか。

早野:アハハハッ。どなたか手を挙げられた?

受講生:席が取りにくいです。

早野:席が取りにくい。松竹さん……喜んでいいのかな、そのぐらい人気があるということで。

受講生:傾(かぶ)く楽しみ。

早野:それは役者が? ご自分が傾かれますか(笑)。他はいかがでしょう。

受講生:贅沢。

矢内:いい意味と悪い意味と、両方あるかもしれないですね。

受講生:日本特有の総合エンターテインメント。

矢内:褒める言葉ばっかりですね。皆さんそんなに敬意を払ってらっしゃるんですかね、歌舞伎に。挑発してみたりして(笑)。

受講生:独特のセリフ回し。

早野:「芝居がかった」っていう言い方がありますよね。

矢内:何が何して何とやら……ってね。

早野:だいたい、こんな感じですかね。

矢内:困りましたね、どうしましょう。

早野:ルール違反かもしれないけど、プロに聞いてみようか。前に講師をやって下さった辻和子さんです。辻さんだったら何とおっしゃいます?

辻:不良の官能。

早野:すごい!

矢内:拍手が起きてますね。いいですね。官能ですものね。演劇評論家の渡辺保さんが、歌舞伎とは「官能のしたたり」であると名言を残しました。官能って、いい言葉ですね。

早野:最近、不良っぽさが減っているかな、ちょっとね。

矢内:そうかもしれないですね。清潔な感じ……

早野:……になりましたよね。教科書にも書いてあることで、ここに出てないものって……

矢内:女形とかね。

早野:たぶん今、歌舞伎の特徴の一つではある。でも、それによって歌舞伎が定義できるものでもない。

早野:歌舞伎、スタートした時には、「女形」という用語はなかったんですものね。

矢内:今や、歌舞伎独特のと言っていいでしょうね。あと、隈取りも出るかなと思ったんですけどね。

早野:女形も独特ですよね。本で読んだ歴史ですが、「明治になって男と女を舞台に一緒に上げてもよいというお触れを警視庁が出した」と作家の岡本綺堂(おかもときどう=『半七捕物帳』などを書いた人)が書いているんです。でも、結局そうはならなかった。なぜでしょうね。

矢内:女形じゃないとダメだった、ということでしょうね。けっこう誤解があって、歌舞伎の俳優さんと女優さんは共演しないと思っている方がいらっしゃるんですけど、全然そんなことはないです。一昔前は、山田五十鈴さんとか……

早野:新派でけっこうありましたね。

矢内:歌舞伎座の舞台にも、女優さんが上がることもあった。ただ、歌舞伎と名乗って演じられる演劇においては、やっぱり女優さんというのは定着しなかった。前進座とかの例外もありますけれど、どうしても女形じゃないとダメだったわけです。何がダメだったかというと、女形という、男の体で女を演じるテクニックがもう完成されちゃったわけです。歌舞伎はそのテクニックじゃないと歌舞伎にならないものになってしまった。それを女の人が真似してやろうとすると、非常に気持ち悪いことになったんですね。女形の真似を女性がすると、違和感がある。そんなことだろうと思うんです。

早野:たぶんそうだったんでしょうね。それを明治時代に警視庁が許したにもかかわらず、やってみようと誰も思わなかった。定着しなかったんですよね。

●歌舞伎役者がやれば歌舞伎か?

早野:「何でもアリ」の裏返しですけど、「歌舞伎役者がやれば歌舞伎である」っていう定義がありますね。

矢内:有名な定義ですね。歌舞伎役者がやったら何でも歌舞伎だというのは、一時期よく言われたんです。ところが、ちょっと考えればわかるけど、そんなことは全然ない。たとえば、歌舞伎役者さんだってシェイクスピアをやることはあるし、定義の仕方としては全然成り立たないわけです。だから、歌舞伎役者がやるから歌舞伎だっていうのは却下。

早野:じゃ、歌舞伎座でやれば歌舞伎か、というのはどうでしょうか。

矢内:場所の問題ですね。

早野:昔は三波春夫ショーとかあったけど、それは置いといて。歌舞伎座の舞台に立てることができれば歌舞伎でしょうか。

矢内:国立劇場でやるのも歌舞伎ですか。明治座はどうです? 

早野:新橋演舞場もありますね。

矢内:東京宝塚劇場はどうですか……って考えていくと、「歌舞伎座でやるから歌舞伎だ」っていうのもちょっと変ですね。亡くなった中村勘三郎さんが鬼界ヶ島で「俊寛」をやった。野外でもできちゃう。やろうと思えば、ですね。いいかどうかは別にして。それから、今はなくなっちゃいましたけど、かつては小芝居なんていって、今のキラキラした大劇場ではなくて、小さな芝居小屋がたくさんあったわけです。だから、小屋から定義するっていうのも、却下。

早野:「コクーン歌舞伎」とか、歌舞伎役者とそうでない俳優さんとが交じって演じる舞台はありますよね。交じっている割合を増やしていくと、どこかで歌舞伎でなくなるんでしょうか。

矢内:8割が歌舞伎役者なら歌舞伎か?

早野:コクーン歌舞伎はそのくらいの割合ですよね。

矢内:じゃ、60%ならどうでしょう、半分ならどうでしょう? 逆転して、歌舞伎役者が2割しかいないとか?

早野:新派公演に坂東玉三郎が行くと、そんな感じになりますよね。あれはたぶん歌舞伎とは言わない。

矢内:あれは、歌舞伎の定義がはたしてできるのかと、いろんな方向から考えてみているわけです。まず、演じ手が歌舞伎役者だからというのは、おかしい。場所が歌舞伎座とか、歌舞伎をよく上演している劇場だからというのも、おかしい。さあ、どうしましょう。

早野:どうしましょうね。

矢内:先に答えを言っちゃったんですけどね、答えはない。でも、「キラキラなもの」っていうのは気に入りました。キラキラ見たいですものね、普段見ないような。

●江戸時代のもの、そのままではない

早野:「タイムマシン」というのもありました。でも、どこまで戻ったものをわれわれが見ているかというのはけっこう複雑です。出雲阿国の舞台を、われわれは観ないですからね、古いといっても。われわれが今観る舞台で、いちばん古いものがそのまま保存されているのって、どのくらいですか。

矢内:難しいですね、これは。これも誤解が非常に多いんですけど、歌舞伎座に行くと、江戸時代のものをそのままやっていると思っている人がけっこういる。ところが、この演出はいつ頃できたんだろうとか、この演技は誰が考えたんだろうと細かく調べていくと、遡れるのって戦前とか、せいぜい大正とかが多いんですね。つまり、演目自体は昔からずっとあるけど、生身の人間が演じて、その演じたものはどんどん消えていくものですから。それを受け継いでいるものなので、演じ方がどんどん変わっていくわけです。能もそうですけど。だから、江戸時代のものをそのままやっているわけではない。でも、江戸っぽいってわれわれは思う。

早野:そもそも、その芝居が明治に書かれたということも、たくさんありますよね。最後に「不良の(官能)」ってありますけど、明治になって、歌舞伎をクリーンにしなければいけないという運動があった。外国人に見せても恥ずかしくないようなクリーンなものに、という、かなりの熱意を持った運動が起きたわけです。あれがものすごく歌舞伎を変えました。

矢内:補足しますと、「演劇改良」という一種のムーブメントを、明治になって政府の偉い人たちが起こすわけです。つまり、それまでの歌舞伎というのは、平たく言うと、下品で猥雑であると。舞台でエッチな場面をやったり、血まみれの人殺しがあったり、強盗があったり、そういうのは外国人に見られるととても恥ずかしい。これから新しい日本が頑張っていくためには、もっと上品な、しっかりした、世界に誇れるような演劇にしようというので、演劇改良という運動が起きた。なるべく上品で高尚で、きちんとしたストーリーがあって、お子様方がご覧になっても恥ずかしくないものを作っていこうという運動が一時期盛り上がるんですね。われわれは、多かれ少なかれ、そのフィルターを一回通ったものを観ているわけです。

早野:元は江戸時代に作られたものでも、必ずしもそれを観ているとは限らない、ということですね。そういうのは昭和にもあったし、戦後にもあった。いろんなところで何段階もフィルターがかかったものを観ているのでしょうね、きっと。

矢内:……と言うと、がっかりされる方もいるかもしれません。でも、フィルターを通しても残るものはあるわけです。失われていくものもあるし、新しく付け加わるものもある。江戸時代からしぶとく残っているものも、部分的にはある。

早野:セリフなんかも、落語はわりと「これ言ってもわからないから」って、どんどん変えておられます。歌舞伎の中でもセリフが変わっていますね。

矢内:変わっています、部分的にね。

早野:やっぱり「伝統」と、「傾(かぶ)く」というのがある。もともと歌舞伎のルーツは、傾くところにあると、教科書にも書いてありますが……。

早野:けれど、守りの伝統になってしまうと、傾かなくなるわけです。だから、これは今日、何回も出てくるテーマになると思うんですけど、伝統である部分と、それでも傾き続けるためには何をしなければいけないかという部分を、観客、あるいは演ずる人たちはどう思うのか。そのせめぎ合いは、歌舞伎の歴史でずっとあったんですよね、きっと。

矢内:たとえば、美術作品とか、建築とか文学作品って、現物が残るわけです。劣化はしていくかもしれないけれど。ところが、芝居はその場で消えちゃうものですから、現物が残らない。幻と記憶しか残らない。それを受け継いでいくことができるかというと、本当はできない。厳密に言うと。その人がやった通りを再現するのは無理で、部分的に形が変わっちゃうわけです。ちょっとした違いでも、何十年、何百年経つとすごい違いになってくることがあります。だから、伝統ってこと自体にそういう変化が、実は含まれている。そのまま残ることはあり得ない。

●役者が死ぬと「歌舞伎の一時代が終わる」のか

早野:舞台芸術ってそういうものなんですよね。岡本綺堂の書いた『ランプの下にて』という本があって、明治時代に九代目團十郎と五代目菊五郎という役者がいて、彼らが死ぬところで終わるんです。これでもう江戸時代からの歌舞伎の伝統は途絶えた、と絶望的な気分に彼がなったことを思い出して書いているものだった。それから、歌人・折口信夫(おりくちしのぶ)が『かぶき讃』で、六代目菊五郎が死んだ時代を書いている。一時代が終わって、もう歌舞伎はダメかもしれないみたいなことを書いている。その時代ごとに有名な、あるいは偉大な役者が亡くなると、「一時代が終わった」「そもそも歌舞伎自体が倒れてしまうんじゃないか」という危機感を持っていたわけです。けれども幸いなことに、今非常にお客さんもたくさん入っている。でも、たぶん、われわれが歌舞伎を観始めていた頃から「この人が亡くなると、歌舞伎の一時代は終わるな」と思っていた方はいる。

矢内:この間亡くなった橋本治さんの『(橋本治歌舞伎画文集)かぶきのよう分からん』という本ですけど、昭和60年代だと思うんですが、『演劇界』という雑誌に連載したエッセイとイラストを集めたもので、開くと最初に中村歌右衛門の滝夜叉姫が出てくる。非常に愛を感じるイラストなんですけど……私にとっても、かろうじて晩年の舞台を観られたという役者さんがたくさん収まっている。死んじゃうとそれきりというのは、いちばん辛いところですね。その人が死ぬと、その人の芸は永遠になくなっちゃう。歌舞伎に限らず生のものは全部そうで、橋本さんの芸も消えちゃったんですけど。

早野:そうですねえ。

●歌舞伎の種類

早野:ところで、歌舞伎と言ってもいろんな種類がある。ほとんどの方はご存知と思いますが、まず「時代物」というのは、江戸時代から見た昔の話。

矢内:そういう言い方がいちばんわかりやすいでしょうね。具体的に言うと、室町時代だったり、鎌倉時代だったり、平安時代だったり。

早野:前のことにしてあるか、あるいはほんとうにそういう時代の話か……。「世話物」というのは、基本的には武士が出てこない。出てくるけど、主役は町人。あと、「踊り」。歌舞伎の踊りとして、別のカテゴリーがある。それから、どうやって作られているか。ひとつは「義太夫狂言」で、もともとは人形浄瑠璃のために書かれたもの。それが、たいてい、その1カ月後とか、たちまちのうちに歌舞伎になっているんですよね。

矢内:人形浄瑠璃でヒットしたものは、すかさず歌舞伎に。現代風に言うとパクりなんですけど、当時はそういう観念はないですね。

早野:その後の「純歌舞伎」っていうのは、でんでん(義太夫の三味線)の入らない、もともと人形でない「歌舞伎として書かれたもの」ということでしょうかね。あと、「新歌舞伎」と「新作歌舞伎」は、学者さんが付けた名前ですかね。

矢内:どこで線を引くかは曖昧なんですけど、なんとなく戦後は「新作」、それ以前は「新歌舞伎」というような。

早野:それ以前っていうのは、明治以降?

矢内:明治以降で、太平洋戦争以前、のような使い方をされることが多い。

早野:辻さんのイラストを借りてきましたが、お見せしているのは時代物で義太夫狂言。これは「義経千本桜」ですけど、源平の時代の話をやっていて、義太夫が入っている、そういうことですよね。

矢内:イラストを見ると元武士もいますけど、基本的には町人ばかりでやっているお芝居。

早野:この場は全員町人ですよね。

矢内:ところが、実は時代背景は源平の時代。どう見てもこれ、江戸時代なんですけど。

早野:風俗はそうなんですよね。最近のものだと、奈良県の田舎の話なのに、江戸前の男が出て来たりする。

矢内:べらんめえのね。いちおう設定としては、源平の時代ということになって、文字通り源平の人たちも登場している。

早野:もっと時代の古いものとして、こんなものもありますよね。蘇我入鹿(そがのいるか)。

矢内:「王代物(おうだいもの)」なんて言われますね。王代物とは、われわれの感覚で言うと、古代って感じですかね。平安時代より前の時代も歌舞伎になっちゃう。

早野:この中に出てくる田舎の娘は、完全に江戸時代の着物を着て登場する。蘇我入鹿だけは、ものすごく、おどろおどろしく……

矢内:とても人間とは思えないですね。

早野:人間と思えなくやることが大事な役ですよね。世話物で純歌舞伎として、辻さんの本から私が頂戴してきたのはこれです。

矢内:「髪結新三」。江戸らしさが舞台に充満している。江戸の庶民の生活ってこんなのだったのかなっていう、博物館みたいな演目ですね。

早野:季節は初鰹の時期で、外回りをする髪結の職人なんですけど、ちょっと粋がっている若者が、象牙の箸で染付の茶碗でチャラチャラチャラと書いてある。これから鰹を食うぞという場面ですが、ほんとうに江戸時代のホトトギスが鳴くような季節感が出る芝居です。

矢内:町人の世界。義太夫は入りません。

●明治の新歌舞伎

早野:それで明治になってから新歌舞伎というのが書かれるようになって、いろんな作家さんが書いておられる。なかでも極めてセリフの字数の多い方の作品が、たとえばこれですかね。「元禄忠臣蔵」という、真山青果(まやませいか)という人のもので、「仮名手本忠臣蔵」とはまったく違うテイストの、でもやはり忠臣蔵の世界。この時代、他にもいろんな作家さんがいた。それこそ長谷川伸とか。股旅物の歌舞伎をたくさん書いた人とか、そういうものも新歌舞伎ですかね。

矢内:そうですね。専業の歌舞伎の台本作家じゃなくて、小説家だったり、劇作家として現代劇を書いているような方が、よく「文学者」なんていう括り方をされますけど、そういう方が歌舞伎の台本も書いた。

早野:岡本綺堂も書いています。そして、戦後になると、新作歌舞伎といって、最初に有名になったのは「源氏物語」。

矢内:三島由紀夫も歌舞伎を書いています。「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」。

早野:これよりは、たぶん「鰯売」のほうが、上演回数も多くて成功した。そちらは喜劇というか、ちょっとほのぼのとするお話です。その後……、「スーパー歌舞伎」をご覧になったことある方。それから、最近の「スーパー歌舞伎Ⅱ」をご覧になった方? 多いですね。どちらも新聞か何かに載る時は宙乗りだけの記事になったりするんですけど。スーパー歌舞伎の「ヤマトタケル」も、この間亡くなった梅原猛さん原作の作品です。漫画作品が最近多いのですが、今度あれはどうするんでしょうね。

矢内:「ナウシカ」ですね。

早野:というようなものが次々と上演されるようになりましたが、きっかけは今の猿翁さんのスーパー歌舞伎ですかね。やっぱり大きいですよ。ああいうのも「アリ」なんだと。

矢内:ひとつ、枠を超えた。

早野:始めた時には賛否両論があったけれども、再演もされ、そういうテイストの作品も増えてきたことで、新しく傾(かぶ)いたひとつのきっかけになったのかな。こんな形で、もともと歌舞伎として書かれたもの、人形浄瑠璃に書かれたもの、それから、扱う世界が大昔、江戸時代から見た現代劇、後にそれに加えて踊りがある、ということですかね。

●踊りについて

早野:「鏡獅子」は女形のわりと長い踊り、長唄舞踊ということで、場所は大奥ですかね。

矢内:そうですね。

早野:小姓が踊って、獅子頭を手に取ると、獅子の精が自分にのりうつって、最後は花道からこの姿で登場して、毛振りをして、牡丹の花と戯れるという、そういう踊りですね。

矢内:海外向けの「KABUKI」というパンフレットなんか見ると、だいたい連獅子の絵や写真が使われている。歌舞伎というとこんな感じという、代表的なものですね。

早野:11月にみんなで歌舞伎座に行った時にも松羽目の踊りがありました。あの時は「素襖落(すおうおとし)」だったけど、「棒縛(ぼうしばり)」という狂言ネタだったり、最後、「やるまいぞ、やるまいぞ」になるようなものを踊りに仕立てているものもあるということですね。

矢内:松羽目はご存知ですか。能舞台をご覧になると、どこの能舞台でも松がドーンと描いてある。あれを歌舞伎風の絵に直したのが「松羽目」。要は、その能、あるいは狂言の演目を翻案して、歌舞伎風に脚色したものですね。明治の演劇改良で、なんとか上品なものを作ろうとして、能、狂言の真似をしたら上品になるんじゃないかという安直な発想ですけど、やってみたらわりといけた。能、狂言をベースにした演目を「松羽目物」と言います。

●荒事と和事

早野:それとはちょっと違う、「荒事(あらごと)」と「和事(わごと)」という分け方もあります。外国向け宣伝歌舞伎コーナーというと、だいたい「荒事」がありますね。

矢内:隈取りですね。

早野:和事は、もともとは上方でスタートしている。

矢内:演目と言うよりは、演技の種類の分け方ですね。和事の「和」っていうのは、訓読みにすると「やわらかい」ですよね。つまり、なよなよっとして柔らかい、色っぽい、くにゃくにゃっとした色男の演技を「和事」といいます。「荒事」のほうは「荒」ですから、非常に荒々しい、超人的な英雄が活躍する。だいたい似たような時代に、和事は上方=大坂とか京都とかで流行って、江戸では荒事が流行っていたという、非常に面白い時代だったんですよね。

早野:一時期、ほとんど上方の歌舞伎が絶滅してしまいそうな時期もあって……

矢内:元気がなくなった。

早野:けれども今、幸いなことに、東京の舞台で和事の、上方の演目を細々と観ることができるんですよね。こんな形でいろいろ観る種類があって、ご覧になる方も、最初どれを観たらいいだろうと思われるんじゃないかなと思いますね。

矢内:当初のテーマに戻ってきました。

早野:そう、戻るんですが、ここでちょっと、むしろ避けたほうがいい、最初にこれ観ちゃうと不幸だよねって、二人でちょっと盛り上がったネタがありましてね。最終回ですから、あんまり堅いことばっかりやっていてもつまらないので、少しこのへんを自由に話してみたいと思っています。

●最初は避けた方がいい演目

矢内:何でこういう話になったかというと、最初に観るのは何がいいでしょうってよく聞かれるんだけれども、おすすめを選ぶのが非常に難しい。なんでかと言うと、さっき縷々ご紹介したように、いろんな種類の料理があり過ぎて、どれがお口に合うかわかりませんということなんです。演目の成り立ち、歴史も違うし、義太夫から来たのもあるし、新しい作家が書いたのもあるし、荒事もあるし和事もあるし、どれがあなたのお気に召すか、私にはわかりませんということが非常に多い。逆に、「これはやめといたら」というほうが話が早いんじゃないかと。

早野:それで話し出したのが、けっこう盛り上がっちゃったんです。

矢内:つまらないとか、演目として値打ちがないとかいう意味ではなくて……人間でもあるじゃないですか、初めて対面する時に、この人と会ってよかったっていうのと、いい人なんだけど一回りしてからのほうがよかったなとかって。

早野:実はその時に出た名前が、今までの話の中に出ているんです。「これは最初はちょっと厳しいかな」っていうのが。

矢内:さあ、どれでしょう。

早野:さあ、誰でしょう、どれでしょう。

矢内:誰って言っちゃった(笑)。

早野:言っちゃったな。

矢内:モニターに出ています。真山青果と。悪口ではないですよ。

早野:悪口ではないというところは大事なんですが、最初にこれを観ると、「ちょっと、これが歌舞伎の標準的な演目だと言うわけには……」というところで意見が一致したんです。

矢内:慣れてくると、ああ面白い、やっぱり泣けちゃうということもなくはないんですけど、真山青果のお芝居って、とにかく男同士が延々と議論しているんです、ひとつのテーマについて。おじさん二人がずーっと議論している。

早野:娯楽的要素は非常に少ないです。

矢内:キラキラであるとか、荒事であるとか、女形の魅力だとかっていうのは……女形さんも出るんですよ。出るんですけど、あまり強調されていないので、幕が開いた時の「ワーッ、きれいね」っていう、トキメキがちょっと……。

早野:薄いですね。

矢内:おじさんたちが非常に熱い議論を、難しい言葉を使って延々とやっている。

早野:「その時歴史が動いた」とかの番組に挿入されているようなドラマが延々と続く……。

矢内:ハードな歴史劇なんです。その内容が吸収できるようになると、こういうドラマなんだってわかるけど、初めて観に行くと「何言ってるんだ、これは」っていうことになるだろうと思う。まず最初に出たのが真山青果なんです。

●「復活狂言」

早野:次に出たのは……今日は関係者がおられないからいいんですけど、比較的、某三宅坂のほうの劇場でなさることの多い「復活狂言」。あれはだいたい面白かったことはないねと、あれっ、僕が言っただけ? お立場上……古巣でしたね。

矢内:いや、いいんですよ。復活って、長らく上演されていなかったものを、いろんな資料をもとに掘り起して、新しく台本作って、たとえば百数十年ぶりに上演してみたという実験的な演目なんです。国立劇場という所は、そういう復活をやりましょうという使命も帯びてできた劇場で、熱心に今でもいろいろ復活の試みをされている。「復活」というのも、これまた曲者です。古いものがそのまま復活したと思ってしまうけど、そんなことは絶対無理です。時間だって短くしなきゃいけないし、今の役者さんの演技でうまく運ぶように調整しなくてはいけないので、相当手を入れて台本を新しく作る作業が行われるんです。

早野:で、観てみると、「ああ、やられていなかったのにはそれなりの理由があるな」と思うものが多い。すべてそうとは申しませんが。長年滅びていたようなもので、復活させて成功したのって、たとえば「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」。近松作品です。

矢内:今はもう大人気でしょう。

早野:大人気ですよ。だからそういう成功例がなくはないんですよね。

矢内:その国立劇場の例で言うと、「雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)」。「鳴神」「毛抜」「不動」とか、「歌舞伎十八番」の場面が入った長い作品ですけど、これも国立が復活して、今定着したものですね。それから、「桜姫東文章」。これも復活させたら、ヒット演目になった。だから、成功するケースもあるし、残念ながら成功しなかったケースもある。

早野:そんなに打率は高くない、と思っているんです。再演されるものの数ってあまりないので。成功するというのは、もう一回観たいとみんなが思う、それで再演されると復活して次の世代につながるわけで、その確率はあんまり高くなかったんじゃないですかね。

矢内:復活といっても新作に近いようなものなので、段取りが悪かったり、テンポが遅かったり、欠点は当然あるわけです。それが再演されていくと、だんだん余分なところが削ぎ落とされて、おもしろいところが充実して良くなっていくのが本当の姿なんですけど、なかなか再演されないという不幸な事情もあるわけですね。なので、復活狂言もやっぱり少し慣れてから行かれたほうがいい。

早野:掘り出し物はあるでしょうけど、最初に観た時に当たる確率がちょっと低いかなと思います。

矢内:これは私、えらいことを言ってしまいました。かつて国立劇場に勤務しておりました。いまだに知り合いがいっぱいいるんですが。たぶん後日いろいろ言われるのではないかと……。

早野:ごめんなさい(笑)。

●新作歌舞伎はおススメか?

早野:同じような意味で、最初に観るのに新作をお勧めするかというと、それもなかなかお勧めしがたい。矢内さんの本に少し書かれていることで、「踊りを観ると寝ちゃう」とある。ご自分が日本舞踊をやっておられるとか、踊りを見慣れているとか、長唄を聞き慣れているとか、そういう方とは縁の遠い人たちが歌舞伎に行って踊りを観ると……

矢内:でも、そのほうが大多数でしょうね。

早野:ですよね。それで踊りを観て、「わぁ、きれいね」と言った後、そのテンションが落ちていくと、ものすごくリアルに周りの観客の様子を語っておられましたよね。

矢内:とくに「藤娘」なんて、最初始まると暗転、舞台が真っ暗で何も見えなくて、長唄の前の部分の唄がひとしきりあって。「チョンパ」っていうんですが、チョーンって木が入ると、照明が一挙にワッとつく。で、舞台一面の藤の花がワーッと目に入ってくる、しびれるような瞬間なんですけど、そのあと長唄が始まると、テンションがスーッと下がっていく現象がよく見られるんですね。

早野:でも、踊りの演目ってけっこう多いじゃないですか。

矢内:だいたい歌舞伎座に行くと、もれなく付いてくる。

早野:こうやって観ていくと、だんだん踊りが楽しくて、前よりも観るのが好きになるようなヒントを本に書いておられましたけど、最初はどうやって観ました? 踊り。僕、寝てましたけど。

矢内:やっぱり寝ちゃいますよね、どうしても。寝ずに観るのは無理なんです、最初のうちは。たぶんいちばん引っ掛かるのは、何を言ってるかわからない長唄とか、清元とか、常磐津とか。唄が聞き取れないというのはすごくストレスだと思うんですね。なので、熱心な方は歌詞をネットで調べる。有名な曲なら歌詞が出てきます。歌詞を読んでいくと、ストレスが軽減されると思います。今どういう場面で、この人はどういう人で、どういう様子を踊りで表現しているかというのは、歌詞に全部書いてある。もちろん多くは古いものなので、辞書を引くことも必要かもしれませんけども、大まかな流れを掴んで観に行くと、ずいぶん楽になるような気がします。

早野:掛詞ばっかりみたいな歌詞ですよね。

矢内:ええ、ほとんどストーリーらしいものもないし、合理的にこうでしょ、っていう説明ではなくて、いきなりイメージが飛んじゃうんですけど、ただその言葉が不思議なもので、何回か観ていると聞き取れるようになってきます。それまでは寝ていいと思うんです。劇場で寝るのって気持ちいいじゃないですか。家でうたた寝するより、ずっと気持ちいい。それはそれでいいんですが、何回か観ていると、徐々に何を言っているかわかるようになってくる。

早野:それは義太夫もそうですよね。最初からすべては聞き取れないし、聞き取れるようになってからも、後で字を読むと、エッ、こんな高尚な……ビックリするようなことを言ってるんだなと思う。

矢内:逆に、エッ、こんな下品な歌詞だったのかっていうこともよくありますけどね。

早野:だから繰り返していると、聞き取り能力は明らかに上がっていく。

矢内:だいたいパターンが決まってますからね、義太夫もそうだし。こう来たらこう来る、こう来たらこう来る……音の流れがだんだん耳に馴染んでくると思うんです、何回かご覧になっていると。で、そんなの我慢できないという人は、残念でしたっていうことです。

●古典の命がけの切羽詰り方

早野:お持ちいただいた橋本治さんの本『橋本治歌舞伎画文集 かぶきのよう分からん』に、たくさん付箋が付いていますが、何を付けて来られたんでしょう。

矢内:ちょっと記事を書いていて、その資料で付箋をしたんですけど……今開けたら、さっきの新歌舞伎の話が出てきました。橋本さんが言うには、江戸のドラマには、非常に切羽詰った状況があると。だから子どもを身代わりに殺すとかって変な話になるんだけど、それには彼らなりの切羽詰った状況がある。ところが、新歌舞伎はそういう意味で、切羽詰った加減の書き方が甘い、って書いてあります。登場人物は好き勝手なことを言っているけれども、言っているだけ……みたいなところがある。それに対して、古典はそういう言い訳がないと書いてあります。つまり、劇的な切羽詰り方が、新歌舞伎は弱い。古典のほうが命がけの切羽詰り方をしていると。

早野:でも、あの切羽詰り方を観て、あんなシチュエーションはあり得ないと拒否反応を示す人もいますよね。

矢内:います。生理的にダメっていう人は世の中にいると思うんですね。いくらお芝居でも、少年の首を斬っちゃうとか。で、それを母親が抱いて、身をよじって苦しむとかっていうのは観ていられませんって、そういう気持ちもわからなくはないです。

早野:今、書けといっても、そういうもの書けないんじゃない?

矢内:無理でしょうね。当時の人たちが実際にそういうことを目撃していたかと言うと、絶対そんなことはないです。そのへんで首を斬ってることはないわけです、普通に生活している人は。だから、あくまでお芝居なんだけど、そのお芝居の土俵に、われわれがポンとうまく乗ってあげられるかどうかっていうところが問題だと思うんです。踊りについても、この本に書いてあります。踊りのことを「所作事(しょさごと)」と呼ぶこともあるんですが、「初めのうち、オレ、所作事って苦手でしたね」と書いてあります。「きれいなだけで、結局どういうドラマがあったかよくわかんないというのがあったから。理屈を考えないで、ああ、この手の動きが快感なんだ、この流れが快感なんだと思っていていいんだとしたら、これはすごく高級な贅沢なんじゃないかと思ったんですよね」と書いてあります。橋本さんも最初は退屈だった。退屈ですよね、ストーリーないんですもの。

●娘道成寺の「ストーリー」

早野:「京鹿子娘道成寺」って、この間、吉坊師匠がここでちょっと踊った演目ですけど、あれは女性の執念というか、怨念が最後は蛇になって鐘に巻き付いていって、鐘入りをするわけですけれども、そういうストーリーだと外国人に説明すると、外国人は(けっこう長い1時間ぐらいの踊りの間に)「彼女は徐々に蛇になりつつあるのか?」という言い方をするわけです。

矢内:今どのへんまで行っているか、と……。

早野:そういうストーリーと関係ないわけですよね。だけど、ストーリーをちょっと口をすべらせて説明してしまうと、観る人にものすごい誤解をもたらすわけです。

矢内:結局、説明しようとすると、そう言うしかないんです。ストーリー的にわかってもらおうとするとね。

早野:でも、そうではない。

矢内:実際に観に行くと、遊女が出て来たり、おぼこい娘が出て来たり、こま切れの場面がずっと数珠つなぎになっているだけで、蛇になるのは最後にちょっと出てくるだけ……

早野:そうなんですよね。折口信夫が舞踊について何と言っているか。「歌舞伎とをどり」という折口信夫の文章があって、いつ頃の話かというと、戦前、六代目菊五郎という名手がいた時代。六代目菊五郎は踊りで有名な人ですが、「菊五郎などは、歌舞伎に専念したらどんな役者になったろうか」って。「歌舞伎に専念したら」というのは、「踊らずに」という意味です。「あの人気の源になっている踊りは、あの人の芸を蝕んでいるものだということに気が付かないはずはないと思うのだが」と折口信夫は言っている。歌舞伎役者は、そんな一所懸命踊らずに、もっと歌舞伎演劇をやれと書いていて、「ほう」と思って読んでおりました。

矢内:踊りの名手、名人というので名を馳せた役者に対して、折口信夫はそういうことを言っているわけですね。真意はよくわからない。

早野:よくわからないですけどね。

●踊りの気持ちよさは「息」に

早野:踊りも、大勢で踊る踊りと、ソロとある。先ほどの「鏡獅子」は途中いろいろありますけど、基本的にはソロです。「道成寺」もソロの踊りですけど、デュオもあります。「三社祭」みたいに、二人の踊り手の息の合ったところが実におもしろく素晴らしく見えるものもある。

矢内:「二人椀久(ににんわんきゅう)」とか。

早野:そういうコンビネーションのおもしろさもありますね。

矢内:「息」っておっしゃったんですけど、たぶん踊りがいちばん気持ちいいのは、息とか間とかって言われる、いちばん気持ちいいところにスポッとテンポがはまるとき。そこに手がピタッと決まる、腰がピタッと決まる、あれが、いちばん気持ちのいいところだと思うんですね。

矢内:にゅーっとゆっくりきてピタッと止まる、ゆっくり来てピタッと止まる。で、だんだん速くなって、またゆっくりになってみたいな、体に気持ちいいようにできているんですよ。能でも何でもそうで、だから寝ちゃうんです。リズムにうまく沿うようにできているんですね。盛り上がるところは盛り上がって、最後、盛り上がったうちに気持ちよく終わっていくというふうに、ショーとしてはものすごくよくできていますよね。

早野:よくできてます。

●おススメの演目は

早野:いよいよ、おススメのほうはどうか。最初に観ることが前提ですけれど。僕の考えとしては、やっぱり歌舞伎の今のゴールデンスタンダードを最初に観て、そのうえでバリエーションを観ていくことができるといいなと思う。やっぱり劇場としては、歌舞伎座でご覧になるのがいいのではないかな。ごめんなさい、国立劇場(笑)。観るものとしては、新作ではなくて、古典。それも、できれば二度三度観るチャンスに恵まれる可能性の高いもの。一度観て、「ああ、よかったわね」って言って、もう一回観て、だんだんセリフも覚えちゃうような。そして、この間とは違う役者でまた観たら全然違う芝居のように思えたということもあると思うんです。古典には同じ芝居を何回も観られるという楽しさがあるわけで、そういう引き継がれている演目を歌舞伎座で観るというのを、私は最初にお薦めしたいと思っておりました。

矢内:いいんですよ。国立も新橋も素晴らしい劇場なんですが、初めは銀座の真ん中で……やっぱりにぎやかで華やかでいいですよ。いろんな人が書き残していますけど、歌舞伎座がいいのは、街とのギャップですね。芝居を観終わって、パッと外に出た時に銀座の街並みがあって、晴海通りをタクシーが走っていてという、現代の街並みとのギャップが気持ちいいというか、インパクトがある。やっぱり異空間だなっていう感じがしますね、歌舞伎座って。

早野:ロビーの広さとか、中に飾ってある日本画の素晴らしさとかですね。そういうので歌舞伎座はいいなと思いますし、劇を観る……3階席でも、それからいちばん上の一幕見席でもいいんですが、歌舞伎座で観るというのが、まずはお薦めかなと思います。

●3大名作

早野:後半に入ります。古典と言ってもいろいろあるわけで、まずは3大名作「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」。これはもともとは全部浄瑠璃ですね。おまけに、同じ作者が3年続けて書いた。

矢内:奇跡の3年間ですね。

早野:辻和子さんの本には「フルコースでも単品でも美味」と書いてあります。「仮名手本忠臣蔵」は吉坊師匠を拝み倒して3席もやっていただいて、先生のご本では「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」のところを書いておられますよね。

矢内:そうですね。さっきもお話が出ましたけど、やっぱり非常に残酷と言えば残酷なお話なんだけど、よくできてますよね。

早野:たいへんよくできている。そこにある絵は松王丸のものですかね。

矢内:松・梅・桜という、植物の名前を持つ三つ子の兄弟。この設定だけで萌えますね。それが敵味方に分かれてと、何ておもしろいんでしょう。

早野:それが寺子屋の場面で首実検というのがあって、それで、菅原道真、菅丞相派と、それから反菅丞相派というか……。

矢内:時平(しへい)。

早野:藤原時平。そこの政治的な暗闘が、その芹生の里に、京都のはずれのほうですよね。

矢内:当時はド田舎ですよね。

早野:そこで悲劇を引き起こすという話。

矢内:もともとは天皇の側近の政治権力闘争の話なんですけど、それがどんどん下に波が押し寄せてきて、結局犠牲になるのはちっちゃい男の子という、実にいたたまれない話なんです。ところが、橋本治さんも書いていたように、彼らには彼らの事情というのがあって、彼らの立場としては切羽詰っているわけですね。もうそれしか選択肢がないという状況に追い込まれていることが原作にはきちんと書いてあるので、そのあたりはやっぱり知識として必要かなという気がします。

早野:今の道徳観であれを観て納得できるかっていうと、すぐには難しいですよね。

矢内:難しいです。

早野:けれども、芝居として観ると、実によくできているし、納得もするし、それから泣ける。非常に人気のある演目ですね。「菅原伝授手習鑑」の他の場面もいろいろありますけれど、いちばん上演頻度が高い、単独でその場だけ演じることが多い「寺子屋」。若干、こちらが歩み寄る努力をすると、とても楽しめる演目かなと思いました。

矢内:何だかんだ言って、実は松王丸のあの異常な格好が好きなんですね。常軌を逸してるでしょう。「雪持ち松」っていう派手派手の着物を着て、真っ白な白塗りで、青黛(せいたい)って頬のあたりを青く塗って、実に異常な格好で出て、あれがいいんですね。

早野:それに対するほうは、今風に言えば、グレーのスーツを着ている感じ。

矢内:武部源蔵。たいへん地味な格好。

早野:しかし、今日お寺入りをした子どもの首を菅丞相の御身代わりとして討たなければいけない。夫婦で相談する切迫した場面があるわけです。そのへんは見れば見るほどよくできているなと思うし、演ずる人によって心に沁みる時もあるし、そうでない時もある。

矢内:複数回観るということのいちばん幸せなところですね。比較対照ができる。

●義経千本桜

早野:「義経千本桜」は、これも全部通すなどということは今できないので、たとえば狐編とか分解してそこだけ通す、半通しみたいな形でやることが多いです。これもよくできた芝居ですよね。

矢内:全部よくできていますが、実は「義経千本桜」って天皇にすごくウエイトがかかった、肝になっている芝居なんですね。そういう芝居は実はそんなになくて――って言うと語弊があるかな――要は、だいたい時代物のお芝居は、上のほうで政治闘争があって、それがどんどん下のほうに波及してきて悲劇が起きるという構造の話が多いんですけど、「義経千本桜」の場合はとくに、その犠牲になる人たちがいかに理不尽に歴史の波の中に飲み込まれていくかが切実に書かれている気がするんです。

早野:これはメルヘンとして観ることもできるんですけど、歴史のうねりを感じることができる面もあるし、いろんな見方ができると思う。僕はとても好きな芝居です。「義経千本桜」。

矢内:狐ばかりがクローズアップされがちですけど。

早野:最近はそうですね、狐が多い。今月、ご覧になって劇評を書いておられますね。いかがでした?

矢内:よかったですよ。尾上松緑さんが、いがみの権太を。

早野:僕は今月のを観て、昨年末に京都で片岡仁左衛門のいがみの権太を観ました。上方のいがみの権太と、東京の役者がやるいがみの権太、全然違うんですよね。別人かと思うほど違う。やることも違うし、人物の造形が違うんです。僕は仁左衛門のいがみの権太がものすごく好きで。ゴロツキの悪い兄ちゃんだと思っていたら、実はそうではないという、「もどり」というのがあるんですけれども、それをどういう具合に形作って見せるかって、役者による違いもあるな、と。僕は狐よりこっちのほうが好きです。狐は宙乗りで有名になったこともあって、再演の機会も多いと思います。

●忠臣蔵

矢内:「忠臣蔵」は?

早野:「忠臣蔵」は今、歌舞伎座なんかで「通し」といっても、完全には通しはできないので、たとえば九段目はやらないとかあります。これも、言ってみれば短慮の殿様が刀を抜いてしまったことによって起きる、最後はホームドラマになっているわけです。たとえば、六段目あたりは家庭崩壊のドラマになっている。そういう作りが、四十七人全員を描かなくてもちゃんとストーリーの大きさがわかる、そういう作りが非常に素晴らしい。最後に討ち入りの場面で立ち回りもあるんですけど、あそこはなくてもいいかなと思いつつ、いつも観ているんですけどね。でも、やっぱりあれは、最後はやるもんですかね。やらないと最後おさまらないんですけど、鎌倉の話かと思ったら、突然、両国橋になったりすることもあるので、何かなと思いながら観ています。

矢内:やっぱりこのあたりのお芝居は、政治闘争だったり、仇討ちだったり……「ご主人様を助けなきゃ」とか、「ご主人様の仇を討たなきゃ」って、みんなが頑張る。で、途中でやっぱり死んじゃう人が出てくるという話で、その「ご主人様のため」にというところに引っ掛かる人もいなくはないと。

早野:いなくはないと思いますね。

矢内:普通は実感できないわけです。当時の武士の立場なんて本当にはわからないですね。社長のために頑張るとか、そういうことはあるかもしれませんけど、全然レベルが違う。お芝居のうえでは「命がけ」。そういうフィクションにいかにうまく乗っかれるかっていうところが、なかなか難しいかな。私なんか単純だから、見た瞬間に、「あ、ご主人様大事。頑張る」とか思っちゃうわけです。単純な人のほうがいいのかもしれないですね。

早野:そうですね。あんまり考えない、分析的に観るものではないと思う。

矢内:彼らはそういう世界観で動いているわけですね。

●黙阿弥

早野:黙阿弥は非常に多作で、芝居が多い。明治時代になって書かれたものもたくさんある。

辻さんのイラストをお借りしたのは、有名なセリフがある「三人吉三」のお嬢吉三。こちらは「知らざあ言って聞かせやしょう」という「弁天小僧」。いわゆる七五調のセリフがたくさんあって、耳に心地よい。

矢内:心地よいですね。

早野:この後の後の場面が、最初の回で話されたゴレンジャーですよね。

矢内:勢揃いの。

早野:そういう有名な場面もあるし、やっぱり黙阿弥って、座元に親切、役者に親切、それからお客に親切っていう、「三親切」を心がけて芝居を書いたと言われているので、どれも芝居としてよくできている。現代的な目で見ると、勧善懲悪なり、因果なりの辻褄合わせとか、「何だかな」と思うものはあるけれど、そう思って観ないんですよね。

矢内:それはもう、考えたらダメですね。「実は親子でした」となると、「エー」って、近年どうしても笑いが起きちゃうんですけどね。「実は兄弟でした」で、どっと笑いが起きちゃうんですけど、それはそういうものですからね。さっきおっしゃったように、耳に七五調のセリフもすらすらーっと入ってくる、気持ちいいセリフが書いてあるし、目で見てもきれい。「三人吉三」なんてピシッと三角形で決まるわけです。あれは文句なしに気持ちがいい。「三人吉三」は、ストーリーが非常に複雑で、人間関係がゴチャゴチャになって、たぶん、初めて観ただけでは何が何だか、誰と誰がどういう関係かわからないと思うんです。

早野:「コクーン歌舞伎」はそこを整理して見せようとしているわけですよね。

矢内:でも、黙阿弥ものは、やっぱり初心者の方にもおすすめです。比較的わかりやすいし、観てきれい、聞いて気持ちいい。上演頻度が高いので、何回か観ていると絶対ぶつかると思います。

早野:絶対ぶつかるし、何回か観ていると、セリフを覚えることになる。

●歌舞伎十八番

「外郎売(ういろううり)」「嫐(うわなり)」「押戻(おしもどし)」「景清(かげきよ)」「鎌髭(かまひげ)」「関羽(かんう)」「勧進帳(かんじんちょう)」「解脱(げだつ)」「毛抜(けぬき)」「暫(しばらく)」「蛇柳(じゃやなぎ)」「助六(すけろく)」「象引(ぞうひき)」「七つ面(ななつめん)」「鳴神(なるかみ)」「不動(ふどう)」「不破(ふわ)」「矢の根(やのね)」

早野:「歌舞伎十八番」には、先ほど国立劇場の素晴らしい功績とおっしゃった「鳴神」とか「毛抜」とかありますが、まずは「勧進帳」ですかね。上演頻度が圧倒的に高い。

矢内:松羽目物ですね。能の「安宅」を歌舞伎に直したものです。

早野:弁慶と富樫左衛門と源義経、この3人プラス四天王がいて、番卒と太刀持ちがいる。後ろに長唄のフルオーケストラが並ぶというもので、上演頻度は高いので、何べんも観て、音楽を覚え、それから、「この人とこの人の組合せだと、どっちが富樫で、どっちが弁慶のほうがいいかな」とか、「入れ替えは可能か、可能でないか」とか、そういうことを思いながら観る楽しみもあります。何回ぐらい観ておられます? 

矢内:いやぁ、どうでしょう。数えたことありませんけど。これも「道成寺」みたいなもので、「あらすじは?」って聞かれると困っちゃうんですよね。ご承知の方も多いと思いますけど、義経がお兄さんの頼朝に追われているわけです。それで、わずかな家来を連れてみちのく、北を目指して逃げ延びていこうと。途中で安宅の関という関所にかかると、そこにいたのが富樫左衛門という関守で、さて、義経は無事、関所を通れるでしょうか? 通れました、よかったですね、というだけの話なんですけど、これを75分とかでやる。ストーリーで観ないで下さいということですよね。

早野:ストーリーだけ言うと、たしかにそれだけのことになってしまいます。

矢内:最後、通れるのはわかっているんです、みんな。義経はここでは死なないと、みんな知っているわけですけど、三人三様の立場があるわけですね。義経は自分はいざとなったら死ぬ覚悟だと言ってるんだけど、生きなきゃいけないという立場があって、弁慶は何とかそれを守らなきゃいけない。いちばん複雑なのは富樫で、官僚みたいなもんですから、職務からいえば義経を捕えなきゃいけないのだけれど、武士の情けと言われるやつで、それと知りつつ逃がしてやる。日本人好みのドラマなわけです。それを松羽目、つまり大道具が何もない、松の木しか描いてない所でやる。しかも、バックに肩衣つけた長唄さんがずらっと並んでいるという、まったく具体的ではない舞台の上で、ほとんど3人だけで、その世界を作り出すところを観に行くわけです。だから、義経が助かるところを観に行くのではなくて、役者さんが役を通じて、この緊迫した世界をどう作り上げるかを観に行くという……抽象的な話でした。

早野:「十八番」のなかで別格なのが「助六」。上演頻度は、「勧進帳」ほどは多くない。

矢内:たぶん来年観られますね。

早野:襲名があるからですね。これは成田屋の家の芸ということで、これがない市川家の襲名はあり得ない。これも演劇としては特殊です。場面転換がない。とにかく幕無しで2時間ぐらい。人はとっかえひっかえ出て来て、時間もだんだん夜中に向かって徐々に動いていくんですけれども、とにかく三浦屋の店先というひとつの場所で、主人公の助六が出て来るまでが、長い。

矢内:揚巻のほうが出て来ちゃう。これも、常軌を逸した格好の人がいっぱい出て来ます。楽しいですね。

早野:助六だけ見ても、相当常軌を逸してますが、揚巻の衣装もすごいですよね。重さを考えただけでも、尋常じゃない。

矢内:子どもを背負っているようなものです。

早野:その他、ほとんど裸同然の人とか、いろいろ出て来て、ある意味、お祭りのような舞台です。十八番は、しばらく観ていると全部観るチャンスはあると思います。「十八番」のなかでも「勧進帳」「助六」、それから「鳴神」「毛抜」などはわりとよく観ることができると思います。それから「暫」。

矢内:このへんは、初めてご覧になる方にはお薦めですね。

●「ニン」

早野:もう一つの要素は、やっぱり役者。これは難しい言葉なんですが、「ニン」って、何と説明なさいます?

矢内:初回にありましたね。覚えてますか? 最近は、その人の「キャラ」とかって言い方がよくされていますけれども、その人が先天的に身につけている雰囲気というか。たとえば、この人、本当はいい人なんだけど、パッと見はちょっと邪険な冷たそうな人に見えるとか、あるいは逆に、根性ひねくれているんだけど、すごく温かい人柄に見えるとか、何となく人に与えるオーラというか、印象って、人それぞれあるわけですよね。そういうのを「ニン」と呼んでいて、その人固有のキャラクター。歌舞伎で言うと、その人がやると、いかにもお姫様に見えるお姫様役者っていうのもいるし、別の人がやると、どうしても芸者に見えちゃうみたいな。それはその人が芸者に向いている「ニン」を持っているからなんですね。だから、芸者役をやるとピタッとはまる、そういうものです、「ニン」というのは。皆さんにも「ニン」がある。

早野:花道に出て来た瞬間に、一言も話さなくても、そう見えるかどうか。で、それがうまくはまった舞台を観ていくと幸せになれるわけですよね(笑)。

●観ておいたほうがいい役者さんたち

早野:観ておいたほうがいいという方がおられます。一覧表の通り、みな様ご高齢でして、田之助さんはもう何年も舞台に立っておられない。ご高齢の方々が時として「一世一代」と銘打って何かなさることがあります。それは要するに、「もう私はこの役はやりません」という宣言なので、そういうものがもしあれば、絶対に観ておいたほうがいいと思います。たとえば、仁左衛門さんが……

矢内:この間、「立場の太平次」を一世一代でなさった。その前も、10年近く前でしょうか、「女殺油地獄」も一世一代になさいました。やはり、かなりお年の方もおられますので、「この役をなさるこの役者さんを観るのは、これが最後かもしれない」と毎月思いながら観ているということもあるわけです。そして、やっぱり「ああ、あれを観ておいてよかった」と思うことが必ずあるので、そういう時は私は万難を排して観るようにしております。11月に皆さんで行った時は、菊五郎さんと、吉右衛門さん、それから東蔵さんも出ておられたので、あの時は人間国宝3人の舞台を観たことになります。

早野:ここから先はちょっと微妙な話をするんですけど、橋本治さんが「歌舞伎はどうなるんだろう。とんでもない失礼を承知で言っちゃうと、歌舞伎って危機だと思う。だって、スターがいないもの」って、昭和63年12月に書いているんですね。「ちょっと前の歌舞伎の危機っていうのは、ワキの人がいないとか、竹本が危ないとか、言ってみれば、スタッフの問題だったけど……そういうのとは別に、今や歌舞伎でスターがいなかったら誰も観に行かなくたってしょうがないと思う……」。歌舞伎にはスターが必要である。スターがいなくなると、歌舞伎は危機であるということを書いている。私は、今差し迫っている危機は、立女形の危機ではないかと思っているのです。モニターに、役者さんの名前を一覧にして並べてみました。人間国宝には下線が引いてあります。左側の赤いところは、主として女形をなさる方(もちろん男も女も両方なさる方もおられるわけですが)。そうすると、一世代抜けているんですよね。書いてみてショックでした。参考までに、「勧進帳」で弁慶を歌舞伎座でやったことのある方、富樫左衛門を歌舞伎座でやったことのある方、それから義経を歌舞伎座でやったことのある方に印を付けました。弁慶は黒、富樫は青、義経は緑で付けました。まずは黒いほうからいきますと、弁慶って、やはり「ニン」の問題がすごく大きくて、男の俳優さんなら誰でも連れて来て弁慶になれるかって言うと、見た瞬間に弁慶でない人がでてきてしまうと、この芝居できないんですよね。今、歌舞伎座で弁慶をやったことのある方は5人だけです。白鸚、仁左衛門、吉右衛門、幸四郎、海老蔵。他の所で弁慶をやったことのある方は、他にもおられます。それよりは、富樫のほうが若干多い。義経は女形さんもなさるので、玉三郎の義経もありました。最近驚いたのは、吉右衛門の義経がありまして、ちょっと驚かれたでしょう。

矢内:ねえ。基本的には、弁慶の方ですからね。

早野:弁慶の方が義経をすると、やっぱりエッと思った。でも、これは高麗屋の襲名披露ということで、吉右衛門さんが義経になった。

矢内:よかったです。ほんとによかったです。

早野:いちばん若いところでは、襲名の時に染五郎が義経をやったことがあります。次に「道成寺」。原作は1750年ぐらいで、江戸時代に作られた女形の長い踊りですが、これを歌舞伎座でやったことのある役者さんって、これしかいない。菊五郎、玉三郎、福助。福助さんは体調不良ということもあり、「二人道成寺」を玉三郎・菊之助というコンビネーションでやったり、玉三郎、七之助、勘九郎、梅枝、児太郎の「五人道成寺」があったり。最近話題になったのは、玉三郎、梅枝、児太郎、で日替わりの「阿古屋」、それから玉三郎監修の「お染の七役」、これは壱太郎がやるという。でも一覧表を観てみると、世代的に空白ができてしまっていると思いますし、最近、玉三郎が若手にいろんな役を仕込むとか、監修するとか、そういうことをなさっているのも、これを見ると、むべなるかなと思った次第です。立役のほうは比較的、詰まっているのですが……。

矢内:切れ目なくね。

早野:どうしてこうなっちゃったんですかね、女形。世代にギャップができてしまったのは。

矢内:偶然でしょうね。

早野:そうですよね、偶然こうなった。一時期、「菊之助も少し女形やれば」という声もありましたけど、最近は立役が増えています。勘九郎ももちろん踊れる人ではあるんですけど、彼は七之助と棲み分けているので、たぶん七之助は女形で頑張ることになるのではないかなと思います。でも、「女形でなければできない女形」をやるのは、それこそ「ナウシカ」がどうなるかわかりませんけど、漫画に出てくるような女性を歌舞伎俳優がやっても、古典の歌舞伎に出て来る女形をやる修業にはならない。だから、ちょっとそういうことを心配しています。歌舞伎の20代から80代ぐらいまでの働き盛りの方を並べてみて、そんなことに気がつきましたし、この下から育ってくる、とくに歌舞伎の若い女形、今回「阿古屋」をやった梅枝だったり、児太郎だったり、こういう人たちに、僕らはものすごく期待して観ています。

●ひいきの役者をもつ楽しみ

矢内:さっきは、演目のほうから、何回か観ていると自分に合うのも見つかるでしょうという話があったんですけど、役者のほうでも好みが絶対出てくるんですね。逆に、ちょっと苦手っていうのも出てくる。それもまた楽しみのひとつであるということですよね。

早野:歌舞伎は役者を観るものなので、それが出てきて、「ああ、今月もあの人ダメだったわ」とか、「今月もあの人よかった」とか、「この役できないんじゃないかと思ったけど、やらせてみたらけっこういいんじゃない?」とか、そういうことを思いながら観るのはとても楽しいと思いますね。

矢内:我が子が育っていくような。

早野:ということで、次はどういう世代が育ってくるかなと思いつつ、先ほどの表を10年か20年ぐらい上に持ち上げてみます。丑之助、新之助……カッコは、もうじきそういう名前になるという意味で付けてあります。

矢内:梅丸さんも。

早野:ゲストで来ていただいた中村梅丸さんは、立役で行きたいって言っておられたけど、ちょっともったいないような気もします。次の世代もきっとこれから育っていくでしょうから、人間国宝を、ある演技のスタンダードとして目に焼き付けたうえで、こういう若い世代が育っていくのを長く観ていると、「ああ、またその下の世代が来るということが続いていくために、ちゃんと観客もお金を払って観に行って、歌舞伎界が次の世代に継承されていくといいな」と思って、今回この講座をやっておりました。この年齢分布などをご覧になって、何か思われることありますか?

矢内:とくにないですね。わりと楽観的というか……名立たる役者さんが亡くなると「歌舞伎の危機」といわれるんですが、たぶんこれからも歌舞伎は終わらないだろうなと思います。不思議なもので、後から後からスターが出て来るんですね。染五郎君を見ていると、非常に素晴らしい。「この人は世界のために必要なんだ」と思える、そういう人が切れ目なく出て来る。千之助もいいですね。

早野:この間の小金吾(こきんご)も素晴らしかった。

矢内:そういう人たちが、ある部分を引き継いでいきつつ、ある部分を変えていきつつ、ゲームにたとえると不謹慎ですけど、こっちから来たものを受け取って、今度こっちへ渡していくという役目をみんなが、「大丈夫か?」って言われながら、ちゃんとこなしていっているのが不思議なところで、それを伝統の力と言うのかもしれません。だから、それに伴走できるというか、伴走じゃないんですかね、お客さんというのは。それを見せてもらいつつ、こっちからも支えてあげているわけです。平たく言えば、チケットを買うことによって。われわれが伝統を支えているという面もある。

早野:本当ですよね、それはね。

矢内:彼らだけが支えているわけじゃない。みなさんも支えている。何で支えているかというと、チケットを買ったり、直接声援を送ったり、後援会に入ったり、写真集を買ったり、いろんなやり方で支えている。だから、自分たちも伝統の一部なんだということを、たまに考えてみるといいかもしれない。すごい説教くさいですけど。

早野:いやいや、ほんとに。今日は最終回ということで、このあたりで。質問があれば、どなたでも何でも手を挙げて下さい。

●質疑応答

受講生:歌舞伎は初日から千秋楽までございますよね。いちばん観るのにふさわしい日にちというのはいつなのかなと思いつつ観ていました。いかがでしょうか。

早野:僕はわりと月の初めのほうに観ることが多いんですけど、ものによっては「この人、1カ月やったら上手くなっているか、もう1回チェックに来たい」と思って行くこともあります。歌舞伎座の場合は、月の後半に行くと嬉しいことがあって、それは筋書の写真が更新されていることです。最初は舞台写真がないですが、後半はちゃんと舞台写真が付いている。

矢内:それ大きいですね。歌舞伎は現代演劇と違って、非常に稽古期間が短いんですね。なので、けっこう初日はわやわやのうちに幕が開いてしまう場合もあったりして、いろんな意味で熟していないことが多いのです。初日から2日目、3日目ぐらいまでは、微調整を加えながら、様子を見ながらやっていく。時にはセリフを忘れた役者さんに後見が後ろからささやいたりして、同じセリフが2回聞けることもある。

早野:そうですね。

矢内:きちんと落ち着いた、熟した舞台を観たいということであれば、4日、5日、1週間経ってからのほうがいいかもしれません。ただし、初日というのは独特のにぎわいがあって、お祭りみたいなもので、ロビーがすごく華やかなんですね。そういう楽しみもあります、みなさんが「おめでとうございます」「おめでとうございます」って挨拶して、奥様方もロビーに出ていらっしゃるので、そういう楽しみもある。お芝居を観たい方は1週間ぐらい経ってから。慣れてくると、初日の華やかな空気を吸いに行くのもいいかもしれません。

矢内:最近あまりやりませんけど、千秋楽には「そそり」っていって、ちょっとおふざけをしたりなんかする。

早野:ありましたね。

矢内:かつてはよくあったらしいんですが、私もあんまり見たことがない。

受講生:「そそり」って、たとえばどんなことをしたんですか。

矢内:具体的には今すぐ思いつきませんが、辻さんご存知ですか。

辻:話には聞いていますけど、私は具体的に見た記憶はほとんどないです。

矢内:たとえば極端なケースだと、配役を変えて突然出て来たり。

受講生:途中から?

矢内:その日だけ、配役を取り替えて出たり、あるいは、セリフで全然関係ない冗談を言ったり、まったく関係ない人物がお芝居の最後に突然出て来たりって、かなり非常識なことをやって、それでワーッとウケてたって聞いたことはあります。最近のお客さんは怒るかもしれないですね。

早野:真面目ですからね。他、いかがでしょうか。

受講生:私、「伝統芸能って何だろう」というのに興味があるので、お二人のご意見をうかがいたいんですけど、劇団新感線でやっている「いのうえ歌舞伎」とか、最近注目されている「木ノ下歌舞伎」とか、お二人は歌舞伎と思われますか?

早野:なかなか答えにくい質問だな(笑)。木ノ下歌舞伎はああいうジャンルであって、歌舞伎とは思わない。個人的な感想です。

矢内:観ている時に「これは歌舞伎か歌舞伎でないか」というのは、そんなに意識はしないんですけど、面と向かって聞かれると、やっぱりちょっと違うかなという気がします。「ワンピース」とか「ナルト」とかも含めて、いつも「べつに歌舞伎って言わなくてもいいんじゃないの?」という気がしてならない。歌舞伎って名乗るほうがお客さんが来るとか、もちろん部分的に歌舞伎の手法も使っていますというような意味合いなのかもしれないけれども、歌舞伎の看板を使わなくても、普通にこういうお芝居ですって勝負したほうがいいんじゃないの、と思います。たとえば、いのうえ歌舞伎や木ノ下歌舞伎が歌舞伎座で観る「熊谷陣屋」と同じ引き出しのものですかって言われると、それはちょっと違うんじゃないですか、という気はしています。あんまり厳密に考えたことはないですけど。観るとおもしろいんですけど、歌舞伎かと聞かれると、ちょっと線を引きたいなという感じがします。気持ちの問題ですけど。

早野:僕もそれに近いです。線を引きたい気はします。観ないわけでもないし、つまらないと言っているわけではないけれども、そういう意味ではちょっと違うかなと思います。他にいかがでしょうか。

受講生:歌舞伎を時々観に行くのにギリギリに思い立って行こうと思うと、席が限られて、どっちの席を選ぼうか悩むことがあります。席を選ぶ時のポイントというか、たとえば「こういう演目だったら、なるべく前」とか、選ぶポイントがあれば教えてください。

早野:難しいな、それは。

矢内:歌舞伎座は、建て替え前は3階の一部の席だと花道が全然見えないことがあって、花道を使う演目はどうしてもそれが見える所、なんていう選び方もしたんですけど、今は比較的……

早野:比較的見えるようになって、3階席は昔に比べてはるかにお買い得になりました。「俊寛」みたいな芝居だと、鬼界ヶ島で最後に俊寛僧都が岩の上に上がって水が寄せてくるところを3階で観ると、まわりに海があって真ん中に岩がある全体を上から観られるおもしろさがある。1階の前で観ると、岩の上から俊寛が「おーい」って言って船のほうを見やって、松の木に手を掛けると、ポッと枝が折れて、そうすると下に落ちんばかりに何か見える。それを真下から見上げるように観ると、全然おもしろさが違うんですよね。どちらが、というわけでなく、別のアングルから観ることによって、いろいろな見方があるということ。それこそ花道の外側から、花道越しに舞台を観るのも、たまにやってみると、これはこれで趣があるなと思います。だから、どこでなければということはあんまり思いません。

矢内:初めての方は、あんまり奇をてらわないほうがいい。やっぱり全体が見える、昔は「とちり」なんて言った席。

早野:「とちり」と言いましたけど、真ん中あたりが取れないんですよね。ギリギリに思い立った時は、やっぱり4階というか、一幕見に駆け上るというのが――今はエレベーターがあるから駆け上らなくていいのか――、実はなかなかよくて、けっこうな確率で座れます。今、売り方が昔よりは合理化されて、整理券を配る時間が予め言われているので、その時間に行って整理券を貰うと高い確率で座れるので、急に思い立った時はとてもよいです。

受講生:2階の前と1階の後ろ側とどちらにしようと悩みます。

早野:2階の前、いいと思います。

矢内:いちばん観やすい。

早野:1階の後ろは、昔の歌舞伎座は柱があったのでダメだったんですけど、今も上に天井があってちょっと圧迫感があるので、1階の後ろよりは2階のほうが私はいいかなと思います。すごい具体的ですね、質問が。他、いかがでしょう。

受講生:質問というよりはお願いなんですけど、早野先生のツイッターをフォローしているんですけど、演目と役者が決まった時に、時々「何々、誰々」ってつぶやかれるじゃないですか。あれをぜひ、これからもお願いします。チケットを買う時にピンと来ないことがあって、どうしても1日観られなくて、午後を観るか、午前を観るか、どっちにしようと思う時に参考になります。

早野:心がけます。

受講生:よろしくお願いします。

早野:どうも長い時間ありがとうございました。

受講生の感想

  • 今回のゼミを通して、歌舞伎の魅力について再認識することができて、本当に幸せなひとときでした。また機会がありましたら、Hayano歌舞伎ゼミをぜひ受講したいです。

  • 矢内先生が、ときどき「言いよどんで」いらっしゃるところも含めて、とても楽しい講義でした。

  • ゼミは終われど、歌舞伎は終わらず。この講座で学んだことを胸に、また歌舞伎座に足を運ぼうと気持ちをあらたにしました。