2020年7月22日公開
ダーウィンの贈りもの I
第9回 向井万起男さん渡辺政隆さん
15分版・120分版の視聴方法は こちらをご覧ください。>
ダーウィンが私たちに遺してくれた「進化というものの考え方」が、どのように現在の私たちの暮らしに応用されているのか。サイエンスライターの渡辺政隆さんが話してくださいました。特別ゲストは、渡辺さんの訳書・著書をほとんど読んでいらっしゃる向井万起男さん。進化論と大リーグとポケモンと……お二人の掛け合いも楽しい授業となりました。(講義日:2019年9月25日)
河野:今日は「進化論の愉しみ方」応用編です。それにふさわしいゲストもお呼びしています。シェイクスピア講座では『オセロ』を語った向井万起男さんが、進化論をどう語ってくださるでしょうか。どうぞよろしくお願いします。
渡辺:こんばんは。
向井:なんで僕がここにいるかというと、僕は渡辺政隆さんが翻訳されている生物進化に関する本の、超愛読者なんです。半端じゃない大ファン。その縁で来ただけなので、中身はあまりありません、期待しないようにお願いします(笑)。
渡辺:今日は長年の友人である向井さんに、「抑え」として登板いただきました。「進化論の愉しみ方」という題名でお話しします。ここに通っているみなさんはもう十分愉しんでいらっしゃるとは思いますが、僕なり、あるいは向井流の楽しみ方を共有していただければと思います。主にポップカルチャー、あるいはスポーツ等の絡みで話していきたいと思います。第1部では最初に僕が話して、そのあと向井さんが話します。
渡辺:進化というのはいろいろ誤解されていることがあります。特に日本で「進化」といったときに、一番困るのが、とにかく「進化といえばポケモン」と思われること。ポケモン世代の人はみんなそう思っていて、中学、高校の生物学の授業で先生が困っていると聞きました。「今日は進化の話をします」というと、みんなが「知っているよ。ポケモンでしょ」と言うので、先生はガクッときちゃうそうです。じゃあポケモンは進化するかというと、みなさんもご存知のとおり、ポケモンは「進化」ではなくて「変態」する。わかります? この違い。進化は、個体が変わっていくのではなくて、世代を経るうちに、集団として変わっていく。個人が変わるのは「成長」。チョウチョだとかカエルとかは「変態」する。なので、進化とは違う。ところが日本語として進化と言った場合には、字も「進む」感じなので、次のステージにいくみたいなイメージがある。それで、一般用語としての「進化」と生物学用語としての「進化」が混同されている。これは向井さんの領域なので、あとで向井さんから詳しくお話があると思いますけど。イチローは「進化」するか?
向井:しませんよね。
渡辺:成長ですよね。
向井:そうです。
渡辺:選手として成長していくという言葉はありますが、イチローが進化したら、イチロー2世、3世になっちゃう。あるいは種が変わっちゃいます。それとよく似た誤解があるのが、遺伝子ですね。「会社の遺伝子」とか、「ホンダの遺伝子」とか。「イチローの遺伝子」なんていう場合もあります。「イチローの遺伝子が広まった」なんて言うと、ちょっとまずい(笑)。遺伝子や進化という言葉は一般用語として定着しているので、生物学の先生がごちゃごちゃ言うと「野暮だ」となると思います。スポーツ中継、特に甲子園とかを見ていると、本当に進化、進化って出てくる。もう、いちいちイライラするのはやめました。これは、進化という言葉が一般に定着した、ということでいいのかなという気がしています。
もうひとつ、進化の絡みで日本でよく言われるのは、「ガラパゴス携帯」。独特の進化を遂げたということで、ガラパゴスという。完全に日本でしか通用しない言葉だと思います。ガラパゴスに関しては前回ちょっとお話ししたような気がしますけれど、ダーウィンはガラパゴスに行ってショックを受けたんですが、そこで進化論を思い立ったわけではなくて、帰ってきてから思い立った。僕も15年ぐらい前に、荒俣宏さんと一緒にテレビの取材でガラパゴスに行く機会がありました。荒俣さんはメインキャスターで、僕はただの付き添いだったので、ブラブラして、写真ばっかり撮っていたという、非常においしい企画でした(笑)。
ガラパゴスの話にいく前に、ウミイグアナについての仮説がありました。僕の妻が生物学者で、ガラパゴスの番組を見ていて、「ウミイグアナはいつも海を見ている」と発見した。「そうか」と思ってガラパゴスに行ったんですが、モニターの写真を見てください。一匹だけ海に背中を向けているので、その仮説は却下されました。ウミイグアナは冷血動物なんですが、ガラパゴスの海は寒流で冷たいので、溶岩の上で日向ぼっこをしてあたたまってから水に入って、海藻を食べている。寒くなると上がってきて、日向ぼっこをする。では、何でこの一匹だけ背中を向けているのかというと、こいつはオスで、周囲はハーレムなんです。だから、他のオスが来てメスをとられないように見張っている。他のオスは、隙あらば交尾してやろうと思っている。ガラパゴスで、僕は海に入ってウミイグアナと一緒に泳ぎました。内緒ですけど、泳いでいるやつの横腹をちょっと触ってみたら、あったかかったです。ガラパゴスはすごく日差しが強くて、陸は本当に暑いので、溶岩も熱くて、腹をつけているとあったまっちゃう。
ダーウィンも、ウミイグアナの見かけから、魚やカニを食べていると思っていたんですが、ガラパゴスに行ったときに捕まえて解剖したら、お腹から海藻ばかり出てきた。ウミイグアナが草食動物だと見つけたのは、ダーウィンです。写真の2匹、上がウミイグアナで、下がリクイグアナです。あまり一緒にいることはないんですが、たまたま一緒にいたので、うれしくなって撮りました。ウミイグアナと違い、リクイグアナは海に入りません。おそらく南米大陸から流木につかまって来たイグアナが、ここに来て海派と陸派に分かれたのではないかと推測されます。リクイグアナはサボテンを食べるんですが、爪がなくてサボテンに登れないから、悲しいことに落ちてくるのを待っている。ところが海流の水温が上がって海藻が全滅したときに、ウミイグアナが陸に上がってきてサボテンを食べたという記録があります。ウミイグアナは爪があるので、サボテンに登れたんです。その点でリクイグアナよりも優れているので、そのうちに、リクイグアナが淘汰されるかもしれない。そのときに雑種も生まれました。今日はこういう話をするはずじゃなかったんですが、つい……(笑)。
ガラパゴスというと、ダーウィンフィンチですね。本当にそのへんにいます。撮影や取材で一般の観光ルートを外れたので、いろいろ撮ってきました。写真のように見かけがだいぶ違います。だからダーウィンは、全部違う種類だと思ったんですね。サボテンフィンチは、サボテンの蜜や虫を食べる。キツツキフィンチは、サボテンのとげで虫をほじくり出して食べる。コダーウィンフィンチは本当に小さくて、花の蜜を食べるので、ガラパゴスにいるマルハナバチというミツバチの一種と競合しています。グランドフィンチは、地面の上で種子を食べる。モニターの写真の上段のフィンチは全部木の上にいます。同じグループなんだけど、木の上で生活しているものと、地面で生活するもの、それからくちばしによって食べるエサが違っています。モニターに出したのが『ビーグル号航海記』に載っている、ダーウィンフィンチの図です。もちろんダーウィンがいたときの呼び名はダーウィンフィンチではありません。もともとはガラパゴスフィンチ類といいます。
次の写真は、ダーウィンが持ち帰った標本をもとに、グールドという鳥類学者兼画家が描いた銅版画です。ペンチにたとえると、なんでくちばしがこんなに違うのかよくわかる。小さくて細いくちばしは、ピンセットのように小さいものをつまんで、虫なんかをつまみ出して食べるのに適しているし、太くて大きなくちばしは、太い大きなペンチみたいな感じで、硬い木の実や種子を割るのに適している。というふうに、食べ物を食べ分けて、住み分ける形でいろんな種類に分かれてきたというのが、一応の説明です。イギリスに帰ったあと、ダーウィンがそういうことに気がついて、進化論に思い至るわけですが、そもそものダーウィンの問いかけは、「なんでこんないろんな生物がいるのか」ということ。そのひとつの答え、手掛かりが、ガラパゴスにあったのではないかと言われます。もちろん、そこですべての答えを見つけたわけではないですが、その後の研究で、いろいろわかってきた。なぜ多様なのか? なぜこんなにいっぱいいるのか? あるいは、最近の系統樹でこんな書き方をするわけです(スライドに図)。
僕はもともと遺伝学ではなく生態学を勉強していました。僕が尊敬する生態学者、エブリン・ハッチンソンというエール大学の先生が言った言葉で、「生態劇場の進化劇」というのがあります。あとで向井さんが紹介する『知のトップランナー149人の美しいセオリー』という本があり、その日本版の中で「あなたが思っている一番美しいセオリーなり、キーワードはなんですか」というアンケートがあったんですが、僕は「生態劇場の進化劇」にしました。どういう意味かというと、ダーウィンフィンチみたいに、生態学的な、食べ分けみたいな行動や生態によって、種が多様化していく。そういうことがいろんな時代で、役者を替えながら行われてきた。筋書きはほとんど同じで、恐竜の時代にはいろんな種類の恐竜がいたし、哺乳類の時代になるといろんな哺乳類が進化した、という感じで、主役、配役は替わってきているけれども、進化の原理、生態学の原理はそのまま適用されるのではないかということを言ったものです。
たとえば、アメリカにはアメリカムシクイというのがいて、これがよく似ている。アメリカのバードウォッチャーの中でも、アメリカムシクイ類が何十種類かいるのを見分けるのは、結構プロじゃないとできないと言われています。ハッチンソンの弟子のマッカーサーという人が、1本の針葉樹の中で4種類のアメリカムシクイが、餌を取る場所をそれぞれ変えていることを見つけた。滞在場所ごとに全部ストップウォッチで計った、画期的な研究でした。こういう原理が時代を超えて、役者を替えて、地球の中で進化の劇として起こってきたのではないかという気がします。たとえば、同じ種類のキリンでも、成長過程によって、アカシアの葉っぱを食べる枝の高さを変えるわけです。子供は低い枝からしか食べられません。大人では、メスよりオスの方が背が高い。しかもメスは、顔を前に向けて下を向いて食べる。オスは、上を向いて食べる。ですから、オスはより高いところのアカシアの葉っぱを食べて、メスはちょっと下のアカシアの葉を食べる。同じ種類の中でも、年齢と性別によって食い分けているというのがあるんです。
キリンだけじゃなくて、ジェレヌクというレイヨウ類がいますけど、こいつも木に脚をかけて、木の葉っぱを食べています。アフリカのサバンナには、いろんなレイヨウ類やヌーがいて、そういうウシ科の動物も、サバンナのイネ科の草を食べる場所を違えている。イネ科は、食べるとまたドンドン伸びていくので、先端を食べる者がいると、その次、茎を食べる。そうするとまた先端が伸びてくる。サバンナの中にウシ科の動物がいっぱいいる、偶蹄類がいっぱいいる理由というのは、そういうことです。進化の中で、植物ではイネ科の草が出現して、草原が増えたことによって、哺乳類が多様化したのです。
ガラパゴスだけじゃなくて、進化について有名なのは、アフリカの中央地溝帯にあるタンガニーカ湖とかにいるシクリッド類。これもガラパゴスフィンチと同じように、全部同じグループなんですが、同じ湖の中で多様化している。何が違うかというと、たとえば口が違う。口によって、食べる餌を違えている。口、歯、舌とか、全部違っています。京都大学の研究者が調べているんですけれど、シクリッド類の中には、別の種類のシクリッドのウロコを食べるシクリッドまで進化した。しかも、右側から食べるやつと、左側から食べるやつまでいる。さっき、ダーウィンフィンチのくちばしをペンチにたとえましたが、シクリッドは無理やり、アーミーナイフにたとえられます。
6500万年前に隕石が落ちたとき、当時の小型哺乳類は地面でこそこそしていてほぼ夜行性でしたが、大型の哺乳類はたくさん絶滅して、小型のものだけは生き残った。恐竜がいなくなった生態系の中で、空いた生態的地位=ニッチといいますが、そこを埋めるように、あっという間にいろんな種類が出現した。進化論では適応放散というんですけれども、ぽっかりと空いた空間にバッと行って、そこで職業別に分かれて、それぞれ相互依存的に繁栄していく。これも工具に例えると、モニターの絵のように様々な工具があるような感じでしょう。そんな見方をすると、ちょっとおもしろいかなという気がします。
適応放散の例で一番有名なのが、同じ哺乳類なんですが、有胎盤類と有袋類。写真左が普通の有胎盤類、右側がオーストラリアにいる有袋類です。すごく似た種類がいるわけです。写真一番上は、左がオオカミで、右がタスマニアタイガー、フクロオオカミです。その次がネコ科のヤマネコとフクロネコ、これも有袋類です。ムササビに似た有袋類もいますし、ウォンバットなんかは、マーモットに対応しています。哺乳類という基本デザインが共通しているため、それぞれの土地で哺乳類が対応できる生態的地位、埋められるニッチをどうやって埋めるかというときに、結果的に形態まで似てきてしまうのです。これを収斂進化といって、違うグループが、似てくる現象です。もっと極端な例は、写真一番上がサメ、魚竜、それからイルカ。どれも高速で海の中を泳いで、魚を食べる種類です。イルカだけが時代が違いますが、サメ(魚類)、そして魚竜(爬虫類)、体がすごくよく似ています。同じ海の中で高速で泳ぎながら、魚を捕まえて食べるということで、似てきているわけです。イルカだけ違うところは、尾ヒレです。サメと魚竜は、尾ヒレを横に動かして推進するんですが、イルカはわれわれと似て骨盤があるため、尾が上下にしか動かない。ヒレも水平になっています。だから似ているんだけど、どこか違う。これがやっぱりおもしろいなと思います。
収斂進化とか適応放散で、実はあるとき大発見がありました。フランスの水爆実験でなくなった、南太平洋上のハイアイアイ群島でのことです。なくなる前に行ったら、異様な生物が繁栄していた、という報告リポートの『鼻行類』(平凡社ライブラリー)という本があって、ドイツの生物学者が書いています。種明かしをすると、これは実はお遊びなんです。この島には爬虫類もいなかったので、特殊な鼻をもつ哺乳類がいろんなニッチに適応して、鼻で移動するグループとして進化した。ドイツの生物学者が当初、匿名で出版した本です。架空の形態学者をでっちあげて、その人がフランスの核実験前に行って調べた分類結果として発表したのです。翻訳の日高敏隆さんの遊び心で、和名も変なおもしろい名前です。「マキガイハナアルキなんちゃら」は鼻で歩きながら貝を捕まえて食べる。あるいは「ハナススリハナアルキ」は水辺に行って、鼻水を垂らして魚を捕まえる。「ミツオハナアルキ」というのは鼻で逆立ちして、尾っぽから甘い汁を出して、虫を呼びよせてそれを食べる。さらに一番凝っているのは、解剖図まで出していること。「ダンボハナアルキ」という。学名でダンボはないんですけど、日高さんが遊び心でダンボとつけた。鼻でジャンプしながら、ちょっと空を飛ぶ。生物学者もたまには、こういう遊びをして進化論で遊んでいるというお話です。最初僕もこの原書を見て「なんだ、これ」って思ったんですが、よく調べてみると、お遊び本でした。
話は変わりますが、ダーウィンがビーグル号の航海から帰ってきたころ、ロンドンには動物園、ロンドン・ズーがあり、彼は動物学会の会員だったので自由に入ることができた。その頃、動物園にオランウータンの子どもがいて、ジェニーちゃんという名前が付いていた。ダーウィンはちょうどそのとき、長男が生まれたばっかりで、毎日動物園に行ってオランウータンの観察をして、家に帰って自分の息子を観察して、「これはどう見ても同じである」と思うわけです。ダーウィンは後に『人間と動物における感情表現』という本を書いて動物行動学の元祖と言われていますが、「笑い顔とか怒り顔というのは、みんな共通している」と考えた。さらに、オランウータンや類人猿だけでなく、イヌの恐怖の顔とか、うれしそうな顔のときの筋肉の使い方が、人間と共通していることを見つけたと言われています。オランウータンのジェニーちゃんは、服を着てお茶会をさせられたりしてアイドル扱いだったのですが、当時のイギリス人にはこういう霊長類は身近ではなかったので、びっくりしたし、あまりにも人間に似ているというので、ちょっと怖かった。そういう下敷きがあって、20年後ぐらいに、ダーウィンが『種の起源』を出したとき、ダーウィンは、「人間の祖先はサル」とか一言も書いていないんですが、「人間はサルから進化したというのか」と、みんな思い至ったということです。もちろんサルから進化したわけじゃないのですが。
進化の理論の中に、幼形進化という説があります。チンパンジーの赤ちゃんは非常に人間の子供に似ている。ところが大人になると、人間とは違う姿になる。これをもって昔、「人間は大人にならなかったサルだ」と言い出した人がいて、そういう進化の方法を幼形進化といいます。幼形のまま、大人になっていくということです。チンパンジーの場合、生まれたあと、さらに骨格が成長して大人のチンパンジーの顔になっていく。ところが人間は、骨格はそのままで脳だけが成長する。行動も、人間は大人になっても遊ぶ。チンパンジーとかオランウータン、ゴリラは、大人になると遊ばなくなるので、そういう意味でも、確かに人間はある程度幼児性を残していると言えるかもしれない。ただ、すべてこれで証明できるわけじゃない。モニターに示しているのはダーウィンをサルに模した漫画ですが、体形的には人間は赤ちゃんの類人猿に似ているけれども、それだけで人類の進化を説明できるわけではない。けれども、こういう進化の仕方もある。
それ以外にも、写真の二枚貝は、実は貝じゃなくて腹足類というもので、写真左上にいくにしたがって時代が新しくなっていますが、時代とともに系統が進化して、貝殻の筋が粗くなっていきます。一番下の図は一番祖先系で、左が稚貝(子供の貝)で、右が大人の貝です。稚貝の方は、貝の肋(ろく)という筋が少ない。だから、子孫はどんどん、祖先の子供型に進化していく。何が起こったかというと、大陸棚ができて浅瀬が増えたことによって、浅瀬の生活に適応する形で、稚貝状になっていったと言われます。実は人間の文化にもあって、これはある生物学の本からとったものです。シェル石油のロゴマーク。幼形進化しています(笑)。最初はまさにホタテ貝の形なわけです。それをどんどん簡略化して、ロゴマークとしてシンプルにしていった。デザイナーが、その方が企業イメージにも合うだろうとやったんですね。
ここから向井さんと共通の話題に入ります。生物学のいろんな進化の蘊蓄を書いた人がいます。あとでまた詳しく言いますが、スティーヴン・ジェイ・グールドという人です。300回、25年300カ月連続で、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の月刊誌にエッセイを連載して、本にもなっています。その中で僕が一番度肝を抜かれたのが、グールドがミッキーマウスの幼形進化を紹介していたことです。早川書房の翻訳本の写真を見ると、ディズニープロダクション時代、最初に出てきたときのミッキーマウスはちょっとやんちゃな子だった。それが、人気が出るにしたがって、どんどん赤ちゃん体型になっていった。ミッキーマウスが意外と評判が良かったので、ディズニープロダクションが、キャラクターをアイドル化させていった結果、赤ちゃん体型になったんですね。
グールドはこれを紹介するだけでなく、なぜこうなったのか理由もちゃんと紹介しています。今はあまり名前が出なくなっていますが、ノーベル賞を取ったコンラート・ローレンツという動物行動学者がいます。いわく、「どの動物も赤ちゃんは丸っこく、でっぱりが少ないが、大人になるにしたがって、ごつごつでっぱりができてくる」。共通して言えるのは、どの子供も、われわれが見てもかわいい。子犬も、ヒナも、ウサギの子供もかわいい。これは動物に共通のもので、丸っこいものを見ると、なんとなくかわいいと思って世話したくなる。養育行動を刺激するのだ、という説明をしたのです。だから人間も、他の動物も、みんな同じ本能に駆られて、子供や丸っこい子をかわいがるというのです。たとえばイヌを見ていただくとわかると思うんですが、子犬体形のまま成犬になるイヌがいます。チワワとか、愛玩犬です。愛玩犬は、子犬の形態を残したまま成犬になるように人間が品種改良した。それに対して、ラブラドールとかコリーとかシェパードという鼻づらの長いイヌ、仕事をさせる作業犬ですね。番犬にしたり、牧羊犬にする犬は、大人になって遊んでいちゃ困るわけです。仕事をしないと。ところが、チワワなんか、大人になっても甘えてくる。ただし、うちには2歳半のゴールデンレトリバーがいて、顔だけは大人なんですが、どう見ても行動は子供のままなので、ゴールデンレトリバーだけは例外じゃないかと思います(笑)。
ミッキーマウスやアイドルが幼形進化をしているということに触発され、僕は探しました。日本でアニメ界のアイドルといえば、この人。僕の子供時代のヒーローです。鉄腕アトムの最初は、天馬博士が自分の小学生の子供が交通事故で死んだために作ったロボットなので、小学生そっくりのロボットなんですが、いつまでたっても大きくならない。それで、がっかりしてサーカスに売り飛ばした。今だととんでもない話です。その後、それを救って育てたのがお茶の水博士なんです。ですからアトムも最初、手塚治虫さんが登場させたときは少年だったのが、アイドル化してアニメ化するにしたがって、どんどん赤ちゃん体型になって、頭でっかちで丸っこくて目が大きくなり、アトムパンツをはいて、おまけに角まで生えた。ミッキーマウスに似ているともよく言われるんですが、それは手塚治虫さんがミッキーにオマージュを捧げたという要素もあります。他には、子供体形の犬(スヌーピー)。どこがビーグル犬なんだ? 最初は確かに大人のビーグル犬でした。この話をあちこちでしていたら、友達から「もうひとつあるよ」と言われました。僕は世代じゃないので気がつかなかったんですが、アンパンマン。やはりアイドル化していくと、どんどん赤ちゃん体型になっていく。みんなかわいいと思うから。ちょっと進化論をかじっていると、そういうことも「やっぱりそういうことなのかな」と思いますね。役に立たない知識ですけれど(笑)。科学界のアイドルというと、この人はどうかな。赤ちゃんにしたアインシュタイン。『サイエンス』という雑誌を出しているアメリカ科学振興協会という団体が、2005年の世界物理年に、子供たちに科学に興味を持ってほしいということで、キャンペーンのキャラクターにした。”Science you can’t start young enough.” 始めるのに早すぎることはない、と。見ただけで、何を戯画化しているかわかっちゃうのは、アインシュタインのすごいところですよね。
また別の話で、写真は大英自然史博物館のギャラリーです。前回の真鍋真さんの話にも登場したと思います。首長竜の化石の前で親子が見ている写真があります。この化石を見つけたメアリー・アニングさんは、プロの化石ハンターです。イギリスのドーセットという海岸の町は、化石が出る。そこで化石を掘っては売っていて、イギリスで最初に魚竜、首長竜の全身化石を見つけた人、あるいは翼竜の化石を見つけた人といわれています。女性でアマチュアなので長らく科学界から忘れられていたんですが、女性科学者にもっと光を当てようということで、2014年の5月21日にグーグルが、メアリー・アニングさんの生誕215年の誕生日を祝して、画面トップに「記念日ロゴ」を出しました。写真は、1843年にドーセットの海岸で撮られたと言われている写真で、メアリー・アニングではないかと言われます。隣にいるのはデ・ラ・ビーチさんという古生物学者で、彼女のパトロンだったと言われています。アニングさんが見つけた化石を買い上げては、名前を付けていったのがデ・ラ・ビーチさん。彼には、実はもうひとつ才能があって、絵を描きました。魚竜、首長竜、翼竜、アニングさんが見つけた化石の絵を描いています。何年か前に、『メアリー・アニングの冒険』という本が出ました。品切れになっているみたいですが、非常にいい本です。アニングさんに惹かれる人はけっこういて、見直そうといろいろな動きが出てきた。
アニングに触発された人に、同じドーセットで暮らした小説家で、『コレクター』という本を書いたジョン・ファウルズがいます。彼が書いた『フランス軍中尉の女』という本は映画にもなりました。メリル・ストリープの実質的なデビュー作です。デビュー作は『ミスター・グッドバーを探して』だと言われますが、主演を張ったのはこれが最初です。批判された腹いせに毒づいたトランプ大統領から、「過大評価されている女優」と裏返しの誉め言葉をもらった女優さんです(笑)。メリル・ストリープ演じる謎の女に惑わされるイギリス人紳士が化石コレクターという設定です。町を訪れたときに、海岸でたたずむ、地元で「フランス軍中尉の女」と呼ばれる謎の女に心惹かれて、許嫁を振って走ってしまう。その中で、地元のお医者さんのオフィスで、頭蓋骨を手に進化の話をする。こういうシーンを見ると、僕も向井さんも大喜びしてしまう(笑)。映画の中には、進化とかダーウィンの話とかいっぱい出てくるんです。最近では、スピルバーグ監督が『リンカーン』という映画を作りましたが、これはまたのちほど、向井さんが詳しくお話しされるでしょう。実はリンカーンとダーウィンは、まったく同年、同月、同日生まれなんですね。1809年2月12日生まれ。もちろんアメリカとイギリスなので、時差はありますが、不思議な縁です。『ニューズウィーク』でも、背中合わせの絵で表紙にされたりしています。
おもしろいのは、映画『リンカーン』の中に一カ所、リンカーンの一番下の息子が博物学好きで、「イギリスの生物学者がいろんなくちばしの種類の違う鳥が進化して分かれてきたと言っているらしいよ」と言うシーンがあります。アメリカの南部では、キリスト教原理主義の人は進化論を認めていなくて、大人の半分は認めていませんから、奴隷解放も南北戦争も含めて、そういう意味深なシーンをあえてスピルバーグは入れたのではないかという気がします。調べてみると、リンカーンが末っ子と一緒に本を読んでいたシーンの写真が残っていて、それが何の本かちょっとわからないですが、もしかしたら史実に基づいているのかなと思います。今のは映画の話ですが、実は文学なんかでも出てきます。これ、僕の最後になりますが。進化は「進」という字を書くので、適応とか進化とか、いろんなことに適応してどんどんと良くなっていくと、日本人は特に思いがちですが、意外と進化って行き当たりばったりです。
示している図は人間の精巣です。今日は大人の講座なので、下(しも)の話をしてもいいと思います。精巣というのは、人間で言うと男性の睾丸ですね。体の外に出ている。精子は冷やさないと弱ってしまうから。われわれ体温が高いですから、体外に出して、冷却装置になっているわけですが、祖先のサメでは体の中にありました。精巣が背骨の下にあって、長くなっている。冷血動物だからいいんですが、温血動物になるにしたがって、外に出さなきゃいけなくなってきた。それで、人間の胎児の成長を見ると、最初、おなかの中にあるのが、成長にしたがってどんどん下りてくるんですね。ところが下りてくるときに、何を思ったのか、尿管のまわりを一周して下りてくる。これが結局、ヘルニアを起こしたりします。まっすぐ下りてくればいいのに、なぜかそうなる。最適な進化をしているわけではない、ということです。
ノーベル賞を取ったことで有名な分子生物学者、フランス人のフランソワ・ジャコブが、「生物の進化はブリコラージュだ」と言いました。「やっつけ仕事」ということです。構造人類学では「器用仕事」という訳がありますけれども、要するに、あるもので間に合わせてきた。ダーウィンフィンチのくちばしも、すでにくちばしはあって、ハナアルキみたいにそれを変えるわけにはいかないので、くちばしのサイズを変えていく。最近の研究で、くちばしのサイズを変える遺伝子レベルの研究も進んで、そういう遺伝子も見つかっています。そういうふうに、あるもので済ます。なので、精巣冷却のための「やっつけ仕事」として出現した睾丸なんだけれども、種族繁栄において不利益は生じてはいない。それにしたがって、また別の役割も担うようになってくるということを、ある有名な文学者が小説に書いています。『1Q84』です。川奈天吾は、人妻の安田恭子と逢瀬を重ねるのですが、あるときのベッドでの会話です。〈「どうしてそんなに古いジャズに詳しいの?」と天吾はあるとき尋ねた。「私にはあなたの知らない過去がたくさんあるの。誰にも作り替えようのない過去がね」、そして天吾の睾丸を手のひらで優しく撫でた。〉睾丸というのはあくまでも冷却装置として進化したものなんですが、こういう予期せぬ使用方法もある。これもブリコラージュのおかげだと。おあとがよろしいようで(笑)。
向井:今、渡辺さんが村上春樹の『1Q84』を紹介しましたが、私は、超ハルキストです。新刊書の新聞広告が出たら、読んでいる途中の本があっても、すぐに書店に駆けこんで必ず買うのは、村上春樹と、宇宙関連の本と、大リーグ関連の本と、生物進化の本。スティーヴン・ジェイ・グールドの本は全部、翻訳初版本を持っています。文庫ではなく、単行本の段階で、すぐに買う。私は本業は医者ですが、一番自信があるのは大リーグなんです。今日は大リーグがけっこう絡んできます。でも、ご安心ください。みなさん、野球がどういうゲームかは知っていますよね。打率とか、打点とかホームランとか。だいたいどんなゲームかを知っていれば、わかりますから。
さっき渡辺さんが言った1809年2月12日、本当に同じ年の同じ日に、大西洋を挟んでチャールズ・ダーウィンと、エイブラハム・リンカーンが生まれた。みなさん、今年(2019年)はダーウィンに関する節目の年です。生誕210年、『種の起源』出版160年。リンカーンも生誕210年。これみなさんご存知ないでしょ? 1セント硬貨です。1909年、リンカーン生誕100年を記念して、アメリカでは1セント硬貨の肖像をリンカーンにして、それから110年間、1セント硬貨は、ずっとリンカーンの肖像のままです。1943年の1セント硬貨だけ、第二次世界戦中でさしもの物流帝国アメリカも銅がなくなったので鋼鉄で作ったという、この年だけの特別な1セント硬貨です。何でリンカーンにこだわるかをお話しします。まず、みなさん「ええっ?」と思われるでしょうが、『種の起源』の出版が1859年。ダーウィンが生きている間に、メジャーリーグは始まっているんです。すごいでしょ。「ほんとか?」っていう感じ。普通の感覚の方は、ダーウィンははるか昔で、そのあとずっと経ってメジャーリーグができたと思っていません? 違うのよ。ダーウィンが死んだのが1882年で、メジャーリーグが誕生したのは1876年。まだ生きてたんです、ダーウィンが。すごいでしょ。
野球が始まったのは19世紀。ニューヨークのマンハッタンという、意外なところから始まった。アレクサンダー・カートライトっていう男が、1845年に、だいたい今の野球のようなルールを作った。東海岸側の若者たちがやっていたスポーツだったのが、何で全米に広がって、アメリカの国技——英語ではnational pastime=国民的娯楽というんですが——になっちゃったかというと、南北戦争です。南北戦争でいろんなところから集まってきた兵士たちが戦いの合間の休憩時間に、東部から来た兵士に教えられて、暇つぶしに野球をやった。そして、戦争が終わってから、故郷に帰って地元で広めた。南北戦争といえばリンカーンじゃないですか。まあ、こじつけですけど。というわけで、チャールズ・ダーウィンと同じ日に生まれたエイブラハム・リンカーンが、メジャーリーグにちょっと関係している。ほんとか(笑)?
ダーウィンフィンチはもうみなさん聞いたと思いますが、ガラパゴス諸島で、もともとは同じものだったのに、いろんな進化を遂げていった。ハンク・アーロンというのは、ご存知ないでしょうが、今でも存命で、ベーブ・ルースの生涯通算本塁打714本を初めて破って、755本、本塁打を打った男です。それを王貞治さんが日本で破って、756号を打って大変な騒ぎになりました。どうでもいい話ですけど、私はそのとき、ちゃんと後楽園球場にいました。予想日がドンピシャ当たって。
話を戻すと、ハンク・アーロンという男が、何でそれができたのか、こういうこじつけもできるよ、という話です。『ハンク・アーロン自伝』によると、アーロンの出身地はアラバマ州モビール。これ、よく覚えておいてください、このスペル。Mobile(モビール)。モービルじゃない。なんでこんなのにこだわるか。有名な映画で、トム・ハンクスがアカデミー主演男優賞を取った『フォレスト・ガンプ』ってご存知ですね。あの舞台は、ここです。『フォレスト・ガンプ』は1994年、アカデミー作品賞を取っています。もっと前、1989年に『ドライビングMissデイジー』という映画があって、モーガン・フリーマンとジェシカ・タンディで、これもアカデミー作品賞とか主演女優賞を取っていて、これにも出てきます。黒人のモーガン・フリーマンが運転する車で、ジェシカ・タンディ扮する白人の上流階級の婦人がモビールを訪ねる。これ、ちゃんと「モビール」って言っています。2012年のクリント・イーストウッド主演の『人生の特等席』にもモビールが出てきて、ちゃんと「モビール」と言っている。このモビールと姉妹都市関係を結んでいるのが、千葉県市原市です。
ハンク・アーロンは、ここアラバマ州のモビール出身です。アラバマ州には、『アラバマ物語』という有名な小説、映画がありますが、黒人差別がすごい。アーロンはアラバマ州モビール市のトゥールミンビルという黒人街で生まれ育って、少年時代に、ここで黒人たちだけで野球をやっていた。本当に誤解のないように、私は人種差別主義じゃ全然ないけど、要するに、アーロンは少年時代は白人と全く野球をしておらず、黒人とだけやっていた。だから特別な進化をした、という言い方をすると、何世代も経ていないんだからちょっと怒られちゃいますけど、でも、やっぱり独特のものになる可能性もあるかもしれません。この自伝を読んでびっくりしたのは、アラバマ州モビールという町は、最も多くのメジャーリーガーを生んだ町なんです。「ええっ!?」と思うでしょ、何でなんだと。自伝の中で、ハンク・アーロンはその理由を言ってるんです。それはたぶん、黒人の少年たちだけが野球をやったカーバー球場だろう、と。私、感動してそこを訪ねました。この写真が、少年時代にハンク・アーロンが仲間の黒人とだけ野球をやったカーバー球場。今、「ハンク・アーロン・パーク」になっています。記念碑がちゃんと建っています。この私の写真は、一緒に来てくれた女房が撮りました。
「イチローの進化」とか、言いますね。ダーウィンの進化論とか自然淘汰とかということを、簡単にいろんなところで言うわけです。これだってこじつけるとなんとなく、そう聞こえません? ダーウィンフィンチと同じように、アラバマ州モビールで孤絶していて、白人とまったく交流がなくて、黒人とだけ野球をやっていたら、黒人特有のプレーとかいろんな進化があった。ベーブ・ルースは白人ですけど、白人の選手が誰も破れなかったベーブ・ルースの記録を破れたのは、少年時代に白人と野球をやっていなかったからじゃないのかと。こういう考えは、とても危険なことかもしれませんけど。
これは『ダーウィンの遺産』という2015年に渡辺政隆さんが出された本です。「すべてはダーウィンから始まった!!」とあります。「ダーウィンの遺産」っていいなと思うんだけど、今は「レガシー」という。「なんで遺産って言わないで、カタカナで言うんだ!」と思うけど、この本でとても気に入っているところがあって、「進化論は科学じゃない。お話だ」という。鳥肌立つぐらい感動した文章です。わかります? 私、何も言いません。これは生物進化に関する本で、渡辺さんもきっと「あれ、こんなこと言ったっけ?」なんて思っているかもしれませんが、これは、けっこう核心をついている。2015年の本でまだ手に入りますから、もし興味があったら読んでください。本当にいい本です。『種の起源』は、僕は絶対読むことをおすすめしますけど、ちょっと面倒くさいなと思ったら、この本で済ませちゃっていいです(笑)。『種の起源』以前、『種の起源』、『種の起源』以後も、この1冊でOK。『種の起源』を読んだふりができる。
ここからが本論です。これは長谷川眞理子さんが2014年に翻訳した、ジョン・ブロックマン編集の『知のトップランナー149人の美しいセオリー』という本です。ネット上にある知的クラブ「エッジ」に所属している会員たちに、2012年に「あなたが一番気に入っている、深遠で、エレガントで、美しい説明は何ですか?」とアンケートを取って、返ってきた返事をそのまま編集した。英語のタイトルと日本語のタイトルは違います。英語の原題は “This Explains Everything” 。すごいタイトルですが、直訳すると「これがすべてを説明しちゃう」。サブタイトルが、”Deep, Beautiful, and Elegant Theories of How the World Works” 。これを日本語に訳すのは難しい。「この世界がどうやってできているのかという、あなたのお気に入りの、深遠で、美しく、エレガントな理論は何ですか」という問いに、当然一番多かった答えは、ダーウィンです。自然淘汰を、「もうこれしかないよ」ってモロに挙げた人が、149人中5人。それと関連したことを挙げている人も含めると25人。約6分の1がダーウィンにしているわけです。私はこれを見て驚いた。みなさん、こういう問いかけをされたら、本当にダーウィンって答えます? 僕、絶対にダーウィンと答えない。コペルニクスって言います。コペルニクスって言った人は、この149人中、誰もいなくて、本当にそれでいいのか? 地動説ってすごいのに、これを挙げないのはどうしてなのか。簡単すぎるからか。解答はないけれど、本当にこれでいいのかと考えてほしい。確かに重要なんだけど、自然淘汰が本当にトップでいいのか?
まず考えたいのは、自然淘汰を誤解している人が結構いて、過小評価と過大評価、両方ある。それから、キリスト教文化の人たちにとっては、人間は神様がつくったんじゃないというのが、衝撃的なのかもしれない。キリスト教は、地動説・天動説にそれほどこだわっていない。こっちの方が重要なんです。長谷川眞理子さんも、ちゃんとあとがきで、「自分はダーウィンの理論を挙げたい」と言っている。そりゃそうでしょうねと思います。いやみじゃなくて、挙げないとまずいだろうと(笑)。私は生物学者じゃないから言いたい放題言えますが、長谷川さんがダーウィンを挙げなかったらまずいだろうってなりますよね。だからやっぱり最後は、「私が、このエッジの質問に回答をよせるとしたら、やはりダーウィンになりそうだ」と書いてある。このへんが長谷川さん、ちょっと奥ゆかしい。「ダーウィンにします」って言えばいいのに。この本の149人ですが、冒頭に出てくるのはスーザン・ブラックモアという、有名な心理学者。超常現象を研究していた時期もあった。冒頭で「もちろん、それはダーウィンであるべきだ。それ以外の何ものも、ダーウィンには及びもつかない」と言い切っている。この人、最初そう言った後に理由を述べてから、最後にすごいですよ。「この美しい考えは、確かに理解するのが難しく、(中略)本当のところはまったく理解していない大学生を何人も知っている」。誤解している人もいるんですよね。次にこう続く。「宗教心の強い連中とは違って」これ、宗教心の強い人は、ダーウィンの説を受け入れないのではないかと、暗に匂わせている節がある。欧米のキリスト教文化を背景にしていると、やっぱり地動説・天動説よりは、人間は神がつくったんじゃないと覆される方が衝撃が強いのではないか、という感じがしないでもないですね。
思いっきり話はそれますが、ミレニアム、1999年から2000年に移るとき、千年紀が終わるっていうので、結構大騒ぎした。千年紀ってわかりますね。最初の1000年間、次の1000年間。今は、西暦でいくと3番目の千年紀が始まったばかりです。で、この11世紀から20世紀の間の1000年間で世界に最も影響を与えた100人っていうのを、A&Eというアメリカの結構有名なメディアが発表した。他にもいろんなところ、たとえば雑誌『LIFE』もこういうことをやった。『LIFE』が選んだ100人の中には葛飾北斎が入っています。でも私はA&Eのものが一番気に入った。なぜかというと、1位が画期的だったから。ちなみにちょっと言っておきますけど、57位にエルビス・プレスリーが入っています。76位にザ・ビートルズが入っている。ちょっとそこ、ケチつける人いるかもしれないけど、私は別に、そんなの問題にならない。1位、誰だかわかる人。誰だと思いますか、1位。この1000年間で人類にもっとも影響を与えた人、第1位。ちょっと言っておくと、ダーウィンではありません。これ、虚を突かれます。グーテンベルクです、活版印刷の。『種の起源』だって、活版印刷がなかったら読めなかった。アルベルト・アインシュタインの相対性理論だって、世に広められない。これを1位にしたっていうのは、すごい。2位がアイザック・ニュートン。で、ダーウィン4位。ウィリアム・シェイクスピア5位。ほぼ日ってすごい(笑)。俺、いいときにやってるな。次はアイザック・ニュートンをやるのか? ニュートンの『プリンピキア』は俺、読んでないぞ。日本語訳もありますけどね、いや、これはできないだろうと思うけど、一応シェイクスピアもやって、ダーウィンもやって、ほぼ日はすごいなと思いますよね。
リストのその後もすごい。コペルニクスは9位です。ところがさっきのエッジの、長谷川眞理子さんが訳した本では、149人中1人も挙げていない。なんでなんだよ! これ、つづけるとモニターの表のようになります。マハトマ・ガンジー17位。バッハ28位。モーツァルト26位。ベートーヴェン30位。39位、ワトソン&クリック。DNAの二重らせん構造が、なんでこんなに低いんだろう? 今現在、A&Eがネットで投票をやっています。ところが、昨日までで投票総数584。一般投票をやってみたわけですが、これ、A&Eの発表の後で投票していて、事前知識が入っている。で、どうなったかというと、1位が逆転して、アインシュタインになった。2位がグーテンベルク。こんなの、A&Eが挙げていなかったら、グーテンベルクなんて2位になりっこないです。ダーウィンはちゃんと4位にいる。マハトマ・ガンジーが10位にいるのは、『ガンジー』っていう映画の影響もあるんじゃないかと思います。アカデミー作品賞を取ったからですよ。ちょっと戻りますが、モニターには10位までしか挙げていません。だって票数少ないでしょ。有意な差があるのかっていうぐらい。われわれが今日みんなで投票したら、一気にひっくり返ります。11位がリンカーンです。これもスピルバーグの映画『リンカーン』の影響かもしれません。ダニエル・デイ=ルイスが、アカデミー主演賞を取ったから。モーツァルトは12位。ベートーヴェンは19位。バッハなんて26位なのに。これは『アマデウス』という映画の影響に決まってます(笑)。
長谷川眞理子さんが訳された本に戻ります。リチャード・ドーキンスは、この講座で出てきました? 『利己的な遺伝子』とか、『神は妄想である』とか、すごいベストセラーを書いている進化生物学者です。存命で、1941年生まれです、覚えておいてください。この方も冒頭で「決まってんじゃん、ダーウィンに」と言っている。「人間がこれまで理解してきた諸分野において、これほど少ない数の仮定のもとにこれほど多くの事実が説明されたことは、ほかにない」と。それは認めますね、確かにそうだと。でも、だからナンバーワンとは限らないよとも思いますが。同じ本の中に、アルマン・マリー・ルロワという方が、こういうことも書いています。ちょっと難解かもしれない。「ある系の動きは、それを構成する要素の動きで理解できるのだろうか? つまり、そこに還元できるのだろうか? この疑問は、さまざまに形を変えて科学の中に現れる。システム生物学対生化学、認知科学対神経科学、デュルケーム対ベンタム」——ベンタムは、普通にはジェレミー・ベンサムっていう方が多いと思いますが、誤訳ではなく、ベンタムと訳す場合もあります——「グールド対ドーキンス」、ここで私は爆笑しました。スティーヴン・ジェイ・グールド対リチャード・ドーキンスってどういうことか、わかります? あまりにも簡略化しすぎかもしれませんが、全体を見るか細部を見るか、要するに全体論か還元論かということです。ライバルなんですよ、スティーヴン・ジェイ・グールドとリチャード・ドーキンスって。私はどっちが好きかというのは、考える余地もなく、グールド派。ドーキンスの本も読んでいますけど、「あ、そ?」でおしまい。グールドは感動の嵐です。グールドも1941年、ドーキンスと同じ年に生まれているんです。グールドさんは2002年に惜しくも亡くなっています。
で、スティーヴン・ジェイ・グールド。私にとっては、とても大事な「ダーウィンの贈りもの」です。グールドというのは、ダーウィンの衣鉢を継いだような、ダーウィンの伝道師とまでは言いませんが、ダーウィンの考えに基づいていろんなエッセイを書いたり、自分自身の進化理論を発表したりしている大変な知識人、そしてすばらしい啓蒙家、文筆家です。グールドの本『ワンダフル・ライフ』は、もう文庫になっていますけど、文学もノンフィクションもサイエンスも含めたあらゆる本のなかで、私が読んだ本のベストテンに入ります。この本を読み切ったときの感動たるや、ちょっと忘れがたいものがあります。グールドがこの本の原著を書いたのが1989年。渡辺さんが訳した単行本が出たのが、1993年。私の女房は宇宙へ2回飛んでいるんですが、1回目の宇宙飛行は1994年で、その前年にこの本が出て、読んで感動しました。私は女房をサポートするためにアメリカに行って1年間暮らしたんですが、持っていった日本語の本はこれ1冊です。あまりにもすごいので、もう1回読もうと思ってアメリカに持っていきました。
写真は、私の女房です。そして、1回目の宇宙飛行の乗組員仲間。リック・ヒーブって男が、すごいグールドの愛読者で。「おお〜、君も? 僕も」と意気投合して喜んでいたら、こいつが俺に黙ってとんでもないことした。何をしたかって言うと、スペースシャトルで宇宙飛行をすると、PPKといって、私物を4品だけ持っていけるんです。このとき、このリック・ヒーブが何をしたか。4品の中に、グールドの本を1冊持っていった。そして、飛行中の休み時間に、「千秋、ちょっと」と。「宇宙でプカプカ浮いている俺がこの本を持っている写真を撮って」というから、女房はヒーブと仲が良かったので、「いいわよ、リック」って、ヒーブが宇宙でプカプカ浮きながら、グールドの本を持っている写真を撮ってあげた。それを地球に帰ってきてから、ヒーブはグールドに送った。「あなたの本は宇宙で飛びましたよ」と。「欲しかったらあげますよ」と。そりゃ欲しいに決まっているでしょう! グールドだって、自分が書いた本が宇宙を飛んだんだったら。そうしたら何かお礼もらえますよね、当然。リック・ヒーブはそれで、スティーヴン・ジェイ・グールドのサイン本と交換するという、せこいことをしやがったんです。「なにぃ、お前そんなことしたのか?」と思って、4年後、1998年に私がやったこと。写真はジョン・グレンです。女房が2回目の宇宙飛行をした時に、77歳で一緒に飛んだ全米の英雄です。そのときに、女房の1回目の宇宙飛行について書いた私の『君について行こう』という本でやりました。この本は誰にも見せていません。ちゃんと写真も撮って、この写真の乗組員全員が直筆のサインをして、to Makioって寄せ書きしてくれた。ざまあみろ、リック。しかも、お前は他人の本だけど、俺の本だぞって(笑)。
次の写真を見て誰だかわからない人は、大リーグ通ではない。わかる人いますか。
受講生:テッド・ウィリアムズ。
向井:イエス。テッド・ウィリアムズ。書いてあるから、当たり前(笑)。『My Life in Pictures Ted Williams』、「写真でつづるわが人生」というこの本。テッド・ウィリアムズは、実はジョン・グレンの親友で、朝鮮戦争の際にグレンの部下だった人です。そしてこの本に、ジョン・グレンとテッド・ウィリアムズの写真が載っていて、実はその撮影をした時、横に女房がいた。グレンは77歳で宇宙飛行をして大成功したから大変な騒ぎで祝賀会が何度も開かれて、1998年にフロリダでもパーティが行われた。ウィリアムズはそのときフロリダで暮らしていて、パーティ会場に来て、女房も会ったんです。その時、ジョン・グレンが女房に「千秋、今日は僕の親友が来る。とっても有名な人だけど、千秋はたぶん知らない。テッド・ウィリアムズだけど」と言った。その瞬間に女房が「あ、最後の4割バッターね」と言ったんで、ジョン・グレンは「ええ〜! なんで、知ってんの?」って驚いた。テッド・ウィリアムズは私が一番好きな大リーガーなんで、女房にしょっちゅう、「テッド・ウィリアムズは最後の4割バッターだ」と言っていたからなんですね。そのときにパーティ会場で撮った2人の写真が載っているんですが、著作権の関係で省きました。
年間打率が4割を超えた大リーガーは、20世紀から始まった近代大リーグでは8人だけ。8人が計13回。日本のプロ野球では、セ・リーグ、パ・リーグともに、4割バッターは出現したことがない。大リーグは歴史が長いから、ずっといたんですが、1941年、リチャード・ドーキンスとスティーヴン・ジェイ・グールドが生まれた年にテッド・ウィリアムズが4割6厘を達成して以来、誰も出ていない。それで、4割バッターがいなくなった理由を、野球界のいろんな人が言っていた。「給料が増えてやる気が失せて練習しなくなった」とか、「ピッチャーが変化球をいろいろ開発したから打てなくなった」とか、いろんなことを言っていたんですが、野球界ではない、進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドが、こういう本を書いたんです。『フルハウス 生命の全容 四割打者の絶滅と進化の逆説』。早川書房の方にさっき聞いたら、今、品切れで手に入らないそうです。こんな、『ワンダフル・ライフ』と遜色ないすごい名著が! アメリカでは、大リーグの熱狂的ファンやスポーツジャーナリストでこの本を読んでいない人はいない。みんな知っている。この本を読んで、みんな納得して、誰も反論しません。もうこれ以上の説はないだろうと。日本では残念ながら、いまだにこの本を知らない人がいる。野球解説者の中でも。「だめよ、読まなきゃ」って思うんだけど。
なぜ進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドが、こんな説明ができたかというと、彼は、「全体を見ることが大事だ」と言うんです。ある何か、ひとつを注目したらだめだと。要するに、4割打者という特殊な、すごいトップランクの人たちが消えたからといって、その個別のことの理由を考えてはいけないと。全体を見たら、トップの人が消えた理由がわかるんじゃないかと、全体から考えた。
何を考えたか。グールドの本から図表をちょっとお借りしました。縦軸が人数で、横軸が打率。すると、全選手の平均打率はいつの時代も2割6分くらいで、それを中心にして、打率が低い人や高い人はだんだん人数が減ってくる。この分布図をちょっとコンピューターを使って改変すると、別の分布図もできます。分布が違っても平均は同じなんです。どんな分野でもそうですが、黎明期は玉石混淆です。できるやつもできないやつもプロ野球選手になれる。でも同じプレーをやっていると、だんだん洗練されて、技術も上がって、選手たちの技術の差は小さくなる。つまり、時が経つと平均打率は変わらないのに全体の分布がグッと縮まるんです。
標準偏差を計算するとわかる図です。標準偏差、数学苦手だと嫌かもしれませんが、簡単です。ある集団がもし100人いたら、100人の成績を足して100で割れば平均値が出ます。その平均値と各人100人の成績がどれだけ離れているかということです。まず選手の平均打率は簡単です。100人だとしたら100人の打率を合計して100で割ればいい。そして今度は、その100人が平均とどのくらい離れているかを引き算する。2乗するのはどうしてかというと、マイナスになるとまずいから。あとでそれをルート(平方根)を開くので、初めからマイナス、プラスも気にしなきゃ、2乗をする必要はない。標準偏差は、まず平均打率を出す。そしてその平均打率と100人のひとりひとりがどのくらい離れているか、その離れたものを全部足して100で割ると、離れ具合の平均、要するに、どれだけ散らばりに差があるのかが出る。
スティーヴン・ジェイ・グールドは、それを自分でやった。時が経つにつれて標準偏差が少なくなって、縮まっている。平均に集まってくる。上がその時代の最高打率で、最高打率と平均打率の差は、だんだん縮まってくる。最低打率とリーグ平均も同様で、要するにトップランクと最低ランクの人たちの差が小さくなって、みんな平均に近づく。昔のグラフと今のグラフを比べると、平均がずっと変わらない。なぜかというと、バッティングもピッチングも向上するから平均の打率はまったく変わらない。なおかつ、変わりそうになったら、ルールをちょっと変更しています。ピッチャーマウンドを高くしたり、低くしたり、ストライクゾーンを狭くしたり。だからずっと、平均打率は変わらない。昔はばらつきがあったけれど、今はばらつきが減った。100メーターを今は9秒台で走る。でも、100メーターを人類が5秒で走るなんてありえない。人間の壁というのがある。で、その壁が、昔は実は4割よりも先だった。要するに玉石混淆で、大したことがないピッチャーもいるから、バカスカ打っちゃう。ばらつきがあったから、4割は人間の限界よりも手前にあった。でも今は、ピッチャーもバッターもすごくなって全体に限界に寄っていて、しかもみんなそうなっているから、超えられるわけがない。だから全体で見れば、特殊なトップランクの人が消えてしまったのは、トップランクの選手がいなくなったわけじゃない。いるけれども、時代によって人間の限界にどれだけ近づいたかという値が変わっていると。グールド、よくこんなのに気づいたな。すごい説明だと思う。
これに刺激を受けて私がやったことがあります。イチローについてです。昔の1910年とか20年代の選手と今の選手、どっちが優れているか比べるのは大変。だから、その当時の集団からどれだけ傑出していたかが数値化できたらいいわけで、簡単です。集団の平均成績とその人間の成績の差が標準偏差の何倍かを計算すればいい。100人を平均したら、平均値が出る。100人、ひとりひとりの成績が平均値とどれだけ離れているかの平均が標準偏差なんだから。それの何倍離れているのかを割って出せば、「傑出度」が計算できる。モニターは、『Sports Illustrated』の表紙です。イチローの登場は、アメリカ人にとっても衝撃だった。とんでもない男が現れたと。イチローは2001年にアメリカに行って、いきなり年間で242本の安打を打った。これは当時歴代9位。それから3年たった2004年に、1位のジョージ・シスラーの記録を84年ぶりに破った。普通80年破られなかったら、永遠に破られない。それを破っちゃった。ところが問題はこの年なんです。2001年、イチローはシスラーの257安打を破れなかったが、1920年のシスラーと2位との差は33本だった。2001年のイチローは、安打数が1位で、2位に36本の差をつけた。これは大リーグ記録です。81年間、誰も破れなかった大リーグ記録を、イチローはいきなりルーキーで破った。これに最初に気づいたのは、私。本当ですよ。今はネット上でも出ていますけど、最初に言ったのは私です(笑)。イチローはルーキー時代に、大リーグ記録を更新したんです。じゃあどっちが偉大かというのは、なかなかわかりにくい。2位との差の違いはたった3本だし、安打数はシスラーが257本で、イチローは242本だから。
ここで私、100人選んで、しこしこ全部計算したんです。1920年のシスラーの記録と、2001年のイチローの記録を、その当時の上位100人の打率を平均し、100人について全部平均との差を出して、それを足して割って標準偏差を出して、じゃあ何倍になったのかって計算したら、シスラーの傑出度が3.3。イチローが4.1。2001年、初年度でシスラーを超えた。でも、超えたけど、257安打を超えられなかった。これはなぜかというと、人間の限界が縮まっているからです。1920年のシスラーよりも、2001年のイチローの方が集団の中では飛びぬけている。でも飛びぬけても、もうだめなんです。人間の限界が近くに来ちゃっているから。で、だめかなと僕も思った。イチローは限界近くに行っているんだけど、超えられなかった。ところが2004年、2位との差が36本という大リーグ記録も41本に更新して、傑出度も4.1から4.8まで上げた。これはすごいことなんです。あまりピンときませんか?
私、グールドの『フルハウス』という本を読まなかったら、これに気づかなかったですね。もうすごいな、これ。何が言いたいかというと、要するにスティーヴン・ジェイ・グールドという進化生物学者、チャールズ・ダーウィンの衣鉢を継ぐような人が、こういうものの考え方をしてくれていたおかげで、私の大リーグを見る目も変わったわけです。考え方も本当に変わったんです。ついでに言っておきますと、彼は『フルハウス』を、4割打者の絶滅を言いたいがために書いたわけではありません。ちゃんと進化の逆説も書いている。なにかというと、進化はバクテリアから始まっていて、バクテリアは非常に単純な生物です。これが「左の壁」だとグールドは言っている。打率でいくと4割は人間の壁、「右の壁」と言っていて、今度ここでは左の壁と言っている。要するに、もっとも単純なものからスタートしたに決まっているわけで、ここから生物が進化したのなら、右に行くしかない。つまり、多様な生物が誕生するしかない。で、現在は人類の時代だからといって、これが最も進歩した状態だとは言えない。進歩じゃないよと。だってこっちにいくしかないんだから。簡単にいうとそういうことです。もっと深遠なことを言っているんですけど。
いつの時代も、最も多いのはずっとバクテリアのまま。もし本当に進化というものが持っている方向性が常に進歩で、みんな進歩するのがトレンドであれば、単純なバクテリアのようなものがずっと最も多いままなんてことはないでしょ、ということです。グールドはこれを言いたいがために、「なんで4割打者が絶滅したか」を言っている。すごい論法だなっていう気がします。もっと言いたかったんですけど、時間がないので、ちょっと休憩ですね。
渡辺:ありがとうございます。盛り上がったところで、後半は今の余勢をかって、宣伝を兼ねて、グールドを知るともっと進化論を愉しめるという話をします。
渡辺:向井さんから、さんざんスティーヴン・ジェイ・グールドという名前が出てきたので、一体どんなオヤジなんだろうと気になると思いますので、そのへんを中心にお話しします。先ほど『ワンダフル・ライフ』という本が紹介されました。今から5億3000万年前の地層に、突然、硬い殻を持ったいろんな動物が一気に出現してきて、カンブリアの大爆発と言われたりするんですが、その生物の新解釈を紹介した本です。
その地層はカナダのロッキー山脈のバージェスという山の、ほんの一部の地層です。頁岩(けつがん)という地層があって、頁岩というのは英語でShaleで、Burgess Shaleと言いますが、そこから出た動物の化石が、地球の生物進化の見方をガラリと変えたという話です。それに関して、さらにグールドが自分なりの解釈を加えた。モニターに出しているのは、そのBurgess Shaleの写真です。僕が1993年に、雑誌の取材で行ったときです。下にエメラルド・レイクという、きれいなエメラルド色の氷河の湖が見えるところです。頁岩は薄く剝がれます。この石にいろんな化石が入っている。
写真がグールドさんです。1993年に京都に講演会で来るときに、彼のいたハーバード大学の博物館で撮った写真です。先ほど向井さんが展開されたグールドのエッセイ集、文庫本の表紙をモニターに並べました。300回の連載をまとめたものが、その都度、単行本になっているんですが、世界的にベストセラーになっています。4冊以外は全部僕が訳したような気がしますが、よく覚えていません。『ワンダフル・ライフ』が真ん中にあります。左上が、93年に訪ねたときの、ハーバード大学のグールドの研究室の写真です。パンダとか野球の話とかをエッセイで取り上げていて、研究室に行くとそういうおもちゃがいっぱいあります。その右が、1991年の初来日時に、僕が初対面した時のもの。若かったですね。大学院生でした。右下が、93年にハーバード大学に行ったときに一緒に撮った写真で、僕が40ちょっと前ぐらい。その左が、朝日新聞社の京都での講演会で、最後に日本に来た時。右に立っているのが2人目の奥さんで、アーティストです。ずっと口ヒゲがあったんですが、関西空港に迎えに行ったときには、なかった。若い奥さんから、年寄りくさく見えると言われて、切っちゃったと言っていました。
写真左上が『ワンダフル・ライフ』の原書です。拡大してある左下の絵は、最初にバージェス頁岩から見つかった化石の昔の復元画。それが、新しい研究によってガラリと変わりました。左上に何か変なのが泳いでいます。どんな生物かわからないけど、とにかくこれしか見つかっていないので、何かエビみたいなものですが、実は復元によると、アノマロカリスという、当時最大の、最大といっても1メートルもないんですが、そのくちばしです。この2個あるくちばしの1個を、ひとつの生物だと思ってエビとして復元しちゃった絵がさっきのものです。そういうふうに解釈は変わっていく。もうひとつ、さっき向井さんが紹介してくださった、最初の単行本。ハルキゲニアという名前がついている化石ですが、今、この絵はどこにもありません。文庫化するときに、右下のような別の復元画に替わりました。これもまたあとでお話しします。
『ワンダフル・ライフ』という書名は何かというと、“It’s A Wonderful Life(邦題は「素晴らしき哉、人生!」)” という、クリスマスに必ずどこかで放映されている映画から取っています。チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』の焼き直しです。人生が二度あれば、人生を巻き戻したらどうなるか、アメリカ人が好きな守護天使がいて……という話。モニターに出ているのは、僕がエッセイを書いたときに挿絵を描いてくれた、筑波大学の芸術の教師をやっている山本美希さんという漫画家が描いてくださった『ワンダフル・ライフ』をイメージしたイラストです。
実はこの『ワンダフル・ライフ』が出て、日本でも大ブームになりました。記憶にある方もいらっしゃるかと思います。「バージェス・モンスター」というので、夏休みになると、いろんなところで展覧会があったりしました。大学入試にも出ました。2013年の大学入試センター試験で、「地球上に生命が存在した痕跡は、化石で確かめることができる。化石が多く見つかりはじめるのは、約5億4千万年前以降のカンブリア紀の地層からである。この時期の生物に関する記述として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ」と。
① 原始的なラン藻類が、はじめて出現した。
② 硬い殻を持ち、多様な形態をもつ生物が栄えた。
③ 遊泳生活を行う生物はいなかった。
④ 体長30cmを超える生物はいなかった。
⑤ 最古の種子植物が現れた。
向井さん、正解は?
向井:②番でしょうね。
渡辺:はい、そうですね。当時は海の中にしか生き物はいなかったので、遊泳生活を行う生物しかいなかった。種子植物はまだ存在していませんでした。ラン藻類が出現したのはもっと前だった。
生命の進化を語るときに、カレンダーにたとえて、大晦日の夜11時59分何秒に人類が出現したっていうのをやるんですけれど、僕はあちこちでしゃべるときに、それじゃつまんないので、スカイツリーになぞらえてみました。スカイツリーというのは640メートルぐらいあるんですね。これを地球の歴史46億年にすると、生命が誕生したのは38億年前で下から4分の1くらいのところです。カンブリア紀、5億4千万年前というのは、展望台もはるかに超えて、上から10分の1くらい。この部分を拡大しますと、先っぽに137メートルのアンテナが立っています。これは地球の歴史にすると9.9億年分になります。これの真ん中ぐらいがカンブリア紀という感じです。アンテナの先端に2メートルの避雷針があって、避雷針の先っぽ1.4センチ、これが人類。20万年前です。向井さんの話にありましたけど、われわれは生命の頂点に君臨しているなんて言っていますが、すみっこの方でやっと出してもらえたということです。
写真は、先ほどの、僕が雑誌で取材に行ったときの、バージェス・モンスターの復元画。アノマロカリスは、くちばしで何か捕まえていますけど、これは当時、最大の肉食動物だったと思います。50センチから70センチぐらいの生き物です。アノマロカリスというのは、奇妙なカニ、エビという意味です。もともとこのくちばしがエビだと思われたので「奇妙なエビ」と言われていたんですが、よく掘ってみたら、うしろに体があった。要するに化石の成形技術が発達して、ちゃんと研究するようになったら、変な生き物がどんどん出てきた。最初に研究した人は、自分が知っている生き物のタイプに合わせて復元していたが、そうしたら今の生物のどの基準にも合わないのがいっぱい出てきた。僕が「奇妙奇天烈な生物」と訳したんですが、そうしたら非常にみなさんにウケていただいた。
先ほどのセンター入試より前に、自修館中等教育学校というところの入試に、これが出ました。2003年です。こっちの方が難しいです。なぜかというと記述式だからです。山手線の広告で見つけたんですが、塾の宣伝に出ていました。絵があって「こういう生物が5億3千万年前に突然出たという。これについて記述しなさい」って、すごく難しい。
向井:すごい問題だなあ。
渡辺:この学校の生物の先生の趣味ですね。向井さんがもう一人、そこにいたという感じ。まあ、なにを書いてもいい。先ほどの復元画ですから、変な生き物がいっぱいいます。みんな、非常に小さいです。上野の国立科学博物館にもちょっと化石がありますけれども、日本で一番あるのは、生命の海科学館という、愛知県蒲郡市の科学館。そこに行くと、バージェスから出た化石と、中国で同じ時期の地層から出た似たような化石が、たくさんあります。興味をお持ちの方はぜひ蒲郡に行ってください。小さな科学館なので、入場者数が増えると僕もうれしいです。隣の豊橋にも自然史博物館があるんですが、ちょっとライバル心があります。昔は科学館、博物館同士で化石を交換する制度があって、スミソニアン博物館で余っているのをもらったのがあるんです。今はもう取引禁止ですけれども。
グールドさんは、いまや日本ではあまり聞かれないですが、バブル期にエッセイ集が非常に売れて、僕は、このおかげで生活していました(笑)。最初は単行本で、初版で1万刷って、5刷ぐらいまでいった。今は文庫本も品切れ状態なので、みなさんで頑張って、注文していただけると(笑)。グールドさんはアメリカでもちろん有名で、漫画のシンプソンズに出ました。シンプソンズは有名人を出すので有名で、マイケル・ジャクソンなんかも出て、自分でアフレコをしている。グールドさんもシンプソンズ一家が住んでいる町の博物館のキュレーター、古生物学者として出て、自分でアフレコをしています。僕もDVDを買って見ましたが、とても下手です(笑)。ちょっと変なテーマで、街のスーパーマーケットの開発現場から、天使の化石が出たという。シンプソン家の女の子が、開発を中止して、発掘作業をするべきだと言って、彼のところに相談しに来る。ところが、「私は研究者だから、そういう経済的な価値とかそういうことには発言できない」とか、よくわかんないことを言う。彼はそこで「非科学、疑似科学だ」とかそういうことは言わないんです。いつもそういうふうに言う人なんですが。結局、種明かしとしては、開発業者が宣伝のためにわざと埋め込んだという話です。
彼は、ポップカルチャーにも通じていますし、先ほどの話でもあったように大リーグ通ですし、ハーシーのチョコバーの進化とか、そういうおもしろい話を書いています。若いときはけんかっ早い人で、血気にはやっていたんですが、そういうときに、中皮腫という“がん”にかかります。難病ですよね。
向井:アスベストと非常に関係があるといわれている。
渡辺:ハーバード大学の彼の研究室にアスベストがあったんじゃないかという説もあります。致死率が非常に高い。
向井:先月アメリカに1カ月行ってきましたけど、アメリカのテレビでは今でも、メソッテリオーマ(mesothelioma)=悪性中皮腫の方たちに向けて、保険のこととかコマーシャルをやってます。それもプライムタイムに流れたりします。メソッテリオーマっていうのは、誰にでも通じるみたいです。
渡辺:彼はそれになって、ハーバード大学の病院に入院をして、最新医療で助かった。で、病院のベッドで寝たきり状態から回復したときに、最初に医学部図書館にアクセスして、メソッテリオーマの文献を全部集めて、生存率、平均余命を調べあげた。その中央値が8カ月だった。彼はそれをどう解釈したか。さっきの4番打者、4割バッターと同じですけど、これはあくまでも中央値です。でも今は、医学技術が進んでいるから右のすそ野はどんどんまた伸びている、だから自分はその伸びる方に入ればいいんだという、楽観的な考え方をした。これをエッセイに書いたんです。彼は闘病中も1回も休まずにエッセイを書いた。そのエッセイが、今でも全米のがん患者協会のバイブルになっていると言われています。要するに、ものの「良い側面」を見ればいいんだと。そのときに、科学的なリテラシーが持てるかどうかによって、自分の健康、あるいは精神状態も変わってくるということ。
話は戻りますが、写真がバージェスの発掘現場です。ヨーホーという町から登ります。発掘現場は完全に保護されているので、プロのガイド付きのツアーが出ています。3時間から4時間ぐらいヨーホーから登っていく。発掘隊は途中にベースキャンプを張る。上の方に、バージェス・シェールの岩相が出ているので、毎日そこに登っていく。そして、夏の終わりになるとヘリコプターで全部下ろす、ということをやっています。写真の人が、ずいぶん前にバージェス頁岩を発見した人で、ウォルコットさん。スミソニアン博物館協会の理事長もやった、科学行政官でもある、有名な化石学者です。詳しいことは『ワンダフル・ライフ』を読んでいただければと思います。
グールドさんも、『ワンダフル・ライフ』を書くにあたって、聖地巡礼と称して、「私も行かないわけにはいかない」と言って、行ったときに写真を撮った。『ワンダフル・ライフ』には、「私のような運動不足のニューヨーカーでも、ちょっと軽い山登り程度だよ」と書いてあるんですが、それを案内した現地ガイドに聞いたら、もう大変だったそうです。半日がかりで、みんなで押し上げたと。作家は噓をつきますね(笑)。僕が取材で行ったのは93年でしたが、幸いなことに、化石を下に下ろすヘリコプターが、「上りは空荷なので乗っていくかい?」というので、乗って、楽ちんでした。まわりを歩くと、ナキウサギがいました。日本人もけっこう、ツアーで行っているみたいです。写真は発掘現場です。斜面を削っている。これ以外に、昔の発掘現場もあるらしいです。ベースキャンプにいる若い人たちは、しばらくいて下界の空気を吸いたくなると、夕暮れにエメラルド湖に駆け下りていく。そこにホテルがあって、ビールが飲めるんです。そして、朝になったら、また登ってくる。
現場にある岩をちょっと裏返してみると化石が出てきます。現場には、いっぱい積んであるんですけど、全部下ろせないので、貴重なものだけをとりあえず運び下ろして、あとはまたそこに置いておく。写真はアノマロカリスのくちばしです。エビのしっぽみたいで、これだけ見ると1匹の生物だと思ったわけですが、よく見るとうしろのほうにでかい体を持つ化石が見つかることもあるけれど、これだけが分離して見つかることが多かった。こちらの写真はカナダスピスという、二枚貝みたいな甲殻類です。地面の中に潜っているワームの化石はいっぱいありました。
実はこれ、「生態劇場の進化劇」という図式によく合います。大陸棚で、浅瀬に、突然硬い殻を持った動物がバッと出て、ところがこの中に、泥の中の生き物、藻を食べているものから、それを食べるアノマロカリスまで、食物連鎖のピラミッドができている。こいつらがいなくなったら、また別の生き物が出てきてピラミッドを作るということが何回も繰り返されてきた。これが何で5億何千万年前に突然出現したかについては、いろんな説がありますし、最近またいろいろな新説がある。その直前の化石が、化石層が出なくて、ほとんど見つかっていないんですが、最近は、「もうちょっと『突然』ではなかったんじゃないか」という説が出てきている。あるいは、僕が訳した『眼の誕生』という本がありますが、そこでは、「肉食動物、たとえば三葉虫が目を持ったことで、他の食われる方が武装しないと生きていけなくなったんじゃないか」という説を出しています。これらが目を持つ前は、カイメンとかクラゲとか、そういう触手で動いているものの世界だったわけです。ところが、動物が目を持ったとたんに、食物連鎖や生存闘争が厳しくなったんじゃないかと。いろんな説がありますね。
どんな変な生き物がいたかというと、一番いまだに何の種類かよくわかっていないのは、オパビニア。変な名前がついている。なにが変かというと、くちばしが掃除機みたいで、一番変なのは目で、5個ある。普通左右相称動物、対称動物ですから、偶数なはずなんですが、5個ある。ヒレもあって、写真のような形で化石が出てきた。くちばしが、ぐるっと回っています。いまだに何のグループかわからない。ですから、グールドは、このときにいろんなものが実験的に出て、その中でいなくなったものもたくさんいて、生き残ったものが今の生物の祖先になっているという説を出した。最初が多くて、今は先細っている状態だということを言ったんですが、それに関してもいろいろな大論争になっている。もしオパビニアが生き残っていたら、こんな生物が出たかも、という想像図もあります。どう見ても節足動物ですね。殻があって、節がある。一番われわれが興味があるのは、この同じ地層から、われわれ脊椎動物の祖先が出ていること。脊索動物と言いますが、ナメクジウオというのが、今生きている中では一番原始的な脊椎動物に近い生き物だといわれています。あるいはホヤの幼生。ホヤって仙台では喜んで食べていますが、子供のときはオタマジャクシみたいに背骨みたいなのがある。ホヤって実は脊椎動物とすごく近縁なんです。ナメクジウオはそれに近いようなもので、今も生きていて、瀬戸内海にもいます。これがもしかしたらわれわれの祖先で、これが絶滅していたらわれわれはここにいなくて、オパビニアがいたかもしれない。そういうのをグールドは書くのがうまいわけです。
ところが、中国から同じ時代のもので、もっと魚っぽいものが出た。ピカイアというんですが、ピカイアの存在感がちょっと薄れている感じです。ただ、ピカイアを見たときに、僕は手塚治虫の『火の鳥』で、人類の祖先でナメクジみたいなのが出てくるんですけど、それを連想してしまいました。先ほど話題になった、単行本の表紙になったハルキゲニア。最初の記載論文の姿はありえないです。これでどうやって歩いていたんでしょう。どっちが頭でどっちがしっぽだと。これを研究して名前を付けた、サイモン・コンウェイ・モリスというケンブリッジ大学の当時大学院生が、「これは幻覚であろう」と。ハルシネーション(hallucination)ですね、幻覚。それから取って、ハルキゲニア。英語ではハルシジーニアと言います。グールドが『ワンダフル・ライフ』を書いたときには、この最初の復元画しかなかった。その後いろんな化石が見つかって、サイモン・コンウェイ・モリスが今、教授をやっているケンブリッジ大学の博物館に行くと、写真のような形の模型が飾ってあったりします。足がとげみたいで、どうやって歩くんだとなるんですが、なんとなく足っぽくなっていますね。
ところが、これも間違っていた。漫画を検索したら、「今日の特別ゲストはハルキゲニアさんです」と言って出てきて、インタビューしようとマイクを近づけたら、ハルキゲニアが、「それはケツの方だ」と言う、というのがみつかりました。実はその後、化石が見つかって、上下がひっくり返っていて、天地がさかさまで、背中の触手1列は、実は2列だったのではないか、と。そして数年前、さらにちゃんとした化石が見つかって、本の復元は頭がちょん切れていたというのです。ハルキゲニアは、何のグループかわからなくて、幻覚じゃないかと言われていたわけですが。中国から仲間がいっぱい出てきて、現在、南米やオーストラリアにいる有爪類、ベルベットワーム、カギムシといいますが、の仲間だったとされています。今のカギムシは陸上生なんですが、当時の祖先は水生のカギムシだったのです。
いろんな復元がひっくり返るのは、これに限ったことではなくて、スピルバーグの『ジュラシックパーク』に出てくるヴェロキラプトル。これも最近の復元では毛が羽が生えていたんじゃないかと言われています。先ほどのハルキゲニアは化石ですが、写真は今いるカギムシ。英語ではベルベットワームといいますが、足の先にかぎがついている。これは昔から、昆虫の祖先系じゃないかと言われて、生きている化石と言われていた。遺伝子を調べると、いろんな共通の遺伝子が、線虫から人間まで見つかる。ホメオボックスという、体の節を作る遺伝子のグループがあって、それを調べたのが、モニターの右の図です。ショウジョウバエ、昆虫だとおなかのところでその遺伝子のスイッチがオンになる。ブライン・シュリンプだと胸のところでオンになる。ゲジゲジだと全部に含まれている。だからこれは節足動物ですけれども、ゲジゲジにしても全部、ひとつの節から1対の足が出ているんです。昆虫も胸に3対の足がありますけれども、胸の三つの節に一対ずつ、全部で6本の足があって、おなかの方の体節の足はなくなっている。逆に頭の方は、足が口に変わったり、触角に変わったりしている。このベルベットワームで、この遺伝子がどこに出ているかをみると、一番しっぽの先のところに赤くなって出ていた。だからこのときのこの遺伝子が、どんどん重複して出て、体節構造ができて進化してきたらしいということがわかりました。人間の背骨でも、この遺伝子が発現しています。なので、ハエと人間は、そんなに遠くはない。
ホメオボックスというのは実はおもしろくて、『ホメオボックス・ストーリー 形づくりの遺伝子と発生・進化』という本があります。ホメオボックスを見つけたのは、ワルター・ゲーリングという人です。彼が日本に来たときに、友達の、京都大学の岡田節人さんという有名な先生が、奈良の東大寺の大仏殿に連れて行った。そうしたらゲーリングは、大仏殿のチョウチョを見て、大喜びした。足が4対あります。昆虫ですから3対しかないはずです。ハエって羽が2枚なんですが、写真のハエは羽が4枚あります。ハエとカの仲間には、本当はもうひとつ、胸のところに平均棍(へいきんこん)というものがあるんですが、これは前の羽のある節が重複していることによって、羽が4枚になっている。これもホメオボックスの異常遺伝子で、これがまさにこのチョウチョで起こっている。もしかしたら昔の仏像師が、そういう突然変異体を見つけて、これを天竺からの使者だと思ってそうしたのか。あるいは昆虫を観察しなかったのか。想像をいろいろたくましくします。ハエではホメオボックスはひとつしかないんですが、人間では四つぐらい複雑に重複していて、背骨で同じ遺伝子が発現しています。
話は戻りますが、先ほどのバージェス・シェールが日本でも一時ブームになりました。今、まだやっているのかな? テレビ東京の『カンブリア宮殿』。タイトルバックでアノマロカリスが泳いでくる。番組の趣旨を読むと、カンブリア紀の大爆発で、地球の中でひとつの壮大なイノベーションが起こった。それにあやかって、経済のイノベーションということで、この番組を企画したと書いてあります。経済界にもあの『ワンダフル・ライフ』が波及してきた。さらにポップカルチャーでは、以前、バージェス・カフェというサイエンスカフェを三鷹でやって、バージェス・モンスターマニアの人たちが結集した。みなさんセミプロで、グッズを作っている。今日、持ってこようとして忘れちゃったんですが、そのときもらったのが、アノマロカリスとかオパビニアが書いてある花札。個人で作って販売しているんですね。一番あきれたのが、今まだあるかわからないんですが、「カンブリアンQTS」。ゲームです。南の海で、カンブリアモンスターの子孫が見つかった、それを持ちかえって増やすゲームです。オパビニア。オタク文化ですね。アノマロカリス。カリス姫とかですね。ハベリアとかですね、マルレラとかですね、ワプティアという。『ワンダフル・ライフ』がここまで波及したかと思うと感慨深いです。
先ほど向井さんのお話にも出てきたグールドとドーキンスですが、好敵手です。どちらも進化生物学者で、サイエンスライターとしてもとびきりで、2人ともベストセラー作家。ドーキンスはオックスフォード大学出身のイギリス人です。グールドは全体主義者で、ドーキンスは還元論者。グールドは大の野球ファンで、先ほどの『フルハウス 生命の全容』を、ドーキンスが実は書評している。そのときに、「私が野球の例じゃなくて、クリケットの例を書いたら、誰が読むだろう」って書いてあるんですね。アメリカ人にとってはおもしろいかもしれないけど、イギリス人にとっては野球なんかおもしろくもないと書いてあるんです。半分ジョークですけれど。先ほどおっしゃったように、どちらも41年生まれ。グールドは2002年5月20日に亡くなった。癌が再発して、脳腫瘍にかかり、最後手術もしたんですが。
もうひとつが、進化論と創造論ですね。グールドは進化論教育に関するサポートもずっとやっていた。全米の科学教員の協会=National Center for Science Educationというグループが、創造論のグループと対決して、「進化論の教育をちゃんとアメリカの学校でもやるように」という活動をしているんですが、その中で、「プロジェクト・スティーヴ」というおもしろい活動があります。グールドが亡くなったあとのものです。スティーヴという名を持つ科学関係の人にたくさん登録してもらって、進化論教育を大切にするって署名をもらおうという。2009年だったかな、『種の起源』150周年のとき、全米科学振興協会の「AAAS」という大会が毎年2月、ダーウィンの誕生日に近いときに行われるのですが、そこで「1000人目のスティーヴさんが登録されました」と記者会見をした。その名もスティーヴ・P・ダーウィンさんだという。高校の生物の先生だそうです。これ、絶対取っておいたんだと思いますね(笑)。スティーヴだけじゃなくて、みなさんもご存じのとおり、外国の名前はだいたい聖書に由来していて、スティーヴだとかスティーヴン、女性名はステファニーとかになるんですが、それもいいことにしちゃっている。スティーヴン・ホーキングも登録してあるんですが、この協会の推計だと、科学者の1%がスティーヴだそうです。
グールドさんはエッセイを書き続けて、先ほどのような本をたくさん書いて、「最後のエッセイが連載300回になったらやめる。ミレニアムを迎えるときにやめる」と宣言していた。そして、2002年に『ぼくは上陸している』という最後のエッセイ集を出して、確かにやめた。同時に、ずっと書いていると言われて、20年かけて書いた進化論の大著が、やっぱりちょうど2002年に書きあがって出版された。”The Structure of Evolutionary Theory” といいます。原著は1464ページあって、1冊で立ちます。これが、それを出版したとき博物館でやった記者会見の模様、最後の姿のひとつです。脳腫瘍の手術が終わって出てきたときで、この1カ月後ぐらいに亡くなりました。ハーバード大学でも、一般教養の授業をやっていて、最後に車椅子で登壇したのが、死の2週間前。病気の話はせず、最後に聖書の言葉を引用した。「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来たれば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」。「私はもう間もなく死ぬと思うけれども、こういう意志をみなさん継いでください」という言葉ですね。彼はキリスト教徒ではないんですが、聖書が知恵の宝庫だということで、すべて暗記している。すべての人にできることじゃないんでしょうけど、中学校のときに全部暗記させられたと言っています。シェイクスピアとか聖書の言葉とか、エッセイ集のあちこちで突然出てくるので、翻訳者泣かせです。ドーキンスさんはまだ生きていて、グールドさんは亡くなってしまいました。
実はこの2002年に出たこの1464ページの本を、僕は2002年以来ずっと訳していて、もう17年になりました。やっとゲラができて、たぶん来年には出せるかと思っています。今のところ、推定1900ページ、上下2巻。前回紹介したダーウィンの伝記が700ページぐらい、上下2巻で18,000円でしたが、この本はいくらになるんでしょう。みなさんはきっと買ってくださるだろうと思いますが(笑)。19年間も待って出版してくださる奇特な出版社は、工作舎というすばらしい出版社です。ということで、グールドのエッセイを読んで、進化ということを本当に学んだ人たちがたくさんいます。僕もあちこち行って、グールドの本を訳したというと、「握手してくれ」とか、「これでグールドとつながった」と言われたりします。
向井:僕から、ほんのちょっと。『ワンダフル・ライフ』、読んだ方いらっしゃいます? あ、いますね。私の個人的感想を言うと、前半は読むの苦痛です。前半はペダンティックな欠点が出ちゃっている。やたら聖書のこととか、衒学的で、自分の知識をひけらかすといったところもある。ところが後半の興奮度って、そこらのミステリーなんてふっ飛ばしますよ。もう一気にいっちゃう。要するにこの本の趣旨は、ピカイアがもし絶滅していたら、人類は生まれなかったと。「もう1回歴史を巻き戻したら、人類なんて出ていないかも、人類なんてただの偶然の産物よ」っていうようなことが、ひとつのメッセージになっている。私はこれを読んだときに、「へえ〜!」と思いました。「人類の進化はまったくの偶然以外の何物でもなかった」というグールドの過激な主張に対して、意外な人物からの反論があったんです。ジミー・カーター元合衆国大統領です。以前からグールドの科学エッセイの愛読者だったらしいんです。「ピカイアが死ななかったために、最終的に人類が進化した確率は非常に低い。何度テープを巻き戻したところで、二度と同じことができないという確率は低い。このことこそが、人類を進化させた神の意志ではないか」と反論を寄せたという。そのぐらいやっぱり、アメリカ人には衝撃を持って迎えられた本なんですよね。
渡辺:そうですね。
向井:ジミー・カーターって南部のジョージア出身の大統領で、まだご存命ですよ。現役大統領時代よりも、元大統領になってから活躍したので、「初めから元大統領だったらよかったのに」という、最高のジョークの対象になっている人です。最後に、誤解されると困るので、ちょっと訂正を。言いたいことを言いましたでしょ。全部私の個人的意見なので、誤解のないようにお願いします(笑)。イチローが、ジョージ・シスラーが1920年に2位に33本差をつけた大リーグ記録を更新して、36本にしたことに、最初に気づいたのは私だと言いました。私がそう思っているだけかもしれません。私の知る限り、私より先に言った人はいないと思うけれど、もしいたらごめんなさい。でも本当に、いや、私だと思いますよ。違っていたらごめんなさい(笑)。
さきほどの中皮腫について、ひとつだけ補足させてください。グールドは、悪性中皮腫になったわけです。悪性中皮腫って簡単にいうと胸の中とおなかの中に生じるのですが、彼はおなかの中にできた。彼が書いた有名なエッセイは「平均余命」ではなくて、「余命の中央値」だったんです。メジアン、中央値が8カ月だと。彼はそれを読んだときに、最初は茫然としたけど、待てよと。中央値だから半分の人は8カ月前に死んじゃう。平均はだいたい普通はメジアンより長いんですよ。中皮腫の余命の中央値が8カ月だということは、もっともっと生きる人が半分いるわけです。簡単に言っちゃうと、中皮腫とわかった時点から8カ月たって、半分死ぬ。残りの半分はもっと生きる。もっと生きる人は、どこまで生きるかもわからない。じゃあ頑張ろうと。なんでこの、どうでもいいことを言ったかというと、この科学エッセイのタイトルが粋なんですよ。中央値って、英語でメジアンっていうんです。『メジアンはメッセージではない』、いいでしょ。メジアンはメッセージではない。だから彼は、それを読んだときに、たかが中央値じゃないかと。俺が8カ月で死ぬとは言っていない。要するにメジアンはメッセージではない、すべてを伝えてはいないっていう。いいことを言う。これはまた、マーシャル・マクルーハンという有名な人の、有名な言葉、「メディアはメッセージである」、これのパクリなんです。”The Medium is the Message.” をパクって、“The Median Isn’t the Message” なんです。これ、非常に粋なタイトルです。それだけ。
渡辺:そういうのはパクリと言わないんです。ひねりって言うんです。
向井:そうですね、ひねりです。パクっちゃったらそのままだ。私のイチローの傑出度は、グールドのパクリですよ、あれは。完全に。
渡辺:応用ですね。
向井:あ、応用かな。パクリだな。ちょっと最後にね、実は今回のこの講座にあたって、私は『種の起源』は読みませんでした。もう2度も読んでいるから。旧訳と新訳で。この3冊(『ダーウィンの遺産』『ワンダフル・ライフ』『フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説』を全部読み返したんですよ。それで感動しっぱなし。それで「あれ? 渡辺さん、こんないいこと言っていたの?」と思ったのが1カ所あって。
渡辺:(笑)
向井:「あんないいこと言っていたんだ」って、これ、私の年のせいです。『ダーウィンの遺産』2015年でしょ。4年たっているわけですね。私、72歳なわけよ。4年前に読んだんですよ、買ってすぐに。68歳。やっぱり70を過ぎると人生観変わる。72って男の健康寿命だし、あと3年で後期高齢者ですからね。覚えていらっしゃらないでしょうけど、こう書いてある。ダーウィンについてじゃないんですけど、リチャード・フォーティが書いた『生命40億年全史』っていうの、覚えていますか。
渡辺:もちろん。
向井:読者カードが来たっていう、感想文が来たというくだり。みんな好意的に受け取って書いてくれたんですけど、年齢は18歳から92歳まで幅があったと。平均年齢62歳。ばらつきはあるんだけど、かなり高齢者に偏っているんですよ。これは何かっていうと、渡辺さん、こう言っているんです。「『生命40億年全史』は、地球上に生命が誕生してから今日までの進化史を、多彩なエピソードをちりばめて雄弁に語った本である。これまで地球上にはさまざまな生物が登場しては絶滅していった。しかしそれでも、生命の営みは連綿と続いてきた。それはまさに、ダーウィンがミミズで象徴させたメッセージと同根である。多くの中高年の読者は、自らの老い先を考え、生命進化の歴史に救いのメッセージを読み取ったのではないか」。私と一緒。72歳になると、やっぱりね、種の起源だとか、種の絶滅だとか、こういうのを読むと、なんとなく癒しとか救いとか、死生観変わるんですよ。みなさんまだお若いからわからないかもしれないけど、68歳でこれを読んだときはあまり印象を受けなくて、今回読み直して、「渡辺さん、いいこと言ってんじゃん」と身に染みたんです。
この『がんばれカミナリ竜』、これは渡辺さんが訳した本じゃないんですけど、この中に「メジアンはメッセージではない」が入っている。同じことは『フルハウス』にもちょっと書いていますけどね。だから、生命進化の本を読んでいると、根源的な感動と救いと、死の恐怖の減弱というか、けっこう変わりますよ。本当に。それから『ワンダフル・ライフ』は、ご参考までに言っておきますが、私は「この本を読んだらぜったい感動するから読めよ」と言って、何十人もすすめたんですが、前半の読みにくさを克服し、読み切ったのは2人しかいません。だけど、その読み切った2人は、「向井、ありがとう」と言って、「こんなすごい本を紹介してくれて、本当にうれしい」と言いました。後半の興奮って、半端じゃないんですよ。「あちゃ〜」っていうくらい、すごいですから。読み切った方、前半苦痛じゃありませんでした?
受講生:すごい苦痛です。
向井:ね。たまんないですよね。
渡辺:訳していても大変でした。
向井:でしょ。これちょっと、グールドの最大の欠点というか、衒学的な文章になっているんです。
渡辺:でもこれ、まえがきで、「ビジネスマンが東京出張の飛行機の中で読むのに適した本だ」って。
向井:冗談ですよね。
渡辺:僕はグールドに言ったんです。「僕の友達が『あれはそんなこと絶対にない』って言っている」と。そしたら、「いや、そんなはずはない」って(笑)。
向井:僕の友人で2人しか読み切っていませんけど、1人が男で、慶應の医学部時代の同級生です。1人はまったく文系の女性です。この女性は1年かけて読んだそうです。何度もやめようと思ったけど、向井さんが「前半はなんとか我慢しろ。我慢して読め」って言っていたから、我慢して後半にいったら一気に読めたと。読んで本当によかったと言っています。なんとか苦痛を乗り越えてください。
渡辺:ありがとうございます。僕も読んでみよう。
会場:(笑)
河野:本当に長時間、ありがとうございました。渡辺さんと最初にお会いしたときは、スティーヴン・ジェイ・グールドが『ワンダフル・ライフ』を書いて、その直後に日本に来たとき。グールドさんと国際文化会館で会われたあと、私の雑誌の対談に出てくださいました。そのときの写真がさっき出ていましたけれども、30年近く前にお会いしたのが最初になります。それから向井さん、今日はお医者さんの話をされないとおっしゃっていましたけど、最後、グールドの病気のことで、本業の部分でもちょっとお話しいただきました。最後は死とどう向き合うかと、72歳の心情告白までしていただいて。みなさん、どうぞ拍手を。ありがとうございました。
授業の少し後にマンモス展に行ってきたのですが、 マンモスの化石は鼻の部分が残らない(骨が無いため)ので、 昔の想像復元図では牙の生えた鼠のような形だったり、牙が角扱いにされたりしていたという解説を見て、「バージェス動物のミステリー」ことハルキゲニアを思い出しました。実はまだ見つかっていない軟組織があったり、本当は何かの一部分だったりするのではないか……と考えてしまいます。 新しい情報が入ってくることは新しい疑問を生むことでもあるのですね。
向井さんは初めてお目にかかりましたが、シェイクスピア講座のオンライン・クラスを見ていたので、全然初めての感じがしませんでした。オンライン・クラスの映し方が、実際に授業を受けているように、うまく作られているからじゃないかなと思います。それにしても、まさに動と静がせめぎ合うような(笑)授業でした。いつも以上に刺激的な内容で、とても楽しめました。
『ワンダフル・ライフ』と『フルハウス』いつか読破したいと心に誓いました。
「イチローの進化」とか、「イチローの遺伝子が広がった」とか、うかつなことを言わないようにしようと思いました(笑)。すごく勉強になりました。